2010-06-21

ラジオ感想考察

自分に当てはめての感想

へりくだりではない

私なんて

私なんかが

というのは当時10代の私にとっては公平で客観的な自己分析のをした上で、辛辣意見を言ったつもりだった。他人に対しては事実でもなかなか辛辣なことはいえないから、せめて自分自身について語るときは歯に衣着せぬ物言いをしたのだった。つまりそれは評論であって自分をこき下ろしたにすぎない。だからそれはへりくだりや謙遜ではない。当時の私は自分ダメであると言う考察と結論にそれなりの自信を持っていた。ただし(矛盾するようだが)それは自信のなさや自己嫌悪と相関する思考ではあった。あるいは自信のなさ・自己嫌悪をこそ基盤に発生した思考だったかもしれない。

「私なんかが」というへりくだり方は何故「逆に失礼」と言われるのだろうか?

私はへりくだった発言のつもりは無かったが。

おそらくは自分にものを依頼してきたあなたの見る目は良くないというメッセージとなり得るからだろう。

というかそもそも失礼とはなんだろう?

事実意見を区別することは大事だ。

しかし、これは当たり前ではあるが、客観的事実を述べることが自分意見を暗示・示唆することはよくあるので注意されたい。事実を述べる行為自体が意見の表明となるのだ。正確いえば、意見だと解釈されかねない。例えば学校の入学試験に挑もうと言う人に対して「あなたの成績は〈客観的な数値〉です」と応じることは、場合よっては励ましの意見であり別の時には「無理だね」と言っていることになるなど、そういったことである。

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