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はてなキーワード: 関西人とは

2009-01-03

関西で生まれ育ったけれど、方言が苦手な人もいるようなので、人前で話す時はなるべく

東京弁で、かつ東京の抑揚で話すようにしていた。

自分でも、聞き苦しいかなと思うくらいに素のイントネーションは酷いのだ。

興奮したり面白がったりすると出てしまうので、仲良くなった人や、慣れた場所でだけ

(=私が方言まるだしでも嫌がらないと解った人の前だけ)方言で話すようにしていた。

しかし、今日うっかりと、関西出身の人と話してイントネーション丸出しにしてしまった。

職場の人に関西の人だったんだ!って軒並み言われてげっそりした。

原因になった人は、関西人関西人同士で引き合うんですよねwって誇らしげにいってるし、

今まで以上に方言丸出しで話し始めた。しまいには、私にまで方言を話させようと、「飴のこと何て言う?まつたけってどう発音する?」とニコニコしながら言い出す始末。

方言を別に何とも思ってない大阪人もいるんです。どちらかというとコンプレックスみたいに思う大阪人もいるんです。確かに私にとって身近なものでもあるけど、素朴な感じで大切にしていければいいので

別に主張するほどのものでもないと思っているです。

まぁ昔、「関西人方言を前面に出すからウザい」とか「面白くないやつほど方言で話す」とか

知り合いが陰口言ってたのを気にしてるってのもあるんですけどね。

なんか自分言葉がすげー嫌になる。なんでこんな癖あるんだコレ。

明日からはまた東京の人の中にまぎれて生活しようと思う。

2009-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20090101212001

邪道だろそれ。

特に関西人はわりした使わないわ牛肉入れるわ、お前らすきやき知ってるのかといいたい。

2008-12-23

自分語り 

↓これに関して元おたくのおっさんより。

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

言いたい事はすべて

昨今のヤンキーオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。

●●さん、大恥かいちゃったね。でも無知は罪じゃないよ。学習しないことと、知っていることを人に教えないことが罪なんだ。

ライトオタク誕生していない。ぬるオタ歴史から抹消されている

http://anond.hatelabo.jp/20081222122907


と書かれているけど、ちょっとかいつまんで自分語り

名前消したのは、「歴史を知らない」ということの意味を一般化したかったから)

自分は昔から興味のあることにのめりこむタイプ

人付き合いよりも趣味時間を割くのが大好き。

なもんで、人からは「ネクラ」と言われていた時期があった。

んで、ある時期からは「マニア」と言われ、例の事件後は「おたく」と言われることが多くなった。

ところが、例のエルメスな本の後は不思議と「普通の人」になってしまった。「おたく/オタク」とは誰も呼んでくれなくなったのだ。

(まぁ、自分がいわゆる「萌え」というものにまったく興味がなかったので、呼ばれるチャンスがなくなってしまったという理由もあるんだけど。)

振り返ってみると、こんなニュアンスで言われてたように思う。

・外で遊ばないで家でなんかやってる人→ネクラ

マイナーなことにとっても詳しい人→マニア

コンパとかマスが認めるカルチャーに興味がなくて、漫画とか変な本とか読んでる人→おたく

使われ方

・「あー、君の事もっとネクラな人かと思っていたよ」

・「すごく詳しいね。○○マニアだね」

・「それっておたくが読むものだよね?」

呼ばれたことないけど、使ってるのを聞く感じだと

・「あの人オタクっぽい」

まぁ、以上の「オタ気質の呼ばれかたの歴史」を面白おかしく分析するのも可能なんだろうけど、

今日いいたいこととは別なので、「オタク」という言葉は変遷をたどった「魔法言葉」なんだよという前提で

↓これに関して

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

みんなわかっているはずなんです、語り足りない、語られ足りないのです。私はもっともっとこのジャンルに対する言説が読みたいです。

「足りない」と知っている人はどうかバシバシ書いて、そして出来れば人の目が付くところに載せて下さい。少なくとも私は強烈に読みたいです。

まぁ、ご本人がこう書かれているのであえて毒を。

簡単に言ってしまえば、DENPA!!!を面白いと感じるのは「若さ」という

「不可避の理由」によりバカだから、しょうもないものをありがたがっているだけだと思う。

(「若さ」ってのは、「歴史」を「知れない」からこそ発生する性質。つまりバカであることを避けられない)

(「若さ」は、「生まれてからの日数が少ない」という意味ではない。「青い」と呼んでいた時代もあった)

というわけで

オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。


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TECHNORCHさんの大好きな

DENPA!!!というクラブイベント

は、<青年>が<鬼ごっこ>して「たのしー!!!超気持ちいい??!!」とか言ってるだけなんだよね。

そりゃ体動かすと楽しいし気持ちいいし、みんないると寂しくないよ。

でも、それをありがたがったり、高尚なものだと勘違いするのは止めといた方がいいよ。

DENPA!!!なんてクラブで踊ってわーわーきゃーきゃー言ってるだけのイベントなんだよ。

コスプレだとかオシャレとかガチとかぬるとかどうでも良くて、昔からあるただの"event"なんよ。

そう思っていたほうが、人生に失敗しないと思う。これは自分の体験から言えることなんだけど(タメイキ

んで、↓これ。

DENPA!!!のこの現象は東さんの言葉を借りれば「動物化」の典型的フロア進化


はてな」周辺でよくある『動物化するポストモダン』の誤読なんだけど、

あの本って単に「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?

例えていうと、「王将関西人ソウルフード」とか「二郎はもはや二郎という食べ物」とか

マックまじでうまい」とか真顔で言っちゃう人が増えたねぇ、って書いてあるだけ。

いっけんかっこよく聞こえるし、「データベース」とか確かに新しい概念もあるから良書なんだけど、

「消費する側」が自己肯定に使っちゃうとアウアウだよ。

まぁ、言論な人に触ってもらえて嬉しい気持ちはわかるけど、ほどほどにねって。

東浩紀さんはユリイカ紙面上で


以下は東氏に対して。

東氏は「保守論壇ネットを気にするから下らないと思って離れた」とかどっかで言ってたような気がするけど、

それはそのままユリイカ(笑)に当てはまることなんだよね。

大人なんだから、発注されても「くだらない」ものはちゃんと「くだらない」と言わないと。

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その感想は「楽しすぎる!もう普通クラブイベントなんて行けない!」なんだこの現象は、

私は回を増せば増すほどDENPA!!!という現象が面白くなってきました。


まぁ、クラブ楽しいと思えるような若い年齢の人が勘違いしちゃうのもしょうがないちゃしょうがないか。

「新しい何か」が生まれる時期には確かに「何か」がある/あったからね。

ココ・シャネルとかパンクスとかレイヴとかさ。

んでも、その「何か」つまり「萌芽」は、「余波」になっちゃうと、それは単に「消費の対象」でしかなくなる。

「数」が増えると「質」が変わるんだよ。「普通」になっちゃうの。

たとえば、

バーニングマン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3

で裸になることは確かに意味はあるよ。

でも、「みんな」が実際にフェスティバル外(社会生活)ででも裸になっちゃったら、

それは単に「服を着るより裸の方が気持ちがいいから」でしょ?

んで、DENPA!!!の話に戻るけど、TECHNORCHさんらがやってることは「もはや」単に「クラブ」というありふれた場所で

オタクっぽい」とすでに了解された格好で、「ビート」に乗せて乱痴気騒ぎしてるだけだよ。

まぁ、無理にでも意味を見出そうとすれば、いろんな解釈は可能なんだろうけどね。

(「言葉遊び」に関して、大塚英志氏とかは「シャレがマジになった」って後悔してたけどね)

(「ロフトプラスワン鳥肌とか雨宮とかをヲチするのが楽しい」と友人に語ったところ、「変な人」と言われた。もう僕は「おたく」ではない)

2008-12-14

関西人A「マクド行こうでんがな

関西人1「おう、腹減ってたやし行こうまんがな」

関西人A「わしゃビッグマクド食うでぇ」

関西人1「わてはマクドフライドおいもさんを注文するんや!」

関西人1・関西人A『ほな、行こかぁ??』

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081119030018

関西人が全て納豆嫌いでないのと同様、

「範囲が広すぎるので、一概には言えない」んでしょう。

サヨク」は、左翼蔑称であるという前提で書きますが

自分左翼だけれど、表現手法などの違いから同調できない人をサヨクと呼んで差別化する

自分はどちらでもないと思っているけれど、ウヨクだろうがサヨクだろうが極論が嫌いなので蔑称を使う

自分右翼なので、左翼をバカにするためにサヨクと呼ぶ

それを全て踏まえた上で、

リベラル連中サヨクなんて呼んでいるけれど、自分右翼って言われたら怒るんだろ?」という皮肉を言っているんだと思いますが、

右翼であろうが左翼であろうが、お互いを「ウヨ」「サヨ」と呼んで何かを主張した気分になっている人達は気にしない方が精神衛生上いいと思います。

2008-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20081117074409

関西人

住んでいるところと環境母子家庭)は同じでも、うちとは全然違う。

弟がいるのが大きいのかな?

それとも「大学」とか言って出てきたのが正解だったか。

どちらにせよ、頑張ってください。

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

2008-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20081022002946

様式美みたいな

関西の人ってあまり知り合いにいなかったから会話の内情が分からない

京都の人は数人知ってるけど彼らは関西人というより「京のお人」みたいな気がする。いろんな人の話を聞いたところ)

関東人は何となく流して何となくゆるーく会話するのが好き、みたいなところはあって、流れで笑いになれば笑うけれど、関西人はそこから力技でオチをつけるのだろうか。つけないと気持ち悪い、みたいな

その瞬間が、「なぜ?」みたいな空気がある、のかな

http://anond.hatelabo.jp/20081022000924

男女の違いもあるだろうが、むしろ地域差もある気がする。概して関西人は「落ち」にこだわる傾向があると思う。

自分も関西人だが、笑いの闘争心まではいかないにしても、いつも「笑い」というものに意識して話している気がする。

2008-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20081015173929

じぶんもじぶんも。カーディガン抜かせば全部合わせて1万円以下(靴も込み)とか

一品だけ金に糸目つけずに良いものを上手に使うと、他の物も値段が高く見えるようになるよね。

GAPユニクロベネトンセール品とアウトレットとサンプル品は上手く使うと尚安上がり。

値段が幾らまで高いといいモノが買えるというよりかは、

こんないい物をこんな安く買った!というほうが自慢。親が関西人だけあるわ。

一緒に安い自慢するのはアメリカ人の友達なんだけれども。

オサレ目覚めた最初の頃は無理して高い物買ってたけどね。今はもう無理。

2008-10-09

非モテをこじらせた

33歳、バツイチ女。どうやら非モテをこじらせてしまった模様。

なにをどうしたらいいのかわからなくて途方に暮れています。

21から29まで結婚していて、その間は当然ながらまったく恋愛に興味がなかったから

年相応の恋愛スキルが身についていないのは正直理解している。

でも、趣味を通じて人間関係を広げたり、ネットオフに参加したり、

合コンに出てみたり、語学教室に通ったり、ネットお見合いサイト?を使ったりと

ありとあらゆることを試してみて出会いはかなり多く、

男友達もかなり多いのだけどなぜか肝心の恋人ができない。

お互いに誘い合ってそれなりの期間何度もデートして、手をつないだりとかボディタッチもするのに

いざ告白してみたら(さすがにセックスする雰囲気になったら関係性を確認するよね?)

実はほかに好きな人がいるとかって断られるとかざら。ええええ、なんで??

そこで「好きだよ」って言われて信じてセックスしてもつきあうに至らなかったり。

いったいみんなどこでその人の本気度を判断しているのかさっぱりわからなくて

なんだか人間不信になりそう・・・。

結婚についてはまたできたらいいな、ぐらいには思っているけれど

いい面も悪い面も知っているから無理に結婚しなきゃとは思っていない。

少なくとも同世代の初婚の女の子ほど切迫していないからそういう重さはないと思っている。

やっぱ見た目なのかな。身長が170cm、体重は53kg。ヒールもはくし、やっぱでかいよね・・・。

体型はひょろで年相応にゆるなんだけど、まだおなかとか出ていないし節制はできているかと。

年齢的にさすがに赤文字系はちょっと痛々しいから

23区とかINDIVIとかを中心にポイントMax Maraとかを入れたりして

落ち着いた雰囲気の女らしくてきれいめの服を着るようにしている。

顔は一般ウケする感じじゃないんだどアジアンクールビューティ系で

ぶっちゃけた話をする男友達にも「美人系だよね」(決して「美人だよね」ではない)とは評されている。

年齢的にもかわいい系ってなんだか気恥ずかしいのだけど

それでもピンクとかふりふりキラキラとかに挑戦した方がいいのかな?

それともスペックなのかな。

日本の人でもたいていは名前を知っているアメリカの有名大学を出て

仕事フリーリサーチャー兼アナリストをしている。年収はだいたい800万円ぐらい。

2年ほど前にフリーに移行したおかげで年収は減ったけど時間に余裕ができるようになった。

人材として重宝されていて、手がけたい内容を選べて、自分で学ぶ時間も得られて、

正直、これ以上ないというぐらい恵まれた環境で働いている。すごく楽しい

でも、全然仕事人間じゃないよー。自活のための仕事。生活を楽しむための仕事

もちろん普段はこういうことは口に出さないけれど、

仕事を口にした時に「うさんくさい人」という反応が返ってくることが多い。

やっぱり手堅い会社に勤めて普通OLやってる子の方がいいのかな。

「おもしろそう!」ってアメリカ大学なんて行っちゃったりとか鬱陶しいだけなのかな。

でも、恋人を作るために就職するとかって変だよね?? それでダメだったら目も当てられないし(笑)

性格なのかな? 性格はさっぱり姉御風。

男女年齢問わず、よく相談事とかを持ちかけられたりして、お酒を飲みながら聞いたりしている。

関西人だからお高くとまるのは大嫌いで自分から積極的にウケを狙いにいっちゃうかも。

あー、でも関東男性には気安くておもろい女ってあんまり嬉しくないみたいだね。

デートの時はなるべく相手の話を聞くようにしている。男の人、いろいろ大変だし疲れてるよね。

適度に相づちを打ったり、質問して話をふくらませたり、共感したり、つっこんだりしていると

たいていの人とたいていの話題において盛り上がれる。

わたし自身は音楽とか読書とかアート鑑賞とかドライブとかもろインドア趣味なんだけど

自分が知らないことでも素直に興味を持っておもしろがれる性格なので

スポーツ格闘技アキバ系オタク趣味、車、経済ビジネス、グルメとかなんでも楽しい

この節操のなさがダメなの? もっとスイーツ(笑)っぽい感じにしていた方がいいのかな?

自分でも致命的な欠点と自覚しているのがマメじゃないところ。

ケータイメールとか大嫌いで、たいして内容もないメールを一日に何回も送ってくる人とかすごい苦手。

そういう場合は夜にまとめて返事しちゃう。だって日中は仕事中でしょ? 邪魔になりそうだし。

自分がされたら嫌だからなるべく男性にもしないようにしているんだけど

気になる人には毎日メールとか送った方がいいのかな?

でも、相手のことをよく知らないうちって書けることあんまりないよね。

今日は○○をしたよ」とか書いても受け取る側も正直困るだろうし・・・。

みんなそういう場合って何を書いて送っているの?

2008-08-26

近くにしまむらがない私はどうすればよいでしょうか。ユニクロはあります。(28歳・関西人

2008-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20080730233450

オチのためなら喧嘩もする。

喧嘩してもオチは聞き逃さぬ。

これぞ正しく関西人

キャリアもオタも、スイーツもハゲも、みんなみんな関西人

じぇいこんのこんはコントのこんやでー

2008-07-27

非モテであるために

あれはいつごろのことだったかな。たしか、大学二年の……夏、そう、ちょうどこんな季節じゃなかったか。

あのころ

僕は純正非モテで、学校も苦労して入ったけどすごく面白くなくて、サークルもなんかうすっぺらいやつらだな、ぐらいしか感じなくて、ひどくやさぐれていた。

丁度、ゼミ選択が来年にあったから、いろいろ調べてみたりとかしてるうちに、文系ポスドク現実なんかもちょっとずつ理解して、研究の夢が凄まじい音を立てながら雪崩落ちたのもひとつの原因だったのかもしれない。

とにかく、僕はそんな状態で、ひとり部屋にひきこもって、ずっと安売りのアクエリアスなんかを飲んでた。

カーテンはずっと閉じたまま。部屋にともる明かりはPCディスプレイだけ。そんな生活だった。

そんな僕が、あのときはてブホッテントリに上がっていたこのエントリを見たのは単なる偶然だったのかもしれない。

いつものようにOperaスピードダイアルに登録してあったニコニコ動画を見る前に、ちょっとチェックして、僕は、衝撃を受けたんだ。

そこにはまさに僕がいた。

このリスト

  1. 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
  2. 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
  3. 恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
  4. 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
  5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
  6. 「結局○○ですね、わかります
  7. 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
  8. 「女は信用できねえ!」
  9. 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
  10. スイーツ(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20080726155322

は、完全に僕の口癖だった。

ひとつ付け加えるとするならば(このために僕は特定されてしまうかもしれないけれど)僕は「恋愛は性欲と友情の合力で、馬鹿どもはそれを勝手勘違いして、崇拝しているにすぎない」って思ってたところだろう。

それにしても、これは、ひどく衝撃だった。

自分の気持ちが暴かれた気がしたんだ。そして、僕は、この試験期間と残りの夏休みを有意義に使う算段を建て始めた。

僕がとった戦略を、ちょっと説明してみたいと思う。

基本は単純だった。

  • 常に笑顔を維持する(誰に対しても)。
  • コミュニケーション意図的に図る。
    • できれば笑わせる。
  • 相手が女子の場合は徹底的にほめる。
    • ぶさいくとかそんなことは問題にしない:風評が大事なんだ。
  • 否定の語句を口に出さない。
  • なるたけ自己を主張しない。
    • 相手に話させれば勝ち。それだけでひとはきもちいい。

これだけ。

ああ、あと、適当に服には気をつかった。

成人式のために買っていたスーツを着て、僕は適当に買った雑誌を参考に、高い服を買いまくった。

ポロシャツで\15,000ぐらいしたのはほんとうに辛かった。

それで、Built to spillやSpoonCDが何枚買えるんだ。

そして、具体的な戦略に話を進めていこうと思う。

基本の戦略を守ったところで、コミュニケーションを行う相手が見つからなければ話にならないから、僕は、当時の環境を悪用する手段をとった。

試験期間を有意義に使う

試験期間は、基本的にひとりぼっちである非モテにとって苦痛の期間だった。

エレベータで一緒になったときに(僕の大学は山の中腹にあって、エレベータなどの移動手段なしには移動が辛い)、リア充とおぼしき男たちが、「試験期間なんて友人の量の差だよなー」なんてことを言ってたけれど、実際そうだと思う。

なぜひとりぼっちだと辛いのか、というと、ノートコピーがもらえないからだ。

試験過去問なんかも、友人のネットワークを介して回る。

きちんと出席なんてしてない上友人もいない非モテには、そういう意味で辛いのだ。

だけど、僕はこれを悪用しようと思った。

ようは、試験前に、30分ぐらい早く行ってすわり、ぼくは勉強ができそうな人(できれば女子)におもむろに話しかけるんだ。

そして、基本の戦略を守りながら、「前回のノートないんだ」「貸してくれない?」って依頼する。

ノートも借りれて、女子とのコネクションも作れる。割と良い案だったと思う。

何回かは失敗したけれど、六割以上では快く貸してくれることが判明した。

僕はそんなにかっこいい外見をしていたわけじゃなかったからこのぐらいだったのかもしれない。

が、何人かの女子も「試験情報共有しない?」みたいな提案にも乗ってくれて、そのあと友人として連絡をとってる人も少なからずいる。

あと、けっこう男のほうが拒否る。

とりあえず。

ここで、コミュニケーションというものは、そんなに難しいものではなかったことが判明した。

というのも、僕はもともと関西人で、無理やりハイテンション状態を維持すれば、土曜の昼に小学校から直帰して毎日食い入るように見つめていた吉本新喜劇リズムコミュニケーションをとることができたから。

女の子を笑わせることすら、修練を積んだら出来るようになったし、自分がこの娘の笑顔を作ったんだ、と考えて、少し誇らしい気分にもなったりした。

ほんとうに楽しかった。今でもそう思う。

メール電話はちゃんと返す

これは結構重要なことだった。

初めの試験の話で、何人か連絡を取る友人ができた。

何人かの女子は、これを自分が怠ったために連絡が遠くなった。後悔した。

作業に熱中している際に邪魔されるのは非常にうっとおしいことだ。だが、それで、相手が「つながっている感」を感じてくれるなら、そんなに悪いものではないかな、と思った。

当時は女子にだけ、この戦略を僕は適応した。だが、あとで気づいたが、男子にもこの考えは蔓延していたのだった。

メールは十分以内」どこかでそんなものを読んだように思うが、一度男の先輩に普通はそうだろ、なんでお前は・・・なんて、切れられたことがあった。

ふざけるなこの馬鹿、と思ったが、笑顔を守った。

サークルに顔を出す

これも、後々考えればわりと重要なことだったように思う。

回生、ということもあったので、サークルによく出席しているのは、三回や四回の先輩が多かった。

そこで、僕はできるかぎりコミュニケーションをとることを意識した。

そうすると、もともと捨てるものも無かった僕は、何かに愛着を抱き、それを守るためにキモチワルい行動をすることもなかったので(たとえば、特定の女子にたいする愛着とか)、わりと気に入られることができるようになった。

二ヶ月程度はかかったように思うが、それだけの見入りはあった。

合コンとか飲み会とかにも呼ばれるようになり、先輩の顔を立てて適当にちょこちょこ動いていると、また声がかかるようになった。

また、その合コンから、初めての彼女が僕にも出来ることとなる。

当時考えた戦略というのは、こんなところだったと思う。

今羅列してみれば、まったく練られていない、そして何がしたいのかも見当たらない、と、ダメな点は多々出てくるが、それは当時の若さに罪をかぶせ、不問に付そう。それに、それでも十分に効果はあったから。

友人、というコネクションが出来れば、非コミュの鎧はすぐに剥ぐことができた――そんなことすら、考えないでよくなるんだから。

そして、人生初の彼女というものも、それを起点にできることになる。

それからは早かった。

大学在学中に、いくつもの女性と閨を共にした。そのうちの何割かには振られたが、そのうちの何割かは振った。

就活は穴場だった。可愛い子がいっぱいいて、内定が決まっても受け続け、友人みんなで可愛い子がいるところの情報を回しあった。

こいつだけは大事にしたい、俺が幸せにしてやりたい、と思った女性に振られたときは悲しかったし、

逆に自分がそう思われていてうっとおしくなって振ったこともあった。

だけれども。

今、自分に何が残ったのか、と考えると、どうにも胸が痛い。

僕は何も残してはこなかった。彼女達にも、何も残してはやれなかった。

また、彼女達が、僕に作ってくれたものも無かった。

マフラーは6本。指輪は無数。ジッポーは3つ。セーターを編んでくれた裁縫が大好きな子もいた(そしてマフラーの半分は彼女の手によるものだ)。

だけど、僕の心の奥底に何かを作ってくれた娘は、結局誰もいなかった。

その理由は、彼女たちとのコミュニケーションが、とても上辺だけに終始したためだ。

僕は、やはり愛というものが、性欲と友情の合力であり、その生物学的に正当な劣情を、美化するために名付けられたものだという直感を拭い去ることはできなかった。

ポップ・ソングは今でも恋愛を歌っている。

それを僕達が聞く時、僕達はいったい何を思い浮かべる?

――歌手か? 俳優か? アニメーションか?

私は、自分自身の思い出じゃないかと思う。そして、その思い出は、否応なく美辞麗句デコレーションされている。

その時感じた感情は「レンアイ」に昇華され、まるで崇高だったもののように扱われる。

僕が出会った女の子達は、皆心のどこかでそういう慰めを得ていた。

だからこそ、終ぞ彼女達の中では、僕という像は、僕ではなかったように思う。

彼女達は、僕というレンズを通して、違う像を心の中に結んでいたのだ。

レミオメロン劣化コピーであり、くるりボーカル劣化コピーであり、ジャニーズ劣化コピーであり、TMレボリューション劣化コピーであり、そういう僕を通して、彼女達の理想像である幻想を。

非モテを語るあなたたちは気づくべきだ。

自分自身が作り出した、その鎧があなたの動きを緩慢たらしめていることの無意味さに。

非モテを批判するあなたたちは気づくべきだ。

自分自身の、その見えない鎧――レンアイという言葉で、または、空気を(読む|読まない)という言葉で、あいまいさを作り出し、そのあいまいさの中で自分自身を安住させていることの空虚さに。

そろそろ夜明けが近づいてきた。

願わくば、あの、昔のホッテントリエントリから長々とはてな匿名ダイアリーで続き、otsuneid:fromdusktildawnによってかき回され、ダンコーガイとココロンの参入を許し、はしごたんやハーブマイスター2008年増田論客としてデビュー)の人生をひっかきまわし、id:jkondoid:naoyaの不和までを生み出し決別させ、2012年現在に至るまで終りなく争われたあの……不利益な議論が終りを告げ、

非モテ軍とスイーツ軍の和議が、この美しい夜明けのようにもたらされんことを願って、私はここに筆を置こうと思う。

2008-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20080712213013

関西人ステロタイプで見るなと言う一方で、そのステロタイプを体現しているような芸人フィクション作品のキャラクターに対しては、

関西人が抗議したという話を聞かないんだよな。

特にそういったフィクション作品(アニメコミック映画ゲーム等)は、

関西でだけ売れてないという話も聞かないから、やっぱりそういう風に見られる事自体を彼ら自身が容認しているという事じゃないか?

http://anond.hatelabo.jp/20080712211430

なんつんだ、ハデに「関西人って」みたいなことをいう人は声が大きいけど

普通の人は関西人アレルギーも思いこみみたいなものもないと思うけど。

どっちかっていうと、関西の人は優しいしおもしろいから好きだ。

2008-07-03

ま、叩かれるのは慣れてますんで。

こちらの記事の作者です。結局、叩く人だけが残った。いつものパターンですね。そこで「書くんじゃなかった」と後悔するのもいつものパターン。ただ、この方のご意見に救われた気分になりました。

はてな」とか「文章」とか、何かがおかしいのでは無いですよ。人間ならば「冷静に読まれていたものが、ある段階から斜めからしか読まれなくなって、何を書いても悪いようにしか取ってもらえなくなる。」というのは良くある事です。何かがおかしいのではないです。

それで苦しむ事もままあります。それが普通です。

http://anond.hatelabo.jp/20080703102932

どうもありがとうございます。あそこまで憎しみを集中的にぶつけられると、さすがに落ち込みかけてきたところだったので、もう一度考え直してみる気分になりました。

なので、もう少しだけ続けてみます。

http://anond.hatelabo.jp/20080703123845埼玉神奈川?)の方へ

ご丁寧な回答を頂けたことに感謝します。相手に一度腹を立てた後でもう一度冷静になることは私はなかなかできないことなので、見習いたいと思います。

そうした差別を前提として話を進められるのは「大阪人から見た埼玉県民の抑圧されたイメージ」の押し付けに感じられてげんなりするわけです。ましてそれを材料に東京人批判をするのは「可哀想な埼玉県民」のイメージを都合良く切り取って使われているようでなお一層気分が悪い。

後半について、他人を勝手に引き合いに出したところは確かに不快と言われても仕方ないかとは思います。その点は申し訳ありませんでした。

ただ、全体として「抑圧されたイメージ」とまで言われてしまうと、そのあたりは正直なところよくわかりません。東京人埼玉人を抑圧できるほどの力を持っているわけはないからです。といいますか、私があの記事を書いたときに念頭に置いていたのは「大阪民度が低い」というようなことを平気で口にするような程度の低い人たちであって、たとえば「地方を抑圧する支配者としての東京人」なんてことを書きたかったわけではなかったので。

どうして地域による限定のない『我々は、自ら「東京人」と呼ばれたがる卑屈な人間ではない』ではなく、何で埼玉ってピンポイントに限定したの?という話をしたのです。

正直なところ、特定の知人(複数)が念頭にあったことは否定できません。もちろん、その人たちが知っている埼玉人の全てではありませんよ。ただ、「東京は中央、地方は周縁」という図式を内面化している人はどこの地方にも一部にはいるわけでして、そういう屈折がどういう風に現れるかというとこれは地域の事情が関わってくると思うのです。関西だったらそれこそボケツッコミを強要したり、とかですね。

で、そういう「悪い例」は確かにどこにでもいます。ですが、「東京に対して卑屈、他地方に対して東京の威を借りる」ような輩いえば、やはり自然東京近郊に多くなるわけですよ。その時点で埼玉千葉神奈川に絞られますが、神奈川の人は横浜川崎通勤・通学する人も多いので、例示としては千葉埼玉の二択となってしまうわけです。

そういうわけで、誤解を避けるとなれば、この箇所は「その手の卑屈な連中はどこにでもいるものだが、そういう連中埼玉千葉あたりに来たりすると、他地方を馬鹿にする割には自分が『東京人』と呼ばれたがったりするものだ。世の中には『ダサイタマ』などという心ない言葉もあるが、自分までがその言葉と一緒になって自分の街を貶めていったいどうするのだ」とでも書けばよかったのかもしれません。これほど話題を呼ぶことになると知っていれば、もう少し書き方を考えたかもしれないのですが。

そんなに袈裟が憎いですか

さて、次はこのお方。さらに邪推を深めてくださったようで、やれやれです。

そんな迷信を信じている人を「私は知らない」のです。

知らないとなればあなたが鈍感だと言っておきましょう。前にも挙げた例を再度繰り返しますが、テレビで何の断りもなく「アルタ」なんて言葉が出てきたりすること、あるいはネットで「じゃん」や「じゃね?」といった言葉を書き込みに使う人、こういう人たちがそのあたりの迷信に無自覚にとらわれているのでないとしたらいったい何なのでしょうか。

それから、テレビドラマでも漫画でも小説でもなんでもそうですが、方言をしゃべるキャラクターというのがどういう役柄を割り振られているか考えてみるといい。関西弁はがめつくて間抜け、東北弁は素朴、広島弁は不良、九州弁は武骨、ステレオタイプそのものではないですか。このような「方言は特殊なもの」という思考は、「標準語普遍」という原理を無邪気に信じ込んでいなければ決して出てこないはずです。

言っておきますが、そういう輩はネットテレビの中だけじゃないですよ。「訛ってる」云々というような言葉は私が実際に何度も言われてうんざりした言葉だから挙げているわけです。前回記事であなたは私のことを「狭い半径から得たネガティブな印象を積み上げた結果でしかないものを「東京」になすり付けている」と批判なさいましたが、それはあなたにも当てはまるようですよ。

あなたは京都大阪神戸奈良東京横浜千葉埼玉と比較して「よほど個性が強い」と言っている。

「文化や言語に優劣などありはしない」のが発言論旨なら、上記の言説と矛盾していると気づくべきなんだよ。

京都大阪神戸奈良をいっしょくたにするなと言いながら東京横浜千葉埼玉をいっしょくたにしているのは何処のどいつだ。

「個性が強い」と書かなかったら「無個性だ」ということになるという理屈が理解できません。だいたい「個性が強い」というのはこの文脈の場合「文化的差異が大きい」という意味であって、関西の四都市の文化的差異は地理環境がそれぞれ全然違うのだから当然生じるものですよ。だって、「関西」を「大阪」で勝手に代表させるな、と言っているのだからね。「東京横浜千葉埼玉が一緒くたにできるわけがないのに、どうして京都大阪神戸奈良がいっしょくたにできるのだ」という話ですよ。なんでこんなことまで、「リテラシー」を云々するのが持ち味の人に説明しないといけないのだか。

それと「関西人の傲慢さ」は実は自虐ネタだったりするって書いてるけど、それって「自分の文化を持ち込みしている」って事に気づいておこう。

わざわざ「蛇足」と断っている話を、無理に元の話とこじつけて語る姿勢が理解できません。だいたい、それが「自分の文化を持ち込み」といって非難されることだとしたら、誰も自文化について語ってはいけないことになりはしませんか。だとすればそれこそ、「中心」とされている文化への無条件的屈服を要求するものではないですか。

坊主が憎いのは勝手ですが、袈裟にまで当たり散らしなさんな。

ついでに蛇足ついでに蛇足を重ねときますが、日本人は国際舞台日本語で話すことを通常の場合許容されないのに、英語文化圏の慣習に合わせることを強要されるとしたら(アメリカンジョークで笑えとか)それは暴力的ですよね。共通語として英語を用いる場合は、日本的な話し方も許容されて然るべきです。同様に、日本語共通語で話すからといって「突っ込み待ち」のジョークを言ってはいけないだとか、ジョークを言うならば関東風のジョークにしなければいけない理由だってどこにもないんですよ。通じないリスクは背負わなければならないけど、それを文化の強要とまで言うのなら、言う方が強要ですよ。

ま、ここはあなたにとっても本筋じゃないでしょうから、ここでこれ以上あなたを追及するのはやめておきますが。自分まで相手と同じことをしてちゃどうしようもないからね。

蛇足

存在自体が蛇足な誰かさんに告ぐ。

b:id:feather_angel うはwwwどっちがテラ被害妄想wwwあと、都市名書いてますって「東京」はどうなんのwww/感情こめて草一杯生やしてみました。関西いじめんなうわーんな記事なら援護もついたろうに他を貶す方向に出るからですよw

誰が誰をいつ貶めたんや、言うてみい。

だいたいお前どこまでアホやねん。「東京」のどこが都市名やないんや。まさか行政単位東京は「市」やないとかそんな屁理屈捏ねるんと違うやろな。首都が特殊な行政構造になってんのは普通のことやろが。お前にとって「日本最大の都市」は「東京」やなくて「横浜」やったんか。「ワシントンD.C.」は都市とちごたんか。初耳やわ。

はっきり言いますが、被害妄想も勘弁してください

こちらを書いた人間です。

はてなってのはこれだから困るんですよね。冷静に読まれていたものが、ある段階から斜めからしか読まれなくなって、何を書いても悪いようにしか取ってもらえなくなる。

で、これもそのたぐいだと思うからいちいち反論したくないんですがね。いい加減に腹に据えかねてきたから言わせていただきましょう。

どこの県民にも卑屈な人間はいると思いますが、わざわざ埼玉を使った理由は何ですか。

どこでもいいのなら、埼玉が選ばれたっていいでしょう。人の言動に悪い意図があると決めつけられるのは失礼極まる下司の勘繰りです。

当事者でないあなたに「東京人埼玉県民をダサイタマと馬鹿にしている」というステレオタイプをあたかもそれが事実であるかのごとく記述されると、二重に馬鹿にされた気分になります。

あなたが東京人ならともかく、埼玉人であるなら馬鹿にされたと感じる理由がわかりません。

「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」ではなく「俺は百円ショップでまで値切るがめつい関西人ではない」だったと仮定すれば、受け取られるニュアンスの違いが分かっていただけるでしょうか。

ニュアンスは何も変わらないと思いますが。

いずれにしても、「誤解の余地を与える書き方ではあった」ことは認めるけれど、悪いようにも解釈できるからといって悪い意図で言ったと決めつけられるのは心外です。まともな解釈が可能ならまともに解釈していただきたい。

東京横浜千葉埼玉」と書くのは神奈川県に対しても失礼と思います。

これははっきりと言いがかりとしか言いようがありませんね。これは都道府県名ではなく都市名です。さいたま市を「埼玉」とうっかり変換してしまったのは誤解のもとだったかもしれないけど、私は「京都大阪神戸奈良」とも書いている。あなたはまさか、私が兵庫県馬鹿にしているとでもおっしゃりたいのですか。私が兵庫県人なんですけどね。そして神戸市民でもない。

穿った見方になりますが『四大文化圏が中心で、他の地方を周縁の文化とみなす発想』に見えるわけです。

穿った見方です。文化圏としての「規模」が大きいものを順に挙げただけ。「十大ニュース」というものを挙げた場合、ニュースは10個しかなかったとでも?

短い文章の中にこれだけの突っ込み所を残したまま東京中心主義を非難する、というのは天に唾するようなものですよ。

あなたが最初から揚げ足をとりにかかってるからです。どんな文章でも曲解は可能であって、あなた方は「こいつは傲慢な関西人だ」と決めてかかっているからそういう細かい表現にまでいちゃもんを付けるのです。だいたい、私はあの記事をホットエントリ入りを狙って推敲を重ねて書いたわけでもなく、その場の勢いで酒飲みながら書き流してアップロードして読み返しもせずだったのだから、細部まで意が尽くされていないのは私も実感しているとおりで、だからこそ補足記事を書いたのに、あなたみたいに私を意地でも避難したい方々は補足記事の方ではなく最初の記事にばかり文句を付けるのは本当に勘弁していただきたいです。本来の意図は補足記事を読め、って何度書かすんですか。

あともう一ついらんこと

あと、こちらの方に。

http://anond.hatelabo.jp/20080703085749

まず、挙げてくださった記事を見ましたが、私はその立場に同意しません。「産む機械」の例でもわかるように、邪推というのはいくらでも可能なのであって、「誤解されるのは書き手が悪い」というのは読み手の側の責任放棄だと思ってます。ましてや私は補足まで書いたのだから、責任は十分に果たしていると思う。

たぶん増田空気読み違えたんだよ。だったら素直に認めたら?関東圏のことをよく知らないのに軽率でした、って。イメージトークしてました、って。

関東の中の細かい地域性についてほとんど触れていないのに軽率も何もあったもんじゃないでしょう。自分が「東京出身です」という埼玉人は少数ながらいますよ。少なくとも大阪人のうちのヤクザの比率ぐらいはいるんじゃないですかね。どっちにしても、ブックマークとかで見てる限り当初の反応は好意的なものが多かったわけだし、最後のほう批判的な論調が増えたのは「こいつは馬鹿なことを言っているに決まっている」とか「ホットエントリだから周到に推敲されたもののはずだ」という誤解の産物の集積物だと思ってます。というか、書いた記事がホットエントリになってしまうときってだいたいそういうことになるし、他の人の記事を見ててもだいたいそうなるから(トリアージ騒動とかその典型でしょ)、これはそういうもんだと思ってますが。

その点で「空気読み間違えた」とは思ってない。空気の側が変わっただけです。だいたい、私は「空気」に文句付けようと思って書いてるんだから。

そりゃまあ、元記事を「典型的な傲慢な関西人がクダ巻いてる」と思って読めば、突っ込みどころはいくらでもあるでしょうよ。正直、そんなことまで責任は持てません。法律家が仕事で書いてるんじゃないんだから、色眼鏡で見られても誤解されない文章を書く義務も意志もありません。

http://anond.hatelabo.jp/20080702211409

いいぞ、もっとやれ!

でもとりあえずこれ読んだらどうだろ

http://anond.hatelabo.jp/20080627165405

実際に「ダサイタマ」って言う人はあんま見たことないんだけどな。せいぜい自虐ネタにするくらいでしょう。そもそも「東京人」というのも相当に違和感がある言葉だよ?ベタ漫画に出てくる関西人キャラクターしかいわない。

だからそもそも「埼玉県民」というラベル存在するかどうかがまず疑問なわけです。関西でたとえるなら、「京都人」が「滋賀人」を馬鹿にするように東京の人は埼玉馬鹿にしない、っつーかそういう意識はあんまりないんだと思うよ?つたわるかな?もちろんそれも「一部の京都人」の話だけど。

たぶん増田空気読み違えたんだよ。だったら素直に認めたら?関東圏のことをよく知らないのに軽率でした、って。イメージトークしてました、って。

うーん、やっぱ、でも、いいぞもっとやれ!と思うのは、僕が自虐的な埼玉県民だからかも。

ミイラ取りはミイラフラグ

http://anond.hatelabo.jp/20080702211409

とりあえず気になった点を幾つか。

この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。

それは結構なことですが、でしたら埼玉県民をいちいち例に使う意味が分かりません。『我々は、自ら「東京人」と呼ばれたがる卑屈な人間ではない』とでも言えばよいではないですか。どこの県民にも卑屈な人間はいると思いますが、わざわざ埼玉を使った理由は何ですか。せめて、「埼玉県民は卑屈」という全国的なコンセンサス存在するならまだ諦めも付きますが、そのような話は寡聞にして聞いたことがありません。

それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。

とまで書いているのだから、埼玉馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。

当事者でないあなたに「東京人埼玉県民をダサイタマと馬鹿にしている」というステレオタイプをあたかもそれが事実であるかのごとく記述されると、二重に馬鹿にされた気分になります。その上、埼玉県民をダサイタマと馬鹿にするような東京人に自分は会ったことがありませんし、伝聞でも聞いたことはありません。このようなステレオタイプに基づいて話をされるのが嫌だ、というのはあなた自身も仰っていることだと思いますが。

たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。

この追記にある比喩は不適当と思います。「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」ではなく「俺は百円ショップでまで値切るがめつい関西人ではない」だったと仮定すれば、受け取られるニュアンスの違いが分かっていただけるでしょうか。

だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都大阪神戸奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京横浜千葉埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。

抗議があった埼玉県の話にしか気付いておられないようですが、「東京横浜千葉埼玉」と書くのは神奈川県に対しても失礼と思います。自分達が中心で、他の地方を周縁と思っている、文化の違いを理解せずに一緒くたにしている、と東京人間を非難しながら、あなた自身が他県の文化はおろか県名すらきちんと理解していない、という状態は見ていてあまり気持ちの良いものではありません(こうした間違いは人間には付き物だと思いますが、あなた自身がそういう「無邪気な発想」を非難している以上、こうした「無邪気な間違い」を見逃すことは出来ない相談です)。そもそも、関西を一緒くたに認識する人の批判をする文章中に、関東を一緒くたにする記述が見られるのはかなりグロテスクに見えます。その上もう一つ付け加えると、「京都大阪神戸奈良という関西の四大文化圏」という言葉からは、逆説的にその他の関西の文化を軽く見ていることが窺えます。穿った見方になりますが『四大文化圏が中心で、他の地方を周縁の文化とみなす発想』に見えるわけです。それって、あなたが批判している東京人の姿とロジックにおいてどう違うのでしょう?(程度の問題だと仰られるかもしれませんが、下に見られた県民にしてみれば同じことです)

これらの記述を見る限り、あなた自身、東京中心主義に凝り固まった人々と同類項でしかないと思います。短い文章の中にこれだけの突っ込み所を残したまま東京中心主義を非難する、というのは天に唾するようなものですよ。日記趣旨(ある都市の文化を「正しい」「当然」と思い込む発想への批判)には首肯する部分が少なからずあるのですが、当のご本人が無意識に同種の行動を取られているのはとても残念に思います。

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