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はてなキーワード: 検察官とは

2009-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20090306024101

じゃあその検察バランスは誰がとってくれるわけなんだぜ。

今のところ無敵に見えるが。

検察官で捕まったやついるか?

2009-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20090228053248

本来は生活保護がそうであるべきだが

というなら、

司法試験経済の問題も半分くらい入れ

てもしょうがない。生活保護の基準を決めてるのは役人政治家だから。刑務所での生活レベルもそう。裁判官/検察官/弁護士が決められるものではない。

で、国家一種の試験には経済ってもう入っているんじゃなかった?

2008-08-31

あたしはブスだから・・・・・・・男に好かれるためには、男の言いな

p72

「あたしはブスだから・・・・・・・男に好かれるためには、男の言いなりになるしかないんです」

 検察官が頬であざわらった。女性書記官が思わず顔をあげ、小田佳苗の顔を直視した。

「男に捨てられないためにも、・・・・・・、

 だから、あたしは男の言いなりになるしかなかったんです。

 だから、だから、男の言うなりにクスリを打ちました。

 あたしブスだから・・・・・・」

「すごい裁判官検察官ベスト30―東京地裁で3000回傍聴している私が選ぶ 弁護士もイケてます」より

 悲しいなぁ・・

2008-04-13

光市母子陵辱事件の判決

4月22日に出る。

誤った情報が出回っているのを見たので走り書きながら解説。時間が欲しい。

最高裁によって高裁差し戻された場合、高裁では最高裁論理に拘束されて判決を書く(裁判所法4条)。

最高裁では「この事実関係なら死刑にすべきだろ常識的に考えて。死刑を酌量すべき事情をもっと審理しる。」という判決だった。

したがって、特に死刑を酌量すべき事情がない限りは死刑にすべき、という点で拘束される。

なもんで弁護側の主張も、この特に酌量すべき事情についての点のみに集中していたわけ(ドラえもんがどうとか)。

すると、判決中にあの数々のアホらしい主張についての判断が載ることになる。これは読みたい。

著名事件の場合、最高裁HPに行けば判決文を判決当日から読めるっぽい(11日の住居侵入の上告審判決文がもう出てる)ので、

ドキドキしながら待つと良いと思う。

んで、判決が出ても2週間は上告期間があるので確定しない。2週間過ぎれば確定。

まあ死刑なら弁護側が、死刑じゃなかったら検察官が上告するんだろう。

差し戻された場合でも、もちろん通常通り上告することは出来ちゃう。のでまだまだ本村さんの苦悩は続く。

複雑な事案だと、3回目の上告審、なんてのもあったりする。

上告審でも死刑だった場合、再審という手段があるけど、画期的な新証拠でもない限りほぼ認められない。

再審って三審制っていう制度の例外なんだから、よほどの事じゃない限り認められるモノじゃないんで。

2008-02-26

落ち度を責めたがる人

香港俳優エディソン・チャンがH画像流出の責任をとって引退するという宣言をした事件のこと。

この件は、盗撮ではなく、あくまで当人同士が合意の上で撮影した画像に関する事件だ。

しかも流出の原因は、パソコンを修理に出した際に、ハードディスク内に保存していた画像が持ち出されたというもの。

非は完全に、画像を持ち出して流出させた人間にある。

エディソンは、画像の扱い方が迂闊だったと謝罪しているが、一般人なら壊れたパソコンを修理に出すのはごく普通の話だろう。

彼も、一緒に写真に写っていた相手も、一方的な被害者だ。

にも関わらず、本件では、合意の上でそのような写真を撮影したことが「落ち度」として非難される理由になってしまっている。

一緒に写っていた女性バッシングを受けている。

なぜ、明らかな被害者バッシングを受け、謝罪会見を行わなければならないのか。

思うに、こういう場合に「落ち度があった」と責めたがる人は、本当はその「落ち度」とされる行為をしたいけど我慢しているか、もしくはその行為を「落ち度」であるということにしてつけこみたいという人なのではないだろうか。

「落ち度」とされる行為に対して特に興味も関心もなく、したい人はすればいいのではないかと考えているような人であれば、わざわざ指摘して責めるモチベーションを持たないように思える。

ナンパについていくような女は強姦されても仕方がない、と考えるのも間違いだ。ナンパも暫定的ではあってもあくまで合意のある関係であって、強姦とは一線を画す。ある意味、そういう信頼関係があるからこそ、成り立ってる文化だから。そういう文化の中では信頼できると思った相手についていくのは別におかしな行為ではない。そういう文化に馴染まない人からみたら奇異な行動に見えて、だからこそ余計に批判の対象になるんだと思うけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20080216134216

 この事件で検察官はこう主張しています。「被告人はそもそも売春行為を業としており、被告人にとっての抵抗感というのは……通常の女性が見知らぬ男から同様の行為を受けた場合とは質的にまったく異なるものである」

 つまり、ナイフで切られ縛りあげられ、身の危険を感じるような暴行を受けたときも、貞淑な婦女とそうでない女では感じる恐怖心も違うだろうというわけです。

 また、一審の判決では、「いわゆるホテトル嬢として見知らぬ男性の待つホテルの一室に単身で赴く以上……あえて被害者の求めに応じてホテルに赴いたという意味では、いわば自ら招いた危機と言えなくもなく……」と述べられています。

第41回 レイプ被害を考える その4 被害者なのに「貞操」が問われるなんて。「池袋事件」は、あなたへの差別です - オンナの技術 | カフェグローブ

2008-02-17

鳩山法相冤罪発言

これを冤罪とすることはやめたほうがいいと思う。

マスコミは、捜査機関を叩きたいから「冤罪」というセンセーショナルな単語を使う。

しかし、冤罪とは本来「無罪の人が有罪とされる」こと。

今回は「無罪の人が無罪と明らかにされて」って事件。

裁判プロセス無罪の人が無罪と明らかにされるのは司法プロセスとして正常。

現在司法は、有罪率が高すぎると言われている。

有罪率が高いと、弁護人となる弁護士は減るし、裁判官の心証も有罪に傾く。また、検察官捜査機関が得た「有罪」という心証を確認する場が裁判所であると認識し、無罪のとなる事件を起訴することが評価にひびくと考える。

すると、正常な、裁判所裁判するということが行われなくなってしまうのだ。

司法改革、特に裁判員制度は、法廷での裁判を再構築するために進んでいる。

てか、マスコミ司法改革には賛成なのに、それを基礎とする考えに反対ってのはちょっとどうかなって。

もちろん無罪の人が裁判に巻き込まれるのは良くないが、司法システムは、無罪の人がいることを想定して「無罪」を用意している。

補償も少ないながらある。

それより、司法システムによる社会の安定を私達は望むのだと思う。

2008-02-02

裁判リテラシー講座第五回 証明って? 証明責任って?>

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回

コンセプトは、ニュースなんかで裁判の話が出たときに、そのことをきちんと理解して、

その内容を適切に評価する能力の涵養、です。回を追うたびに長文化してすいません。

今回は「証明責任」を取り上げます。「証明責任」というと、法律とは関係のない議論でも使われますね。

「大虐殺がなかったというのは、否定派が証明責任を負うはずだ」「いやいやそんなのは悪魔の証明だ」なんつって。

また、「証明責任」とか「立証責任」とか「挙証責任」とか「主張責任」とか、なにが違うのかよく分かりません。

ここでは、「証明」の概念について簡単に触れてから、これらについて説明したいと思います。

証明

裁判では、当事者が証拠を提出しお互いに事実を主張立証して、権利を(民事)、無罪・有罪を(刑事)得ようとします。

そして、証拠により証明された事実を元に裁判所は判断することになります。

では、証明ありとされて事実があったとされるのはどういう場合でしょう。

法は自由心証主義を定めています。裁判官の心証、つまり理性を信頼して、それに頼っているのです。

かつては法定証拠主義といい、たとえば二人以上の目撃証言があれば有罪、などとしていましたが、

いきおい虚偽な証言や拷問が入り込んでしまったという経緯があるのでこのようになっています。

裁判官の理性のみに頼っていると聞くと、「だからアレ判決が出るのだ」などと思われるかも知れません。

しかしながら、我が国では裁判官にはハードキャリア制をしいていますし、

前例の積み重ねに頼る面もあり、アレ判決は上訴審でも争えることを考えればこの批判は当たりません。

このように理性のみで証明ありなしを判断しているのですが、民事と刑事ではその意識レベルに差異があります。

刑事では、憲法の要請である適正手続を図る必要があるので「合理的な疑いを容れない程度」の証明が必要です(例外もあります)。

感覚で言えば9割かそれ以上あると確信している状態でしょうか。(このような割合を証明度といいます)

一方、民事ではそのようなものは働かないので、7??8割くらいの証明度でよい。

裁判官の経験が培ったカンを、証明度などと客観的に推し量れるものではないのですが、観念的にはこうなります。

以前お話しした民事と刑事が交錯する交通事故の事件では、

刑事では無罪(あるいは起訴を断念)とされたのに、民事では損害賠償が認められた、なんていうことがよく起こります。

これは、まさにこの証明度の差がもたらすものと言えるでしょう。山形マットいじめ事件でも同様なことになっています。

ともかく、証明ありとされれば、事実を認定し、証明なしとされれば事実を認定しないのが裁判所の取り扱いです。

証明責任

では、証明ありかなしかはっきりしない場合(真偽不明、ラテン語でノンリケットという)はどうなるでしょうか。

「どっちにも認定できないので裁判官は何も判断しません^^」というのもひとつの手ではあります。

しかし実際の事件で、確実に認定できる事実なんてさほどないわけで(全部出来るのは神様だけ)、この手は非現実的に過ぎます。

そこで、現行法では、「証明責任」という概念を導入しています。

「ある事実が真偽不明となった場合に、判決においてその事実がないことにされるという当事者不利益」です。

要するに、真偽不明となった場合には、一方の当事者にその事実なしという不利益押しつけてしまおうというものです。

ここで、「証明責任」というと、なにやら「証明しなければならない責任」という風に読み取るのが自然な感じがします。

ですが、「証明責任」を負った当事者、つまり真偽不明のときに不利益を受ける当事者は、別に法が証明を義務付けているわけではありません。

ただ、不利益を被ることによって威嚇して、証明をがんばらせようと仕向けているだけです。

証明しなくてもいいが、自己責任で。ってやつです。

で、問題となるのが、どちらの当事者に証明責任、つまり不利益押しつけるか。

一応証拠を提出したのに証明なしと同じ効果をもたらすというのですから、押しつけられた方はたまったもんじゃありません。

どのように折り合いをつけているか、まずは刑事の場合をお話ししましょう。

刑事の場合は、どこかで聞いたことがあるかも知れませんが、「疑わしきは被告人利益に」という原則があります。

(「疑わしきは罰せず」と言われることもありますが、より広く、「被告人利益に」とするのが正確です。)

真偽不明はまさに「疑わしき」に該当しますので、被告人利益に、つまり検察官不利益になります。

したがって原則として検察官側が証明責任を負います。

例外として話の種になりそうなのは、児童福祉法60条3項における不知に関する無過失の証明があります。

平たく言うと、児童とエッチ行為した人が「児童とは知らなかったんです><;過失はないんです><;」という証明です。

ここでも被告人利益なっちゃったとしたら、言ったモン勝ちになってしまいますよねえ。ということで例外にされています。

続いて民事の場合。

民事では、刑事のような大原則があるわけではないので、様々な説が唱えられています。

通説的な見解で、実務上も基本的にこれによると見られる説が、「法律要件分類説」です。

これは、法律にどう定められているかで判断するものです。

基本的に法律は次のように定められています。つまり、

「権利の発生については、それを主張する者が証明責任を負う。

権利の障害・消滅・阻止については、権利の存在を否定する側が証明責任を負う。というものです。」

たとえば、売買代金を請求する原告は、売買契約の発生について証明責任を負います。

一方で、これに対しすでに払ったと主張する被告は、すでに払ったこと(弁済)について証明責任を負う、というわけです。

また、よく法律にある「但し書き」については、権利を障害するものなので、本文の証明責任を負わない方の当事者が負うことになったりします。

この考え方は、硬直的に過ぎて、たまに不都合なことがあったりします。

なので、法自体が、あるいは解釈によって、証明責任を転換する場合があります。

こっちに証拠が全くなくて相手方に証拠がある場合には相手方に負わせてもいいですよね。

また、消極的事実の立証を求める「悪魔の証明」となってしまう場合には、基本的には存在を主張する者が証明すべきです。

このように、立証の難易度に応じて証明責任を分配する説を「実質的分配説」と言います。

実務ではこの考え方を補充的に用いています(たとえば準消費貸借契約における原契約の成立について)。

ここらへんの話は、「大虐殺がわーきゃー」という議論にも応用できるかも知れませんね。

主張責任

では主張責任とはなんでしょうか。

「ある事実訴訟に上程されない場合に、判決においてその事実がないことにされるという当事者不利益」です。

裁判所では、当事者の言わないことはなにも判断しないのが原則なので、こうなります。

これを弁論主義といいます。裁判官はどちらの味方にも立たず、あくまでジャッジとしての役割しかしないということですね。

ここでよく考えてみると、「証明責任」に包摂されていることに気づきます。

つまり、ある事実があると主張する者は、その事実について証明ありとしなければならない(証明責任)んだから、

当然にある事実訴訟に上程しなければならない(主張責任)ってことです。

このように、民事では完全に一致します。

刑事においては、例外が発生します。

たとえば、正当防衛があったということは、被告人が主張すべきです。

なぜなら、検察官に毎回、「正当防衛ではない」「緊急避難ではない」などという主張を強いるのは負担が大きすぎるからです。

もちろん、正当防衛が明々白々な場合は検察官がその不存在を主張すべきでしょうが、そもそも起訴されないと思います。

まとめ

裁判では、裁判官の理性により、証明ありなしを判断する(自由心証主義)。

刑事では適正手続の要請から証明度が高く、民事と判断が分かれる場合もありうる。

証明責任は、証明する義務ではなく、証明出来なかった場合に負う不利益(が誰に行くか)。

刑事では「疑わしきは被告人利益に」から原則検察官が負う。民事では法律の趣旨をベースに立証の難易で修正。

主張責任はほぼ証明責任に包摂される。

なお、上では「証明責任」と「主張責任」の語しか使いませんでしたが、実は用語についてはこのようにごちゃごちゃしてます。

証明責任=立証責任(主に民事)、(実質的or客観的)挙証責任刑事

主張責任(主に民事)=(形式的or主観的)挙証責任刑事

学者が好き勝手に使っているので混乱してます。普段は言葉遣いにうるさいくせに、まったく感心できません。

2008-01-20

ばあちゃんがしんだ・・・

1月9日休み

母ちゃんからメールが来る。

「ばあちゃんが なくなった」

79歳・・・。突然だった。ほんとに突然だった。

つい一週間前の正月にひ孫連れて会いに行った時は、普通に元気にしてた。

それまでも1??2ヶ月に1回は会ってたんだけど、その時はなぜだかいつもよりたくさん会話した。

「13日は孫(オレから見たら従妹)の結婚式があるね。

久しぶりの孫の結婚やけん、楽しみやろ???

寒かけん、風邪ひかんよーに気をつけんばよ??。」

そんな事を言って、その時は帰った。

・・・まさか、それが最後になるとは思ってもなかった。

2年半前には、じちゃんが亡くなった。

じいちゃんは長い間病気で、いつ死んでもおかしくない状態だったから、それなりの覚悟はできていた。

じいちゃんが居なくなったら、ばあちゃんも弱ってもしかしたら・・・。

っていう周りの心配をよそに、ちょっとボケが進んだくらいで、元気だった。

補助なしの二輪自転車に乗って買い物に行くし、広い家で一人、ご飯作ってお風呂入って、生活してた。

老人ホームや周りの人間からの世話を嫌がっていたので、1日に1回くらいで誰かが様子を見たりしていた。

オレが親にも会わせた事のない彼女を連れて行った時、

オレの元嫁と間違えないように一生懸命名前を覚えようとしてくれていた。

たまにボケてて、完全に間違えてる時もあったけど、ばあちゃんの優しさに応えるため、

ばあちゃんの笑顔を曇らせないため、オレ達は気付かない振りしてた。

じいちゃんが亡くなった時、一番残念だったのは、ひ孫に一人も会わせられなかった事だった。

あと4ヶ月待てば、オレの次に結婚した従妹が初めてのひ孫を産んだのに・・・。

でも、ばあちゃんには一人だけだけど、ひ孫に合わせることができた。

「会いたい、会いたい。」って言うからヒマさえあれば連れて行って一緒に遊んでもらってた。

ひ孫もすぐになついて「ひーばーたん、ひーばーたん。」と言ってた。

ばあちゃんの喜ぶ顔を見て、周りも安心していた。

「まだまだ、いっぱい遊んでやらんばね!」

そんな矢先の突然の不幸。。。

死因は「急性心臓死」。

少しだけ心臓が弱かったばあちゃんは、9日の朝6時頃、一人でご飯を食べている時に倒れた。

最初に発見されたのは、10時過ぎに長男が様子を見に行った時・・・。倒れてから4時間も経っていた。

その時には既に息はなく、救急車が来ても応急処置をすることなく「死亡」の通告。

一人だった事から、事件の可能性もあるとして、警察官やら検察官やらが来て、調査する。

その間、1時間以上ばあちゃんはその場に倒れたまま。

結局事件性はなく、急性心臓死と診断される。

その日の夜。

仕事を終えたオレはばあちゃん家に向かった。

家族や親戚はもう帰った後らしく、オレの親だけが残っていた。

「みんな驚いていたよ。」

そりゃあそうだろう。オレも驚いている。

というか、未だに信じられない。実感がない。

布団の上にいつものように横になっているばあちゃんの顔には白い布が被せられている。

けど、それを見ても実感できない。

ゆっくり布をめくってみる・・・。

既に死化粧された顔は、白く綺麗だった。

手で頬に触れてみると冷たい。雪のようだ。

けど、それでもまだ実感できない。

ただ寝ているようにしか見えないくて、涙もでてこない。

本来ならその日にお通夜、翌日に告別式となるのだけど、

10日が友引だという事で、10日がお通夜、11日が告別式になった。

翌日10日。

どうしても仕事を休めなかったオレはいつも通りに出社。

なんとか定時に終わらせてお通夜に向かう。

通夜とか葬式をする時には、遺族の悲しみも薄れて単なる行事ごとの一つになったりするもので、

今回も例外ではなかった。

遺族や参列者の中で、心から悔やんでくれているのは何人いるだろうか?

遺族への挨拶や、お焼香も、礼儀・作法を守る事が第一のように見えてきてバカらしくなってくる。

親族だけ残ってのお通夜

そこではあたかも宴会でも開かれているような雰囲気。

「お??い、ともくん。ビールとおつまみ買って来て。」

・・・・・。

あなた達にとってお通夜って何ですか?

あなた達に、そこに居るばあちゃんの姿は映ってますか?

いつも通りの風景に、いつも通りに納得のいかないままオレはばあちゃんに線香をあげる。

ひとしきり喋って飲んで食べた人たちが、家に帰ったりその場で眠ったりし始めた。

オレは一人、ばあちゃんの前で線香をあげながら明日孫代表で読む事になった弔辞を考える。

・・・なんでかな?

哀しいはずなのにまだ一回も泣いてない。

オレもやる事が多くて、単なる行事ごとになってしまったのかな。。。

翌日11日。

親族写真を撮って、昼から告別式

今日淡々と「行事」は進められていく。

弔辞の打ち合わせ。

葬儀場の人

「もし弔辞をお考えになられていないのであれば、

こちらで用意したものを少しアレンジしてお読みいただく事も可能ですが?」

オレ

「・・・・・(なんだよ、それ)・・・・・。

いえ、自分で考えたものを読みます。」

この人達にとって葬式は「仕事」の一つなんだろうな。

でもこの人達がいなけりゃ、葬式をあげる事もできない。

釈然としないまま、オレは弔辞を読む。

ばあちゃんとの想い出、ばあちゃんへの感謝の気持ち、お別れの言葉を読み上げていく。

・・・すると親族や参列者から泣き声が聞こえてきた。

オレの弔辞で泣いてるのか、葬式の雰囲気に泣いてるのか分からないけど、それでもオレは泣かなかった。

後から言われたんだけど、

「ともくん、弔辞良かったよ。感動した。」

・・・なんだそれ。

あなた達を感動させる為に読んだんじゃないよ。。。

なんだろう。オレの方がおかしいのかな?

たぶんオレだけ泣いてないし、周りの人間のやる事なす事がいちいち気になるし。

もしかしたら、オレだけがひねくれてるのかな。。。?

告別式も終わりに近づく。

親族・参列者が棺桶に花やら想い出の品やらを入れていく。

オレは、一通ばあちゃん宛に書いた手紙を入れた。

昨日の夜、弔辞と一緒に徹夜して書いた手紙

ばあちゃんに言いたい事、聞きたい事、誤りたい事、お礼を言いたい事。

弔辞とは違って本当に言いたかった事、便箋3枚に書いた。

内容は誰も知らないオレとばあちゃんだけの秘密

後でじいちゃんと一緒に読んでね。

告別式が終わり、火葬場へ向かう。

いよいよばあちゃんの姿を見るのもこれが最後になる。

2年半前、じいちゃんが火葬される直前、ばあちゃんがひと言だけつぶやいた言葉をオレは聞いた。

「今までありがとうね。」

2人で50年以上付き添って、最後の言葉がこれだった。

オレはその時、じいちゃんの死より、その言葉感動して泣いたのを覚えている。

今度はオレから言うよ。

「ばあちゃん、今までありがとうね。」

単なるいち孫が言うのはじいちゃんに申し訳ないけど、オレからの最後の言葉はやっぱりこれにするよ。

火葬されてしまうまで1時間半。

みんなはまた思うように過ごす。

テレビを見たり、ケータイいじったり、おやつ食べたり、タバコ吸ったり、昼寝したり。

オレは少し焦げ臭い火葬場を離れて少し歩いた。

山の中腹から見下ろす風景は、ばあちゃんが79年間ずっと住み続けた土地。

田舎ではあるけど、だいぶ変わったんだろうな。

ふと、ばあちゃん家の隣に住んでた時の、藁葺き屋根の家を思い出した。

オレが小学校の頃に取り壊したけど、ばあちゃんとの想い出が一番つまってるのはあの家だったなぁ。

薄暗い土間の奥にあるお風呂

怖がって一人で行けなかったオレを連れて行ってくれた。

縁側と庭でいろいろ遊びを教えてくれた。

あやとりお手玉におはじきにゴム飛び。

ばあちゃん、オレは男の子だよ!

そういや悪ふざけでばあちゃんを川に突き落とした事もあったなぁ。。。

親に怒られてるオレに、ばあちゃんは笑いかけてくれた。

オレがどこからか盗んできた梅の実を漬けて、梅干しとか梅酒を作っていっぱいくれたね。

梅の美味しさを知らなかったオレは、梅が嫌いになって今でもあんまり食べられません。

そうそう、オレはばあちゃん家の中庭が大好きだった。

鯉が泳いでいて、アメンボとかカエルとかいたからしょちゅう見に行ってた。

あんなに広く感じたばあちゃん家。

でかくなったオレは今では背中曲げないと歩けない。

走り回ってた廊下も数歩で歩けるようになってるよ。

・・・あぁ。やっと少しずつ実感が沸いてきた。

ばあちゃん、いなくなったんだなぁ。。。

ばあちゃんが死んで2日以上たって、初めて涙が出た。

もう、あの優しい笑顔に会う事はできないだね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

火葬場の人から呼び出しがかかる。

そろそろばあちゃんの骨を拾ってあげる時間だ。

(・・・よし!)

オレは泣くのを止めて、火葬場に戻る。

ばあちゃんには最後まで涙を見せないでお別れしよう。

人が焼ける独特の匂いの中で骨を拾ってあげる。

昔はオレを軽々おんぶしてくれたばあちゃんが、今はこんなに小さな骨になっている。

普通は骨壷に全部入りきれないものなんだけど、ばあちゃんは全部入れてあげる事ができた。

お寺への納骨まで終わって、やっと全ての「行事」が終了。

みんなはそれぞれの家へ帰っていく。

オレはいつまでも暗い気持ちでいたくなかったので、友だちと遊びに行った。

そして翌日12日は仕事に行った。

オレはこの時くらいから、ある事に少しずつ気付き始めていた。

さらに翌日13日は従妹の結婚式

先月には従妹のお婆さん(オレからは遠縁になる)が亡くなり、4日前にはばあちゃんが亡くなり、

結婚式を挙げるかどうか悩んでいたみたいだけど、両ばあちゃんに見せてあげたいから、と決行。

家族愛に溢れた良い結婚式だった。

両ばあちゃんも喜んでくれただろうね。

翌日14日はみんなの都合に合わせた結果、初七日をするようにした。

もうみんなほとんど悲しみは癒えたみたいで、昨日の結婚式の話しとか明るい話題も増えていた。

明日からはみんな通常通りの生活。オレも仕事

ばあちゃんに線香をあげて、家に帰ろうとしたその時。

ばあちゃんの遺品を整理してたら出てきたと言われて一つの封筒を受け取った。

どうやらオレに関係があるものらしい。

その場で見る勇気がなかったので、家に帰って開けてみる事にした。

封筒から出てきたのは1枚の写真

オレと元嫁が結婚した時の親族集合写真だった。

ただ・・・元嫁の親族側ははさみで切り取られていた・・・。

オレが離婚した時、親の次に気をかけてくれたのがばあちゃんだった。

どんな風になっても(離婚しても)、ともくんの幸せが一番大切よ。」

と言ってくれた。

その時も泣いたけど、思い出して今日もまた泣いた。

いっぱい心配してくれたんだなぁ。と思うと同時にいっぱい心配かけさせたんだなぁ。と悔やんだ。

ふと、写真の裏を見たら、ばあちゃんが書いたと思われる文字がいくつかあった。

「××ちゃん」

と書かれたとこには取り消し線が引いてあり、その下に

「○○ちゃん」

と10回書かれていた。

そう。

元嫁の名前を消して、何回か連れて行った彼女の名前を書いて覚えようとしてくれていたのだ。

それを知ったオレは涙が溢れ出た。

最後までばあちゃんの優しさに触れる事ができた。

そして、ばあちゃんが死んで5日。

受け入れる事を止めていた自分にはっきり気付いた。

「行事」や「他人」のせいにして、受け入れないようにしていた。

そして仕事したり友達と会ったりして、できるだけ一人になる時間を作らないようにしていた。

一人になると当然ばあちゃんの事を考えてしまうから、受け入れてしまうのが怖かった。

でも、もう、受け入れよう。

ばあちゃんはいないのだ。いなくなったのだ。

そう思ったら、今まで我慢していたのか、ずっと、ずっと、泣いていた。

淡々と書いた弔辞も手紙も、今思い出したら涙なしには書けない。

ばあちゃん、ありがとう、ごめん、ありがとう

そして、さようならだね。

出来ることならもう1回ちゃんと結婚して、

ひ孫を見せたかったなぁ。

2008-01-11

裁判リテラシー講座第一回 『訴えてやる』って民事?刑事?>

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回

福岡飲酒運転事件について書いたのがそこそこ好評だったので、調子に乗ってシリーズ化してみる。

コンセプトは、ニュースなんかで裁判の話が出たときに、そのことをきちんと理解して、

その内容を適切に評価する能力の涵養、です。

民事、刑事

裁判所が扱う事件を大きく二つにぶった切ると、民事事件と刑事事件とがあります。

これらは明確に区別され、用語も異なり、手続き上もいろいろ異なってきます。

民事事件は、自己の権利を誰かに対して主張し、勝訴すればその権利を国が(強制)執行してくれる、というような事件です。

「金貸したけど返さない奴がいるから訴えて(取り返して)やる」というのはこちらです。

このような訴訟(給付訴訟)の他にも、確認訴訟遺言は無効だ!)や形成訴訟(てめーとは離婚だ!)という類型もあります。

一方刑事事件は、犯罪を犯した(と思われる)者に対して、国を代表して検察官が訴追権を発動して刑罰を求めるものです。

痴漢されたから訴えて(前科つけて)やる」というのはこれです。

どちらにも「訴えてやる」という言葉を使うので混同してしまいやすいです。

しかし、先の通り、この二つは全然違います。

民事事件は、実際に裁判を起こす(新聞では提訴、法学では訴えを提起と言うことが多い)のに対して、

刑事事件は、捜査機関犯人の訴追を求めるのに過ぎない(告訴とくに刑事告訴といいます)のです。

刑事事件については国が訴追権を独占しており、告訴によって対応が義務付けられます。

本人は捜査機関に行って告訴する旨主張すればいい(口頭でもいいのですが、通常は書面で)。

著作権法の議論でたびたび登場する親告罪とは、この告訴がない限り、公訴を提起できない犯罪のことです。

普通親告罪の場合に告訴が問題になります(非親告罪だと普通は被害届くらいで終わります)。

また、法律用語的には、民事に告訴という言葉を使いません。

紛らわしい

このように、手続は明確に違うので、民事事件と刑事事件を混同するのは、

我が国の司法について無知であることを表明するようなもので、恥ずかしいものと思ってください。

こうやって得意げに指摘すること自体もこっ恥ずかしいです(一般常識を得意そうに解説しているみたいで)。

たとえるならRPGHPとMPを混同するようなものでしょうか。

ただ、HPをMPに変えてメテオを放って孫娘の敵討ち(未遂)をした老賢者や、HPMPいれかえのマテリアのように、

刑事と民事がごっちゃになりやすい事案があります。

最たる例が不法行為です。

簡単に言えば、誰かの故意過失により自分の権利利益を侵害された時には、不法行為として民事上の請求権が成立します。

一方、刑事には不法行為という言葉は登場しません。

しかし、犯罪なんてのは、基本的に誰かの故意過失によって生じるのが当然ですから、被害者犯人にいつも不法行為による請求権が発生しているはずです。

ここで、明文上規定がある、名誉毀損を引きます。

誰かに名誉を毀損された場合、民法上、不法行為の一例として、損害賠償請求権が発生します(民法710条)。

同時に、その行為は名誉毀損罪を構成(刑法230条)し、親告罪として捜査機関に告訴することが出来ます(刑法232条)。

ここでは、名誉毀損について「訴えてやる」は、民事の場合刑事の場合、両方に通用することになるわけです。

したがって、掲示板ブログで煽られて、顔真っ赤で「名誉毀損だ、訴えてやる」なんて書くと、どっちがしたいのかよく分かりません。

そんなこと言ってると、無知がバレて、さらなる炎上を招くかも知れませんよ。

見分けるには

ではどうやって、どういう趣旨の「訴えてやる」なのか、つまり、民事事件なのか刑事事件なのかを見分けるか。

それは簡単な話です。

訴追を求めていれば刑事、それ以外なら民事、でおkです。

民事と刑事排他的なので、刑事かどうかを見分ければいいのです。

ここらへんの混乱は、マスコミの用語方法がいい加減だったりするのが原因の一端なので(民事なのに告訴と言ったりする)、

皆さんにおかれましても、用語に拘わらず、しっかりと区別していただきたいと思います。

よって、上島竜兵のいう「訴えてやる!」は、犯罪に対して訴追を求めるものではないので、

せいぜい民事上の不法行為による損害賠償を求めるということだと思われます。

※なお、行政事件とか非訟事件とか、HPMPに対してLPみたいな要素が登場する場合もありますが、基本的に民事の亜流と捉えればおkです。

2008-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20080110194127

民意に反するトンデモ判決が出るのは検察官のせいというのはちょっと早計なような気がします。

検察官はよくやってくれていると思います。

今回だって、危険運転致死罪を適用して25年の判決を求めたのはなにしろ検察官ですもの。

検察官による、民意に反する判決といえば、むしろ、公訴権の濫用(喧嘩両成敗なのに片方しか起訴しない、政治的理由により起訴したりしなかったり)の方が問題だと思います。

今回の飲酒運転の話も、科しうる最大の刑を科していますし、

罪刑法定主義の支配する刑事法の世界では、法をねじ曲げない限りあれ以上は出来なかったのではないかと。

事実認定についても、全ての証拠を検討したわけでもない上に、事実認定についてド素人の我々が口を出す問題ではないと思います。

少なくとも今回の話は、法が悪い、適切な法を作らない立法府が悪い、適切な法を作らないクズどもを国会に送り込んだ国民一同が悪い、としか言いようがないです。

と書いてきた思ったんですが、検察官の立証がへたくそだという話ですか?

ならそうかも知れません。でも、彼らも今回みたいなことがあると査定に響くから、わりと必死って聞きますね。

民意に反する判決が思ったより少ないのだという点は同感です。

常識に反したトンデモ判決は多いのか?

飲酒運転者よ飲んだら逃げろ!!逃げ特だぞwww

みたいに一般人の常識に反したトンデモ判決とされるものがでると裁判官非常識だとか批判がでるわけだが、実際のところどうなのか?そもそも判決民意に従うべきかという大問題があるが、それはおいておく。

さてトンデモ判決はどのくらいの割合で出ているのだろうか?平成18年司法統計の「刑事事件等の訴訟及びその他別新受,既済,未済人員 全裁判所及び最高,全高等・地方・簡易裁判所」によれば、刑事訴訟は793707件開始され、過去分も合わせてそのうち799044件の判決が下されている。トンデモ判決の件数はわからないが、一般常識では考えられないような「トンデモ判決」は毎日報道されてないので、「トンデモ判決は最大限に見積もっても一日一件だろう。そうすると年間365件となる。とするとトンデモ判決の割合は

365 / 799044 = 0.000456... = 約 0.045%

となる。この数値が低いのは判決が問題とならないような簡易裁判所の数値も含まれているからだろう。簡易裁判所では675706件受理され、678745件判決が下されている。従って簡易裁判所以外では120299件の判決が下されている。これに基づくと

365 / 120299 = 0.003034... = 約 0.303%

となり、これでもまだ低い。仮に仮定の3倍、すなわち一日あたり3件の「トンデモ判決」が下されているとしても「トンデモ判決」の割合は1%にも満たない。「トンデモ判決が多く、裁判官常識がない」というのは典型的な代表性バイアスであると考えられる。

そもそも裁判官検察官の数が少ないことも指摘できる。「裁判官,検察官,弁護士の女性比率(全国)」によれば平成18年裁判官数、検察官数はそれぞれ3341人、2479人である。検察官が一人当たり年間担当するのは

120299 / 2479 = 48.52..

より48件である。一件当たり費やせる日数は

365 / 48 = 7.6041...

より一週間である。実際には休みを考慮しなければならないので、これより短いと考えられる。従って仮に「トンデモ判決」が多いとしても、その原因として疑うべきは裁判官常識ではなく、検察官の少なさだろう。

だいたい司法試験を通ったエリート、言い換えれば努力家なんだから、多少例外はいても常識はある人間の割合は普通人間の集団に比べれば高いだろう。

2008-01-08

福岡3児死亡事故>について

長文申し訳ない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080108-00000002-yom-soci

今日福岡地裁で出た判決

事件の概要はご存知のとおりなので省略させてもらうが、審理の経過や判決について疑問を持つ人も多いと思う。

感情論をぐっと抑えて、素人でも分かるように解説してみた。

審理の経過

検察側は当初、訴因として「危険運転致死罪」をあげていた。これに対し裁判官は「業務上過失致死罪」について予備的訴因として追加せよと命じた。

訴因というのは、起訴状に記載されている、法律的に構成された犯罪事実の記載のことです。

被告人は、いついつどこそこで、これこれのことをして、もってなんちゃら罪を犯したものである。】

みたいに記述されます。

わが国の刑事訴訟では、この訴因の事実について本当に存在したのかを当事者(弁護側・検察官)が主張立証し、それについて裁判官が判断することになります。

この訴因の効用については、審判対象の確定ということが挙げられます。

つまり、訴因以外について判断しないので、被告人が思いもしない理由で罰せられることがなくなるのです。

たとえば殺人だと思っていたのに、強盗罪が成立、なんて言われると、たとえば盗んでいないという弁解をする機会が保障されません。

そうすると、原則的には、訴因の事実がなかったことが証明されれば無罪となるはずです。

でもそうすると、あまりに硬直的になるので、他の罰条が適用されることを慮って、訴因を追加することを認めています。

今回は予備的に追加しています。主位的な訴因が認定されなかったときに初めて審理・認定されるのが予備的訴因です。

現実に行われた犯行という事実はただひとつなのに、別な事実を認定するのは、ちょっと奇異に写るかもしれませんが、

いくつも法律構成が可能な法律論ならではの制度とご理解いただきたいと思います。

ところで、通常は、訴訟でなにを構成し主張するかは当事者にまかされているのですが、任せっぱなしにすると不当なことが起こりうるので、たまに裁判所が介入します。

今回も、検察官が訴因に挙げていなかったという理由だけで無罪になる可能性があるので、裁判所があせって追加させた、というわけです。

危険運転致死罪と業務上過失致死罪

どちらも自動車による事故で問題となる罪ですが、大きく違う点があります。

それは、前者故意犯であるのに対して、後者が過失犯であるということです。

これは大きな違いで、実は包含関係(傷害と暴行)だったり似たような犯罪(業務上過失致死と重過失致死)だったりであれば

さっきの訴因追加などは必要なかったりしますが、本件では必要とされているのはそういうわけなんです。

故意犯が成立するは、明確に犯罪を遂行する意思が必要です。

しかし、意思なんてものは本人の主観ですから、他人がどうこうするのは難しいです。

こういう行為をするのは分かってやってるからだ、なんていう事実を積み重ねて行く必要があります。

一方、過失犯には、「あ、こりゃやばいな」くらいのことを思っていることが証明されればよく、

その判断も一般人視点なので、酒気帯びなんかだと簡単に認定できます。

するってえと、危険運転致死罪が適用されるのはかなり難しいということになります。

本件でも立証がうまくいかなかったのでしょう。

なんでこんなウンコみたいな法律になっているかというと、あまり知られていませんが、危険運転致死罪はイギリスのそれを丸パクリしているからです。

イギリスでも似たような事件があって適用されず、ウンコウンコ言われているらしいのになんで丸パクリするかな・・・。

条文(刑法208条の2)を見ても、確かに英文直訳調です。これはひとえに立法府を責めるしかない。

なお、最近自動車運転過失致死罪(7年以下の懲役)ってのが出来ましたが、遡及処罰になるので本件では適用され得ません。

適用されたとしても、後述するように高々10年半までしか刑を科せません。

罪証隠滅について

なにやらこの被告人アルコール濃度を糊塗するためにペットボトルで水をがぶ飲みしてから自首したとか。

「証拠隠滅してる!証拠隠滅罪だ!」と思われるかも知れません。

しかし、刑法上、証拠隠滅罪は「他人の刑事事件に関する証拠」についてのみ限定して処罰しています。

なぜかって?

子供の頃、悪いことをして親にバレそうになったときにはめちゃくちゃな嘘をついたことがありませんか。

それと同じで、犯人が証拠隠滅することは不可避で、それをいちいち取り上げていたらどうしようもないっていうことなんです。

もちろん、罪として成立しないだけで、量刑には考慮されるでしょうし、

本件では、アルコール濃度についてももう少し上だったと認定することも可能ではあります(しませんでしたが)。

そして本件判決

業務上過失致死(傷)罪が被害者の分だけ成立し、これはひとつの行為で起こした複数の罪です(観念的競合といいますが、どうでもいいです)。

これだけだと、最も重い罪の刑で処断します(この場合、業務上過失致死の5年以下)。

しかし、酒気帯び運転・轢き逃げ(道交法違反)についても訴因にあげ、成立しています。

このように、別の行為で罪が成立している場合を併合罪と呼び、最も重い罪の長期の1.5倍まで科すことが出来ます。

判決懲役7年6月(ろくげつと読みます)で、これは、業務上過失致死罪を併合罪処理をして最大の刑期です。

一概に被害者への配慮を欠いたものとは言えないという評価もあります。

確かに法定刑マックスまで行くのは珍しいですし、もし故意が認定出来なかったのだとすればギリギリのところなんだとは思います。

あとは立法論、つまり法律が不備であったので整備すべきということです。

法解釈学においては、「ドッギャーン!立法論に逃げることは敗北を意味するッ!」なのですが、どうしようもないんじゃないでしょうか。

最近同様の事例で、やはり地裁で業務上過失致死罪を訴因追加させてそれを成立させた事件の控訴審で、

これをひっくり返して、危険運転致死罪を認めた判決がありました。

是非この線で行って欲しいですね。

2007-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20071116125210

起訴は嫌疑不十分の時にされる処分。

公判が維持できないと検察官が判断すれば不起訴処分に付します。

刑事裁判も費用が掛かるものです。

なんでもかんでも起訴していたら税金裁判官の時間がガンガン浪費されていきます。

そのコストを避けるためです。有罪率を下げないためというよりは。

起訴はおかしいだろ

集団強姦:米軍岩国基地の米兵4人不起訴

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071116k0000m040106000c.html

未成年が深夜の繁華街プラプラしてるのもどうか」ってんで、求刑より軽い刑になったりするのはいい。

裁判の結果、犯行の事実女性狂言だと判明、故に無罪ってんでもいい。

起訴ってどういうことだよ?

(1) 不起訴及び起訴猶予

 検察官は,捜査の結果に基づいて,その事件を起訴するかどうかを決めます。起訴する権限は検察官のみが有しています。検察官は,被疑者が罪を犯したとの疑いがない,あるいは十分でないと判断する場合には,起訴しないのですが,嫌疑が十分あっても,犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状,犯罪後の情況といった諸般の事情に照らして,あえて起訴する必要はないと考えるときには起訴しないこと(起訴猶予)ができます。

http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/keizi/keizi_01_02.html

起訴猶予」じゃなくて「不起訴」ってことは裁判するまでもなく米兵4人がレイプしたって疑いはないって検察官が判断したってこと?

マジで意味わからん。そのうえノーコメントだし。

他国なら抗議デモが起きそうな手ぬるさ。日本でも95年の沖縄小学生レイプ事件がこんな結果になってたら暴動起きてたと思うな。

だけど、今回は「未成年が深夜に繁華街を??」って広島市長の話とネット発のミソジニーがあいまって大した話題にもならないんじゃないかな。

こういう事件、右翼こそが怒りを表さないといけないと思う。「日本女性を傷物にした」とか言って。でも、こういうときに限ってネット右翼の動きは鈍い気がする。むしろ被害者セカンドレイプする輩が多そう。

2007-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20070921182214

私はあなたの意見に反対します。

論旨は、

一家の大黒柱を失った被害者

交通死亡事故被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告死刑をこれほど強く望むだろうか

と、主に家族大黒柱を失った場合の生活・金銭面のことを想定しているが、

たとえば今回の事件のように奥さんだったり子供だったりを失った場合は、有り体に言ってしまえば、

今後必要だったはずの彼らの分の生活費が不要になって、逆に得をしている(!)ことになる

(実際に浮いたであろう生活費交通事故損害賠償の際には控除される)。

そうすると、一家の大黒柱以外の人が死んだ場合、金銭面での被害はないのだから、

金銭を受け取ることによって完全に慰藉されると考えていると思われる。

しかしながら、民法上、死亡したこと自体を元に損害賠償出来るのは、

カネで賠償されさえすればそれだけで満足して被害者が救われるからではなく、

被害者を救済する方法が他に見あたらないから、しかたなく、カネで賠償するしかないことによる。

要するに、カネをもらえば満足するからではなく、カネをもらう以外に方法がないから、カネをもらえる法律があるのだ。

もちろん、カネをもらった段階で宥恕に至る被害者も多いと思われるが、

いかに金銭を積まれようとも救われない被害者がいるであろうことにも思いを至らすべきだ。

以上、カネで解決出来る、という論旨に対して、それでは解決出来ないという意見を述べました。

以下、細かい点を指摘したいと思います。

社会全体にとっても、死刑にならないことを前提で取り調べが行われたほうが、検察の言いなりになって供述調書にサインをしたり、弁護士の小手先の法廷戦術事実に反する供述調書を丸呑みしたりして「事実の究明=事件の教訓化」よりも「反省の態度=上辺の取りつくろい」を優先するようなケースが減るんじゃなかろうか。

これは今回の事件に影響を受けすぎと思われる。

死刑の事案でなくとも、検察官が作ったストーリー通りの供述調書にサインを強要されているのが現状である。

痴漢冤罪でも「認めてしまえば帰れるよ」とささやく捜査官がいるのが問題になっていることは有名だ。

そして、刑訴法1条は刑事訴訟法は「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかに」するのが目的であると規定している。

そうだとすれば、真実発見基本的人権が並列している以上、

早く身柄拘束を解くという意味があれば、このような法廷戦術は、義憤を感じるのはともかく、なんらとがめられるものではない。

そもそもこの「事案の真相を明らかに」というのは、神から見た絶対的真実ではありえないし、

そのようなものが人間様が関与する訴訟ときで明らかになるはずはない。

この真相とは、通常、証拠で積み上げられた真相と解釈されている(実体的真実主義)。

このことは論旨を何ら補強するものでないと考える。

いい議論をしたいので、反論などありましたらお願いします。

2007-07-31

anond:20070731115229

そこらへんの見極めは検察官やら裁判官やらの判断すること。

なーんか、生活保護の申請みたいな話になってきましたな。

「こうすれば通りやすい生活保護

ならぬ、

「こうすれば認められやすい更正見込み」

のような、目先のテクニックがもて囃されそうだ。

「法に触れない復讐術」も目先のテクニックかも。

「法に触れない脅迫術」もあるね。

更生の見込みがあれば更生プログラムスタート

更生できなかったら無期懲役

更生の見込みがなければ無期懲役

そこらへんの見極めは検察官やら裁判官やらの判断すること。

本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。

人のやることに完璧はない、という問題であって、

金がもったいないから死刑にする、という問題とはまた別。

2007-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20070626154000

ああ、判検交流っていうんですね、どこかで聞いたことあったようなキモしますが、知りませんでした。

基本的な事すら知らない人が

なんで私があしざまに言われてるかよく分からないのですが、冤罪はよくないことだし、撲滅すべきことです。

富山?だかの強姦冤罪濡れ衣かぶった人が「裁判官が悪い」とか言ってましたが、その影響ですか?

そもそもあの件は、冤罪で立件した検察官が超圧倒的に悪いでしょう。

見抜けなかった裁判官も多少悪いのかも知れませんが。

検察官が悪いんであって裁判官はたいしたこと無いと断じる不思議

http://anond.hatelabo.jp/20070626152104

こうやって主張責任押しつけるのは、まったく使える詭弁ですね。

http://anond.hatelabo.jp/20070626153511

ああ、判検交流っていうんですね、どこかで聞いたことあったようなキモしますが、知りませんでした。

上の増田の人も、こういう単語があるなら教えてくれればいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20070626151258

なんで私があしざまに言われてるかよく分からないのですが、冤罪はよくないことだし、撲滅すべきことです。

富山?だかの強姦冤罪濡れ衣かぶった人が「裁判官が悪い」とか言ってましたが、その影響ですか?

そもそもあの件は、冤罪で立件した検察官が超圧倒的に悪いでしょう。

見抜けなかった裁判官も多少悪いのかも知れませんが。

http://anond.hatelabo.jp/20070626140401

その建前が全然機能してないから、不当逮捕冤罪が問題になってるんだろうに…

不当逮捕やえん罪を起こすのは捜査機関であって、司法権の権化たる裁判所ではありません。

たとえば検察官法務省が管轄する行政機関であって、司法活動の一翼を担いますが、行政権に服します。

問題のレベルを見誤っています。

裁判所と省庁はお互いに出向しあってなあなあの関係を作ったりしてる。

裁判長が出向して政府弁護士みたいなことをやったりね。

そういう出向を行った裁判長は、実際に政府に有利な判決を出す傾向がある、って話だよ。

聞いたことがないので、ぜひソースを教えてください。

2007-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20070605230519

警察官検察官も、テンプレ作文作成装置なんですよ。

一度取調べを受けるとよーく分かります。

事実真実はたいした問題ではなく、あらかじめ用意した単語とストーリーに当てはめるだけ。

2007-04-04

[]

http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#

2ちゃんねる松岡農相自殺2日前に事件を予見していた書き込みが

http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#

■やっぱりさ、温情なんかやめて

悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。

「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。

悪も善もないというなら国会責任追及なんて必要ないし、警察裁判もいらないよね。

http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#

転売がイケナイのって

今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。

その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?

けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#

更生の見込みがあれば更生プログラムスタート

更生できなかったら無期懲役

更生の見込みがなければ無期懲役

そこらへんの見極めは検察官やら裁判官やらの判断すること。

本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。

人のやることに完璧はない、という問題であって、

金がもったいないから死刑にする、という問題とはまた別。

http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#

http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#

技術革新ユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザー限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。

この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。

360PS3HD対応のTVモニタに繋いでプレイしてみろ。

その後同じTVモニタPS2繋いでやってみろ。

戻れないだろ…。

http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#

■癌を消す機械が既に存在するのに

表に出てきていない。

実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり

末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。

機械の原理は雷の電気を応用したというプラズマ機。

機械を当てて、体内の活性酸素を燃やす装置。

九州内にある、某病院でも医師の指示の元に使われていた代物。

何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。

特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。

7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。

自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。

http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#

■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説

http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#

ひたすら勉強だ。

学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。

http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#

http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#

サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴ときに使われる決り文句のような気がする。

夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、

とか。

http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#

アルコール抜き

昨日はアルコールなし

一昨日は氷結350ml

だんだん普通の生活?にもっていけるのかな

http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#

http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#

ホイールがカチカチ止まらずにヌルヌル動くから、ミドルクリックで新しいタブにページを表示しようとすると

目標リンクの一個下のを開いてしまうじゃないか!!

http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#

■職種と生産性

今日の朝、乗り継ぎ電車を待ち合わせている間に考えたこと。

職種と生産性に関する素朴な考え。

最初に自分の考えを言うと、現在社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。

作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師料理人介護士、小売店員、工員、医師等がある。

これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。

作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカー技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。

最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング広告商社コンサル経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。

今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#

■何でも楽しいという友人

受験勉強楽しいという友人がいた。

数学現代文パズルだし、物理化学生物地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」

大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。

そして奴は、東大へ行った。

知ることが楽しいのだという。

他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。

たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。

「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナー趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」

「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」

「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」

「それ楽しいか?」

楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」

「そういうもんかなあ」

「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」

言うまでも無く奴は非常に博識である。

だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。

小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。

「どうとでも楽しみ方はあるよ」

「どこがだよ。つまんねーよこんなん」

「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」

「うーん」

「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい

「まあそれはそうだけど」

「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって目標立ててやると、結構面白いよ」

俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。

http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#

http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#

知的好奇心つながりで一つ自分の話を。

自分は東京の街並を眺めるのが好きです。

特に新宿高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。

例えば、高層ビル群とその周りにある道路を眺める。

ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、

さらに近づいてビルを構成するコンクリートや鉄筋やガラス

エレベーターといった大型の機械

その機械を構成するモーターやらの部品

その部品に使われる小さなネジ・・・

と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。

で、はたと気がつく。

今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!

普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?

こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。

こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#

■格差と想像

こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。

 http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#

私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。

大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。

卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。

アメリカ大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。

もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカ大学博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生ごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。

それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFL勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。

その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報常識であったらしい。まぁ、ハーバードMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。

中堅大のハンディキャップ就職活動に現れる。ハーバードMITスタンフォードイェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。

もし日本大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。

結局、人間社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。

結局私は海外就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。

http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#

http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#

増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。

http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#

■そうね

クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、

書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。

俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。

http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#

http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#

自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。

そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#

■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら

俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)

http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#

  1. 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
  2. オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
  3. 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
  4. 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
  5. 構成の再整理

追記:

もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。

http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#

■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら

http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#

私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。

これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。

なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。

でも、やっぱり苦手。

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