はてなキーワード: 5月とは
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
弊社システム、基本的にずーっと昔から同じシステムを使っているのと
リニューアルしても使い方とかシステムの役割は変わらないのでめちゃくちゃ使いにくい
受けられなかった人は自分でどこかの病院を予約して受けるしかない(会社負担)
健康診断はまだ全てWebになってるからマシで例えば昇格審査系のものは
ってなってて一つでもミスするとその年の昇格審査は受けられない
問題はこの手の手順がどこかに丁寧にまとまっているかというとそんなことはないし
なんなら「今年は手順変わったんだよ」と後から言われることもある
年配の社員は「使いにくいよね〜」みたいな軽い文句を言ってるんだけど漏れなく実施してて
そのせいで
どう考えてもシステム側が悪いんだけど
巷のITシステムは手取り足取りいろいろやってくれて確定申告ですら簡単にできてしまう
それに慣れてしまうとこの手の複雑なシステムは使えないんだと思うし
JTCが嫌われる原因ってこういうところにあるんだろうな
でもなんか今年は5月に入ったらもう寒くない決定!って踏んでいたのよ。
なかなか油断ができないわ!
こういう時にうっかりすると風邪引くのよ!
私は最近お昼はキーボードを打ち込めるところで行ってるのだけれど、
配膳猫ロボットが特別割引クーポンを一緒に食事と乗せてやって来たの!
私だけ特別?って
思ったらまたよその人への配膳される猫ロボットにも同じクーポン券がのって運ばれていたので、
そんで、
お支払い時は無人なので、
逆にこのクーポンどうやって使うの?って
いやバーコード読み取らせたらいいのかしら?
そうなるってーと、
使用期限中ずーっと券は回収されずに使えるの?と言う新たなる疑問が1問私の目の前に浮かんだの。
なんかさー
5パーセントオフ!って行っても微妙だけど消費税5パーセントオフってなると
違い方感じ方思うこと大きいなーってその5パーセントって思うのよ。
たぶん月に行った人が初めて消費税を喰らったときに良いそうな、
人類にとっては小さいかもしれないけど私にとっては大きな5パーセントだよね!って、
この5パーセント塵も積もればツモリチサトって言うかは知らないけれど、
だから、
積み重ねていったら、
大きいのよねーってそこでやっぱり超節約人間とかとの差が出ちゃうのかも知れないわ。
つーか
そもそもとして
超節約人間はそんな猫配膳ロボットのファミリーなレストランには行かないかーってミランダカーばりにそう思うのよ。
最近は朝のそういうファミリーレストラン的なところであまりに朝一番で行くと猫配膳ロボットがまだ充電中だったりとか起動していなくて、
まだアイスクリーマーの機械が電源入れたばかりなので冷えてないのでできませーん!って
あまりに早すぎるのもまだ準備が出来ていない率高しだわ。
ルービーも朝はまだ生樽酒屋から届いてきてないから飲めないって言うしー。
私はそう言う時はヒーコーで我慢するけれどね。
そこは大人よ。
むやみにスープバーのスープの桶を開けたり閉めたりして何を確認してるのかよく分からない人を演じたりはしないの。
あれってさ、
たまに用もなくスープバーのスープの鍋の蓋を開けて中身を確認する人ってなにがしたいのかしら?って思うわ。
だからあのスープバーのスープ鍋はちょっと周辺緊張感が走るし衛生面そんな様子で大丈夫なの?って問題もあるので、
食事も置けるし
いろいろなものを乗せて店員さんに押されているときを見たときは頑張ってるなーって
そのお店の大将にあの子頑張ってるからこのオイルでも飲ませて上げてよ!って言いたくなるのよ。
まあそんなことで、
私はこの持て余しそうなクーポンはどうやって使ったら良いのかと
なんてね。
うふふ。
豆乳とポタージュスープをミックスしたものですませてきました。
まだマシかしらね。
朝の起き抜けの時の水分補給1発目にとりたい水分でごくごく飲んじゃうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今思うに、俺のお袋は同性愛者だったのかもしれない。嫌々親父とくっつけられ、子供は作らないと言う約束で結婚したはずが、半ば強引に子作りさせられて出来たのが俺らしかった。
お袋は精神を患って、「せめて女の子だったら良かったのに」と泣いていた。俺は日に日に男になっていく。そんな状況じゃ、いくら子供でも、愛せるワケないよなあ。
かけっこで1位になっても、テストでいい点取っても、マラソン大会で入賞しても、国立大に入っても、どう頑張っても素っ気ないお袋に、俺は心が折れた。
「俺のことどうでもいいんだろうけど、せめてもう少し母親らしくしてくれよ」と怒鳴って家を出た時は、もう二度と、謝ることすらできなくなるとは思ってもみなかったよ。
お袋を騙して俺を産ませた親父を心底軽蔑していたけれど、俺しか頼る人間がいない親父を放っておくわけにもいかず、結局親父と暮らしている。
昔は、俺みたいな放っておいたら誰とも番えない男に、お袋みたいな女が無理矢理充てがわれて、結果として俺みたいな不幸な子供が沢山生まれてしまった。産んだら可愛く思えた人もいるかもしれないけど、俺のお袋はそうじゃなかったらしい。
結婚したくない人が、仲人と名乗る世話焼きのババアに無理矢理マッチングさせられずに済む今の世の中は、むしろ健全だとすら思う。
ただ、俺はお袋に、頭、撫でて欲しかったよ。
生みの親からも愛されなかった男が、何の所縁もない女に偶然愛されるワケないよなあ。そこんところ、俺はちゃんとわきまえてるつもりだから、頂き女子なんてヤツにはハマらないだろうけど。
出会っちゃったら、コロッと騙されんのかなあ。
この増田は女性向け同人イベントに行ったことがない、漫画を読んで想像で書いている男性では?と思ったので気になった点をメモしてみる。
若い女性が背伸びしてるのかもしれないけど25歳って言うほどアラサーか?
増田が本当に自分のことをアラサーだと思っているならただアラサーと書きそうなのに具体的な年齢を出していて違和感。
“そんな夢や希望と共に20pのペラペラ漫画本10冊を持って迎えた当日”
20pは漫画同人誌としては一般的でペラペラとは言いません… コピ本と言いたかったのか?
あとイベント参加を決意してからいきなりイベント当日に飛ぶけど 「部数は?お品書きやpopのデザインは?ポスターは作る?」とか「自分で設定したとはいえ締め切りがキツイ」」 「新刊サンプルにいいねがついて嬉しい」 「イベント前にユーザーネームにサークルNO.を入れるとジャンルの仲間入りしたみたいで嬉しい」とか初参加ならではの不安やワクワク感が全然書かれていないんだよね。
“あと会場がほんのり汗臭い”
増田が本当に女の子だったら「周りが臭いということは私も気付いてないだけで汗臭いのかも?」とまず心配にならんか?
毎年気温が上がってくるとカードショップやカードゲーム大会に現れる異臭レベルのオタクが話題になるから「男オタクがそんなに臭いなら女オタクもそれなりに臭いのでは?」と考えた人が想像で書いた感がある。
いやトイレ行くふりなんかしなくても自ジャンルのサークルなんだから堂々と物色すればいいじゃん。せっかく来たのに欲しい本はなかったのか?
作品主体のイベントなのに最初から人の観察ばっかりで違和感がある。
一番気になったのが向かいのサークルがずっと大声で下品な会話をしていたという点。会議室を借りてやるような個人主催のオンリーならともかくビッグサイトなら向かいのサークルとの間は数メートルはあるはず。10回に満たないくらいサークル参加してるけど少なくとも私は向かいのサークルの話してる内容まで聞こえたことはない。
そんなクソデカ大声で猥談をしてたなら増田以外にも気にした人がいるはずだし「開場前とはいえけっこうなトーンでR-18な話をしているサークルがいました。参加者には未成年もいるんだし自重してほしい…」みたいなツイートがバズって今頃当人は炎上してるだろ。
それから容姿ヲチが好きそうなのに会場を練り歩いているコスプレイヤーへの言及が一切ないのが不思議。
増田なら「さすがにレイヤーは可愛い子が多い」とか「スタイルの悪いレイヤーが推しキャラのコスしてて嫌だった」とか書きそうなのに。
同人女の感情にはコスプレイヤーが出てこないからそこまで頭が回らなかったか?
“でも文章下手とか性格悪いとかボロクソ言う割に服のダサさには反論できてなくて草”
そもそも同人誌即売会という一種のお祭り会場に来ている人のファッションを一般的にお洒落かどうかでジャッジするのが不毛じゃね?
例えば全身緑と紫でコーディネートしている女性がいたとして「今日はイメージカラーが緑のキャラと紫のキャラのCPプチオンリーがあるんです」って言われたらハアそうなんですねでしかないじゃん?
全体的に「女オタク=下品・臭い・ダサい=悪」 「悪しき腐女子文化に染まっていない眼鏡ちゃん=清楚=善」みたいな「若い女性が男性抜きで性欲を満たしていることへのやっかみ・揶揄」を感じる文章だった。
年間1万円しか引いてくれないじゃん?
しかも最初の月に一回「支払わなくていい月」が設けられるじゃん?
ということは、月1万円以上の住民税を払ってる人は
7月以降の毎月の住民税額、なんなら去年の月々の住民税額より増えるよね?
マジで?
全然お得感ないんだけど
たとえば住民税額18万円/年の人
月 | 去年 | 今年 |
---|---|---|
6月 | 15,000 | - |
7月 | 15,000 | 15,460 |
8月 | 15,000 | 15,454 |
9月 | 15,000 | 15,454 |
10月 | 15,000 | 15,454 |
11月 | 15,000 | 15,454 |
12月 | 15,000 | 15,454 |
1月 | 15,000 | 15,454 |
2月 | 15,000 | 15,454 |
3月 | 15,000 | 15,454 |
4月 | 15,000 | 15,454 |
5月 | 15,000 | 15,454 |
トータル | 180,000 | 170,000 |
柱の傷はおととしの~
夏も近づく八十八夜ヘイヘイヘイ!
早いわー。
っていつもの様子で言っているとあっと言う間に過ぎ去ってしまうわ。
そうそう!
つーかそもそもそんな鮮魚そんな買うつもりまったく無かったんだけど、
よくあるじゃない!
マンモスの輪切り!
あれの鮪のテール版というか、
本当に絵に描いたようなマンモスの輪切りのような絵面だったので、
そんで、
これどうやって食べるのよ?って
つまり
しかもカチカチに冷凍されているしこれ解凍もどうしたら良いの?って正解は越後製菓!ってそんな解答は求めていないの!
でもここは人類の叡智と言えども最近は全然役に立たないグーグル検索だけど
さすがに
私も見よう見まねで上手く解凍できーの
それで次これどう調理する?ってスリリングな話題に突き刺さったの。
とりあえず火を通せば身もほぐれるでしょ?って作戦で
マグロのテールのお吸い物的なもちろん良い出汁出てるマグロのテールスープも出来たんだけど、
あんまり面白い見てくれだけで買って見たけれど味は大味かも知れないわね?ってそんな罠なマグロのテールと思いきや
真っ当な肉っけのあるマグロテールの火が通ったやつができたの。
ただそんな味付けも強力な調味料に頼ったわけでもない
味の決め手は素材だ!って言っちゃいそうなぐらい、
そんな勢いだけで作ったマグロのテールだけど
とりあえず火が通ってパサパサになっちゃうかと思ったけど
そこもしっかりとマグロを堪能できるほっぺにほおばれるぐらいのゴロッとしたマグロ肉が結構たくさんとれるのよ。
食べ応え充分!というか!満載!というか、
話によるとこれバーベキューで焼いてもいいらしいわよ。
今回はスープの美味しいルーシーの出汁が出るものにすれば良いかーと思ったけれど
おおむね大成功よ!
あと骨が本当に骨で流石にマンモスの輪切りについている持ち手のあるあんな様相じゃないけれど、
骨も骨!って感じがして
マグロのテールのテールさを感じたわ。
またこれ買うか?ってなるとたぶん調理が面倒なので買わないかも知れないけれど、
マグロのテール感を1度でも楽しみたいのならありよりのありだわ。
2回目もやっちゃいたいかな?
今日良いの入ってる?
すっかり私それ言うの忘れてたわ!
今日いいの入ってる?って言いたい年頃だってことを分からせたいわね。
うふふ。
豆乳飲んで出てきたわ。
昨日食べるつもりだった食材が結局マグロのテールだけになってしまったので、
お味噌汁はまた別日ね。
お味噌も無くなりかけているので、
気を付けないと。
案外お味噌汁ちゃんと作り出したら味噌なんて瞬間で一瞬の瞬きの間で無くなっちゃう消費しちゃうわよね。
ドラゴンフルーツの赤いやつ中身がね。
も買ってきたのでまたそれドラゴンフルーツウォーラーレッド!をやりたいわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Because コロナでの落ち込みの反動が終わり、中国での売り上げが0になるので
2024年4月中国での販売台数が出たが、EVへの転換が急激で販売数の減少が止まらない
もう回復の見込みはなく部品会社の間では中国撤退の話も出ている
トヨタ -27.3%
ホンダ -22.2%
トヨタ 190万7600台(18.5%)
中国市場を失った後に同じ規模の販売を見込めるのはインドくらいだが、マルチスズキ・現代・タタ・マヒンドラの5大メーカーがシェア80%を占めている
現代 14.05%
タタ 12.82%
起亜 7.36%
トヨタ 4.57%
ルノー 1.98%
ホンダ 1.82%
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
8:50自宅出発
9:05 ブックオフ 経路途中
9:15 柔軟終了
32-40 チェストプレス 35*7でギブ 20*10と25*10は実施して可
9:50-10:00 アブドミナルベンチ 15*2 この前より多くできた
10:02-10:10 アブドミナルトレーナー 35と40は1回がギリ
10:10-10:15 レッグカール初挑戦 20*10は特に負担なし
10:17-10:30 ウェイトトレーニングきつそうなのでアップライトバイク L5 c64 d5
10:33 ジム出発 母の日なので八百屋で果物を買っていく 5月の旬の果物はいちご さくらんぼ びわあたり?
10:45 駅到着
↓
不倫相手の彼氏に「あなたの彼女がウチの旦那と不倫してます」と伝える
↓
↓
↓
別のサレ妻が「どうせ訴えられるなら1日でも多く顔写真と名前を広めるべき!」とアドバイス
↓
アドバイスを受け相手女性の顔だけでなく本名や出身校、勤務先、親の勤務先まで晒す
↓
サレ妻「ほら!警察にチクりたければチクってみろや!警察から連絡が来た瞬間に飛び降りてやるよ!!」
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サレ妻が自分自身を人質に取り、無敵暴走憤怒モードに突入(今ここ)
@mn32saitei
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https://anond.hatelabo.jp/20240510105151
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ブコメで「アニメがコケてソシャゲが下火になった」具体例をと言われたので上げてみる。元増田とは別人です。
アニメは2018年秋クール、ゲームもほぼ同時の2018年10月リリースでアニメ放送終了直後の2019年1月にサ終。そもそもアニメ放送中にサ終発表の異例の展開。
元々ゲーム品質が悪かったため、アニメの影響というよりも完全なる共倒れ。キャラデザが桂正和で声優陣も人気声優だったのに。
アニメは2018年秋クール、ゲームは2017年9月リリースの2019年5月のサ終。元々ゲーム自体が低調だったが、アニメも新人声優(モデル出身)の棒演技ばかり話題の爆死。
アニメの爆死がゲームにとどめを刺した形に。こちらは広井王子作品。
アニメは2022年夏クール。ゲームは2021年3月リリース。2023年3月サ終。漫画の連載も同年5月で終了。原作ニトロプラス。アニメ終了直後のサ終でもないので、割ともったほうか。
完全に同作品ではないが、関連作品でアニメ「新サクラ大戦」が2020年春クール、ゲーム「サクラ革命」が2020年12月リリースの2021年7月終了。サクラ革命自体も2020年9月にYoutube配信。
こちらも広井王子作品。人気シリーズだったがゲームの品質が良くなく、後発のウマ娘の大ヒットもあり「馬に蹴られて死んだ」と揶揄される。
こうして見るとアニメの爆死に巻き込まれたと言うよりも、元々低調低品質だったゲームがアニメ終了と同時にサ終したものが多い。
今となっては人気メディアミックスシリーズだが、アニメ第一期は脚本と作画が悪く爆死。さんざんネタにされるもゲームのヒットと後続のアニメシリーズでの立て直しに成功。アニメ2期以降の体制一新のおかげか。
アニメ1期が2018年春クール、ゲームは3年遅れの2021年2月リリース(アニメ2期と同時期)。
本来はゲームもアニメ1期と同時リリースの予定だったが、アニメの好評とは裏腹にあまりの低品質のため完全作り直し。
仮にリリースを強行していれば凡百の色物擬人化コンテンツの一つとしてネタにされ続け、現在の競馬ブームもなかったかもしれない。
ゲームは2013年4月にリリースし現在も稼働中。アニメは2015年冬クールに最初のアニメ化。
以降劇場版や2期(1期とは別の話)が公開される。1期放映時に散々まとめサイトで爆死だ何だと叩かれていたものの、
円盤の売上自体は好調だった。ゲーム自体も10年を超えて稼働している人気コンテンツ。ウマ娘と違い新キャラを投入しづらいのがネック。
2018年冬クールに第1期放映。2024年4月現在3期目。ロケ地は聖地観光で観光客を集め、アウトドアブームの立役者と呼ばれるほどヒットする。
一方でゲームは2023年6月にリリースするも直後からバグ障害頻発、ゲーム自体の低品質もあり2024年2月から2ヶ月掛けて長期メンテナンス。
ウマ娘(パワプロ)型の育成ゲームをゆるキャン世界に導入するという蛮勇。3期放送終了後にどうなるか注目。
経緯が複雑すぎるので書きません。
地方自治体に勤務している。
課内のある係が崩壊した。
1つの係は6人〜9人で成り立っておりそれぞれの業務を担当している。
その係はもともと別の部署からの異動者が多い上に人数も揃っていない。
加えて異動でやってきた職員たちもメンタルで休職に入ったり、元々予定していた産休に入った。
そのため、その係は現在新卒と係長の2人のみで業務を行なっている。
他の係から人を回すという案も出たが、自分の係の人員が減ることを嫌った係長たちの抵抗により「各自手の空いた者が新人をサポートし、いない人の穴を埋める」という結論になった。
5月に入り、当初はデスクの近い係の人たちで新人に業務を教え、いない人たちの仕事を処理した。
新人も一生懸命自分で調べたり周りに聞きながら自分の仕事を行い先輩たちの穴埋めをしていた。
連休に挟まれた3日間の平日、当初の2日間新人はとんでもない勢いで仕事を覚えながら残業してなんとか仕事を間に合わせていた。
しかし、4連休前日の木曜日に係長が有給休暇を取得して、1人取り残されたことで崩壊してしまった。
その日、定時で退勤しようとした新人にうちの係長が「大丈夫?終わりそう?」と声をかけると「もう焼け石に水なので帰ります」と言い帰宅してしまった。
私は連休前に自分の仕事がなんとか間に合いそうな安堵感と新人を見て見ぬふりしていた罪悪感を抱いた。
自分の仕事のみを終わらせて他の係や他部署の同期と一緒に定時で帰宅するようになった。
係長が「もうちょっとこれ片付けてもらえない?」と言っても「どうせ間に合いませんし、〇〇さんもあがりましょうよ」という調子だ。
結局、私含めたみんなで休職者と新人に呪詛を呟きながら今日も残業してその係の業務を片付けている。
私はお仕事。
2021年12月 デイバエン戦 WBA/IBFバンタム級王座防衛戦 →「・・・」前回のただのタイトルマッチ
2022年6月 ドネア2戦 →「うおー!ドネアとの因縁の再戦!」「WBCを加えて3団体の統一だ!」
2022年6月 バトラー戦 →「うおー!とうとう4団体統一だ!」
2023年7月 フルトン戦 →「スーパーバンタムでも通用するのか!?」
2023年12月 タパレス戦 →「2回級連続での4団体統一いけるのか!?」
2023年5月 ネリ戦 →「(ちょいテンション下がるけど)山中の敵討だ!」「東京ドームやぞ!」
急に寒くない?
朝方に肌寒くって目が覚めちゃったわ!ってことがないように、
一番寒さのピークを叩き出す気温に前後の時間帯に暖房のタイマーをセットしておいて暖かく目覚める大作戦大成功!
テッテレー!って感じで一人起き上がってから大成功!手もち看板を持ちつつ起床して
そんな朝だったわ。
微妙な時間帯に起きてしまったらなかなか寝付けないことあるので、
だんだんとそんで暖かくなってきた3本の矢先だったので、
電気ポットも今シーズンのフル登場の活躍は期待できないと思っていた5月に入ってからのスタートダッシュ!
ここに来てまた大活躍よ!
このところのゲーム三昧の例の『ステラーブレイド』の一件もあり、
家のこととか全然出来てないから電気ポットとかも片付けようというか違う置き場におきかえようかな?って思ってたけど、
それもよぎるのよね。
そんでさ、
お天気予報って私見なくても平気なほど折り畳み傘を偲ばせておくからガン無視もいいところだったけど
最近はそうよ!
その予報朝寒くなるよ!
上着を1枚あればいいですよ!
あんまり天気予報信じるか信じないかは私あんまりどうでも良かったことだけど
大正解よ!
たまには天気予報信じてみるのもいいと思ったわ。
本当に寒暖差あんのでみなも気を付けて!
うふふ。
とにかく朝起きて食べるもののお味噌汁があることに便利さをコンビニエンス感じるよりも
流石に寒いので
身体が冷えちゃったわー
やっぱり温かいものにしておけばホッツ白湯だなーって思ったの。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
独り暮らしの為の家電について、2024年5月現在の決定版をだらっと書く。
一人暮らし向けの冷蔵庫は、インバーターが搭載されていないものが多い中、こいつはインバーターが搭載されたことにより、以前のモデルに比べて飛躍的に静かになった。
インバーター非搭載の冷蔵庫は、コンプレッサーの運転時に「全力かオフか」みたいな昭和かよ。みたいな挙動しかしてくれないので、「バゥーーーーンンンン」っていうアホみたいな音が断続的にする。ワンルームで朝昼夜この音とずっと一緒なのはきついよね。私はきつかった。
インバーターのおかげでコンプレッサーを良い感じに動かすという、ようやく平成かよ。という挙動(褒めてる)を行ってくれるのがこのNR-B18C1なのだ。
メーカーさん、「ワンルームって部屋が狭くて冷蔵庫が近いのに、ワンルーム向けの冷蔵庫、うるさくね?」って気が付くのに何年かかってんだよとしか言いようがないが、みんなが買わないと多分そのうちなくなっちゃう。困る。この灯を絶やしてはいけない
これより一回り小さいモデルとして、同じくインバーター搭載で容量156リットルのNR-B16C1もあるが、横幅は同じなので、より大きいNR-B18C1をお勧めしておきたい。
掃除機はこれ。
PV-BS1Lの良いところはあれだ。まず圧倒的に軽い。1キロ切ってる。軽さは正義だ。
充電台が無い。充電台が無いのはメリット。はっきり言って充電台は邪魔だ。コードを本体にぶっ指せば充電開始だ。あ、良い感じの部分にゴムのすべり止めが付いてるから、本体を壁に立てかけても倒れないよ。えらい
ワンルームなんてクイックルワイパーで十分って?わかる。ぶっちゃけクイックルワイパーの標準+ウェットのコンボで床面はほぼ攻略できる。だけど、ちょっと違うんだ。
こいつは延長パイプを外してハンディタイプとして使う時に、吸い口に可愛いブラシがちょろっとついている。これが便利なんだ…。キーボードも、窓枠も、気になるあの部分この部分をこの小さいブラシで掻き出しつつ吸いまくれ。
さらに別売りファブリックヘッドPV-BL30J-005 を使えばベッドの掃除も完璧だ。ぜひベッドや布団を掃除機で吸ってみて、ダストカップに溜まる謎の細かいチリに戦慄してほしい。
というかメーカーさん、掃除機は布団用の掃除口は標準でセットで売ってくれても良いと思うぞ。
後こいつはダストカップも水洗いできる。精神的にかなりすっきり。
掃除機にうるさいそこのあなた、言いたいことはわかるよ。私だって、紙パック式の捕集率99.999%(大きさが0.3~10マイクロメートル)の掃除機(キャニスター)や、ダイソン(これまたキャニスター)も継続的に使ったことがある。
でもね、一人暮らしの紙パック式は、その掃除面積の狭さとのせいで紙パック交換の頻度が低下しちゃって、結果毎回捨てるサイクロンの方が衛生面で有利になっちゃってね。。。
ダイソン?あれは水洗いできねぇ。ダイソンが誇るルート サイクロンテクノロジーに基づいて製造されたサイクロン内部にこびり付くかの如く永遠に溜まり続けるゴミ、チリが気にならないのなら良いかもしれないがな…
洗濯機について書こうとしたところで力尽きた。
・顔が年齢不詳。幼くも見えるし老けても見える
・他人に年齢を聞かれたくない
・実家と親が大好き
・コンタクトレンズにするのは怖いのでメガネだが、J!NSの安物を1つしか持っていない
・散髪での注文は決まって「前髪は眉にかからない程度で、耳を出して、全体的にすいてください」
・眉いじりや髪のセットは親に怒られる(笑われる)からやったことがない
・「趣味に忙しい」と言いつつ、消費するだけで、その趣味を決して深めているわけではない
・読書をしない
・全身ユニクロが最も無難なファッションだと思っており、安っぽいと言われると怒る
・靴を1足しかもっていない
・まとめサイトが好き
・VTuberやウェザーニュースのお天気お姉さんにコメントを投稿している
・オナニーに本気で取り組んでいる
・カップ麺が大好き
・炒飯をパラパラにする方法やペペロンチーノの乳化の話が大好き
・鉄のフライパンを育てる話が大好き
・「幸せなら増田・ブクマに書き込まないはずだ」という思い込みがある
・「ネットでマウントを取ってくる既婚者の嫁はブスに違いない」という思い込みがある
・悲しいわけでもないのにただ涙が出る夜がある