はてなキーワード: 婚姻とは
いやだから、たとえば遺書みたいに公正証書による婚姻契約とかでOKじゃない?ってことなんだけど。っていうか、そういう国もあるけど。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/091001/sty0910010338000-n1.htm
家族の絆が壊れやすくなるから、夫婦別姓導入に反対するとの立場だそうだが。
以前、自民党の高市早苗氏らは、婚姻前の姓を通称として旅券などの行政文書にも使用できるようにする戸籍法の一部改正案を示した。別姓を目指す法務省案より、はるかに現実的な提案だった。
高市案には賛成らしい。
でもこの案って結局のところ生活上・行政手続き上は別姓を使うということだろ。この場合夫婦が同姓であることが表出されるのは、戸籍謄本(戸籍抄本)をとったときぐらいのはず。それ以外の名前が出てくるほとんどの場面は、別姓の状態ということになる。そんなわずかに限定された状況での「同姓」の状態が絆が壊れるかどうかに関係するのか?
高市案より法務省案の方が絆が壊れやすいとの主張の根拠がわからない。
いや、名付けって、そもそも権威が行なうものだったわけでしょう。多くの場合は宗教的権威が。たとえば、親(祖先)の権威によって親が子に名を付ける。王や天皇が武士に氏や姓を与える。将軍とか執権が大名に偏諱する。権威が「お前は○○だ」って定めることが、名付けです。
近代以前の国家はほとんどが宗教的権威の集約ですから、国家は関係大ありですよね。国家までいかなくても、たとえば部族でもいいですが、そうした共同体の大きな単位そのものが、名付けを規定していくわけです。
で、名付けが束になって家なり何なりの単位が形成されて、そこから財としての人が出たり入ったりするのが結婚ですよね。婚姻の仕組みはところによって異なりますが、婚姻を交わす共同体の中では同一です。そうしないと、出たり入ったりが制度として続いていかないから。つまり、部族なら部族、国家なら国家という、共同体の大きな単位が、結婚の方法も規定するわけです。こうした仕組みは、権威に命じられた慣例として堅持されてきましたし、近代に入ってからは国家が制度化しました。国が国民の氏名を管理する理由は、(もちろん税収など、統治の効率を高めることもありますが、)共同体の存続を目的とした、結婚の存続です。
ただし、これは近代以前の価値観を引きずった、古い考え方かも知れません。だから左翼の方々は、いまさら別姓とか言ってないで、姓や結婚そのものを否定して、家を解体して、個人を縛りつける権威を革命的に滅ぼして、その上で共同体が存続できるような仕組みを本気で考えたら良いんじゃないですかね。左翼っぽくて。
しかし、事実婚の法的な扱いを拡張するんじゃ駄目なんですかねえ。別姓で結婚したい、それ結婚じゃないと思うんですが、それを結婚と呼びたいって願望の人が多いってことなんでしょうねえ。
アメリカの医療費が世界で一番高額なのは他に産業が無い為である。自動車産業にしても軍需産業にしても、人員を削減する合理化でしか利益が発生させられない程技術革新がストップしている。
新規の工業は発生せず、労働者を吸収できるのは三次産業だけであるが、小売業や飲食業といった買い手が強くて価格競争が厳しいカテゴリーでは賃金の低迷が発生し、逆に医療や介護のような売り手が強いカテゴリーでは料金の高騰が発生する。
この料金の高騰に乗っかり、さらに吊り上げを行っているのがAIGに代表される保険会社と医療過誤裁判で懲罰的賠償金を請求して取り分を増やす弁護士業界である。
モノを作り人々の幸福に奉仕してお金を儲ける物作りがサブマリン特許や特許による市場の寡占や製造物責任による懲罰的賠償金といったチャレンジを阻害する法制度によって邪魔されており、人々は保険会社や弁護士といった他人の不幸につけこんで銭儲けをする商売や、投資銀行のような他人を騙して銭儲けをする商売に進むしかなくなる。
その結果、そういった"強欲なビジネス"に従事する人々を富ませる為に、末端の三次産業は訴訟コストや責任保険といった高コスト要因を背負わされ、現場で働く人々は貧困になるばかりとなっている。
第三次産業は一次産業や二次産業のおまけでしかなく、それに頼ると社会全体が貧しくなってしまうのである。
日本でも、医療や介護や保育といった福祉分野が雇用の受け皿になると主張している者が居るが、お互いがお互いにサービスしあう状態では縮小再生産になる。
誰の何と言う本かは忘れたが、島民全員が洗濯屋でお互いがお互いの洗濯物を洗う事で賃金を得ている島という設定があった。島民は皆、洗濯をして賃金を受け取り、洗濯物を出して代金を支払うことになる。島民は洗濯業以外の仕事をしてはならず、自分の洗濯物を自分で洗ってはならないというルールが存在するのが前提である。島民は、洗濯代を受け取り、生活費の分を消費し、残りで洗濯代を支払うことになる。
この場合、生活費の分だけ、非島民(外部)にお金が流出することになり、この島の経済を維持するにはヘリコプターで外部に流出する分のお金を毎日ばら撒かれなければならない。
結局、第三次産業が発生する付加価値とは、他の産業が生み出す富の総量を超える事は出来ないのである。"強欲なビジネス"がお金を集めると、末端の三次産業従事者は貧困にあえぐことになる。また、これは、通貨ごとに閉じた世界として考えられる。外部から投資を引っ張ってこれたとしても、その投資には金利や配当をつけなければならず、その負担は、その通貨を法貨としている国家が発生させた富によって賄われなければならない。さもないとネズミ講になってしまう。
医療保険制度の改革や金融機関の報酬制限によって、"強欲なビジネス"の牙を抜くプランに反対が多いのは、それだけでは縮小均衡になるからである。縮小均衡にしない為には、一次産業や二次産業において雇用を拡大する法制度の改革が必要であり、その青写真くらいは見せないと縮小均衡に対する反対は止まらないであろう。
自動車保険のように皆保険制度を実現できる筈だというが、自動車の場合は修理代の方が評価額よりも高くなったら修理せずに廃車にする。人間も、同じように治療を打ち切って安楽死させる事ができるのであれば、自動車保険のような丼勘定の保険制度設計でもやっていける。しかし丼勘定の保険制度で人間の生命を扱うのは根本的に無理がある。このために、民間の医療保険では、健康な人しか加入させないという条件をつけたり、加入時に申告の無かった既往症や虚偽の申告があった場合には保険を適用しないという条件を加える必要が発生する。
皆保険では、既往症や慢性病に対しても保険を適用しなければならず、丼勘定では破綻する。働けないほど重病であれば、医療費は保険が持ち、生活費は福祉が持つことになって、働かずに暮らしていける人が発生し、そういった社会的な富を発生させていない人を生かす為に、健康に気を配り、汗水流して働いている人が高額な税金を負担させられる歪んだ社会になってしまう。
つまり、丼勘定のままでは、誰かが、その人の社会的価値を判定し、安楽死を働きかける仕事をする羽目になる。それをやりたがる人は、いるだろうか?
これを防ぐ為に、私は、医療保険のローン化や、年金や失業給付や生活保護の口座化を提案している。
これらのプランでは、医療費や生活費の債務は家族(子孫)が背負う事になる。子孫がいない孤老世帯の死亡が発生しない限り、残高の未回収は発生しないという考え方であり、これ以上負債を増やしたくないという判断を下すのは、本人や債務を背負う家族(子孫)である。負債が大きくなりすぎると、結婚等で姻戚関係を結ぶと法定相続分の負債が降ってくるので、婚姻がまとまりにくくなる事が予想される。おのずと、自ら身を処するようになるという考え方でもある。社会福祉口座の債権債務に関しては相続放棄が出来ないという例外をつけるだけで、人々に自律的な行動を強いる事が可能なのである。
武士ってよく分からない。
戦う人なのか単なる行政官なのか。
なつきさんの親戚には自衛官に警察官、消防士、救急と「公僕」が多い。
だけど、戦う、に関しては、
なつきさんちで語り継がれる戦いは「防衛」戦である。
拡大は商売によってなされた。
戦って名を上げ、領土を拡張するという武士のもう一側面はなつきさんちでは劣勢だ。
だから、東大→アメリカ留学という道で「名を上げる」ルートの評価は微妙な位置にある。
人工知能に注入されたのが、拡張を目指す知識欲なのは示唆的だ。
◆
その中でもっともそうした「縁」を体現するのはなつきの曾祖母だが、
この「縁」がくせ者だと思う。
戦うことと縁には考えればすぐ分かるように固有の緊張関係がある。
ゆえに平時には縁が強調され、
戦うは非常時に押し込められる。
だが、名を上げる、には「競争」が必須であるように、
戦うは非日常に封じ込め切れるものではない。
サマーウォーズを観ていての一番のひっかかりは、
曾祖母が掲げる「負けない(戦う)」と「つながり」の矛盾を映画が解ききれていない気がしたことだ。
縁にはレイヤーがいくつもある。
黒電話で活躍する曾祖母のネットワークは、平和と危機のコントラストの中では機能するが、
恒常的な闘争状態ではどうだろうか。
こうして、戦う、との矛盾が最小限の、
一致団結したつながりとして親族が浮かび上がる。
だが、親族には血による縦のラインとは別に、
婚姻によって拡大する側面も存在する。
この婚姻の困難を、主人公が引き受ける。
婿ドノは他人なのだ。
他人を親族に引き受けるために、曾祖母さえ約束(契約)の形をとらざるをえない。
◆
曾祖母は、負けない、と、つながりに加えて、
飢えない(食べる)も示すが、
これもうまく掘り下げられてる気はしなかった。
戦うと縁の矛盾は、婿ドノの困難に関しては、
戦ってる人はかっこいい!(恋愛)というモメントで解消されるのだけど、
それは、悪くはない。
でも、戦ってる人はかっこいい(cool!)って感じで、
戦いに必要な数が動員されるのは(分かっててもグッとくるだけに)なんだかなあ。
セカイ系?
サマーウォーズの中で訪れる危機は、
セカイ系でしょうがないって気にさせもするけど・・・
親族は中間項たりえてない気がする。
◆
映画の観始めに考えていたのは、
戦うと縁とかではなく、
エンドレスエイトが終わった時の実況のまとめスレはさらにすごい。
皆が、キター、っていうことは、確実に目眩がするぐらいの心の打ち震えをもたらす。
グッとくる。
映画の中の、コイ!、も同じな。
ただ、この量的な過剰さが「溢れる」ことによる感動は、
AAが崩れて、いくらスクロールしてもパチパチやキターが続くのはなかなか圧巻。
だけど、同じ理屈でいくと、
映画館のスクリーンにこの種の「過剰さ」による感動は向くのかという疑問がわく。
このグッとくる感じは、映画の「細部」がもたらす「豊かさ」とは違うと思う。
定義はしない方がよいだろうけど、
人はこの二者を別物として感じると思う。
記号としてのモノは溢れていても風景はない。
(細野さんらしい)
初め「家」に見えたものが増殖して「城」とか、あっと驚く瞬間はあるけど。
記号としてのモノの、数量的な過剰さ。
画面を「文字」が溢れて埋めるんだから。
戦う、と、つながり、と数量的なものを、
戦ってる人はかっこいいからつながる(恋愛&数量的なcool)以外で見せてほしかった。
見逃してるだけなら教えて。
◆
以下過剰書き的に
・アニメで横にパンするってすごくない?
受けるというかザッツザジャパニーズアニメ!って感じにもてはやされそう。
船て
・止めて、が世界の話と個人レベルをつないでて、セカイ系な感じ。
・公僕が、より大きなおおやけのためにルールを無視するあたりも好き。
・やっぱ、おばあちゃんが何を望んでるのか、
伝統か、負けないことか、勝利か、飢えないことか、つながりか、
明確でないことがダメなとこな気がする。
そのせいで、各人の心理が論理的でない。
そこを、グッとくる、「情」で押し流してる。
・ただ、曾祖母が「生きてる」こと、
人が生きて死ぬことの中には、
そんな矛盾とか織り込められてる気もするが、
半ば死んだ英雄、神話にしてしまっている気がした。
まず婚姻関係において、1)一夫一妻制、2)一夫多妻制、3)多夫多妻制、4一妻多夫制が存在する。各々の利点などを踏まえた上で何故現状の社会において一妻多夫制(もしくは多夫多妻制)が生まれゆくのかを考えてみたい。
1)一夫一妻制
一夫一妻制の利点とは何なのであろうか。まず第一に考えなければならないのは男女の生物学的な違いである。この違いを理解せずに婚姻制度を理解することはできない。
一つ目に母性は明確であるのに対し、父性は不明確である点である。例えば女性にとってはその子供は彼女自身の子供であることは明確であるのに対し、男性にとって子供が彼の子供であるということは確定できないのである(遺伝子検査でもしない限り)
一夫一妻制の長所はまず父性を上昇させる点である。女性が不倫でもしえない限り、女性の夫婦間外における性交渉は社会的に不貞行為とされ社会的な円フォースメントが存在する。なぜ、不貞行為を抑圧する社会的なエンフォースメントが存在するのか。
秋田。誰か続き頼んだ!もうめんどくせーや。
それは「みんな鍛錬すればものすごく早く走れるようになるんだから自転車や車はいらない」というたぐいの暴論です。
むしろ妄想だけで抜けるようにみんな鍛錬したら児童ポルノだの陵辱ポルノだのも不要になって不用意に傷つく人が減るのではないか。
そりゃあ、訓練されたオタクならば、脳内彼女や脳内姉、地球人の遺伝子を求める脳内女性型宇宙人や脳内女性型宇宙ロボ。
脳内別世界から婚姻相手を求めて来訪したお姫様や、脳内政府の命により俺の命を狙う女忍者の末裔…
ほんの一端にすぎませんが、訓練されたオタクならばその程度の脳内女性は自然的に発生・居住していることと思います。
しかし、そういった妄想の才能がなく、鍛錬しても具体的な妄想を抱くことができない者が
オナニーの際にイメージを膨らませる「オカズ」として、視覚的なポルノは必要不可欠なのです。
夫のことで相談です。
週に2-3回、後輩たちを連れて飲みに行くのですが、車で行って、そのまま運転して帰ってくることがよくあります。飲酒運転です。また、飲みに行かない日は家で晩酌をするのですが、ビール1-2缶開けたあと、運転してスポーツクラブに行ったりするのです。
懇願しても、叱責しても、「軽く飲んだくらいだから大丈夫」といって聞きません。
どうしたらやめさせられますか。
なお、夫は医師で、高収入、高身長のイケメンで、少々性格は悪いですが、飲酒運転以外は条件的にも最高の人なので、離婚は考えていません。そんな男とは離婚しろ、という意見は却下します。
…
…
…
という相談を友人から受けた。このご時世で「それでも飲酒運転をやめない」という時点でそんな男からは離れた方が……と言いたいのだが、彼女は婚姻の継続に固執しており、それだけは絶対に譲れないという。
彼女も旦那さんもどっちもどっちだし、放っておいてもいいのだが、話を聞くとそのうちかなり高い確率で事故を起こして、無関係の誰かの命が奪われないとも限らない。
なんと言って説得すべきか? またはあなたの身近な人が飲酒運転常習者だったら(縁を切るという選択肢は置いておいて)、どうやってやめさせる?
つーか、一昔前が「何も努力しなくても女が配給される時代」だったっていうのは、非モテの妄想だよね。
昔のほうがよっぽど甲斐性無しの男は白い目で見られた。
でも今では専業主夫になる道がある。
昔は金持ちの男が妾や愛人を囲うことは、今よりもずっと寛容だった。
ということは、建前は一夫一妻制でも、実質金持ちは一夫多妻制だった。
一夫多妻制というのがどういう社会かというと、まさしく一部のモテが女を独占して、非モテに女が回ってこない社会。
非モテにはよく、女に権利を与えない男尊女卑社会をユートピアだと思っているヤツがいるけど、女から婚姻の自由を取り上げたら、次に待ってるのは男同士による女の取り合いなんだよ。
つまり、力のある男が「女たくさん欲しいんだけど」って言い出すようになるわけ。
娘の父親だって、自分の娘が貧乏人の妻になるより、金持ちの妾になったほうが有益だよね。
結果、今よりもずっと男があぶれた状態になって、ますます非モテに女が回ってこなくなるわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20090505230306の元増田です。
mixiなんかにゃ書けないので増田にでも書いて消化しようと思ってた日記に、思いがけず沢山のはてブ/TBを頂いてちょっとびっくりしてます。自分じゃ分からなかった視点での意見が多数で、色々と考えさせられました。頂いた意見について、まとめて返信みたいなものを書いてみます。
堕胎した過去のある友人の前で妊娠をエクスキューズにして婚姻しようという考えを喋ってしまうデリカシーの無さ
マジ切れする相手も相手だが、大人なんだから地雷踏んだらちゃんと謝ろうよ。意図せずとも人の傷を抉ったのは事実なんだし。
これはもう本当その通りです。私の配慮不足でした。彼女は堕胎した相手と今は結婚しており、会う度に仲の良さを惚気るほどですが、「でき婚」はまさしく彼女の地雷で、踏んではいけないポイントでした。「妊娠」自体はNGワードではなく、彼女も含め既婚者同士で妊娠時期を何時頃にするか相談してたりもしたんですが、彼女の中では「既婚者の妊娠」と「でき婚」は全く違うものだったんでしょう。あの時点での私は理不尽な理由で罵倒された事が不満で、彼女に謝ろうとは微塵も思いませんでした。
何が面倒かも考えず、面倒だからというのは、流石にその年代ではヤバイと思う。
いろいろ面倒だからでき婚ってアホか。もっといろいろ面倒なことになるだけだ。
私と彼の選択は「子供以外の理由で結婚を選択することは(少なくとも今後数年は)ない」ということでした。もっと言えば、現状では子供以外の理由で結婚にメリットを感じていません。仕事や両親など、今山積している問題を解決してまで結婚する必要性があるのか疑問です。ですが、子供が出来たとなると別です。夫婦揃って育児をしたほうがなにかとメリットが多いでしょう。ですから、結婚するとなると子供が出来てからかなと、考えが至った訳です。これは何が面倒かを考えていない事になるのでしょうか?他の方にも同様な意見があったので、自分じゃ考えているつもりが周囲からみるとまるで考えていないように見えるのでしょうか。
でき婚自体は賛成派だが、自分の出生が結婚のダシに使われていたら嫌だな。あと、でき婚ねらったものの、ぜんぜん授からない…なんてこともある。
最後のハードルを超えるのに、子供を利用しようとする心根がな。その後の幸不幸で「子供のおかげで結婚できた」感謝は、易々と「子供のせいで結婚してしまった」恨みに変わる。責任を押しつけられる方はたまらない
出来婚が子供を不幸にする可能性ですね。うーん……、正直この考えは全くありませんでした。こればっかりは、子供を授かったら最大限愛することで否定するしかないですね。あと今は軽い不妊治療中でもあるので、授からない可能性も大いにありますね。
えーと、キャリア大事なんだよね~。資●堂のとある女性役員(「女性」といちいち付けなきゃいけないこんな世の中じゃポry)が仕事を続けるために堕胎を選択したっつー話は知っといて損はないよ。
出来婚しちゃうような無計画な人(外から見ればそうとしか見えない)は会社の今のポストを外されてしまう。となぜ思わないのかがわからない
仕事は大事ですが、子供の為ならばある程度は仕事を減らすのもやむをえないと思っています。一方、結婚しただけで今の仕事を外されるのは御免です。そして、今の職場だとその可能性があるんです。結婚して、旦那さんが待ってるんだからはやく帰りなよとニヤニヤしながら言われるくらいなら、子供が出来てからゆっくり定時退社したほうがマシです。
色々とご意見頂きましたが、出来婚ってまだまだ「子供をダシにして結婚した」と受け止められるんですね。自分では結婚のメリットとデメリットを計って選択したつもりだったんですが、周囲の理解を得るのはまだまだ難しそうです。
↑これが、増田以外のすべての女にあてはまることは証明されない。
つか、明確に否定する女は結構いると思うぞ。
愛情がないとセックスしない女しかいないなら風俗業なんて成り立たないわけで、「全ての女」でないのは当たり前にしてもそれなりの数はいると見なして問題はないと思う。愛情なんてとうになくなっててもコスト計算して婚姻関係を継続する男女だってたくさんいる。それと同じ。
「愛していても相手の都合をうまく考えられない男」
「相手の都合をうまく考えられない」と「自分の都合しか考えない」は似て非なるものなんだけどなあ。
相手の都合を考えようとはするけれどうまく考えられないのと、はなから相手の都合を気にするつもりがないのは明確に違いますよっと。
それも定義の問題だって言われたらどうしようもないけどね。
でも個人的には自分の都合しか考えないのは単なる自己愛という認識は割と自然だと思うけど。
増田は割とロマンチストなのかな。私は、世の男はデフォルトが愛情なしだと思ってるし、友達もそんなスタンスの子が多い。独り身だといろいろ不便なこともあるので(主にセキュリティ的に)、基本はギブ&テイクの関係で自分がやってもいいと思える相手とならやるっていう醒めた子多いよ。男に愛情を期待する子なんていないなあ。すさんでるのかな。
でもネットの書き込みとか見てても女を愛してる男なんてほとんどいないね!と思う。
「今年も前年度割れじゃないか!」
深夜の霞ヶ関に怒号が響く。厚労省児童家庭局少子化対策企画室室長である山崎は、先ほど部下が持ってきた1枚の資料を見るや否や、ビル全体に響き渡るような声で叫んだ。
彼の手に渡った資料は、平成20年度の婚姻件数。速報値とは言え、2002年に第一次稼働が始まった住基ネットのおかげで、年度明けである4月1日には相当信頼度の高い数値がはじき出される。昨年度に引き続き、またしても80万件を切る数値だ。
「このデータを明日、大臣の下に報告しなければ成らないのは…俺なんだぞ…」
急に萎んだ風船のように勢いを無くした山崎は、力なくうつむきながら呟いた。
少子化対策室と名の付くとおり、彼らの部署は少子化対策が主である。しかしながら、子供というのは結婚ありきであり、そもそもとして婚姻件数を上げないことには、子供の数が増えるわけもなく、実質、結婚対策企画室となりつつあるのが昨今の情勢だ。
「加藤、お前が企画した例の件…そろそろ効果が見えてもいいんじゃないか」
急に矛先を向けられた加藤は「あ…いや…その…」と曖昧に答える事しかできなかった。一時でも空白を空ける事を恐れた加藤は「2006年ですから…まだ、あと1年ほどはかかるのではないかと…」続けて言った。その回答が最も、山崎が忌み嫌う言葉であることを知らずに。
「その台詞は、去年も聞いたぞ!」再度の怒号が響く。
「加藤…お前いったよな…『今の若者は小説なんて読まない。ケータイですよ』って」
恐ろしく安っぽいプロットに非現実的なストーリーをいれることで、恋愛をヘリウムガスの様に扱い、結果として婚姻率を上げる…という、ケータイ小説と同じくらい軽い企画だった。はっきり言って、小説というのもおこがましい、起承転結すらないような内容であった。
ここまで内容を軽くした訳として、2001年に企画した小説の失敗がある。
若くして白血病にかかった彼女をオーストラリアに連れて行こうとする内容の小説は、普段、本を読まない層に対して売り込む為に、無駄に文字を大きく、無駄に紙を厚くした。本来であれば100ページにもならないであろう内容を、無理矢理単行本サイズに仕上げ、長い小説を読み切った感動を恋愛に向かう情熱に変換することで、一気に婚姻率を上げる…という作戦だった。
しかしながら、その結果は、主人公がどこか田舎の空港で「助けてください!」のシーンのみ若者の印象に残り、学校や飲み屋で使われるだけだった。
カルデロンさん一家の問題にも結論が出たようなので、少し書いてみる。
強制退去に賛成と反対の意見があるのだけど、それぞれ国籍法の改正の時にはどういう意見だったんだろうというのを考える。
2つのことがらについての賛成と反対の組み合わせは4つ考えられるのだけど、主に下の2つになるのではと思って不思議な気持ちになる。
不思議な感じというのは、最高裁判所の判決が強制退去と国籍法の改正の背後にあるから。だから、どちらの意見の人も片方では最高裁の判決に賛成し、もう片方では反対していることになる。
最高裁の強制退去の判決が出たにもかかわらずこれに反対している人は、国籍法の改正の時にはどうしていたんだろう。最高裁の違憲判決が出たのだから国籍法の改正はあたりまえといったことは主張してはいなかったんだろうか。
最高裁の判決が出たのだから強制退去は当たり前だといっている人は、国籍法の改正に反対するときは最高裁の判決をどう受け止めていたのだろう。
そんなことを考えていると奇妙な気分になる。最高裁の判決以外にも、公平性という考え方でも同じことが言える。国籍法の改正の理由は、婚姻している場合としていない場合での公平性、もしくは生前認知と生後認知での公平性を保つためという考え方によるものだろう。そして強制退去にも公平性がでてくる。入管の主張としては、裁判によって子供が中学生になったからといって特別滞在を認めれば他の人との公平性が保てないというような形で。
それは離婚したときに子供を引き取ることが多い女性の収入が男性に比べてかなり低く、それに対する補助もろくなものがないからというのが主な理由ではなかったかな。
結局女性の給与水準が男性の6割程度しかないことが大きな原因になっていると思う。
法律上の一夫一妻制を崩すと都合が悪いのなら婚外子差別をなくせば、経済力があって女性を蔑まない、いわゆる良質な男性の元に女が集まって子を成すだろうからそれもまた少子化対策になると思う。
婚外子差別がない国ほど出生率が高いという統計もどっかにあったよね。
今だと婚外子を産むと子供が苦労するからハードルの高さ(やりたくない度)が
あれから1日。目覚めは良くも悪くもない。
いつも一番早く出勤する同僚によれば、彼女が来たときには既に私の机に置いてあったという。
彼女は当然のように「強制結婚制度」のことを知っており、すこし詳しく教えてくれた。
①第三者に「じゃあ結婚すれば?」と言われて初めて成立する
②既婚者は無効となるが、未婚者が事前に不受理届出をすることはできない
③取消訴訟は痴漢冤罪なみに面倒で困難ゆえ、大抵の人は諦めて結婚する
⑥国内ではいつどこで「じゃあ結婚すれば?」と言われても必ず手続は行われ、見逃されることは「絶対にない」
どうやら「強制結婚制度」は昨日今日に施行されたものではないらしい。
一応テレビや新聞に毎日目を通していたのに、全く気づかなかった。
いや、私だけが気づかなかったというより、実際に昨日まで一切報道されていなかったのではないか?
普段の世間話で話題に出たこともない。私にとっては寝耳に水としか言いようのない状況だ。
なのに昨日のテレビでは「きょうのしなもん」並にほのぼので、急迫した報道とは見受けられなかったが・・・。
とりあえず職場に欠勤連絡を入れる。私の「結婚」は会社中に知れ渡ってしまったようだ。
役所に問い合わせに行くと、あの赤い婚姻届は正式に受理されていた。
私の机にあったそれは提出していない。
生え際の後退したアームカバー曰く、あの赤い紙は「事後報告」みたいなものだという。
当事者ふたりに手続の必要はないが、相手の連絡先とともに通知が送付される。
仮にも「夫になる人」であるバカ男子から「妻になる人」への連絡はまだない。
これって、恋愛と仕事のトレードオフ?ただ恋愛がしたいといってるだけで、存在してないじゃん。ただの非モテ(ただし女なので肉体関係だけはあり)の愚痴にしか思えない。愛がほしい、幸せがほしい、というのはよく分かるけど、でも文章からすると男性からみて魅力はないのだろうし。そういう人にとって婚姻関係を持つまでにいたるステップの内の一番難しいのは最初の出会いだと思うから、2年よそに行こうがどうしようが、結婚相談所とかやその他の出会いの為の機関をつかってみたら?遠隔地にいる肉体関係だけの男性は紹介ということだから、もしかしたらすでにある程度は使ってるのかもしれないけどね。でもその状況を受け入れられず、いま金の心配がなくてかつほんとに結婚がしたいのなら、ぐずぐず言う前にもっと積極的に婚活に動いた方がいいと思うよ。嘆くだけの非モテがその状態から努力なしで脱する可能性の低さは、分かるだろ。