はてなキーワード: 関西人とは
日本のような排他的な文化圏においては、製品・サービス・文章を提供する場合に、顧客層を明確に設定して
提供することによって、「嫌われないようにする」ことが非常に大切である。「好かれるようにする」ことも
大切ではあるが、「嫌われないようにする」こともかなり大切だということである。
マーケティングの方法論に顧客をいくつもの層に分割して、ターゲットにする層を決定するというものがある。
文化集団どうしの排他性が強いほど、このようなターゲッティングは重要になると思う。なぜならば、
製品・サービスを作る際に、集団A向けであるだけでなく集団B向けにも作ってしまうと、集団Aの人が属性Bを
嫌うかもしれないし、集団Bの人が属性Aを嫌うかもしれないからだ。例えば、関東人と関西人は互いに嫌いあう
傾向があるので、関東向けなら関東向け、関西向けなら関西向けというふうに区別することが重要だろう。
また、文章を書く時も特定の読者を狙って書くことが大切である。例えば、ブログを書く時は、mixi的なノリの
文章とはてな的なノリの文章と2ch的な文章とを混ぜて書いてはならない。そうすれば、mixi, はてな, 2chの
何か一つでも嫌われる要素があったら、それだけで読まれないブログとなる可能性があることを念頭に置こう。
嫌われないためには、嫌われうる属性について詳しく日頃から知っておく必要がある。積極的に、いろんな
層の人間の感じかたや考え方について学ぶことが有効だ。そうして学べば、世の中にはじつに多様な層の人間が
共存しているということが見えてくる。人間を分類するやり方は無数にあり、それらの分類をうまく組み合わせる
ことによって、ピントの合った製品・サービス・文章の提供が可能となる。例えば、集団A∩Bに属している顧客
に向けて、属性AとBを持つ商品を提供する場合に、A∩Bの人が嫌うような属性を込めないように配慮することが
出来るようになり、より多くの顧客を獲得できるようになる。
この時、注意しないといけないのは、広い層をターゲットにしすぎると、その層において典型的に見られる嫌いな
属性というのがハッキリ定まらないし、逆にあまりにニッチな層を狙いすぎると、制作コストに比して獲得顧客数が
少なくなって利益を得ることが出来ない、という事である。そのあたりのバランス感覚と、格好の顧客層を見つける
観察眼・調査能力が必要である。
心配するな
あの涼宮ハルヒの憂鬱でさえ持ってた悩みとほとんど同じじゃないか。
古今東西、昔も今も関東人も関西人も、たいてい悩むことだ。悩んだ事が無い奴は逆に悩まなかったことを悩め。
たいてい、世界が回っているのに合わせて回っていれば、そのうちそんな欝も無くなる。時間の問題だよ。少なくとも自分はそうだ。適当にやっていれば人生の目的も見つかってくる。寝る間も惜しむ、人生時間が足りない、と思うくらいな。
あえて言うなら、与えられた環境では何も見つからない。一年くらいニートしててもいいが、家庭内ホームレスは屋外ホームレス同様ろくな仕事に就けなくなるぞ。なんでもいいから仕事してみろ。新聞配達とか。
確か、新聞配達で金貯めて自費でアメリカ留学してIT系だかの社長やってるって奴の話を聞いたことがある。とりあえず新聞配達してみろ。
疲れてる時、気づいたら言葉の頭に「なんか」を付けてます。
子供の頃からの口癖だったけど、気付けば直ってました。
でも、頭がボーッとしてる時は無意識に付けちゃうんでしょうね。
「なんかさ、聞いた話なんやけど実は○○君が~」
「なんかよく分からへんけど~」
といった具合。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1424249504
良い印象ではないですね・・・。
確かに聞き苦しいところも、自分で言ってて感じます。
上京して5年経ちますが、
関西ではよくある言い回しだったりしたのか、
子供の頃を思い出してるだけなのか。
まぁ、子供の頃を思い出してるだけだろうけど、
多いんじゃないかなーとも思ったり(`∀´)
この前東北や九州出身の何人かと飲んでいて、彼らとは話が合わない・理解できない点があることに気づいた。例えば、東京は地下鉄の乗り換えが複雑だとか、人がいっぱいいて繁華街がすごい、などの地方出身者にありがちな話である。
京阪神都市圏(≠関西人)出身の自分にしてみれば、大阪の鉄道網で慣らされていたので
地下鉄に乗る際も意識することはなかったし、繁華街の話にしても、梅田の人の多さが日常であったので新宿や渋谷に行ってもそれを気にするようなことはなかった。
しかし、彼らに「新宿も梅田も似たようなもんじゃん」という話をしても多分通じないんだろう。そう思って僕はただ頷きながら彼らの話を聞いていた。
日常で、あるいはネットで都会・田舎論が語られるとき、東京圏と地方圏のみがクローズアップされ、京阪神が忘れられがちになっていることが面白くなかったりする。
マナーの悪い高齢者 : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0422/236068.htm
はてブやY!ニュースを見てると、半年に一回は似た内容の記事が出ると思う。もっと高頻度かも。
マナーが悪いのを注意したのにキレられた
→世の中変な人が多い
→マナーが悪い人は他にもこんなのが居るよ
→世の中悪い人だらけ
って陰鬱なオチが多いと思う。
キレられたこともキレた事もないけど、
人に迷惑をかけてなければOKだと思うんだが、注意する側の人って「みんなが迷惑してる」とか
「公共のマナー」に反するとか、主語があやふやだと思う。何がしたいのか分からない。「音漏れが
うるさくて読書(考え事|会話)に集中出来ない」とか「俺の嫌いなヒップホップを耳元で鳴らすな」とか
なら「すみません」って気になるんだけど。困ってる人の代弁者のつもりなのか条件反射なのか自分
を主語せずにやんわりと言ってるのか。どちらにしてもマナーが云々って言われてもしっくりこない。
僕が見る注意って恫喝とかマナー違反だから止めなさい的な入りが多いと思います。
よく子供を叱る前に「どうしたの?」って聞きなさいって言いますが、あれです。
上記の小町のお婆さんの例だと、超腹が減っててしかも我慢すると血糖値が下がって倒れちゃう病気で
思わず我慢出来なかったのかも知れないわけで。「急いで食べてるけど大丈夫?」とかってなぜ言って
あげない。迷惑をかけてる側も意図してるわけじゃなくて迷惑かけてることに気付いてないかそれ相応
の理由があるわけで。まぁ「俺は普段我慢してるんだからお前らも」ってもあるかもしれないけど各々
自分の良心で判断してるわけで。立派だけど他人に強制するもんでもないと。
東京とか都会って1日に百万人とかの人を目にするわけですよ。電車でもホンの10分位だけど、同じ空間
にいても目も合わさないし挨拶もしないわけです。まるで空気の様に居ないかのように扱う。100歩譲って
都市生活にとってしょうがないことだとしても不自然だなぁ、考えようによってはコントだなぁって思い
ます。
そんな見知らぬ人が会話を交わす基本形が「注意」や「恫喝」なんて寂しすぎませんか。超変人で空気読
めない人だと思われるかもしれないけど、迷惑を被ってる人が居たら会話をしてみるのはどうでしょうか。
イメージとしては陽気な関西人もしくは孫悟空とか昔のアニメの主人公。実際、そういう人が居たら
超カッコイイと思うんだけど。
こういうキャラ設定一つで生活が楽しくなると思う。
* 関東へは当人の意思でやってきている。
* 関西弁は全然喋れない。関西の土地勘やローカルな文化の素養もゼロ。関西の知人友人もいない。
* 戻ろうと思えばいつでも関西に戻れた時期が長く続いていたが、結局なんだかんだと理由を付けて戻らず今にいたる。
* それどころか、家族や親戚を関東に呼び寄せたりもしていた。
* 何十年も前からことある事に自慢げに語っている。関東の悪口もセットで。
そんなやつ山程いるじゃん。
本籍を関西のままにしてたり、
東京は飯がまずいってずっと言い続けたり、
そんな関西人を見たことないのかね?
どこにでもあることなんだよ、こんなことは。
君が在日というくくりでひどく特殊なことに思いこんでいるだけで。
そもそもその根拠矛盾があるよ。
当人の意志でやってきている一世は朝鮮語がしゃべれたろうし、文化の素養もあったろう。
二世以降は自分の意志とはいえまい。
その辺をぐちゃぐちゃにして語っても、何の意味もない。
もうちょっと想像力をつけようね。
みんな大好き英語の話。
たまたまこれとか見てて思ったんだけどさ。あとはてなでも定期的に英語出来そうに見える言い回しとか流行るけどさ。そもそも聞けないとどうしようもないよね。
日本人の英語でネックになるのは、圧倒的に、話す能力よりも聞く能力だと思う。話す方はさ、そんなに通じないってことはまずなくて、そりゃいくつかLとRとかTHの発音あたりが原因で通じないってことはあるけど、逆に言えばそんなん数えるほどで、大抵は通じる。通じなかったらその時点で日本人の陥りがちなポイント(上に書いたLとRみたいなの)を注意して言い直せばOK。どうせ他のノンネイティブだってお国訛はバリバリあるし、誰もそんなこと気にしちゃいない。関西人が東京行っても関西弁を押し通すノリでカタカナ英語(抑揚が英語風でないという意味で)で話しててOK。ゆっくりはっきり言えばちゃんと通じる。
でも聞く方は全然聞こえない。話す方が10割のうち9割なんとかなるとしたら、聞く方は10割のうち1割しか出来ない感じ。完全に逆転。1割って、はっきり言って全然分かんないってことだから。こういうのって俺だけ?TOEIC/TOEFLのリスニングセクションとかNEWS英語あたりがかなり聞き取れるようになっても(こうなるまでにも、ものすごい時間かかってるわけだが)、実践では全然使えない。相手がかなりゆっくりはっきり特別に話してくれてようやくコミュニケーションとれる感じ。自分以外の人達の会話を理解することは殆ど出来ない。これって毎回屈辱。相手する側も、俺が喋る英語のレベルと聞き取れるレベルに違いがあり過ぎて毎度びっくりするようだ(だから喋りが出来てないってことはないと思う)。
耳からインプット出来ないので当然上達も遅い。正直、何年も英語に費やしてるけど、全然出来るようになる日が来る気がしない。もう英語圏では耳が悪いってことにしようかとさえ思う。これ、無理矢理留学とかしたらなんとかなるんだろうか。留学経験者のみなさん、どう?そのへん。
どうも、いわゆる英語ペラペラ幻想っつーのか、英語風のイントネーションなんて対日本人向け英語出来る人武装として有効なだけで、実践的にはあんまし必須じゃないよね。そりゃ語学そのものが仕事な人とか、上のレベルになったらそれが自然なんだろうけど、その他大勢にとってはどうでもいい(優先順位が低い)。偉い先生でも専門家でも、ベタなカタカナ英語で堂々と話してるよ。他国のノンネイティブだってみなそう。
つーか俺の疑問はこうだ。そんな自然な言い回しとかイントネーションとかが問題になるほど、みんな聞く方はパス出来てるのか?そんな先を行ってるのか?こんなに聞くのに苦労しているのは俺だけなのか?
PS このエントリのポイントは、話す能力と聞く能力のバランスです。イントネーションも自然な言い回しも否定しませんが、もっと先にやることがあるだろうと。
彼とは就職活動の時に知り合った。
Hは出会ってから3か月ぐらいでした。
Hしてから付き合おうということになった。
いまだにお互い苗字にさんづけで呼び合っている。
彼が同い年だったら君づけだったかもしれないけど、院卒で2つ上なのでさんづけ。
彼に対しても常に「ですます」調である。メールでも。
彼は初対面の時はですます調だったが、ほどなくしてタメ口になった。
「タメ口でいいよ」と言われたが、できない。
面白いのが一人称。
男友達や家族に対しては「俺」だが、女性に対してはそれは言えないという。
私に対しても「僕」が基本で、感情的になると「俺」になることもある。
メールでも「僕は・・です」調。
二人称。
基本お互い「あなた」。
たまに「俺・・・やねん」とかぽろっと出てくると、「おっ!」って新鮮になる。
追記:
「Hしてから付き合おうということになった」とのことですが、
グレーゾーンの期間が数ヶ月あって、それから正式に付き合おうと約束しました。
だからかも?