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2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-04-11

anond:20240411013924

まり国が気に食わないかテロ活動しますってことじゃん

いくら正当化したってあさま山荘事件を受け入れられる日はこねーよ

2024-01-28

anond:20240128181639

よくわからない

匿名相手がどんな素性かわからないし

しろ社会の流れに乗れない」は1970年ごろがピークであさま山荘事件、山岳ベース事件を経てどんどん下火になる学生運動にのめり込んだ桐島聡に当てはまるし

2024-01-01

anond:20240101170133

これやね

タレント萩本欽一あさま山荘事件生中継を見て、山荘の窓だけが映し出される映像日本中の注目を浴びたことを知り、

テレビ大事なのは「何かが起こる」という期待感であると感じ、以後予定調和を避け「何かが起こる」期待感を持たせる番組作りにつながった

2023-11-27

そういうときに思い出されるのが「あさま山荘事件」 anond:20231127235722

結局今の日本人もあの事件犯人と同じで、

自分たちが追い詰められたのは誰が悪いのかと

「総括」してるわけなんだろうね

2023-06-12

オールアンラーキーイアーズ

2011年東日本大震災)や1945年第二次世界大戦)を不謹慎だという連中に全てにぶちぎれた増田がすべての年を不謹慎の年と扱うリスト

それがオールアンラーキーイアーズ(All anrakki iaazu)だ

このリスト著作権なんかねぇから日めくりカレンダー薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ

出来事 出来事
2023岸田文雄襲撃事件(まだ6月なので) 1993北海道南西沖地震
2022ロシアウクライナ 1992ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
2021スエズ運河封鎖事故 1991電通事件
2020コロナウィルス 1990イトマン事件
2019京都アニメーション放火殺人事件 1989エクソンバルディーズ号原油流出事故
2018福岡IT講師殺害事件 1988東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件
2017WannaCry 1987ブラックマンデー
2016相模原障害者施設殺傷事件 1986チェルノブイリ原子力発電所事故
2015ISIL 1985日本航空123便墜落事故
2014マレーシア航空17便撃墜事件 1984パール化学工場事故
2013ロシア隕石落下 1983大韓航空機撃墜事件
2012大津市中2いじめ自殺事件 1982ホテルニュージャパン火災
2011東日本大震災 1981戸塚ヨットスクール事件
2010sengoku38 1980ジョン・レノン銃殺事件
2009中央電視台電視文化センター火災 1979スリーマイル島原子力発電所メルトダウン
2008リーマン・ショック 1978制服警官女子大生殺人事件
2007バージニア工科大学銃乱射事件 1977テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
2006シンドラーエレベーター 1976ロッキード事件
2005JR福知山線脱線事故 1975クアラルンプール事件
2004新潟県中越地震 1974ウォーターゲート事件
2003コロンビア号空中分解事故 1973大場政夫死去
2002日本人拉致問題 1972血の日曜日事件
2001アメリカ同時多発テロ事件 1971全日空機雫石衝突事故
2000西鉄バスジャック事件 1970よど号ハイジャック事件
1999東海村JCO臨界事故 1969アポロ
1998エシェデ鉄道事故 1968黒い赤ちゃん
1997ポケモンショック 1967四大公害病
1996トランスワールド航空800便墜落事故 1966黒い霧事件
1995阪神・淡路大震災 1965二次印パ戦争
1994中華航空140便墜落事故 1964ブルーボーイ事件

お便りコーナー

趣旨的にイトマン事件などではなくて、凶事や災害を出せよ

一部はツッコミどころとして用意したんだけど、その割には例示してくんないので代わりにだしてやるヨ

ただ今後はちゃんと例示するように

実際のところ地震だとか航空事故オンリーの表は作れるだろうけど、それだけじゃ面白くないダロ?

しろ不謹慎であれば何でもいいんだがナ

2023-02-06

2月オールアンラーキーデイズ

毎年3月11日9月11日不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト

それがオールアンラーキーデイズ(All anrakki days)だ

決め方

以下の順番でその日に起きた出来事をチェック

基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件事象場合や、不謹慎がない場合海外対象に入る

  1. インターネットミーム化したものなどのネット炎上事件増田らしく)
  2. 東日本大震災台風豪雨などの未曾有の自然災害
  3. 世界レベルで起きた戦争の開戦・終戦日(世界大戦及びそれに匹敵するレベルのもの冷戦など)
  4. 1900年以降に起きた戦争テロ等の軍事行動殺人事件ロシアウクライナなど)
  5. 1900年以降に発生した交通事故(空>海>陸の順、死亡しない場合は除外)
  6. 世界的に炎上問題行動を起こした人間誕生日(本当に話題が無い時に書く)

前月にトラップだとかスルーだとかでうるさいから簡潔に説明してやったぞ

さぁ今月はロシアウクライナのある月だぜ

2月

2023-01-22

anond:20230122180112

芥正彦とか見てたら今のひろゆきを強化したようなやつなんだけど

全共闘の中心メンバーあさま山荘事件以降も悪いことだと思って無くていいよね

2022-09-17

anond:20220917090339

ニュースだけ見て上辺だけで判断する阿呆じゃん

レスバで勝手に横から勝ち負け決める野次馬みたいだなお前

あさま山荘事件あたりで負けとか思ったり学生運動を過ちだと思ってる学生ほとんどは単なるファッション中核派

中心人物やそれに親しい学生だった人間は未だにあの頃のまま意志を持ってるよ

解放区とか実際にそうやって社会を変えるかどうかの違いでしかない

三島由紀夫とのレスバに勝った芥正彦(これは相手自決したので明白)は学生運動が終わって50年経っても演劇世界で当時の思想表現している

一部の学生運動メンバーは既に別世界拠点を移して実社会を無理やり変えるのではなく世界観を具体化することで折り合いをつけてるんだ

2022-07-20

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUA054Z60V00C22A7000000/

コメント読んでいて思う

なんかズレてんだよ


党員ピークが90年って、意外でも何でもなく

団塊の世代が「思想として共産主義が新しかった」世代と被るんだよ

1990は団塊の世代40歳


安保全共闘が1960、1970で、これが学生運動とまる被り

団塊20のころだ

国鉄のスト権ストも1970で、あの頃はデモだのストだの盛り上がってた、結構ニュースになってた

ファッションとして「反抗」できていた

でも結局、そういう運動共産系に乗っ取られて変質していくんだ

労働闘争思想闘争に、デモやストは政治運動に使われた

なんだかんだ「赤=悪」のイメージも強く(ちな、あさま山荘事件は1972)

共産党は組合員とかを党員として確保していたんだけど、そもそも労働組合が若者から嫌われ

高度成長からバブル突入すると、さらに人心は離れていく

思想としての華やかさもなくなり

共産主義資本主義でしょ、みたいな



こういうのを、共産党の政策とか、党の独裁体制とかで分析すると、歪みが出るよ


2022-07-19

anond:20220719214922

あさま山荘事件などを起こした苦い記憶と教訓って、そこらに反省してた話聞いたことないんだけど?

90年代なら資料残ってるでしょ。

90年代左翼人一倍オウムに厳しかったよ

•狭いコミュニティで山岳ベース事件あさま山荘事件などを起こした苦い記憶と教訓

応援していたテレビ局所作坂本弁護士一家殺人事件に繋がった反省

松本サリン事件で無実の市民先入観犯人扱いした反省

この辺りの教訓、反省があったから、地下鉄サリン事件の後はオウムもその他のカルトも徹底して批判するようになった

2022-04-15

左翼の犯した悪事迷惑行為一覧

 数が多くて切りが無いし、私も知識が無いのと途中で疲れてきたのでごく一部しか挙げられません。こんなのもあるよって方は教えてくれるとありがたいです。今はこんな感じですが、気が向いたら付け足しま

恐怖政治(1793~1794)

 フランス革命期における山岳派による独裁政治王侯貴族のみならず、農民革命家すら処刑され合計4万人以上の命が失われた。

ルイ17世死亡(1795)

 革命政府監禁されたルイ17世は激しい虐待に晒されわず10才で死去した。

ソ連

赤色テロル(1918~1922)

 ボリシェビキ秘密警察チェーカーによる弾圧反革命派・貴族聖職者など最大130万人が殺害された。

ニコライ2世処刑(1918)

 皇帝皇后とその5人の子どもが虐殺された。末っ子アレクセイわずか13才であった。

尼港事件(1920)

 赤軍パルチザンが尼港を襲撃、6000人以上の住人を虐殺した。

ホロモドール(1932~1933)

 スターリン命令によりウクライナ人から家畜土地が奪われ1000万人が餓死した。

大粛正(1930年代後半)

 スターリン命令により反体制派と疑われた国民が多数処刑された。犠牲者1000万人にも上るとされる。

ヴィーンニツァ大虐殺(1937~1938)

 ウクライナ1000人以上の民間人虐殺された

ポーランド占領(1939~1946)

 ソ連ポーランドに侵攻したにも関わらず、西側諸国はそれを黙認した。ソ連占領下で50万人が投獄され、10万人が強姦され、15万人が死亡した。

カチンの森事件

 ポーランド捕虜2万人がソ連虐殺された。

トロイエンブリーツェンの虐殺(1945)

 ソ連軍がドイツ人民間人1000人以上を虐殺した

ソ連対日参戦(1945)

 日ソ中立条約を破り、日本への攻撃を行った。

葛根事件

 満州非武装避難1000人が赤軍虐殺された。

真央郵便電信事件

 樺太郵便電信職員ソ連軍接近の方を知り、9人が自殺した。加えてソ連軍の虐殺により10人が死亡した。

日満パルプ事件

 ソ連兵に強姦され続けた日満パルプ女性職員とその家族23人が自殺さらソ連軍に物資が奪われたため、冬になると87人が死亡した。

三船殉難事件

 ソ連軍の攻撃で緊急疎開船3隻が爆破され、1700人以上が死亡した。

樺太の戦い

 ポツダム宣言受諾後、ソ連軍が樺太に侵攻。民間人犠牲になり3500人以上が死亡した。

仁義佛立講開拓団事件

 ソ連軍により避難民600人以上が虐殺された

シベリア抑留

 日本軍の捕虜57万人がシベリア連行され、過酷強制労働従事させられ、5万人が死亡した。

ニュルンベルク裁判(1945~1946)

 連合国によるドイツ戦争裁判事後法によりドイツ政治家軍人を裁き、連合国の残虐行為無視したリンチ

東京裁判(1946~1948)

 連合国による日本戦争裁判。同上

ハンガリー動乱(1956)

 ハンガリーが非スターリン化を進めると、ソ連軍は武力でこれを弾圧。1万人以上が死亡し、首相のナジ・イムレは処刑された。

アフガン侵攻(1979~1988)

 ソ連アフガンに侵攻したが、戦局は泥沼化し、アフガン政治情勢を混乱に陥れた。

黒い一月事件(1990)

 ソ連アゼルバイジャン首都バグーへ侵攻し、1満員以上の死者が出た

中共

大躍進政策(1958)

 毛沢東の無謀な産業計画により、全国で数千万人が餓死した。

文化大革命(1965~1976)

 大躍進政策により失脚した毛沢東大衆を動員して、政権転覆させた。全国で1000万人以上が犠牲となった。

チベット問題(1951~)

 共産党チベット武力制圧。その後現代に至るまで文化的政治弾圧を加えている

ウイグル人虐殺(2014~)

 共産党ウイグル人に対して行っている虐殺洗脳不妊などの弾圧。死者は100万人も上る。現在も行われている。

コロナパンデミック(2019~)

 共産党党大会を強行したため、世界各地にコロナウイルスの感染が拡大。死者は400万人にも上る

日本

虎ノ門事件(1923)

 共産主義者難波大助による裕仁親王(後の昭和天皇暗殺未遂事件侍従長が負傷

川崎武装メーデー事件(1930)

 共産党暴動を起こし、警察官8人が負傷

赤色ギャング事件(1932)

 共産党が現大田区で起こした銀行強盗事件

阪神教育事件(1948)

 朝鮮学校閉鎖に反発した共産党在日朝鮮人が各地で暴動を起こした

事件(1949)

 共産党が平警察署を襲撃。職員暴行を働き、留置所監禁した。

伊藤律会見捏造事件(1950)

 朝日新聞共産党伊藤律と会見したという記事捏造

大津地方検察庁襲撃事件(1950)

 共産党在日朝鮮人大津地方検察庁を襲撃

山村工作隊

 日本共産党が山や農村拠点とした武力活動を企むも、支持が得られず、警察の取り締まりにとり挫折

練馬事件(1951)

 共産党員が巡査殺害し、拳銃を奪った

白鳥事件(1952)

 共産党軍事組織中核自衛隊メンバー警部を射殺。その後共産党幇助により国外逃亡した。

田口事件(1952)

 共産党員が警察官暴行拳銃警察手帳を強奪した

枚方事件(1952)

 共産党員及び在日朝鮮人無関係一般市民の家を襲撃、放火した

血のメーデー(1952)

 皇居前でデモ隊警察官が衝突。750人の警官が負傷した

吹田事件(1952)

 吹田駅・吹田操車場学生朝鮮人らが暴動を起こし、一般乗客にも負傷者が出た。

大須事件(1952)

 共産党員および在日朝鮮人警察署を襲撃、警官70人、消防士1人、一般人4人が負傷した

事件(1952)

 共産党員が地主と妻・家政婦・小学生3人を暴行、重傷を負わせ、金品を強奪した。

横山元代議士襲撃事件(1952)

 共産党元代議士の男性を襲撃、重傷を負わせた。

10.21国際反戦デー闘争(1969)

 新宿を中心に新左翼暴動を起こし、44人の警官が負傷した。

大阪戦争(1969)

 新左翼大阪暴動を起こし、派出所放火した

よど号ハイジャック事件(1970)

 共産主義者日本航空のよど号ハイジャックし、北朝鮮亡命した。

沖縄ゼネスト警官殺人事件

 沖縄でゼノストの警備に当たっていた警官新左翼による暴行の末火炎瓶を投げつけられ死亡した

朝霞自衛官殺害事件(1971)

 警衛任務中の自衛官新左翼に襲撃され、死亡した。

印旛沼事件(1971)

 共産主義者内ゲバにより2人がリンチ殺害された。

山岳ベース事件(1971~1972)

 連合赤軍山中アジトで同志に対してリンチを行い、12人が死亡した内ゲバ事件

大阪城公園事件(1972)

 大阪城公園内で起きた新左翼内ゲバによるリンチ殺人。1人が死亡した

あさま山荘事件(1972)

 連合赤軍が山の保養所に立てこもり、30名の死傷者が出た。

三菱重工爆破事件(1974)

 東アジア反日武装戦線による爆破事件8人が死亡、376人が負傷した

岡山大学北津寮襲撃事件(1975)

 岡山大学北津寮を拠点にしよと目論む新左翼が寮を襲撃、1人が死亡、多数の負傷者が出た

浦和車内放火内ゲバ事件(1977)

 新左翼内ゲバにより4人を車内でリンチ焼殺した。

大坂火炎瓶大量発射事件(1984)

 新左翼大坂第二合同法庁舎に大量の火炎瓶を投擲したが、幸運にも1本しか着火せず人的被害はなかった。

コンクリート殺人事件(1988)

 不良少年グループ女子高生誘拐、1ヶ月以上にわたり監禁暴行を加えた末に殺害主犯者の両親は共産党員であり、自宅で事件が行われていたにもかかわらず見逃していた。

新しい歴史教科書を作る会放火事件(2001)

 新左翼が新しい歴史教科書を作る会の事務所があるビル放火した。発見が遅れていれば大惨事に繋がっていた。

葛飾政党ビラ事件(2004)

 共産党支持者がマンション侵入し、共産党のビラを配布、住居侵入罪逮捕された。

厚生労働省職員国家公務員法違反事件(2005)

 厚生労働省職員新聞あかはたを配布し、国家公務員法違反に問われた

男組セクハラ事件(2014)

 男組組長が反差別ワークショップを開催した際、初対面の助成執拗痴漢セクハラを行った

アジア

北朝鮮拉致事件(1970~1980年代)

 北朝鮮工作員日本17人を拉致

カンボジア虐殺(1975~1979)

 カンボジア国内でクメール=ルージュにより200万人近い知識人らが虐殺された

ラオス国王死亡(1978)

 ラオス共産主義政権王権を倒し、サワーンワッタナー国王監禁栄養失調により死に至らしめた。

2022-03-15

あさま山荘事件から50年という特集をしたフジテレビ

連合赤軍メンバー加藤が「自分は間違っていた」と言っている

しかTBSの「三島由紀夫VS東大全共闘」を見て全共闘リーダーである芥正彦(赤ちゃん抱えてたひろゆき上位互換みたいな人)は「私達の中ではまだ終わってない」と言っているし「お前らの世界では失敗したと思ってるだけ」とも言っている

主犯格は大体そういう意識らしい

結局三島由紀夫自衛隊内で切腹するが芥正彦は就職せず芸術舞台活動して学生運動とは違う形で今でも表現を続けている

結局意志のない野次馬が損してるだけなんだよな

加藤ってやつはあさま山荘の時19歳だったから本当にこの人は単なる若気の至りだったんだろうな

今の自分から見ても彼らはい意味で青いなと思う でも芥正彦らには青さを感じない

2022-02-17

今年はあさま山荘事件から50年らしい

それで「『銃口から革命が生まれる』とかい幻想に突き進んだ昔の若者」的なことが今日新聞にも書いてあったわけだけど

正直あまり納得できない

暴力に訴えようが同志を粛清しようが、それは本質的問題ではない

単に彼らは力としてクソザコであり、クソザコゆえに今あるものに負け、負けたから彼らの思想までもが後付けで間違っていることになった

ただそれだけだ

新左翼オウム市民革命もBLMも本質的な違いなどなく、力に頼る時点で等しく暴力暴力しかない

自分が肩入れしたい時だけ「彼らはこんなにかわいそうで、敵はあんなにひどいから、この位暴れたって許されるはずだ」などと、屁理屈をこねるだけのことである

ポジションを超越した善悪など存在せず、ただ自分がどちらに立っているか問題しかない

そんなものは今からでも後からでも、いくらでもひっくり返る

2021-11-01

anond:20211101194239

まぁあさま山荘事件見てた人からすると、共産主義に同情してた人も引いちゃったような事してたのがあきらかになったからね

オウム真理教と同等レベルに見られていた

anond:20211031215910

政策について色々とこじつけようとしてる人が多いけど、そんなもん「あさま山荘事件」以外にあるのかと。

あれは1972年から大体50年くらい前。

70歳くらいの団塊世代はちょうど10~20代の頃にテレビで連日報道されてた世代だろ。

共産党=テロリスト」というイメージが無いわけない。

それ以外の理由なんて全部こじつけだよ。

2021-10-03

anond:20211003102940

ある意味共産党に対する印象と同じだよなぁ。

ある一定以上の年齢からすると、共産党と聞いたら直ちにあさま山荘事件とかを思い浮かべるんだろうけど、今どきそんな人いないというか。

統一教会がかつてどれだけの脅威をもたらしたのか、その実感というものはよくわからない。

(ここで共産党と比べること自体が、もしかすると統一教会の恐ろしさを理解していない発想なのかもしれない。私は割と選挙共産党に入れたりしてます。)

2021-09-25

anond:20210925020600

ジェンダー論って対立構造作って議論させたりしないし、反論される事に弱そうだよな。

アレフとかとかカルト宗教共産主義系の団体にありがちだけど、

そう言う学問建設的に成り立たない場所って反論に詰まると「不勉強からだ」「反省が足りないからだ」になって

最終的にリンチとか暴力行使に発展するんだよなぁ

今回のvtuber批判あさま山荘事件的な立ち位置だと思うわ

2021-06-22

父親と45歳離れてるんだけど、思い出話の端々から「この人、昔の人なんだなあ」というのが感じられる

新卒会社入って最初に配属された部署部長陸軍士官学校

国立受験共通一次というものがなかった

・思い出の青春ソングザ・ピーナッツ

あさま山荘事件リアルタイムテレビにかじりついて見てた

・「大洋ホエールズ日本一燃えた」

・常に鼻水垂らしてる奴とか寝巻で登校してくる奴とかが結構いた

大学の成績が良ければ良いほど、面接では硬い志望動機を暗唱すれば簡単一流企業内定できた

2020-10-31

 2019年けものフレンズ2が大爆死し、ケムリクサがヒットしたことは知っているが

 それでもけものフレンズ公式についていったファンがいて、

 彼らが暴走して犯罪までやっていたという話。

 オウム真理教あさま山荘事件みたいな事件は令和の時代でも起こるんだな。

 上九一色村サティアンあさま山荘ネット上のDiscordというのが現代的といえば現代

      

けものフレンズ】真フレDiscordログ流出事件違法DL偽計業務妨害

 ニコニコ動画版:https://www.nicovideo.jp/watch/sm37707558

 Youtbe版:https://www.youtube.com/watch?v=d88aymD67Uc

 本件のtogetterまとめ:https://togetter.com/li/1611938

 けものフレンズちゃんねるの記事http://kemochan.com/archives/99370

2020-10-29

 2019年けものフレンズ2が大爆死し、ケムリクサがヒットしたことは知っているが

 それでもけものフレンズ公式についていったファンがいて、

 彼らが暴走して犯罪までやっていたという話。

 オウム真理教あさま山荘事件みたいな事件は令和の時代でも起こるんだな。

 上九一色村サティアンあさま山荘ネット上のDiscordというのが現代的といえば現代

      

けものフレンズ】真フレDiscordログ流出事件違法DL偽計業務妨害

 ニコニコ動画版:https://www.nicovideo.jp/watch/sm37707558

 Youtbe版:https://www.youtube.com/watch?v=d88aymD67Uc

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 けものフレンズちゃんねるの記事http://kemochan.com/archives/99370

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