新規を煙たがるわけでもなく、古参だとマウントを取りたいわけでもない。
ただの事実だ。
かくいう私も今はもう本当に彼が好きなのか正直わからない。
でも去年久しぶりに間近で見た推し、ゲームのキャラクターを演じる姿は以前と同じように輝いて見えた。
結局来月もまた懲りもせず、諦められずに劇場へ足を運ぶ。
彼を推してない人生なんて考えられないけど、彼が今目指す先と私が彼に求めているものが大きくすれ違っているのは確か。
それなのに未だに板の上に立つ彼が見たいと思うのは、推しの役者としての心はいつまでも変わらないから。
如何なる役も推しにとっては宝だそうだ。
それが本心なのか建前なのかなんてわからないが、そんなことは問題じゃない。
しかしデビューから随分経ったが未だスキャンダルの一つも出さず、ここ何年も途切れることなく仕事が続いているという事実こそが推しの役者としての生き方を物語っているのだ。
そういう姿勢と何より彼の芝居が大好きだった。
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それならなぜ2.5次元舞台だけをそんなに毛嫌いするのか、というのは元記事に戻る。
https://anond.hatelabo.jp/20180529123607
私はいかなるジャンルにおいても二次創作をあまり好まず、一次創作が好きだ。
原作者でない人が脚本を書き演出をする、2.5次元も私の中では二次創作扱いなのだと思う。
それはキャラクターだ。
たとえば”いつも元気でポジティブ笑顔な主人公気質”、”曲がったことが許せない性格”、"中流家庭で不自由なく育った"など細かく設定されている場合が多いだろう。
もちろんそれでも演じる人によって様々な違いが出るのは当たり前なのだし、その違いこそが本当の個性だとも思う。
でも、ドラえもんは声優が変わったって同じドラえもん、そういうことだ。
台詞を読み掛け合い稽古をして脚本演出の意思も混ぜながら一人のキャラクターを作っていく。
推しは以前、同じ台詞同じ役でも初演では大人びていてキザなキャラ、再演では純真無垢な幼さを残したキャラ、という見事に正反対なアプローチを見せてくれたことがある。
それこそ真の役者としての見せ所だと思うのだ。
同じ台詞で同じ役でも、いかようにも捉え方があり表現の仕方がある。
それはいつ誰がどこで演じるかによって些細な違いから大きな違いまで出てくるのだ。
役者一人ひとりが自分の中に役を取り込み、数ある選択肢の中から自分がその時に思う最善の行動で役を作り上げていく。
相手のアプローチが変われば自分のアプローチも変わるのか、もしくは変わらないのかもしれない。
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推しへ
今流行りの2.5次元舞台・ミュージカル、私はさっぱり興味がない。 大変失礼な言い方だけど、原作に興味もなければ、コスプレ舞台にも興味がない。 興味がなければ行かなきゃいい話な...
今日も推しは相変わらず2.5次元舞台に出ている。 なんなら、あれから決まった仕事のほとんどが2.5次元作品。 結局彼は今や立派な2.5次元俳優だ。 新しく過去を知らない人たちがファン...
うんち
ありがとう!
うんち