はてなキーワード: 執行とは
警察官補が仕事に当たって依拠しなければならない刑訴法と、犯罪捜査規範には、 条文の中に、 有形力は必要最小限度の範囲内に調節しなければいけないとか、
書面に理由を簡潔に記載して提出せねばならない、といった民事訴訟規則などを、ねたばらしをしている法律の規則がないではない。
しかし、 技術の中には、なんらかの完全無欠なものをそこに出すというものも考えられるが、 刑事訴訟法や それらの中に、そういう技が直接記載しているかというと非常に難しい
警視総監が、 刑訴法53条の2は、東京都個人情報保護条例第2条の2自体が適用していない、としているが、第2条の2は、供述調書の公開に関する規定で、これはいわば、
適用除外というのは、 刑訴法53条の2に関する公文書は、出て来るな、というものである。
刑務所の中における、受刑者の刑の執行にかかる公文書は、 法務省令で、 適用除外、とされている。よって、個人情報の公開の対象にならない。
民法511条の相殺適状に関する判例に関して、 様々に場合分けをしてから、 制限説と無制限説の判例 しかし、 昭和45年判例は、 8対7の僅差だったなど
昭和45年最高裁判決の、法廷意見は、 民法511条の解釈に当たり、 民事手続法など一見無関係な法律も引用して解釈しているなど非常に複雑で驚愕的であり、
一見無関係な法律同士に関係を見出そうとしたり、特定の解釈適用に当たって、一見無関係な概念の登場による構成、 など、 専門的知見からも、技術的知見からも、非常に
このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。
でもぶっちゃけ自分が学校を作るから書いてるのでポジショントークなんですよね
文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎うとき人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
1.恣意的に別条件付け足したらミラーリングじゃなくなるでしよ
の記載内容に関して論理的根拠は問題ないと思う。ただ今時、女性向けの性的商品であるBLが駅や新聞広告に頻繁に登場する中で、ネットの素人議論ならともかく「たわわ」に関しては、なぜ曲がりなりにもプロの報道機関や研究者が取り上げるんだろうか?
https://www.moj.go.jp/content/001324318.pdf
P.12より
「◦ アダルトサイト(暴力的性行動,小児ポルノなど)などで逸脱した性的ファンタジーを強める
https://www.moj.go.jp/content/001362700.pdf
P.16より
「アダルトビデオやアダルトサイトのようなことをみんなしたいと思っているはずだ」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/71/0/71_3PM012/_pdf/-char/ja
「モデルで導入された外敵潜在変数は「メディア興奮」「性的欲求」「性格特性」「女性認知」の4つである。強姦や暴力メディアに興奮しやすいほど、そして性的欲求が高いほど買春、違法ポルノやのぞきといった逸脱した性行動をしやすく、逸脱した性行動をしやすいほど、そして性的欲求が高いほど、および平等的性役割感が低いほど、悪質な性加害行為を執行しやすくなる。」
上記のように法曹や心理学の分野では、性犯罪者は男尊女卑的な価値観に影響されやすく、性的ファンタジーの反芻と強化が逸脱した性行動を引き起こしてると記載がある。性的商品が性犯罪者の認知に影響を与えることが認められてるよう。
なので言及元の記事にある「言われたことに反論出来なくなったらとりあえず『性暴力ガー』と絶叫しておけば最悪引き分けまで行ける」などの主張は、法曹や心理学の世界での根拠付きの議論と比べると弱いと思う。少なくとも、性犯罪の要因として根拠が示されていることを考えると、男性向け性的商品の批判はある程度根拠があると言えると思う。
ポルノも酒と同様に、禁酒法のように全面的な規制が闇に潜り犯罪化を促す可能性があると思う。実際、フランスで買春を禁止する方向での規制が行われた結果、セックスワーカーの活動が闇に追いやられたという報告もある
「フランス買春処罰法がセックスワーカーの仕事と生活に及ぼした影響」
引用記事はセックスワーカーの権利を推進する団体が書いた記事とはいえ示唆としては参考にできる。
ポルノや買春の極端な規制は性暴力の問題解決に効果がない可能性があるよなあ。結果として、男性向け性的商品がなくなることはないと思う。
性暴力被害者側が多い女性(もちろん男性にも被害者はいる)だけでなく、性被害に遭っていない男性も「男性向け性的商品はファンタジーであり、性暴力衝動を肯定するものではない」って当たり前の考え方を広めることしかないかなあ。引用した法務省の二つの資料でも
「性犯罪者の現状」P.10より「性に関する認知のゆがみとは◦性犯罪者だけでなく,実は社会もその多くを共有してはいないか?」
「性犯罪加害者の理解と対策」P.5より性暴力を強要する側とされる側の力関係の発生について「この背景には日本社会の文化的背景も影響している」
と社会の性差別的な思考が性暴力の発生に影響を与えている可能性があると認識してるようなのよ。昨今例のジャニーズ問題で女性と思われる人によるセカンドレイプが問題になる中でさえ、「フェミニストはバカ」と同じくらい、いえそれ以上に「男性は性犯罪者になりやすい、統計的数値にもでてる。男性向け性的商品も影響ある」と思われてる。その認識を解消するしかないんじゃないかな。
ネットの匿名記事とはいえ、ジェンダーの話は、どの立場からも問題点の洗い出しや分析、解決案を考える気の無い素朴な記事が多いなと思うので女性の立場からちょっと書いてみた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/frothmouth
この記事に対するエビデンスの弱さを指摘いただいた。ありがとう。ただブコメでも書いたけど、私のリテラシーのなさより、男性が法務省のような政府機関から弱い根拠で性犯罪と結び付けられる方が問題大きいと思う。その関係が弱いなら性犯罪の対策誤った認識で取られてるってことやん。ちょっと検索したけど性犯罪とポルノの因果関係が弱い証明の記事って本当に見つけにくいのよ。それを持って性犯罪とポルノの因果関係の強弱は決めれないけど、その辺り「女はばか」みたいな話より、ポルノの自由含め、ちゃんと洗い出しや議論する方がええと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/kishimoto0050
「法務省がそうなっているのも大学や言論人の偉い方々が様々な議会や勉強会なんかに参考人として出入りして色々言った結果でもありフェミニズム言説と法務省を切り離せる問題ではない気がしていますがどうなんでしょう」
法務省はフェミニストにロビイング受けている!と言いたいと思うけど、仮にロビイングがポルノ業界に悪影響与えてるなら、なぜネットでフェミニストに反対してる人筆頭に、エビデンス出して反論しないの?酒とかタバコ業界はある程度ロビイングしてるからこそある程度の規制で済んでるのに、なぜポルノ業界はネットの世論味方につけてそれをしないんだろう。ポルノ業界の味方の方々は、たとえネットでも、もっと実行力のある発言を心がけた方が良いと思う。
「法曹界でも意見が割れている」「根拠ない」なら頼む、本当にエビデンスを持ってちゃんと議論した方がいいと思う。少なくともポルノ業界と利益造反するフェミニスト業界と思われる人は一応政府機関に食い込んでるわけよ。勝ち負けで言うと、どっちが有利かは考えてみよう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/li_tide
「法曹の間でも意見が割れてるけどポルノが因果関係をもって悪影響を与えるとまでは認められてないかな。それとたわわや性的商品広告も資料にあるようなポルノとは全く違うので、これらを結びつけるのは雑過ぎる」
確かに雑だ、すまん。ただ規制する方はこちらの記事で2例ほど出したけど、大抵「性犯罪を犯す人は男尊女卑の価値観に過剰適応している」って前提で活動してると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240508152120
なんでポルノに限らず、たわわみたいな性的商品広告も少なくとも女性のモノ化みたいな意見で男尊女卑の価値観に沿ってる、てなロジックで槍玉に上がりやすくはなる。てかなってる。それが間違いだ、という意見はもっと言っていい。
たとえ雑とはいえ、私の稚拙な意見でも、ある程度考えたら批判意見でも煽りみたいな意見減って、論理立てた反論が返ってくるのよ。この調子で男性ももっと言葉を積み重ねてほしい。できれば根拠となる引用つきで。
いや、戦争でオスが大量死すると、メスは庇護者を増やすために大量出産するんで、人口は急激に伸びるんだよ。これは第一次大戦後の欧州でも明らか。
連合国が巧妙なのは、ララ物資を嚆矢として、日本人に過剰な餌を与えて人口を爆発増加させつつ、サンフランシスコ条約で日本の領土拡張を防いで人口の内部崩壊を企んだわけ。
閉鎖空間で爆発的に増殖した哺乳類が、自発的に交配・生殖をやめて絶滅するのは、すでにネズミなどで何度も実験・検証されている。
日本人はまさにその状態で、限られた土地や職を奪い合う受験地獄・通勤地獄を経て、やがて出産をやめてしまったわけだ。
他にも皇太子誕生日での戦犯死刑執行から著作権の戦時加算、国連憲章での敵性国家の名指しなど、連合国が日本に仕掛けた罠はたくさんあるので、もう少し歴史を勉強すると良いと思うよ。
ニュースを見て。
昔は執行するよって前日に告知してたら死刑囚に自殺されたそうで、
その反省から今は1~2時間前に告知するようになっているらしいです。
へー、人間ってそういう感じなんですね。
そして今、1~2時間前の告知は「不必要に残酷」だから、もっと前に告知すべしという訴訟が起こされてるのだとか。
でも逆に、事前告知が自ら死を選ぶほどの恐怖を与えたと考えたら、
ある意味死刑そのものよりも前日に告知するほうがシビアなのでは?
という気もしないでもないんですが。
恐怖を与えるというより、恐怖を醸成する時間を与える、というか。
なにをもって人道的とするか、ですよね。
それが何日も何年も続けばやがて日常になり、
「執行はとりあえず今ではない。まだ先のことだ」と思い込むようになることで
自我を保てている部分もあるんじゃないでしょうか?
だから執行は直前に告知されるものだとあらかじめ知らされていたほうが、
ある種のあきらめによって執行までの日々を「比較的人道的」に過ごせるのでは?
むしろそんな精神状態から「1日」も死に向き合うのは単純にキツそうじゃありませんか?
などと思ってみたり。
たとえば、「毎日0.01%くらいの確率で執行するかどうかの判定が自動で行われる」とか、
ランダム要素を事前告知してたらどうなるんでしょう?
その判定を機械にやらせて、当たり(?)が出たらゴハンに24時間後くらいに効果が出て、瞬時に死ぬような薬が入るようになるだとかしたら?
それとも飢餓に耐えかねて、毒入りかもしれないゴハンを恐る恐る食べて、やがてそれが日常になるんでしょうか?
そっちのほうがいいという死刑囚もいるのではないでしょうか?
そもそも、宗教者による最後の説教をうけて絞首台にのぼりボタンを押されて死ぬというような
あからさまなクライマックスを用意するのがなぜか当然とされていますが
もともとレールを外れた死刑囚に、さらに「更生ののぞみが皆無だから死刑」なんて処遇を与えておいて、
なぜかその人に自分と向き合い人道的見地を取り戻すようなことをさせる。
というのはとても矛盾だと思うんですが?
死刑囚でなくても、死に向き合うよりも「なんだかよくわからないけど気付いたら死んでいた」ほうがいいという人は多いのでは?
自分に向き合うようなことが苦手だからこそ死刑になるような行為に手を染めた人間なのだし
だから死刑になったのに、この期に及んでなぜ人間らしさを求めるのか。
もう死ぬんだからいいでしょ?これ以上面倒なことはしたくないよ……というのが
そういうやり方を選べるオプションがあったら、
そのやり方は人道的だといえるか?
人道を外れていることを理由に死を与えられる人間に、人道に戻る義務を負わせるのが果たして人道的なのか?
などが気になりますね。
日本で子育てしんどいよな!でもな共同親権は大体の国で導入されてんだよ。どこに行っても変わらんのよ残念でした。恨むなら外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女を恨め。
saihateaxis 2024/04/12 22:02
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751979165704515648/comment/saihateaxis
日本で共同親権を導入しようとしているのはどういうわけか実子誘拐批判者が多いが、これは全く道理に合わない
実子誘拐を禁止したいなら刑法を改正して実子誘拐者を牢屋にぶち込んだほうが早い
日本で実子誘拐がはびこっているのは単独親権だからではなく誘拐をした親に親権を与えるから
ガキ誘拐して日本に帰国する女に親権を認めず外国人の父に単独親権を与えれば誘拐問題は解決する
共同親権が導入されてもDV親に親権は与えられないことになりそうだが、しかし現在誘拐をDVとして問題視しないのであれば共同親権が認められてもやはり問題視されないだろう
それどころかガキ誘拐して日本に帰国する母が「夫のDVにあっています」と嘘の主張をして通ってしまえば共同親権制度はまったく無力
②ハーグ条約を遵守してないこと
ネット上ではよく共同親権とセットでハーグ条約が語られるが実はあまり関係ない
ハーグ条約はざっくり言うと
1,不当に国外に連れ去られた子供はとりあえず元々住んでた国に返還する
2,あとは元々住んでた国の法律で処理される
という取り決め
実子誘拐は親権が未定の状態で起こることも多いので、ハーグ条約は親権とは違う独自の基準で返還の判断を行うことになる
そして1を履行して元々の国に送り返してしまえば後は日本の単独親権制度は影響を及ぼさなくなる
逆に日本に返還された子供について日本が単独親権を選ぶのはハーグ条約で禁止されていない
日本における子の連れ去りに関する欧州議会決議https://www.moj.go.jp/content/001347789.pdf でもハーグ条約と共同親権は関連づけられていない
また、ハーグ条約はあくまで子供が国境を越えてしまう事例にのみ適用される
外人と離婚してガキ誘拐しても国境さえまたがなければハーグ条約とは無関係
「外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女」と「日本国の単独親権制」も実はあまり関係ない
問題なのは日本がその国で定められた親権を守る実力行使をしないことであって、
福原愛の事件の福原愛と江宏傑は台湾で結婚して台湾法で共同親権を持っていて日本は関係ない
日本の親権制度が実子誘拐を助けたわけではないので、共同親権制のアメリカやイギリスに逃亡しても同じ結果になっただろう
実子誘拐を理由として共同親権を望む人には「誘拐犯と共同で子供を養育したいのか、それとも誘拐犯抜きで単独で子供を養育したいのか」ともう一度考えてみてほしい
まとめ
これは間違いだと思う。
結論を先に言うと、人は誰しも秩序のある方へ向かおうとしているんだと思う。
自分が「Aが苦手だ」と発言したことをきっかけに、周りもそれに同調してAを無視するようになった…っていうある増田の話から。
俺が思うに、みんな「学校」っていう社会の秩序を守るために、Aのことを嫌いだと言い出せなかっただけだと思う。増田がぼそっと呟いたことで「ああ、Aのことを苦手なのは自分だけじゃなかった。Aが苦手だという自分の感性は間違ってなかったんだ」と安心して、増田という「秩序」にみんな向かって行ったんだと思う。
もし、増田の方がおかしい、と思う人がいたらAという「秩序」に向かったと思う。そして、敵対する。
別に、攻撃をしたいわけじゃない。Aが秩序を乱すから、排除したい…っていう、結果的に攻撃行為になっただけなんだよね。ただ、今こうして「一つのクラス、一つの教室」っていう、トラブルのない秩序の保たれた状態があるのに、「個人的にAが苦手だから」って理由でAを排除するのはあまりにも身勝手過ぎる(トラブルを招く、混沌をうむ)。しかし、増田が発言したことで、Aがいない状態のほうが「正しい秩序である」という確信を得たクラスメイトは、Aを排除しようと動いたわけ。
ここで、増田が新たに、Aを排除するのは間違っていると取れる発言した。つまり、個人的にAは苦手だが、Aは社会悪というほどではなく、これもまた秩序の内に加えるべきだと。しかし、周りはAを社会悪と捉えてしまっている。だからといって、ここで意見が対立してしまうと増田は「社会悪の味方」となり、排除する動きになってしまうかもしれない。クラスの中で増田がどういう立ち位置にいたのかは知らないが、それは違うと。増田は悪くないと思ったからこそ、みんな渋々了承した形になったんだと思う。
眠い中、思ったこと書いてるだけだからうまく言語化できていないが、ともかく、みんな秩序を保ちたいだけなんだと思う。大きい世界で言えば、コロナ禍か?各々が信じる秩序の形を目指して、正義を執行していたんだと思う。別に、誰かを攻撃したいわけではなくて、社会を守ろうとしていただけだと思う。もちろん、そんな大層な想いを持っていないただのやべーやつもいるが。
後、増田はこれをいじめだと表現していたが、それも違うと思う。いじめに発展する可能性はあったと思うが、いじめは単なる弱いものいじめだから。
あれは秩序ではなく、好き好んで混沌状態を作ろうとする(=自分が強いとアピールする)やつらが行うことだと思う。社会悪。彼らは根本的に秩序よりも混沌に重きを置いている。言語化が難しいが、自分の安全よりも、自分が強いことを主張したい。自己アピールが強いやつらだ。
これに言及している料理人や専門家は皆無なのでここに記録しておく
「あぁそれね、俺は大昔から言うてたけどね」鼻ツーン
さて、本題、結論、「今や国産よりも外国産の方が安全です」ドーン
国産業者は抵抗キャンペーンを張り、輸入品はヤバいと宣伝し消費者に刷り込んだ
これが未だに生きている
古いんです、知識が古いんです
2023年東京オリンピック、選手村では選手たちに日々の食事が提供されるのだが
主催者のIOCはリスクのある食い物を世界トップアスリート達に提供できない
IOCは厳格なレギュレーションを要求しており、その一つがGlobal-GPA取得。必須事項。
世界の食品流通はこの認証を取得していなければ事実上国境を超えられない、スーパーには卸せない。日本を除いて。
日本はG-GAP取得率が極端に低いのでオリンピックに供給できなかった。
苦肉の案で、選手村の外に日本食レストランを作りIOC管轄外で選手の自己責任で食うてくださいという屈辱的な施設が作られた。
選手は選手村でしかメシを食えないわけではない、勝手に出歩いて自費でそこらでメシを食うても構わないのだ。そういう建前
日本のG-GAP取得農家は750経営体、ちなみに日本の全農業経営数は100万経営体
世界基準で言えば日本の農作物は、正当な認証下で生産されてない、安全性が担保されてない、得体のしれない食い物、です。
そんな認証なくても日本の農家は善人しかいないので問題ない、厚労省だか農林水産省がちゃんとやってるもん、日本は凄い国だもん
ふーん
日本は高温多湿で欧米とは主要作物が違う、散布方法も農薬の成分も違う、と言うのだが
確かにその通りで、日本よりも劣悪な高温多湿の国でも日本よりも使用量は少ない国は多い
水田の米と乾田の小麦では流出する農薬の量が違うため多めに散布しなきゃならないというが
タイは日本よりも高温多湿は酷い、稲作をやっているが、農薬は日本の100分の1
使用成分に関しても欧米では早々に使用を禁止制限されたグリホサート、ネオニコチノイドなど日本では規制どころかむしろ緩和をした。
2015年、この時期欧米で規制が始まったにもかかわらず日本は
クロチアニジンとアセタミプリド、チアメトキサムの残留基準値を緩和、フルピラジフロンを追加承認している。
欧米でまったく使えないわけではないが残留基準値は厳しかったり、成分規制があったり(クロチアニジンはほぼ使えない)、使用用途も葉物ではなく果樹、穀類に制限されていたり、散布方法も制限されている。
ドローンを使った空中散布の希釈倍数なども年々緩くなっている、農家からの要望があれば議員はすぐに動く。
年々検査を減らしてる、そもそも日本の農水省は検査の意味を履き違えてる
「長年検査しているが検出限界以下が続いているのでこの成分検査辞めます」
おーい
あ ほ で す か?
日本のお百姓さんは善人しかいないので規制成分を勝手に使わない
検査されないからと言ってそれを使わない、そんな悪人いませんキリッ
こーゆー前提なの。ナメてる?
諸外国はどんどん検査項目を増やします、検査は抜き打ちランダムにやります。
海外は不正がバレたらG-GPA認証を取り消され事実上出荷不可能となるので詰みます。
農林水産省は「国内産農産物における農薬の使用状況及び残留状況調査の結果について」という調査を毎年行っている。
古いものは平成15年から令和最新まで開示されているので見比べて欲しい。
年々調査対象作物を減らしているのがわかる。
さらに詳しいデータもあるのだけど調査項目、成分も毎年減らしていってるんです。
ヨーロッパ30ha
アメリカ100ha超え
生産作物が違う?
日本、1ha
カリフォルニア、161ha
オーストラリア、51ha
行政が厳しく指導しようとしても議員に泣きつかれる、大票田なので議員も動く
経営単位が小さいので農業地域全体の面制御がしずらく農薬は過剰に使いがちになる
小さな単位で暖かく目配りの効いた丁寧な農業、みたいな漠然としたイメージもある。
その方が安全で安いんです。
2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件、犯人は無期懲役を食らっている。
その他にも、特に国際問題になった信用毀損に関して中国共産党は厳しく短期間の裁判で判決を出し見せしめ的に死刑が執行されるケースもある
海外の農家はG-GAPで縛られているので不正は即認証取り消しで経営が詰む。
取り消しは容赦ないです。だから不正やらんです、検査も抜き打ちだからすぐにバレる
一方日本は、例えば熊本偽装アサリ事件、確かに健康被害は出ていないもののこの事件で訴追された人は一人もいない、軽い行政処分が出ただけ。
毎年なにかしら食品偽装、不正が起きるが逮捕、訴追されることは皆無。
魚沼産コシヒカリの流通量が生産量30倍と言われ続けているが、何十年も行政は放置したまま。認証制度や罰則が整備されてないのでやりたい放題。
ここまで書いてやっても、
国産は農薬とか少なめで善良なお百姓さんが心を込めて作っているので安全安心
味の素は毒
いいんだけどねw