はてなキーワード: プレッシャーとは
おっさんニコマス民として最近気になる「アイマスゲーム派とニコマス派との距離の問題」というか、
[http://hirorin.otaden.jp/e5544.html:title=ニコマスはアイマスではない]
[http://nakazato.blog.shinobi.jp/Entry/121/:title=リアルアイマスはランクSを目指すべき?]
[http://d.hatena.ne.jp/hajic/20080917/p1/:title=ニコ動の人気ジャンルを本気で応援したければ]
のあたり話題でちょっと。
自分はゲームをしないおっさんニコマス厨の部類に入る。はじCさん(id:hajic)あたりに言わせれば、
「臆病なおっさんだなぁ、お金も落とさずにプレイの醍醐味も知らずにニコマスだけで満足しているなんて。というか、要は勇気がないんでしょ?」
と言われそうなヘタレである。
いや、全くそのとおりである。好きなものは身銭を切って、しゃぶり尽くしてナンボだということはわかっている・・・わかっているつもりである。
友人にも「もしかして箱○買うかも」と漏らしたことも何度かあった。
しかし、その一方でなぜかゲームを買う気がしない。プレイする気が沸いてこない。
「やっぱゲームはプレイしてナンボ、アイマスもプレイしてこそ」という言説にたいしてアンビバレントな感情が沸いている自分がいる。
今回はそのアンビバレントなモヤモヤ感を言葉にして吐き出してみようと思った。
正直後ろ向きな言い訳しか書けないような気がするので「言い訳編」と銘打ってみることにする。
早速それかよと言われてもしょうがないが、まずは理由として上げる必要はある。
当方は年齢30代後半独身だが、収入的には正直微妙。自分ひとりを養う分にはそれなりの収入はあるものの、「洗脳・搾取・虎の巻」と揶揄されるゲームをプレイするのには正直恐怖を感じるのである。
しかしお金の問題は言い訳に過ぎない、というかお金の問題にかこつけて逃げの姿勢に入っている自分がいることを肯定せねばならない。
個人の成育史的には正直これが大きな問題かと思っている。
小学生の時にアーケードゲームやゲームウォッチ(オイオイ)はそれなりに喜んでプレイしていたものの、ファミコン以降のゲームの流れについていくことに失敗した身としては、新規にゲームハードとソフトを買ってプレイをすることに凄い心理的抵抗がある。
そもそもゲーム機のコントローラなるものに抵抗がある上に、アケマスプレイ派の友人から「コントローラをきちんと使いこなせないとアイマスは難しいよ」と言われていることもプレッシャーになっている。
(後にも先にも「ゲームクリア」した経験のあるゲームが、アーケード版の「子育てクイズ マイエンジェル」だけと言う現状ではなぁ・・・)
理由2とも関連するのだが、これは自分の心理的ヘタレさ加減と関連づけて理由にしたい。
自分はリアルの世界でも「敵対」「取引」「友情・努力・勝利(それは少し違う!)」はかなり苦手にしているのである。社会人としてはそれなりにうまく立ち回ってそんな概念とそれなりに付き合っているつもりではあるが、対戦に勝たねば進まぬゲームを生活の一部に持ち込むのは苦痛になるのではないかという思い込みがある。
これは思い込みに過ぎないのかもしれないのだが・・・。
もともと重度のアニソンジャンキーである自分にとって、ニコマスの魅力は
「アイドルが素敵な歌を楽しそうに歌って踊る」
ものだと感じている。実際、自分がニコマスにはまったきっかけはアニソンであるし、ニコマスで好きな作品は今もそのようなものが多い。
その一方で、ゲーム版アイマスで目に付くのは「バックステージの厳しさ」ばかりである。
ランキングシステム然り、プレイ中の膨大な選択肢然り、1年限りでセーブや経験持ち越しの効かないストーリー然り・・・。
正直自分はこの乖離が理解できないのである。この乖離を理解した上でゲームをプレイする必要があるのだろうが、今は正直その勇気が沸かない。
取り合えずプレイしない言い訳を4つほど書き出してみた。書き出して少しホッとしているわけだが、なんとも個人的で後ろ向きな理由だと呆れている。
だが、「ゲームをしないニコマス厨」が「ゲーム版アイマスをプレイしない理由」を書いてみるのも、今回の議論の中で大事なことではないかと思っている。
少なくとも「理由なきいがみ合い」は自分としても見たくはない。
そうなんだよ。いやここだけの話、30過ぎてからの方がそういう対象にされることが多くてマジで困ってる。セクハラ対象にされる機会、一方的に恋愛対象にされる機会が格段に増えた。
といっても、年齢を重ねて魅力が増したとかそういう勘違いをするつもりはないんだけど。
たぶん、若い間は、こういう若い子にセクハラしたら俺が悪者になる的な心理が働いてセーブされてたのが、おばさん相手ならそういう心配もないし、周囲も同情しないだろうし、言いたいこと&やりたいことやっていいや、という感じになってきたんじゃないかと。
あと立場の違い。昔は周囲がみんな自分より上だったから、そこでなんかすると、結果的に立場が上の者が下の者に嫌がらせする=典型的セクハラで世間体も悪いってプレッシャーがあったんだけど、最近は自分の方がポジション上なんで典型的セクハラに当て嵌まらないので、遠慮(配慮?)が無くなってきたんだよね。実際、部下からセクハラされますなんて訴えたら自分の管理能力を問われるし逆にパワハラと言われかねないから、まず言えないし。その辺の背景を逆手にとられてる気がする。
恋愛感情の方は、年取ってランク下がってお手頃感が出たんだろうなあ。30代独身なら焦ってるからすぐ落ちると思われてるとか、金持ってそうだから出してもらえそうとか、若い俺様が付き合ってあげるんだから感謝しろよ的な力関係で楽な付き合いが出来ると考えてるとか。で、アプローチの仕方も、露骨でなんも考えてないパターンばかりになった。
おーい20代男子よ、30過ぎの女を相手にすることを好意的に見てる人間ばかりじゃないぞ。ちゃんと年相応の若い女子を相手にしろよ。楽しようとすんなよ。
まあ要は、なめられるようになったってことか。電車の痴漢と一緒で「誰がお前なんかに」と言える相手を選んでやってるってことなんだろうなあ。
>灘は別格だそうだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4795844623
この本の巻末対談によると、麻布から灘に転校した高橋源一郎は、当初まったく授業が理解できず家庭教師をつけて猛勉強したそうだ
灘は中学で東大を受験して合格できるレベルまで授業がすすむらしく、ついていけない生徒も続出するので、
「このまま灘にいたら授業についていけない落ちこぼれだが、ほかの学校に転校したらトップだぞ、どうする?」と、学校側がプレッシャーをかけるのだとか
そんな灘で、劣等生としての自分のポジションを学校側に認めさせてしまったのが、
中島らも。
正直、ここ数週間学会と自分とのことで悩み続けてきた。
組織のやってることに疑問を持つということは、自分の今までの大学生活の、少なくない時間を費やしてきた活動そのものに
疑問の目を向けるということで、結構つらかった。
でも今は、全部捨てて一から学会と、信心と向き合って考えようと決めている。
たぶん、今までの数年の活動で、僕は何人もの人に
自分の価値観だけを押し付けるような行動、対話を繰り返し、大切な友人を数人失った。
とても悲しいことだと思う。
活動することに疑問を持ち始めた1年位前からは、日々プレッシャーだった。
成果の締め切り前や投票日が近くなると、グループ長とか、学生部の幹部が、一緒にご飯食べましょうとやって来る。
いい人達なんだけど、なんでこんな時しか来てくれなかったんだろう。
組織での居心地がどんどん悪くなっていった。
あんまり積極的に活動できなくなってからこわかったことは、活動をしなくなったことで、
どんどん生命力が落ちていくのではないかという不安だった。
罰論というやつだ。
何か悪いことが起きるのではないか、自分のしていることがうまくいかなくなるのではないか。
組織では学会をやめて幸せになった人の話なんて聞くわけがないので、
自然と不安になってしまうのだった。
するとその思いがさらに不安を呼んで、ほんとにうつっぽくなったりした。
集中力が落ちたり、自暴自棄気味になっていた。
学会から離れたから、むしろこういう風にならなきゃいけないんじゃないかと、
潜在意識に刷り込まれてしまっていたのかもしれない。
それでも健気に、そんな自分を変えたいと願いながら、細々と活動を続けていた。
折伏は、やる姿勢を見せ続けながら、結局やらなかった。というかできなかった。
選挙は、身内の学会員じゃない人とか、お願いの一言で入れてくれる人に数人頼んで、組織に成果だけあげていた。
そして帰国後、就職活動。たくさんの人に会って、話した。
創大生と会って話す時間より、社会人とか、他大生と会ってる時間の方が長くなった。
自分の頭で考えて、人生を歩いてる、かっこいいなと思う人達もいた。
この間、少しずつ本当の自分らしさを取り戻していけたような気がする。
唱題をほとんどあげていなかったが、かなり努力していたので、自分なりに納得のいく就活はできた。
本当に自分らしくいこうと思えたきっかけは、いろんなブログやサイトでの学会員の声だった。
学会の良い部分も、悪い部分も実感として分かっている人達の、ネット上での発言はものすごく励みになった。
自分が何となく感じていた組織の疑問を、同じように考えていた人がいたんだと嬉しくなったりもした。
過去の実績のことを言われてこの調子でと未来のことを言われると嬉しい。
たいてい、期待してると言ってくる奴は前者の言い方しかしない。
だから何をどうすればいいかわからないし自分に何がどこまでできるかわからない、成長するかもわからない。
不安と期待を裏切ったらどうしようという気持ちだけが残る。
10年以上前に、ジュディ・フォスターが何かのインタビューに答えていた。既に名声を獲得していた彼女から、自身の誕生パーティに集まる人の数を訊ねられたことに対する返答が上記の言葉。そして、招待客は10人にも満たないとも。
「友だち100人出来るかな」なんて歌詞の歌を義務教育の始まりで歌わされて以来、長くのしかかっていた「友だちつくらなくちゃ」というプレッシャーが、そうか大人になるとそれでいいんだと、すごく気が軽くなった17歳のわたし。
今じゃ、ほんとに知人は増えても親しい人は数人だけど、そんなものなのだねえ、ほんと。
ありがとうジュディ。そしてさよなら、仲良かったふりだけの女たち。
「葬式何人来るんだろ」は、さすがにまだ早いか。この分じゃ密葬かなー。
34歳だけど、
去年、名ばかり店長にされて残業増えてるのに残業代カットされるわ、
そのせいで帰れば、毎日嫁から嫌味言われて、子供とはほとんど会えないし、
小遣い月1万円で、趣味は全部やめたし、今の唯一の楽しみは寝る前にこっそり1時間だけ見るネット。
俺は田舎がないので、嫁の機嫌とるために嫁のほうの実家に行って、
向こうの両親に気を遣いながら逆にプレッシャーかけられて、
部屋で横になることもできない状況で、休みっつーか全く休めず、
休み中にやらねーといけない持ち帰りの仕事あんのになー、とか内心焦りながら、
つけっぱなしのテレビから流れる興味のない高校野球をダラダラ見せられて、
まあ、出してもらったメロンはうまかったけど、
知人の知人(要は他人)で、元気なうつ病の人がいる。
毎日創作意欲にあふれていて、とても楽しんでいる。
日記を拝読しているのだが「今度はあれ作ろう」「今日はこれ作った」「ヨーロッパ旅行行く(たしか実際3週間ほど行っていたような)」など。
結構他人とも遊んでいるようだ。
また、この人は休職中なのに、会社に遊びに行ったそうだ。相当タフな精神力だと思う。
そして日記には毎日のように「楽しかった」「これから楽しみ」という文字が躍る。
とてもうつ病とは思えない。
何かを作って完成させると、人は少なくとも自己を承認できるのではないだろうか。
自分を認めることが出来る人は、死にたくならないだろう。
この人は、仕事が上手くいなかくなって鬱になり、休職しているらしい。
仕事のプレッシャーがあったり、理想の自分と現実の自分にギャップがあって「こんなはずではなかった」とプライドが傷ついたりして、鬱になったそうだ。
この人が傷ついた気持ちは本当だろう。
とても辛くて、悲しかったに違いない。
だけど、この人に必要なのは、うつ病だから薬で治療する事よりも
この仕事が向いているのか、そうではないのか。
もっと向いている仕事があるのか、それとも今の仕事を上手くこなす方法を考えるのか。
こういう事じゃないのかと思う。
様子を聞いていると、うつ病というよりも「仕事が嫌い、仕事が向いていない」だけなんじゃないのかと思う。
薬を飲む前に、正直に自分と徹底的に向き合ってみたほうがいいのではないかと思う。
親戚は負担するのが一般的じゃないの?
もちろん、人によって両方負担しないってこともあるし、両方負担するってこともあるけどさ。
そうなると、問題はモトマスダの交通費と宿泊費は負担してもらえるかどうかになる。
けど、「俺の交通費と宿泊費って負担していただけるんですかね?」なんて、きけねーよなぁ。
「お金ないんで日帰りです」って言ったもんなら、招待する側は元々宿泊費出すつもりじゃなくても
出さなきゃいけないっていうプレッシャーにもなるし。
まぁあれだ。そう何度もあるもんじゃないんだ。すぐに過ぎる。
それでも嫌なら、まず自分の家族に相談だな。
小学生のころ、のぶながという友達がいた。
そいつのことについて勝手に書こうかなとおもう。
ちょっと小太りな男子だった。
そのテストには、3回挑戦できる代わりに、必ず満点を取ることが要求された。
出題された漢字を1日1ページ。約40ページ埋めて提出すること。
なかなか凶悪な宿題だった。
のぶながはそのテストに落ちた。
3人くらいしかその時落ちなかったが、このときはまだ
のぶなががあんな面白いことになるなんて、思いもしなかったよ
夏休みが終わった。
みんなが夏休みの工作とかを持って元気に登校してくる。
のぶながもやってきた。いつもの半ズボンで。
朝の会を終えて、担任がいよいよ
と言った。
結果、3人中やってきたのは1人だけだった。
のぶながもノートを持ってこなかったようだ。
忘れてきた2人は起立させられた。
担任は若干切れ気味で、「やってきてるんか?ノート忘れただけなんか?」
と凄んでいた。
今考えると、この担任も少しおかしな男だった。
男子からはキャッチボールの相手してくれたり一緒にドッチボールしてくれたりで、
けっこう人気があったが、お気に入りの女子をよく膝の上に乗っけていたり
セクハラっぽい言動もちらほらだった。
この前久々に地元に帰ったら、生徒に手を出したが断られたことに逆切れして
相手の親の車をめちゃめちゃにしたとのことで、逮捕されてた。。
この日はまだ初日ということで、つるし上げも10分も経たないうちに解かれ
2人は席に座ることができた。
2日目、3日目とプレッシャーがかかるうち、
のぶながじゃない方のやつも、ノートを持ってきた。
明らかに徹夜して書いたっぽい、目にクマができている。
のぶながは、まだ持ってきていなかった。
4日目、のぶながはまたノートをもって来なかった。
担任は、ぶちぎれた。
「やってあんのか?え?おい!」
宿題のカツアゲだ。
「やってあります」
のぶながはこの4日間、一貫してこの言葉を発し続けていた。
もともの口数の少ない、ただの小太りな男だったが、
凛とした表情で、繰り返していた。
「やってあります」
その言葉に、担任も3日は我慢できたのだが
4日目で限界が来たのだろう。
ぶちぎれ具合が半端じゃなかった。
「お前、やってへんねやろ!?おい!!」
起立したのぶながを、なぜか教室の隅に追い詰める担任。
のぶながを教室の隅のピアノのところまで、追い詰めた担任は
両手を振り上げると、のぶながの顔を両側からビンタした。
ビンタしたというか、ものすごい音を響かせながら挟み込んだというべきか。
のぶながの鼻から相当な勢いで鼻血がでてきた。
完全に静まり返った教室の中で、ぽたぽたと鼻血を出し続けるのぶなが。
担任は鼻血だらだらののぶながにティッシュを渡すと一言、
「とってこい」
のぶながはノートを取りに帰らされた。
絶対やってあるはずないのに。
そして、通常とおり1時間目の授業が開始された。。
2時間目の授業が始まる前に、担任は少しおかしなことを言い出した。
「のぶながが宿題やってあると思う人、手挙げて」
誰も、あげなかった。
「な、やっぱりそう思うだろ?」
こいつ、何がしたいんだろう。
家までは歩いて20分もないはずだから、明らかにおかしかった。
少し焦る担任。
同級生を数人連れて、車で捜索にでかけた。
のぶながは、家に帰れず、周りをうろうろしているところを保護された。
同級生と一緒に車に乗って帰ってきたw
この日は担任がちょっとびびってしまったらしく、
宿題は明日で良いから、ということになった。
5日目の朝。
教室は、のぶながの話題で持ち切りだった。
今日こそノート持ってくるのか、持って来てなかった場合何が起こるんだろう。
というか、担任の怒鳴り声を毎朝聞くのは最悪な気分だったので
早く終わって欲しいという声が大半だった。
担任が教室に入り、朝の会が始まる。
「おい、今日は持ってきてるやろな?」
のぶながは平然と言い放った。
「すいません、わすれました」
した、を言い終わるかどうかの内に
担任はのぶながに内股を決めていた。
確実に一本だった。
「とってこい」
のぶながは廊下に追い出された。
実は4日目に車で帰ってきたときに、ノートはおばあちゃんの家に忘れていて、
夜持ってきてくれるみたいな話をしたらしいのだ。
だから、また取りに行かされた。
そして、1時間目の授業が始まった。。
2時間目が終わっても、3時間目が終わっても、のぶながは帰って来なかった。
しかし5時間目に担任は一人で帰ってきた。
帰りの通学路にも、昨日見つかった団地の外周にも、のぶながはいなかったらしい。
のぶながは行方不明になった。
6時間目の授業も終わり、放課後になっても、以前消息は不明のまま。
帰り道にみんなでのぶながの居そうな場所に寄ってみたが、見つからず。
担任も結構焦っていたような気がする。
自業自得なのにw
一方クラスのみんなは、そんなに心配していなかった。
というか、毎朝のやり取りが面白過ぎたため、他クラスまで巻き込んで
ものすごい話題になっており、ついに失踪したことで
のぶながついにやっちまったw という感じだった。
陽の落ちた頃、担任は、警察に捜索願を出した。
夜中も警察と担任と、のぶながの親でいろいろ探していたみたいだが
翌日の朝学校に着くと、まだ見つかっていないらしいということだった。
担任は明らかに疲れている表情だったが、1時間目の授業を始めた。。
3時間目の中ごろ、いつも昼時のチャイムを鳴らす有線放送から、役場の広報が入った。
いつもは、地域の人の訃報とかが流れてくるやつだ。
でもこんな時間になぜ?
いまでも覚えている、とてもお茶目な放送だった。
○○小学校の、○○のぶなが君が、現在行方不明となっています。
黄色い半ズボンを履いた、やや太目の男の子をお見かけになった方は
○○町役場までご連絡ください。
繰り返します。。」
クラスは爆笑に包まれた。
有線放送の甲斐なく、その日ものぶながは見つからなかった。
しかし、その翌日にのぶながは意外とあっさり捕獲された。
なぜか親戚に発見されたのだったw
警察に事情を聞かれたりして、のぶながはその次の日に帰ってきた。
しばらくの間、みんなのヒーローだった。
学校を追い出されたのぶながは、やっぱり家に帰れなかったらしい。
そして、隣の町までぷらぷら歩いて行ったとのこと。
隣の町には大きな古本屋があり、そこでやわらちゃんを全巻読破。
その後、近くのスーパーで晩御飯のかわりにソーセージ(魚肉)を買ったらしい。
ラブホテルしかなくて、のぶながは、近鉄の高架下で一晩明かすことにした。
そして、高架下で、ダンボールを敷いて眠ろうとしたところ、
犬が近づいてきたらしい。ソーセージはその時取られたと言ってました。
そして次の日の朝、親戚に見つかり保護される。。
いろいろお騒がせな奴で、他にもいろいろな事件を起こしていましたが
よめさん20代? 30代ならいらね。あとおっぱい大きくないと。
まあ、それは兎も角。
今の状況でいつまでも安穏していてもどうにもならなくね。
子供はまだ作らないほうが良かったかも。
だって現状を抜け出せなくなっちゃうから。
こともがいると辛いよね。
あなたのうつがどんなプレッシャーが起因しているか知らないが
私は日商簿記2級を11点で落ちましたw
似たような高卒地方在住者です。
自分の場合、前職(プロ具ラーマ)を辞めて次は経理がいいかな??と考えてました。
「うちは経験者を取りたいんだよ、経験者をよォ??」
と女性の面接官に言われ、採用されたけど、営業にまわされましたw
いきなりの初営業でいろいろハプニングあったけど面白かったですよ。
小さい会社だったので、ハロワ経由で送られてきた履歴書の返送なんて雑務もやらされてました。
いろんな履歴書見れて面白かったですよ。
履歴書が走り書きの人いたし。
髪はおしゃれっぽくするか、こざっぱりさせて、
とにかくライト当ててもらった方がきれいに写ります。
(最近は携帯電話のおかげでミクシの写メテクとかすごい。角度とか。)
たくさん履歴書見ていて気づいたのが、履歴書のみで挨拶状が無い人が多いということ。
そういう人はそこそこの私大出てても、人となりが見えにくいのでバッサバッサ不採用にされてました。
「これ、送り返しといてね」みたいな感じで。
自分がなぜ採用されたのかというと、
したこと。
採用理由を聞いたら、
そんなイイ話書いた覚えは無いのですが・・・
その面接官がどういう話に食いついてくるかを考えてストーリーを練り上げました。
これは小さい会社だったから利いたのかも。
やってみくる。
今ならOpenofficeのwriterでも出来ますね。(無料ナリ。)
これはさりげなく文書作成の最低限のスキルがあるとアピールする効果もあります。
で、その後転職して100人から200人規模の中小企業でも同じように挨拶状作戦やったけど、これも採用されました。
どういう話に食いついてくるかを想定した上で、
ストーリーを練り上げました。
ここは 年齢x万でボーナスもあり、昇給も毎年あるところでした。
履歴書穴だらけの自分をよく雇ったなぁと笑
たまにはハロワまで出かけるのも、運動になるので悪くは無いですが。
後は、今話題のグーグルストリートビューで面接受ける会社の行き先を
一長一短ですが。
他の人もお勧めしてましたけど
人と接する仕事はいいですよ。プログラマはその後でもいいです。
「魂の洗濯」になりました笑
まぁ、向いてなかったんでしょうね。
労使双方に無理が無いので。
ここは結構強調したいです。
プレッシャーでしんどい思いをするかも知れないからです。
疲れて燃え尽きてオーバーヒーするとまた元にもどってしまうので。
まとめると
アタリをつけるのもありですね。
バイトで雇ってくれないか、お願いしてみるのもありかもです。
2.バイト、仕事をしながら、本当にやる気があるなら資格の勉強を仕事しながら続ける。
こういうのでどうでしょ。
経理とかプログラマとか、
こだわり過ぎないのも一つのやり方かも知れません。
個人的には営業がしょうにあっていたので、
経理から営業に飛ばされてラッキーだったとおもってます。
(個人的には、です)
これは創作ではない。
僕が体験した一次的な情報だけを示す。
だから、「大阪では」という大きなくくりがたまに出てくるけど、
これを書く目的は、こんな教育・行政制度はやめろ、という僕の超個人的なメッセージを伝えることである。
その理由は読めばわかってもらえる、と思う。
大阪では年に数回、生徒全員が体育館に集められて、地区の同和委員会から派遣されてきた人(うちの中学校では多分トップの人だった)が講演をする。
これはでっぷりと太ったおっさんが「人権ってええで!ぬくいで!」「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」などと数時間にわたって叫びまくるイベントである。
比喩ではなく本当に叫ぶ。
僕は、率直に言って、これは新興宗教がよくやる洗脳だなと感じていた。
おっさんの論理の飛躍は凄い。「差別は不当」「人権は大切」→「だから被差別部落出身者は優遇されるべき」と。
多感な中学生たちに対してこんなイベントが常に行なわれている。
洗脳された友達もいた。
しかも、「事前学習」「事後学習」と題して、講演がないときも「人権」「差別」といったテーマで少ない授業時間を削って作文を書かされたりする。
たとえば「人権」というテーマなら、「居住地を追われるネイティブ=アメリカンの人権問題」とか、いくらでもとらえようがあると思う。
しかし、優秀なものとしてプリントになったり、賞をとったりするのは「部落差別」「在日差別」に関するものだけだ。
僕の友人(彼はスポーツとプログラミングに長けていて凄く賢かった)に「現代の受験制度は差別ではないか?能力に応じて、なんておかしい!受験が容認される社会は差別を容認している」というテーマで差別をとらえたやつがいたが、彼は教師に激昂された。
まだある。文化祭の劇では必ず一クラスが部落差別に関係する劇をやらねばならないのだ。
これはほとんど「にんげん」という教科書(年に一回使えばいいほう)の中から題材を選ぶ。この教科書はすごい。部落出身者が結婚を断られたら「部落差別だ!」就職を断られたら「部落差別だ!」と叫びまくるような話が延々と載っている。
これは小学校の時の話だが、僕は、別にその人がモテなかっただけではないか、就職するのに必要なスキルがなかっただけではないか、と教師に言ってみた。キレられた。
ニュースで「じんけん」の教科書には年間10億円以上が使われている、と聞いて、小学生の僕は怒っていた。
話を劇に戻す。僕が小学校5年か4年のとき、先輩の劇で強烈なセリフがあった。これは一字一句漏らさずに覚えているのだが、直接書くことに抵抗があるのでニュアンスだけ書く(それほど大阪出身者にとって部落委員会のプレッシャーは、怖い。特定される事はまずないだろうが僕はそれでも怖い)。
つまり、彼等部落出身者は、排泄物などの汚物を飲まねば生きられないシステムを他の地域の人に作られながらも生きてきた。だから今の時代では優遇しろ。当たり前だろ。ということであった。
あまり伝わらないと思うが、この劇の恐ろしさたるや、よくこんなものを小学生に演じさせられるな、と戦慄した。
親しかった友達が「なんか俺、部落差別?の出身だから、高校入試なしのただで入らしてもらえた」と言ったこととか、その友達が「変な会館で近所のおじさんに『この学校とこの学校は部落枠があるから、好きなの選びなさい』って言われた」と言ったこともある。
書きたいことはまだまだ山ほどあるが、これくらいで終わる。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20080825160204に追記した。
これで同一人物だと示せるのかな。
8月7日、三人暮らしと言うタイトルで匿名ダイヤリーを書いた。
日本時間8月8日午前0時に小規模ブラックホールが誕生すると言う記事を読んだからだ。
その記事によると、実験に失敗すれば地球が飲み込まれてしまう恐れがあると。
「地球最後の日になるのなら」そう思って書き始めたのだ。
何人もの方が「なぜ息子と書かないのか」と疑問を持たれたようだ。
私自身、過去には呼び名に拘っていた時期もあるし、この子が自分の子ならどんなにいいかと何度も考えたことがある。
けれども所在がわからないとは言え、あの子には実の母親がいる。母親と暮らした記憶もある。
自分なりに精一杯やって来たけれど、母と呼ばれる資格があるだろうか。
何より息子と呼ぶことにより、あの子に余計なプレッシャーを与えることにはならないだろうか。
何の迷いも無く息子と呼べたら、母と呼んでもらえたら、どんなに幸せだろうと思ったものだ。
しかし、徐々にそんな思いを巡らすことは少なくなった。
あの子は夫をおじさんと呼び、私をガチャ子と呼ぶ。ガチャピンに似ているからだそうだ。
「ただいま」と帰って来るあの子をおじさんとガチャ子は「おかえり」と迎える。
一緒にご飯を食べてテレビを見て、ぷよぷよの対決をしてガチャ子が負ける。
それを見ておじさんが「また負けた」と笑う。これが我が家だ。
「母ちゃんって呼んでもいいんだよ」って言ってみようか。
笑って誤魔化されるか、聞こえないふりをされるかのどちらかだろう。だけど、これも我が家。
地球最後の日に最初で最後の「わが子自慢」のつもりだった。
よそのお母さん達のように愚痴の混じったわが子自慢をしてみたかった。
あの子から私に向けられた「母の日」と言う言葉を聞いた喜びを形にしたかった。
うちの息子はね、とても手が掛かったけどこんなに優しくていい子に育ったの。
誰かに聞いて欲しかった。
表現力のなさで少なからず誤解を与える文章になってしまったけれど。
結局、地球は消滅しなかったし、私はこうして言い訳を書いている。
人生とは、思い通りにいかないものですぞ。
答えてくれてありがとう。
なるほどなぁ、わかんなかった、か。
大学受験なんて誰もが怖がるもんさ。人生が狂いだす時期の一つだもの。受験勉強にコケたら本当にツラいらしいもんな。自殺なんて話も聞くぐらいだし。
そういったプレッシャーを受けたくなかったってのもあるんだろうね。
これって仕事にも言えるんだよね。元手が必要(専門の理系知識、法律の知識、英語力など)な職業はなるのが大変だけど、なっても大変だけど、慣れたらすごい高収入。
その慣れるまでの人生が惜しい、そういう見方もあるよね。楽になるのは青春と呼ばれる時期が過ぎてから。俺も「楽しい青春過ごしたかったな」と思う事があるもん。今は細々と、エロ系SNSで知り合った女の子達とたまの休日にたまにえっちする程度の遊びしかしてないよ。昨日の夜は3回しか出せなかった。若かったらもっと沢山えっちしたろうなぁと思う。