2008-09-13

僕と創価学会

正直、ここ数週間学会と自分とのことで悩み続けてきた。

組織のやってることに疑問を持つということは、自分の今までの大学生活の、少なくない時間を費やしてきた活動そのものに

疑問の目を向けるということで、結構つらかった。

でも今は、全部捨てて一から学会と、信心と向き合って考えようと決めている。

たぶん、今までの数年の活動で、僕は何人もの人に

自分の価値観だけを押し付けるような行動、対話を繰り返し、大切な友人を数人失った。

とても悲しいことだと思う。

その一方で、学会組織で学んだことも少しはあるし、、

活動することに疑問を持ち始めた1年位前からは、日々プレッシャーだった。

成果の締め切り前や投票日が近くなると、グループ長とか、学生部の幹部が、一緒にご飯食べましょうとやって来る。

いい人達なんだけど、なんでこんな時しか来てくれなかったんだろう。

組織での居心地がどんどん悪くなっていった。

あんまり積極的に活動できなくなってからこわかったことは、活動をしなくなったことで、

どんどん生命力が落ちていくのではないかという不安だった。

罰論というやつだ。

何か悪いことが起きるのではないか、自分のしていることがうまくいかなくなるのではないか。

組織では学会をやめて幸せになった人の話なんて聞くわけがないので、

自然と不安になってしまうのだった。

するとその思いがさらに不安を呼んで、ほんとにうつっぽくなったりした。

集中力が落ちたり、自暴自棄気味になっていた。

学会から離れたから、むしろこういう風にならなきゃいけないんじゃないかと、

潜在意識に刷り込まれてしまっていたのかもしれない。

それでも健気に、そんな自分を変えたいと願いながら、細々と活動を続けていた。

折伏は、やる姿勢を見せ続けながら、結局やらなかった。というかできなかった。

選挙は、身内の学会員じゃない人とか、お願いの一言で入れてくれる人に数人頼んで、組織に成果だけあげていた。

しばらく留学海外に出て、いろんな価値観に触れた。

そして帰国後、就職活動。たくさんの人に会って、話した。

創大生と会って話す時間より、社会人とか、他大生と会ってる時間の方が長くなった。

自分の頭で考えて、人生歩いてる、かっこいいなと思う人達もいた。

この間、少しずつ本当の自分らしさを取り戻していけたような気がする。

唱題をほとんどあげていなかったが、かなり努力していたので、自分なりに納得のいく就活はできた。

本当に自分らしくいこうと思えたきっかけは、いろんなブログサイトでの学会員の声だった。

学会の良い部分も、悪い部分も実感として分かっている人達の、ネット上での発言はものすごく励みになった。

自分が何となく感じていた組織の疑問を、同じように考えていた人がいたんだと嬉しくなったりもした。

学会の活動を停止した人が、普通に暮らしているのを見て、あー結構大丈夫なんだと、当たり前なのだが改めて感じたりしていた。

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