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はてなキーワード: 本多勝一とは

2024-01-27

anond:20240127073253

横だが、  

日本語勉強しような

 ← それは元増田に言ってやれよ。本多勝一でも読めってな。

2022-12-02

論破したい人が読むべき書籍

野矢茂樹論理トレーニング101題」

正直これ一冊でもほぼ勝てる状態になると思う。論理であるというのはどういうことか、問題を解きながら徐々に理解する本。

最初の例題だけでも解いてみて、間違えたら残りを進めていけば良い。


本多勝一日本語の作文技術

木下是雄「理科系の作文技術

どちらも少し古いが文書作成技術はこの2冊で十分だろう。「日本語の作文技術」は大昔のレスバなども見れて面白い

論破」の舞台掲示板チャットなどが主であり、文字でやりとり行われることを考えると読んでおきたいところ。

香西秀信レトリック詭弁 ─禁断の議論術講座」

適当に誤魔化すための定番テクニック理解するならこれが良い。事例をもとに、どのような構造で陥れるか解説してくれる。

どうせインターネット上の議論なんて大したことは言えないのだから、こういう小手先勝負が決まることも多い。

皆の最強論破厨育成理論も教えてください

2021-08-01

anond:20210730122804

  1. ニュースを取捨選択しない
  2. 事実のみ報道する
  3. 両論併記
  4. 傾斜のない報道

2021-07-01

anond:20210701010324

欠けているように思う情報:

体型の大まかな情報: 細身/普通/大柄

普段身体活動レベル

サプリ摂取量

仕事の分類: デスクワーク/立ちっぱなし等

仕事残業の程度など

  

句読点の遣い方について、なっていない部分が2箇所は見つけたので、本多勝一日本語の作文技術等で勉強したほうが良い

全角のコロンを遣う理由がない、半角のコロンのあとに半角スペースを入れなさい

2021-02-21

ホロコースト否定者の出鱈目さ(高須はどうでもいい)

ホロコースト否定者というのは基本アホである

あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体無茶苦茶なのだ

どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。

 

西岡昌紀木村愛二という1990年代ホロコースト否定ちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である

 

 

 

私は西岡Twitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。

 

西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待である。その話自体はどうでもいいので割愛する。

この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。

西岡は「国会図書館にあるから読め」と言う。

この時は西岡本を読んでなかったので、西岡ブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。

すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。

今時、文献名などググるだけで見つかる時代である

ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補勝手に探してくれるのである

それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆である1990年代には存在しなかった)。

そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである

実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである

どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?

なぜそうなったのかは、実はその資料木村西岡にそのコピーを渡したものであり、木村国会図書館簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。

まり木村西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡木村確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。

木村西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。

私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館ネットを通じて探した。

 

ところが。

 

正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情ちょっとややこしい。アメリカ政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。

それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。

イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。

そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部から絶対検索できない文献名だったのである国会図書館もどうかしてると思うけどw)。

見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである

 

だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものであるアメリカ政府1800年から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。

から、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。

もちろん、「137人の睾丸事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。

と言うよりも、その情報議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。

まり木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。

そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!

それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。

俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである

 

とまぁ、あいつらは何から何までこの調子なのだ

どうして、そこの情報欧米リビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単理解し得る。欧米リビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタ記載事実上そこにしかいからだ。

元々はある古い雑誌記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったかである

当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。

が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単確認可能なのである

日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQ米国政府議会記録を日本国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府サイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。

このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。

 

ところがまだ話は終わらない。

 

西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡上院議会公聴会区別がついていないのだ。だから西岡自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである

そんなもんある訳ない。だって公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡理解しないのである

公聴会記録の表紙を画像で送ってさえ、理解しなかった。

 

こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題レベルではないのである欧米リビジョニスト論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな 

あいつらは日本の恥だ

2020-11-17

anond:20201117155508

英語と違い日本語主語最初にする必要がないのに、主語最初に置くよう指導している学校教育が悪い。日本語文章主語と述語の間が離れるほどに理解が困難になるからだ。

1番目の文章を例にして説明する。主語「母」が先頭に、述語の「見送った」が末尾になっているので、間の文章が何の修飾語になっているか解釈が分かれることになる。このような文章は良くない。句読点を用いることで2番目や3番目のように読み手解釈させることができるが、そもそも句読点を使わずに済む文章を心掛けるべきだ。

2番目の文章は以下のようにすべきだ

笑いながら学校に行く娘を母は見送った

同様に3番目の文章も以下のようにする

学校に行く娘を母は笑いながら見送った

主語はできるだけ文章の後半に置き、述語との間を空けないようにするのが良い。また、句読点は多ければ良いというものではない。

母は、笑いながら、学校に行く娘を見送った

2番目と3番目の両方の句読点を用いた文章だが、「笑いながら」が母と娘のどちらにかかっているかがわからない。これなら句読点を入れないほうがまだましだ。文章句読点を用いるときは、本当に句読点必要なのか、句読点が無くても理解できる文章に書き換えることはできないのかを念頭に入れるといい。

参考:『日本語の作文技術』(著:本多勝一

2018-11-09

本多勝一日本寄り

本多勝一って左翼的イメージ世間では強い気がするけど、

文章の書き方については日本寄りのような印象がある。

ここは日本だ、植民地根性は捨てろみたいなことを書いていたし。

2018-08-21

作文や日本語に関する昭和ベストセラーいいもんだな。

中学生のための作文技術の本・本多勝一

2018-04-22

anond:20180421141653

上司の以前の仕事ぶりを知っている人に整合性があるか聞いてみる

整合している→どうなおせばよいかその人に聞く

整合していない→突然性格と性能が変わる病気脳腫瘍うつ病など)を疑う

 

・全く訂正方向がわからない点を本人にフィードバック

教育方針なのですか?全くわからないのですがと怒らせる覚悟でツメる

→たとえばこういうことですかとアナログアナログを上書きしてファックス返送、たとえばひらがなカタカナ変換やフォントの全角半角、丸ゴシックへの変更など、また本多勝一その他の校正教科書を読んでいればそれを列挙しおかしいと思わない部分の裏付けとする

2018-04-14

anond:20180413223900

文章の話だけど、誇張表現や手垢のついた良くある表現って、文章が詰まらなくなる原因らしいね

中学生からの作文技術」に載っていた。

(作者が本多勝一なので好きじゃない人も多いと思うけど、この本については間違っていないと思う。)

となると、アニメも同じなのだろうか?

2017-12-17

anond:20171215211839

この指摘については合理的説明可能だと思う。

本多勝一の「中学生からの作文技術」に載っていたけど、手垢の付いた表現や、書いている側が笑っているような文体は、読み手面白くなくなる原因になるという。

手垢の付いた表現っていうのは、はてな記事では「ラノベアニメ寒い描写を入れろという暗黙の制約でもあるのかと思うほどテンプレ展開が多い。」の指摘が当てはまっていると思う。

書いている側が笑っているような文体は、恐らくだが「女子ツッコミの過剰な暴力寒いギャグやノリ」が当てはまっているのでは無いだろうか?つまり脚本を書いている側が「これ面白いでしょ」というメッセージがあるように感じられるのでは無いだろうか。

もう少し分かりやすい例を挙げると、アンサイクロペディア気持ち悪いとか面白くないと指摘されているのに通じる気がする。また、「w」を多用している文章面白くないと感じるのに近いかもしれない。

本多勝一面白い文章の条件として、「自然さ」とか、ギャグとのギャップとしての「真面目な文体」とか、「手垢の付いていない表現」を挙げていた。元記事で、不自然さを嫌っているのにも共通する気がする。

本多勝一理論が正しいならという前提付きだが、そうであるなら、寒い展開への指摘は理解できる。

本多勝一を嫌いな人も多いと思うけど、思想を抜きにして、この作文の本は読んで欲しい。

2017-05-13

アンサイクロペディアがつまらないと言われる理由

アンサイクロペディアに対して、詰まらない、寒い(激寒)、気持ち悪いなどという批判があるのは何故なのか。

ユーモアどころか読み手が白ける文章の書き方をわざわざ使って、記事が書かれているからではないでしょうか?

冗談ネタ)が面白くないのに、文体で無理矢理笑わせようとしており、「面白いだろ?」「笑えるでしょ?」という感じを受ける書き方になっていると思います。実際には、記事の筆者が上記のように思っていなくてもです。

ところで本多勝一というジャーナリストが書いた本に「中学生からの作文技術」というものがあります。これは割と有名な作文技法本だと思われます

この本の中に、面白い事を大真面目にやるから面白いんだ一流の落語を見ると分かり易い、面白い事を大真面目に書くから面白い

面白いことを言う方がニヤニヤしていたら聞き手は白ける、中身でなく書き方で笑わせようとしても駄目だ・・・というような箇所がありました。

この考えでいくと、アンサイクロペディアのつまらない記事は正しく、面白くない文章の見本のような気がします。

本多勝一は、世間では左翼イメージが強いと思いますが(私自身、彼については左翼イメージが強い)、そこは今回気にしないで欲しいです。

2017-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20170413152141

bareloです。自分ブログに書いてもまあほとんど読まれないんでこちらに。

「目配せしたあとからの中で、三ツ林が言ってることをちゃんと聞き取れる?私は無理だったよ☆」とのことであるが、

マイクも拾ってない」と「ちゃんと聞き取れる?」では言ってる内容がぜんぜん違っている。

途中聞き取りにくい部分もあるが、書き起こすならば

「動議を提出いたします。内閣提出法律案に対する手続きを~~省略し~~直ちに採決されることを求めます

くらいだろう。

あと俺は「偏ってるという次元の話ではない」とちゃんと書いてある。まさかこれを「偏ってるなんてもんじゃない」という意味とは解されていないと思いたい。

偏向とは無関係な、事実の違いについての内容である

偏ってることを批判してないし、俺が偏ってないとも言ってない。

本多勝一立花隆斎藤茂男あたりを読んで育ったのだから、俺自身おおいに「左に」偏っている自覚がある。

あんだけの騒ぎの中でマイクも拾ってない三ツ林議員の動議を聞き取って発言」という部分を読んで、そこに触れているブコメもあったので、へ~どんなもんなんだろと思って実際の映像を見てみたら、別にマイクで拾ってないなんてことはないんじゃないのと思ってあのように書いた。

「どうでもいいファクトチェック」に類する内容ではあろうが、俺はそういうのが好きなので勝手やらせてもらっている。

2016-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20160930084835

表現力を豊かにしたいなら類語辞典を読みなさい

読みやす文章構成したいなら「理科系の作文技術 (木下是雄)」と「日本語の作文技術 (本多勝一)」 あたりを読みなさい

あとは書きたい文章ジャンル毎(小説とか論文とか手紙とか)のテンプレを学びなさい

小説1000冊読んでるならインプットは足りてるはずだから、あとはアウトプット技術を磨けば全然書けないってことはなくなるはずだ

そしてもし文章を十分に書けるようになったら、「数学文章作法 推敲編 (結城浩)」を読みなさい

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151216180814

初心者向け本の選び方ガイド

前提
「本を選ぶ」とは具体的に何をすることなのか?
  • 世の中には無数の本がある。
  • この中には役に立つ知識を得られる本もあれば、なんの知識も得られないクソ本もある。
  • 基本的に大半の本は役に立たないクソ本であり、その中に極少数の良本が紛れている。
  • 「本を選ぶ」というのは、無数の本を"フィルター"にかけることである。「役に立つ知識を得られる本」のみに"絞り込む"ことである
  • 初心者本屋で本を探すのはやめろ。他人レビューを参考にせずに選書するのは難易度が高い。

これ以降、「無数の本をどのようにフィルターするか?」という話を書いていく。

フィルター1: 「必要性によるフィルター
フィルター2: 「他人評価によるフィルター

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss/375-8586877-0112653?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E6%96%87%E7%AB%A0+%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9

フィルター3: 「読者の傾向によるフィルター
フィルター4: 「自分が読んだ評価によるフィルター
  • さて、「自分必要としている知識によるフィルター」「他人評価によるフィルター」「読者の傾向によるフィルター」によって、本を数冊にまで絞り込めたと思う。
  • ここから更に絞り込むにはどうすれば良いのか? 全部買って見て読んでみれば良い。読めばわかる。
  • コツとしては、買った本を「1冊ずつ読みきっていこう」と決して考えずに、飽きたらすぐ次の本に行くことである
  • おそらく、これまでのフィルターをくぐり抜けてきた本を10冊程度買えば、かならず1冊は「読み進めずにはいられない、自分がまさに知りたかった知識」が書かれた本が1冊はあると思う。
  • その本こそ、あなたが探していた「役に立つ知識を仕入れられる本」である

以上。

補足1
  • この選書方法だと「自分が思いもつかなかった全く未知の内容の本」と出会う機会は無い。読書になれてきたら次の段階としてそのような本を探す方法を考えてみると良い。
補足2

2015-02-15

南京大虐殺プロパガンダと思う3つの最大の理由

1、南京人口20万であり、30万人殺すことは出来ない。


2、骨が見つからない、死体が見つからないこと。


3、当時の南京には日本人中国人けがいたのではなく、ロイターAPなど各国欧州マスコミもいたが、虐殺のことは誰一人として一言も触れていない。

ちなみに朝日新聞本多勝一本名・崔 泰英)が主張するまで中国被害者も誰も事件のことを知らない模様。毛沢東もご存じなかった模様。




1、南京人口20万であり、30万人殺すのは不可能アメリカ歴史教科書に40万人と書いてあるのはおそらく打ち合わせ不足。


南京安全区国際委員長から南京市民20万人が全員無事でした」と感謝状を送られている。

また、日本軍南京占領後、南京市民の多くは平和回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えている。

警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表。そののち日本軍12月13日南京占領それから5日後、12月18日には、南京国際委員会南京住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口20万人」と発表。また12月21日には、南京外国人会が「南京20市民」に言及さら南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会人口「25万人」に増えたと公表している。


2、骨が見つからない、死体が見つからないこと。

なお、中国政府により科学的な調査は一切拒絶されている。



3、当時の南京には日本人中国人けがいたのではなく、ロイターAPなど各国欧州マスコミもいたが、虐殺のことは誰一人として一言も触れていない。


イギリスフランスオランダスペインなど八カ国。アメリカ新聞記者団は日本軍についてきていた。

ちなみに朝日新聞本多勝一本名・崔 泰英)が主張するまで中国人も誰も主張していない。あれ?慰安婦問題と似てるなあ。気のせいか。

毛沢東もご存じなかった模様。


当時反日だった国連に、1938年1月末に、国民党が2万人の虐殺を訴えたが、完全に否定されてることから、数千人の虐殺もなかったと考えるのが自然である

1938年1月末に、約一週間にわたり世界的なニュースになっていたのは、日本軍人アメリカ外交官を平手打ちした事件である

虐殺が行われていたとされる間、ラーベら外国人は頻繁に外出してるが、日本軍による不法殺人を見たことが一度もない。

ラーベは、1938年1月14日ドイツ大使館にあてた手紙に、被害者数千人と記しているが、その二週間後イギリス大使館にあてた手紙には被害者数百人と記している。

(現場を知っている者に対して付ける嘘は、数百人が限界。)

ラーベたち委員会が記録した日本軍暴行報告書には殺人事件「25件」、被害者「49人」としか記されていない。


安全と秩序の維持のために、南京攻略戦の前から南京に住む欧米人らは「南京国際委員会」というものを作っていた。彼らは、日本軍による南京占領後に南京で起きた犯罪事件をまとめ、被害届として日本軍に提出した。それは、南京で見聞きした日本兵による犯罪強姦、略奪、殺人)等を記録したもので、日本軍取締りを求める内容であった。

その被害届には、日本兵によるとされる犯罪が425件記されている。その大部分は伝聞にすぎず、資料問題はあるが、たとえすべてを事実と仮定しても、そのうち殺人事件わずか49件にすぎない。しかも、その49件のうち、国際委員会委員が直接目撃したものわずか2件。あとはみな伝聞だった。


なので、日本人が嘘をつき、欧州メディアも全部グルになって嘘をつき、当時の中国人が誰も主張せず、戦後何年もたって主張した中国人けが本当のことを言っている。そう思う人は南京大虐殺存在しているんだと思ってください。慰安婦と同じ構造ですね。

たぶんそう信じる人にとっては大量破壊兵器中国があると言えばあるんでしょう。

2013-08-31

文章系専門学校で学んだこと

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223

小説を書くための学校に、2年間通った。

特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。

最初教科書本多勝一木下是雄だった。

400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。

その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。

まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。

本を読んだ。

プラトンから神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない)

村上春樹吉本ばなな江國香織好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。

僕自身は、SF古典人文学系の新書を読んでいたと思う。

その時期いちばん読んで良かったと思うのは、佐藤信夫の「レトリック感覚」「レトリック認識」だった。

ただ、読んで良かった、という気持ちだけが残っていて、内容は詳しく覚えていない。

50枚の短編小説を書くのが、1年目の目標だった。

50枚書くことは難しくなかった。

夏にはもう初稿が提出できて、先生にはそれなりに褒めてもらえた。

しかし、自作何となく気に入らなくて、勝手最初から書き直してしまった。

それから、文章を先生に褒められることは一度もなかった。

書き直した作品は、生徒みんなの前で罵倒された。(トラウマだ)

合計で7回は書き直したと思うけれど、何度やっても評価はされなかった。

2年目の卒業制作100枚の中編だった。

そちらも同じように失敗した。

レポートなども合計すると、2年間で2000枚は書いたと思う。

授業では色々な人から話を聴いた。

某有名ゲームプランニングをしていた人・女性雑誌編集長とある古参ハッカーラノベ大御所・今ではずいぶん有名になってしまった当時の新人作家……。

映画演劇もたくさん見せてもらった。レポート宿題が必ず付いていたけれど。

民俗学古事記を読んだり、美術学で有名絵画から聖書シンボルを読み解いたり、構造主義を応用して物語プロットを組み立てる授業もあった。

教えてくれる人はみんな(出来る範囲で)熱心で、青臭い自分言葉もちゃんと聞いてくれた。

ちなみに、小説先生は往年の一太郎ユーザーで、ESCから始めるショートカットばかり使っていた。

キーシーケンスの組み合わせを暗記していたようで、VimEmacsに通じるところがある。

日本語IMEについて、ATOKは使い物になるが一番良いのはWnnだ、と言っていた。その真意は定かではない。

提出ファイルにはShift-JISのプレーン・テキストを指定し、タイトル名前の入れ方も詳しく指示していた。おそらくマクロで処理したのだろう。

ただ、提出メディアフロッピーディスクだった。もう10年以上前の話で、テレホーダイ記憶が鮮やかだった頃だ。

僕が通っていた学校に限れば、環境としてそんなに悪いところだとは思わない。

当初は周囲を見回して傲慢になっていたけれど、その鼻柱は見事に折られてしまった。

客観的に言って、使おうと思えばいくらでも使える環境だったと思う。

ただ、進路が難しい。学校を出た後でどう生活を立てていくかが難しい。

日本社会の標準的ルートからはやはり外れているのだ。

卒業生の進路はそれぞれだった。

僕はPGSEの道に突き進んでしまった。

定職に就いていない人間もきっと多いだろう。

頭の良い同期は大学に転入した。

プロとして活動していると言えるのは、50人の同期の中で3〜5人だと思う。

(これはきっと、専門学校の中ではかなり良い割合に入る)

おそらく最良の選択は、大学に転入し、標準ルートに戻ることだ。

標準ルートを知ることも大事だし、それから生活を安定させてデビューを目指せば良いと思う。

(ただし金が掛かりそうだが……)

専門学校は、僕にとっては良い場所だった。

何も知らない自分に大きなトラウマを与えてくれたのは、本当にありがたい事だ。

ただ、自我の捨て方は教えてもらえなかった。

こればかりは、学校の外で年齢を重ねてから、知るほかなかった。

文章を書くには、どうしても、自我を捨てた部分が必要だ。

そう悟りながら、僕はいまだ書けないでいる。

純文学系の新人賞に一度だけ送って落選した実績しかまだない。

そして、日本語よりJavaを書く時間の方が長く、それよりもD言語を書きたいと思う毎日を、無為に過ごしているのだ。

追記

トラバでも言われてしまったけど、「学んだこと」と言いながら、学んだ技術的な内容をあまり書いていなかった。

多少参考になる部分があるかもしれないので、追記してみたい。

ストーリー構成の教科書としては、シドフィールドが使われていたようだ。

ただ、当時はろくな翻訳が無かったらしく、教師オリジナルテキストを使っていた。

ハリウッド流の伝統的な4分割構成が基本で、自分アイディアをとにかくそれに落とし込み、内的整合性を保って読者に提示する技術を教えられた。

たとえば下記のような点をチェックするよう繰り返し言われた。



他にも色々と細かいテクニックについて教えられた。書くときの気構えであったり、推敲添削方法であったり。

今はストーリー構成の良書も多いだろうし、自分教科書を集めて勉強できる環境も整っているかもしれない。

から自分で体系的な資料を集め、先生になってくれる人や切磋琢磨できる仲間を見つけ、継続的に書く環境を整えられれば、わざわざ専門学校に行く必要は無いだろう。

専門学校などという人生を浪費する施設より、週末の教室Webでの作品発表・添削という形の方が適しているかもしれない。今の時代はきっとそうだろう。

レベルの高い卒業生の作品を見ると、内的整合性の点では下手なラノベよりしっかりしているものが多かった。

しかし、

「全体的に整合性が取れていて、ちゃんとした盛り上がりがあり、伝統的な構成に従って無駄なく構成できているか?」

という問題と、

「それが商業的に売れるか?」

というのはまったく別の問題だ。

商業的消費はたぶん非体系的な世界で、体系的技術がそれにどこまで寄与できるかは分からない。

とあるデビューした卒業生処女作は、内的整合性など何も考えていない、次々と新しい要素がひたすら出現する怪作だった。

その一方で、しっかりした技術のある人が、なかなかデビューの糸口を見つけられないでいる。

ちゃんとした構成や一貫性よりも、変に魅力的な脇役が愛されたりするのが商業世界だ。

特に日本おいて、消費者は全体よりも部分を好む傾向が強いと思う。

そして、部分で受けることを狙うのはかなり難しい。

部分を愛する文化というのはきわめてハイコンテクスト文化で、普遍的一般的技術原理的に存在できない気がする。

それは様式美に満ちた世界で、日本の文化はそういった様式美の継ぎ足し・連続で出来上がっているようにも思う。

こういった事は加藤修一の「日本文学史序説」に素晴らしくまとまっていて、とても面白かったので、創作に関わる人は序章だけでも全員読んだ方が良いと思う。

マンガゲームアニメラノベも全部これで説明できるし、将来的にどんなもの日本流行するか判別する目安にもできそう。

これは学校では教えてもらえなかったテキストだ。

以上を要約すると、ちくま学芸文庫から上下巻で出ている加藤修一日本文学史序説」を3000円で思い切って買おう、それを読めば専門学校に行かなくても大丈夫場合によってはラノベを書かないで済ませられるかもしれない、ということだ。

2013-08-15

世の中には「2種類」の百人斬りがある。

uncyclopedia(百人斬り)

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A

やる夫で学ぶ百人斬り裁判

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1373676357/

世の中には「2種類」の百人斬りがある。

1つ目は「武勇伝」としての百人斬り

藤原竜也が自ら知り合いやマスコミに自慢していたもの

1人の女性性交渉を申し出てOKを貰い、

それを100回繰り返して100人女性性交渉を持つこと。

俺達みたいな人間には実現不可能である

うらやましくてうらやましくてしょうがない。

2つ目は「戦争犯罪」としての百人斬り

野田少尉向井少尉がその罪で処刑され、本多勝一らが主張する百人斬り

捕まえた中国人捕虜民衆ゲーム感覚日本刀で斬っていく、というもの

上と違ってちょっとシャレになっていない。


百人斬り論争が混乱しているのは、この二つの意味を持つ「百人斬り競争

意味がごっちゃになっているせいであろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130815185632

http://anond.hatelabo.jp/20130815115756

百人斬り」をやる夫で学ぶ

wikipedia(百人斬り競争)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

やる夫で学ぶ百人斬り裁判

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1373676357/


世の中には「2種類」の百人斬りがある。


1つ目は「武勇伝」としての百人斬り

野田少尉向井少尉が自ら知り合いやマスコミに自慢した百人斬り

敵兵と日本刀で対決して斬った、それを百人達成した、というもの

自分たちで自慢するだけあって、プラスの印象のできごと。

ただし、常識で考えれば行うことは非常に難しい。

2つ目は「戦争犯罪」としての百人斬り

野田少尉向井少尉がその罪で処刑され、本多勝一らが主張する百人斬り

捕まえた中国人捕虜民衆ゲーム感覚日本刀で斬っていく、というもの

残虐で、マイナス印象のできごと。

無抵抗の相手を数ヶ月かけて日本刀メンテナンスしながら行えば

達成不可能なことではない。

稲田朋美山本七平右翼論者は

本多勝一は『1つ目の百人斬りがあった』と言っている!

 だがそんなことは実現不可能だ!

 だから百人斬りは嘘だ!」

と主張しているが、実際に本多らがあったと主張しているのは

2つ目の百人斬り


百人斬り論争が混乱しているのは、この二つの意味を持つ「百人斬り競争

意味がごっちゃになっているせいであろう。

2009-06-01

南京事件否定論はなぜ相手にされないのか(初心者むけ)

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1

http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20090530/1243663042

に便乗してみる。

分かりやすく今までのことを要約すると、

はてサid:D_Amon氏、「南京事件否定論を真に受けるのは無知だ!きちんと歴史勉強しろ!」と自分歴史学の初歩とやらのエントリーを書いてそこらじゅうに爆撃する。(正直いやがらせかと思う)

自称中立id:a-kubota氏、「中立の俺が肯定派も否定派も分かりやすく説明してやるぜ!」とかいいつつwikipediaを信用して(笑)肯定論と否定論の要約をする

はてサ諸氏、「歴史学の結果である肯定論とトンデモでしかない否定論をいっしょくたに扱うとはなにごと!ムキー!!」

ってのが今の状態。

それで中立のid:a-kubota氏が否定派と肯定派の両方を紹介してくれたので、なぜはてサ諸氏が否定論をまともに取り扱わないのか、

なぜ南京事件否定論をまともな論のように紹介したa-kubota氏がキレられているのか、説明したいと思います。

理想としては新書を一冊でいいから肯定派の本を読んで

まず「南京事件肯定派ってどんなことを肯定しているのか、そもそも肯定派の言ってる南京事件って何か」を知って、

それから有名どころの南京事件否定派の本を読んで否定論者の言ってることって根拠があるのか調べてみるってのが、理想なんだと思う。

けれども、a-kubota氏のエントリを見て満足しちゃうような人って、絶対にそんな面倒くさいことしないのね。

id:D_Amon氏が「じゃあもっと要約してみた。これを読め!!」って言ってみても、それすら読めない。

なぜかと言えば、id:D_Amon氏が信用できるか分からないので、読んでみて結局無意味だったら嫌だし。

と言うわけで、中立のid:a-kubota氏が紹介した否定論と肯定論のうちなぜ否定論がトンデモなのかを短く、めんどくさくなく説明しようと思います。

と言ってもどう短くしても内容に立ち入ると面倒なので、内容には立ち入りません。

たぶん短い。


否定論者に歴史学者がいない

藤原彰・笠原十九司・秦郁彦歴史学者ですが、東中野修道歴史学者ではありません。(政治学思想学の人)

他にも渡部昇一とか小林よしのりとか田母神さんとか否定論を唱える人はいますが、歴史学者は一人もいません。


裁判で負け続けてる

否定派VS肯定派の順で紹介していきます。

秀英裁判

松村俊夫(否定論者)VS李秀英南京事件証人

秀英の勝利。松村俊夫は「李秀英の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「松村さん、あなたの言ってるこれこれこういう部分っていいがかりですよ」となって敗訴。

百人切り裁判

稲田朋美国会議員)VS本多勝一朝日新聞

稲田裁判長にほとんど相手にされずに本多勝一の勝利。本多勝一と言えば、初心者でも「胡散臭い人物」ってことは知ってると思う。

うん、そうなんだ。胡散臭い人物にも惨敗するのが否定論者なんだ。

夏淑琴裁判

東中野修道写真で有名?)VS夏淑琴南京事件証人

夏淑琴の勝利。東中野修道は「夏淑琴の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「お前別に問題のない証言をわざと英語を訳し間違えて辻褄合わなくしてるだけだろ」ってなって敗訴。

東史郎南京事件で嘘の証言をしたってことで敗訴した。日本司法が嘘の証言に甘いってわけじゃない。

証言者では敗訴した人間はいるけど、敗訴するような人の証言は学者はやっぱり重く扱わないし、肯定論の学者が敗訴したことはない。

日本政府自体は肯定派

http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/area/taisen/qa/08.html

日本政府南京大虐殺定義は「日本軍南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったこと」でこれは事実としてる。

他にも文部科学省が「南京事件あったかどうかわかんないよ」って書いたつくる会教科書に検定意見つけて「南京事件あったよ」って書きなおさせたこともあったでしょ。



肯定論者はイデオロギーに幅広い

例えば東中野に賠償命令判決だした三代川三千代裁判官は、保守的判決出すのに有名な人だし、秦郁彦に至っては右翼、「つくる会」の会員だったこともあるくらいだから「極右」って言ってもいいかも知んない。

肯定論者は左から保守から右からいろんな人いるけど、否定論者って極右かいないよね。

どっちがイデオロギーより事実を優先しててどっちが事実よりイデオロギーを優先してるか明らかだよね。



否定論って互いに矛盾しあう

例えば、否定論の論法の一つに、

1947年東京裁判で出てくるまで、南京で虐殺が起きてるなんて話はどこにも無かった!東京裁判でいきなり話がつくられた証拠だ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのがある。さらに、

1938年に、蒋介石が『南京日本が残虐行為をしてる!』って宣伝するための証拠を捏造する部隊を作った証拠をつかんだ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのもある。ひどい時には同じ人が言ってる。

でもさ、1938年にしきりに南京大虐殺宣伝してるんなら、1946年には広く知られてるはずだよね。同じように「南京事件を起こしたのは朝鮮人だった説」とか「便衣兵の処刑を大げさに言った説」とか互いに矛盾しあう説がいろいろあるって言うか、

南京大虐殺」を捏造した勢力も捏造した理由も違いまくるのに、なぜか喧嘩せずにお互いに褒めあってるよね。

おかしくね?

 対して肯定論者って、細かいことでも主張が違うと議論しまくる。

有名な例でいくと笠原VS秦とか。

お互いに「南京事件あった」って言ってることは同じで、南京事件の中身でも幕府山で起こったこと、下関で起こったこと、安全区内で起こったこと、新口路で起こったこと、大まかには同じこと言ってるのに、それでも例えば幕府山事件の詳細で細かい違いがあっただけでも喧嘩しまくる。

なぜかと言えば真理を求めてるからに他ならないと思うわけ。

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最後の方は「初心者へ」って感じじゃなくなっちゃったかも知れないけど、「大まかに信じれることを知りたい」って人には参考になったと思う。

これを見ても、

日本以外のすべての国と日本政府日本司法自民党の大半と民主党のほとんどと公明党共産党社民党全員とマスコミが間違っている!俺が正しい!」

って言う人もいるだろうけど、そういう人は「初心者」では絶対にありえないからいいや。

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後日追加。

おまけとして、これを紹介しておこう。

否定派のサイトだけど、第一話を読めば南京事件が大体どういうものか分かるんじゃないかと思う。

id:D_Amon氏のやつは文章がいっぱいで読めないって人向け。

http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/

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