8月7日、三人暮らしと言うタイトルで匿名ダイヤリーを書いた。
日本時間8月8日午前0時に小規模ブラックホールが誕生すると言う記事を読んだからだ。
その記事によると、実験に失敗すれば地球が飲み込まれてしまう恐れがあると。
「地球最後の日になるのなら」そう思って書き始めたのだ。
何人もの方が「なぜ息子と書かないのか」と疑問を持たれたようだ。
私自身、過去には呼び名に拘っていた時期もあるし、この子が自分の子ならどんなにいいかと何度も考えたことがある。
けれども所在がわからないとは言え、あの子には実の母親がいる。母親と暮らした記憶もある。
自分なりに精一杯やって来たけれど、母と呼ばれる資格があるだろうか。
何より息子と呼ぶことにより、あの子に余計なプレッシャーを与えることにはならないだろうか。
何の迷いも無く息子と呼べたら、母と呼んでもらえたら、どんなに幸せだろうと思ったものだ。
しかし、徐々にそんな思いを巡らすことは少なくなった。
あの子は夫をおじさんと呼び、私をガチャ子と呼ぶ。ガチャピンに似ているからだそうだ。
「ただいま」と帰って来るあの子をおじさんとガチャ子は「おかえり」と迎える。
一緒にご飯を食べてテレビを見て、ぷよぷよの対決をしてガチャ子が負ける。
それを見ておじさんが「また負けた」と笑う。これが我が家だ。
「母ちゃんって呼んでもいいんだよ」って言ってみようか。
笑って誤魔化されるか、聞こえないふりをされるかのどちらかだろう。だけど、これも我が家。
地球最後の日に最初で最後の「わが子自慢」のつもりだった。
よそのお母さん達のように愚痴の混じったわが子自慢をしてみたかった。
あの子から私に向けられた「母の日」と言う言葉を聞いた喜びを形にしたかった。
うちの息子はね、とても手が掛かったけどこんなに優しくていい子に育ったの。
誰かに聞いて欲しかった。
表現力のなさで少なからず誤解を与える文章になってしまったけれど。
結局、地球は消滅しなかったし、私はこうして言い訳を書いている。
人生とは、思い通りにいかないものですぞ。