はてなキーワード: ミクロとは
http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798
http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303
社会科学では特に、先行研究を概観する事は不可欠になっている。主題や論旨の方向性を合わせないと、話が噛み合わないからな。オーソドックスなのは、課題や論題を設定して、二次データになる既存の資料(=先行研究)を概観して、調査対象や調査方法を選定していく。そんでまた集計や分析をして結果を考察するプロセスを進めていく。といっても、ここは基本的に匿名のネット上だから、課題や論題の設定から二次データとなる既存の資料(=先行研究)を概観して、あとは結果を考察するくらいのプロセスになるだろう。匿名空間で匿名のままリサーチ結果を提起しても信憑性が無いし、ウィキペディアでも「検証可能なもの」しか学術的に主張する事はできないからな。
なんにせよ二次データとなる既存の資料を概観するのは、今のお前=トニオ=id:gerling=id:DoYouLikeWorms=id:VanDykeParks2=id:みたいに一つの学問領域を「ガキくさい」ものとして根底から覆そうとする奴にとっては不可欠なんだ。
だがトニオは
とアホくさい事言っちゃってる。
これがメディア論という一つの学問領域の根底を覆そうとする人間の態度か?こんなものはアインシュタインの文献をなんら参照せずに相対性理論が非科学的だと主張しているようなもんだ。その辺の勘違いした疑似科学批判者と同類だろ。おまえは昔からそうだったな。社会科学を誤解している。
「ぼくは貴方に現代ドイツ哲学の講義なんか聞きたいわけではないし(そもそもぼくは言ったとおりボルツを単なる馬鹿だと思ってるし)、形式だけで内容のない哲学の話をしたいんじゃない。どうだろう、形式はもう十分だから、そろそろ本論に移ってくれないだろうか?」
お前が現代ドイツ哲学の講義を受けているのは、おまえ自身が現代ドイツ哲学の文献をなんら参照せずに喧嘩を吹っかけているからだろ。調査不足を指摘されてるのはそのため。一つの学問領域に喧嘩売るなら、それ相応の準備をして来いってことだ。
・突然喧嘩を吹っかけられた側
・論旨は明快。
フランクフルト学派(第一世代の否定主義→第二世代の相互主観的転回→第三世代の承認論的転回→第四世代の「メディア論」的転回)
社会システム論(形式と「メディア」の法則&コミュニケーション・メディア論)
・先行研究を概観しないトニオの存在を軽視し、なんか楽してる観はある
・IDが長い
メディア論否定派は悲惨。かわいそう
・トニオである時点で根本的に駄目だろ
・突然喧嘩を吹っかけた側
・ルーマンやボルツを読まずに、ボルツを馬鹿呼ばわり。先行研究を概観していない
・引用先の文献を読まずに、相手が引用した文章をそのまま引用するいわゆる孫引き行為に走っているhttp://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090220/1235087264
・論旨をズラして自己満に浸るだけ
フランクフルト学派の「メディア論」的転回が「ミクロ権力論」と同じだって?アホか
ルーマンを全く読んでいないのに、何故か社会システム論と観念論をこじつけようとする。ほんと言われてる通りの知ったかだな
・自分から反論し始めたくせに、その反論が駄目な理由を詳細に語られると、「現代ドイツ哲学の講義なんて聞きたいわけではない」論旨をズラして自己満に浸るだけ
・Id変え過ぎ
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798
この時点でもう決着が付いてる。いや、勝負になってないんだ。
あと、postに命令。踏み台とかいって何企んでんだか知らんがもうこいつの相手すんな。トニオが調子付くだけだから。自称村長のkanoseの逆鱗に触れるぞ→ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonio
乳幼児死亡率が高いと、一家を支えるために必要な子供の人数を安全に確保するためには余分に産むことが合理的な行動となる、って話を読んだことあるよ。ぐぐってみたけど出典を見つけられないので、アウトラインだけ記憶で書いてみる。
一家を支えてゆくためには各家庭で子供二人を働き手となるまで育てる必要があるとする。子供一人だと親が高齢化した時に飢えて死ぬ。
ところが医療や職や治安が悪いので子供の3人に1人が働き手となる前に死んじゃうとする。
期待値で考えれば、3人産んどけば平均1人亡くすので全体として均衡が保たれる。人口増加も起きない。
けれどもそれはあくまで平均の話で、家庭によっては2人、あるいは3人亡くしちゃうこともあれば、一人も亡くさずに育てられることもある。
各個人のミクロな行動で見た場合、3人産んどいて期待値で生き延びられる、というのはマージンがなさすぎて怖い。2人亡くしてしまったら大変な未来が待っている。それなら安全を見て4〜5人産んどこうか、という話になる。
(元の記事ではこのへん、ちゃんと確率をもとに危険率いくつなら何人以上産む必要があるとか、子育てのコストについても考察をしてたような気がするんだけど、忘れちゃった)。
問題は黒ずみだ。その上の白いコメドはどうでもいい。そんなものいくらでも取れる。
しかしその奥の黒ずみだけはどうしても取れない。どうしてだ?
黒ずみができやすい体質になってもいい。毛穴が開こうがどうでもいい。
この黒ずみを今だけ完全除去したいんだ!
でもできない。何でだ?
そんなに小さなものではないはずだ。ミクロサイズのブラシかなんかを毛穴ににれてささっとやれば取れるんじゃないのか?
どうしてそういうものがないんだ?
上から塗って取ろうとするのはもうたくさん。効果なし。毛穴の中に直接「取り出し可能な固体」が入り込まないとダメなんだよ!
どうしてそういうものがないのか。わからないのです。
細すぎて痛みのない注射がある時代なのに。
なんだかこういうミクロの意思決定や仮説を、どこまで延長してもいいのかというのことなんだろう。確かにそういうことは考えもするだろうし、簡単なモデルとしてはいいのだけど、じゃあ会社全体が派遣でも困らないジャンとも思うわけで。社長も当然派遣でw だって機能するはずじゃない。もちろんあれこれ理由はつけられるけど、その時最良のチームを集めて最大の効果を出すんだ、で押し切ればいけるだろう。ひょっとすると持続的な成長が問い出だすかもしれないけど、たぶん持続的(笑)と思っている人も少なくないしなあ。いや自分の退職金が出るまでの持続(笑)だろって。
以下、http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-426.htmlのコメント欄より転載。
2009/01/26(月) 21:00:14 恩義(Oblige347)
よく、日本の現体制を否定し、日本人の卑屈な性格を批評し、日本社会の劣悪感を訴えれば、二言目には「北朝鮮へ帰れ!」という御仁が多いですね。 そこで、このブログではっきりと公言しておきます。 朝鮮民主主義人民共和国は中華人民共和国と同等のレベルにて日本よりは尊敬に値します! この意味が解らない人にはどうぞ言ってかまいません「だったら北朝鮮へ移民しろ」とでもなんとでも。 少なくとも、朝鮮人民共和国を北朝鮮というあだ名であざけ笑う人間に聞く耳持ちたくありません! 本来ならば、日本と同等に哀れな愚民化への道を踏んでしまった大韓民国と統一を実現し、朝鮮半島がひとつの人民共和国になるべきなのですから…。
朝鮮民主主義は地理的な状況で苦しんでいます。 革命により衆愚政治を打倒し、一時的に共産主義という名の開発独裁政策を盛り込みました。 そして、外交において有利に動く甲斐性が得られる核武装の断行を行いました。 これぞ、フランス第五共和国初代大統領シャルル・ド・ゴール将軍の思想を旨く心得ているかのごとく達者です。 また、地理的そして国際政治的に不利な立場を克服するために、人民統制を敷く為に凝固な独裁体制に依存しなければならない国なのです。
もし、朝鮮民主主義共和国と大韓民国とがともに統合を果たし、朝鮮民主主義共和国が釜山などの国際貿易上有利な港を手に入れれば、朝鮮半島にも繁栄がもたらされるでしょう。 しかし、政治体制はむろん朝鮮民主主義人民共和国の独裁体制をそのまま温存するべきですね。 今、経済情勢も社会情勢も揺らいでいる大韓民国の制度を朝鮮民主主義共和国において導入すれば、人民の間でのいち早いコンセンサスが定められず、南北朝鮮半島における経済格差を埋め、長年の暗い政治的対立の波長を弱めるだけの効果が得られないからです。 その真の南北統一において必要不可欠な政策は、更なる開発独裁の断行です!
そういえば、シンガポール共和国が明るい北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)とあだ名されていることを思い出しましょう。 シンガポール共和国が、コモンウェルスという英国連邦の一員として残るが、主権をグレートブリテン(UK)から奪還し、リー・クアン・ユー上級相の思案を基に、開発独裁を行使して、独立後の混乱および多民族国家として人民静定、そしてある程度経済発展が起動にのるまでは計画経済を導入しつつも、国際自由市場におけるイニシアティブを序所に上げて、今現在は国民一人当たりの平均GDPを経済大国として胡坐をかいていた日本を追い抜かしたのです! そして、独裁国家といえども東南アジア諸国の中では経済成長だけでなく、多民族国家としての品格として社会不安定に陥れない価値観であれば許容し、そして売春合法化など人間の性格を世俗合理的に判断し、政治的に抑圧をしけども自由主義的な社会政策を導入するという異彩を誇る新興国優等生に躍り出たのです。
朝鮮民主儀人民共和国が地の利を得れば、シンガポール共和国とまでは行かないものの、日本を脅かす新興国に躍り出る可能性はあるでしょうね…。
そして、日本政府は朝鮮人民共和国を赤貧にあえぐ悪役国家としての印象を強く日本人に押し付け、あたかも日本が朝鮮人民民主主義共和国にて生を受けるよりましであるという錯覚をあたえるのです。 むろん、それは日本が高度経済成長期の真っ只中で、人民の精神がまだ旺盛かつ将来に対して希望を持てる時代であればいえたことでしょう。 しかし、バブル経済から日本は本当に衆愚化してしまった…。 社会の上に立つべき存在(責任制のあるべきエリート)が似非エリートとして上り詰めた愚民等により制御される社会になってしまったのです。 マクロ経済マネージメントを怠り国債所有率をGDPレベル100%以上にまで吊り上げ、将来人民への負担をかせました。 本来、あそこまで国内市場だけでなく、同盟国であるアメリカ合衆国にまで嫌がらせの如く市場拡大を行い、バブルの破裂した際の撤収費用(サンクコスト)を多く被るヘマをする土人である日本人…。 そして、現在にいたれば、経済大国を自任しながらも、その他アジア諸国に次々に追い抜かされ、外交上においてろくに自分の意見も貫き通せず、ただひたすら諸外国に貢ぐことばかりで、その負担を本来世の中を動かすべき人民へと押し付けているのです。 そればかりでなく、経済大国を自負しながらも、ここまで雇用体制が杜撰であり、将来へ希望を無くし既に餓死する可能性のあるレベルまで赤貧に追い込まれた個人が数多に続出しました。
おそらく、日本にて赤貧に成り果てた人口と明日への希望を見出せず真っ当に社会生活を送れない人口の合計は、朝鮮民主主義共和国の赤貧に面している農奴の人口と同じといって過言ではないでしょう。 むろん、下層階級に貶められた日本人の方がまだ物質面では恵まれた文化生活を送ることができるが、幸福度という面では朝鮮民主主義共和国の赤貧人口より2倍は下でありましょう。 そして、まだ朝鮮民主主義共和国の人民の明日への希望、そして自分自身を信じて今日と明日を生きる気力は日本愚民および下層階級よりも数段上です!
そして、政治面でも、あれだけ窮地に立ち、日本と違い不幸にもミクロ経済マネージメントにおける利点を得られなかったにも関わらず、国際外交においては屑日本を譲歩させるだけの力量を秘めております! つまり、日本の政治家や官僚よりも朝鮮人民民主主義共和国の方が格段に力量が上であるのです!
また、日本政府は未だ拉致問題という本当に朝鮮民主主義共和国の主導により行われたか疑わしい疑惑を明示しながら、御国を犯罪国家と罵る醜態であります。 これは、日本人拉致疑惑を完全に否定しているのではなく、日本政府がその拉致疑惑の正当性を主張しながら、実際になにもできない醜態であるからやけに疑わしいのです。 本来、拉致疑惑の有無を議論するよりも、もし拉致被害者が出れば特殊部隊を送るなり、外交上の圧力を積極的にかけるはずです。 そういうことをしない現日本政府の対応を見ているとまるで、日本人拉致被害が無かったかのようにみえてなりません! どうでしょうね? すくなくとも、○○協○のような現日本政府体制の腰ぎんちゃくであるカルト組織が熱烈に拉致被害を誇示している背景からしても、ますます怪しく見えますね…。
そらひどい目にあったなー。毅然と対応できたあんたはえらい。
トラブル起きると、ホント疲れるよな。俺も今日いやな目にあった。鬱悪化気味だわ。そんなわけで今日は増田にいる。
たまに、いや、結構最近頻繁に、思う。仕事で、自分のことをゆっくり見つめる暇もなく追い立てられ、経済に取り残されないように必死で経済記事を読み、日経を読み、保険にも入って、もちろん仕事についてきために仕事の知識も調べ、そうやってサバイバルのために知識を磨いて、誰にも負けないように、なめられないように、人並みの人生を送るために、っていつも必死にしているんだけど、私って、一体なんのために頑張っているんだろうって。
数年前の俺にちょっとカブる。てか、今のこの時期、数年前の俺より大変な環境だよな。俺はそれで、うつになって、「もういいか」って実家に帰って転職して、今じゃ無職になってるけど、貯めたお金(と親)があるおかげで今はゆっくり休んでる。十何年かぶりに昔の夢を追いかけてみて、ダメだったら何かの資格取って、最底辺あたりでも生きていくつもりだ。大学全入時代だし、子供への教育は塾に通わせなくても家で教えればいいし。核家族ではなくて三世代同居なら子育ても楽になるし光熱費も安上がりになるし。LOHASって生きかたもあるわけで。
ところでさ、日経ってひどい媒体でさ、まあ俺は日経新聞じゃなくて日経ビジネスをよく読んでたんだけど、連中、新しい経営とかを紹介した数年後にはそれを否定する記事を書くのな。最低なマッチポンプ週刊誌だよ。連中に振り回されてる企業経営者とか日本経済って、気の毒というほかない。MBAって覚えてる?300万台クラブとか、今じゃ話題のわにもならないっしょ。
もちろん、それ読む事で一社員でありながら、経営者が何考えてもの言ってんのかが分かるってご利益はある。でもそれだけといってもいい。ちなみに健康保険は共済が良いと俺は思うぞ。
もうそんな修羅で生きてく元気がこの先続くのか、来世は人間なんかに生まれ変わらずに岩とか星雲とか、生々しくない無機物に生まれ変わりたいよ。
まったくだ。生まれ変わり? No Thank youだよな。てか星雲になるっていいな。
ところで、眠れないとか早朝覚醒とか夜中に何度も目が覚めるとか、うつ状態が2週間以上続いてるとかだと、一応、燃え尽き症候群とかうつ病とか疑ってみてもいいんじゃないかと思うぞ。まあ、そんな事承知してるだろうし、なんでもかんでもメンタル系の病気扱いするはてな界隈の雰囲気も俺はどうかと思いつつ、こんな事書いて申し訳ないんだけど、一応、心配しちゃったので念のため。
これは、多分単なる「疲れ」から来る疑問でないと思う。自分の人生に根ざした、根本的な、なにか。これがいったいどこから来るのか見極めたいのだけれども、そいつの影も形も、全然見えたためしがないんで、どこからはじめたものか。ミクロ的に見れば悪いのは自分?マクロ的に見れば社会?その自分と社会をつくった国家と世界?
本当に、どこから、こんな思いがやってくるんだろう?
ビョーキの話は置いといて、取っ掛かりがほしいんなら、とりあえず整理してみようぜ。自分の性格と、価値観、社会の価値観を並べて書いて、衝突してないかチェックするんだ。
社会の価値観に自分を合わせようとして、疲れているんじゃないかとか。んじゃ自分にとって一番大事なのって、なんだろうとか。国家とか世界はちょっと大きすぎるから、それはとりあえず保留して。
で、いきなり社会といってもあまりにも多様すぎて大変なんで、自分の会社の方針(建前)と、実際に行っている事(本音)がどうなってるのか整理してみたり。
自分の理想の姿が、世の中の雰囲気の中で作られたものなのか、自分の根源的な欲求に基づくものなのか見極めてみる。自分はどうしたいのかとか。
俺の場合、高校のとき周りの目を気にしすぎて、「そういや、自分ってどんなやつだっけ」って見失っちまった時期があって、1年くらい悩んで、最終的に自分の感情を頼りに再構築した事がある。何が面白いのか、何が嫌なのか。他人がどう反応し様と、俺は面白いと思った事は面白いんだと。他の人がつまらんだじゃれだと白けて見せても、俺は自分が面白ければ笑っちまえと。
そんなわけで、何もかもが分からなくなったら、自分の感覚を頼りにするって手もあるよ。
あとは、ビジネス書はちょっと置いといて、歴史モノとか読んだりして、昔の人の考え方と、今の人の考え方の違いとかを眺めてみると面白いかもよ。
私みたいなヘタレは多分今の競争社会じゃ生きるな、つーことなんだろうか。しんどいのがデフォルトで、少しでも弱気な者から死んでいくのがこの陰惨な社会なんだろうか。
どーだろうね。未来の社会じゃ、逆転するかもよ。最近は強気のヤツでもどんどん死んじまう世の中だし。いずれゆり戻しが来るって。
で、そのしんどいの経験してるってことはさ、あとから来るヘタレが同じように悩んだとき、一般論に頼らず、自分の言葉で相手が必要とする言葉を選べる能力を獲得してるってことなんだぜ?泣いても笑っても、食って寝りゃ生きるんだから、泣きながら生きていこうや。ずるずると生きていこうや。
それに、選挙権持ってるオトナである以上、今の陰惨な社会をなんとか変えなきゃいけないと思ってるし、それは俺の目標でもある。諦めるのは、先送りにしようぜ。無理しない程度に。
てか、休もうぜ。疲れたら休むのが生き物ってもんだろ。逃げる体力は、残しとくもんだ。
火曜日、自宅の上階のおっさんにものすごい勢いでののしられた。家に怒鳴り込まれたのだ。私が上から騒音の被害を受けているのに、おっさんからすると、私の方がある意味加害者らしい。本当に、酷い出来事だった。
そのときは泣きもわめきもせず毅然と対応したけど、酷い出来事が過ぎた後から、寝る前に一気にそのショックが訪れてきた。
今まで詰め込んできた疲れとかたくさんのあきらめとかそれまであった嫌なこととか悲しみとかそんないろいろと肩のこりや腰痛のように積み重なった澱みの感情に押しつぶされそうで、それに対して、何もできない自分も、そして、そんな思い出を受け入れることも消すこともできず後生大事に持つしかない自分も全てが本当にいやでいやで、たまらなかった。
自分が無視してきたそれらすべてがあの罵倒してきたおじさんに集約されながら、自らの中で再生された感じで、一時的に自分の心と体と頭は連携がとれず全部ばらばらになってしまい、服装や身の回りの全てに対して関心をなくし、食欲もなくし、仕事に取り組むエネルギーもなくし、一時的な待避策として、怒鳴られた翌々日は休みを取った。疲れた。本当に本当に、疲れた。
たまに、いや、結構最近頻繁に、思う。仕事で、自分のことをゆっくり見つめる暇もなく追い立てられ、経済に取り残されないように必死で経済記事を読み、日経を読み、保険にも入って、もちろん仕事についてきために仕事の知識も調べ、そうやってサバイバルのために知識を磨いて、誰にも負けないように、なめられないように、人並みの人生を送るために、っていつも必死にしているんだけど、私って、一体なんのために頑張っているんだろうって。
この先に何があるんだろうって、何を手に入れたくて、何が欲しいんだろうかって。それを手に入れて私はうれしいのかって。そもそも、目標なんて、金があればほとんど全部叶うじゃん。じゃあ、お金を持っている人が勝ち(価値)ってことになって、持ってない私は貧乏で負けなのか?
父曰く「人間はつらいこと嫌なことがいっぱいあるが、それに耐えて一花咲かせるんだ」とまるで演歌のような根性論を私に語った。その言葉に、余計に救いを感じられず、自分は崩れてしまった。この格差社会で、一花咲かす、なんてそれこそ至難の技だよ。つーか花ってなんだよ。金か?地位か?能力か?そんなの自分にあるとは思えない。このままじゃ、私は花なんて咲かせる前に、死んじまいそうだよ。
さしあたって必要なものはもちろんお金だけどそれを手にいれるためにはさっきまで私が書き連ねてきたこと以上の、必死の努力が必要で、気を抜けなくて。そんなことを考えていたら「もうなんか人生どーでもいいや」という気持ちになった。けど死ねないし。バカみたいだ。
私みたいなヘタレは多分今の競争社会じゃ生きるな、つーことなんだろうか。しんどいのがデフォルトで、少しでも弱気な者から死んでいくのがこの陰惨な社会なんだろうか。強くなれないものは死ねってことか。ふと気を抜くと、派遣の人みたいになるんじゃないかと本当はこわくて仕方ない。がんばらないと、生きていけない。がんばらなくなったら、もう生きられない。そんな気がする。もうそんな修羅で生きてく元気がこの先続くのか、来世は人間なんかに生まれ変わらずに岩とか星雲とか、生々しくない無機物に生まれ変わりたいよ。
そんな思いをどこかに取り残しているから、酷い出来事があった時に、ひどくうろたえ、全部ばらばらになってしまうのかもしれない。本当にうんざりするし、どーしよーもないけど、明日(というかもう今日)は、会社に逝ってくる。本当、人生って、大変つーか、しんどい。もう嫌だって、しょっちゅう思うけど、まだ「死ぬなって軽々しく言うな」っていう人がいるから、「今日だけ」と思いながら、ずるずる生きている。
これは、多分単なる「疲れ」から来る疑問でないと思う。自分の人生に根ざした、根本的な、なにか。これがいったいどこから来るのか見極めたいのだけれども、そいつの影も形も、全然見えたためしがないんで、どこからはじめたものか。ミクロ的に見れば悪いのは自分?マクロ的に見れば社会?その自分と社会をつくった国家と世界?
本当に、どこから、こんな思いがやってくるんだろう?
あのブッシュがたった一人でアメリカをぶっ潰すという八面六臂の大活躍を見せてくれたおかげで、我々はかつて望んでいた「戦争」を避けながらすべてを再構築する機会を得た。
経済的にも、軍事的にもあの国を信頼しなくなった。
オバマ新大統領には、就任演説でアメリカのデフォルト宣言をすることを期待する。
我々の生活は、ミクロ的には悲惨なものだが、マクロ的には第二次大戦直後のように希望に溢れている。
むしろ「希望以外が何も残らなくなる」と言ってもいい。
買いたいものがある人は買えばいい。ない人は買わなければいい。
人々のその自然な選択の結果、仮に自動車会社が全滅したのならば、それははじめから見栄でしか買われていなかった商品だったということだ。
きっと来年は、今の段階では潰れることが想像できないようなあらゆる大企業も潰れることになるだろう。
可能ならば、国も。
自己の肥大化だけを求める無意味なグローバル化が終焉しますように。
世界がもっと分散されますように。(分断ではない)
どうせ人間なんて、3人以上集まったらロクなことしないのだから。
基本それでいいんじゃないかな。そもそもクリエイティブ職が市場原理で喰っていけるようになったのって最近でしょ。それ以前はずっとパトロンがいたわけで。今後はそのパトロンがもっとミクロな単位になると考えれば。
ただ一点だけ修正したい。「配偶者の働きによる経済的安定と家電の発達による時間的余裕を手に入れた主(婦|夫)がクリエイターをやるようになる。」とね。嫁さんの稼ぎで旦那がクリエーターやったっていいじゃん。世の中には「自分でクリエートしたい人」の他に「クリエータを支えたい人」ってのがいるから、そういう組み合わせになればベストマッチなんじゃない?
反応が面白いよな。wwww
「お前が言え」
コレ実際突き詰めていくと、きちんと審査しろって話になるんだが、受給者の数考えたらすげぇコストだよ。
生活保護で払う金額どころの話じゃない。
で、そうしてコストかければ、絶対にそんな無駄な金使うなって話になるに決まってる。
公僕のコスト削減、大事だよね。w
また仮に「きちんと」審査すると、最低限の文化的生活レベルって結構な制限かかるわけで、赤旗とかで批判されちゃうような運用になる。
「弱者」が救えないじゃん。ww
制度を悪用する奴とかいるかもしれないね、でもそんなの批判するのはミクロレベルでやって、表の問題にしちゃいけないんだよ。
「弱者」が救えないじゃん。wwww
ね?
精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。
すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?
一つには環境要因があるだろう。お金、時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。
だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。
まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。
これを教育の専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。
その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。
「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。
歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。
むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。
さて、これを踏まえた上で、どこに努力の力点を置くか、である。ポイントは2つある。
登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。
目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。
次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。
学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味や仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。
自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。
ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。
「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。
逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。
普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。
もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。
さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。
評価だ。
どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。
だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。
一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。
うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。
ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。
これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。
しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。
おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…
はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。
「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。
それでも「出来る」なんて思えない?
大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?
…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。
ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。
あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。
無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。
追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。
あとちょっとタイトル変えた。
・マクロで見ると経済全体で生産性のある分野に資金を効率的に振り向けて経済の成長と安定に寄与する。
・ミクロで見ると個々の企業(借り手)と投資家(貸し手)の収入・支出の決定の自由度を高める。
簡単に言うと余剰資金のある投資家が投資先を個々に探したり、資金が必要な企業が個々に投資家を募るというのは効率的ではないので市場が仲介しましょうということ。また、投資家の資金が余剰資金であり続ける筈はないし、早期に資金を返済したい企業だってあるわけだから流動性は必要。
元増田のいう
変に流動性なんて持たさないで、企業側は「金に困った時に公募で資金提供を募る(国債みたいに)」、投資家は「応援している企業に対する定期預金」みたいな扱いで個対個で資金を提供する。中途での解約は不可。企業成績に基づく正当な配当はあり。
は大航海時代のような参加者が限定される時代ならいいだろうが、現代だと効率的ではない。
全ての情報が市場に参加する人間に共有されている訳ではないから、効率性を求めると結果的に「全員がより良いと思うであろう」銘柄に人気が集まる。
そうだねー。これでなんで女性優遇とか言われてるのかさっぱりだぜ!
むしろ男性優遇……いや優遇とか生易しいモンじゃないわな。男性中心社会。基本男性や、まだまだこの世の中は。特に日本は。
レディースデーだのなんだの、そんなんめっちゃミクロなどーでもいい問題だよ、こういう子育てやらなにやらにくらべれば。
男性中心主義の中でコメ三粒ほどの抵抗を見せている程度のもの。話になんね。
こんなチンケなもんで男性中心主義と相殺(それどころか優遇とか言ってるわけだけど)させられるんならいらんわ、んなもん。
たまったもんじゃないよ、男性中心主義であるだけでなく、その上なぜかそんな世で女性は楽している、優遇されている、と決め付けられているという二重苦。勘弁してくれ。せめて単なる男性中心主義社会くらいであってくれよ。とほほ。
しかしこんな中でも女性の自殺率は低い(まあ他国に比べりゃ高いが)しなんだかんだ長生きするしたり「生まれ変わっても女性で」とかいったりするってーのは、いやはや、私以外の女性、すごいわあんたら。ホント。特にオバチャン。
結局男性が最近(最近に限った話でもなく昔からそういうバカはいたっちゃいたが)女ズルいとかいうのって、そもそも今まで男がずーーっと優遇されまくりな位置にあって、「優遇されない」とかいう経験がなかったから、それにいま初めてぶちあたってわめいてるだけな気がする。女性って逆にちょっとくらいの理不尽でもあまり騒がないけど、それって生まれたときからその程度の理不尽に何度もあってきているからだと思う。でもその強さが逆にあだになってる気もすんだよなー。変に強いもんだから、かなりの苦しみであっても黙って耐えちゃってて、反面今までぬるま湯につかりきってきた男たちが、初めて「差別される」だとか「優遇されない(されないってだけ)」「甘い汁をなぜかすえない」ってことにさらされて、いちいちギャースカピースカ騒いでる。で、なんか、後者の方が苦しいんだみたいなことになってる。言ったモン勝ちやな、世の中。だからもっといった方がいいんだ。でもいわないんだよなー女って。黙って耐えるんだよなぁ。言えばいいのに。まあ言うと男にうるさい甘えるなとか言われるからなんだろうけどさ。それでも耐える。すごいなほんと、あんたらすごいわ。もうちょっと女は愚痴吐くべき。日常レベルの愚痴なんかじゃなくてもっと根源的な愚痴を。そしてもうちょっとわがままになるべき。今の女って、あまりに我を滅しているよ。日常レベルのチンケなわがままで満足するんじゃなくてもっと根源的に意図的にわがままになるべき。っていうと勘違いする奴がいそうだがそういうアホな奴はどの道分からんわな。
自分の体験談で恐縮ですが、以前、僕は、とある大手ポータルのチャット(非エロかつ非出会い)を利用していました。そのチャットは既に閉鎖されているので、以下と同じ方法が再現できるかというと、現在のチャット事情に疎いんでわかりません。それに、万人に合う方法かどうかもわかりませんので、参考程度にお読み下さい。利用できるところがあれば、何らかの出会いに活かして頂ければ、と思います。
当時の仕事は営業マンです。優秀な営業マンになるためには、プレゼン力の向上が必要である。そう考え、自分のプレゼン力を磨くために、市場外取引と言いますか、会社の課外活動として、趣味と実益を兼ねて、自分なりの新規市場開拓をしようと思いました。趣味とはプレゼンで、実益とはセックスの意です。
その頃、ちょうど、パソコンを買ったばかりで、「インターネットすげー!!」と感動の毎日でした。23歳??24歳の頃だったと思います。
で、せっかくパソコンを買ったので、開拓すべき市場を、「チャットで知り合える若い女の子」に設定しました。つまり、チャットでナンパしようとしたんですね。会社が忙しかったんで、出会いに使えるのは土曜の夜か日曜日だけでした。
結論から申し上げると、確か、7週間で8人の女の子に出会いました。
確か、7人目の女の子でおっぱいを触らせてもらうまでになって、8人目の女の子とセックスしました。6人目の子までは、ネットでのプレゼンとリアルでの距離感がわからず、タイムアウトになりました。
何故、7週間で8人かと言うと、一度、ダブルヘッダーがあったからです。さらにいうと、ダブルヘッダーの一人目の子は、わざわざ北海道から東京までいらしてくださいました。意味がわかりません。しかも、ブチ切れて帰りました。すいません。
さて、そういう情報開示をした上で、「ネットで、女の子とどういう風に出会いまで持っていけばいいかわからない」というようなお悩みにお答えするとすれば・・・
という感じでしょうか。1→13の流れです。クロージングっていうのは、ある種の営業業界の業界用語かもしれませんが、つまり、「会おうよ」っていう話しに持っていくことです。Closingです。
アプローチというのは、ある種の営業業界だと、お客さんに、アポイント設定のための交渉をする行為を言います。
これらは、本人のキャラにもよるのかもしれませんが、少なくとも僕は、こんな感じでした。
非エロ、非出会い系のチャットだった(音楽とか映画とかそういう趣味系)のですが、おそらく、僕以外にも、ナンパ目的の野郎は大勢いたと思います。従って、「他の野郎と同じ」だとダメなんです。気を引かないとダメなんです。「こんにちは」とかダメなんです。「初めまして」とかウザいんです。
じゃあどうするの?っていうと、「それをバラすと、万が一、当時、僕から声をかけられた人が気づく可能性があるw」のでお答えできませんが、「微妙に笑いをとりつつ、悪い奴じゃなさそう」みたいなのがいいんじゃないですかね。イメージ的には志村けんとか高田純次です。
要は、こっちペースで、ブラックホールみたいに吸い込むわけです。相手が詳しい分野で勝負するんじゃなくって、「へー、そうなんだ」みたいな、雑学的な。マニアックなのはNGです。「俺ってこんなにインテリ」みたいなのはもっとダメです。ウザいです。リアルのお見合いならともかく、男の知識の豊富さに惚れる女の子って、そんなに多くないんじゃないですかね。議論に勝ったって、女の子は惚れてくれないと思います。
「この人はおもしろいな」って思ってもらった時点で、相手に話しを振ります。「最近、どうなの?」的な。相手によっては、少しずつ、下ネタを入れてもいいと思います。ただし、軽いエロです。いきなりハードコアなのはダメです。「いやーん」ぐらいな感じがいいとおもいます。興味を持ってもらえれば、女の子も少しだけ、心を開いてくれるでしょう。おもしろくない男にいきなり心を開く女の子はいません。
これは、注意が必要です。ウソくさいほめや共感は、女の子は見抜きます。男よりも鋭い生き物ですから。本心からほめて下さい。心から共感して下さい。「俺はこの子の力になりたい!」と本気で思うといいでしょう。ただし、ストーカーっぽいのはダメです。年下の友人の女の子の相談に乗っているような感じがいいと思います。だって、友人の女の子が困っていたら、本気で力になりたいと考えるでしょう?ちなみに、上から目線じゃなく、少しだけ上からの目線です。
例えば、女の子が、昔の男の悪口を言ったとします。そこで一緒になって悪口を言うんだとちょっと危険です。何故なら、昔の男のこととは言え、好きでつきあっていた男を他人にけなされたらムカつくからです。それよりは、「それはよくわからないけど、俺だったらこうするなあ」みたいな、女の子が「あ、そっちの方がいいなあ。。。」って思うようなプレゼンをするべきです。
いきなり、「会ってセックスしよう!」は危険です。たまにはそういうギャグに乗ってくれる子もいるかもしれませんが、「いいお店があってね、こういう店なんだけど・・・」っていうのに、「へー、いいお店だね、行ってみたいなあ」って乗ってくれるのがいい感じでしょうか。要は、「理由」を提供するんです。「ネットで出会った男とセックスしに行く」ってのはダメなんです。寂しい女と思われたくないんです。誰とでも寝る女と思われたくないんです。だから「理由」が欲しいんです。
「男に会いにいく」じゃなくて、「おもしろそうなお店に行く」っていう理由がいいんです。で、「たまたまおもしろそうなお店に行くのに、男が連れて行ってくれて、たまたまいい人でセックスしちゃった」っていう理由がある方がいいんです。
そういう意味で、セミクロなんですね。「なんか、気が合いそうだから、会って話せたらおもしろそうだね♪」みたいに話しを振るんです。
もし、ここで、女の子が飛びついてくれば、そのままクロージングです。アポイントの設定に入りましょう。しかし、まだ、ちょっと相手のテンションを上げきれてないと感じられる場合は、自己プレゼンに戻りましょう。女の子の「会いたいな」を上げるのです。
せっかくなんで、このまま終わってしまってはもったいないです。「いやー、話せておもしろかったよ。ありがとう。なんか、気が合いそうだから、また話せたら嬉しいなあ。」みたいな感じで、メールアドレスぐらい聞きだしましょう。そうやって、少しずつ、切り崩していけばいいと思います。メールから、また、チャットに持っていくのもいいし、メールの細かいやり取りで、ヒット、ヒットを重ねていくのです。いきなりホームランといかなくても、ヒットを4つ重なるのも方法です。
いかがでしたでしょうか。少しでも、あなたの出会いライフのお役に立てて頂ければ幸いです。
ちなみに、僕はいわゆるイケメンではないです。お金持ちでもないです。どこにでもいる普通の男だと思います。
読みづらいところとか、「ちょっとここわからないんだけどkwsk」とかありましたら、僕にわかる範囲でお答えします。
増田なんで、流れちゃうかもしれませんが、多少、好評だったら、「会ってからセックスにもっていくまで」を続編として書こうと思います。
長文、読んで頂きまして、ありがとうございました。