「矮小化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 矮小化とは

2024-05-18

anond:20240516012146

英語圏だと「性的暴力をポップに描写して矮小化している」とか言って問題視している人がたくさんいる

叩いちゃいけない作品みたいな空気になっている日本のハズビン信者界隈が異常なだけ

2024-05-15

黒沢清蛇の道』(1998年)

自分がやってしまたこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。

前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。

さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。

[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖

[B]全く原因不明の恐怖

どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。

[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。

原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルス感染してしまたことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠禁忌を犯したという程度だ。

そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。

ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているかである

すなわち正当な復讐をする勧善懲悪物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。

では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。

それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである

観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷もの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。

黒沢清監督作品蛇の道』(1998年)はこのような映画である

いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。

この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしま行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。

かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。

それが、紛れもなく人間性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。

それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。

特筆すべき役者は(やはり)哀川翔である

この映画での哀川はほぼ、人間醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界物理学法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。

ともあれ、是非多くの人に見てもらいたい作品である

いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。

ヴィデオ化にあたり、『修羅極道 蛇の道』と改題された。

(この文章1999年8月下旬ごろ書かれた。)

(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)

2024-05-14

anond:20240105191053

そんな「物理」の系で思考してなくて「自我を持ち始めた子からみた社会」の系で思考してる。後者なら「親ガチャ」という単語概念自然に成立する。

それを単なる「たとえ」とかいレトリック矮小化してる時点で何もわかってない。

あんたひょっとして「虚数存在しない」とか言い出すタイプ数学を学んだほうがいい。

2024-05-13

"魂の殺人"という言葉

主に性被害にたいして使われる言葉だが、なぜ他の犯罪には使われないのか疑問に思う

精神的苦痛から回復不可能という意味では、大切な人を失った殺人やまたは脳死状態に至ってしまった事故などでも十分にこの言葉が当てはまるのに

もちろん性犯罪矮小化したいわけではない

どうしてこのような言葉性犯罪しか使われないからが疑問

毎日誰かが用水路に食われている…4年間で108人死亡の「岡山県の人食い用水路」が野放しのままなワケ 用水路危険性は矮小化されている

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/70753

ブコメ書いてる人は、今回の事故があった場所見てないでしょ。

今回の事故のあった水路は、ちゃんガードレールでがっちりガードしてあったんだよ。

2024-05-11

夜職やっててそのリスク意識してない、というのはあまりに嘘ではないか

適当なカモ捕まえてどこまで引き出せるかの勝負なのに、

相手には理性がある(ので借金してまで来るやつはレア

みんな疑似恋愛と納得してる(ので派手な遊びなんてない)

みたいな擁護が湧いてて気持ち悪すぎ。

ホストにハマった女の風俗落としのスキームが固まってんのにそれを自己責任矮小化する流れにも賛成するのかな、こいつらは?

どう見ても勘違いさせて搾り取る構図、その上に成り立つ商売しか見えないのだが

2024-05-10

女薄好男薄嫌 って差別じゃなくて現実だろ

お前ら上手く息を合わせてスルーしてるけどよ。どれだけ目を背けようと。女は薄っすら好かれて男は薄っすら嫌われる、って現実だろ。

認めろよ。これを差別にするのは、無理だ。

聖人君子を除く、普通の日本人ほぼほぼ全員が差別者になって、結局、差別概念自体矮小化されちまうぞ。脳内象牙の塔モラルをこねくり回してポリコレパズルゲームしてる奴らは、それで良いのかもしれねーけどな。だけど現実には、アニメゲーム映画、あらゆる場所看板娘がいる。電話口で相手に好印象を与えるために、高い声を出す。バトルマンガの敵役は、、、男だ。

anond:20240510001731

そんなこと誰も言ってないんだよな

見た目がキモいだけなんて害を矮小化すんなよ

ほぼ無害じゃんそれだと

2024-05-08

anond:20240506233546

俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念シマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人三橋鷹女の句を紹介したい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  鷹女

あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?

たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいから、この樹に登ったら全身火に包まれしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれ鬼女になる」というそ妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。

これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。

  白露や死んでゆく日も帯締めて  鷹女

ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。

和服着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。

死ぬはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダー内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念世界だと思う。

どうだろう、こういった情念個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。

そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、から俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。

2024-05-07

anond:20240507020337

しろ逆で、ナンパする側の人(=DQNとか)は当事者からナンパなんて大した事ないって矮小化するけど、あなたの言うような叩かれる童貞たちは弱い相手の事を考えられるからちゃんとマチアプとか行くんじゃないかなと思ってるよ

出会いを求める場で出会う分にはなんの文句もない、手当たり次第無差別が嫌だよ〜って話

2024-05-06

anond:20240506161927

それ弱者男性じゃなくて、弱者標榜することで現実差別矮小化したい自称弱者ゴミカス

本当に困ってる人は貧困モテないやら発達障害やらを挙げるので、弱者男性という単なる女性特権とか女尊男卑とかの類語を使いません

2024-05-03

anond:20240502205151

フェミニズムはしがない市民がこのクソな社会搾取されず、おもしろおかしく生きるための知恵なんじゃ〜〜〜)

これは男のワイでも矮小化しすぎだと思う

2024-05-01

anond:20240501071444

そうやって狂言誹謗中傷事件矮小化しようだなんて、虚しくならない?

anond:20240501114948

セカンドレイプ批判していたフェミニスト側がセカンドレイプした側になったんだから批判に相応した謝罪するのは当然ですよね。

フェミニストの主張するセカンドレイプってそんな軽い程度の話だったの?

 

新井結果的に虚偽だったとか関係ねーんだわ。

お前らがセカンドレイプする側だと発覚した時に対応を問いかけられてるの。

 

そもそもだけどさ、被疑者擁護してた連中を批判することが「セカンドレイプ批判」じゃん。

なんでお前らの番になったら連帯責任負うよ?とか屁理屈たててるの?

セカンドレイプ矮小化して逃げてる側が言うの本当に最低だわ。

フェミニスト草津の件を謝罪する必要はない

率直な意見として書いた(再投稿)。

反論できるならしてみてほしい。anond:20240430231924

セカンドレ◯プ」を批判していたのがフェミニストだったよね。別に「レ◯プ」の有無そのものは争点ではないのだから、そのことでフェミニスト謝罪しろと求めるのはお門違いではないかと思うんだけど。

散々指摘されている通り、フェミニスト問題視していたのは「レ◯プ」被害告発した新井元町議の告発を軽視してリコールなどの対応を進めたことであって、最終的に虚偽だと分かったからといって、当時、草津町新井元町議に寄り添わなかったことについて批判したフェミニストは間違ってないよね。

最終的に虚偽だったから寄り添ったのが間違いということになるなら、アンフェが大好きな性被害冤罪でもアンフェを支えてくれる人なんていなくなるよ(だって、最終的にアンフェ男が性加害していた場合に支えていた人たちも連帯責任を負うことになるんだから)。

フェミニストは性被害告発を受け止めて、本人に寄り添っていくことを信条としているんだから、その態度自体は間違ったものではないでしょ。性被害告発エンパワメントするのはフェミニスト重要活動の一つなんだから。今回の件はたまたま嘘だったわけだけど。

しろ草津の件にかこつけてフェミニストが性被害告発を支えることを揶揄して、性被害自体矮小化しようとするようなアンフェの活動嫌悪感を覚える。

2024-04-27

苦手な人との付き合い方とは・・・

今思い出しても腹が立つ。

しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。

---

私と苦手な彼は同じサークル所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。

各自主催するイベントに招待しあったりして遊ぶ関係性だ。

そこで私は苦手な彼と出会った。

初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルいるから当たり障りなく過ごしていた。

苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。

私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。

苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることな距離をとって過ごしていた。

しかし、今回ハラワタ煮えたぎる怒りを感じた。

サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。

良い大人からとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。

初めにイベント進行の事実としては、その通りではある。

苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイム即興対応負担が多く管理が大変だ。

私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。

ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。

感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。

それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?

性質が異なるイベントなのに、比較対象にならなくないか

あなたが思ってる事前準備と運営認識合ってるか?

反論きたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。

ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。

苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。

しかし私は距離を取り続ける決意を新たにした。

---

今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。

最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。

しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉応酬するスキルがないのかもしれない。

いや違うな。自分の好きなイベント議論して自分イベント否定されるような結論可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。

議論した結果を受け入れ合えるような関係を持ってたら、私は話し合える勇気があったかもね。

相手大事にしている事に対して、否定ではなくリスペクトを持って接しようと感じた事件だった。

anond:20240426125105

彼女配偶者がいないってことは人間性に欠陥があるってことだもんな

矮小化しちゃいか

2024-04-26

弱者男性問題矮小化する奴は女に忖度してるだけだろ

彼女配偶者がいないというのは、人生設計尊厳に大きな影響力がある要素なのは間違いないだろ

それを彼女配偶者がいないだけの話みたいに矮小化するのが謎すぎる

それならレイプもただレイプされただけだし、痴漢もただ痴漢されただけの話では?w

2024-04-23

anond:20240422031649

朝ドラの内容は劇を妨害され侮辱されて言葉で抗議したら男性から手を出されて蹴り返した流れなんだが

女のくせにと揶揄われ妨害され侮辱され言論で返せば手を出される理不尽を「気に入らなければ」と矮小化されるのは男尊女卑だな

anond:20240423104310

とりあえず議論の前提となっていると思われる部分に同意できないんだが、それぞれ例を示してくれませんか。

あ、「私のタイムラインの中」とか「私の友人」みたいなエコーチャンバーの話はいらないです。

ある程度権威付けされたきちんとしたものか、権威付けはされていないけれども、客観的絶対数で多くの人がそのように考えていると見ることのできる方法でお願いします。

2024-04-21

anond:20240421232635

痴漢問題点は「痴漢くらい」の方じゃなくて「痴漢冤罪の可能性の高さ」だぞ

痴漢矮小化なんて誰もしとらん

anond:20240419061614

こういう虐待連鎖なのはまあ分かるんだけど

この間にフィギュアみたいなのに加害だの言うのはむしろ加害を矮小化してるとしか思えんわ

2024-04-19

anond:20240419121304

単に弱者男性自称してるだけの自虐ネタと実際に深刻な被害を伴う本格的な人種差別の事例を同列に並べて

お前は差別矮小化しているってなんなんだこのエントリ

差別を語る人間って9割ぐらい悪いよな、ヤクザみたいなやつも混じってるときあるし。

このエントリも1行目から口も態度も悪いしこんな一文で通じて当然みたいな前提もわけわからんし。

日本語で喋れじゃないだろ。知識がないから分かりませんでした、説明してくださいますか、お手数かけてすみませんだろ

何でこの内容で煽られなきゃいけないの?

弱者男性とか言って差別矮小化してマジョリティがわざわざ被差別を騙ろうとする腐った人間性が臭すぎて何しても無理だよ

anond:20240419121304

1. 整形できるような男(=マジョリティが)

2. 弱者男性(=マイノリティ)を自称していることは

3. "弱者男性"という語が指すもともとの集団が被っている被害矮小化行為であるため、差別的である

4. これは、過去の事例からも明らかである

5. よって、元増田死ぬべきである

…ってコト!?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん