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はてなキーワード: 沈黙とは

2008-12-13

路上喫煙ぐらいかまわんじゃないか

前もって書くと、僕はたばこは吸わない。吸ったこともない。

だけど、路上喫煙があぶないとかなんとかいうのみるとそりゃ言い過ぎだろと思う。それ以前に外国なんか行くと現地民がプカプカ吸ってて、火消さずにポイポイ捨ててる。日本から見るとぎょっとするが、外国から見ると日本の方がぎょっとすることがある。歩きたばこくらいで何をビビることがある。

アメリカあたりじゃ法律路上喫煙禁止してるところもあるらしいじゃん、あはは、アメリカ人って時々頭おかしくなるよねって普通に言ってる。僕もアハハって笑うけど、よく考えたら日本でも事情は大して変わらなかった。日本人も頭おかしいんだろう。

喫煙する人も随分おとなしくなってきたから(たぶん世界的に)、それは僕のような非喫煙者には喜ばしい。だけど、それ以上のことを迫ってどうするというのだろうか。

日本みたいに環境に配慮した自動車なんて、世界を見たらまだまだ普及してない。そうするとどうなるか。車の排ガスがいかにすごくて体に悪いか、日本じゃ分からないが、日本の外に出ると本当に実感する。これに比べたらたばこの煙くらい、なんってことない。

嫌煙論者はたばこの煙にはやたら敏感な割に、車には沈黙する。たばこの煙がそんなに嫌なら車の排ガスも嫌というのが、どう考えても筋が通っている。路上喫煙が危ないなんてのは言い掛かりで、それをいうなら自動車事故の方が余程危ない。車の排ガスに辛抱できるなら、たばこの煙も多少は辛抱なさい、それが平和共存の第一歩じゃないか。

2008-12-11

充実した学生生活から新社会人になる増田へ向け損なった乱文

http://anond.hatelabo.jp/20081208211208

の、元増田です。思いのほか反響あったなぁ。8ブクマ&5トラバで?って言われそうだけどさ

5人目の増田

http://anond.hatelabo.jp/20081210184744

が、ちょうど鬱になった時に色んな人から受けたアドバイスや、ネットとか鬱関連の書籍とかで得た知識なんかとかぶる部分が多くあったので、追記じゃなくて新たにざざっと書いてみる次第です。

あなた自身、自分と違うユニークな人に触れて新しい刺激を得ることを好んでいるから、ユニークさそれ自体に価値があると感じているんじゃないかな。

YESYES!!

ところが世の中には自分と違う経験や考え方に触れることを好まない人が結構いて、そういう人と接する時にぎくしゃくしちゃう、ってことかなと思ったんだ。

ハハハこやつめ、見てきたような事を言いやがる。その通りです。

コレがねー。本当に不思議だったのよ最初。今まで、人との出会いとは新たな世界へのパスポートだと思ってた。

登山趣味な友人ができて、山が綺麗な日に登山に連れてってもらった。

演劇部部長と知り合って、劇団の公演に一緒に行った。

釣り趣味の友人と、釣り道具一式貸してもらって楽しく夜釣りをした。

新しい友達ができたら、一見さんお断りな場所と言うか、何の知識もなくぶっつけで楽しもうと思ったら失敗しやすい遊びを低リスクで最大限に楽しめるワケですよ。登山だったら登る時期やコース間違えたら、実際行くまで楽しめるかわからんし。演劇もテキトーに選んだら風俗で指命しない並にリスキーだろうし、釣りなんか遊びで釣り竿買うワケにもいかんし夜釣りにどんな道具いるかとか想像もつかんし餌の付け方教わらないと始められやしねぇ。

だから、積極的に色んな特技を持った人と交流する事が大好きだったし、誰もがそうやって自分世界を広げてるんだろうなって思ってた

そこに欠けている資質を補えるDさんがきたとき、問題が解決できる。このように、その場に足りない何かを提供することがユニークさの価値なんだ。

ここで増田が言おうとしている事とは別解釈と言うかズレた視点でこの文を抜き出したんだけど、自分は問題解決能力アイディア力に優れているって自負があった。

何かの議論や話し合いの時、脳内で様々な可能性をだーーーっと考慮して、いきなり結論を出しちゃう自分に自信を持ってた。

でも、最初に出した結論が結局採択されるのに、いきなり自分の解答が認められずに2時間ぐらい会議があるって事があったり、最終的に最初に出した自分アイディア採用されるんなら無駄会議時間をこれといった問題点がない自分アイディアをみんなでさらによくしたらいいのに・・・って思ったりしてた。

それも間違いなんだな。まず、同じレベルから徐々にスタートしなきゃいけないと言うか、自分の中で問題解決の為のプランを作って、それに自分で色んな場合を想定したパッチをあてまくって満足がいくものにしてから出してた。

そうじゃなくて、パッチを当てる前のプランをまず提示すべきだったんだろう。そして、みんなでパッチを当てる作業をする事で、考えてる事の共有をすべきだったんだろうなぁって。

大学では自分意見にすぐパッチをあててくれるような人が多くて、中高の頃よくあった上記のような事はいつの間にか忘れてたけど、社会に出たらまた中高の頃みたいな空気が戻ってきた感じ

特定の「場」に対して、そこに足りないものを提供できることで意味を持つんだ。

足りないものを提供すると言うか、○○がしたいなって話題にジャストな知識や人材をチョイスする事はできるけど

普通人達』は悩みや理想に対する解答が欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いてほしくて、「そうだね、わかるよ」「そうだね、俺もだよ」って言ってほしい人が多いんだなって思った

いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分趣味発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある

でも、本当に欲しいのは普通の範囲から出ないもの、自分が知らない何かじゃなくて、自分が知ってる範疇でお互いが知ってるものを「あの飯屋は美味しかった」「あの有名ゲームは面白いよね」と言いあいたいたいんだろう。

結局

自家製酒の話題を出して引かれたなら、その理由はあなたの出した知識がユニークだったからではなく、その話題がその場に「必要とされていなかった」だけかもしれない。

コレなんだな。その場に必要な情報を取り違えてたワケだ

ただ、そうとわかれば俺も何をすればいいかわかる

謙虚さっていうのは個性を殺すことじゃない。自分よりも相手を中心に考えることにあるんだ。

相手を中心に考えて、話題の中心に立って気分がよくなっている相手の気を悪くしないよう、うんうんすごいねーノリで聞いてりゃいいんだ

傾聴ってやつだな。あいづちはうって、相手の気を悪くしないように話を引き出して、アドバイスや話題の発展とか切り出さず、相手に話させるテクニック。心理学専攻してる友人に教えてもらった

でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい

それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う

共感してほしいんだ

話飛ぶけどさ

俺は自分自分KYって思ってるんだけど、どうやら『普通人達』ってのはテレパシーを使って会話をしてるようで、言葉を使わずに満足いく会話をしているらしい

大学の頃は、お互いがお互いに今日まで知らなかった知識を会話で与えあってたから、知らない事のぶつけあい、魔球キャッチボールでは空気の読み方なんて学びようがなかったんだな。空気とやらのテレパシーから伝わる情報ってのに片方が知らない情報ってのは含まれてないんだもの

空気とやらの正体が何なのか、何故、ちゃんと定義づけをせずに空気なんていう文字通り曖昧言葉で濁すのかってのが、AnonymousDiaryを読み込む中でかなりわかってきた。自分の仲間であると、多数派であるという確認行為でもあるんだな


まーた話それるんだけど、『普通人達』を観察してて疑問に思ったのがもう1コ

彼らは自分物語の主役だとは絶対に思わないんだな。それがビックリ

って言うかドラマとか小説とか漫画とかあんま読まないんじゃないんだろうか。もし読んでたら、同じ職場の人の陰口で笑いあったり、誰かの失敗を見て楽しそうにしてたり、

いいこちゃんぶりたいとかそういうのじゃなくてさ、人の悪い面ばっか見てんだなって

俺や仲間はどっちかと言えば、仲間の悪口より良い所を伝え合って、それで関係を広げていったと思う。だって、誰かの悪口言う奴がいたらその悪口を言ってたって事実が言いふらされてのけものにされるかもしんないじゃん

でも、普通人達にそれは無い。誰かが誰かの悪口を言ってたって事だけは何故かタブーみたいなんだ

結果的にフロア内の誰もが陰口叩かれてた事に戦慄したね。同時に、誰もが俺の陰口を影でたたいてるんだって思って陰鬱になったりした

って言うか、俺が嫌われ者なら嫌われ者に聞こえる所で本人に知れたらヤバいような事言うかね?本人の耳に入るかもしれないとか、そういう事怖がっちゃう俺は親友レベルの人か匿名相手にしか悪口とか言えませんよ

自分が少数派である以上、多数派である彼らが正しいんだろう。でも、何かがおかしいと思うの

(もちろん、「相手のために何が出来るだろうか」を考え抜いた末に「自分はこの人に対して何も出来ないなあ」とか「何もしたくないなあ」という結論に達したなら、その場から抜け出すことをおすすめする。その状態でそこにいるのは自分にとっても相手にとっても不幸だから。)

こんなデタラメな文章を相手の事を考えずに書いておきながらアレだけど

今までの自分ってのは常に相手の為にできる最善手は何だろうか!!!って勢いだった

それが相手が嫌がる事とか、想像もしてなかったって意味じゃ全然ダメなんだけど、それでも自分が持ちうるすべてを駆使して、相手の望みを叶えようとしてた

召還獣とか、ランプの魔神でありたいと思ってたんだ。自分を使ってほしい、自分の人脈もなんもかんも、友の為ならさらけ出そうと思ってたしそうしてた

他には『借り』とか『貸し』とかに異様に執着してたと思う。借りは返すものだと思ってたから、借りを作ったと思ったら相手の為に全力になった

でも、相手の為にできる事はそんなおおげさな事じゃなくて、『相手が望む事』ってのを空気とやらを読んで全部聞いてやればいい。生きた壁になるのが一番賢く、雄弁は銀・沈黙は金。きっとこの言葉は雄弁な人が生み出した言葉なんだと思う

ぶっちゃけ、相手の為に何もしたくないって気分だけど、簡単に退職はしない。だって、ここで全ての失敗をしてケーススタディをしたら、次に就職する先で失敗する事はないだろう

普通人達から学ぶ事はまだまだたくさんある。それに、仕事では無表情で淡々仕事をこなして、素の自分とは真逆自分を演じてると、反動私生活に色々とヤンチャがしたくなる

二面性こそ自分の本文だなとつくづく思うから、しばらくはこの生活も悪くないって考えてはいる

自分がいる事で、自分を嫌っている人を不幸にさせている事はわかっている。一昔前はそんな事を思っただけでストレスで、他人に嫌な思いをさせてるって考えただけで何度も自己突っ込みしたモンだけど、今じゃなんだか平気だ

一昔前は怒鳴られたり、陰口を聴覚過敏で耳に入れたりしたらすごい落ち込んでたけど、今は全然大丈夫

面の皮の厚さまで鬱から手に入れる事ができた

・・・なんか本当に散文だなぁ


あとこの増田にもすごく共感

http://anond.hatelabo.jp/20081207162752

人間歴史の中で積み重ねた知識や教訓、傾向と対策ってのは

自分がした失敗を次の世代にさせたくないからこそなんだろうなって思ってます。

だから、自分の事を少しでもアスペルガーだの発達障害かな?とか思った人は

http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/

でも読んで、試しにアスペ関連の知識でも収集してみたらいいと思うの

それは発達障害者向けの文章かもしれないけれど、そこから学べる事は少なくないハズだと思うんです。

リア充から非コミュになってみて初めてわかる事ってのがいっぱいあった

普通人達』ってのを知る事で、本当に多くの事を学べた。小説漫画普通の人が一切出てこない作品がたまにあるけど、そういう作者は普通人達に背中を向けて生きてきた人なのかもしれない

むしろ、そういう創作をする人の大半がナードで、ナードだからこそ『普通人達』が、サイレントマジョリティってのが場を支配する世界が好きじゃなくて、自分理想の世界観を作ってきたのかもしれないとか思えるようになった

普通でいる事の何が楽しいかって、多数派でいる事が楽しいんだろうな

自分自分コミュニティで多数派であった時期はとても楽しかった

ネットではふたば☆ちゃんねるなんかで完璧に住人の1人として楽しく色んな事をして遊べてる

多数派である事が、人生を楽しく過ごすコツで、自分が多数派でいれる場所さえ見つけたら、人生楽しいんだなってわかった

最後に最大の言い訳だけどさー

大学時代に色々成功させて、チームのリーダーとかやって、新聞とか地方紙とかの取材受けたり、自分が立ち上げた企画が後輩達に受け継がれて立派に予算出て大学メイン企画として祭り上げられたり色々したら勘違いすんなって方がムリだって!お調子者の俺には!

俺は悪くない(笑)な気分にもなっちまう

最後に好きなメロディで〆

こりゃまたマッタクどういうワケだ

世の中なんか間違いだらけだ

あの頃だったらなんとかなった

あーこーりゃ、シャクだった??♪

2008-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20081209211051

ネタ切れ自然に補完し合える相性か、沈黙が苦痛にならない相性か、あるいはその両方が無いと付き合っても疲れるだけだぜ?

アイドル級に可愛くてどんな犠牲を払ってでも付き合いたいってんなら別だけどさ。

アパム、弾だ!って言ってた狙撃兵ってこんな気持ち?

彼女いない歴イコール年齢の30ジャスト男子だが聞いてくれ。

なんの奇跡か仲良くなって何度か一緒に飲みに行ってる女子がいて、非モテのご多分漏れず俺はそんな彼女に惚れている。俺なんかとサシで飲みに行ってくれるというだけでだ。わかるよな?

で、これまで飲んでた時なんかは何とか話題がとぎれないようにしようと、事前に中学生の初デート(したことないが)ばりに話のネタメモ携帯に)しといて、忘れたらトイレに行って読んで思い出すとかして場を繋いでた(彼女の好きなマンガ音楽ゲーム等の話題や共通の知り合いの面白エピソードなど)。よく恋愛指南書なんかには女の子には話したがりだから話させて男はウンウン頷いてりゃいいみたいのあるらしいが、彼女自分から話して聞いて欲しいというタイプではなく、俺が黙ってしまうとたいてい沈黙が場を支配するんだ…。もちろん彼女だって促せば話してくれるけど、あくまで話の主導はこちらで作らないといけないって雰囲気なんだ。

でもこれまで頑張って話題を尽かさず場を楽しげに保ってた甲斐あってか、彼女の俺に会ってくれる頻度も増えてきた。そして困ってる。もう話題がないんだ…。

普通の人は女の子と2人で会ったとき何を話してるんだ? 話題が尽きたときどうやって場を持たせるようにしてるんだ?

仲良くなれば自然と話題は尽きないもんだとか言われるけど、無から話題が生まれるような気なんて全くしないんだが…。もう撃ち尽くしたんだ…。ヤベー、考えれば考えれるほど次に会ったときに沈黙が降りてくるのが怖えー…アパム、弾だ!

こう書くと「さっさと告白して痴話でもしろ」とか言われそうだから補足しとくと、彼女には別れそうでまだ別れ切れてない彼氏がいるので、いまの時点で告白して略奪とか極悪なことは俺にはできない。その彼氏と今後どうすんの別れそうなの的な恋愛相談的なのも既にし終えた話題で(俺にされても経験値不足すぎて一般論的な回答しかできなかったが…)、それを踏まえてもう話のネタがないんだ…。俺としてはもう少しこのほどよく仲の良い関係を続けて、惚れたの腫れたの言うのは彼女がちゃんと別れてからにしたい。

まあそんな特殊事情はどうでもいいんだ。さすがに自分らにしか当てはまらないような事象については自分でなんとかするから…。俺が知りたいのは、世間一般の男女はどうして話題が途切れないんだということと、話が途切れた場合を乗り切る10の方法とかだ!ッ

2008-12-08

鏡の中に不細工がうつっていた

いい加減に口の中が気持ち悪くなってきたので歯を磨いていたら、顔を上げた途端に目も当てられない不細工と目が合った。鏡の中の自分だ。ぞっとした。

髪の毛は2日洗っていないし、洗顔に至っては最後にいつしたか覚えてない。パックもトリートメントも忘却の彼方だ。

「透明感がある」と評されたこともあった肌は薄汚れ、伸びすぎた前髪の向こうから、不機嫌そうな目がこちらを睨んで光っていた。

人というのは一ヶ月でこうも汚くみにくくなれる。

きっかけはちょっとしたことだった。ていうかきっかけなんかなかった。1ヶ月前突然「ぼき」みたいな音が心臓のあたりから聞こえて、ありとあらゆるものがどうでもよくなった。心というのは、親切にも折れる時に音を立ててくれるものだと言うことを思い出した。

けれどこんな状態でも1週間前にひとつ仕事をした。ステージスタッフバイトだ。何もかもを機械的にこなしたが、ひとつだけ大失敗をした。舞台上の漫才があまりにつまらなかったせいでそれがオチだと気づかずに、暗転をしそこねたのだ。

なんでやねん!もうええわ!」「どうも、ありがとうございましたー」

沈黙

そしてしらじらと棒立ちで舞台照明にさらされる若手コンビ

次の瞬間。あ、これが大オチだ、ときづいてふんわり暗転してごまかした。たぶんごまかせてない。そもそもオチたらすぱんと照明がカットアウトになった方が面白いのはいうまでもない。彼らには悪いことをした。今でも、本当に面白くなかったからなのか、わたしの心が折れ切って感受性が鈍くなっていたせいなのかときどき悩む。

これが創作だったらどんなにいいことだろう。これは事実だ。そして私にはこの状態を改善する気力が無い。

はやく首をくくりに出かけたいのだが、縄を手に入れるためにはホームセンターに行かなければならず、今の私には少しばかりハードルが高い。

2008-12-03

日本語しか喋れない人間とは話をしたくない

留学経験を鼻にかけ、「日本語しか喋れない人間とは話をしたくない」が口癖のいとこの嫁

この間の法事の際、長らく入院していが祖父が退院して久しぶりに皆と顔を会わせる事になった

初対面の祖父の前で、いつもの調子で親戚たちにいかに自分語学力が優れてるかを説くバカ嫁

輪の外で聞いていた祖父だが、やがて山陰なまりのおだやかな口調で

「そうかそうか、それじゃわしとちょっと話しようか。オンドゥルルラギッタンディスカー!?

いきなり訳の分からない言葉でしゃべり出す祖父、バカ嫁ポカーン

オンドゥル語だ、本当に裏切ったんですか!?って言うたんだが、分からんかったか?」

また別の言葉でしゃべり出す祖父、バカ嫁あわあわし出す

「ロミュラン語だ、栄光あれって言うたんだ」

さらに別の言葉でしゃべる祖父、バカ嫁真っ赤になって完全に沈黙

ゼントラーディ語だ、デ カルチャー!」

このジイさん、暇さえあればアリゾナの荒野でアニメを語っている人物なのだ

俺を含めた親戚全員はその事を知っていた為、ニヤニヤしながら事の次第を見守っていた

バカ嫁はいとこのいるバイストン・ウェルに逃げ込み、以後帰って来る事はなかった

2008-12-02

たとえば

夜の帰り道に、

少し前を行く好きな人の背中をみて

ああ、と思って涙が出る。

そういう感情は

何度繰り返しても慣れない。

好きな人がどういう意味で好きなのかはわからない。

父親の背中に、恋人の背中に、片思い中の人の背中に、同僚の背中に、

もしくは親友でも何でもない、ただの同級生の背中に。

そういう夜の帰り道

繰り返すたびにセンチメンタルさを増して私に襲いかかってきて

何度繰り返しても、いつまでたっても慣れることができない。

毎回毎回、繰り返すたびに、

何かの条件がそろって沈黙が一瞬落ちて、

ふと前を行く人の横顔が見えてしまったその瞬間に、

私の涙線をどうしようもなく強い力で刺激して涙をこぼさせる。

うれしいのかかなしいのか恋してるのかさびしいのかよくわからない。

幸せとは少し違う。

ただ少しセンチメンタルで、

しめっぽくて、

でも確実に不幸とは違う。

確実に不幸とは違うので、それでいいのかもしれないと思う。

涙を隠して別れるまでの残りの道を歩こう。

一緒にいる人が、わたしが不幸で泣いていると思われるのは嫌なので。

2008-12-01

小学生のころ同級だった男の子と会った

冒頭にて注記を。

以前書いたhttp://anond.hatelabo.jp/20080913153317の続きです。



小学生のころ同級だった男の子と会った。

細かいいきさつはもう思い切って省いてしまうけれど、とにかく、ふたりで会うことになった。

地元では有名な企業御曹司で、お父さんの会社を継ぐために東京大学に行って、いろいろ勉強したと言っていた。

仕事が終わるのを待って、イタリア料理のお店でコースを食べた。

クラスメイトの話とか、地元最近こんなふうに変わったよとか、そんな話をした。

声が低くなっていた。卒業してからもう15年ぐらい経つんだから、変わってて当たり前だ。

喉仏が動くのをわたしがじっと見ていたら「何?」と照れたように笑った。

そいつはスーツを着ていたけど、少し長めのまつ毛、見るからに育ちのよさそうなきれいな指先、当時の面影が確かに残っていて、目の前にいるのが確かにわたしの記憶の中のそいつと一致する人物なのだと思うとうれしかった。

忙しいはずなのに、わたしとこうして話をする時間を割いてくれたことがうれしかった。

でもやっぱり変な感じ。

わたしたちは子どものころの記憶しか共有していないはずなのに、今こうしてふたりでイタリアンを食べて、ワインなんて飲んじゃって、いっぱしの大人の男と女みたいな会話を交わしている。まるでデートみたい。変なの。

そいつが笑顔を見せるたびに、胸が苦しくなるのがわかった。

でもわたしは笑うしかないような気がして、笑ってた。

話を聞いていて、そいつがお父さんの会社を継ぐことを目標にして今までまっすぐに、ひたむきに生きてきたのがわかった。

今日にいたるまで挫折ばっかりで決してまっすぐじゃなかったわたしは、なんとなく、恥ずかしいような、悔しいような、変な気持ちになった。でもわたしは今の自分が好きだし、今の生活を気に入っている。

意味不明の悔しさを紛らわせようとして、わたしは自分の現状をことさらに楽しげに話して聞かせた。

そいつはそつなく相槌を打っていた。

そう、こういう雑談にそつなく相槌を打てるぐらいには、そいつはちゃんと大人になっていた。

それが少しさびしくて、でも当たり前だよなあ、と思って、わたしは黙り込んでしまった。

わたしが黙ったので、そいつも黙った。

特に気まずいわけでもない、相手(わたし)が会話モードでなくなったので、まあ俺も黙っとくか、みたいな軽い沈黙だった。

ああ、そうだ、これだ。

と、わたしは少し気を取り直して思い出した。

そいつと話していて感じていた居心地の良さ、波長の合う感じが、これだった。

お互いにしゃべりたいときにしゃべってればいいし、黙りたくなったら黙ってたらいい。

それで気まずくならないという関係が貴重だった。

「こういう空気が懐かしくてありがたい」

という意味のことをわたしは言った。

わたしと同じように、そいつが当時の記憶を大切に思っているのかどうかは知らないが、とにかく伝えたくてわたしは言った。

そいつは「俺もしゃべりやすいと思ってた」みたいなことを返してきた。

彼女はいない、と言っていた。

でも「受け答えの仕方に壁がある」と思った。

今そいつには、仕事の上で守るべきものがきっとたくさんあって、わたしが距離を詰めすぎることがないように間合いを取りながら話をしてるのかな、もしそうなら、仕方ないな、と思った。

わたしは別に何か期待してここに来たわけじゃないし、それはきっと向こうも同じだろう。きっと。

帰り際、駅まで送ってくれるときに手をつないだ。

「車が危ないからこっち来い」みたいなことを言われて、くいっと手を引っ張られた。

あまりに自然なしぐさで、車が危ないときには誰でもそうするのが一般的なのかと錯覚するほどだった。

他の女の人にもしてるから慣れてるんだ、と一瞬思って、自分だって今まで他に付き合ってた男の人ぐらいいたくせに、なんだか悲しい気持ちになってしまった。

なんとなく手を離すタイミングを見失ってしまって、結局そのまま駅まで行った。

何度かそいつの真意を確かめたくて顔を見上げたけど、そいつはつーんと前を向いたまま、わたしの顔を見てくれなかった。

渡したままになっていたサイン帳のことは聞けなかった。

忘れてられていたらいやだし、「めんどくさかったから」とか言われたらそれはそれでなんか空しい。

これまた当たり前なんだけど、そいつは普通の大人の男になっていて、わたしも普通の大人の女になっている。

それはなんだか、ちょっと残念なことのように思う。もったいないことのように思う。

うまく言えないんだけど。

当時は普通じゃなかったのかって、それこそ普通小学生だったんだろうけどさ。

イタリアンに行ったり、手をつないだり、そんなことを重ねるうちに、なんかピュアじゃなくなっていくような気がする。

次に会う機会があるのかどうかわからないけれど、どうすればいいのかな。

とりあえずまだ三日にいっぺんのペースで夢は見る。

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081121095555

そのへん詳しくないので、名前適当にあげた。

つか、勢いと思いつきでコピペ改変したけど、あれって改変しやすいけど、伝えるのにはまったく向いてないな、やっぱり。

宗教聖書キモイってのは、アニオタキモイと同じなんだと思う。「必死だなw」って言えない程の必死さキモイってやつ。

日本マイナーキリスト教やブームでしかないハリーポッターアニメ鉄道その他オタ趣味に真剣だと、誰も知らないよ、っていう事に必死に人生賭けてる風に見えてっていう。

なに必死なんだwっていうKY

ただ、これって必死を否定してるんじゃなくて、必死の表明を否定してるんだよね。

沈黙は金とか武士は食わねど高楊枝とか。

それが良いのか悪いのか分からないけど、日本人感覚宗教への対応なんだと思う。

黙って信じてれば良いんだと。鰯の頭かキリストアッラーかは知らないが信じろと。

信じてればツベコベいわないっていう。

あと、コピペ

あれの良さは、対象の否定とも、否定する風潮の否定とも、対象に対する思いの卑下とも取れるところかな。

必死さを緩和できる。

君が連絡を遮断したのに今更また連絡してきた。

断ろうかとも思ったけど、ご飯くらいいいかと行くことにした。どうせその辺のファミレスだし。

長いこと沈黙が続いた気もする。やり直せない?って唐突に君はいった。

雨の季節だったからビニール傘を持ってた。徹夜あけの空は快晴で、君はやたら不機嫌そうに何も言わなかった。送ってもらう車の中でもうだめなんだろうなって思ってた。別れるときはいつも寂しくて泣いてたのに、あのときはありがとうといってすぐに降りた。それから君とは連絡がつかなくなった。君が連絡を遮断したからこっちからはとれなかった。ずいぶん泣いたり怒ったりしたけど、自棄になって休みのたびに誰かとご飯に行ったり飲みに行ったりしたけど、その中で優しい人とまた新しく出会って、新しい恋をしてそして君のことを少しずつ忘れていった。あの最後の日の木漏れ日がゆれてたベンチのことは忘れないけど。美しい六月最初の日だった。一気に夏へ向けてかけだしていく空気の中で一人立ち止まって泣いてた。

始ってもなかったじゃないと私は答えた。だけど、と君は続けてそれから都合の悪いときに許してもらうためにする、かわいい笑顔で好きだよ?と言った。

私は好きじゃない。君がえ?という顔をするのが憎らしかった。まだ好かれてると思ってたんだ。それがわかってしまったのが憎らしくてしょうがなかった。ほかにすきなひとがいるからといったら君はしばらく黙り込んで、それからゆっくりときいた。俺の知ってる人?知ってる人だよ。俺とその、よく遊んでたときからそうだったの?違うよ。私は君とは違うから、同時平行で誰かを好きになったりはしない。君といたときは君と、君と連絡が取れなくなってしばらくしてから彼と二人で出かけたりするようになった。

君はかなり意外そうだった。そんな人みたことないと小さな声で言った。そうだと思うと答えた。

ずっと思ってた。君と私は住んでる世界が全然違う、価値観も全く違う。君は僕といるときそれに気づかなかった、僕は君といるときそのせいで悩んだり悲しくなったり寂しくなったり傷ついたりした。

君とは、始らなかったんだ。始めようがなかったんだ。

そのあとはちょっと世間話をして、店の前で別れた。君はまたさよならを言わなかった。きっとまた連絡が取れなくなるんだろう。とろうとも思わないし、私には大事な人がいるから君のことはきっと忘れていくんだけど、私は別れ際にはさよならを言う人なんだ。そうしないとちゃんと区切れない人なんだ。区切りをきちんとつけてそれからまた新しい出会いに向かう。君とはたぶんずっとわかり合えない気がする。ずっと理解できない気がする。そういう人がいるんだって教えてくれてありがとう。さようなら。

2008-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20081115223344

美大に入れたあんたは潜在能力としては、そんじょそこらにありふれてる程度の「一流」までは行けると思うよ。その上の「超一流」についてはどうか知らんけどね。それは、普通学生旧帝大に入れた時点で潜在能力に関しては自信持ってもいいというのと同じレベルだと思う。これが音大だったら底辺音大ははっきり言って底が割れてたりするけど、って話が逸れたな。

俺は理系畑の人間で、学生時代同じようなことを感じてたんだけど、今思えば自分を「三流」って規定してしまうことが一番よくないんだなって今は思ってる。自分を他人と比較してたらだめ。まずは「自分のやりたいことをやる」っていう目的、それが一番大事。「できる」と思ってやるのと「できない」と思ってやるのでは、進歩の度合いも自信も全然違う。

そしてね、自信がない人間って結局何やってもだめなんだよ。芸術でも研究でも、結局は自分を堂々と表現するっていう営みでしょ。そのときに自信がない奴なんて何もできない。

でね、俺が見てる限り「一流」の奴ってのは、自分の限られた実力を最大限に活かすやりかたがわかってるし、物事を楽しんでやっているよ。彼らは「あれが足りない、これが足りない」という劣等感に身を押しつぶされたりはしない。「足りないことはたくさんあるけど、でもできることもたくさんある、そして俺はこれができる」というのが彼らのやってること。

俺自身はちょっと前にそういうことに気づいて、意識的に積極的に物事に取り組むようにした結果、三流から二流にはなれたかなって思ってる。一流半のしっぽもつかめてきたし、あとは努力の量だけで一流になれる手応えも見えてきた。

ただ、その上にはおそらく「超一流」の世界があって、これについてはもはや類型的に語ることもできなければその正体が見えた気もしないので俺はひたすら沈黙

2008-11-14

恋ってどんなもんなんだろうね

友達が彼氏と別れて泣いた。ほんと突然、彼氏にまつわる話題をしてたわけでもないのに、みんなのふとした沈黙の間に涙がつーって。会話が途切れた合間に色々考えてしまったのかもしれない。こんないいこ泣かした元彼氏はしねって思った。二股するぐらいならせめて先に別れてからしろよと。こっちまで胸が痛くなってくる。泣きそう。

恋とかよくわかんないね。

ああでも好きな人にぎゅーってできたら嬉しいだろうなあ。抱き枕の代わりになってほしいね。

そんな風に思える人に浮気されたりしたらショックなんだろうな。

恋ってどんなもんなのかな。まあいわゆる非モテでブスの自分には縁の無い世界だけど。

みんなが幸せになれればいいのにね。ほんとあの子の元彼氏はタンスの角に足の小指でもぶつけてしまえばいい。あの子を傷つけて私の胸を痛ませた謝罪と賠償(ry

2008-11-08

話下手な彼氏

付き合って半年が過ぎた恋人がいる。

彼は話の上手な人ではないから、付き合い始めた当初から会話の主導権はいつも私がにぎっている。

会話の主導権、なんていうとおこがましい感じがしちゃうけど。

私が何か質問すれば答えてくれるし、私が何かについて意見すれば、それについて彼なりの意見を言ってくれもする。

でも彼が私に疑問文を投げかけてくることもなければ、話題を提供してくれることもない。

でも、それでもいいと思ってた。

もともと話が上手くないのは分かってて付き合い始めたんだし、それを補って余りある程いいところのある人だったから。

私にも特に話題がないときには「しりとりしよ」なんて言ってみたりしてね。

そんな感じで楽しくやってた。うまくいってた。

そんな彼と夏の終わりから離れて暮らすことになった。

そしたら途端にうまくいかなくなっちゃった

頻繁に電話してるのに、彼は自分のことをちっともしゃべってくれない。

彼から電話をかけてきても、彼はとくに何を話すでもない。

電話してても沈黙時間が増えるようになった。

ひと月も経ったら私には彼が何してるのか、全然分からなくなっていた。

今日はなにしたの?」

「○○公園にいったよ。」

「それってどういうところ?」

「住んでるところのそばで静かでいいところだよ。」

「ひとりで行ったの?」

「いや、友達と。」

「どんなひと?」

「○○出身で□□の仕事してる。」

こんな風に聞き出せばいいのは分かってるし、遠距離になった当初はそうしてたんだけどもう疲れてきちゃった。

どうしたらいいんだろう。彼のことは好きだし、これからも好きでいたいのに、彼と連絡をとるのが憂鬱になってきてる。

2008-11-06

増田では批判されるらしい全レスなるものをしてみる

俺は空気を読んだのか、それともテストに落ちたのか?

http://anond.hatelabo.jp/20081104224644

元増田です。

なお、これ以前には 

気になるあの人がコミュニケーション巧者で凹む

http://anond.hatelabo.jp/20081021150745

というのも書いております。これの後日談でした(なぜかこちらのツリーに入ってしまった)。

意外に多くの反応をいただき、ありがとうございます。

ただ、これも意外なことでしたが、予想していたのとは違う反応をいただいたのかなと。

つまり、過剰なまでに空気や行間を読むゲームとしてのコミュニケーションがもっと多数派かと思っていたのです。

http://anond.hatelabo.jp/20081104231652

物事に正解とか、間違いとか、テストとか考えていると、変なところで足をすくわれるよ?

(中略)

そもそも、自然体で付き合って、ダメなら、ダメなんじゃね?

いや、自然体でいることと、物事をなにも考えないというのは違うのではないかと思っていたのですが。

「無言のメッセージに気づかない男は最低」的な話はよく増田はじめいろいろな場所で出るでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20081104231800

こういう微妙な場面で相手がどう思うかでなく自分がどうしたいかで行動する人間の方が成功する、と思う。

空気ばっかり読んでたらせっかくのチャンスをふいにしてしまうよ。相手の考えてることなんて絶対に分からないんだからさ。

拒絶されるのを恐れすぎてるように見える。

激しく同意しますし、三行目はまさに私の自覚する部分を突き当てたビンゴ

ただ、「もう今日はこれ以上あなたとコミュニケートする意思がない」ということを、

相手のメンツを潰さず気遣いという形で投げかけているのだとしたら、

その気遣いを無にするような行為はそもそも厳に慎むべきではないかと思いますし、

それは「拒絶を恐れる」こととは根本的に異なると思うのです。

http://anond.hatelabo.jp/20081104232902

「もっと話したいから駅まで一緒に行っていい?」がベストかと・・・

見栄張ったり駆け引きしてもいい事はないし、受身に回りすぎてもいい事はないと思う

私もそれがベストだろうと思います。

ただ、見栄や駆け引きとは別の、一つ上の段で書いた理由によって、それを言うのはどうかと思うのです。

一つ前提として、私は「押しが強い」「アクが強い」と周囲に思われているというのがあるので。

http://anond.hatelabo.jp/20081104234930

「駅に用事あるから」と言えば良いんでは。本屋とかツ○ヤとかないのかな?

それで道中さらに、会話を盛り上げ、ときに沈黙する場をつくり、最後は「気をつけて帰ってな」と言って見送ってあげる。

それはいいですね。私もそう言い出そうと思った。

この時は彼女が少し距離のある自転車置場に自転車置いてしまったもので、そこから先は自転車と徒歩という

非対称性ができてしまったのです。

そうなるとなおのこと、「自転車降りて歩くから一緒に」とは言い出しにくくなる。

「気遣い」のかたちをとって先に切り出されたわけだから、それを断って無碍にするのは

逆に相手への思いやりに欠けるでしょう。

総体として「空気を読みすぎてもろくな事がない」という皆様のご意見には深く賛同しますし、

わかってもいるのですが、しかし礼譲を失ってまでそうすべきかというと、やはり人間関係

礼譲が先立つべきかとも思うのです。

日頃慎み深い人間であればそこを踏み出してもむしろポジティブにはたらくことの方が多いとは思いますが、

逆に「暴れ馬」「傍若無人」というイメージが出ていると、そこを失ってしまっては

かろうじてバランスの上に保っている、ベースとなる人間関係自体が破綻してしまうでしょうから。

2008-11-05

小室音楽を叩く系の人に舌戦を挑んでみるかどうか悩んだ結果

とある思い出

中学時代、マッカーサーと呼ばれたロマンスグレーの美術教師は言った。

「本当にすばらしい芸術とは、万人にわかるものか、それとも一部の人にしかわからないものか」

生徒たちは沈黙する。

教室をサングラスの裏からひとねめした後、とくにもったいぶるそぶりも見せずマッカーサーは続けた。

「答えは、一部の人にしかわからないもの、だ」

ざわ・・・ざわ・・・(※誇張)

「真に優れた芸術とは、それが真に優れたものだとわかる能力のある者が見て初めて良さがわかるものである。万人に良さがわかるものは真に優れたものではない」

はりつめた空気を揺り動かすかのように鳴り出すチャイムの音に合わせて振り向くと、

「覚えておくように」

看守の残すそれに似た靴音を響かせマッカーサーは教室を去っていった。

時は流れ

覚えておくようにと言われたその言葉を聞いて以来、わたしはずっとその理由を疑問として抱えながら生きてきました。

しかし、未だにその答えは見出せていません(マッカーサーには怖くて聞けていません)。

「真に優れたものだとわかる能力のある者」とそうでない者の差が、本当の意味存在するのかどうかの、すっきりとした納得がいかないからです。

もっと言えば、「”真に”優れたものだとわかる能力」って何ですか?ってことです。それが「真に優れたものだとわかる能力」だってことを、保証してくれるのは誰なの? わかると思っている人の自己満足ではないの? それとも限られた「真に優れたものだとわかる能力」のある者同士? もしくは「『真に優れたものだとわかる能力』だとわかる能力」のある者なんてのがまたいるの? いずれにしても一部の人にしかわからない良さ、それってその一部の人たちの嗜好とどう違うの?ってことです。

嗜好であるにしても、それがその限られた人たちの豊富な知識や経験に裏うちされたものだってことはわかるのです。ですが、その豊富な知識や経験を有する人だけが「良い」とわかるものが、そうでない人も含めてより多くの人が「良い」と感じるものより上である理由がわからないのです。逆に言えば、多くの人が「良い」と感じるものを、わざわざ「いやそれは本当は優れてないんだよ」ということにできる意味がわからないということです。

それこそ、より優れた芸術作品とは、この多種多様な嗜好をもつ知的生命たちのより多くの固体に、「良い」と認識されるものではないのでしょうか。

ごく一部の者にとっての「良い」ものは、所詮その一部の者たちにとって優れたものでしかない、というわけではない理由はあるのでしょうか。

例えば私は漫画を描きますが、いくら私が技巧を凝らして、「これはすばらしいものだ」と思えるものができたとしても、見てもらった人々に「つまらない」「面白くない」と言われたら意味がありません。

「いや、このコマがこうなっている理由は、これこれこうだから。そしてここに歴史あるあの物語から換骨奪胎した暗喩を印象的に配し、それがまたここの斬新な伏線とのシナジー効果で・・・」等と説明すればできますし、そういう意匠に気付く人にだけ「おー、面白いね」と思ってもらえること、それ自体に意義が無いとは言いません。ただ、気付かないような万人でも「面白い」と思えるものよりそういうものが上だとはとても思えない、思える理由がないのです。

多くの人たちの支持を得ているものは、それだけで価値があると思うのです。

小室哲也の音楽は、大衆支持されこそすれ、一部では曲の軽薄さを馬鹿にされていたりもします。

私も大学のとき、知り合った天才ギター青年に、

小室音楽ってのは、薄っぺらいというか全部こんな感じで、こういう風にすれば全部小室の曲っぽくできる」

っていうのを実践してもらって、

「ほんとだー」

と感心したことがあります。

しかし、私は小室の曲は耳に心地よいと思う”大衆”の1人でした。そして、他ならぬ私が心地よいものは私にとって心地よいものに他ならず、内情を知ったからと言って耳に心地よくなくなるものではありません。私の「良い」は、私以外誰にも覆せないわけですし、それは誰にとっても同じことです。

そして老害へ・・・

そもそも「良い」と言っている人が感じているその良さが、真なる良さなのかそうではない低レベルな良さなのかなど、誰がどのようにして決めることができるのでしょう。決められないのだとすれば、その作品を「良い」とする者すべてが、その作品に対しては「優れたものだとわかる能力のある者」であり、「優れたものだとわかる能力のある者」を多く生み出せる作品ほど、真に良い作品なのではないでしょうか。

もしそうではないのだとしたら、誰かマッカーサー先生の残した言葉に説明を加え、どうか私にもわかるように教えてください。

そして小室哲也は、どんな曲が”多くの”人に「良い」と思われるかに気付いて、その良いものを、「良い」と思われる時期に、できうる限り提供しておこうとした、才能と熱意のあった人物ではないでしょうか。

<<注>> いまも才能があるかはわかりません。そしていくら才能があっても人に迷惑を掛けることは宜しくありません。私が評価しているのは、あくまで彼のかつての音楽に関してのことです。

2008-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20081029174153

いやさ、これ、ほんとどう対応したらいいんだろ?

逃げ道がおもいつかない。

今から地下壕掘っても間に合わないし・・・。

崩れるまえに外にとびだすったってどこへ?

金とかいっても意味なくね?

食料ぐらいしかおもいつかないよ。

BNF資産の半分を神田という一番資産価値の毀損がすくないであろうビルに替えたけど、

ビルなんて買えないしな・・・。

シティタワー品川が114平米が4347万円だってさ。

品川の70平米が2000万ちょい。

もう不動産業沈黙までカウントダウンじゃね。

こういうときに買い向かえれば資産のばせるんだろうけど、

貧乏人はどこに逃げても被弾って感じじゃない?

一番揺れがすくないのどこだろう。

農業かな?

2008-10-28

私だけが寂しい理由

当方学生女。そろそろ就職活動

メール電話をするのは大抵が私から。沈黙を破るのも私から。

不在でも掛け直してくれることはない。

翌日会っても着信あったけどどうした?と聞いてくれることもないだろうな。

仕方ないので数分経ってから短い、用件だけのメールを送る。

それでも帰ってこないことだってザラだ。

最後には我慢できなくなった私が「メール読んだ?」と聞いてしまうオチ。

彼女の反応はいつもどおり鈍い。わかってる。

学校で一緒に行動する友達の中で、私と他の子たちは進路が違う。

彼女たちが将来に向け努力を重ねていることは前から知っている。

このため共有する時間は確実に減ったが、私以外の、志を共にする2人の時間はそれに反比例する。

2人に関する情報は、他の(進路を共にする)子の方が格段に詳しいようだ。

1年次の時食料品の買出しにまで誘ってきた彼女現在

その子らと私といる時よりずっと楽しげに、笑顔を振りまき冗談を飛ばし合っている。それを横目で見る。

いつからだろう。朝最初に話しかけるのが怖くなった。

私生活について尋ねるのにためらいが出てきた。

休日でも勉強しまくってるだろうから邪魔できないという意識もあるから遊びや飲みは勿論

毎日の「お昼一緒に食べよう?」さえ。

以前は確実にこんな接し方じゃなかった。

どこかに行く時は、誰かが言い出してすぐに「じゃあ行くか!」なんて

勢いで実行できてしまう。そんな雰囲気、関係が好きだった。

学校帰りに服を買いに行ったりドーナツ食べたりサークル活動後に飲んだり。

そういえば2日遅れのクリスマスパーティもしたっけ。

冬の鍋パーティー土鍋お金出し合ってやろうって話したなあ。

残念だけど、在学中に実現できそうにないや。

きっと今、私だけが寂しい。

そしてその原因に、私だけが成長しなかったことが根本にあると思い始めている。

1年以上バイトを続ける、サークルに参加する、ボランティア活動する、のような

新しい環境に一人で飛び込み人間関係を構築する経験が、私だけ格段に少ない。

だから数少ない友人たちを頼る、詰る、執着する。

前は、単に私以外の皆はいろいろと忙しいから孤独を抱える暇がないのだと思っていた。

同じ長机にノートを並べても、隣を歩いても、不安な気持ちは払拭できない。

どうして私は友人とベタベタ付き合わないと気が済まないのだろう?

我ながら価値観が幼すぎる。気持ち悪い。

そのくせ彼女が言われて嬉しい言葉を投げかけることもできない。

恋人でもない同性の友人に対する接し方として、私のそれは病的なレベルじゃないのか?

ああ、もうこんなん悩んでる場合じゃない時期なのに。

社会人はかいこうせん喰らっても文句言えないよ、こんなんじゃ。

※追記※

トラバ読みました。皆さん丁寧なレスありがとうございます。

私が友人の立場だったら、私を相当鬱陶しいことだろう。

以前今の私と同じような立場の人に絡まれた経験があるので納得できる。

あと他に友達がいないわけではないけど、授業や昼食はともかく休日遊びに誘うほどではない。

自分なりに考えて他人と接する機会の多い授業を履修するとか、

各種資格の講座・受験、接客のアルバイトに挑戦してみたものの

期待するような充足感は得らなかった。

「どんだけネガティブ思考なんだ、趣味なのかそれは」と言われてしまう

自分の性格にも原因を見出したり、投げ出したり。

いっそ開き直れる強さが欲しい。

2008-10-27

「「1ヶ月間だけ、思い切りがんば」ったその後」のその後

「1ヶ月間だけ、思い切りがんば」ったその後

http://anond.hatelabo.jp/20081025110907

を書いた増田です。

いろいろ反応くれてありがとう

はてなブックマーク - 「1ヶ月間だけ、思い切りがんば」ったその後

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081025110907

大切なのは「一ヶ月思い切り頑張る」事じゃない

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20081027/1225061832

はてなブックマーク - 大切なのは「一ヶ月思い切り頑張る」事じゃない - 煩悩是道場

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/ululun/20081027/1225061832

(まこれはululunさんへの反応だけどね)

id:ululunさん

頑張る事は良いことだけれども、頑張る事自体が目的じゃないし、目的化も出来ない。

勇気」が持続しないのは、勇気を持続させる事自体が目的化しているから。

何故「勇気」が必要なのか。勇気を持とうとするのは何故なのか。

自分はどうなりたいのか。

そうした具体的な事を。なるべく広く高い視野から考えると良いんじゃねえの?

正論

かつ、「なるべく広く高い視野から考え」れる人はたぶん自己啓発なんていらないよね。

id:kokoroshaさん

勇気をもらうのではなく、知恵をもらうというスタンスがいいかと思う。勇気は持続しないし…

知恵をもらうというスタンス」をとれる人もたぶん本当には自己啓発なんていらないよね。

すがりつくようにしてしか、自分を賭けるようにしてしか、自己啓発はおそらく意味がないし、

だからこそ、啓発しそこなったときに、自己をえぐるような副作用もある。

id:y_arimさん

これって、額面通り受け取ったやつがメタメッセージを読み取れずバカを見る問題なんじゃないの?

メタメッセージくらい読み取れよバカといいたいのか、メタメッセージの問題性について語っているのかはわかんないけど

有村さんには、「メタメッセージを読み取れ」ない「バカ」を全力で擁護してほしいとおもう。

さて、わたしが知りたかったところの、

グリさんのエントリに(メタではなく)ベタに心を動かされたその後について書いているのは

id:Blue-Periodさんくらいだね。

印刷もしてない。この記事自体は、素で良いエントリだと思ったのだがなぁ。。。>『いまも机の前に印刷して張ってあるのか?』


そういう意味では、ベタに心を動かされた人たちのほとんどはその後について沈黙している(単に届いてないだけだとおもうけど)。

この沈黙に、なんというか、自己啓発の抱える闇があるような気がするし、恐ろしい感じがするんだよね。

みなさんはどう思いますか?

2008-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20081020025244

何か似てるなーって思った。周りの人と一緒にいても楽しめないし、一人でいるほうがいい。ただ、決して現状に満足できているわけではないから、何をすれば満足できるのか求めている。観念論で考えれば、友達(小集団)と一緒に何かに取り組むのは面白いと思っている。興味や関心の対象が一致しているならもっと充実した毎日を送ると思う。だけど、心から楽しめる趣味を持っているわけではないので、物足りない毎日を送っている。

もっといえば、周りの人間自体がつまらないのではなくて会話がつまらない。日々、目の前の出来事を消化するように会話をしていても楽しめない。注意深く観察すれば、人間的な魅力の一つや二つぐらいはすぐ見つかる。でも、根底としている考え方が一致しないから自分には合わないと思ってしまう。

一時期「孤独」についての本を読み漁ったことがある。孤独の良い面と悪い面。小説家芸術家哲学者なんかは人間関係から離れることで創造的(統一性への興味)になれるとか。

ex)ヴィトゲンシュタインショーペンハウエルドストエフスキー

>>誰か1人、孤独感を共有する人がいれば生きていけると感じるのだが、その1人を愛せるのか、不安に駆られる。

誰か1人、孤独感を共有する人がいれば、何が期待できる? お互いに存在は認めつつ、沈黙のまま場を共有するってこと? もし、無根拠にそう思っているならずっと不安なままだと思う。

2008-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20080918124218

なんか悲しいよな……

これまさに今の日本の縮図って感じだ。

弱者に余裕がなくなり、そして更に弱者を叩く。

こういう感じすげえ嫌になる。怒りとかじゃなくなんかいたたまれない。

強者に向かうんじゃなくて、弱者が、更に下の弱者に対して、怒りを感じるっていう、この救われない構図がさ……

よく「あーつかれた、○時間残業したよ」って書き込みに、「はぁ?それくらいで何が疲れただよ、俺なんか毎日それ以上の残業をそれもタダで云々…」とか返してる奴っているじゃない。

そういうの見ると本当いたたまれなくなるよな。

たくさん苦労してる、疲れてる、って奴が、苦労してない奴を羨んだり、目指したりするんじゃなくて、

苦労してない奴を、「なんでお前俺ほどに苦労してないの?」って引き摺りこむ。

弱者弱者の足をひっぱる。さらにもっと苦労してる弱者が彼らをさらにひっぱる。そうして弱者はみんなで底辺に落ちてく。強者は弱者から責められることもないのよな。逆に、強者を妬むのはカッコワルイ、みたいな風潮あるし。なんだろうな。なんで弱者同士で内戦してんだろ。俺らって。それでいい思いするのって結局強者じゃんか。

いたたまれない。

強者からしてみるといいもんだよな、残業させたり搾取してる張本人なのに、全然怒りは来ない。怒りは弱者弱者に向けるだけで、強者には届かない。弱者同士で勝手に「俺の方が苦労してる、そのていどで弱音はくな」って言い合って、勝手沈黙した奴隷化してくれる。いいもんだよ全く。でもそれでいいのか。「はぁ、何いってんだ、俺の方がよっぽど辛い」って不幸自慢やってる弱者見ると、いつもそう問いかけたくなる。お前ら、それでいいのかよ。ぶつけどころまちがってんじゃねーのか。

でも強者に対してはやけにしおらしい弱者。「残業なんてしたくねえよ!」って言ってる、珍しく強者に対して刃向かってる弱者がいても、不思議な事に弱者がそれを片づけてくれる。「何いってんだ、そのくらいしょうがねえだろ、人生ってそういうもんだろ」「思い通りいかないのが人生なんだよ。大人になれよ」と弱者弱者に我慢するように言う。

強者、ウハウハ。

こういう救われない構図を、目の当たりにするたびに本当やりきれなくなる。

2008-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20080913203824

そりゃ批評する対象にもよると思うぞ。

対象の自分の人生に与える影響の度合い次第だろう。堀江の場合、まかり間違っていたら政治家になっていたかも知れないような男だし(幸いにも実現しなかったが)。

最近は「ソニー買収するつもりだった」なんて風呂敷を広げ始めてるしな。

沈黙を破ったホリエモン,ITを語る

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20080910/314505/

捕まる直前まで進めていたのは,ソニー買収計画です。「やることがなくなった」と話していた村上(世彰=解散した通称「村上ファンド」のファンドマネージャー)さんに話したら「面白いな」ということで。その時に僕が構想していたのが,今で言うところの「iPhone」を軸にした会社に変革させることです。

つくづく、早めに捕まって良かったと思うわ。

無粋なのは百も承知ながら、増田記事をもう一度投稿してみる。

タイトル図書館ホームレス戦争

「全ての図書館美人司書を閲覧に供するべきである!」

やつれた身なりの男は突然演説の方向を転換し、唾をとばしながら叫ぶ。

周囲に群がる似たような姿の男たちはどっと笑いながらうなずく。そうだそうだ!という短い同意の声のなか、演説は続く。

「全ての美人司書は黒のタイトスカートをはいて通常配備されるべきである!」

集団の後方で頭を下げていた男たちがはっと顔をあげる。さっきまで「ホームレス追いだし反対!」という趣旨の演説が続いていたはずだ。けだるそうにしていた後ろの男たちは久しぶりに目が覚めたような顔をした。雑誌コーナーのソファからこの集団の様子をちらちら見ていた僕も思わず声の主を見つめた。

黒のタイトスカート、この言葉に刺激されて僕の頭にも一人の美人司書像が浮かぶ。黒のタイトスカートに白のボタンシャツ、メガネをかけて髪を後ろにまとめた一人の美人司書。静かに体を伸ばして上の棚に返却された本を戻している。彼女はこの館に欠かせない存在。伸びた足を包むタイツ図書館中に敷かれたカーペットの延長かと錯覚するかのような自然さ、そんな風景を目の奥で楽しむ。ただし、この館には類似品すら存在しない女性だ。

気がつくと演説は終わり、男たちがぞろぞろと通路を引き返している。あの言葉は演説の終盤だったらしい。僕はちっとも読み進まない週刊ポストラックに投げ込むと彼らのあとを追いかけた。

彼らは玄関先の喫煙コーナーでたむろしていた。僕は彼らから少し離れてタバコに火をつけ、さりげなく聞き耳を立てた。

Aさん「美人秘書?そいつぁいいなぁ」、どうもシショではなくてヒショと言っているように聞こえる。

それに合わせてBさん、「ああ、ちげぃねぇ。だいたいなぁ、おれぁ、」

ここからBさんが大声で自論を語り始めたので、集団のざわつきが急に途切れた。一方的に主張と不満を一緒に押し付けてくるような大声に僕は圧倒されるような気分になり、すぐに心の隙間をふさいだ。愚痴と泣き言は心の水漏れ、亡くなった祖母の口癖が思い浮かんだ。

Bさんは周囲のみんなに対して会話のキャッチボールで言うところのワイルドピッチを繰り返していたが、なんとか一人、話の合間に割り込んだようだ。その声はあの演説主のCさんだった。大男のBさんに比べてCさんは小柄で髪も薄いが目に光が入っていて一回り大きく見える。

C「そうだな、そのとおりだな! ところで知ってるか、図書館員は三種類に分類される」

Bさんの勢いが止まる。即答できず、思わずCさんの顔を見た様子だ。周囲も、外野の僕も同じようにCさんを見つめてしまった。

図書館員は三種類いる。美人司書か、女の司書か、それ以外か、だ」

周囲がどよめき、笑いが漏れる。続けて彼は言った、

C「人間も三種類に分類される」

また空気が硬くなった。人間定義なんて誰でも多少は思案したことがあるはずだ、彼の言葉を待つ。

C「家のあるニートか、家のないニートか、それ以外か、だ。つまり、、、こうだ。」

周囲が沈黙し、言葉を待った。唇を忙しそうに舐めて言葉を捜しながら彼はこう言った。「つまり、、、えーと、だれか、タバコ持ってないか?」

一瞬、周囲の動きが止まった。その後、殺していた息を吐きながら各自がポケットを上から触っていく。Cさんは自分の頬肉を甘噛みしながら彼らのブロックサインのような動きを眺めている。彼らの表情と動作は会話のキャッチボールで言うところの「外せ」だったように見えた。つまり、タバコはあまり人にあげたくないということだ。いつものこと、いつもの反応なのかもしれない、それを見越してCさんはその隙に言葉をさがしているようだ。

「タ、タバコならあります、が、、」思わず僕は声をかけてしまった。Cさんも驚いた顔をしていたが、なによりびっくりしたのは僕自身だった。

図書館ホームレスについてナンセンス記事を書いてたのに気がついたら自分の記事をノベライズしていた、興味ある人がいたらつづき書くかも。後学のため誰か批評してくれるとありがたい。

2008-09-11

僕の懺悔を聞いてください。

数年前、僕は人を傷つけました。卑怯なやり方で。その懺悔を誰かに聞いて欲しくて、今、この文章を起こします。

それは二十歳過ぎの頃のこと。僕は今で言う非モテというヤツで、彼女いない歴=年齢の童貞だった。一方、その頃つるんでいた親友はとてもモテる男で(といってもチャラ男ではありません)、いろんな女性に言い寄られては、付き合ったり別れたり、一夜の関係を築いたりといったことを繰り返しているようだった。もちろん言い寄ってくる女性すべてが美人ではない。そのことについて話を向けると、彼は「○○はいいヤツだと思うけど、うーん」と言葉を濁して苦笑するばかり。“女性を見た目で選んでいる”言葉には出さずとも、それは明白だった。そんなとき、僕はいつも「自分なら、見た目よりも内面を重視するのになあ」と思った。もしかしたら、心のどこかで異性を見た目で判断する彼を軽蔑する気持ちがあったかもしれない。女性関係に恵まれている彼への嫉妬を、歪んだ軽蔑に変えていたのかもしれない。

知らない人から携帯電話メールが入ってきたのは、ちょうど就職活動にいそしんでいる時期だった。「高校生レナといいます。よかったらメル友になってくれませんか。」たしか、こんな文面だったかと思う。Jフォンスカイメールは、電話番号だけでメールやりとりできる。きっと適当な番号を入力して送っているのだろう。当時はまだ、今ほど迷惑メールはなかったように思う。新しい出会いもなく、就職活動に疲れていた僕は、さして警戒もせずにOKの返事を送った。正直言うと、ちょっとした期待も持っていた。淡い期待だけど。

他愛ないメールやりとりをしていくうちに、レナと僕は少しずつ打ち解けていった。顔も知らない相手だからか、理想の自分を演じられていたのだと思う。そのうち、電話で話すことになった。「緊張している」と話す彼女の声は、とてもかわいらしく、僕の脳裏にはとても可憐少女が浮かんでいたことだろう。毎晩のようにメール電話を繰り返し、仲を深めていたある日のこと、「私たち、かなり気が合うよね」と彼女が言った。「○○の彼女になれたらいいのにな」。冗談めかした言い方だったけれど、僕は冗談だと受けとらなかった。「……うん、付き合ってみる?」。「うそ!ホントに?」。人が聞いたら馬鹿馬鹿しいと思うだろう。二人は会ったこともないのだから。でも、はじめはそれでもかまわないと思った。そして提案した。「じゃあ今度合ってみようか」。勇気を振り絞っての提案だったけれど、返事は沈黙。「……私、かわいくないよ?」そう彼女は言ったけれど、「俺、見た目なんて気にしないよ」と返す。事実、それを自負していた。信じて疑わなかった、自分を。

何度かやりとりを経て、ついに彼女地元で会うことになった。電車で20分ほどの距離。これから付き合って行くのに不都合はない。電車に揺られながら、僕は彼女の声を思いだしていた。とても可愛らしい声で、そこから想像されるルックスはけして悪くない。でも、もしも本当に驚くような外見だったとしたら?それでも自分は「見た目なんて気にしない」と言えるのか?いや、言える。車内をこっそり見回す。(例えばこの女性より醜くても?うん、大丈夫。落胆の色なんか絶対に見せない。あるいはこの女性より醜くても?問題ない。)失礼な話だけど、親友なら見向きもしないような女性を見つけては、自分の覚悟を試していた。

待ち合わせ場所に着き、レナメールをする。ほどなくして、僕は気配に気づいた。柱の影から、ひょこっひょこっと笑顔を除かせては隠れる女の子がいた。きっと、僕の笑顔は引きつっていたと思う。彼女はちょっと太め……いや、そのときの正直な感想を述べよう。第一印象は「髷を解いた力士」だった。水戸泉水戸泉。ゴメンネ、アタシチョット病気デ太ッテテ。ア、ソウナンダ。気ニシナイヨ。他愛ない会話を二言三言交わし、どこへともなく二人で歩く。アスファルトの道を行く。僕の足音はしないのに、彼女の足音は聞こえる。すごい匂いがする。汗かな。どうしよう。

ふと彼女が足を止めた。ここで雑談しようということらしい。並んで立っているのが怖くて、ガードレールの前に腰を下ろした。目の前の妖しげな建物に気づく。ラブホテル。なんで?なんでこんなとこにいるんだろう。一度も入ったことのないラブホテル。まだ、目を向けるのも恥ずかしいほどウブだった。そんな僕が、どうしてここに?首筋にざわざわとした感触があって、ビクッとして振り向くと、彼女ガードレールの上から長い髪を揺らしていた。背筋にオカンが走る。ネエ、入ッテミル?……エッ、ドコニ?……ら・ぶ・ほ・て・る。助けて!助けて!助けて!助けて!これはお誘いなんかではない。一方的な捕食の前のお遊びだ。僕の意志には関係なく、ラブホテルに、入らされる。直感的にそう感じた僕は、心の中で親友に助けを求めていた。彼女ができた、と言ったら彼は喜んでくれた。会ったことがないことを明かしても「今はそういう人多いんだろ?ネットで出会うとか」とフォローしてくれた親友。やさしい親友。そんな彼に、僕は心のどこかで軽蔑を抱いていた。何が「見た目なんて気にしない」だ。そういえばレナ電話で、ふざけてあえぎ声を出したことがあったっけ。あのとき勃起していたのは誰だ?イケよ、入っちまえよ。それが望みだったんだろう?もう一人の僕が、現実の僕を罵倒する。僕の童貞はここで散るのだ。脂ぎった彼女にとって喰われるのだ。

絶望にうちひしがれていると、彼女電話がなった。僕は考える。走って逃げるか?でも、でも、それだけは絶対にいけない。傷つける。あんなにヤサシイふりをしておいて。逃げ出すなんて。「う〜ん」。レナがうなる。ドウシタノ?「……友達が〜、入院しちゃったんだって」。何故?なんて聞かない。僕はこれが唯一にして最後のチャンスだと気づく。そう、“いい人”のフリをしたままこの場を切り抜けるための。「本当に!?それは……すぐ行ってあげないと!すぐ!友達なんでしょ!?」う〜ん、とレナがうなる。迷うな、行け。行かないならそんなヤツは絶交だ。そうだ、その論法で行こう。僕は曲がったことが嫌いな“イイヒト”なんだから!

結局、彼女病院へ向かった。僕らは笑顔で別れた。電車の中で、何も考えられないでボーッとしていると携帯電話がなった。メールだ。「ねぇ、私たちどうするの?」いつもの文体とは違って、責める空気が感じられた。どうするって、何を?また?また会うのか?俺は見た目を気にシナイ。でも、またレナに会いに行けるのか?その勇気はあるのか?ちょ、「ちょっと待って。」そう返す。すぐに返信が来る。「何を?」ななな何をって何がヤネン。

それ以降、僕とレナは連絡を取っていない。数年が経ち、彼女もできた。自慢できるほどではないけれど、普通の、かわいらしいひと。かつての僕は「見た目なんて気にしない」と考え、自分の美徳とし、そしてそれを裏切った。今の僕は異性の見た目を気にする男。かつての反動で、他人より少し面食いになったかもしれない。でも、もし。ありえないことだけど、もしもレナが今も僕のメールを待っているかもしれないと考えると、ひどく恐ろしく悲しい気分になる。本当に病気でああいう体だったのだとしたら、僕の行動は彼女をひどく傷つけただろうと思う。

本当に「見た目なんて気にしない」という人がいたなら、僕は尊敬の念と、おそらく嫉妬を感じるでしょう。でも、実際にそういう人がいることはわかっているつもりです。自分にその器がなかっただけのこと。僕の懺悔は以上です。もし「自分は見た目なんて気にしない」という若い方がいたら、僕の文章を自分に置き換えて読んでみてください。追体験してみて、それでも気にしないと思えるなら、あなたは僕の憧れる人種です。

これだから集団行動、共同作業は嫌だ。

愚痴です。

私は高3で、10月末に行われる文化祭広報パートとしてウェブサイトを作ってくれと頼まれた。7月のことだ。

うちの高校男子校で、それなりに名門の大学付属校だ(系列校という場合もある)。ターゲット女子高生受験生、いずれにせよ普段はネットをあまり使わない層だと思われる。そして学校名はそれなりに目立たせたほうがいいと考えた。

はじめは特に何も指定されなかったから、一般的でわかりやすいと思われるヘッダ、左メニュー、右コンテンツ、フッターの4ブロック構成にし、ヘッダには文化祭テーマ英単語)のロゴを背景に「学校名 文化祭名 開催日」をh1要素として入れた。左には「インフォメーション」とか「オリジナルグッズ」とかそういう一単語の簡単なメニューを入れ、マウスオーバーで見た目が変わるような装飾を施した。右コンテンツには全ページにh2要素をはじめにいれ、そのページのタイトルとした。デザインは横幅850pxの中央寄せで背景はストライプ、中央の背景は白一色にし、テーマにそってやや濃いグレーと赤系で色づけた。

高校生文化祭サイトとしてはかなり良いほうなんじゃないかと自負していた。

なおGoogleAnalyticsによると8月の平均ページビュー(1人当たりのページビュー)は8ページで、数字的にも悪くないと私は考えていた。ちなみに8月の総PVは20000だった。「大学名 グッズ」で検索したときに、大学のページより上に本校の文化祭大学グッズ紹介のページが表示されているのは感動的だった。

新学期が始まったから、総務パート、装飾パートパンフパートに見せたわけだ。

するとなんだ、1分くらい沈黙が続いた後、第一声がこれだ。

公式サイトなんて学校名で検索されてくるんだから、すべてのページのタイトル(たぶんh2要素のこと)やトップ画像(たぶんヘッダのこと)にわざわざ学校名を入れる必要はない。開催日だって「インフォメーション」のページに書いてある。開催日が気になったら「インフォメーション」のページを見るだろ普通。トップ画像にはパンフパートが用意したロゴ英単語イラスト)を入れるだけで、学校名や文化祭名や開催日は入れるな。”

(^ω^;)

文句は続いた。

テーマに対してデザインが明るすぎる。背景は真っ黒にして文字は真っ白がいい。文字(%指定で14pxにしている)もでかすぎる。”

いったい、何のための公式サイト作成なんだ。勝手にやってくれ。私は降りる。

降りて専門学校を探さなければ。大学の推薦入学を得られるだけの成績がないのだ。

どこか良い専門学校を教えてくれないだろうか。東京都内にあり、WEB製作に関する何かを扱っていてくれるとありがたい。

将来はWEBサイト製作関係で稼ぎたいと思っている。

私の愚痴を聞いてくれてありがとう

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