2016-09-26

10年前のあの日、俺はKくんに電話を掛けることができなかった

来年で30になる。

 

子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。

そして当時一番の親友だった俺と会いたいという意図を聞いた。

一方、俺は学生ニート引きこもりと化していた。

どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。

電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。

あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。

その時、成人式親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。

こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。

会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。

都合が悪いふりをして会わなかった。

ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。

 

それをアパートに持ち帰って電話を掛けようか、夜中に考えた。

考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。

どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。

何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。

しかいくら考えても答えはでなかった。

つの間にか俺は真夏暑い夜の空の下にいた。

家の前のアスファルト道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。

携帯電話を片手に、視線を何度も地面と空を往復させて考えた。

長い時間が経ったように思えた。

答えは出なかった。

10年前の俺はKくんに電話を掛けることができなかった。

 

それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。

俺はというと頑張って大学卒業して何とか就職して働きだした。

勤務中でも増田が書けるだけの緩い職場だ。

もちろん忙しいときはそんな暇はないが。

何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。

 

名前特殊なだけあってネット簡単に今の近況を調べることができた。

モデルを目指している人間ブログツイッター本名でやらないわけがいからだ。

特定やす情報もいくつか揃っている。

5分もかからずに特定できた。

10年前の俺にはできないことをしている。

今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。

特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。

残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。

何か一言でいいから伝えたい気持ちが強くなった。

 

でも、10年前の俺の電話を掛けることができなかった俺と、

今の俺は何が違うのだろうか?

今でも俺は自分武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。

少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、

今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。

要は、自分に必至じゃなくなったか他人人生ちょっかいかけたくなったのではないか

今朝からそのことを仕事をしながら考えていたが、

どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。

 

俺が伝えたいことはこうだ。

10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、

今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断たからだ」

「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」

「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」

「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」

10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。

 

どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、

きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。

俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、

それとも未だに自信がなく怯えているのか、

あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、

難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、

Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。

 

10年前も10年後も俺は答えを出すことができない。

Kくんが増田なわけはないが、

万が一にも増田なら、

あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。

電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。

そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、

何をすれば一番正しい結果になるのかも、判断できないからだ。

 

すまん、Kくん。

立派になったら連絡を取ると誓ったが、

俺には一生無理かもしれない。

どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。

俺は何も変わらなかった。

とても悲しい。

夢を叶えてください。

家族と仲良さそうだし、健康そうでよかった。

もし行ける範囲ライブがあったらこっそり顔出しますね。

本当はもっと文通していたかった。

でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、

もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないか

そのとき僕は思ってしまった。

お金もかかるし、続けるだけの勇気も知恵も無かった。

いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。

本当にありがとう

また、いつか。

 

Wより

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