はてなキーワード: 垣間見とは
これ余談なんですけどの最新回は初老に刺さる回だったなー
HISASHIのオタクなところが垣間見える余談とかすごく良いわ
余談の中で彼が言っていた「あの頃のボカロPとか歌い手が世に出るとは思わなかった」ってのは完全に同意だ
今頃リアルで絶賛されるのかって思う
リアルが遅れ過ぎている
でもいま現在はネット上の物が即リアルに投影されるのでタイムラグ無いからつまんないよな
インターネット老人会は「今頃かよ」とか言いながら余生をおくるしか楽しみが無い
なんか、「お前らが知らない楽しいこと」を繰り広げている場ってもう無いのかな?
まあ、それを不特定多数が見るところで晒した瞬間にイナゴの如く面白いことに群がってくる奴等が居るから秘しておけはしないしな
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
席次 | コードネーム/英名 | 仮面ネーム?※ | 本名 |
---|---|---|---|
統括官 | 「道化」/"The Jester" | ピエロ | 不明 |
執行官第1位 | 「隊長」/"The Captain" | カピターノ | 不明 |
執行官第2位 | 「博士」/"The Doctor" | ドットーレ | ザンディク |
執行官第3位 | 「少女」/"Damselette" | コロンビーナ | アンジェリカ? |
執行官第4位 | 「召使」/"The Knave" | アルレッキーノ | ペルヴェーレ |
執行官第5位 | 「雄鶏」/"The Rooster" | プルチネッラ | 不明 |
執行官第6位 | 「散兵」/"Balladeer"→空席 | スカラマシュ | 国崩 |
執行官第7位 | 「傀儡」/"Marionette" | サンドローネ | 不明 |
執行官第8位 | 「淑女」/"The Fair Lady"→空席 | シニョーラ | ロザリン・クルーズチカ・ローエファルタ |
執行官第9位 | 「富者」/"Regrator" | パンタローネ | 蒼朮? |
執行官第9位(同率)? | 「富者」/"Regrator"? | カッサンドロ? | 白朮?/考察元 |
執行官第11位 | 「公子」/"Childe" | タルタリヤ | アヤックス |
※仮面を用いるイタリアの即興劇コンメディア・デッラルテにおけるストック・キャラクターが元ネタと思われる
追加情報: フォンテーヌ廷で入手できる書籍「ペリンヘリ」から、ペリンヘリはカーンルイア赤月王朝が人造降臨者(超越者)を錬成する実験の成果であると思われるが、この描写との多数の一致により、召使は同じルーツを持つ技術によって誕生した人造人間であることが示唆されている。
カーンルイア(ダーリ人)遺跡からおそらく同じ技術を持ち帰ったルネによって作られたのがキャタピラーで、こちらは灰からではなく不死の呪いを受けたヒルチャールへの改造であり、そこが違い。
また、同じく「ペリンヘリ」から、アンジェリカは高天の使者であり、仙霊のルーツの(おそらく唯一の)生存者であり、その特徴と「少女」との一致から作中のアンジェリカと同一存在である可能性がある。考察元
この説でいくと、コロンビーナは最初の仙霊であり、古代の統一文明を導いていた天理の使者のうち最初に生まれた存在ということになる。創世神パネースは最初に4つの光る影を作った(おそらく統治のために使者とした)ことが分かっているので、その4柱のうちのいずれかであると思われる。
聖遺物の理の冠をパネースとして、生の花がスメールで垣間見た花神ナブ・マリカッタ、時の砂が白夜国や雷電眞や千風神殿に関わる時の神イスタロト、空の杯が甘露花海となった高天の使者で前水神のエゲリアとするならば、コロンビーナは死の羽に相当する神格をもっているのかもしれない。
書籍「酔っぱらいの逸話」の中の「最初の仙霊」たる少女も目を伏せていて、コロンビーナも目を覆っているのは、人間や俗世の者と愛し合うことを避けて神力を失わないようにということだろう。
上にリンクを貼った白朮ファトゥス説動画のコメントから興味深い指摘を取り上げる。白朮のマントは4枚のヒラヒラが垂れ下がる特徴的な意匠をしているが、動画中で「富者」のマークだと見做された「ヒーラーの手」シンボルに酷似した模様は、上下反転すると白朮に巻き付く長生とマントの意匠に一致する。
最近出てきた新しい動き「厳冬計画」について…この考察がいい感じだと思った。
説明するまでもないと思うが、とりあえず将棋というターン制ストラテジーの基本的ルールを述べることにする。
HP | 1 |
攻撃力 | 1 |
防御力 | 0 |
攻撃回数 | 1 |
命中率 | |
回避率 | 0% |
上記の性能によるダメージ計算により、必然的に敵ユニットと重なるだけで敵ユニットのHPを0にできる
将棋は各ユニットの性能が移動能力以外に違いが無いので、戦闘面に面白さは無い。よって、上記パラメーターを上方修正して戦闘を面白くするべきだろう。高い移動能力を誇る飛車や角だったり主人公やボスを担う王(玉)が雑兵たる歩兵にワンターンキルされるのは面白くないから、HPや防御力を高くして5回程度は攻撃に耐えられるようにしたいものだ。
補足:雑兵にワンターンキルされるのが面白くないという考えは、本来の将棋においても「打ち歩詰め」を反則としていることに垣間見られる。
それに攻撃方法が敵に重なることというのも普遍的な戦略ストラテジーと違ってわかりにくいし、1マス1ユニットの原則にも反してよくない。ユニット同士が同一マスに重なるのは無しにして、攻撃は基本的に隣接マスに対して行うというのが良いだろう。桂馬は移動の特殊性に合わせて、数マス離れた敵に攻撃する間接攻撃ユニットとするのはどうだろうか。
ダイスによるダメージ判定を導入して面白くすることも考えられるが、ランダム性を導入すると運ゲーになってしまい将棋そのものがもつ戦略性が損なわれるのでこれはよくない。命中率や回避率の概念は無くしたままにして、攻撃は必中とするのがいいだろう。
また、戦略性を高めるために、異なるユニットと戦闘する際の相性を導入するのも面白そうだ。ジャンケンのグーチョキパーのように三すくみの関係が分かりやすくて戦略性が深くなりそうなので、以下にその案をまとめてみた。
グー | 香車 |
チョキ | 桂馬 |
パー | 金・銀 |
王(玉)・飛車・角・歩のユニットは、上記の三すくみに当てはめず有利不利の関係は無い方がいいだろう。
三すくみの関係で有利となるユニットは、戦闘において攻撃力と防御力が上昇する(あるいはダメージ倍率に補正をかける)ことで恩恵を受けるようにしたい。
将棋の変えたいルールといえば、やはり1ターン1ユニット操作制だろう。1ターンに1ユニットだけが動いて、それ以外のユニットは何もせずに全て棒立ちというのはあまりにも不自然で理不尽だろう。一般的なターン制ストラテジーの様に全てのユニットを操作したいものだが、将棋でそれをやると1ターンの価値があまりにも高くなりすぎてゲームバランスを損ねることになるだろう。
ユニット数を減らすか、1ターンに操作できるユニット数を制限(例えば5ユニットまで)すべきだろう。具体的にどうするかは、実際にやってみて試行錯誤する以外にはないので、ここで断言できないのが残念だ。
ここまで考えてみて今さら感じたことだが、そもそも将棋である必要は無いのではないか。サッカーを競技としてさらに面白くなるようにボールを持って移動できるようにしようと考えてみたとて、それならばラグビーやアメフトでいいのではないか、という結論に帰結するのと同様にである。
将棋ではなく別のターン制ストラテジーをやるべきなのだろう。『Into the Breach』みたいな。ただ『Into the Breach』は100時間くらいやりこんで全実績解除までしてしまったのだから、これ以上やることはもう無い。他に似たようなゲームがあればよいのだが、何かないだろうか。
10年くらい前に推し活を通じてTwitterで知り合って、推し活抜きでも会って遊んでいた子がいた。随分仲良くなったのでTwitterだけでなくインスタやfacebookなどのアカウントも交換し、しょっちゅう会わなくても互いの近況を把握できる程度には親しかったと思う。
関係が変わってきたのはコロナ禍で外に出ることが難しくなった頃から。その子のTwitterもインスタもfacebookも何かおかしいというか、推しの話をしなくなったのもそうだけど、無関係の他人への憎悪や妬みが垣間見えるようになったというか、垣間見えるどころではなくなったというか。
インスタで暮らしぶりの良さそうなインフルエンサーの投稿に「お金がある人はいいですよね〜」とか、不動産広告の投稿に「お金がある人しかこんなとこ住めないです」みたいなコメントをつけてたり、facebookで「自分が普段からクソだと思っていた人物についての記事に、自分と同じように思う人が沢山いていっぱい怒りのコメントがついてたから、やっぱりそうだよねーと思った」とかいう記載とともにリンクをシェアしていたり。リンク先飛んでないから分からないけど(その人物に興味がない上にわざわざ時間使ってクソコメとか読みたくない)、何で?そんなことするの?と思って。
何が分からないかって、その子の暮らしにとって全く関係のない知らない相手に、何故そんなわざわざ不愉快なコメントつけたりするのか、何故誰の得にもならない不快なリンクを実名でシェアしたりするんだろうか......ということ。何でそんなことするんだろう。
コロナ禍入ってすぐくらいは普段遊んでいた頻度でビデオ通話をしていたけど、その子のSNSでの振舞いが怖くて、もう2年程こちらからは連絡を取っていない。たまに連絡がくるけど、推しのことは全然話題にならず仕事や世間への愚痴ばかりであまり共感できない内容なので「そうなんだね......」しか言えなくなった。愚痴のこぼし先としては不適格だと思われたのか最近はあちらからの連絡も少なくなってきたので、このまま何事もなくフェイドアウトしたい。ただ、コロナ禍も明けてだいぶ経ち推しもそこそこ活発に活動をしている中、もし推しの現場で出くわしたらどうしようと思うと何とも言えない気持ちになる。
スプラトゥーン3はフェス中でもう私のフェスは終わったのでお疲れさまでしたかーらーのお昼頃の結果発表を待つばかりの松茸の炊き込みご飯ばりに待つだけなのよ。
そんで、
まあ結果はチームが優勝したら嬉しいけれど、
あんまり頑張っても頑張らなくて貢献度私寄与してるのかしら?って思うほど、
ってそう思ったら終わりだけど、
あれってさー
100ケツ入りするのってどんな風になってるの?
無理じゃね?って思うぐらい
もうはなから貢献度が2000とかにならないと話にならないので私はいつもぜんぜん増えないのよ。
そんでフェス前半は連敗が続く波の
後半から持ち直してきて両立は5割超えてきてチョーシ良くなってきたけれど、
前半戦は連敗を決め込んで耐えるのみだったわ。
私でも思ったの。
私がこれ使ってるブキよりもっと良いブキあるんじゃね?って
射程が長く連射はそんなに弱いけれど、
私が早々に熟練度星5つをもぎ取ったでお馴染みのセブンファイブオーライダーと同様、
ほぼ同じぐらいの連射速度だからそんなに遅いってワケではないので、
連射速度がネックになることはないのよね。
それで!そうなの!
これ96ガロンのなにがいいっていると、
2発でキルできるってこと!
この1発のインクの重み!
当たったら痛そうじゃない?
いままでセブンファイブオーライダーで4発キルになれてるから、
その半分の2発でキルできるとなると私はそのぐらい上手にもしかしたら立ち回れるかも知れない!って思って
使ったら案の定案の王になるべく
手に馴染むっぽい立ち回りが出来てるっぽくって
なんか勝つことが多くなってきたの。
私の今まで使ってきたブキのキル数多すぎ?って
もうかつて一世風靡したセピアじゃないの方のネット広告でよく見た私の年収低すぎお姉さんを逆に彷彿とさせる、
で96ガロンで2発でキル、
相手を倒せるこの1発のインクの重みは私が追い求めていたものだったの!
これよこれ!
初鰹があるなら戻り鰹もあり追い鰹もある、
追い鰹は削り節の方だけど、
これこれ!って感じなの。
そんでね54ガロンってのも2発キルのブキだけど
射程距離が短いのよ。
私が今まで使ってきたブキは射程距離が長くなくては話にならない身体になってしまったいやらしい私なので
54ガロンはぜんぜん物足りないの。
ロマンが無いの!
それをインクの火力も持ち合わせた96ガロンで私は絶好調とまでは行かないけれど、
勝てることになってきたの!
わーいって喜びそうだけど
久しぶりに使うスペシャルのキューインキもセブンファイブオーライダーで慣らしてきたから私にとってはまた使わせてもらうぜ相棒!って言った感じで
水谷豊さんの歌うカリフォルニアコネクションを私も歌いながら立ち回るのよ。
あれさー
私にとってナイスダマよりキューインキの方が圧倒的に相手チームの人に当てられる自信が大きいのだけど、
なんでそんなナイスダマとキューインキで当たる率が違うのかしら?って私も謎なのよね。
でも久しぶりにキューインキを使って見てまたその良さが分かったわ。
着弾まで貫く弾道は貫いて相手をキルできて、
インクを吸う量に左右はされるけど着弾して爆発するのはナイスダマより大きな時があるし、
吸い込んだら最後まで吸い込まないと途中で射出できないくキャンセルもできないので、
相手が使ってきたら難なく後ろに近寄って行って後ろからキルするって戦法が知っていたら恐ろしくないので
相手が例え使ってきたとしても恐れることはないわ。
イカスピードをそこそこ上げていたら着弾してもナイスダマの爆風から逃れられる立ち回りができるけれど
なので、
なんか感じ的には私はナイスダマよりキューインキの方が当てられてるかも?って思うのよ。
まあフェスでどのチームがまだ勝つか優勝するか分からないけれど、
私の今回のこの収穫としては
ある意味大収穫よね!
これだけでも豊作って感じだわ。
なんだか
真面目に語ってしまっちゃったわ。
ちな今回のフェスは
ハイドラントとセブンファイブオーライダーカスタムとこの96ガロンで回したわ。
セブンファイブオーライダーカスタムはポイズンミストがハマりまくったので
近寄ってきてもポイズンミストの餌食にしてその間にキル狙って上手に相手を倒すことができるとついついヤッター!ってなるわよね。
でもさ、
そんなに張り切って言ってるけど
こればっかりは上が凄すぎて
一体その人達のバトルの世界はどうなってんのかしら?って垣間見てみたいと思うけれど
たぶん私の手には負えない世界なのかも知れないわ。
とりあえずフェスお疲れさまでしたってところかしら。
結果発表が楽しみよ。
ちなみにそれどころじゃなかったので
うふふ。
豆乳だけ飲んできたわ。
なんかいい感じよ。
ただそんな気分だっただけ、
急須で淹れないタイプの即席に耐熱カップで淹れるタイプのホッツ緑茶ウォーラーにしました。
だんだんとやっぱり暖かくフルホッツは熱いって感じの
そうね思い出したけどまた水出しのヒーコーも作り出すのもいいかもしれないわ。
迫り来る初夏ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分もななみちゃん漫画から作者を知ったし作中のそういう要素も描かれてはいるけど露骨ではないのがいい感じだよね
普通の社会のネットワークの中で人と関わり合う中で「垣間見える」とか「なんとなくそう類推できる」「噂で聞く」「口にはあまり出さないし残酷(山の民とかのあたりも)でもあるが公然の事実」「会話によってわかる」くらいの見え方の描写ってかんじだからあんまりいやらしく感じないのかな
少しずれた話だけど作者のそういう抑制的だけどにじみ出はするしその量を調節してるみたいなフェチっぽい描写がすごく丁度いいし絵や世界観とのバランスもいいと感じるから、作者以外の手によってそういう部分を殊更強調されたものを見たくない的な気持ちが出てきてしまって自分にも地雷があるんだなと発見した
完璧に近い描かれ方をしている作品の二次創作って見る必要がないどころか絶対見たくないなっていう…
(しかし性奴隷にしてたって描写あったっけ?人身売買はハーフフットの女性のことじゃなく自由恋愛だと思ってた、ちょっと読み直してくる)
家計や出身地、身なりや収入に偏見を持つという統計が出ていると教えていただきました。
リベラルやフェミニストに蔓延する選民思想を垣間見たのかもしれません。
私達は買われた
ホストに籠絡され、マカオで売春 心身壊し、貯蓄も奪われ…当事者の証言
https://www.sankei.com/article/20240417-F5I6TXG63BKLFCQA27JR2UJSIY/
ホストクラブ通いで借金が膨らみ、首が回らなくなった女性が示された返済方法は、海外での売春行為だった。貯蓄も奪われ、心身を壊した女性。その証言からは、華やかな東京・歌舞伎町の「闇」が垣間見える。
言葉も通じない国で…
「風俗店の勤務経験はなかったし、絶対無理だと思ったけど、やるしかなかった」
昨年6月、売春するため中国・マカオに渡航した40代女性は、追い込まれていた当時の心境をこう振り返る。
歌舞伎町のホストクラブに勤務するホストに入れあげ、一昨年の年末ごろから頻繁に店に通うようになった。
獣医師の資格を持ち、動物の輸入に関する事業を立ち上げるなど蓄えがあったが「貯蓄を見透かされていた」。店に入るとカードを提出させられ、無断で100万円を決済されたり、数百万円のシャンパンタワーを続けざまに注文させられたりした。
支払いに使っていたクレジットカードが限度額に達するたび、他社で新しいカードを作成。カードの枚数が30枚ほどに達し、支払いが追い付かなくなってきたとき、ホストが提示した選択肢の一つが、「海外で売春をして稼ぎ、返済する」だった。
「エージェント」と呼ばれる斡旋業者を紹介され、米国や台湾など複数の選択肢から女性が選んだのは、「東洋のラスベガス」ともいわれるマカオだ。
売春施設が併設されている高級ホテルで、勤務時間は午後6時~翌午前4時。1時間に数回〝品定め〟のショータイムが開かれ、40~50人ほどの観客を前にステージに立った。観客から指名を受けると個室に移動し、「サービス」を施した。
1回につき約3万円の収入が約束されていたというが、仕事は肉体的にも精神的にも過酷だった。1日5、6人を相手にして数日たったころ、心身に不調を来たし、雇用主に申し出て帰国した。
いや私は見てないんだけどって見てないんかーい!って振っといて言われそうなんだけどね。
さすがに長丁場すぎて、
でも世界のプレイヤーたちがどんなブキを使っているのか興味は津津ではあるのよね。
優勝した北米代表チームが私が熟練度星5つを早々にもぎ取ったでお馴染みのセブンファイブオーライダーを使っている人がいて、
同じブキ使ってる人がいるんだ!って
やっぱり分かる人には分かるのよね。
って試合のバトルは見たとて
私にはそれ実践できるわけないので、
もうみんなどんなブキ使ってるかだけ知れただけでも世界は広いわね!って収穫はあったわ。
そんな感じでそのブキの良さがなんて私も分かったようなことを要っているつもりはないんだけど。
いや私が戦っているのとは次元が違いすぎる速さだわ。
みんなこんな速い中で戦ってんの?って
ますます見てたとての気持ちがさらに強まって私はそっと動画リアルタイム配信の画面を閉じたの。
あとジェットスター使ってる人もいて、
やっぱり機敏さと仲間をサポートするエナジードリンクでバトル回していくってのもやっぱりどこか心の底では有効かも!って思っているけど、
それなりの理由があるのかも知れないわ。
あれふと思ったんだけど、
エナジードリンク2個続けて飲んだらどうなんのかしら?って世界大会をよそにそう思ったのよね。
まあいいわ。
そんな別に世界レヴェルで戦おうってつもりはさらさらないんだけど、
いかに私たちがバトルしていたところがいかにお花畑でインク打ち合っているだけの生温いものだと知って戦意喪失ってのもあるわよね。
さすがにそう言うのみてやる気はゼロにはならないけれど
参考のブキ、
クーゲルシュライバーとスクリューフロッシャーネオとかは使ってみてこれから慣れていきたいところよね。
私も上手に使いこなせるかと思ったけど、
癖があって
チャージした直後の1段階のインク射出は短距離ワイド塗り特化、
で2段階目は長距離段をお見舞いしつつ、
私も早速試し撃ちと勝しておニューのクーゲルシュライバーをぶっ放してみたんだけど
あまりにもハイドラントの火力に慣れすぎてしまう弊害というか、
近づかれても立ち回り応戦できるかも!って期待が膨らむの。
ハイドラントだと半チャージでもなかなか近寄られたら私上手く立ち回れないわ。
フルチャージ中だったら何も怖くないけどね。
向かって突撃してくる狂気にあふれるウルトラハンコも迎撃できるし
カニタンクもフルチャージのハイドラントの火力の前には無風よ。
まず先にもう目前目の前に迫ってきているハイドラント熟練度星5つをもう少しでゲットできるところまで見えてきているので
一直線に飛んで行くスクリューフロッシャーのインクの投げ方に慣れないといけないのよね。
一投でキルできるというモーションで考えると立ち回り慣れるのが必須よね。
なにしろ慣れないブキは慣れないわ。
上手く立ち回れないこれが世界なのね!って実感する共に
私の次の課題はSクラスいやS+に昇格もあるけれど目指すのは。
クーゲルシュライバーとスクリューフロッシャーも練習して上手く立ち回れるようになりたいなって思ったのよね。
結構熟練度星5つ取っちゃったらなんか燃え尽きた感一気に出るので
でも次の課題が私にとっての手に馴染ませたいクーゲルシュライバーとスクリューフロッシャーを何としてでも使いこなしたいな!って
まあ全編は見てないけれど、
どんなブキかみんな使ってるのかってだけでも世界を知ることになる
正に世界ふしぎ発見を地で行くよな、
うふふ。
目覚めも早くなった分、
納豆は好きだわ。
そんな感じね。
すっかりルイボスティーや何か他のものをいれるってのすっかり忘れちゃってて、
味のないホッツであれ?って思ったら
そりゃそうよね。
白湯の味だわ。
寒かったのにもう暑くなりそうで
熱中症どったらとか気を付けましょうとも言ってたし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
運転手の男はとろんと口を開け恍惚とした表情で運転し、助手席の女が男のソレをフェラしていた。
その光景が忘れられず、俺は心のどこかでずっとそのシーンを体験したいと思って生きてきた。
そして先日。俺は実際に体験した。
深夜の幹線道路。走行車の数はまばらで、彼女には事前に話を通していた。
当初は断られるのではと思っていたが、実際に話してみると彼女は乗り気であった。
何だかおもしろそうじゃん、それに昔からやってみたかったんでしょ?と彼女は微笑み、俺は彼女に感謝した。
月極の駐車場から車を出し、慣らし運転に少し走るときから既にドキドキしていた。
彼女は胸の膨らみが著しいニットを脱ぐと下には何も着けておらず、露になったたわわな乳房を目に俺はすぐさま勃起した。
俺は運転に集中した。
いよいよ幹線道路に合流すると彼女は二つに折った身体のまま俺のファスナーをゆっくり下ろす。
下は何も履いていない。屹立したそれが彼女の顔の前でおっ立ち、彼女はそれを右手で包み込むようにゆっくり握る。
「あぁ……」と思わず声を上げてしまい、アクセルを踏みそうになる。
そのとき脳裡には幼少期の記憶、小中高の学生時代の記憶が蘇り走馬灯のようなものを瞬くように垣間見た。
同時に、悦楽に溺れる自分と至極冷静に運転を行う自分の存在を感じ、まるで二人の人間が同時にこの世界を走行しているように感じられた。
俺は射精した。
赤信号にブレーキで止まり、ピントが合わず二重に重なっていた自己がひとつに収斂するような感覚。
はっ…とした。
思わず顔を下げると彼女は俺のソレから頭を離し、ごくんと喉元を揺らした。
俺たちは無言でそのまま走り続けた。そしてコンビニに寄った。
男女で枕を交わす――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だと、短絡的に結びつけるのはナンセンスである。
そこらで強引にナンパして、密室に連れ込むなら話は別だが、たとえばお笑い芸人、YouTuber、TikToker、ホスト、はてなブロガーなど、それなりの世界観を打ち出して、ファンを産み出せるようになると、一定の確率で、女性から性的アプローチを受ける。
というよりか、通常の現実界――学校や会社でも、『ハイスペイケメン』『スクールカーストの上層部』『尊敬されるポジション』といった、一定の条件をクリアすれば同じ事が起きる。
もちろんそこには、「寂しさを解消したい」「頭をバカにしたい」「あなたの人生に登場させて欲しい」などの想いも含まれる為、男が持つ性欲とは、少しばかし性質が異なるかもしれないが。
こうした事情を知ってか知らずか、とりま誰かを叩きたいのか、モンキーなのかダチョウなのかは判然としないが、なんでも一足飛びに、「性欲に負けた男が悪い」と鳴き叫ぶ者がいる。
ちなみに今回は、つい先日投稿した記事に対する、一部コメントへの反論だ。
https://anond.hatelabo.jp/20240317193948
普通に考えりゃ分かるはずだが、とある男女が出会い、真剣に向き合うつもりで絡んだが、総合的な相性が悪く、関係性が発展しない……といった事はいくらでもありえる。
そして、初っぱなは、不遇な環境でも、一所懸命に生きる尊い子に思えて、蓋を開けてみると、『自他境界線のぶっ壊れたバケモン』な事がある。
そうした地雷を完全に撤去して、安全なる恋の道だけを歩むには、身辺調査でもやって、親の離婚状況、精神病の罹患歴、知能指数、中卒か高卒か大卒か……など、優性思想的な判断基準でもって、審査せねばならなくなる。
とりわけ、病的にやべぇ奴の中には、異常な環境で育ったからこそ、表面的には立派な職業に就いていたり、情緒を安定させて見せたりと、『まともを偽装するスキル』を獲得していて、すぐには見抜けない事がある。
冗談抜きの話、思いやりに溢れた丁寧な文体が、少しずつポエム調になり、終いには、濁点や句読点の位置がずれ、謎のスペースが空いた怪文書に変わってゆく恐怖は、体験しないと分からないだろう。
そんなこんなで本件――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だけではない……について、分かりやすい例として、僕の実体験を箇条書きする。
※遠距離ゆえのノリが生じた
■実際に会うとタイプじゃなかった
表情、空気感、振る舞い……波長が合わない
■当然、性的にも乗り気になれない
しかし、女性が化粧直し、お洒落などをして、積極的になっている
そのうえで、2人は密室にいる訳だ
■じゃあどうするか?
雑に断り、傷をつけるのもよろしくない為、カウンターパンチ方式で枕を交わすのだ
たとえば、相手が5%近付いてきたら10%近寄る、10%触れてきたら20%触れる、20%のハグをしてきたら40%のハグを行う……といったやり方で、相手の初動に合わせて倍々ゲームで、『演技の喜び』『演技の行動』『演技の興奮』でリアクションし、その時間を乗り切ってゆく
この方針を貫く事で、「男の方が積極的だった」と思わせ、女のプライドを崩さずに済む
無論、タイプではなく快楽は薄いが、脳の老化を防ぎ、心の健康を保ち、アンチエイジングになるから、そこそこのWin-Winである。
横になりながら関係性の話をしたとき、付き合いに関しては、「友達としてなら大事にしたい系だけれど……」という流れで断った
僕は眠り落ちるモードだった為、受動レベル100%だったが、馬乗りになられてピリオドを打った
――とかなんとか、4年前に地雷を踏んだ僕だが、それから100人前後の視聴者さんと会い、ご飯をご馳走してもらったり、LINE通話配信でも、また別な100人以上と会話したりで、少なかれ経験を積んだ。
ストーカーとは、ある日突然に出現するパターンだけでなく、残念ながら、こちらの対応ミスにより、怪物へと育ててしまう事がある。
とくに女性のストーカーは、境界性パーソナリティ障害――見捨てられ不安が強く、「自己と他者」の境界線を引けないゆえに、妄想と暴走でぐちゃぐちゃになりやすい。
であるから、「絶対に付き合えないけれど、悩みぐらいは聞くよ」など、中途半端な優しさを発揮すると、危険なアメとムチ――親子に近い関係性になり、そこに執着が生まれてしまう。
そして僕が陥ったケースでは、「タイプじゃない」と断った後も、「壮絶な親子関係があった」「身内が自○してしまった」「日々、孤独だ」という、身の上話を聞かせられて、定期的に耳を傾けていた。
それというのも、僕の場合はまた特殊で、動画投稿/生配信をやり続けている為、マッチングアプリなどの出会いとは異なり、僕という存在を深く知ってくれる人が、会いに来てくれる率が高い。
その為、たとえタイプではないにしても、関わりを持ってくれる人には、なるべく幸せな気持ちでいて欲しい。
だからこそ、少々、異常が垣間見えていても、スパっと切り捨てるのではなく、「気持ちは分かるよ」「みんなぶっ壊れる時期があるよ」などと、浅はかながらも寄り添いを継続してしまい、泥沼化させてしまうのである。
――そんな訳で、長々しく書いたが、生きるって大変だ。
しかしながら、僕は社会不適合者歴も長く、とことん開き直って、楽しく暮らしている。
もっと言えば、高い好感度で売っている訳でも、安定を求めている訳でもない為、いつどこで、どんな嫌がらせを受けようと、どんな事を暴露されようと、どんな刃物で刺されようとも、すべてネタにして、熱量たっぷりの語りと文章で――すこぶる叫び続けるのみだ。