はてなキーワード: 修士論文とは
今まさに卒論の追い込み中って人、多いですよね? ラストスパート、頑張ってください。
さて、研究者を志してこれから修士課程、博士課程への進学を考えている人はぜひ、卒業論文を徹底的に評価して貰ってください。
論文は、書き上げただけでは意味がありません。必ず信頼できる人に評価して貰ってフィードバックを貰いましょう。 指導教官も多忙ですし、沢山の卒業論文・修士論文を受け取っているわけですから、自分からアクションを起こしていかないと、最悪の場合読んですら貰えません。
論文を評価して貰う時には『この論文を学術雑誌に投稿するためには何が足りないか』について意見を聞きましょう。 分野によっては非現実的かもしれませんが、研究者を志す学部4年生には卒論を改善したものを一度投稿してみることをお勧めします。 無料で自分の研究について検討して貰えて、場合によっては大学院における研究方針まで示唆して貰える訳ですから、チャレンジするべきだと思いませんか?
指導教官は「この内容で論文投稿?まだ早いよ」などとあなたを門前払いするかもしれませんが、必ず『どこが悪いのか、何が足りないのか』を全て聞き出しましょう。 このとき、指導教官の力量や指導にかける熱意について見極めることを忘れずに。 全く取り合ってくれない指導教官ならば、将来的に研究室を移ることも考えていかなければいけないでしょう。
さぁ、明確になった課題を一つ一つこなしていき、すべてクリアしたならば思い切って論文投稿に挑戦しましょう! 研究に学年は関係ありません。 必要以上に学術雑誌を神聖化せず、ガンガン論文を書いていきましょう!
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1018/152147.htm?o=0&p=1
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「初めから「大論文」を書こうなどと思わなくていいんですよ。何所ノ誰兵の「たたき台の論文」に一撮み考察を入れます。本の中に一文章だけ付け足す様に修士論文は学問と言う大海に一つの砂利を投げる事で精一杯。書いてる人には「血ヘド」です。後は教授に見せ、微調整します。
私、自分の修士論文は封印してます。あれは私の「ヘド」ですから。」
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「また、修士や博士の研究途中で満足のいく論文が書けた!って言う人がいたら、そりゃその分野で若き天才として脚光を浴びられるごく少数の人だけでしょう。」
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「基本的には、今の自分を受け入れるってことです。
今の自分を受け入れることは実は大変な作業で、すごーーく情けなかったりもします。
でも、自分が今いる位置を確認しないことには先に進めないんですよ。」
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「何度も逃避しようと思いましたし大学院なんか辞めてやろうかとも思いましたが、今、必死で論文を書いています。
逃げたら本当の負けですしね。」
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「たとえその研究や実力が認められなくても、
そう思って書くしかないのですよ。」
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「修論を提出するなんて本当は難しい事ではないのだから、彼は乗り越えることができるかもしれない。ここが彼の人生を決める。」
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「めでたいことに就職が決まったわけですが、修論提出の時期になるとこれが大きなプレッシャーへと変わります。「修論が通らないと卒業できない(私の院の場合)→就職取り消し→人生真っ暗」、という悲観的な図式が頭の中をよぎります。睡眠も困難になりました。現在、就職して6年たちますが、未だに当時が人生で一番辛い時期でした・。」
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と言われていました。つまりは、特に才能がなかろうとも、
修士論文が書けないという事は努力が足りない、という事です。」
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「勉強が合っていない?自分で選んだ勉強でしょう。社会に出れば合っていない仕事なんて山ほどすることになりますよね?その都度鬱になるのですか?」
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「修論書けないとか言ってる奴ちょっと来い」
明日、精神科に行くんだけど、何をどう話したらいいのだろう。
事情を説明すると、数か月前から研究を始めると、研究の進捗の遅さや出来の悪さが目について、先生にすごく申し訳なくて自分を責めてしまったり自殺を考えたりするようになった。ただ、何をやるかは自分で決められる研究室だったので、自分で休みを決められた。それで、研究をやり始めるとひどく落ち込むので、研究以外のことしかできなくなってしまった。もちろん、研究を「やらなきゃ」「やらなきゃ」って必死に思ったんだけど、結局、研究を始めると死にたくなって・・・結局、そのためで修士論文が提出できず、M3になってしまった。情けなくて仕方がない。先生にも申し訳ない。死にたい。今、そんな感じ。
あんな、チメーな,俺だって普通に考えりゃこの2年間なんの蓄積もなかったんだから正面からまともにいいの書こうとか思ってたら書けねーんだわ。だけど書くんだわ、書いて掻いて回転だわ今。あと3日しかないんだわ、背景目的方法論と実験概要しか書いてなくて明日明後日で実験して論文にまとめて明々後日最後に先生にチェックうけてもらって出すつもりだしテンパっちゃってるし。で、わかってんだわ、この計画性のなさ、研究テーマ決められないグズグズ感、頭の悪さ、ぎりぎりまでいろんな実験してだめでまたやってだめでやっといけそうなもんみつかったと思ったら後3日でニッチも察知もいかんけどとにかくやるんだわ。提出あと数時間なのに数行しか書けてないとかほざいてんじゃねえ、チメー元々書く気失ってあきらめてんだろ何ヶ月も前から、俺はなはっきりいって周りのやつらと比べたらゴミくず階層以下のなんちゃってチンカス理系学生で論文に数式が出てくると論文が読めなくなるクソ雑魚野郎だけどな、書くんだよ、関係ねーよ、書くんだよ,論文発表会でクソミソに言われようが落第の判子押されようがやるんだよ、やりきってから結果を待つんだよ、今結果の予想してんじゃねーよ、無駄なプライド抱えて悶々としてんじゃねーよ、出来不出来がどうとか内容がカスで恥ずかしいとか言ってる前にお前はお前が決めた目標をやりきるんだよ。おれは卒業できてもできなくても今は関係ねーんだよ、ただただ自分の低脳をフルに絞り出して俺の人生で得た全ての知識と技術を結集して動員してフルンテンションで書ききるんだよ。とにかくやりきるんだよ。
優秀な学生は学部と修士の学位をとるらしいがどうやって取るのか、第三者視点から説明してみる。
ちなみに卒業に必要なのは126から128単位が普通。建築は普通の学部と違う(通常は5年制)
通常アメリカの大学を卒業するには60単位程度の一般教養(工学部とかだとほとんどが物理と数学系で全然一般教養ではない。)と60単位前後の専門課程で構成されている。夏学期の間に一般教養の科目をとることによって、卒業年数を減らすことができる(減らさないで自分みたいに関係ないコースをとるまくる人もいる合計190単位取得予定)。
日本人でこれをやるのはほぼ自殺行為だけど事実上一学期間に取得できる単位に上限はない(けど成績が優良でなくてはならないのは当たり前)。たとえば自分みたいに一学期に21単位とれば一年に42単位、三年で卒業できる計算。夏学期をとればたぶん2年半で卒業できる(ものすごく辛いが)。
要因3:単位制である。
要因4:修士論文の研究を4年時の夏(すなわち3年が終了したあと)に始めることができる。
修士論文の研究を始める時に学部制であるにもかからわず有給で研究を始めることができる。でステータスが大学院生になったときそのままリサーチアシスタントとして学部か教授に雇われることになるからさらにお得。
一定に制限はあるものの学部生のステータスで大学院の授業を受けることができる。
アメリカ市民である程度優秀(たぶんこの優秀って意味は日本人感覚に優秀ではない。)であるならば簡単に奨学金が出る。バイトしなくてもいい。
けどそれ相応の努力と忍耐も必要だということは認識しといたほうがいい。日本の文系みたいに遊び呆けているアメリカ人はいっぱいいるけどね。(アメリカの大学生は勉強するってのははっきり言って神話)
情報系大学院で、自分から修士論文のテーマを発案して、教員に認めてもらってやっている。
教育用ツールみたいなものなのだが、今になって、「こんなものテーマにしなきゃよかった」と、かなり後悔している。
そして、教育系では、実際に教育現場で使ってもらわないと、全く評価にならない。
教育現場で使ってもらうったって、こっちは情報系だからそんなコネはない。
まぁ、大学にいるから参考文献探しは出来るので、「教育に有効である」ということは教育系の参考文献を並べて認めてもらって、実際に学生に使ってもらわずにできる実験だけやって、それで修士論文を書くしかない。
教育学が怖いよ。教育の人に見せたら「こんなもの、全く役に立たないですね」とか「ちょっとばかり情報とか数学とかに詳しいからって、修士の学生がヘラヘラ首を突っ込むんじゃねぇ」とか言われそう。怖くて怖くて一年ぐらい研究が止まってしまっていたが、もう修士2年だし、ダメダメでもいいから修士論文書くしかない。
怖い死にたい。
煽られなさんな。
まあ、まあ、指導教官からすれば、大概の子の修士論文は不安でしょうよ。あなたがバカかどうかは別問題。
別に指導教官の先生も、いじめているわけではないだろうし、おそらく、君がとりわけ馬鹿なわけでもなく。
分野にもよるけれども、分野によっては修士論文がしっかりとしたクオリティに仕上がる人のほうが少ないしね。
もちろん、大概の人がそこそこのクオリティの修士論文を書ける分野もあるだろうけれど、
研究計画をかなりゼロにちかいところから作り上げていく場合は、バカとか、頭いいとか関係ないよ。みんな大変。
博士に進む理系M2.今、修士論文書いている。M1の人に向けて。
博士進学や、アカデミックに進むかどうかでは色んな人が色んな長文を書いているが、「なんでそんなに難しく考えるんだろう?」と思う。
研究がおもしろいと思うなら、もっと簡単に判断する方法がある。(おもしろくなければ、修士で就職すべき)
わざと厳しめに書いたけど、厳密には「(当分)諦められるか?」だな。当分というのは、5年〓20年ぐらい?あるいは一生独身か。
この判断基準、極端だけど、かなり当たっていると思ってる。一人だったら、何とかなる。家族がいると、いざというとき(次の就職に失敗したとき)身動きが取れない。
理系で修士出て博士進学までした人に、職が全くないわけがない。選ばなければ自分一人で食っていけるだけの職は必ずあると思う。
給料が奨学金の返済額に足りなくても、少額でもマジメに返す姿勢を見せていれば、そう簡単に破産に追い込まれるようなことはされないと思う。最悪、奨学金を返済するだけの人生に飽きたら、どこか人目につくところで「大学時代の奨学金が返せなかったから」って遺書を書いて首吊ればいいじゃん。ある程度、社会問題として取り上げてもらえるよ。首吊りって、自殺の方法では一番苦痛なく簡単・確実に死ねる方法だし。
「何とかなる」っていいながら、自殺を取り上げていて、矛盾しているようだけど・・・要するに言いたいのは「一人なら失敗しても苦痛を逃れる方法はいくらでもある」ということだ。
結婚してたり子供がいたりすると、そうはいかない。配偶者ともうまくやっていかなきゃいけないし、子供は養育しなくちゃいけないし、お金も時間もかかる。研究時間も削がれる。いくら苦痛でも、配偶者や子供のことを思うと簡単に自殺はできない。事実、研究者で結婚してたり子供がいたりする人は、ほぼ、将来が安心できる職にありついた人たちだ。
だから、博士やアカデミックに進学するなら、結婚や子供は諦めるぐらいのつもりでいかなきゃ。もっと言えば、結婚や子供より、研究の方がずっと価値が高いと思える人が博士・アカデミックに進むべきだ。不景気だし、少子化だし、この先見通しはどんどん悪くなるけど、一人なら何とかなる。
http://anond.hatelabo.jp/20081127063438
バスト:AAとAの65を行ったり来たり(忙しくなると食べるの忘れて脂肪がどっと落ちるんだ)。
一目で日本人と分かる顔と黒髪。
痩せると若いころの宇多田ヒカルに、歌うと昔の倉木麻衣に似てると言われる。声が。
好きなこと:飲み会、料理、あとカラオケ行ったり盆栽クラブ行ったり増田潜ったり回路組んだり美術館めぐりしたりCやJavaで思いついたもの作ったり写真撮ったり工具のカタログめくったりトラックを下から覗いたり。
好きなもの:酒、機械式時計、アナログカメラ、はんだごて、工具特にドライバー、苔、機械全般(小さい方が好み)、センサ全般、マフラー、靴下、調理器具、インテリア用品
バカは嫌いでもない、スイーツ(笑)は笑えない、なんでもiPodと呼ぶ奴は見ててイラっとする。
前の彼氏と別れて2年ぐらい経つけど、正直この先男が出来る気が一切、全然、欠片も、しなかった。
「地図が読めない人は何で読めないんだろうっていつも考えてる。三次元地図ができれば解決する気がする」って言ったらそれまで気のないそぶりをしていた男がくいついた。
先週末何する予定?って聞かれたから「寝てます」と答えたらそれ以上何も聞かれなかった。
バーでお酒でもと誘われたので一緒に居酒屋に行ったら相手が飲み潰れそうになったので世話してやった。
知り合った人にご専門は何ですか?って聞かれるから素直に専門を答えると「。。。そうですか」と言われたのでここから俺のターン!とばかりしゃべりまくった。
同僚はすでに私を女として見ていなかった。
年下君には怖がられるし男友達は簡単に出来ないけどなぜか彼氏はできた。
意味わかんないモデル化をして楽しそうに仮定話をするくせに時々妙に女の子っぽいところがいいんだと。文系の男はわからんね。
今更かわいらしいふりなんて出来ないし。ツッコミがきついのも仕様だし。
同僚とは付き合う気はないし、新しく出会っても恋愛対象として見てもらえてない。まぁでも彼氏ができたら他の男とかどうでもいい。
このままずっと一緒にいられたらいいんだけどなー。
追記:カッとなって書いた。今は後悔してる。
まさか自分がこうなろうとは。
今から大学院へ行こうか、また大学や大学院を中退しようか考えている方のために書きたいと思います。
あらかじめ断っておきますが、自分の主観が大きく入っているので、
この記事を読まれる個々人の状況により解決策は異なることと思います。
しかしそれでもこの体験は多くの理系大学院で起こりうるものであることと思います。
私が通っていた大学は4年生になった時から研究室への所属が決まります。
しかしながら、研究室というものには人数の定員があり、思ったところへ行けませんでした。
私の所属が決まった研究室は学校の中でもトップクラスの場所でした。
優秀な学生は自ら名乗りを上げ、大学院入試の際は外部の大学から受けに来られる方もいるくらいの場所でした。
そんな中で私もこれはそういう運命なのだと、やる気に満ちてがんばっていました。
同期の学生も同様で、4年生の当初はみんな楽しそうに研究を行っていました。
そんな状況が変わったのは修士2年生が修士論文を書く秋口のことでした。
その時私も学士論文を書く立場だったのですが、修士2年の方が学校を休学されました。
原因は『このようでは修士を卒業させないぞ』と言う教授達からの圧力でした。
その方は学術論文を1報出されており、研究技術と基礎知識において十分な方だったと思います。
そして度重なる言葉責めの結果、休学でした。
私が大学院中退を決めるまでの間に復学はなされておらず、まだ鬱病状態のままだそうです。
私はそのようなことがあった中、進学し大学院へと入学しました。
その辺りから私に対しても同様の言動が開始されました。
私は研究結果があまり芳しくなく、そこから考えれば不出来な学生でした。
私の所属していた研究室では実験技術や基礎知識と言った点は評価されず、
同じ実験量でも教授が帰る前に帰れば不出来、帰らなければ優秀と言った見方です。
研究が好きな方は楽しいし評価が上がるし良いのかも知れません。
しかし、研究だけではなく他分野などの実力も高めたい人にとってはあまり良い環境ではないです。
普通の研究室では勉強会と言ったような、学生の基礎知識を高める場が設けられると思います。
私が所属していた研究室ではそれはありませんでした。
研究結果だけを見ると旧帝大に引けを取らないかも知れませんが、学生の質は低かったと思います。
一緒に話す機会が設けられる学会などでその差は出てきました。
よく耳にするのは同じような厳しい研究室では鬱状態になる方が数人は出るそうです。
つまり、私が所属している研究室だけではないのです。
また同じ修士卒の資格を取るという点では楽な研究室もあります。
このような現実がある中、本当に自分にとって学歴というものが重要なのかを考えるようになりました。
しかし、質と言う見方をした場合はどうでしょうか?
質というのは様々な方面の見方があり、一概には言えない事だと思います。
私は多くの社会人の方と話す機会を設けて頂き、
人生まだまだ60年近くあるこの身において、
就職を担当する人事の方もこの現実を考えて頂ければより良い会社に成長されることと思います。
それでは、長文失礼いたしました。
これまた典型的なのが釣れちゃったなー。
まずいまどき真っ当な分野なら、それこそ数理みたいな世間イメージでは女性の少なさそうな分野であっても、第一線‐大御所の女性研究者はそこそこいるものだし、それは国際誌の評価システムによっても担保されている(念のためだが、ここで国際誌を持ち出した理由は、国内の学会の身内評価合戦だと客観性が担保されない可能性を想定したため)。
という世界観を持ってるのはあまりにも実態を知らなさ過ぎて、あまりにも単純化された(ある特定の志向の男性の)耳に心地よい理想のストーリー風なので、逆にモグリじゃないかという疑いを持った。どんなに男のプライドに凝り固まった老教授であっても、この点を否定する人は今日日いないと思うけど。
タイミング次第で採用される。教授の門下生のうち上位にそのとき動かすに適当な人がいなければ、たとえ在学中であっても採用されるもの。そんな人事は珍しくない。こんなん、それこそアカポスのはるか昔からの常識では。モグリじゃないのかという印象がますます強くなった。
この業界にはとんでもなく非常識な事態があっても不思議はないので、この世のどこかにそういう関係がある可能性までは否定しないけど、それが「多い」という主張になると、そりゃ増田の認識の方を疑わざるを得ない。つまりこの増田は「女が俺より優秀なわけはない。俺より早くポストを得た女は教授と寝たに違いない。」という妄想を持つタイプだと見た。これは滅多にいない大物。きっと周囲の人間に「あちゃー」と思われてるよ。
アファーマティブアクションに関しては、たしかに不当であることは認めるし、自分自身無くす方向で努力している。今の状況下においては既に役割を終えた制度であって、当初の目的を超えて、所属機関のイメージ戦略としての使われ方をしているように思う。
やっぱりモグリじゃないの?集団として性差があることまでは否定しないが、性差より個体差が大きいことを経験から学んでいないとしたら、根本的な認識がおかしいと思うのだが。まともな知性を持った人間の意見とは思えない。まあ増田だから極端な意見をあえて言ってみた釣りなんでしょう。礼儀としてそのまま乗ってみましたよ。
いつも思うんだけど、男の学問の世界で女が頑張っても成果挙げられる例なんて稀有だよ。
女っていう立場を卑怯に利用してのし上がってきた人ばかり。
彼女たちは
理系女子は一般女子を見下していて、大したことないのにちやほやされてて、都合のいいときだけ女を武器にして、エトセトラエトセトラ。
まったくこの通りの人種で、なおかつ無能。
査読どころか学会発表の経験もない大学教員が、何を指導できるんだ?
こうした人の多くは有力な教授のコネクションを持ってる。つまり愛人関係だ。
母校の旧帝大では、多くの女性ドクターが教授とこうした関係を持っていた。
アカポスには女性枠がどこも作られていて、国立大学は女学生優遇制度を設置しようとしてる。
ウソじゃない。俺が務めてる国立大学で実際に進められてる話だ。
研究員の採用枠が10名あったとして、そのうち1-2名が女性枠だ。
残りの枠9名に対して1000人の有能な男ドクターが応募する。
そして、落ちた9名の無能な女ドクターからは自分が落ちたことが女性蔑視に由来するという内容証明を送りつけられる。
10名の枠をすべて女性で埋めろって言うのか?
マタ開いて学位取ったくせに、なお権利を主張するのか?
脳の構造が男と女で違うんだから、理系なら張り合っても無理なことくらいわかるよね?
でも、好きだから趣味で続けたい?
女の理系は居るだけ迷惑なんだよ。
君たちのわがままで、君たちの好きなこの国の理工系分野はドンドン衰退していくんだ。
それでも理系にこだわるの?
まず、僕が起業を考えるに至った経緯について、ちょっと話をする。
僕も、去年の3月ごろは就職活動をしていた。IT業界で、アニメーション制作を合理化するシステムを作りたかった。これから必ず必要とされる分野だけに、今から手をつけていれば確実に利益を手にできますよ、どの企業の面接でも訴えた。しかし、どこの企業も僕の言うことに耳を貸してくれなかった。
そして、大手企業の推薦で落ちたのを機に、急にやる気が失速、というダメ人間っぷりを僕は発揮。実家には金がなく、これ以上大学院に残ってもう一度就職活動をする余裕がない。そのうえ、ドクターに行く金もない。留年もしているので、奨学金ももらえない。というわけで、何もしないまま修了を迎えることになった。
自分も働いて、自分で金を稼がなくてはならない身。しかし、文系修士の既卒なんてどこの企業も採ってくれるはずがない……。そうなると、フリーターになるしかないことに思い至る。
ただ、僕は目的もなくフリーターになるのがいやだったため、どうせフリーターになるなら目標を持とうぜと思うようになった。さらに、自分はアニメ・映像業界へのこだわりが強い。このこだわりを仕事に生かせれば、どんなにつらいことがあったとしても自分のモチベーションを高めて生きていくことができるだろう。
そういうわけで、起業してアニメ業界の役に立ち、自分もその対価で食っていく、ということを目標にするようになったのである。
かなりのマイナス思考から始まった起業の意志である。しかし、どんな言い訳をしようと、一度宣言してしまったからには後には引けない。持ち前のマイナス思考でブレーキを踏みつつ、前進していくのみである。
まず、大きな目標として、「現在のアニメーション業界において、歴史的に構築されたヒエラルキーのもと、アニメーターや制作進行はただのオペレーターとなっている。そこで、アニメーターや制作進行などの仕事を、自己実現を達成する手段としたい」という思いがある。
それを実現する第一ステップとして、 (1) アニメーション・スタッフリストの整備による業界全体の把握 (2) 中小アニメーション企業のWebサイトの制作 をしたい。
いちおう、二つの事業をやっていきたいと考えている。
スタッフリストを集計していて分かったのだが、中小アニメーション制作スタジオは、ほとんどがWebサイトを持っていない。それどころか、住所や連絡先すら公開されていない。これでは、アニメーション制作会社の社会的信頼が得られることは難しいだろう。一方で、中小アニメーション制作会社には、Webサイトを作る暇も金もないのかもしれない。
そこで、僕がアニメーション制作会社のWebサイトを、定型に従って安価に作れば、相手も喜ぶし自分も懐に金が入ってくるのではないか、と考えた。
経済産業省は現在、「コンテンツクリエイター登録制度」というのを考えているらしい。そこで、必要な基礎統計資料となるのが、スタッフリストである。僕はアニメーションのスタッフリストを集計してデータベース化することにより、この動きを支援したい。
アニメーション・スタッフリストとは、アニメーション番組の最初と最後に出てくる、スタッフや制作会社の名前の記載されたテロップのことである。
アニメーション業界は最近やっと産業としての体をなしてきたが、まだまだ発展途上である。特に、関連データの統計があまり整備されていない。
一方で、アニメーションスタッフリストは、テロップという確実な証拠を基にした良質な統計情報である。これを見れば、誰がどの作品とどの作品に関わっていた、というようなことがすぐ分かるからである(すぐ分かるようにするには情報の加工が必要なのだが、それは後のエントリーで述べる)。
アニメーション産業において統計情報がそろっていない現状をふまえると、アニメーションスタッフリストを集計する意義はあるといえる。
これを集計しているサイトとしてD2_STATIONや不審倉庫があるが、それらは残念ながら、リレーショナル・データベース型になっていないので、「○○という人は××という番組と△△という番組の両方に名前が載っている」というような検索の仕方ができない。
私は、リレーショナル・データベース型でスタッフリストを整備し、Web上で登録した人が手軽に検索できるような形にしたい。
(4)は会員制サイトにし、使用料を利用者に払ってもらう。 (6)は、CD-Rにでも焼いて販売する。
親身になって相談にのってくださったことには、たいへん感謝しています。
それで、起業する際に、協力者としてお金を貸してくれるところと、商売相手はどこにしたほうがいいのか、という話題になった。
起業家の方は、「アニメーションのスタッフリストを拡充して、ジャンル、視聴率とその番組のプロデューサー・監督の名前だけ取り出せるようにしとく。それで、『この番組で、このジャンルでこのプロデューサーとこの監督なら、視聴率はこれくらい取れたから、このスタッフで行きましょうよ』とビジネスのネタにする人たち、つまり広告代理店やテレビ局、ビデオグラムメーカーあたりが商売相手としていいんじゃないかな」とおっしゃった。また、「自分の作ったネタでビジネス慣行が変わるとしたら、それはそれで面白いんじゃない?だって、プロデューサーと番組実績がすべて公開されるわけだから、これは商売相手にとってビジネスプロセスを変える大きな力になると思うよ」ともおっしゃった。
そのまま鵜呑みにするわけではないけれども、自分のビジネスがどうアニメーションビジネス慣行に影響するのか、一度考え直してみたほうがよさそうた。
まず、経済産業省や日本動画協会やクリーク・アンド・リバーや映像新聞などは、出資元として有望であろう。
また、パッケージの売り手は、アニメーション製作会社になるだろう。
Web上のデータベースシステム(MySQL)のデータは、アニメーションマニアでも自由に参照できるようにしたい。ただ、Web上のサービスでは、ジャンルや視聴率を載せないで、パッケージとの差別化を図る必要がありそうだ。
とりあえず明日あたり、今まで考えてきたことを文書化する必要がありそうだ。
修士論文執筆時に自分が作り上げたスタッフリストを見て、「パラメータが少なすぎて買う気がしない」という指摘を受けた。たとえば、視聴率とジャンルを付加してみたらどうか。そうすれば、アニメーション企画者が「このジャンルでこのプロデューサーとこの監督との組み合わせだったらこれだけの視聴率がとれたんだから、同じスタッフで行きましょう」というような提案を仕事とする、テレビ局や広告代理店、ビデオグラムメーカーなどに売り込めるだろうと。
また、そうすればアニメーション業界に緊張が走り、業界の構造も自ずと変わっていく。そうなったら面白いだろう、とも言われた。もっとも、そうなると指名される人が限られてきてアニメーション業界が二極分化することも考えられるし、新しい表現分野でのチャレンジも行われなくなるだろうから、そこは気を配らないといけないわけであるが。
修士論文もそんな感じでいいですかね。