現代みたいに、過去も含む相当多くのことが閲覧可能になってチェック対象になったとき、世界の(というか実際には欧米エリアのだけど)倫理またはポリコレのスタンダードを全然満たさないところ多いんだよね。良いところは良いと思うけど、ダメなとこは全くダメで惜しくさえない。外国だって実際には大したことないだろうけど、最大級の国際プログラムのときにさえ咎められない人選ができないのはたぶんちょっと珍しくて、土台の足りなさを表してる。
それは、直近の人選とかそういうレベルの話じゃない。普段から、音楽や劇とか観るときでも、客に"流石にそれはない"って批判する意識がそれほどない(まぁ、ホロコーストは日本ではそこまで身近ではないかも。なら、もう少しシンプルな、国際感覚不足だけの話になるかもしれない)。学校で誰かがいじめられてても、正義感を持ってリスクを払ってそれを咎めることは少ない。自分自身そうだなって思う。それの延長線上に今回のいろいろがあると思うと、納得、反省、妥当だとも思う。海外だって似たようなもんかもしれない。けど少なくとも日本で、そのへん全体の問題を社会が許容してる度合は高すぎる。または、諦めすぎてる。別に海外と比べてどうとかじゃなくて、単品で見て。
わからないけど、元の開閉会式メンバーだったらこうならなかったかもしれない。けど、悪条件とはいえそれを1回リロードすると次出てきた人がすぐコードに引っかかってしまうってのは、結構残念ではある。繰り返すけど、その状況って、観客が、普通の人たちが、作って/承認してきたものだから。
逆に、海外からの批判でも、日本ではこう考えますって自身の態度を明確にして跳ね返すことが、ものによってはあってもいいと思うけど、さほどそういう感じでもない。たまたまだけどそもそも、見た感じ、今回はそれが難しそうな案件。
不毛。これだけ過去も現在も可視化して共有できるようになってしまった世界では、何かやる場合は大きな瑕疵のない人間しか集められないつまらなさを嘆こうか。
または、ダメなことがきちんと可視化されて、それを社会の問題として反省する機会が与えられたことを喜ぼうか。
後者は一応建設的かなと思うけど、起きてる問題の原因は、ダメなことしてたアーティストと任命者にあって、自分に原因はないってみんなが考えてるうちは、社会としての反省なんか成立しないからね。
つまり無理だよね。今後も現状を維持しながら、静かに少しずつ地面が沈んでいくんだよね。それしかないんだよねぇ。。
追加
じゃあまず外国A/誰か他人Bが〇〇すべきでしょってのは、案件によってはたぶん全くそのとおりなんでしょう。それはそうなんだと思う。でも、自分が興味あるのはまず我々なんです。それをやったとして進歩するのはその外国やその他人であって、我々じゃないです。誰かじゃなくて自分たちを良くすることを考えたいです。
島国だからね。内輪で最も上手くウェイした奴が上に行く仕組みになってる。まあ日本もようやく国際化し始めたということだろう。それが良いか悪いかは別として。