2022-01-30

JAXAの老人が本当に言いたかったであろうことを言語化する

世の中のSF作品には嘘が多くそれによって勘違いをする人が多く居て困る。

私は前々からそういった人達勘違いからくる発言によって迷惑してきた。

取材だったり、質問だったり、若手の失敗、取引先の相手との行き違い、あらゆる場面で「SFから得た間違った知識」にストレスを感じさせられてきた。

同じような間違いを何十人何百人という人間が口にし、その度に指摘し続けることに疲れた

巷でSF映画話題になる度に、そういった勘違いをした人がまた自分のもとにやってくると思うとウンザリする。

映画CMを見るだけで、作品面白さが最優先で現実科学なんてものはそのための触媒しか思ってないことが伝わってくる。

頼むから科学もっと敬意を払い興味を持って欲しい。

詳しい人間に大雑把な質問をぶつけるだけで好奇心を満たしてしまわずもっと根源的な部分からしっかりと知識を積み上げて欲しい。

SF作品であっても、現実事象ちゃん再現しようという気持ちがあるのなら否定する気はなく、それらが「正しい知識」を多くの人に授けてくれる事さえ期待する。

私は前に「プラネテス」という漫画もまさにそういった作品であるかのように誰かに薦められた。

そのことを思い出してふと手にとって見たが、なんのことはないこれもまた嘘まみれの作品であった。

私は非常に強く傷ついた。

私が嘘にまみれたSFを嫌いだと知っているはずの人達からこんなものを薦められたことに苛立ち、孤独感に襲われ、この世界から断ち切られた絆を必死に取り戻そうと焦ってしまった。

結果として見境のない攻撃を行ったことを謝罪したい。

私の頭の中で「プラネテスという作品」「その作品の読者」「フィクションから得た間違った知識を信じる人」「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」がごちゃまぜになっていた。

特に最後の「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」と「プラネテス」が結びついた時、過去のあらゆる悲しみの原因がプラネテスにあるかのように私の脳が錯覚を起こしたのだと思う。

幾千の作品の行く万という嘘によって作り出された幾億の人の勘違いの全てからまれた苛立ちを、たった一つの作品にぶつけてしまった。

これはあまり理不尽だったように思う。

もしも私が突然「私は日本人に沢山酷いことをされたので、日本人である貴方を殺すことで憎しみを晴らします」とお互いに初めてあう相手同士で言われたらギョッとするだろう。

それと同じことをしてしまった。

私が理解してほしかったのは「作品としてしっかりしている」と言われるようなSFでも「サイエンスとしての考証がしっかりしていること」は全く保証されていないという事だったのに。

そして、その違いを切り分けることな安易につなげて考え「この作品面白いから、この作品は本当なんだ」というような勘違いはしてくれるなという事だったのに。

これも少し違っていて、実際には「勘違いはしてくれてもいいが、それが勘違いなのかどうかを自分で本を読んで学ぼうという姿勢を持ってくれ」なのだ

漫画から得た知識繋ぎ合わせてもどこまでも漫画から得た知識連鎖しかならない。

自分でしっかりと学んで欲しい。

面白SFを読んだ次に向かう先が、次の面白SFではなく、科学雑誌であってくれればいいのに、そういった自分気持ちが世の中とすれ違っていると感じて、産まれ孤独感が暴走してしまった。

作品面白さは科学的な正しさを保証しない」ということを、世の中のすべての人に理解してもらおうなんて押し付けだったのかも知れない。

リアリティがある作品こそが素晴らしいという価値観が逆流していき、素晴らしい作品であればそれがリアリティであると世の中が歪んでいったのだなんてのは私の杞憂なのかも知れない。

兎にも角にも、私が自分の長年の苛立ちを特定作品のものにぶつけたのは度が過ぎたことだ。

ありとあらゆる罪の根源を特定の何かを生贄にして押し付けるようなことなどが許されるのは神様ぐらいのものだ。

人間のくせに「現在過去未来その全ての悪の象徴としてお前を断罪する」なんて口にしたのは「分を弁えない」ことだった。

人間に出来るのは、あくまで一度に一つの作品に対して、一人の人間に対して、一つの間違いに対して、一つずつ対処していくことだったのに。

長い時間の間に溜まってきた不満を一度にぶつけてはいけなかったのだ。

個人的わだかまりや消化不良な怒りの積み重ねから出た99%の八つ当たりをさも100%正当な怒りのようにぶつけたことを謝らせて欲しい。

それでもわがままを言うならあの怒りに1%ほどは正当なものがあったということぐらいは許してもらえないだろうか。

私達はいだってフィクションからまれた嘘によって現実がおびかやかされること」に怯えて暮らしてきたのだ。

有名な作品であれば有るほど些細な嘘がより多くの人を巻き込み大きな渦となって現実に襲いかかってくる。

作品において嘘を書く」ということは、どこかで現実科学と戦っている人間に突然の大嵐となって遅い来る可能性を生むとういことを知っておいて欲しい。

それでも、これは私達科学者が戦わなければいけない私達の問題なのだということから目を逸らすつもりはない。

ただ、「分かった上で、それでも誰かを楽しませるために仕方なくやっているだろう」と思わせて欲しい。

本当に、本当に不安になるのだ。

娯楽作品安易に飛び交う嘘を見る度に、それがどんな形で自分たちを脅かしにくるのかが。

私達の臆病さを、慈悲を持って許してくれるとありがたい。


こんなもんかな?

なんで俺が言語化するのかって?

かんたんだよ。

あの爺さんはプライドも高いし半端に知識も有るしその癖ボケが進行しているからもう自分の口で自分が言いたいことも言えなくなってるからさ。

からその代わりに俺が言ってやるのさ。

言語化ってなにも本人がしなきゃ駄目ってこともないだろ?

他人の口からから言えることもある。

赤ちゃん気持ち母親が代弁しなきゃ駄目なのと一緒だよ。

プライドと脳の性能が釣り合わなくなったお爺ちゃんなんて赤ちゃんみたいなもんだからさ、優しくしてやろうや。

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