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2024-05-14

凄まじい倦怠感

連休から少し憂鬱な感じだったけど

連休あけたら更に憂鬱が深まった

 

なんかゲームも楽しくないし、筋トレも体が怠すぎてやる気にならない

膝が痛いせいか

連休中は毎日ナニするぐらい元気だったのに、あけてからそんな元気ないぐらいだるい

なんかの病気

40代になったせい?

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

娘が軽音部に入って旦那メンタルヤバい

まり茶化せるような状態ではないのだけれど、せめて私は茶化すぐらいの気持ちでいないと、娘が心配

旦那大学時代バンドやってたけどきちんと公務員就職して(完全に氷河期当時だったかものすごい努力をしたのはわかる)、結婚してからも週末にバンドをやっていたけど、子供ができた時にバンドを辞めた。

それからも一人でギターは弾いていたんだけど、娘が赤ん坊の時に寝ている傍で子守唄弾き語りしていたので、私がキレてしまい、ギターを全部捨てさせた。(私は今で言う所のガルガル期だったので、当時のことはあまり覚えていない)

娘がこの春に名前は違うけど実質的軽音部に入って、貯金に加えて少しお小遣いを前借りしてエレキギターを買いたいというので、夫は了承してお金を出し、娘は喜んで連休前半に買ってきた。

その後娘は一生懸命練習しているんだけど、それと同時に旦那が酷い顔になっていった。

夜に娘が練習し始めると、これまで夜の散歩の習慣なんてなかったのに、明らかに変な顔をして家から出ていく。


今思うと旦那は当時本当に子守唄の音量で弾き語りしていたんだろうし、それなのに私が強制的ギターのものを辞めさせたものから、ずっと我慢していたんだろうけど、

そうだとしても、娘が好きなことやっているのにそんな酷い態を度取るのも、親としてどうかとは思う。

娘も旦那おかしいことにどうやら気づいたらしく、「私がうるさいから機嫌悪いの?」と旦那に訊いていて、そうではないと旦那は答えたけど、それ以上何も伝えなかった。

このまま旦那の行動がおかしいと、娘の方が負担に感じてしまいそうで、それは何としても避けたい。

どうせなら娘のためにも旦那ギターを再開してほしい。

旦那趣味も持ってないので、私だけが趣味習い事やっているのもずっと悪い気がしていた。そういう意味でもやってほしい。

でも「あなたも再開してみたら?」を言ってしまったら、旦那メンタルさらに不味いことになりそうな予感もあり、躊躇している。

anond:20240513154548

銀座ホコ天とか歩道から道路侵入してアクセル全開にすれば余裕で出来るだろ。

ホコ天じゃなくても連休で混んでる渋谷スクランブル歩行者青のときに突っ込めばいいだけ、誰でも出来ることには変わらんだろ。

地方の子育て事情(異常な例)

よく男性女性性差議論になるとき性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見出会うことがある.同感である

かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.

東京 vs 地方話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化環境議論をしているように思う.

そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.

異常値である記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ地方においても親が異常者であればこういう子育て可能であるという例である

先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京国立大学である.二人とも博士号を有している.

仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.

私は仕事で住んだ地方都市よりもさら人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元暮らしていた.

まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.

子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台美術館博物館なんでもOKだったし,

公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.

連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域情報歴史を調べ,

車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.

中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.

半年に1度程度の頻度で東京大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館キッザニア鉄博USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)

にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博地下鉄博物館京王レールランドなどにも行った記憶がある.

体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏の子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.

それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.

の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初駄々を捏ねていたが,

1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.

私自ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.

一方で,ゲーム面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)

そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.

習い事勉強について.未就学期の習い事は上の子水泳ピアノ,造形教室ダンス教室,下の子水泳,造形教室だった.

通っていたお絵かき教室県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,

我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元新聞に載った.

公文個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.

自宅で先取り学習絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)

小学校公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.

そのため,自宅では,首都圏中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元進学塾にも通っていた.

大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.

(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)

中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.

の子開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子中学地元公立中学に進学した.下の子は後述.

の子開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.

が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来目的に戻ろうということになった.

ただし合格は本人の自信になったようだ.

それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.

の子高校受験開成に,下の子はちょうど引越しタイミング受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.

子供達二人とも首都圏引越しから学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.

もちろん本心は本人じゃないとわからない.

の子東大に,下の子医学部に進学した.

この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功であるとは言わないが,

少なくとも人口数十万レベル地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.

もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートゲームセンターで休めて楽だけど,

妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.

ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしいたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,

過剰に,それこそ首都圏の子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う

その意味では,首都圏がどんなに文化環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供放置していた家庭よりは地方我が家の方が多くの体験をしていただろうし,

かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う

よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.

追記

東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」

というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?

妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.

次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.

もしかして博士号のような生産性の高い人物子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?

世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.

それに,君,働いたことある会社仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?

目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.

それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産形成したら

うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.

3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか

上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?

我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする

2024-05-12

海外投資マルチの人

増田友達が少ない方なので、30過ぎて初めてマルチ勧誘をされた。海外投資マルチだ。

大元の紹介者という人のFacebookを見せられて、「この人は女性なのに先日クルーザーを買って、みんなでお祝いしたんですよ」って写真を見せてくれた。私も乗せてもらいました!すごいんです!って言ってた。

うちのパパは三階建てのクルーザーを二艘持ってて、でも川辺マリーナに停めてたか家族から「川の男」ってネタにされてた。たまに連休で船を走らせて離島に行ったりしてる。

そのクルーザー比較したら一階建てですごいちっちゃい船だったもので、すごい儲かるってこんなものかと思った。それなら叔父の持ってるセイリングボートの方が夢がある。

口に出したら鴨にされるだろうから黙ってたけど、マルチのおかげでパパがすごいんだなぁということがわかりました。ありがとうマルチ

日本の景気を良くするために海外投資しよう!って言ってたあの人元気かな。円安で儲かってるかもな。

喋るだけで守秘義務誓約書署名させるマルチってヤバい匂いしかしないけど。

2024-05-09

隣の係が崩壊した

地方自治体に勤務している。

課内のある係が崩壊した。

1つの係は6人〜9人で成り立っておりそれぞれの業務担当している。

その係はもともと別の部署からの異動者が多い上に人数も揃っていない。

係長も異動で他の部からやってきた。

加えて今年4月から新卒職員が1人。

負担新人教育疲弊した昨年から職員休職

もう1人の昨年からいた職員無断欠勤から退職

加えて異動でやってきた職員たちもメンタル休職に入ったり、元々予定していた産休に入った。

そのため、その係は現在新卒係長の2人のみで業務を行なっている。

他の係から人を回すという案も出たが、自分の係の人員が減ることを嫌った係長たちの抵抗により「各自手の空いた者が新人サポートし、いない人の穴を埋める」という結論になった。

ここまでが4月末までの話である

5月に入り、当初はデスクの近い係の人たちで新人業務を教え、いない人たちの仕事を処理した。

新人一生懸命自分で調べたり周りに聞きながら自分仕事を行い先輩たちの穴埋めをしていた。

連休に挟まれた3日間の平日、当初の2日間新人はとんでもない勢いで仕事を覚えながら残業してなんとか仕事を間に合わせていた。

しかし、4連休前日の木曜日係長有給休暇を取得して、1人取り残されたことで崩壊してしまった。

その日、定時で退勤しようとした新人にうちの係長が「大丈夫?終わりそう?」と声をかけると「もう焼け石に水なので帰ります」と言い帰宅してしまった。

私は連休前に自分仕事がなんとか間に合いそうな安堵感と新人を見て見ぬふりしていた罪悪感を抱いた。

周りも「あの子連休明け来ないかもしれないね」と言っていた。

連休明け、新人ちゃんと出勤してきた。

しかし、彼は自分仕事しかしなくなった。

自分仕事のみを終わらせて他の係や他部署の同期と一緒に定時で帰宅するようになった。

係長が「もうちょっとこれ片付けてもらえない?」と言っても「どうせ間に合いませんし、〇〇さんもあがりましょうよ」という調子だ。

結局、私含めたみんなで休職者と新人呪詛を呟きながら今日残業してその係の業務を片付けている。

新人は同期とカラオケに行っているらしい。

私はお仕事

連休中の夏日ってなんやったんですか?

ほんと迷惑なんでやめてくださいね

実家に帰ると鬱々しくなる

診断はつかない程度にメンタル不安定社会人3年生(今春から第2新卒)兼一人暮らし3年生。


地元田舎すぎて車必須なので、車のいらないエリア一人暮らししかしすぐに仕事を辞めて派遣バイトをしてたので、更新タイミング実家に帰ろうと思っていたのだが、親への就活してますアピールのために受けた市役所に幸か不幸か受かってしまい、結局一人暮らし継続している。


一人暮らし3年目でも、相変わらず実家に戻りたいので、月1回は帰っている。なるべく有給で長期休みをつくって、実家にいる日数を少しでも長くしたりしている。


でも、なぜか実家に帰ると鬱々モードになる。身体が重くて、昼寝しないとやってられないし、夜も起きていられない。とにかく眠くて無気力になる。気のせいかとも思ったが、彼氏にも「帰りたいって言うわりに、実家にいる時メンタル落ちたり疲れてる感じの時多いよね」と言われた。なんでや。今回のゴールデンウイーク10連休にして全部帰ったが、ずーっと身体が重くて頭がぼーっとして惰眠を貪り続けていたのだが、戻ってきたら普通に頭も体も動けるようになった。なんでや。でも、別に嫌とかではなくて、実家にいる時もずっと「ゴールデンウイーク終わるな帰りたくない帰りたくない」って気持ちだった。

2024-05-08

寒暖差がひどい

連休中は20度超えてたのに

今日10度以下…

数日だけかもしれないけど

寒暖差で体力を削られる…

2024-05-07

[]5月7日

ご飯

朝:なし。昼:サラダ。夜:バナナシメジタマゴとブロッコリー煮物ポロイチ塩。トマト。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。

連休終わったのでテキスト主体アドベンチャーゲーム以外の運営スマートフォンゲーム感想を再開する。(日課程度は遊んでたは遊んでたけど

シャドウバース

機械ウィッチランクマしてる。

蒼の放出気持ちいいね楽しい

グランブルーファンタジー

砂箱外伝やりつつマグナ3。

光のリバースマグナが、シュヴァマグ石超越250、銃4凸5本、槍4凸2本、刀4凸3本作ったのでひと段落

いや闇と火が追加された上に、まだ風が終わってないので周回遅れなんだけど。

先にコロッサスとセレストの石の超越250はしておかないとだ。

プリンセスコネクト

アネモネちゃんで深域クエスト余裕らしいんだけど、全然コピーできる編成なくて諦めた。

正月ホマレさん引いてないよお。

ウマ娘

結構前の話なんだけど、天井貯まってないのにお漏らしガチャしてしまい、当然出なくてちょっとガチャ我慢できない自分が嫌で落ち込んでた。

2日目

いちど6時に起きる。ねむかったので二度寝。起きたら13時だった。猫を膝の上に乗せる。甘えてきた。

Xで学生時代の思い出をつらつら投稿する。隙あらば自分語り。長い。

別に誰も反応されなかった。

友達からLINEが来た。通話しないかと言われていたが向こうが昼寝してなしになった。

薬を飲まないと陰湿さが増す。

でもそれだけなら飲まなくても大丈夫だと思う。やめたいから。本当に病院に通って脳の薬もらう必要があったのか?

Xの別垢の、なんか病んでる大学生に感化されそうになったのでこちらは見ないようにする。ログアウトした。

連休が終わった。免許を取りに行こう。

今は外に出るのがそんなに怖くない。きっと行けると思う。バイトで貯めてたお金も手をつけてない。親も少しだけ出してくれるらしい。こんななのにお金出してもらってごめん、本当はちゃん正社員になって他人の目にビクビクせずマトモになりたいよ

大阪中学生ってまだなんばとかで遊んでんの?

連休で久々に(7、8年ぶり)難波を訪れた

街の様子が変わっていてびっくりした

こんなに物騒な街だっけ?

私が中学生とき2010年代前半ごろ)は友達と何するにもまずは難波行こうぜって感じだった

服買いに行ったりなんか食べに行ったりさ

美術部の友達日本橋とか行ってたな

土日のお昼は同い年ぐらいの子商店街にうじゃうじゃいて、歩きやすい街だった ちょうど近所に住んでたし

ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた

危険な思いをした体験というとその程度だった 変なおっさんいたとか酔っ払い声かけられたとか

そんなのは繁華街ではよくあることだし誰も気にしてなかった

親も、アメ村の方は怖いかあんまり行くなよーって言ってたぐらい

私がこないだ行ったときはお昼ぐらいだったんだけど、まだ明るいのにトーキッズみたいな人が街中にうろうろしていてびっくりした

なんかタトゥー入れてる人とか、いかにも半グレみたいな人とか

夜職っぽい見た目の人も昼間からうろうろしてたな

もちろん別にそういう人たちがいてもいいんだけど、私の記憶ではこんなに多くなかったはず

テレビでグリ下?の子たちが増えてるって言ってたのは見たけど、難波全域がこんな感じになってるとは思わなかった

難波全域っていうか特にグリコの周り?かな

仮に自分がいま中学生だったら、気軽に歩けるかどうかちょっとからないなと思った

自分大人になったから余計にそう思うのかな

でもなんか全体的にあのあたり治安悪くなりすぎじゃない?

中学生ぐらいの子なんば遊んだりしてるのかな

梅田天王寺特に変わりないように感じたけど…

追記

観光客多いのはまあ確かに思ったけど前からそうだから梅田もそうだし

それに私の学生時代には既に爆買い外国人とかなんとか言われてたし それにしても増えたけどな つるとんたん並び過ぎやろと思った、こんな混んでたっけ

anond:20240507105826

GW中の出勤で代休を取れと言われたので良い感じに土日繋げて連休にするぜゲッヘッヘ

連休明けなのに

オフィス塩素臭で満たされていて辛い

掃除のおばちゃんが誤って塩素漂白剤ぶちまけたせいでフロア塩素臭が蔓延してる

もう帰りたい

彼氏同棲してるもの連休中は実家帰省してた子が連休明けに体調悪いですって、もう昨晩ヤりまくり以外の理由があるのかな

2024-05-06

4月26日自分

anond:20240426231223

GWが終わったよ。

心配していた体調は崩したりしなかったよ。

天候が比較的安定していたからかな。

部屋の大掃除部分的にできたといったところ。一角はなんとかできたが、残りがまだまだ。

英語勉強部分的にはできた。金のフレーズを3/4周程度行った。正直、量としては想定よりかなり少ない。

体を鍛えるトレーニングも結局、腹筋のような無酸素運動は全く行わなかった。ウォーキングはそれなりにできた。以前より遠出もできたし。

総合してみると程々には充実できたとは思う、外形的には。

内面の話をする。

連休中に昔の3DSソフト(バッジとれ~るセンター)の動画YouTubeお勧めに上がって来たので見た。

当時たくさんやったが、今はもうサービス終了してデータも残っていない。

あんなにたくさんやったのに、全く形に残っていないことに無常感が込み上げてきた。

むなしい。

そんなわけで、外形的にはそこそこ良かったが、内面的にはイマイチGWだった。

岸田のあだ名労働メガネにすべきじゃね?

聞く力」があるなら十連休終わりそうな社畜断末魔を傾聴すべきやで

連休明け7日(火) 朝の通勤時間帯は東海警報級大雨の恐れ

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6500203

だってさ!雨が降るから休みにしようぜ

助けて!

ただ息してただけなのに10連休が終わっちゃう!

やだ!

なんかやることちょうだい!

子を成さないのなら、実家に帰って親と仲良く暮らしてもいいのかなと思った

この連休は久しぶりに実家に帰ったのだが、その際「つらかったら戻ってきて一緒に暮らせばいい」と老いた両親に言われた。

その場では、二人だけで暮らす寂しさはわかるが、私の仕事はどうするんだよ、と思って反発を感じたけれど、

両親の年金はそれなりにあるらしいことがだんだんわかってきたし、私も、贅沢を知らない人間なので、投資に回したりするほどの貯金を積み上げてきた。

それに、この人手不足なら、地方では職も選べるほどあるんだろう。

今の仕事は他の人に比べたらかなりラクな方だと思うのだけれど、昔ほどの思い入れは無くなって、まあやめてもいいかなと最近は思うし。

結婚もあまり意欲が無く(最近実家に近づかなかった原因がこれだった)、気づけば子供を成すには無理な年齢になってきた。

それなら次世代に遺す財産必要なく、それを使い切るつもりなら、親とほそぼそ暮らしていつかはそれを看取り、

自分もなんとなく仕事をして、なんとなく生涯を終えるというのでも、あながち悪くないのかなと思えてきた。

こうして都市暮らしていても、昔ほどは楽しくない。趣味もやり尽くした感がある。

から、人々が田舎暮らしを考え出す気持ちもわかりつつあり、それなら、合わせて親の面倒も見たりするか、といった気持ちなのだ

おれは今日はてな匿名ダイアリーに誰の記憶にも残らない駄文を書いている

でもこれが21世紀インターネットを彩る煌めきのひとつであると思うと、それもまた悪くないと思う

この連休中も、誰とも会わず、どこにも行かず、ひたすらに駄文を書き散らしてきた

それが豊かなインターネット文化の一部として残ることを、誇らしく思う

anond:20240506164842

GWにユニバとかよく行くわ

なんもできないし疲れに行くだけじゃん

そうでなくてもどこ行っても人多いし、子どもと遊んでとにかく疲れた

そのせいで連休中妻とは一回しかできなかったし

やっと連休終わってくれる

やっぱり仕事だけしてれば良いってのが楽だよな

友達がいないようで友達がいる

ありがたいことにGW10連休だったのだが

その終盤に来て友人という概念の難しさに直面している

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自分の友人はどちらかというと「人が良い」感じの人が多い

そういう人が好きだし、そういう人と遊ぶのが好きだから結果的にそうなっている

もっと言うと、みな知り合った当初は「人が良い」且つ「趣味が同じ」ような人たちだったんだけれど

趣味というのは移り変わるものであるから、いまはもうみな「趣味が同じ」とは言い難い状態になってしまっている

なおここで言う趣味とは、趣味嗜好の話ではなく、

ホビーであるとか遊びであるとか、そういう話である

また彼らは人が良いため、移り変わった先の趣味でまた新たな友人を見つけ、

それぞれによい感じのコミュニティ形成している

これ自体はまあ、いいなー羨ましいなーとは思うが、取り立てて問題にするほどではない

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そして次に語るべきは自分についてである(いま隙が生まれたから)

自分あんまり「人が良い」タイプではなく、

また趣味もどんどん変になっていっている

最近クルマ関係がアツいのだが、シミュレータだとか、ラジコンだとか、クルマ趣味の中でも更にマイナー方面に突き進んでいる

カメラ趣味なのだが、これも何故だか中華レンズフジフイルムでなんか変な鉄塔とか撮ってばかりいて

キヤノンポートレートだとか、ニコン風景写真みたいなメインストリームではない

輪をかけてよろしくないのが、自分趣味に対する姿勢である

どうしても真面目になれないというか、ガチれないというか、

ここは自分の弱さでしか無いと思うのだけれど、真剣に取り組む事ができないのだ(怖いから)

から、一人で、浅瀬で遊んでいるのだ、ずっと

言ってしまえばこれは孤独のグルメであって、独りで静かで豊かなので、

それ自体は悪いことだとは思っていないのだが、

それでもふと、淋しいな、と思うときがあるのだ、特にGWみたいな長期連休では

---

こうなったときに、もう、困るのだ

やんなっちゃうのだ

友人たちはみな、なんか楽しそうに麻雀とかやっているのである

VRChatとかやっているのである

にじさんじの話とかをしているのである

遊戯王Steam版みたいなやつをやっているのである

原神だか幻塔だかよくわからないMMOとかをやっているのである

それぞれが楽しそうに、それぞれの友人たちと過ごしているのである

自分といえばもう、シミュレータ機材の話とかをしたいわけだから

それとなく話題を振ってみたりもするのだけれど、当たり前だがなんにも起こらないのである

なんやねんこいつ的な空気にならないだけむしろありがたいのである

それでいて去り際に「そっか、じゃあ今度僕も麻雀やってみようかな」とポツっと言ってみると物凄い食いつきなのである

一緒にやろうよ!やるなら教えるよ!である

とりあえず雀魂インストールだけしてみようよ!きっと楽しいよ!である

本当に本当にありがたい話である

===

さあ、困った

結局のところは

『てめえはてめえでシミュレータ友達を作るために努力したらええやないか

 友人なんてなあ勝手に生えてくるわけちゃうねんぞアホたれ』

に尽きる話だとは、思う

思ってはいるのだ

思ってはいるのだが、その、要するに、

孤独のグルメなのがよろしくないのだ、ここで

まず、自分孤独のグルメ趣味をやっている場合

ラーメン発見伝でやっている人とはどうしても温度感が合わないので、

孤独のグルメの人を探しにいくことになるのだが

基本的に、孤独のグルメをやっている人は、いま現在孤独である

そして殆ど場合、彼らは、孤独であることが好きで、孤独をやっている

そうなるともう、付け入る隙がないのだ

彼らは彼らで、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなのだ

独りで静かで豊かで……

から孤独のグルメ同士で友人関係を築くというのは、実はかなり難易度の高いことであって、

ただでさえコミュニケーション能力に難のある自分には

なかなか現実的でない、ような気がするのだ

こうなってくると、『じゃあ僕は一体なんなんだ』という話になるのである

孤独のグルメ趣味をやってるくせに、

GWで多少暇をしたくらいで寂しがっている僕は一体なんなんだ、という話である

わからんである

僕は一体なんなんでしょうか

もっと言うと、別に友人自体はいないわけではないので、

それでいて寂しがっているのも余計に意味わからんである

僕は一体なんなんでしょうか

===

そんなこんなで堂々巡り(言うほど堂々巡りでもない)を続けているうちに

なんだかもう、色々と面倒くさくなってきて

一回吐き出したほうが良いか、と思って

ここに色々と書いている(初めて匿名ダイアリー書いています たのしいね

そうやって書いてはみたもの

結局答えらしい何かは見つかった気がしないので

今日のところはとりあえず雀魂のインストールだけしておこうと思う

とりあえず最初リーチだけしていればいいらしいので

そのようにしようと思う

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