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はてなキーワード: 進化論とは

2010-03-17

ttp://twitter.com/inflorescencia/statuses/10574908480

有害表現現実の被害に因果関係があるというなら、統計や実証などの裏付けを聞いてみたいが、「傷付く」ことを問題としたいなら、福音主義者が傷付く(かもしれない)進化論をどう扱うのか知りたい。

2010-03-13

科学教徒学生の甘え言

神様のおかけであなたは上手くいった」という言葉自分世界で一番嫌っているかもしれない。

例えば進化論について宗教家がどんな考えを持っていたとしても、それは自分宗派が異なるだけだからどうでもいいのだけど、この文句だけは許せないのだ。

何で自分の成功が神様のおかげにされねばならないのか。

全てを自分独りで成し遂げたと考える程傲慢ではない。支えてくれた人、関わりのあった人たちにはとても感謝している。

だが、宗教家が一体何をしてくれたのかと。

成功したのは神様のおかげ?彼らが祈ったから物事が良い方向に進んだ?

そんな言葉で俺の努力と才能を否定して、バカにするのも大概にしてほしい。

成功は神様のおかげ。失敗は身分不相応だという神様のお導き。どんな結果にも対応できるすばらしい考え方ですね(笑)

俺はそんな言葉で成功を他者に委ね、失敗を諦めるのは絶対にごめんだ。

そして何より、自分の親がこんな与太話を真に受けて、今に泣きそうなぐらい真剣な顔で、胡散臭いジジイの話を有り難く聴いて、額に床がつく程頭を低くして、そして俺にも同意を求める姿を見るとき、最高に惨めな気分にさせられる。

そんなに自分に自信が無いのかと。そんなに何かにすがりたいのかと。そんなに今の成功を誰かに差し出したいのかと。

ここでジジイに反論すると面倒なことになるのは一度経験してるから、その場は頭を下げるけど、どんな失敗をするよりも屈辱的だ。

自分の考えを暴論の前に無理にねじ曲げるこの瞬間は何度経験しても慣れることがない。

社会に出たら似たような場面なんて腐る程あるんだろうけれど。学生辞めたくねえなあ…

2010-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20100310224151

モテるオスは大体優秀だしモテないオスは大体劣等。そんだけの話。

社会進化論的な「適者生存」思想は疑似科学の典型中の典型なんだが。

疑似科学によってしか「正当性」を主張できない恋愛って何なの?

恋愛肯定論者の頭の中は未だに1930年代のままなの?

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100302221409

血筋の話しだが、進化論的には雑種が一番強いのですよ。

それに当てはまって、企業国家雑種的な、人の出這入りが流動的で多文化的な所の成功率が高かったりするんです。

さらには、戦前日本ってそこまで血筋を重要視していなくて、結婚しても子どもができなかったら跡取りに拾ってきた子供を育てるなんて話しも少なくなかったそうですよ。

血筋を急に気にし始めたのは、戦後のここ最近あたりで、長い歴史観でみても血筋ってそんなに守る必要あるか?って話しを聞いたんですが、この話しはまさに目から鱗でした。

ボクも従来の血筋は守らないとなぁ、みたいな固定概念があったのですが、長い目でみて血筋より人間同士のかかわり合いの方が重要なのかと。

ずっと育ててくれた育ての親と一度もあった事のない産みの親、どっちが大事?って言われたら、やっぱり育ての親だと思うんですよね・・・

こんな人間感情からも、実は血筋よりも、多交流的な人間関係の方が重要である事がわかるそうです。

2010-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20100225170634

進化論はなかった、神が人を作った、けっこうですよ。でもそれを一般科学者にまでは求めないでね。そういうことでしょ。

それが全く通用しない世界もあるって事だよ。

アメリカのとある地方なんかだと、キリスト教保守的な層の一部が高校の理科教科書ダーウィンを載せるなと申し立ててあっさり認められてしまったりする。またアメリカ人進化論を信じるのは4割以下という調査もある。逆に、半数近くが神が人間を作ったとガチで信じてる。

オーストラリア捕鯨に対する異常な反応も似たようなもんだろう。

在日強制連行説はそういうレベルの話である事を前提にする必要がある。事実であるかとか根拠があるかとか、そういう話じゃないんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100225134952

「収奪行為」って言われるとなんだか日本が奪いに行ってるみたいじゃん。

日本収入に応じて課税するしくみがあって、それは国籍を問わない。

日本経済力を利用して儲けようと思って来た人に、「不当に奪われた!」って言われてもなぁ。

無理やり連れてきたんならともかく。

しかし今は強制されたと言ってるわけで、仮に嘘だとしても、もう訂正がきかない所にまで行ってしまってるのも事実(今更嘘でしたなんて言ったら彼らのアイデンティティが崩壊しかねない)。これはその時すぐに反論せず半端に信じて長年放置してきた日本人にも責任はある。

重要なのは、事実がどうだったかではなく、強制連行された「事にしておく」方が得かどうかだと思う。神が人を作った「事にしておく」方がうまくいく国や文化もあるわけだから。

ええええええええええ(誰かあのAA貼ってくれ)

自分被害者だ」という嘘を勝手に思い込んで訂正がきかなくなったのは、勝手加害者認定された人のせいなんですか?

こわい、こわすぎる。それおかしいよ。

通りすがりのひととふと目が合って、相手が「ガンつけやがった」と思い込んだら、その人は平身低頭謝らなきゃいけないの?

「事にしておく」のが他の人に影響しないことならそれでもいいかもだけど、他人にまで強制するのは違うだろー。

進化論はなかった、神が人を作った、けっこうですよ。でもそれを一般科学者にまでは求めないでね。そういうことでしょ。

2010-01-27

強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊

この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。

あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。

ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。

こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。

原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。

歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。

難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。

そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。

これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。

この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。

飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、

黙考はずいぶんと深くなるし、ブログネタに応用すれば必ず一目置かれる。

選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。

この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。

ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!

新大学生が本当に読むべき100冊

存在論的、郵便的東浩紀

動物化するポストモダン東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀

アナーキズム浅羽通明

ナショナリズム浅羽通明

右翼左翼浅羽通明

構造と力浅田彰

『逃走論』 浅田彰

『反芸術アンパン赤瀬川原平

東京ミキサー計画』 赤瀬川原平

ギャルギャル男文化人類学荒井悠介

ディズニー魔法有馬哲夫

テヅカ・イズ・デッド伊藤剛

マンガは変わる伊藤剛

ヤンキー文化論序説』 五十嵐太郎

オカルト帝国1970年代日本を読む』 一柳廣孝

『寝ながら学べる構造主義内田樹

ゼロ年代の想像力宇野常寛

『二〇世紀の批評を読む』 大谷能生

『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫

オタクはすでに死んでいる岡田斗司夫

アメリカン・コミックス大全』 小野耕世

教養としての〈まんが・アニメ〉大塚英志

おたく精神史』 大塚英志

サンデーマガジン大野

キャラクターとは何か』 小田切博

『よいこの君主論』 架神恭介

『完全教マニュアル』 架神恭介

映画は撮ったことがない』 神山健治

『ポケットは80年代がいっぱい』 香山リカ

戦前少年犯罪管賀江留郎

スペイン宇宙食菊地成孔

東京大学のアルバート・テイラー』 菊地成孔

おまえが若者を語るな!』 後藤和智

封建主義者かく語りき』 呉智英

賢者の誘惑』 呉智英

『現代マンガの全体像』 呉智英

『定本日本の喜劇人小林信彦

カノッサの屈辱小山薫堂

お厚いのがお好き?小山薫堂

虚人のすすめ』 康芳夫

『生き延びるためのラカン斎藤環

ニッポンの思想』 佐々木敦

『シミュレーショニズム』 椹木野衣

ロックミュージック進化論渋谷陽一

日本の10大新宗教島田裕巳

ヒーロー正義白倉伸一郎

『箆棒な人々』 竹熊健太郎

『定本気分は歌謡曲近田春夫

完全自殺マニュアル鶴見済

洗脳原論』 苫米地英人

スピリチュアリズム苫米地英人

苫米地英人宇宙を語る』 苫米地英人

『青いムーブメント外山恒一

マンガ哲学する』 永井均

チベットモーツァルト中沢新一

ベストセラー構造中島梓

嫌オタク流中原昌也

『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書西寺郷太

前衛の道』 根本敬

『花咲く乙女のキンピラゴボウ橋本治

アーキテクチャ生態系濱野智史

タイアップ歌謡史』 速水健朗

自分探しが止まらない』 速水健朗

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』 ばるぼら

ロマンポルノと実録やくざ映画樋口尚文

70年代日本の超大作映画樋口尚文

アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

ワンダゾーン』 福本博文

『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林

ゲームホニャララブルボン小林

電波男本田透

喪男の哲学史本田透

世界電波男本田透

セカイ系とは何か』 前島賢

映画の見方がわかる本』 町山智浩

ブレードランナーの未来世紀町山智浩

『なぜ宇宙人地球に来ない?』 松尾貴史

貧乏人の逆襲!』 松本哉

サブカルチャー神話解体宮台真司

『14歳からの社会学宮台真司

『定本アニメーションギャグ世界森卓也

放送禁止歌森達也

職業欄はエスパー森達也

趣都の誕生森川嘉一郎

『興行師たちの映画史柳下毅一郎

殺人マニア宣言』 柳下毅一郎

『新教養主義宣言』 山形浩生

『たかがバロウズ本。』 山形浩生

訳者解説』 山形浩生

『超クソゲー箭本進一

戦後SFマンガ史』 米沢嘉博

戦後少女マンガ史』 米沢嘉博

戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博

漫画原論』 四方田犬彦

日本映画史100年』 四方田犬彦

日本文学ふいんき語り』 米光一成

恋愛小説ふいんき語り』 米光一成

2010-01-02

進化論オタク絶滅論(遺伝子優勢論)

なぜなら、今オタク((趣味にのめりこんで云々の方じゃなくて、ふつうの人たちが使う、容姿が気持ち悪くて挙動が不審で、という侮蔑語の方の意味))を忌み嫌って、見下して、気持ち悪がってる素晴らしい人たちが結婚して子どもを産み、その子たちが若者社会に入ってくるのがその頃だから。

概ね団塊ジュニアから下の世代くらいの人(つまり今現在若者の人たち)には、オタク若者社会ヒエラルキーの最下層でサンドバッグにされてる惨めな人たち、という認識が共有されてきてるように思う。結婚したり子どもつくったりできるような人たちは当然見下してる側がほとんど((稀にオタク結婚するかもしれないけど、たぶん圧倒的に少数派だろう))なわけだから、自分子どもがそうならないように必死になるんじゃないだろうか。

だから、いま幼児くらいの子どもたちを先頭に、その子たちが高校生から大学生になるあたりから、オタク新規参入はどんどん減っていくんじゃないかと思う。いま若者オタクの人たちの親って、団塊から若くてもバブル世代くらいだと思うけど、オタク自分たちの若い頃は(今のような社会的ポジションとしては)存在しなかったから、なんだかんだ言ってオタクに寛容だと思う。この先はそうじゃなくなるんじゃないの、と。

2009-12-04

Google八分 進化論

(1)検索結果に表示しない

(2)IME検索窓のGoogleサジェストで表示しない

(3)DNSから削除 ←New

2009-11-27

ふたりぼっち(くらい)の宗教戦争

そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供砂嵐を見せるか民放馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿テレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。

だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。

ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。

で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京都心カフェ小一時間耳をすませていると、その地元クリスチャンコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。

それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分モチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。

書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎよく分からん

福音派アメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分ボーンアゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。

最近アメリカ福音派政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党オバマ政権取ったし、アフガンベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイ結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教荒し日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディア編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタク絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディア悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。

2009-11-09

トンデモ

・なぜ精神科に何年も通っているのに治らない(改善しない)のか

・なぜ「これを飲めば治る」という薬がないのか。にも関わらず投薬を続けさせようとするのか

http://anond.hatelabo.jp/20091109142857

とりあえず「治らない例がある」ことと「治らない」ことは違うわけでな。薬というものは、偽薬よりも治りがよいことが治験証明されてるから承認されてるわけで、つまりは最低限「改善される」ことは科学的に示されてるんだよ。

あーそれと、糖尿病その他の慢性病には「治らない」ものだってあるだろうが、治療無意味かい?

それと、風邪だって「これを飲めば治る」薬なんてないけど、君は風邪薬を飲まないのかい?

それとも単に「憂鬱自分の気持ちを受け止めてくれる存在」が欲しいだけ何じゃないのか?

それなら別に医者じゃなくても宗教論者で十分じゃん。そこにお前らは疑問を持たないのか?

とりあえずそういう素朴すぎる心身二元論はよした方がいい。人間の脳だって結局は有機物なわけで、化学的に影響を受けることは確か。腹が減ると機嫌が悪くなるなんてのはその典型だ。

精神疾患には生理学的な原因があるってのはもうわかってきてるわけでな。それを治そうとするのに薬を使うのは自然。そうだろ?

http://plaza.rakuten.co.jp/kinkou070707/diary/200908260003/

http://kentapb.blog27.fc2.com/blog-entry-1745.html

とりあえずこの辺読んどけ。上の方はソース消滅してるから孫引きですまんが。

医者じゃないから医学的な見知から答えられないが、

専門家でもなく、ぐぐってわかる程度の知識もないのに精神医学全部を否定しようとする君の無謀ぶりには、進化論否定の創造論者もびっくりだろうね。

[]進化論

進化論的には、「優位」とか「劣等」という概念はない。

何が「優位」で何が「劣等」かどうかは

そのときの情勢が決め、またその情勢は逐次変わりうる。

で、ある局面で、ある属性が「優位(環境的に)」なった場合、生物群は「優位」な機能を競って備えようとする。

いっせいに転換したように見える。

100に1つだけ、「優位」な突然変異を備えたものがいる分には別にこちらまでその機能を備える必要もないが

100に20、30となると、その機能の有無に関わらず、その機能を備える、もしくは対抗した機能がない種は没落する。

2009-11-02

一般的にいって、人間は失敗作

http://anond.hatelabo.jp/20091102022243

人間の中でどうのこうのいう以前に、人間という生物自体がすでに過剰適応の失敗作。

資源消費がハンパないうえ、石油がなければなにもできない。進化論的にいえば、バクテリアのほうがよっぽど高度な戦略で生きているよ。

http://anond.hatelabo.jp/20091102033439

逆だよ。私は進化論について語りたいんじゃなくて、人間感情について語りたいんだ。進化論はその一部要素に過ぎないので、もとよりそんなに深入りするつもりはないし、人類がおかれている生物学的な状況や将来性について語りたいわけでもない。ただ、何故そこまで種に拘るのかわからず、引っかかってるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20091102032801

進化論人間世界の優劣を持ち出している時点で多種間の要素が抜けているだろう。己が数分前に書いた文章を失念するほど愚かなのか。人間進化に影響するほど人間世界でのみ優越した形質を持つ人間進化論で考えれば過剰適応の罠に嵌る可能性もある。ありえない前提でありナンセンスだが。

http://anond.hatelabo.jp/20091102022243

進化論をもっと勉強したほうがいい。

善意でさえも淘汰の結果であることがわかるから。

進化圧は個体にだけかかっているわけではなく、集団や種に対しても同様にかかっている。

2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101175510

進化論的に、女は浮気性な男を好むってどっかで読んだ。

こういう女が遺伝子を残しやすかったという。

・男に浮気させず、経済的な庇護を独占する ← 嫉妬深い

自分の子孫の男は、遺伝子をばら撒く ← 浮気性でモテる男が好き

だから、モテそうでどっか行ってしまいそうな男が「キミだけだよ」と言ってくれるのがいいのであって、誠実なだけではパンチが弱い。

だがこの論法でいくと、モテない男は既に淘汰されて希少な存在になってるはずだよな。

2009-10-26

何年か前まで暇なときによく読んでた漫画、今読んだらまったく面白くなかった。

これって何なんだろう。

惰性で読んでただけだったんだろか

自分がかわったのかなぁ

(ちなみに漫画OL進化論

2009-10-20

(酷く入念な)空想の歴史観、つまり個人史について。

過去の栄光にすがるな」とは言え、回想に浸ってみる。ターゲットが未だ定まっていないからだ。

これは何かの自己啓発本に書いてあった「謎解きのヒントは自分過去に必ず在る」という物で、

「先ずは自分を見つめ直せ」といったごく在り来たりなフレーズに耳にタコが出来そうになる物のフロイト的にもオールオッケー。

それがどんなに下らない物であっても一通り書き下すと良い。しかし後で必ず捨てろ。生ゴミは持ち歩かない方が身の為だ。

大文字歴史」と「個人史」の間には必ず偏差が在る。否、「大文字歴史」は宗教と同様「何者かに決められた個人史」の可能性も否めず、

大文字と小文字の間に偏差が在る事は誰にも簡単に理解出来るが、しかしそのバリューは誰にも計れない。

歴史事実はある意味で「ロマンチスト免罪符」という訳だ。

話を戻そう。

2つの「大文字歴史」ここは手軽にウィキペディアの写しを並べ、しばし考えた後、“あえて”片方を逆にした物が前回だ。

これは「進化論」あるいは「疑似科学的なハッタリ」とも言えるカマしだが、進化論からすれば「進化」と「退行」は同じ物である。

(勘ぐるに「大人」とは「退行を良しとしないが、進化も止めた人」と読めるが、それは行き過ぎだろう。)

別にどう読んで頂いても構わないが、「この2つに相当性が見受けられる」という結論に落とし込まざるを得なかった。

これはロマンチストに依る完全なる空想の産物であるが、決定的事実に見せかけるには十分であったと思う。

結局個人史という物は捏造も修正も幾らでも可能だが、大文字歴史は簡単には曲がらない。そこを上手く誤摩化して撹乱させた。

ワタシの偏愛する文章の大半は「どの様にでも読めるが、結局どの様に読んでも同じ」「自由かつ不自由」という不気味な拘束具だったりする。

                           〜T.H.

2009-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20091009234534

困るのは、欧米の場合それを言うのがDQNだけじゃないってことだよね。

日本の場合、在特会にしろ既存の右翼団体にしろ誰が見てもわかるDQNばっかりじゃん。

ところが欧米の場合、インテリ面したやつが屁理屈並べて、右は進化論否定でネオリベ万歳、左はスカーフ反対で捕鯨粉砕とか言いやがる。

はてサ知識人面してるようなもんだよな。そういう意味でははてサ理想郷なのかもなw

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005002132

http://anond.hatelabo.jp/20091005002132

いや、相手が生物学を知ろうが知らまいが、まずは動物園

そっから生物多様性進化論、五界説、超三界説、すこし分子進化における中立説と自然選択説の対立の話を紹介して、「君はどっちを信じる?」って宿題を出してその日はそれまで。

で、次は会食でもしながら進化論の話から育種学の話。

集団遺伝から近交化の話につなげて遺伝病の話にもってく。

遺伝病の話からセントラルドグマの紹介。

んで、そっからタンパク質の話にいくんだけど、代謝マップにいくよりは生理学につなげたほうがいいかなっと。

で、ひとしきり畑違いにも楽しめる医学生理学のおもしろそうな話を紹介したところで、PCRとシーケンスの原理とかを説明したり。

あんま化学にこだわらないほうがいいと思った。

2009-09-25

適者生存 生物学的多様性

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/world/europe/090924/erp0909241703004-n1.htm

いつも思うんだけど、社会進化論的な誤認しているひとって、ほんと多いよな。

適者生存という事実が存在すると言うことと、個別の適者生存がよいことか、それにどう関与すべきかってことは、全然、別の問題なんだよな。

たしかに、生態学的なエコシステムの場合は、人間が関与しない状態をもって、「正しい」と定義しても、まあ、大過ないかもしれない。

(もっとも、これだって、厳密にはぜんぜんそうはいえないのだが)

自然状態では淘汰されるような種であるということは、それが保護されるべきかどうか、という論点について、少なくともまったく決定的ではない。

だから、生物学的には正論とか書いちゃう人は、根本的に、事実問題とべき論を混同してしまってるんだよな。

まあ、パンダ保護リソースを優先的にまわすのがいいかどうか、というのは、それはそれとして議論があっていいが。

あと、種の保護は、かわいいとか、愛護とかじゃなくて、絶滅したら取り返しがつかない、というのと、エコロジカルな意味で果たしている役割というのと、それに関連して、種の多様性を環境の変動リスクに対して担保しておく必要性、ということがある。

2009-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20090922184520

非常に狭い科学観ですな。

(1)科学長所は、(2)理論が正しいかどうか実験などによって客観的に確かめられる点にあります。

それでは、(3)進化論天体物理学など、実験を行えないものは「科学」ではないのでしょうか。

  1. 科学長所・・・何が科学で何が科学でないかの定義についての話をする文脈で、長所の話をしているのがおかしい。
  2. 理論が正しいかどうか・・・実験で得られた現象を理論的に説明するという逆のパターンがある。
  3. 進化論天体物理学など、実験を行えないもの・・・進化論では大腸菌の数万世代の継代実験http://blackshadow.seesaa.net/article/103212061.html)もある。天文学では、観測や力学シミュレーションを「実験」と呼ばないのは狭すぎる実験観である。

 

科学反証可能性」だと思い込んでいる人がいて、

そういう人は、

実験で検証できないものは科学じゃないんだろ?」と

短絡的に思ってしまう。

そういう人は、

「そもそも科学とは何ぞや」とも、

反証可能性とは何ぞや」とも考えたことがないのではないか。

手順に従う限り、誰がやっても、いつも同じ結果になるから、

反証可能になるということを考えたことがないのだろうか。

 

そして、単純に

科学多数決」だとか、

宗教と同じである」とか、

科学のもつ一面だけを見て、語ろうとする。

それこそが非科学的態度であるということに気がつかない。

[][]進化論循環論法

進化論に感じるきもちわるさの根はなにか

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090918/1253283595

何らかの成果が出た時、その成果を得る為にとった行動が努力として規定される。つまり、「成果が出た」時点から遡って、「努力をした」という過去が形成されるのだ。故に努力は必ず報われる

何らかの生物種が現に生存している時(=絶滅していない時)、生存する為に有利と考えられる形質が適応として規定される。つまり「生存している」時点から遡って、「適応した」という過去が形成されるのだ。故に適応した種は必ず生存している

http://www.idea-moo.net/chi-taiken/ono08122801.html

自然選択説循環論法無意味だと批判する者がいる。「自然選択で生き残るのは誰だ?→適者だ」、「適者とは誰か?→自然選択で生き残る者のことだ」自然選択説はこういう循環論法だと批判者は主張する。だがこれは全くの誤解に過ぎない。自然選択説は、変異体と原型との間で環境への適応度に差があるということを指摘する。大多数の事例で突然変異有害で変異体は適応度が低く生き残ることはない。しかし、ごく僅かではあるが有利な突然変異が生じそれが生き残り新種となることがある。また(「種の起源」では明記されていないが)中立な変異体が確率的浮動で生き残り新種となることもある。適応度の差は環境により異なり、任意の突然変異を一意的に有利か不利か中立か決めることはできない。耐性菌は薬剤が存在しない環境では通常は不利な変異体であり増えることはない。しかし薬剤が存在する環境では圧倒的に有利な立場を得て増殖し新種となる。こうして環境の多様性と連動して種の多様性が拡大する。このようにダーウィン進化論を正しく理解すれば、それが無意味循環論法だという批判は全くの的外れであることは明白だ。またダーウィン説が種の多様性を説明する上で極めて有効、いや、唯一の科学的な理論的枠組みであることも明らかになる。

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku

dora_m 人生仕事勉強の術 なるほどねー

ite work, life これは良い定義

T_da 話のネタ努力定義についての良いまとめ

stellaluna 「努力します」「善処します」という政治家言い訳がこれで使えなくなるのならいい定義か。

Zephyrs コミュニケーション, ネタ, 社会, 考察, 言葉, これはすごい 目から鱗とはこの事か……

caraldo_k コミュニケーション, 読み物 俺は納得

kei_ex 正しい。けど、これを知っても自分プラスになるかというと微妙だ…w

ryu-ten くやしいけど正論w 自分では精一杯努力してるつもりなんだけど成果が出ないからもっと努力しろと言われるw

noumi_j2 正論。少なくとも「結果しか評価されない社会になりつつある」事は間違いない。

2009-09-17

[][]努力 適応

成功が発生した時点からその成功者過去を遡り、

その成功を得る為にとった行動が努力と呼ばれる。

努力とは苦労する事ではない。

全然苦労してなくても成功すれば努力した事になるし、

凄く苦労しても成功しなければ努力が足りない事になる。

努力すれば成功するとは限らないが、成功する人はみんな努力している」

という言葉は間違いで、正確には「成功した人のとってきた行動は努力と呼ばれる」ということになる。






進化論における「適応」の概念も、この「努力」と同じ

生物は、「適応したから、生き残った」のではなく「生き残ったから、適応しているとされた」

何らかの生物種が現に生存している時(=絶滅していない時)、生存する為に有利と考えられる形質が適応として規定される。つまり「生存している」時点から遡って、「適応した」という過去が形成されるのだ。故に適応した種は必ず生存している

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