このご時世だから楽しく引きこもりライフを送らせていただいてる。オンライン授業になって勉強もはかどるようになったし、積読解消できて気になってた映画も鑑賞できてと文化的ブルジョワ生活をできている。だから今の社会にほとんど不満はない。楽しみにしてたイベントが消えて、就活が心配なのが不満の種だ。
これが本題なんだけど「あなたの行動が大切な人の命を守ります」がいまいちピンとこない。世に蔓延る大切な人のために自粛しろフレーズの話をしたいと思う。
大切な人がいないわけじゃない。両親もいるし体が弱い幼馴染がいるから感染してほしくないなとは思ってる。でも、彼らが自分の行動でコロナに感染することないんだよね。住んでる地方が違うから。私は大学進学を機に地方をまたいで引っ越した人間だ。だから今住んでる場所に大切な人がいない。恋人いないし、友人片手で数えられる程度。そもそも私と関わりある人は同年代の大学生。つまり感染しても重症化しない(可能性が高い)。両親と同居してる大学生も多いけど、数少ない私の友人はみんな一人暮らしだ。自分がちょっとばかり特殊な環境にいることは理解してる。
だから「あなたの行動が大切な人の命を守ります」って言われても「別に?」ってなるんだよ。自分がコロナに感染しても最悪死ぬだけ。後遺症残って生きながらえるほうがきついかもしれないけど。
今は正直この生活が楽だけど去年の緊急事態宣言が出たときはこの言葉がめちゃくちゃきつかった。だって身近に大切な人がいなんだもん。越してきた場所でまっとうな人間関係を築けなかったのを社会が後ろ指刺してくる感覚。この世の中の一人ひとりに大切な人がいるって思えるのは能天気なのか、孤独な人間を切り捨ててるだけなのかわからない。せめて後者であってほしいと思う。
私はまだ恵まれてる方だと思う。両親は健在だし連絡とり合える友人もいる。でもガチで孤独な人ってどうなんだろう。親とか兄弟がいなくて恋人や友人もいない人は普通にいると思う。その人に対して「大切な人のために~」って社会が呼びかけるのってすごい残酷だと思うんだよね。自分は感染してもいいやって思う人を抑止するためにできたフレーズなんだろうけど、これで逆に自暴自棄になる人もいる。私は根っからの引きこもり体質だからよかったけどもうちょい活動的だったら「大切な人いませ~~~ん」ってふらふらしてたと思う。もうちょっと馬鹿だったらコロナはただの風邪って言ってマスクをせずに電車とか乗ってたと思う。
なにはともあれ「あなたの行動が大切な人の命を守ります」系のフレーズは諸刃の剣みたいなもんで、多用すると別の観点で人間を刺し殺しかねないなって思ってる。というかそのフレーズで人間の行動を制限できない時期に入ってると思う。存在しない大切な人のためになんで自分が自粛しなきゃならんのと思ってしまう。大切な人と共に過ごせる社会の勝ち組は孤独とは無縁でいいねと負け犬の遠吠えをしてこの増田を終わりたいと思う。
もうこのフレーズが効く人は自粛しているので、効かない人と聞いて苦しくなる人しかいないだろうに延々とテレビから流れてくる
そんなに社会のスローガンを気にしていたら、早死にするよ 戦争の時に「堅忍持久」って言ってたくせに、やってたことは老人が食い、若者子供が飢えただけ。