2023-05-07

まれてこなければよかったね

DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。

両親は、ふたりとも高校教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。

私は九九の七の段が苦手だった。学校宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。

一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。

「違う。もう一回やりなさい」

二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。

「違うだろ」

三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚意識がぐらっとする。

「何回間違えるんだ!?

痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。

「なんで泣く?お前が悪いんだろう」

台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。

 

母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。

自己啓発本教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。

※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームアニメテレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。

貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。

 

両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。

 

父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドンガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。

また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。

 

母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。

また、母は典型的な「お母さんヒス構文」の使い手であった。

 

https://youtu.be/cQG5j8hdfUE

 

今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。

 

母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。

特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)

 

紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。

過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。

 

・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ

・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)

・早く出て行け

・もう帰ってくるな

・お前なんて死んでしま

・育て方を間違えた

・お前はどうなってもいい

 

書きながら若干辛くて涙が出そうになった。

おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。

 

中学高校先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。

親の言うことを聞かないと暴言暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。

 

高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。

ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生しか話すことができなかった。

(3年生のときはこのお二人とは別の先生担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)

学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。

 

出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由勉強して、自由に休んで自由活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義ものだと思った。

趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったこももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。

 

昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。

 

そうか、望まれて生まれてきたわけじゃなかったのか。

だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。

 

しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。

苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。

 

多分きっと、全部忘れているだろうけど。

  • たぶん忘れてると思う。同じように忘れておいて、弱ってきたところで反撃に出ればいい。 何年先になるかわからなくても、それまでにしっかり力を蓄えて強くなっておけば、その力は...

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