2013-05-04

「理性を使ってみては」は凄く難しいのではという話

急募レイシストの俺を、レイシストじゃなくする方法 - http://anond.hatelabo.jp/20130501200747

とそれにまつわるトラバブクマ、の一部を読んで、問題を私なりに整理してみようと考えたこと。

後半、元の記事から離れた所に話を展開させていきます

元記事のレイシスト俺さんについては、

大元に何かを攻撃したい欲求がある。

・その攻撃対象として丁度よく嫌いな中韓に、欲求を(内心や内輪との会話で楽しむ範囲であれ)ぶつけている。

レイシスト俺さんは、心の中に民族差別感情を持つ人間レイシスト定義しているので、自分レイシストだと思っている。

レイシズム道徳的によくないし、経済などの面でも己に損をもたらすとはある程度理解しているが、攻撃欲求を発散する気持ち良さを優先させてしまう。

・なので、将来状況が変わればもっと明確なレイシスト的行動をとるかもしれない。

・こんな俺を変える方法はあるのか。

という風に読みました。

そして変える方法はあるかとの問いかけに対し、

1.攻撃欲求が強くなるのは生活に不満があるからなので、人生を充実させる。

2.相手のことをよく知らないのにイメージに嵌ってるから差別したくなるので、実際の韓国人と知り合いになる。

3.2と似ているが、色んな事を学んで、よく考えると、単純な差別をする気はなくなる。

4.お前の性格が悪いんだよだのその程度でスカっと出来るなんて安易ですねだのの罵倒

みたいな意見が多いように感じました。

個人的に一番頷けるのは1(と、白目で見た意味での4)なのですが、実現は難しいと思います

充実した人生を送る方法幸せになる方法確立されてるなら、誰だって幸せになれるはずでしょう。

現実では、方法確立されていない、もしくはその方法をとるにはある程度の能力がいる。

経済がよくなれば少しはマシになる、ってのはその通りなんですが、

日本世界経済をよくするために即効性のある、一個人ができることってほとんどないです。

即効性がないと手ごたえが得られないので、実際に経済がよくなるまで攻撃欲求を持てあますことになります

また、もし生活が充実してもやっぱり攻撃欲求の強い人はいるのではないでしょうか。

2は、実際に効果があるかどうかも少し疑問だし、実現するのもそれなりにハードルが高いと思いました。

知り合いになった韓国人たまたま気の合わない奴だった、という可能性があり、

うまく仲良くなったところで、個人は好きだが集団へのレッテルは変わらないので叩き続ける場合もよくあり

そもそも新しく他人、それも外人と知人になるのはそれなりに面倒なことであり(面倒でない人もいるでしょうが)、

まして、現状馬鹿にして喜んでいる相手とわざわざ友好的に付き合おうとするのは酷く心理的に抵抗があるわけで、

それができれば苦労しない、気がします。

で、3についてがこの記事のメインなんですけど。

互いの国や文化歴史、その他知見を広めてよく考えなさい、というのは、まあ、理想的だなあとは思います

思うのですが、やはり実現は難しく感じるのです。

要するにこれは、理性を使いなさい、ということでしょう。

でも、理性って、普段自分がやってる以上に使うの、凄く難しいし大変じゃありませんか?

最初に書きましたが、レイシスト俺さんが特定の国を馬鹿にして喜ぶのは、

「他人を攻撃するのはよくないとは理性ではある程度分かるけど、

嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいいので、その気持ちよさを優先してしまう」

ということのようです。

「嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいい」のは、誰しもが秘めているものだと思います。私もモリモリあります

(一部ブコメトラバを見ると、この時点で「いや気持ちよくないよ」という人もいるようですが、

攻撃欲求が全然ないのでしょうか、そんな人いるのかしらん)

まり、理性よりも、感情的快楽を優先しているのです。

そのような人に、積極的に知見を広める(それも恐らく嫌いな中韓プラス情報を多く)、という理性を沢山必要とする行為を望むのは、

ちょっと無茶な気がするのです。

もしも何らかの経験受動的に知見が広まったとしても、

それでも「(思考で)殴ると気持ちいい」という感情的快楽は消えないわけで、

中韓にも事情はあるんだろうけどテメーら嫌いだよ苦しめざまぁww」という風にならないでしょうか。

そう言えば、2の嫌いな国の人とわざわざ仲良くなるというのも、理性を必要しますね。

結局、何度も繰り返しになります

「嫌いな奴を殴ると気持ちいい! それが駄目なことと理性は言うが俺は目の前の快楽を優先するぜ!」ということに核心があり、

それを解消するにはどうしたらいいか、というのがレイシスト俺さんの問いかけだと思います

(そして暗に「無理じゃないの?」と言ってる気がします)。

この、感情的快楽を理性より優先させる姿というのは、世の中に往々にして見受けられます

雑な例示なのは許してほしいのですが、

様々な差別いじめの一部、暴行、薬物使用、日常でひたすら感情的になる人、などなど。

全くの無知からそれらをする人もいますが、悪いと知っていても目先の快楽に溺れる人も沢山いるでしょう。

こういう人たちに対して何ができるか、が、この一連の話題では問われているのだと思います

解決法はある意味ではシンプルで、彼ら彼女らが、感情より理性を優先させるようになればよいのです。

上の方では敢えて省きましたが、「知見を広めろ、よく考えろ」という助言には、

「足りない理性を鍛えろ」という意味も含まれていることでしょう。

でも、それって現実的に可能なんでしょうか。

自分の普段よりも多く理性を働かせようとするのは、凄くストレスだと思います

理性を使う気持ち良さというのもあるので、それに高いレベルで馴染んでいる人からすると、

もっと理性的になろう、と望むことはごく当然だと思われるかもしれません。

(攻撃欲求に身に覚えがない人というのも、もしかしたら理性が凄く強いので、

そのような荒っぽい欲求は存在を感知できないくらいに抑制しているのが常態化しているのかも?)

でも、そうじゃない人もいる。私は多分、そうじゃない人が凄く多いと思う。

私自身が、非理性的で、感情的快楽に弱いので、理性的になれ、よく考えろ、大人になれ、としょっちゅう言われるのですが、

理性が身に馴染んでいないのに理性的になろうとするのは、とっても大変、です。

そもそもモチベーションからして湧かない。

好き勝手暴れると即効性のある快楽が得られるのに、

理性を働かせることは、特に馴染んでいない人には快楽をもたらさない。

モチベーションが湧かなきゃ、そりゃ、やらないよなあ。

果たして、理性より感情を優先させる人に、理性を重視させる方法はあるのでしょうか?

レイシスト(元記事作者さんについては反中反韓感情の持ち主、レベルの気もしますが)に、

薬物使用者に、暴力をふるう人に、過剰な感情論を振りあげる人に、何かできるのでしょうか?

もし、実現可能なレベルでの対策があるのならば、凄いなあと思います

私は、ないような気がしています



ないよ、で終わってもなんなので、私の考える、何かできること。

最初の方に書いた、1の「人生を充実させる」というのは、

感情衝動を弱めて理性の方を相対的に大きくしようという取り組みですね。

これはもし実現できれば効果があるような気がしたので一番好きなのです。

人生が充実しても全ての負の感情衝動が弱まるかは分かりませんが、ベターではあるかなあ、とか。

けれどやはり、充実した人生ってどうすれば手に入るんだよ、という問題が。

それから教育でしょうか。

物事を十分理性的に考えるような教育を施されれば、ある程度理性的になるでしょう。

しかしこれも問題は沢山あって、

まず、既に義務教育期間を終えた人間教育するシステムがないということ。

自分から教育を受けにくるというのは考えづらいです。

既に育った人間は諦めて、次世代への教育を重視するとしても、

現在教育者側が理性的人間揃いではないのでは難しい……かも?

教育について何も知らないのであやふやです)

それに、今だってかなり児童理性的に育てようという教育はあるのでしょうが

ついてこない子たちが沢山いて現状になっている、というのは、何かしら問題があるせいな気がします。

また、教育については、

「学がない人間は学のある人間を逆に軽蔑する場合がある。親世代にもその傾向があると子供は当然学びづらい」

みたいな低学歴再生産みたいな話も絡んできちゃいますね、とか。



やっぱり、難しいですね。

これぞという、いや、これぞじゃなく漸近的にでも、

人類に理性を与える方法があれば、本当に良いのですが。


以上。

感情だの欲求だの快楽だの理性だのレイシストだの、他にも様々な用語の使い方は雑だと思います

すいません。

用語以外も雑だと思うのですが、元記事さんに用語の使い方で突っ込んでる人が多かったので予防線

  • ここで想定されている「悪意」の純度の高さに、 わりとまぢに戦慄してしまった……(冷汗) 悪意の生協、、、しかも悪行前払い……(滝汗) この著者増田さんは敵に回したらあかん...

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