「自己嫌悪」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2010-08-27

心が汚い

ネット低学歴叩きとか見てると気分悪くなるのに、

気づいたら自分でもそーいうこと思ってしまっていた

あああ自己嫌悪

2010-08-23

萎えた瞬間

動画サイトで「おっ!」と思ったAV女優検索したら、ブログがヒット。

2010年08月22日

 

 

  

 

楓花ちゃんは

もう消えてしまいそうです

 

 

結局

自分を大切にしてあげないと

大切だと思える人も大切にできないみたいです

 

 

 

 

 

どんなに謝っても

心から謝っても

 

 

過ちは許されないようです

失った信頼は

戻ってこないようです

 

 

 

 

 

すべて

自分が悪いです

 

 

 

 

 

捨てられてしまいました

 

 

 

 

自己嫌悪。。

 

 

生き迷い。。。

 

 

  

  

 

って書いてあったとき

2010-08-22

ここ数週間、心の中で、自己嫌悪空虚な万能感が振り子のように襲ってきて、自分を苛んでいる。

「結局、お前の自己否定とか自己嫌悪って、自己憐憫に過ぎないよな。何の解決にもなってない」

と、自己嫌悪する自分に指摘したら、思わず自分の手が、自分の頭をブン殴っていた。

ついでに、自分とは思えないくらいの癇癪を瞬間的に起こしてしまってた。

ああ、なるほど。そこが自分の傷口なんだ、よし、ここにスピリタスと塩を刷り込もう。

2010-08-19

叶うわけないと挑戦すらしなかった夢を、本当に諦めたのはいつですか

いつからだろう、何か本気で取り組んでみたい物事を見つけるたびに、わざとそれを避けるようになったのは。

できないからやらないのではなく、したくないからやらないのでもなく、したいけどやれない。

こんな矛盾した気持ちを抱えているのは自分だけではないだろうと思う。


僕は小さい頃からスペシャリストよりジェネラリストに憧れた。

自分だけにしかできない何か一つを持つよりも、自分は何一つできないことなどない。

そんな人間になりたかった。

個性なんてお断り。個性なんて背負えば他が潰れてしまう。なるべく平らで均されていて、でもそれぞれか程良く高い。

そんな優秀な人間になりたかった。なれると思っていた。


どんなことでも経験してみたかったし、どんなことでも知りたかった。

何も華やかなことや凄いことだけじゃない、苦しく汚らしく嫌らしい、そんな何もかもを体験していきたかった。

そして自分のそうした好奇心がいずれは自分を大きく立派な人物に成長させるのだと信じていた。

小学生も高学年になればあの頃に特有の万能感もだいぶ薄くなっていたけれど、この好奇心があれば自分大丈夫。人とは違う。

そう思えた。


中学生にも上がるとだんだん世の中が見えてくる。

少なくとも僕は一握りの才能をもって生まれた人間ではないということに気づく。

物語にでてくるような何でもできるスーパーマンにはなれそうもない。

それでも没個性への志向自分好奇心が強いという核にブレはなかった。

けれど、実際のところそれは心の持ちようでしかなく、

好奇心が強く色々なことを経験したかったはずの僕は、何か行動を起こすというのにはいつも消極的だった。


歳を指折り数えられなくなった頃、世界は大きく広がった。

自分の手が届く範囲だけでも見落としてしまいそうなくらい小さなものから、すぐに目に付く大きなものまでたくさんの選択肢がある。

そのそれぞれから続く道は更に遠くどこまでも伸びてゆき、いくつもに枝分かれしている。

多くの友人が一番大きく太い道を、特別な何かを持った幾人かはそっと違う道へと逸れていく。

僕はというとあれもこれもと言っているうち、とうとう時間がなくなってしまいしぶしぶ皆と同じ道へ。

そうしてそんなことが何度か繰り返され、大きかった道もだんだんと狭まっていき、仲間も減っていく。

結局僕は目移りをしていただけだ。

寄り道することも、それらに触れることすらもなく綺麗に舗装され踏みならされたその道をまっ更な靴で歩いている。


気づけば大学4年生。

何にも挑戦することなく、もちろん何の実力もなく、周囲と自分を騙し騙し生きている。

あと半年

人生モラトリアムを終え社会に一歩踏み入る準備期間。

これから待っている残りの人生子供のころ憧れていた僕とは程遠く、思い描いていたものとはだいぶ違ったようだ。


本当にしたいことが、やってみたいことがたくさんあったのに。

何一つ手をつけることすらしてこなかった。できなかった。

決意を新たにし、覚悟を決めたのは10回や20回なんてものではない。

何百、何千回と心にリセットを掛け、道具や思い出を大切なきっかけに見立て、人に伝えることで退路を絶った。

しかし、それが行動に移ることはただの一度もなく、代わりに腰についた鎖だけが重みを増し、より立つことを困難にしていく。

自分は何かに挑むことが、何かを頑張ってみることが、それができない、そういう生来の特徴を備えた人種なのではないだろうか。

そんな風に考えるようになっていく。


でも、本当はそれでよかったのかもしれない。

挑戦しても、頑張ってみても、成功することなんて滅多にないのだ。

わざわざ敗北者になりたいの。どうせできっこない。

今の自分を、今までの自分を認めてあげようよ、自信を持とうよ。

そんなことを考えてしまう自分の心がどうしようもなく気持ち悪くて、自ら作った防護柵をがしがしと音を立て壊していく。

そうして残った自己嫌悪だけはしっかりとそこに根を張り、

ああ自分ダメ人間なんだ、と諦めの念ばかりが強まる。

自信や自己実現なんて成功に必要な好循環からは遠ざかる一方だ。


常に揺らぎを持って自分を定位置に留めていたくない。

理想はそうあったのに、口だけなら今でもはっきり言える。

でも、現実はほんとうに同じような毎日の繰り返しで、決まって同じ場所にぽつんと立つ自分がいる。

なぜここまで心と体で乖離できるのだろう。

こうして日々を過ごしていけば、嫌でも自分というものがわかってくる。

自分に何かの才能がないことを知った時よりも、自分にはスタートラインに立つ勇気さえないと気づいた時の方が何倍もショックだった。

思いが行動に繋がるにはほんとうにいくつもの壁がある。

周りの人間がひょいとその壁と軽々しく飛び越えていくのを見るたび、より壁が高くなったように感じられる。


しかし、僕も来年には社会人となる。

こんな気持ちは学生ありがちなものとして、いつしか忘れることができるのだろう。

中二病というやつをこじらせてしまっただけなのかもしれない。

でもいつなのだろう。


これまでも幾度かあった。

心のなかで燻っていたものがいつの間にか消えているのに気づいてしまいそうになることが。

違う。まだなくなってはいない。

そんなように感じるだけだ。

でも、まだ確信ではないのだけれど。

それを確かめるのが怖い。

認めたくない。

そうしているうち少しだけ、ほんの少しだけ息を吹き返す。

それを感じ、まだ自分には願い想う心だけは残っているのだと、ほっと心底安心する。

でもいつか本当に消えてしまう日がくるのだろう。

いつなのだろう。

挑戦したいと思う気持ちまでもがきれいさっぱり消えてしまい、可能性すら失うのは。


願わくば自分がこれを書いたことをきっかけとして大きくそして初めての一歩を踏み出さんことを。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811141336

27ではじめて彼女できたけど、1年で別れた。

こっちから別れたというよりも、あっちがいろいろと耐えられなかったらしい。

嫌われたというよりも、なんか会えないのがつらいとか、相手側の自己嫌悪とか、そういうのがもろも混じって、

フラれた、というよりも、「そんな辛いなら別れようか」という感じで、わかれた。

都会に俺は生きにくいのか。

俺の前の電車のオッサンはなんか知らんがイライラしているし、

道行く人は舌打ちをして無言と早足で通り過ぎていく。

一期一会がばかばかしく思えるのは都会だからなのか。

仕事というよりもむしろ人間関係モヤモヤし、仕事にも手がつかない。

ストレスを発散しようといっても、いつも愚痴っているのも格好悪いし、

そもそもそそんなに友達がいるわけでもない。

街をさまよっても何があるわけでもなし、疲労感と倦怠感を感じ、

それを発散させようと物欲や食欲、性欲にに走る。

精神を病むのも無理はない。

何を求めていたとかを見失うと、やる気をなくすのは時間の問題である。

なんで人間、何で人間があんなに刺々しくなれるのか、本当にわからん

クズクズのような目で見られる自分もまたクズであり、そんなクズ自分自己嫌悪する。

ああいやだいやだ。とてもいやだ。乗っていけない自分が本当にいやだ。

2年前はこんなんじゃなかったはずなのに。なんでこうなってしまったのか、

夢見る自分に気づいてしまった凡人がいるだけだからなのか。

あああ、これからどうして生きていけばいいんだ。

何を守るにも気持ちがこもらないとだめだし、社会的非常識自分

これから漫然と生きていても大していいことがあるとはあまり思えない。

コンプレックスプライドにしばられ、恥ずかしさやさげすみを恐れて生きるのはいやだ。

何がしたいんだと大声で叫ぶような度胸すらないような小さくまとまってしまった

卑しい自分をなじってやりたい。でも痛いのはいやだし、安全なのがいいと思ってしまう。

平穏か、平穏がそんなにいいのか。何が楽しい自分の欲求を満たせるからなのか?

まだ恵まれていると思いたいのか?自分より苦しんでいる人間を見てメシウマな気持ちになりたいのか。

ああ、あさましい。人間の卑しさ、いや、自分の卑しさを捨て去ろうとしてももうヘドロのように

思考からこびりついてはなれず、人生半ばにしていかに生きるべきか迷う。たぎりたい。

愛想笑いはもういい、感情をぶつけたい。なんで俺は笑っているのかすら自分でもわからないし、

作られたルールなるものにあいまいにしたがっているもうそんなものはいいんだ、暗黙のルールはいい、

俺は非常識でいいからもう俺を一人にしてくれ、ほっておいてくれ、でもひとりはいやだ、人と話したい、

気持ちを分かち合いたい、希望を見つけたいと悩む。悩むことこそ若さであるならば、そんなものはいらないし、

都会のこの空気もいらない。人間多すぎるんだよ。どこがどうゆがんでいるのか、もうわからない。


自分が正常なのか?他人が異常なのか。

2010-08-10

処女厨処女崇拝は自己愛であり、非処女叩きは自己嫌悪である

http://anond.hatelabo.jp/20100810111005

処女厨は、自分理想形を処女に置き換えて、誰からも振り向いてもらえない実際の自分非処女に置き換えているんだと思う。

処女厨は、自分に新品としての価値があると思ってて、新品である自分中古より上で中古を見下せる存在だと思っているが、これはまさしく彼らの思い描く処女の姿。

一方で、自分が叩かれるのは、自分たち男に振り向いてもらえない中古が嫉妬してるからだと勘違いしているが、本当は処女厨こそが処女からも非処女からも振り向いてもらえなくて嫉妬している存在

だから、処女厨処女を崇拝するのは自己愛だし、処女厨非処女を叩くのは自己嫌悪

2010-08-09

人って簡単に傷つくものなんだね…。

どれだけ傷つけたのだろうか。自己嫌悪…。

なるべく人を傷つけない方法ってどうすればわかるんだろう。

2010-07-30

女子生徒に恋をした高校教師の話

変態教師の相談

40代の高校教諭英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され。それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。

妻と2人の子供にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。

でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるくらい没入してしまう女子生徒が出現するんです。

今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振る舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちら見てしまいます。

その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします。

自己嫌悪に陥っています。

もちろん、自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的な行動に出ることはないという自信はありますが、自宅でもその子のことばかり考え、落ち着きません。

数年前には、当時好きだった生徒が、卒業後に他県で水商売をしているとのうわさを聞き、ネットで店を探しました。

自分にあきれながら、実際にその街まで足を運びましたが、結局店は見つかりませんでした。見つけていたら、きっと会いに行っていたでしょう。

教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか。

作家の回答

私は学校を出ると、東京日本橋広告代理店に勤めた。

が、この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、1日2食しか飯が喰えなかった。

北海道東北への出張を命じられると、旅費の半分は親から送ってもらえと言われた。

仕方がないので、高利貸から金を借りて行っていた。生まれて初めて貧乏経験した。2年半で辞めた。

次に勤めたのは総会屋会社だった。金を大企業から脅し取るのである。高給だったが、2年半で辞めた。

30代の8年間は月給2万円で、料理場の下働きをしていた。

この間に人の嫁はんに次々に誘われ、姦通事件を3遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かった。

人は普通自分人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。

しかし私は不幸なことだと考えています。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。

世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。

生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。

従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。

あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。

破綻して、職業名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かということが見えるのです。

あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。

そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。

せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。

そういう人間が世の9割です。

私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、31歳で無一物になった時です。

世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。

でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。

阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。

2010-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20100729032356

ちょっと自分を責めすぎじゃないのか。普通っちゃ普通じゃないかね。

そもそも、100%純粋に相手のためだけに何かしている人っているのかな。

何%かは自分のためっていうのが入っちゃうもんじゃないかな。

恐ろしいのは「自分は100%相手のためを想って行動している!」と信じて疑わない人。

自己嫌悪に陥っている分、大丈夫なんじゃないかと思う。

とにかくお疲れさん。

こういうことを吐き出すには増田は確かに便利だ

先週末、とある女性告った

その後のメールで、まあ脈がないわけでもなさそうなんで、これから誠心誠意アタックかけていこう、と思っていた矢先、電話が入った。

仕事中だよね、後でかける」と言われたので、帰宅してからこっちからかけた。

長年非モテやってきた身としては、結局ふられるのかという予測90%、OKが出たらいいなの願望10%ぐらいだったんだけど(だからその後は仕事は手につかなかった)、結果は予想外だった。

彼女が飼っていた猫が死んだそうだ。用件はそれによる約束キャンセル

電話越しに泣いている彼女に対して、何もできない自分の無力さ。

帰宅して電話をかけなおすまで、自分がふられるのかどうかとか、そんなことばかり延々考えていたことに対する自己嫌悪

気の利いた慰めの言葉ひとつも見つかればいいんだが、とも思うけどそれもできず、かつ、こういう状況を、自己ポイントアップに使おうとしている自分に対するさらなる自己嫌悪。とはいえ、まあこれは、あっちが多少なりとも楽になってこっちもポイントアップならそれはそれでいいんじゃないかとも思う汚れつちまつた俺。

なんだかんだで結構きついので酒飲んで寝る。おやすみなさい。

2010-07-26

我が輩はモテるに非ず。

中学生時代に女子に虐められてからというもの、

大学卒業まで長い長い非モテの時代を過ごした。

そんな私であるが、社会人になってよき先輩や同僚と知り合う事ができ、

なんと彼女も作ることができた。未だに信じられないのではあるが、

事実なので、いかんともビックリしている。


さて、こんな月曜日になろうとしている深夜に(おそらく投稿する時は月曜になってるだろう)

ぐだぐだと長文を書き始めたわけだが、それは、私の経験がもしかすると

同じような事で落胆している多くの男性諸氏(時々女性もおられるだろうか)に

上手くやる方法をお教えできるのではなかろうかと思ってのことである。


ここからは、すこし私の話となり、恐縮なのだが過去10年以上非モテであった私は、

決して女性に興味の無いタイプの男ではなかった。

むしろ人一倍性欲が強い人間であり、

高校、大学時代も非常に女性に対し強い興味関心を持ち、常にアプローチを行ってきた。

隣の女子高校にて文化祭あれば、おなじような男子学生の同級生と

血眼になりながらチケットを貰い潜入したり、大学で後輩の女子が入ってきたといえば、

新人歓迎という名目の飲み会執拗に番号を聞き出そうともした。


しかし、私の方法ではただの一度も成功をした試しはなかった。

大学卒業するころには、惚れた女性の数は100人を超えたのではないかと思う。

そして、告白をし断られた女子の数も同じだけ増えていた。

大学卒業後、社会人になりやはり女子には非常に気を取られる毎日ではあったが、

大学時代に四方八方に告白したことにより人間関係が悪化し

大学に非常に行きづらくなってしまった経験考慮し、しばらくは女子に対しての

アプローチを行わないように注意して行動した。親しく話したり、食事したりしてしまえば

私のこの良からぬ欲求は彼女に対して向けられると思い、そうした行動も禁止とした。

当然、同期の女子とはほとんど触れ合う事がなくなった。とても可愛らしい彼女たちと同期会など、

同じ席で無言で酒をすするのは苦痛であったがなんとか堪えた。

そんななか、5月も過ぎようというころNという同期の男子と仲良くなった。

Nは私とは違い非常に社交的で、また美しい彼女が居た(写真を見せてもらった)。

私とは真逆タイプなのだが、彼と話していると非常に気が軽くなり、

気付けば毎週のように呑みに行く仲となっていた。


彼と呑み始めて1ヶ月も経った頃、私の女性の遍歴について話す機会が訪れた。

すぐ人を好きになる事。しかし、すぐにふられてしまう事。

いっそそれならばと、会社女性には変な気を起こさぬよう自重していることなどなど。

だいぶ酔っぱらっていた事もあるのだが、心の関が壊れたかのように私はしゃべり出した。

Nはしばらく黙って聞いてくれていたが、最後にこういった。

「J(注:私)は人を好きになると言うことが解っていない」

と。正直、まったく理解できなかった。燃えるような思いに心焦がされ、

場合には相手の家の近くまでいってしまうような、狂うような強烈な思いは

なんだったのだろうかと。即座に、彼にそのように反論をした。すると、彼は


「誰かを勝手に好きになる所まではJの考え方で良い。ただ、それを行動に移した瞬間に

意味が変わってくるんだ。」


この先、Nは随分と長い時間をかけ、私に「好き」というコトバの暴力性を語ってくれた。

Nが言うには、受け入れられない言葉は別の意味にすげ替えられるという。

例えば、「好きです」という言葉を拒否するとした場合、「あなたを性欲の対象としてみています」

という言葉になり「性欲の対象として受け入れてくれなければ、わたしは何かを犯してしまうかもしれません」

という事でつたわっているのだという。


なるほどと思った。


私は(実際にそうなのだが)100人近くもの女性に対して、「性欲の対象として受け入れてくれ」と

連呼していた事になる。大学時代に、さまざまな人間関係がおかしくなったのもうなずけた。

私は、Nにすがる思いで聞いた。「では、どうすれば好きになって良いのか?」と。すると、


「すべては言われた側が決める事。つまり、好きですと言う相手のことを死ぬ程考えるしかない。」


Nが言うにはこうだった。

相手の好きだと思うものを調べ、知識を仕入れておく事。相手の好きな話をすること。

相手の好きな食べ物、苦手な食べ物を把握して、相手の好みのお店に食事に誘う事。

好きな相手を褒める事。褒める際は、相手のがんばっている事を褒めること。

私は、彼の言葉一言一句忘れないよう耳を峙てた。

「そして・・・」

と彼はひと呼吸して、話し始めた。


「J自身を無くさない事。」

と言った。Nの話では女性に対してのサービス

(好きなものを与えたり、話したりする)はあくまでも入り口

もしくはオマケでしかないということなのだそうである。

「Jの説明くさい所とか、自己嫌悪が強い所とか、趣味が深い所とかそういうの、

好きって言ってくれる女子がきっといるし、そこで勝負しなかったら駄目だよ」

しかし、私は圧倒的に自分自身の内面に自身が無かった。

その事をNに正直に申し伝えると、意外な返答が帰って来た。

Nでさえ自分内面と波長があうような人間は多く無いとのことだった。


「でもさ、J。波長の合わない女の子は友達として仲良くするんだ。

そうしていると、波長の合う子を紹介してくれる事がある。」


ということだった。実際Nは会社で既にもう何回も飲み会

参加しているようだった。さて、私はその後、Nの協力により

数ヶ月で彼女を作ることに成功するのだが、それはまた別のお話

2010-07-19

借りぐらりのアリエッティを観て

最初の方のアリエッティ一家の暮らしぶりを見て、

こういう生活だったらゴキブリがすっごい怖いだろうなーって思って、

次に、もしかしてこれってゴキブリ擬人化萌え物語じゃね?と思った。

そして、そう思った自分自己嫌悪して死にたくなった。

その後のストーリーはほとんど覚えていない。

2010-07-18

処女厨の連中が嫌いだ

偏見だが、処女厨の連中が嫌いだ。

自分オタク仲間のうち、アニメとかのヒロイン処女でなきゃダメみたいなことをいう連中が、正直なところ、気にくわない。

連中は処女じゃなきゃいやだといったり、ちょっと遊んでたりする女をビッチ呼ばわりしたりするが、意外と紳士的だったりする(変態紳士という意味でなくてジェントルというほうで)。女子供に優しくするのは当然という感じで、DV児童虐待の話題をふると義憤を燃やすし、普段の行動を観察すると、妊婦さんのためにお店の扉を開けてやっているところを見たことがある(たまたまかもしれないが)。

でも、俺は連中がなんだか気にくわない。なぜかといえば、連中はけっこうな確率がで自分の女を殴るからだ。連中がなぜ自分彼女を殴るのか俺にはよくわからない。よくわからんといえるのは話を聞けば、いろいろなことが重なってまあムカつく状況にあったのだろうとは想像できるからなのだが、殴るところまでいく点については俺にはわからない。俺は人間ができてないので不満の固まりみたいなところがあるんだけど、我慢しきれないときは、逃げることにしている。周囲に八つ当たりして人間関係むちゃくちゃにするよりひとりぼっち自己嫌悪に陥っているほうが少しだけマシだ(マジで少しだけな)。

正直なところ、連中が自分の女を殴るのはどうしてなんだろう。彼女の帰りが遅いとか、飲み会の席に男がいたとか、そういうのは他愛ない出来事だとおもう。たぶんそういうのはきっかけに過ぎなくて、日常の生活でなにか不満があり、溜まっているんじゃないかと俺は推測している。まあそういうのはわかる。でも、だからといって殴るのは飛躍し過ぎているとおもう。疲れたり、いやなことがあったりしたときに、八つ当たりしてしまうのは、まあ仕方がない。でも限度があってせいぜい口論する程度だろ? 特に家族とか友人とか彼女とか、長い時間一緒にいる相手だと、不満を吐き出すことはあっても、自然に加減してしまうはずだ。できなきゃ家族は離散、友人からは軽蔑を受けるもんだし。

「殴るのはやり過ぎじゃないか」と連中にいってみるが、なかなか聞く耳を持ってくれない。連中は、殴るのは仕方のないことだとか、教育的指導みたいなことを言ってくる。自分相方の悪いところを改善するための努力しているのだみたいなことを言いたいらしい。しかし2人の関係の外にいる俺からはそうは見えない。

いま書きながら「ヒロイン処女じゃなきゃだめだ」とかいう人々が俺に対して「偏見ばかりぬかすな」と怒っているところを想像した。これを読んでいるあなたがどんな人なのか知らないが、俺にたいして「お前、偏見語りすぎ」とかいうのは、とても正しい意見だ。

でも、俺の周りにいる連中で、処女厨的な言動をとる連中のうち、数えてみると、6割がそういう動きをしている。これは変な数字じゃないか。俺1人の視点からの観測にしても高過ぎじゃないか。

もしこれが変じゃないとしたら、世の男どもはかなりの割合で自分相方を殴っていることになる。それとも俺の見方がそもそも変で、世の男というものは自分の女を殴るものなのか。

なんにしろ俺が自分の周りにいる連中の言動のせいで処女厨に悪い偏見を持っている。

別に主人公以外の男とやっていてもいいだろう。それくらいでビッチっていうのはどうかしている。

考えてもみろ、自分母親自分の父親以外とも付き合った経験あるだろう、いちいちいわんだけで。

他の男とやった女をビッチ呼ばわりすることは自分母親ビッチ呼ばわりすることになる。それは変じゃないか。

そういえば、マークサルツマンって人がプリズン・ボーイズって本でこんなようなことを書いていた。うろ覚えなんだけど、

自分母親ビッチ呼ばわりする奴を相手する価値はないって。

2010-07-05

Twitterを始めてから今日でぴったり1年。どっぷり浸かって年間3万ツイート。フォロワーとかはあまり気にして無いけど「この人面白いよ!」とか言われたりして350人になった。ダジャレURL愚痴しかつぶやいてないのに。

んで、Twitter疲れでは無いけど、というか前々からあった人間不信(笑)自己嫌悪(笑)が昨日今日になって突然大きくなってきた。元々構ってちゃんだから常に誰かと慣れ合っていたいんだけど、Twitterでリプライもらってもスカイプで向こうから凸が来たのはコンタクト依頼除いたら1年で3回だけ。この間機会があって初めてふぁぼったーを見たけど、面白いとか言われている割には400くらい。別に「これだけがステータスなんだ!ふぁぼられてない!ムッキー!」なんて全然思ってないんだけど、少なくとも「面白い人間ではないだろう。赤ふぁぼ?無かったよ。

スゲー失礼なんだけど、つぶやき過ぎてウザいから褒め殺ししてTwitterをやめさせようとしてるのかなって思ったりもしてる。持ち上げて落とすみたいな。平成竹下登中学の時2回それ経験してるからなんとなく今とかぶる部分もあるんだ。

Twitter流行する以前に交流あった人をフォローしてもフォロー返しされない。されても3日でリムられたこともあった。まあTwitterはゆるい人付き合いを売りにしてるからそれでも別に構わないんだけど、リムられた時はさすがにグサッと来た。

いつもリムられるたびにウジウジ言ってる上に構ってちゃんで目立ちたがり屋でお調子者、それに加えてつまらない。そんな人間に付きまとわれたら少なくとも俺はブロックしてスパム報告もしてる。@つけて死ねって言ってるかもしれない。

もしかしたらスカイプで「今度はどうやってアイツを踊らせようかwww」みたいな会話をグループチャットでしてるかもしれない。そう思うとタイムラインを見るのも怖くなる。まあ本当の所はどうでもよすぎて話にも上がってないんだろうけど。

四六時中俺の事考えてる奴なんて俺ぐらいしかいないっての。さっさとTwitter辞めちゃえばいいのに。

俺のツイート見ながらニヤけてる人なんて間違いなく俺しかいない。ああ気持ち悪い。死ね死ね

会社では結構嫌われてます。映画版電車男で主人公が端っこにいたじゃん。あんな感じ。一種の孤島で仕事してる。

そりゃ普通の人付き合いですら嫌われ者なのにネットで心の底から「面白い」なんて言われるわけがない。

やっぱり俺って人付き合い向いてないなって思った、そんな会社での昼下がり。

仕事が一段落したらダジャレ連投再開しよっと。

2010-07-04

リストカットに対する世間の目?

進路や部活で忙しい最中、私はR先生勉強を教わっていた。R先生は30代前半。担任になれない先生(何て言うんだっけ?)である。ちなみに結婚はしていない。お世辞にも魅力があるとは言えないし、頑張って格好よくしようとしているのが逆に痛い。まあそんなことはぶっちゃけどうでもいい。R先生は話好きなようで、私が問題を解いている間もひっきりなしに色んなことを喋っていた。こっちは集中しているから黙ってほしいと思いつつ、愛想笑いを浮かべていた。私が問題を集中して解きかかったときに、R先生は言った。

「俺、生徒から2回告白されたことあるぞwww」

他人の恋愛歴なんてどうでもいい私だったので、そうなんですか、と流したつもりだった。しかしR先生は続けた。

「しかもふたりとも、これしてたのwww」

これ、と言いながらR先生は、左手首を出し、右手人差し指でそこをなぞった。所謂リストカットの動作だった。そうなんですか、と言いつつ、私は若干興味があった。R先生恋愛歴ではなく、R先生リストカットについてどのような考えを持っているのかについてだ。私は解きかけの問題集から目を離し、R先生へ向けた。するとR先生は嬉しそうにして、また話し始めた。

「一人目の子は昔やってたらしくてwバレンタインの日に『好きです』って言われてwでも俺教師だからそれは駄目って言ったんだけどw」

「二人目の子はあれやってて、傷とか腕から見えんのw俺びっくりしちゃってwww泣き出したら切っちゃうから親呼んだりとかしてwwwww」

これは自慢話のつもりなのか、はたまたオカルト話をしようとしているのか、私にはわからなかった。R先生は笑いながら話していた。私はどういう顔をすればよいのかわからなかった。とりあえず笑おうと思っても笑えなかった。そしてR先生は言った。

「ありえないだろ!w気持ち悪いよwwだってさあ、リストカットするって頭おかしいんじゃないの?って思うじゃんwww」

私はR先生が教師になれない理由がわかった気がした。教師は生徒に対して無関心若しくは生徒の心のケアをする存在であると思っていた私は、少しだけがっかりした。そして、世間のリストカットに対する考えを聞いて、とても悲しくなった。

なぜなら私は、昔リストカットをしていたからだ。

先程も言ったようにリストカットをする理由は様々だが、私の場合、痛みを感じたら嫌なことを忘れられるからだった。その頃の私は父親がいない寂しさや母親から感心されない悲しさ、うまくいかない友人関係などで、心が不安定だった。今その行為をすることはなくなったが、古傷は腕にしっかりと残っている。その傷を隠すために半袖は切ることができないし、温泉に入ることも躊躇ってしまう。そして何度も「なぜこんなことをしてしまったんだろう」と自己嫌悪に陥る。

「俺変な奴ばっかに好かれんだよね~www」

世間からすれば、R先生普通で、私が異常であるかもしれない。でも私からすれば、R先生は異常で、私は普通だと思った。どこにだって悩める女子はいるわけで、解消する形は人それぞれというだけなのだから。相手のSOSを無視してそれを笑い飛ばすR先生は、やっぱり私には異常に見えたのだ。

いてもたってもいられなくなった私は、そうですね~あっ、もうこんな時間だから帰らなきゃ!なんて嘘をついて、R先生さよならを言って、教室を静かに去った。そして私はトイレへ駆け込み、声を枯らして泣いたとさ。

めでたしめでたし

2010-07-01

ああ、自己嫌悪

今まで増田で50本くらいの記事を書いてきた。

煽りのための一行記事もあれば、結構真面目に考えた20~30行近い記事もある。

たいていの記事に対して、はてブはせいぜい0~2個、まれに3~5個つく程度だった。

はてブの数はそれほど気にしていなかった。

0~5個の違いなんて誤差でしかないし、ある時期は手当たり次第に、はてブをつけるボットのようなものすらあった。

そんな中、ある記事が30個近くはてブを付けられた。

自分はてブの数を見たとき、一瞬喜び、次の瞬間落ち込んだ。

自分はこんなことに感動を覚える、一般人だったんだという落胆。

普段、

ネトウヨも下らない」

サヨクも下らない」

政治家も下らない」

公務員も下らない」

社畜も下らない」

フリーターも下らない」

「一般大衆なんて下らない」

と、さんざん世間というものを見下してきた自分

そんな自分がたった30人ばかりの人間に注目されただけで、舞い上がってしまったのだ。

普段あれだけ斜にかまえていた自分本質はこんなに薄っぺらいものだったのだ。

二十代半ばの自分は未だに中二病をひきずっているのだ。

ああ、自己嫌悪

仕事で失敗した。

取り返さなきゃいけない。けどできるかな・・・ここんとこミスばかり連発していて自己嫌悪。周りのみんなに「すみません」連発しまくって、すみませんしかかける言葉がないからなんだがもう「すみません」すら薄っぺらく聞こえてしまいそうで嫌になる。新人でもあるまいし。

少し休みたい。

2010-06-29

はじめて仕事楽しいと思えた日

仕事やりがいだとか言われるような、仕事全体の中の楽しい1%の部分を今日体験できた。

それまでは、3ヶ月たつまでみそっかすとして、自己嫌悪の毎日だったのに。

恥ずかしい話だけれど、就職面接志望動機で語ったやりたい仕事まさにそのものだった。笑

その他部分のいやなことも、この1%を知ったおかげで凄く楽しいことに思えた。

他の所で我慢していれば、その1%の順番がいつかくる。みたいな勝手自分理論なのだけれど。それでも楽しいことに思えた。

単純な話だけれど、仕事が出来るようになれば仕事が楽しくなるんだなぁー。

単純なことだけれど、自分がしたことで感謝されると、仕事が楽しくなるんだなぁー。

街に、社会に、嬉しい人を増やせるように相手が気を遣ってくれたら、

しっかりと笑顔言葉で返してあげようと思った。

2010-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20100627020707

お互いに底辺のネトウヨ差別主義者だったってことを確認しただけじゃん。単なる自己嫌悪でしょ。

ていうかネトウヨって人種を客観視できてないんじゃないの?ネトウヨって普通に差別主義者選民思想だからね。あぁ、ネトウヨ自身には自覚ないから分かるわけないか。

2010-06-24

リア充

リア充爆発しろ!とかよく聞くけど。

ノリだけで言ってみたりするけど。

リア充の範囲は人によってさまざまだが、一般的には「交際相手がいる人」のようだ。

リア充というのは往々にして問題を持ち込む存在であるから爆発しろ!と言われているのであると思っていた。

が、そうでもないらしいことを最近知った。

あれは嫉妬と羨望を込めた自虐ネタだったらしい。

解せぬ。

交際相手がいることはそれほど重要だろうか。

羨ましいだろうか。

世の中みんなそんなに恋愛がしたいのか?

彼氏だの彼女だのが欲しいのか?

そんなに誰かの特別な存在になりたいだろうか。

そもそも恋愛とかいうバカげた存在がいけないのだ。

恋愛に縁が無い、などという人間が実にうらやましい。

あれはこちらが求めなくても向こうから降ってくる。

オタクだから、容姿が悪いから、太っているから、などというのは全くアテにならない。

自分容姿は鏡でよく知っていたから油断した。

よくよく考えれば世の中いろいろな嗜好の人がいるのだから、どんな容姿でもプラスにもマイナスにも働くのは当然である。

しかし男女間の友情など存在しないというのが痛いほどわかった。

こんなに理不尽で納得がいかないことは無い。

男女が永遠に良い友人で居続ける方法を発見した人がいたらノーベル賞を送りたい。

誰かが発見してくれることを切に望む。

それにしても何が一番厄介かというと、色恋沙汰は伝染性であることだ。

感染力が非常に高い熱病だ。

様々なものが疾患扱いされている中で、何故恋愛が疾患認定されないのか全く解せぬ。

そもそも恋をしている人間と言うのははたから見たら病気にしか見えないと言うのに。

病原体だの菌だのだと思えば、説明がつくのだ。

普通人間には感染るし、抗体を持った人間には感染らない。

かく言う私はアナフィラキシーショックを起こした。

体に合わないものは毒だ。

そんなわけで、リア充にならぬよう日々を過ごしている。

やりたいことは様々とあるが、その中に愛とか恋とかはないのだから仕方ない。

非難されるいわれもないし、自己嫌悪する必要もない。

人は一人で死んでいくのだし、生きていく間も一人であったからと言ってなんらネガティブにとらえる必要はないのだ。

2010-06-21

ラジオ感想考察

自分に当てはめての感想

へりくだりではない

私なんて

私なんかが

というのは当時10代の私にとっては公平で客観的な自己分析のをした上で、辛辣意見を言ったつもりだった。他人に対しては事実でもなかなか辛辣なことはいえないから、せめて自分自身について語るときは歯に衣着せぬ物言いをしたのだった。つまりそれは評論であって自分をこき下ろしたにすぎない。だからそれはへりくだりや謙遜ではない。当時の私は自分ダメであると言う考察と結論にそれなりの自信を持っていた。ただし(矛盾するようだが)それは自信のなさや自己嫌悪と相関する思考ではあった。あるいは自信のなさ・自己嫌悪をこそ基盤に発生した思考だったかもしれない。

「私なんかが」というへりくだり方は何故「逆に失礼」と言われるのだろうか?

私はへりくだった発言のつもりは無かったが。

おそらくは自分にものを依頼してきたあなたの見る目は良くないというメッセージとなり得るからだろう。

というかそもそも失礼とはなんだろう?

事実意見を区別することは大事だ。

しかし、これは当たり前ではあるが、客観的事実を述べることが自分意見を暗示・示唆することはよくあるので注意されたい。事実を述べる行為自体が意見の表明となるのだ。正確いえば、意見だと解釈されかねない。例えば学校の入学試験に挑もうと言う人に対して「あなたの成績は〈客観的な数値〉です」と応じることは、場合よっては励ましの意見であり別の時には「無理だね」と言っていることになるなど、そういったことである。

2010-06-18

非処女になってしまった女処女厨の末路

少し前、三年半付き合った彼氏に振られた。

極端な表現に思われるかもしれないが、もう、自分には恋愛結婚市場に参入する価値があるとはどうしても思えない。

元々、私は比較的旧式な厳しい両親に育てられたため、男女交際や婚前交渉といったものにあまり良いイメージを抱いていなかった。

そのせいか、処女厨と呼ばれる人々の主張には共感するところも少なくない。

(ただし、婚前交渉を避けたほうがよいのは男女共にそうだと思っているし、また、自分と関係のない他人の婚前交渉については特に否定するつもりもない)

ほとんどの親族恋愛することなくお見合い結婚しているし、自分もそうするのだろうと漠然と思いながら、高校まで過ごしてきた。

ところが、大学に入り、ゼミの先輩に心惹かれた。頭の切れる、真面目で素敵な人だった。

恋愛というものをできれば避けたいとすら思っていたので、これはただの脳内物質の仕業、と自分を納得させて、ひっそり胸に秘めておこうと決めていた。

しかし、先輩も私に好意を持ってくれて、告白を受けた時にその決意は揺らいでしまった。

少しだけ罪悪感を覚えながらも、両親には内緒で付き合いだすことになった。

一年半過ぎて、結婚の話もちらほら出てきた頃、彼に処女を捧げた。お互い初めてだった。

それまで、彼が私のことや婚前交渉を避けたいという私の意思を、とても大事にしてくれたせいもある。でも何よりも、彼に喜んでほしかったし、彼となら、と思ったからだ。

振られてしまった今でもやっぱり、彼と関係を持ったこと自体は後悔していない。

ただ、別段本気で信じていたわけではないが、初めて結ばれた日に「一生大事にするよ」と言った彼の言葉を今でもぼんやり思い出す。

振られる直前の数ヶ月、彼がなんとなく冷めてきていたことは気づいていた。

だからこそ、初めてを捧げた彼に嫌われたくないと思うあまり、しつこくしたり不安がったりしてしまい、彼が余計に冷める、という悪循環だったようだ。

結局、「負担に感じる。もっと落ち着いた付き合いが出来ると思ったけど、無理みたいだから」と振られてしまった。

今でも、彼のことが好きだ。でも、それではいけない、断ち切ろうと努めている。

時には、他の男性を素敵だと思うこともある。

しかし、まだ振られて数ヶ月程度なのに他の男性にときめく自分自己嫌悪する。

また、もう処女でない自分は次の男性と付き合う資格、ましてやお見合いする資格などないんだ、仮に付き合ったとしても結婚なんて許されない、と考えてしまう。

頭では、気にしない男性もいるはず、とか、男性側も童貞でなければおあいこではないか、と思うのだが、感情としてはこれらの反論で納得することが出来ない。

最初の方で婚前交渉を避けるべきなのは男女共にだと思っている、と書きましたが、童貞でない男性とも結婚する資格がないと感じる点で、いわゆる女性差別型の処女厨の方のような思考パターンと似ているところがあるのかもしれません)

どうしたら楽に生きられるんだろう。仕事に生きるしかないのかな。

2010-06-06

何かを志半ばで辞めることを俺が全力で肯定する。

例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。

俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイト半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。

20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイト求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftWord,Excel,Access資格をとってデータ入力バイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者レッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。

ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会クズクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービス付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。

辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。

辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走プロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分フィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールド確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。

俺は俺の人生を100%無理矢理自分を騙して騙して嘔吐しそうになりながら何とか肯定する。本当はクズなことはわかっている。

ただそうやって生きていくしかできない俺を俺が肯定しないでどうするんだ。

2010-05-31

母日誌

良好。ただし愚痴は多い。

あんまりうるさいのでうるさいですと伝える。

自己嫌悪に陥るので、どっちもどっちのような気もする。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん