しがない漫画描き。
自分も一人の表現者として「読者受けが全て」という覚悟はある。
だから、自分から見てどんなくだらない作品が世間の評判を得ようとも、甘んじてその結果は認めるつもりだ。
とはいえ、あちらこちらから流れてくる話題のネット漫画のたぐいを見ていると、どうしても「なんでここまで読み難いものが…」と困惑せざるを得ないときがある。
・絵が添え物程度の扱いで、膨大な文字数のネームですべてを説明しているもの。
・2コマで十分表現出来る話を無理矢理4コマに引き延ばし、余計な状況描写やリアクションで主題がぼやけているもの。
・今日見かけたあるものは「(子供が能動的に本を)読む」「(子供に本を)読み聞かせる」というふたつの話をまったく説明なくひとつの「読む」という言葉で表現していて、洒落や演出のつもりなのかも知れないが、作品の根幹のテーマを理解させたいのか、とんち問答でもさせたいのか、怪しいくらいの難解さとなっていた。
どれもこれも、プロの指導者に持ち込めば、いの一番に直せと指摘されるような部分だ。
あるいは、対面で知人などに見せて感想を得たとしても、何人かは読みにくいという指摘を必ずするだろう。
しかしインターネットの、特にSNSなどで「バズる」漫画はどれも大抵こういう、ある種ざつな部分がある。
のみならず、本人が特に問題とは認識していないのだろう。何作も同じような事を繰り返し続ける。
SNSで作品を「共有」するのは、その作品で満足した読者であるから、「読みにくい」ところはどうかこうかすでにクリアしてしまっている。
読みにくさにスルーした人は感想なんか書かないし、友人知人がわざわざ「共有」してきた作品にネガティブな感想を敢えてつけるものも居はしまい。
これがブログや自作のホームページにでも上がっているものなら、いくらでもコメントフォームで突っ込みが入るだろう。
2chに関連スレでも立とうものなら、罵詈雑言に混じって必ず読み辛さの指摘は出る。
そしてやはり、昔ながらのやり方で、手渡しで誰かに感想を求めたとしても、SNSほど忖度は働かないだろう。
SNS以前の時代。他人に漫画を読んでもらって感想を貰うという事が、一定数の「わからない」という感想を貰うことと等しかった時代。
誰もが「わかる」表現を必死で模索したし、表現の指導をするとはすなわちこれを指摘する事だった。
今やそういう場は、表現者の登竜門としてオーソドックスなものではなくなってしまった。
「きちんとネガティブな指摘を貰う」ということは意外と難しいことなのだ。
他人からネガティブな指摘を貰う事なく、自主的に読みやすい表現を模索するのは、もっと難しいことなのだろう。
SNS時代には、それでも届く読者には届いてしまうから、それで良いという考えもあっても良いのかも知れない。