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はてなキーワード: 酷評とは

2024-05-22

anond:20240521153803

日本ドラマ世界勝負するまえに国内でも、ラガート層の暇つぶししかないって酷評されてただろ

既に世界に輸出してるアニメと同列にかたるなよおこがましい

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-08

https://youtu.be/zFD6TujMsj4?si=f1Ax2gNqQpBkwlwc

ダンバインリブート?再製作?視たけど。なんかピチカート・ファイヴのBellissima!を「仏つくって魂いれず」って酷評した気持ちがわかったような気がしないでもない

2024-04-25

anond:20240425014236

そんなに酷評するほどのものでもないと思うが、これが中高生(というかオタク)の間で流行ってるのか…と落胆するくらいには期待してたより面白くない。

ちなみに原神は世界観が綺麗だし、恋愛要素少なめ。雰囲気似てるフリーレンが流行る昨今だし、庶民受けは良さそうに思うが、このままズルズルと制作に手間取ってると旬が過ぎるだろうね。

2024-04-24

anond:20240424085842

雄山がそうとは知らず山岡料理を褒めちぎった後正体を知って急に酷評しだしたことツッコミを入れたら食い気味に除名を宣告されたんだよな(´・ω・`)

初期雄山まりにも小物すぎる(´・ω・`)

2024-04-20

ドラゴンズドグマ2、ガチケモ主従ホモプレイができるってことで結構期待してたんだけど、ちょっと先月使いすぎてすぐに買えなかったうちに、キャラメイクやファストトラベルが有料コンテンツで、バグ死や理不尽死や竜憑きと言ったストレス要素満載な上、不安定で4090クラスグラボでも相性次第ではカックカクになるし、すぐ落ちるみたいな評判ばかり見てすっかり萎えしまった。

特にキャラメイクやファストトラベル有料化ドラゴンズドグマオンラインで散々酷評されたでしょ?ドラゴンズドグマオンラインの失敗から何を学んだのよ、君は。

2024-04-19

強風オールバックが爆発的にヒットした人が次の曲を出した時に、音楽に詳しい専門家人達が口を揃えて「強風オールバックの成功をこすってるだけのコピー曲。既に才能が枯れている」って酷評してたんだけど、今日見たら2200万回再生されてて、「専門家wwwww」ってなってしまった。

学術政治エンタメも、こうやって専門家は信用を失っていくんだな…。

2024-04-16

anond:20240410135624

SEEDの次はGガンだし、ガンダムはもう老人向けの終活作品なんだよ。

実際、若い人達に人気の高かった水星魔女は、古参ガノタから酷評されてただろ?

作る側は世代交代の為に頑張ってるけど、古参ガノタ若い人間排除するから

一時的に盛り上がっても、最後は老人向けの内輪作品に収まってしまうんだよ。

2024-04-12

anond:20240411171231

原作者要望通り作って世間から酷評されるなら、それは原作者が引き受けるべき酷評だが

他人様の創作物勝手に弄って世間から酷評されたなら、それは勝手に弄った奴が土下座して原作イメージを守るべきだろう

2024-04-10

Amazonレビュー評価普通ではない

anond:20240410001303

↑これ読んで自分過去に星1つを付けた作品レビューをなんとなく読み返していたら、棒グラフおかしいことに気が付いた。

西森博之原作お茶にごす。」のドラマ作品レビューなんだけど。

原作改悪が酷くて自分レビューした当時は星1つが突出して多かったのだが、その後良いレビューが増えていたのは知っていた。俳優ファンが高レビュー付けてんのかな、くらいに思っていた。(酷評されてたのも演出脚本がメインで俳優は同情されがちだったので。セクシー田中さんもびっくりの改悪具合)

今見たところ平均で星3.5/5(236件のレビュー

星5: 53件 19%(22%)

星4: 51件 36%(22%)

星3: 21件 31%(9%)

星2: 20件 7%(8%)

星1: 91件 7%(39%)

()内の%は普通に計算した場合

()前の%はAmazonの棒グラフに表示されてるもの

普通に計算したら星1つが39%なのに7%と表示されているではないか

普通に計算したら平均で星2.5になる。


注意書きとして「単純な平均は使用されません」て書いてあるんだけどさ。

レビューの新しさとかが考慮されるらしい。

でもパッと見じゃ気付かないようになってる。

なんでこんなことすんの?

酷評だった変な家を見た

原作知らん友達は楽しんでた

原作ファンの俺にとってはゴミだった

2024-04-09

エデンの檻ラスト

めちゃくちゃ酷評されてるけど、おもったよりは頑張って着地させた感はあるのでは?

飛行機タイムスリップした。

主人公の母と富豪の爺さんが行方不明となった子供、孫のために莫大な資金時間をかけて島を作った。

(★ただし、爺さんは孫の夢である古代生物のいる島の創造だけを目指していて、孫娘の復活とかは考えておらず、母が自分希望を加えた)

 

★そこでバイオハザードが起こり島の住民は全滅し、古代生物けが残った。

・そこに(母の祈りが神に通じたのか偶然か)タイムスリップした飛行機が不時着して、母が夢見た物語現実になった。

という設定。文句言ってる人はおそらく★の部分がよく理解できてないのだと思われる

難点があるとすれば

バイオハザードがなぜ起きたのかは不明

・1巻から頑張ってたハデス様も放置

くらいか

2024-04-03

ブレーメン音楽隊は名作である

昔話というものは大抵人生において必要な教訓が込められている。

そしてブレーメン音楽隊は短い物語でありながら多くの貴重な教訓が無理のない散りばめられた傑作である最近気づいたので挙げていきたい

はみ出し者にも希望はある

ブレーメン音楽隊はみな人間から役立たずと見なされ処分されようとしていた動物たちである

そんな彼らが幸せを掴む姿は社会底辺に生きる人間、居場所のない人間希望を与えてくれる

おそらく作者はユダヤ人などの被差別階級だったのではないだろうかと推察する

力を合わせることの大切さ

彼らも一匹だけではおそらく泥棒に立ち向かうなど出来なかっただろう

しかし、そんな彼らも4人で協力した悪党勝利を収めたのだ。

日本のさるかに合戦など小さな物達が家で待ち伏せして悪者を退治する昔話は世界各地にある

協力することの必要性は世界共通ということだろうか

老いからでも人生に手遅れはない

音楽隊メンバーニワトリを除いて年老いたが故に人間に疎まれ動物たちである

そんな彼らの物語老いから始まるのである

しろ老いたが故に自由に生きるチャンスを掴んだのだ

彼らの老後は若かりし頃よりも生き生きした物であるに違いない

最近松田聖子が62歳で中央大学法学部卒業したと報じられたが何かを始めることに手遅れはないのだ

自分意志で行動を起こすことの大切さ

彼らがなぜ幸せになれたか

それは自ら行動し人間の元から脱出たかである

途中ロバが死ぬ前にひたすら鳴くニワトリに対し

「そんなことしてるくらいなら俺たちと来い!」

と渇を入れる場面があるが、これは同時に行動を起こせず環境を変えられない読者へのエールでもあるのだ

悪事を働けば報いがある

勧善懲悪は昔話の定番だが、教訓の宝庫であるブレーメン音楽隊がこれを逃すはずがない

人生は思い通りにならないからこそ素晴らしい

この物語の疑問点として音楽隊ブレーメンに到着していないというのが挙げられる

しかし、彼らは当初の目的を何一つ果てせていないにも関わらず物語ハッピーエンドで終わる

正に人生塞翁が馬ということだろう

この話はどちらかといえば短い部類に属する

にも関わらず教訓の数でこれに匹敵する説話は他にないだろう

そしてブレーメン音楽隊はよく「何が言いたいのか分からない」」」、「どこが面白いのか分からない」などと酷評されることもある

それこそがこの物語の魅力なのだ

前述した教訓が遠回しに押しつけがましくない形で語られている

それゆえに一度読んだだけでは分かりづらく、繰り返し読み直すことでその魅力に気づきより好きになっていく物語となっている

皆にももう一度ブレーメン音楽隊を読み直して欲しい

2024-04-02

anond:20240402111608

俺はわかるぞ。

わかるけど、そこは気がするだけじゃなくて、マジで自分審美眼否定されているんだから

自分審美眼を鍛えなおすところだろ。

 

作品見る以上、批評は止められないが、ピカソゲルニカ酷評する恥ずかしい批評家にはなりたくねぇじゃん?

せめて理詰めぐらいでは、「こういうの女子供好きですよね」って言えるようになっておきてぇよ。

2024-03-31

「シン」商法って上手いやり方だと思うだけど真似する人が出てこないね

すでに功成り名を遂げたアニメ監督が全く新しいアニメ映画を作るというのはなかなか難しいことだ。

人間、なんども名作を作れるほど才能が余ってるのは宮崎駿くらいで大抵の人は2、3本で才能が出涸らし切ってしまう。

それでも無理して新しいオリジナル作品をつくるもんだから気づいたときには過去の人になっている。

そういうのを避けるためには庵野監督に見習って「シン」をつくってくしかない。

「シン」のいいところはお金が集まりやすいことと、それなりにヒットすることが織り込み済みなこと。

全くのオリジナルをつくって自身アイデアの枯渇に苦しまなくて済む。

何より全く新しいものを作っているつもりなのに「〇〇の焼き直し」とかい酷評を聞かなくて済む。

だって最初から焼き直しの作品なんだからさ。

こんな素晴らしい商法は功成り名を遂げたアニメ監督にとって他にないだろう。

から勇気を出して「シン〇〇」をつくりましょうよ。

2024-03-28

変な家

雨穴ファン酷評してるけど、ホラーファンから結構評価もらってるね

原作厨じゃないなら観ても損しないのかな

(今週末タダ券あるから映画を観る予定)

2024-03-25

新聞記事タイトルAIやらせ

一部で「クソタイトル」と酷評されているこの記事

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202403/0017466508.shtml

神戸淡路鳴門道で車両火災 「車置いてトイレ」で通行止め6時間近く 大鳴門橋含む下り線」

これを色々なプロンプトでタイトルをかかせてみた。

素直コース

プロンプト:以下は新聞記事です。この記事タイトルを付けてください

応答「兵庫県南あわじ市車両火災発生、神戸淡路鳴門自動車道が約6時間閉鎖」

トイレの件を強調させたい

プロンプト:以下は新聞記事です。この記事タイトルを付けてください。ただし、トイレのために車線上に来る前を置いてトイレにいった人の存在を強調してください。

応答「兵庫高速道路車両火災渋滞を引き起こす 車線上に車を放置トイレも」

ほどよくバズらせたい

プロンプト:以下は新聞記事です。この記事タイトルを付けてください。ただし、SNSで映えるようなほどよい煽りタイトルでお願いします。

"【緊急速報兵庫驚愕車両火災大鳴門橋近くで大渋滞発生、通行止めは5時間超!"

とにかく煽れ!

プロンプト:以下は新聞記事です。この記事タイトルを付けてください。ただし、SNSでとにかくインプレッションを集めるような煽りタイトルにしてください。

炎上兵庫高速道路車両火災発生!整体師のドライバー衝突後に炎に包まれ驚愕シーン!大渋滞トイレにも行けずパニック状態!」

2024-03-19

自分が一番つまらない人間だと気付いた

他人の作ったもの評価してレビューサイト酷評してる

本当に恥ずかしい人生を送ってると思う

まらないつまらないと言っている自分が一番つまらない人間だわ

他人から酷評されてる方がよっぽど立派だと気付いた

2024-03-18

WIND BREAKERって漫画

⚠もしこの作品が好きな方は読まないほうがいいかもしれません

次にくる面白い漫画の1つと紹介されていたことX・TikTok販売サイトレビューでも圧倒的評価が高く10巻以上出ていてアニメ化するということで、すごく面白いだろうなと期待して4巻まで読みました。

この作品を読んだ率直な感想ですが

知らない作品女性向け二次創作を読んでる気分になりました。 主にキャラの設定や見た目、どこかで見たことあるような展開の既視感など

(といってもウィンブレは人気の設定の上澄みををすくっただけです。他作品で展開と設定ほぼパク…オマージュ満載の作品もあり、というか何かの影響を受けていない作品はないのでなんともいえないですが)

只、全く面白くないわけでもなく絵もきれいで読みやすいですし、キャラだけ見ると面白そうという感じはあるので、このモヤモヤするなんとも言えない感情言語化したくなりこの文を書きました。

この内容で何故人気があるのか自分感性世間と大幅にズレてるのかと少し悩みましたが、販売サイトの星3〜1のレビューなどには自分の思ったことがほぼ書かれていました。

内容の好みがというレベルではなく内容が薄すぎる。序盤から多くのキャラが登場しますが主人公でさえ掘り下げが薄いので誰にも共感ができません

先生警察といったものが登場せず商店街大人自警団を名乗る高校生を受け入れてるのが狂ってるというか、彼らが街を守るということが全然抑止力になっておらず逆に輩が集まって治安が悪くなってる気がするような??など他にもあります突っ込みどころがとまりません

上記の通り複雑な関係性・伏線があるストーリーではないので、そういった要素を重視するアニメ漫画に多く触れている層(考察とかしたがるヲタク)には面白くないという評価になり

まりアニメ漫画に触れたことのなく分かりやすストーリーと見た目が華やかな男性キャラを推す、推し活躍を楽しんでいる層には評価が高いのかなという結論になりました。

そして、酷評しましたが読み進める内にウィンブレを楽しめるようになってきました。

私的な楽しみ方ですが

いやいや、おかしおかしいとストーリー突っ込みながら読む、見た目が好きな推しキャラを決めて活躍応援することにより私はこの作品が楽しめるようになりました。

もしウィンブレが好きな方が読んでいて不快な思いをされたら本当に申し訳ないです。

2024-03-08

子供ときぶりに食べ放題バイキングに行ったらひどかった

すたみな太郎みたいな店って言えば伝わりやすいのかな?

子供の頃にたまに親に連れてってもらって喜んでた、郊外にある焼肉とか寿司とかが食べ放題ランチ2000円の店に、ふと20数年ぶりに行ってみた

で、自分は何を食っても味なんてろくにわからない貧乏舌だと思ってたんだけど、意外とそうでもないのかなって思った

まず焼肉がどれも味気なくて不味い、とまでは行かないまでも少なくとも美味くはなかった

肉の旨味がないのか、水っぽいわけじゃないのに水っぽい味がするというか…肉を食べた気がしない

寿司ネタはまあこんなもんかと思ったけど、シャリおはぎの米みたいにねちょっと固まっててシャリとは別の何かだった

スーパーの半額寿司でもまあまあ満足できる自分がこんなに寿司酷評する日が来るとは

他の惣菜唐揚げパスタなんかもあったけど冷めてるものばかりで論外

今まで自分は高級な飯なんて食ったことなくて無駄に歳だけ食った子供だと思ってたけど、もう子供の頃の自分とは違うのね

あとデザートにはソフトクリーム(という名のバニラアイス)と一口サイズのちゃちいケーキがあったんだけど、これは普通に美味かった

バニラアイスはさっぱり冷たくて3杯食べたし、ケーキはパサついたりもしてなくて15個くらい食ったね

白玉お汁粉も美味いしホイップクリームが絞られたバナナもうめえの

あと串かつセルフで揚げるコーナーもあるんだけど、あれは揚げ物をするという体験が楽しかったし、揚げたての揚げ物は無条件で美味い

ラーメン自分で湯で上げるコーナーもあって面白そうだったけど、炭水化物は腹に溜まるので惜しみつつも見送った

うそう、無意味に網にラードを塗りたくる作業も楽しかったな

子供かお前は

2024-02-29

ヘテロ男性保守的価値観の持ち主である私が「いいなぁ」と思って観てしま作品だとか作品内の描写が、昨今はボロッカスに酷評される。

ポリティカル・コレクトネスへの配慮大事なんだとわかってる。これまで抑圧されてきた人たちはこういう思いをしてたのかなと思いもする。

から今の流れに反対だとか、そんなことを言おうとは思わないんだけど、つらい気持ちにはなるんだよな。

マンガ映画を観たあとで、いろんな人の感想を読んだり聞いたりするのも楽しかったのに、それをやると私の素直な感想ボコボコにされちゃう感じでさ。

2024-02-23

anond:20240223145922

寒い話が酷評されてるだけなのに

「与太話が出来なくなる」とかいって被害者ぶるなよ

寒くない与太話すりゃいいだけだろ

出来ねえんだろうけど

2024-02-21

anond:20240221132546

感想と作者叩きとヘイトマウンティングがごちゃまぜになっているタイプ人間一言いただけます

心を痛めている。

  

ネットだと

やたら攻撃的になる奴、なんでもかんでも酷評する奴、何かが叩かれ出したら同調する奴、

と言うのがいるけど俺はあれらには感心しない。

俺は俺の感想を俺の節度のもと俺の責任で口にすることに満足している。

そいつらに対応する部分。

 

ただあいつらも「ネガティブ感想ダメ」ってルール実装してることが多いよ

からみんなが叩き始めた作品だけ叩くし、叩き方が過剰になる

もっと日頃から軽い気持ちで良くないものは良くないと言えばいいんだわ

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