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はてなキーワード: 地球シミュレータとは

2009-05-04

anond:20090504202950

華々しさの無い就活をした人間です。

ときどき「誠実だね」「謙虚だね」と好印象持たれましたが、殆どの会社は一次面接で切られました。面接官が年配者の方の場合、通過率が高いようなのですが、大抵の会社は一次は若い方だったので落ちやすかったのかも知れません。

憶えてる限りだと、だいたいこんな感じです。地雷踏みまくりですが、昨年は売り手市場だったので大丈夫でした。

  • (前略)ただ、やっていたとはいっても一回戦敗退の弱小でした。楽しかったので、それでも良いかなとは思っています。
  • 卒研テーマは~~というようなものです。~~~などに有用ですが……実際の所、テーマは単なる興味で決めました。
  • バイトはやっていませんでした。お金は足りていましたし、通学時間が長いので時間的にも辛かったので。
  • 大学サークルは入っていませんでした。ちょっと言えないサークルには入っていました。内容は黙秘でお願いします。
  • 特技と考えているものは特に無いです。
  • 大学/学部を選んだ理由は、学力的に見合っていて、趣味も楽しめるところを選んだといったところです。
  • 趣味読書です。特にジャンルには拘っていませんが、最近読んだ本では、鼻行類(他幾つか紹介)という本が面白かったです(後略)
  • いえ、緊張しすぎて饒舌になっているだけです。普段はもっと寡黙です。そんなに明るくはないです。
  • まあ、履歴書は無理して埋めただけなので……本当はもっと何もない人間ですよ。
  • 資格は特に受けたことも無いですが(中略)たぶん勉強すれば何とかなるとは思いますが……保証は出来ないです。
  • 恋愛ですか?無いですね。恋愛ゲームなんかは好きなのですが。
  • 日立系にて)幼い頃、「日立の樹」を見て云々……あと、電機系では富士通の電池のCM歌やNECさんの社歌なんかも好きですね。
  • 日立系にて)(前略)同様の理由でソニーさんなんかも好きだったりしますが(後略)
  • 日立系にて)(前略)Pioneerさんと比べると、今一歩劣っているとは思いますが(後略)
  • NEC系にて)そんなハズは無いです。地球シミュレータはSX-5系のハズです。9は最新のものなので、地球シミュレータに用いられているハズがありません。
  • NEC系にて)それから、Let's浜茶屋なども印象としては(攻略

2009-04-02

地球シミュレータがあるなら

経済シミュレータがあってもいいはず

2009-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20090308043500

数十年後の未来東大情報大学院生の俺の感想&予想。

すべての情報アクセスできるようになる。

→これは無理だろ。むしろ、既にほぼ実現している量子暗号が実用化されて、国家機密とかは暗号化が完璧になりそう。

一つのID人間検索できる。

日本でやっていないだけで、韓国では既に社会保険番号というID国民総背番号制やっている。韓国サイトユーザ登録しようとすると、社会保険番号入力欄があって何書けばいいのかわからずあせる。

生涯IDは不変。

韓国がすでに社会保険番号でやっている。

あらゆるものがタグ化。

バーコードで十分じゃね?RFIDが今より普及するかもしれんが。

全員が自宅勤務。

→それはないだろう。むしろ、情報セキュリティが厳しくなって、仕事を家に持ち帰れず、会社でしか仕事が出来ない方が普通になると思う。

テレビ電話の機能が大幅に上昇。

→機能の上昇より、テレビ電話普通電話で通話料が代わらなくなる方が可能性が高いのでは。

キーボード入力ではなく音声認識になる。

→音声から文字列への変換は、既に実用レベルで出来ている。パソコンでも普通に動く。キーボード入力は、数十年後でも、二つ理由で残ると思う。一つは、喫茶店とか公の場では、みんなが喋って音声入力したら、うるさくてたまらないから、キーボード入力の方が向いている。もう一つは、音声入力完璧でも、人間が言いよどんだときに、「~まで戻って」とか口で説明するより、Backspace押した方が早い。

マウスではなく身振り入力になる。

→身振り入力より、マウス入力の方が多くの人にとって楽だと思う。手話入力OSに標準装備されるようにはなるかもね。

すべての乗り物は共有財産となり、最小のコスト、かつ最速で目的地に着けるようになる。

共産主義ですか(笑)まぁ、無料自転車があるぐらいだから、無料車ぐらいは町を走っていて欲しいが。それより、高齢化社会だけど地方では車がないと生きていけない、というニーズから、自動車自動操縦が一般化すると思う。

服を買う前に自分が試着した3D画像を表示できる。

→これは、普通にありそうだ。

あらゆる言語がお互いにリアルタイム翻訳できるため、言語の違いに意味がなくなる。外国語の授業がなくなり、英会話教室は軒並み廃業

→まさしく俺の専門なんだけど、うーん、どうかなぁ。数十年後なら、「外国人に道を聞かれて答える」みたいな英会話なら、携帯端末リアルタイム翻訳できていてもおかしくない。ただ、巷の英会話教室は、英会話がやりたいというよりもビジネス英語を使いたい人のためにあるわけだ。ビジネス英語を使う場合、結局、「訳し間違い」や「発言し間違い」の責任を誰かに取ってもらわないといけないから、やっぱり、英語力は必要になるだろうね。ただ、必要とされる英語力のレベルや種類は変わってくるかもしれない。

遺伝子の解析によって将来罹患する疾病の内容や時期がわかるため、予防医療が急速に発達。

→まぁ、そうなると思うけど・・・むしろ、遺伝子の解析によって、個人で医療負担額が変わる、とかいう方が先になると思う。

すべてのゲームオンラインゲーム化する。

→一人でやるゲームは残ると思う。テトリスとかソリティアとか、別に、オンラインになってもらっても困るし。

オンラインゲームインターフェースがすべてのアプリケーションインターフェース侵食する。

→何がいいたいのかわからん。

出会いはすべてネットで行われるようになる。

→「すべて」っていう言葉を気軽に使いすぎ。まぁ、ネットでの出会いが今より普通になるとは思うけど。

CPU演算があまりにも早いため、プログラムの効率性がどうでもよくなる。

→「僕も若い頃、計算機進化が早いから将来アルゴリズム高速化研究は廃れるかなぁ、と思いつつ、アルゴリズム高速化研究を30年やったけど、どうやら、世の中そうはならないみたいです。」離散アルゴリズム第一人者教授言葉。結構感動した。

それに対して通信速度はそれほど上がらないため、ローカルでできることはローカルでやろうとすることが増える。

→すべてのゲームオンラインに、っていうのと矛盾してない?

ユーザの挙動が常にモニタリングできるので、インターフェース問題点の解決が異様にはやい

→これも、何がいいたいのかよくわからない。

CGリアル画像の区別がつかなくなる。

→それはありえると思う。

画像解析技術検索によって、誰がどこにいるかがすぐにわかる。

画像解析技術進歩しても、肝心の画像データがないとどうにもならないぞ。監視カメラが増えるかどうかは、技術じゃなくて社会の問題だろう。衛星写真から個人を特定するのは、物理的に限界があるだろう。ただ、「この点の人物を追跡しろ」みたいなことは出来る(あるいは、既に出来ている)と思うけどね。

社会のシミュレータが発達するので、政府施策を打つまえに何が起こるのかがわかるようになる。

経済分野に関しては、既に色々なシミュレーション官僚(と日本銀行)がやって(政治家はバカだから)、対策を練っているのだろう。ただ、「地球シミュレータ」みたいに、政府出資して「日本社会シミュレータ」とかいうプラットフォームを作り大学研究所研究公募して、その上で色々な政策を実施してみる・・・ということはありえると思う。もっとも、そういうシミュレーションは、大抵の場合、為政者に「専門家チームの意見です」って報告がわたるだけで、専門家シミュレーションを信頼しない為政者を選んでしまえば、シミュレーション技術がいくら進歩しても無駄。終わり。

天気予報が100%当たる。

→精度はあがるだろうが、原理的に100%あたるのはありえない。

検索エンジンがより進化し、あらゆる疑問に対して答えることができるようになる。

自然文検索は、既に大御所Googleに対抗してやろうとして、Microsoftに買収された。Googleは、内部ではもちろん自然文検索研究もやっていると思うが、外面的には自然文検索よりもキーワード検索の向上の方に注力する、と表明していて、それはたぶん正しい判断。

状況を判断して、自分が知りたいと思う前に必要な情報を教えてくれる。

→これは、ありえる。

2008-06-20

みーんな疎外中。

 長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。

疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。

 なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。

 じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。

「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」

「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」

「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」

「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」

「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」

「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」

「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」

「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」

「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」

「その人を手当てすりゃいいじゃん」

 ……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。

「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。

 例えば教育。そもそも公教育制度って、政治社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像国民保証する」ことにあるわけです。

 だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。

 警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。

 他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列未来投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。

 だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?

 いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級リングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級リングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。

 だから、庵野監督大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)

 なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。

 ポルポト文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。

 ……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。

疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェ運命愛もちょっと似てるかも。

 ……でもこれって、

「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」

という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論ポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女ジジイ

 ……この「反疎外論シリーズ、いろいろ応用がききそうだな。

 例えば、

「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」

「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずく正義押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」

とか、

「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」

「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」

「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」

ライダーは二人も要らない」

「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」

貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」

「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」

(去っていくザビーゼクター

「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」

(半年後)

「もう疎外論も物象化論もないんだよ。影山、俺と一緒に転向しよう……。天道、おまえはいいよなあ、どうせ俺なんか」

とか。

2008-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20080422073509

FORTRANといえばちきゅーしゅみれーたと連想する増田が、地球シミュレータC++が使えるらしいけど使いもになるの?と脱線をもくろむ。

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