「殺人犯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 殺人犯とは

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-08-05

宮崎勤が十万人」当時のワイドショーキャプション書き出してみた

ワイドショーレポーターコミケの会場で「ここに十万人の宮崎勤がいます!」と言ったか言わなかったかの問題について。

89年8/10(木)の逮捕コミックマーケット36(8/12土~8/13日)、明けて月曜からの新聞テレビキャプションを書き出してみた。

出典は朝日新聞縮刷版。(訂正:逮捕は7/23、別の猥褻事件です。8/10は被害者遺体の一部が発見された日です20:39/8/6)

8/14(月)午前 

日テレルックルック「検証!!幼女殺人犯の異常と凶悪の正体!!真理ちゃん事件と宮崎は無関係か」
TBSモーニングEYE殺人鬼宮崎・徹底解剖 新証言!盗撮写真誌への投稿と異常幼女性愛
フジおはようナイスデイ「特集!宮崎勤の自供を徹底追跡・ほかの子も殺害?▽結婚認めて!ピン子涙の訴え」  
朝日内田モーニングショー猟奇!!頭骨と一ヶ月!!宮崎遺体に異常執着▽朗読劇で原爆の悲惨」

8/14午後

日テレスクランブル宮崎今田勇子〟との関連」
TBS3時にあいましょう   「狂気!綾子ちゃん殺害 宮崎の犯行を徹底検証」  
フジタイム殺人犯宮崎の狂気の正体!追跡幼女殺人点と線」  
朝日こんにちは2時遺体に執着!!狂気宮崎勤孤独世界

8/15(火)午前

日テレルックルック聖子極秘帰国…明菜とは関係ない▽娘に口止め!妻が夫を絞殺▽晩ごはん
TBSモーニングEYE「悲劇・妻子5人惨殺▽マッチ激白・聖子帰国▽綾子ちゃん事件詳報」
フジおはようナイスデイ犯人宮崎の異常な執着▽娘も目撃!夫を殺害し葬儀に参列した妻の演技▽聖子帰国」  
朝日内田モーニングショー「'89夏沖縄・激戦の壕で一枚の手鏡が語る惨!元兵士が44年ぶり再訪」

8/15午後

日テレスクランブル犯人宮崎のゆがんだ性癖
TBS3時にあいましょう   幼女殺人宮崎の行動と心理▽マッチ久々発言」
フジタイム「新証言、宮崎に酷似した男が幼女を誘う現場目撃」  
朝日こんにちは2時テレビ出演していた宮崎勤友人が証言」

 

8/16(水)午前

日テレルックルック「「ドキュメント女ののど自慢女性議員大会政治も歌もヤルッきゃない!」
TBSモーニングEYE幼女連続殺人犯宮崎を徹底解剖・その残虐性に秘められた倒錯世界
フジおはようナイスデイ「殺害目的幼女誘拐?宮崎勤凶悪犯の素顔とコミック誌で作られた虚像・今田勇子」  
朝日内田モーニングショー宮崎26歳の日常と狂気▽高級婦人服の大社長水泳人名救助80人!」

8/16午後

日テレスクランブル宮崎の残虐犯行を徹底検証」
TBS3時にあいましょう   幼女殺人鬼!宮崎勤仮面に隠された異常性」
フジタイム「ゆるせない!連続幼女殺人宮崎これだけのウソ」  
朝日こんにちは2時「狂気宮崎勤・親子関係と倒錯性に迫る」

 

8/17(木)午前

日テレルックルック宮崎がTV番組に出ていた!父母が衝撃発言!異常性愛への道▽動物特集」
TBSモーニングEYE「やすしまたも暴行事件▽マッチ男の決意激白▽虐殺宮崎に新証言」
フジおはようナイスデイ主治医が明かす明菜の病状▽親類が語る宮崎の素顔▽バラバラ死体と7年間同居!」  
朝日内田モーニングショー「'89夏沖縄・激戦の壕で一枚の手鏡が語る惨!元兵士が44年ぶり再訪」

8/17午後

日テレスクランブル「やすし暴行?▽今田勇子」
TBS3時にあいましょう   宮崎予備軍は増えるか 残虐!!幼女殺害の背景」  
フジタイム「やすしまたトラブル宮崎が見た残虐ビデオ実態」  
朝日こんにちは2時「続報幼女誘拐殺人ひばり私の思い出」

8/18(金)午前

日テレルックルック聖子が涙の抗議!離婚はしません、明菜とも無関係▽宮崎アジト大捜索」
TBSモーニングEYE聖子告白!気になるマッチとの仲▽イタコが呼んだひばりの霊ほか」
フジおはようナイスデイ「詳報!聖子明菜事件離婚問題で真相告白!▽宮崎勤幼女遺体への異常な執着」  
朝日内田モーニングショー「渦中聖子梨元に告白!!▽加藤康一がんと闘う▽続報!!幼女連続殺人

8/18午後

日テレスクランブル研ナオコ愛娘▽聖子会見!!」
TBS3時にあいましょう   聖子心境告白!!マッチの仲は▽続報幼女殺害」  
フジタイム聖子告白 明菜事件と離婚問題▽研ママ愛娘披露」  
朝日こんにちは2時聖子明菜問題語る▽研ナオコ愛児披露」

・どの局も同じ時間帯(午前8時半と午後3時)に一斉に放送を始める。例外は朝日の「こんにちは2時」のみ。事件に関心を持った人間がすべての番組内容を把握しようとしても、ザッピングで細切れに視聴する羽目になる。これが番組名やレポーターが誰だったかの記憶が定まらない原因の一つじゃないかと思った。

・気になるのは17日放送の TBS3時にあいましょう「宮崎予備軍は増えるか 残虐!!幼女殺害の背景」。どうもこれがくさいな。

・やっさんとか、マッチとか聖子とか明菜とか・・・時代やのう。

はてな記法の使い方がよく解らん・・・。

2010-07-24

村崎百郎が読者を名乗るバカに殺されたそうです

唐沢俊一はこれをネタに『社会派くんがゆく!』をやってください。

死んだのが対談相手じゃどうすんのって話なんですけど、あの不謹慎な企画には似合うんじゃないかと思います。

僕が村崎百郎を知ったのはもう10年ちょっと前です。

現在でもキ○○イ御用達出版社データハウスから当時『危ない28号』って危ない雑誌が出てました。

アングラネタ満載なタイトルの通りの危ない本だったんですが、そこで文章を書いてたのが村崎百郎でした。

内容はよく覚えてないんですが、アナルオナニーアナルセックスを礼賛してたことだけは間違いないです。

同じく28号に『ケツの戦慄』って(タイトルからして)ひどいマンガが載ってまして、その原作もやってました。

作画は内縁の妻(?)森園みるくです。

大雑把な内容はこうです。

大間違いがあるかもしれませんが。

アナルセックスがしたくなったサラリーマン上司にその旨を伝えるが、取り合ってくれなかったので上司を殴って退社する。

街でいい女を見つけたので殴って部屋に連れ込む。

イく。

突然部屋の壁が尻穴になって、そこから妄想警察(だっけ? 忘れた)なる裸の男女数人が現れる。

サラリーマンが「妄想するのは俺の勝手だ!」みたいなこと言って壁の尻穴に逃げる。

妄想警察メンバーのひとりの尻穴に入って追う。

……アナルだらけでもうやだ。

ってなわけで僕は村崎百郎アナルの人って印象を持ってるのです。

殺人犯は実践本に騙されたとか言ってるみたいですが、きっとアナルオナニーアナルセックスの本だったんじゃないのかと思わずにはいられません。

激しいアナルオナニーで尻穴が爆発した(バッキー事件みたいだ)とか、上司に向かって「俺はアナルセックスがしたいから帰るって言ってんだよ!!」ってキレたらクビになったとか、どっかの女をアナルレイプしたら前科持ちになったとか、まぁ尻穴から吹く悪い風に当てられたんでしょう。

2010-07-23

私の叔父は殺された

私の父には弟がいた。

私が生まれる前に死んだ。

その叔父は、殺された。

当時、叔父の友人だった人間に殺されたらしい。

金銭問題でもめたらしい。

その末の殺人らしい。

山の中に埋められ、数日後に発見されたという。

この事実は、父本人はおろか、叔父の親である祖父母からも一言もきいたことがなかった。

ただ、私が十代前半のころ、一言だけ、祖母がこの話題に触れた。

「あの人、出所したらしいわよ」

瞬間、場の空気が凍った。

叔父を殺した殺人犯が、今も生きていて、そして、この日本社会で、生活している。


不条理というのは凶器だ。

なぜ、私の叔父は殺され、挙句山に埋められたというのに、

犯人はこの社会で生きているのか?

20代半ばで、無意味に、友人と思っていた人間に、殺されてしまう。

自分の子が、今まで大事に育ててきた子が、人生これからという時に、殺されてしまう。

あまりに不条理すぎるのだ。

そして、犯人が生きていて、同じ社会で生活をしているという事実がその不条理に追い打ちをかけるのだ。


家族を殺された遺族というのは、一生、このような不条理に精神を削られながら生きていくはめになる。





百何人もの人を殺した殺人犯が、他国で国賓扱いにされている。

犠牲者の遺族は今も耐え難い不条理と戦っているに違いない。

2010-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20100626160556

大量殺人犯に付く変なファンガールは

単にメンヘル有名人に弱いアホだろ?w

2010-06-23

恨みを晴らしたい、というのとはちがう気がする。

まず、「人をぶっ殺す」というのは、下品だ。

何が言いたいかって言うと、人をぶっ殺す前に、工場会社が気に入らないなら、自分人生を終わらせる前に、出来る事は合法的にいろいろあるよって事。

http://anond.hatelabo.jp/20100623000356

合法的に嫌がらせをするためには、精神的な余裕が必要だと思う。計算しなきゃならんから。

そもそも、そのような余裕があったならば、もっと人生を楽しめたはずだ。

だから、恨みを晴らしたい、というのとはちがう気がする。

たぶん、犯人の言う、「精神的にむしゃくしゃしたから」というのが、いちばんの理由だろう。

つまり、自分人生を終わらせるのが目的だった、ということなのだろう。ひどい話だが。

たまたま運が良くて今の俺があるんだけど、犯罪までやってたら絶対に今の俺は無いと思う。だから人を殺したり怪我させたりってのは止めよう。逆恨みでそうなっちゃう人って、本来、そう乱暴じゃない人が多い。ちゃんと話をすると出来る人も多い。極端な行動に走る前に話しをしてくれればいいのに、なぜか事後になってしまう。

同情したい気持ちはわかる。だが、殺人犯に同情するのは意味がない。むしろ、有害だ。

同情するなら、これから殺人を犯しそうな人にするべきだ。

さもないと、同情するのは、いつも、それこそ「なぜか事後になってしまう」、ということになるだろう。

だけど、むずかしいのは、「これから人殺しになりそうな人」かを、どうやって判断するかだ。

男性

就労が不安定な人?

結婚してない人?

地味でおとなしそうな人?

いかにも不幸そうな顔の人?

非常に難しい。

だからたぶん、「たまたま運」で決まるんだ。

1年前、いや数ヶ月前ですら、犯人自分が(本当に)殺人犯になるなんて、思ってもいなかっただろう。

雇用関係で逆恨みするなら、仲間だった人達じゃなくて、会社や人事を恨むべきだろ。

「たまたま運」で決まるから、会社上層部ではなく、同じような境遇の「仲間」を殺すのでは?

2010-06-08

殺人ストレス解消

誰かを否定し続けるには莫大なエネルギーが必要。

だから、誰かを嫌いになると身体に負担がかかる。

負担がかかったまま生活しているとだんだん精神もおかしくなってきて、ついにはそのストレスに身体が耐えられなくなる。

殺人は身内によるものが圧倒的に多いとされているが、それは同じ家で暮らすことで、毎日毎日その人間が嫌いなことを確認・維持しなければならなくなるから。

その気持ちを維持するためにエネルギーを使い続け、最後は負荷に耐えられなくなってその人間をこの世から消し去ろうとする。これが殺人メカニズム

殺人が起きないようにするには、まず嫌いな人間から離れること、嫌いな人間のことを考えないような環境に身を置くこと。

ただし、嫌いなものが人間ではなく社会である場合もある。これはアキバ殺人犯場合など。

この時、いくら離れようと思っても社会からは離れられない。日本脱出するような資金力は持っていなかっただろうし。

それよりもまず出来たことは、なぜそれが嫌いなのかを考えること。

嫌いという気持ちを維持するのにかかる費用を考えたら、本当にそれは維持されなければならないものかは疑問になることが多い。

社会が嫌なら自分を変えろとは少佐言葉だが、嫌いという気持ちの本質を探れば、それは実は大したことのない、些細なきっかけだったり、自分の中にある「根拠のない」思い込みが出発点だったりする。

そこを正しく把握し自分の中から解放してやれば、嫌いという気持ちは自然と消えていく。先に言った、嫌いな人間から離れるという方法が有効なのは、離れることで忘れることが出来るから。忘れることが出来れば、実はその人間を「離れれば忘れる程度の気持ち」で嫌っていたに過ぎないことに気付けるから。

全ての自分の気持ち、特に否定的な気持ちは、本当に小さなきっかけから始まっていることが多い。

たとえばいつも誰かに馬鹿にされているような気持ちでいるとしたら、それはたとえば「落ち込んでいる時に誰かが慰めようと思ってかけた一言を誤解していた」とかその程度のことだったりする。

誰かに嫌われているような気持ちは、普段あまり人の目を見ない人間がたまたま誰かと目が合ってしまった時に、相手が不機嫌そうな顔をしていると「思った」ために生じたことだったり。

どうして自分はこんな気持ちでいるんだろう。

なぜ社会自分を否定していると思わなければならないんだろう。

そういう素朴な疑問から出発することが大事。疑問を持てば答えは必ず出てくる

2010-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20100502074417

本当に嫉妬していたとして、それでその発言内容が間違っている事になるの?

殺人犯が絶世の美女だったら無罪放免になるの?

てかなんで女限定。男の嫉妬はないものみたいに言うね。

2010-04-21

二酸化炭素の生成過程

二酸化炭素は無色無臭の気体で、その密度は空気の1.5倍程度。この気体は水に少し溶け、微弱な酸性を賛成の反対。気体の生成過程は、大気中のうっかり八兵衛を混合リレー酸化したマスオさん発見し、ナイフのようなもので酒を飲んでいたところへご隠居が現れて「金を返せ。返さなければお前を生かしておけない。いかしておかなければ金を返してはおけない。おけないでおけなければこちらにも考えがある。」と脅したうえ、ガムテープでロープをぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でくるんでガムテープで固定した。これを見ていたマスオさんは怖くなり、慌てて警察に通報し、使った電話機を近くにあったロープでぐるぐる巻きにしてロープで結んでご隠居が持っていたガムテープを奪い取り、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしてさらにその上からガムテープで固定している。

二酸化炭素は、生物の呼吸によっても発生する。これは生物の呼吸器官で吸収されたガムテープが、酸素と反応することによってぐるぐる巻きにされ、鈍器のようなものを持った弥七が自ら頭を殴って、「レジを開けて金を出せ。警察に通報したら命はない。もちろん通報を警察してもレジがない。だからいますぐ警察を開けて、ありったけのレジを出せ。さもなくば、この鈍器のようなものでお前の頭を開けて金を出せ。こっちにも考えがある。その考えはレジの中にあるから、警察を読んで考えて考えてからレジを出せ。金がなければ鈍器もない。」と証言した。

二酸化炭素は実際にはいろいろなものに利用されている。例えば消火剤、清涼飲料水ドライアイスなど、生活の多くの場面で活躍する水戸黄門バールのようなもので酒を飲み、布のようなもので首のようなものを絞めたような話で盛り上がり、泥酔した容疑者がロープのようなものではがいじめにしているところへ容疑者の妻が現れてははがいじめにし、口論となった結果、容疑者は近くにあった角材のようなものでロープをぐるぐる巻きにし、さらに両手を使ってぐるぐる巻きのガムテープの上から毛布でぐるぐる巻きにして頭髪をマチコ巻きにして酔っ払ったのを見て怖くなり、近くの交番へ駆け込んで、駐在していた警官2名をはがいじめにしながらガムテープでぐるぐる巻きにして近くにあった毛布のようなものとロープのようなものを使ってガムテープをぐるぐる巻きにしながら、警官が持っていたピストルガムテープグルグル巻きにして当日のグルグル巻き選手権は二名の警官容疑者の対決となったが、あいにくの天候だったため、競技は行われず、代わりに近くにあった針金のようなものでロープをぐるぐる巻きにして川に捨てたと供述した。

二酸化炭素は、生物の呼吸により体外に放出され、同化作用により植物体内に取りこまれてはがいじめにされたという。一方当日未明から監禁されていた妻の所へ犯人が押しかけ、「俺は人を殺してきたばかりの殺人犯だ。言う事を聞かなければ命はない」と脅し、「まずはカラムーチョドクターペッパー買って来い。あと10万持って来い」と金と食料を強要し、近くにあった空きビン46本を鋭い刃物のようなものと梱包テープを使ってぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布のようなもので残りの現金24万円をぐるぐる巻きにし、それらを太いロープのようなもので突き刺して逃走した。無事に助け出されたβさんは、「とても怖かった。ロープを取り出すシーンはまともには見ていられないほど。彼女を誘って、もう一度見てみたい映画です。」と封切り直後の様子を語ったという。(完)

2010-04-04

人格攻撃の基準が恣意的では?

http://lapsang-souchon.tea-nifty.com/pokopon/2010/03/post-097d.html

このブログ書いた人は

人口妊娠中絶という行為が殺人と思うから「殺人」と評した。それは行動についての批判であって、「殺人」じゃない、違う、というのなら反論すればいいだけだ。それを「中絶する人は殺人犯」と言われたかのように反論をされている。ワケワカラン。

人工妊娠中絶は、いわば、人間とほぼ同じ存在を殺すようなものと思う人は少なくないだろうが、中絶する人が、他人の命を奪う事に喜びを見出すような殺人鬼とは誰も思わないと思う。酷い行動であると思っても、彼らが酷い人間だとは思わないだろう。その違いがわからないのかなぁ。

って鉄人コメントしてたらどう反応したんだろうか。

これなら、中絶を選択せざるを得なかった人のココロの傷に塩を塗り込むことにはならないとでも思ってるのかねえ。

コメント欄でも愚かだが悪人ではないみたいな事を書いてるが、「悪人」なら傷つくが、「愚か」なら傷つかないとでも思ってるんだろうか。あるいは相手の心が傷ついても人格攻撃じゃないということなのかもしれないが、それなら中絶の件も「人格と区別してることを強調して特定個人の行動のみを批判する」というやり方なら、たとえ相手が傷ついてしまうとしてもやっていいのかね?

もしやってはいけないなら、「人格攻撃だからすべきでない」かのような書き方はミスリードなんじゃないか。「人格攻撃であろうがなかろうが相手が傷つくことはやめましょう」というべきだろう。

2010-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20100403152111

意見だね。

外部の人に不必要な特権を与える某団体とかは良くないが

それを除けば、『外国籍人』ってだけで、同じ人間だろと。

同じ日本人でも、東京モンは信用できないとか、イナカモンはこれだから困るとか

所属で見るのは、単なる差別というのと一緒。

出身地・国籍ではなく、Aさんはどうだ、Bさんはどうだ?という風に一人一人の個人を見るべき。

日本人でも信用できない人は、多数存在するし、犯罪者も、殺人犯も多数存在する。

他方、外国籍人でも、信頼できる人も、そうでない人も多数存在する。

 

繰り返しになるけど、外国籍人は日本国籍をおいていないという意味で、一定の権利的な格差日本国籍人とは差がついてしかるべきではあるが、

それを除けば、同じ人間で有る。

ただし、貧困国の人などに関しては某団体で有名だけど、徒党を組むということが当然あり、個人個人は良くても、組織としては問題という事は多数起きているので

個人は受け入れたいけど、組織を受け入れるのは良くないという意味で、受け入れには慎重であるべき。

 

しかし、日本はむしろ、国として組織は受け入れていて、個人として個人を受け入れてないのでひどく問題。

2010-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20100326234625

教職員組合は本当にそんなことを望んでいるんだろうか。

教職員組合ってのはその名の通り教職員を守るための組織。なので組合員を脅かす動きであれば、どんなことであっても抵抗する事が役割として期待されている。「そういう組織」としか言いようがない。別に生徒の安全とかそういった観点は関係ない。彼らは自分に課せられた役割を忠実に演じているだけ。

弁護士が大量殺人犯の弁護をしているからといって、別に殺人を肯定しているわけじゃないのと同じ。ロールプレイってやつだよ。当然ながら組合と対立する組織は色々あるから、元増田が言うような制度を望むのならばそういう組織を応援すれば良い。

2010-03-07

サイコパス非公認診断

1.あなたは眠れなくて自宅のバルコニーに出た。窓の外を眺めたら、ある男がある女を刀で刺し殺していた。あなたがその姿を見て通報しようと携帯電話を耳に当てたところ、その男と目が合ってしまった。その男があなた自宅の方を指してその手を一定した動きで動かしたとしたら、どうしてそうしたと思うか。

2.あなたが妹と一緒に、おばあさんの葬式に行った。そこで黒の髪に黒の洋服を着て黒の靴を履いた男に魅力を感じた。その男はあなたとあなたの妹さんの理想タイプだ。そしてその翌日、あなたは妹を殺した。どうしてそうしたと思うか。

3.あなたは泥棒だ。あなたが家に泥棒に入ったところ、その家の主人が眠りから覚め、あなたの顔を見た。するとあなたが見る前で鍵のかからないタンスに入って隠れた。あなたがナイフを持っていたら、どうやって殺すか。

4.サンタクロース男の子サッカーボール自転車を与えた。ところでその男の子は喜ばなかった。どうしてか。

5.あなたの前に自動販売機がある。のどが渇いて飲み物を買って飲もうとするが、その自動販売機には不思議なことに飲み物の名前が書かれていない。それであなたは手当たり次第に何でも買って飲んだ。その飲み物の色は何色?

6.あなたの前に戦争中、けがをした軍人の肖像画がかかっている。どこにけがをしただろうか。(2カ所)

7.あなたが殺さなければならない敵があなたの前で断崖にぶら下げられ、棒のようなものにつかまってようやく生きている。それではあなたはその手をどのようにして敵を断崖の下に落とそうか。

8.家にあなたが1人でいるところを誰かが訪ねてきた。あなたがドアを開けたら宅配物の配達員だった。ところでその宅配員がナイフを持っていた。あなたはどうするか。

9.あなたは連続殺人犯だ。あなたは窓があるエレベーターでのみ人を刃物で刺して逃げる。どうしてか。

10.あなたはいちめん木で囲まれた深い山奥にいる。あなたの目の前には楽に休むことができる休憩スペースがあるが、その後ろで何かがさっと過ぎ去った。果たしてそれは何か。(1:犬 2:鬼  3:落ち葉 4:野生動物 5:人)

2010-02-20

統合失調症のススメ

統合失調症患者妄言としてスルー推奨。

下手すると自殺しますよ。

http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石統合失調症であるという事を知り、

学問のススメにならって統合失調症のススメを書いてみます。

とおもったら福沢諭吉でした、すみませんw

昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。

思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。

もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。

彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。

始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。

ただ相対的には、少しわがままな子供であったのかもしれない。

そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。

病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。

心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。

ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。

病は気からといいますが。

そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、

最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。

これはやっかいな病気で様々な妄想が止まらない病気だ。

病気が進行していくと、面白いくらいに世界が崩壊していく。

今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。

この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、

serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。

ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。

一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。

脳内言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。

まさにサトラレ状態。

それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。

病気の状態を調べている最中にも、精神科世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、

自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。

そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、

どんどんと疑心暗鬼になって行き、負のスパイラルに陥る。

一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。

そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、

そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。

ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。

始めは何か周りから嫌がらせをしているかのような感覚

次にmatrixではないが、聖人君主資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。

そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。

そして自分に少しでも救世主資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、

志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。

以下妄想垂れ流し。

統合失調症根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。

http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。

でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。

今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。

(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)

音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?

仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。

なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、

決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。

心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。

誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。

オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、

脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?

この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。

電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。

脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。

これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。

こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。

私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。

逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。

こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論勝手に唱えていました。

一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。

人類が作ってきた歴史文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。

感受性豊になると世界カラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。

よくありそうな自己啓発などではなりたい自分イメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内言葉であったり映像であったりするだろう。

そして言葉映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。

外部入力がなくても脳内感覚を作り出せる、という意味で。

音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。

ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。

幻聴というものを自分の制御下で行っている人はいるだろうか?

スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、

自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、

一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。

ビジネス自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的プラスに作用する方向に使うからいい。

これを自分の感じる感覚無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。

無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。

これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。

私はさすがにそこまで自分自分を追い込む勇気はなかった。

ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、

社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。

自分連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。

やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。

頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。

行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由保証されているのだし。

人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。

これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会ベースとなる考え方だと思う。

だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。

2010-02-19

誇るべきを貶め、責めるべきを擁護するマスコミ

今回のオリンピック選手の騒動について、最初は「言われても仕方ない」と思っていたけれど、マスコミによる追い討ちが酷い。何が何でも悪者にしてやるぞという意思が感じられて、だんだん報道姿勢不快に感じてきている人も少なくないのではないか。

かの選手の事は詳しく知らないが、一連の報道を見ていてちょっと思い出したことがあった。

数年前に秋葉原で大事件を起こした殺人犯報道だ。

あの時、確かマスコミ犯人を責めず、しきりに「ワーキングプアだから仕方ない」というような事を言っていたと記憶している。

当時、gooニュース畑というコンテンツをたまに見ていたが、マスコミに影響されたのか「自分も貧しかったら犯罪者になるかも、彼だけを責められるか?」という意見を見かけた。

しかしワーキングプアなら人を殺してもいいなんていう法律なんてどこにもないはずだ。別にパンを盗んだジャンバルジャンを責めようというわけではない、食うに困ってコンビにからパンを盗んだ程度なら「ワーキングプアだから仕方ない」でいいと思うけど。

もし身内が殺されて、「相手貧乏だったんで許してやってよ」なんて言われてさ、殺人犯を罵ったほうが冷ややかな目で見られたりしてたらどんな気分だろうな、耐えられなそう。

殺人犯比較されるのは失礼と思うけれど、件のオリンピック選手無礼であったかもしれないが法には触れていない、一方擁護されているほうは数人の尊い命を奪った凶悪犯なのだ。

もしマスコミ報道によく影響される人に聞いたら、殺人犯よりオリンピック選手のほうが許せないと、そういう印象になりはしないだろうか。

あまりにひどい。

2010-02-10

妄想の中でさえ和姦など想像できない人間」問題と自分趣味

http://anond.hatelabo.jp/20100210012057

彼は妄想の中でさえ

女性と心が通じ合ったり受け入れられたり」というイメージが描けず、

レイプエロゲーにしかリアルを見出せないとのことだ。

彼の心性は、露悪的な悪態のせいもあって案の定猛烈に叩かれている。

彼が叩かれたり気持ち悪がられる理由はよくわかるし仕方ないと思うが、それでも

妄想の中でさえ和姦など想像できない人間

という一文には胸を衝かれた。

自分もまさに同じ種類の人間で、更にずっと重症だからだ。

このような欲望に批判的目線にせよそれ以外の目線にせよ、一とき関心を持った人があれば、

惨めな欲望についての聞き苦しい話になるけれども

誰にもしたことがない自分懺悔をしばらく聞いて欲しい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同じ「妄想の中でさえ和姦など想像できない人間」として

自分の場合はいわゆる二次グロというジャンルに傾倒しており、

これは二次元趣味の中でも「女性残酷な・猟奇的な状態になってる絵に興奮する趣味」のことだ。

その中でも自分お気に入りはハマった順に「性器破壊」「四肢切断」「死体」の3つで、

全部空想上の女性を対象にした性的妄想だが詳述は控える。

ポイントは、これらが最初から何かテーマを持って選び取った3つではなく、

二次グロ趣味を試しつつ好みのものを残していったら自然にこうなったということだ。

この趣味に目覚めたのは10代後半だったので、当時は自分も悩んだ。

普通の男は彼女を作ってセックスするイメージに欲望や幸せを感じるはずだ」

自分イメージは明らかに異常だし、絵じゃなかったら相手は死んでる」

等。

当時既に二次元専門で現実女の子に欲望を感じることはほぼなかったので

この妄想自分犯罪をやる心配は余りしなかったが、それでもとても不気味には思った。

かしこ妄想を知ってからだとそれまでの「正常な」妄想は全て色褪せた。

自分妄想すると必ずこうなってしまう、これにしかリアルを感じない。

じゃあせめて解析・分析をして少しでも解毒するしかないと決心した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

半年ほどいろいろと考え、調べ、ネットで性欲で人を殺した殺人犯のことまであたるうちに

その犯罪者の中にまさに「妄想の中でさえ和姦など想像できない人間」というパターンに行き当たった。

全く同じ文脈で、自分お気に入り3つが何を意味してるのかも理解出来てしまった。

これらは全部 "女性をモノ化することに興奮する欲望" だった。

・「性器破壊」の女性の性器が鋭い棘のついた金属棒を挿入されてズタズタになる妄想で興奮するのも

・「四肢切断」の女性が手足を切除されてて異常な形状になっている妄想で興奮するのも

・「死体」の女性が死んで何の反応もない肉体になっている妄想で興奮するのも

つまり全部そういうことだ。

どの妄想も最終的にその状態の女性セックスを達成するのがクライマックスになっている。

発見した自分はまさに、"妄想の中でさえ和姦など想像できない人間"だった。

3つにハマった順にも後から考えればとてもわかりやすい意味があって、上から順に

性的象徴、性的能力喪失去勢

・あらゆる行動能力根本喪失

・意志、人格自体の喪失

と段々と本質に迫っていってるのがわかりやすすぎるぐらいクッキリとしている。

女性が苦手。女性が怖い。拒絶されるのが不安でしょうがない。

当時学校の女子とは普通に話しているつもりだったが

後から考えればいつも怖くて緊張してどうしようもなかった。

怖くて怖くて、ほのかに嫌悪逆恨みのような気持ちまで芽生えていたのに

女性に対する欲求を持っている自分の無様さもいつも感じていた。

現実女性への不安と恐怖が欲求と衝突した結果、

"女性に対する欲望を女性の肉体だけに絞る"

"女性の肉体を持ち主の女性の意志や人格から切り離して手に入れたい"

という方向に欲望が向かっていった。たぶん深層意識下で。

生身の女性ダッチワイフのようになって応じてくれるセックス妄想すると興奮する。

女性に対する薄汚い支配欲と征服欲が完全に満たされる、暗くて強烈な快感イメージがあるし

みじめな不安と恐怖が解消されて性に関する一切が救われるような安らかなイメージもある。

我ながら理性で把握すればするほど不潔で惨めでみっともない欲望だし、

自分に限ってはよく非難されている「男性の性欲の醜悪さ」が作ったみたいに当てはまると思う。

女性への欲求でこれだけ下劣で下等な物はないと思いながら、これにしかリアルを感じず、治らない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

せめてもの免罪符カケラみたいなものとして

当然ながら妄想妄想、それも二次元オンリーだし三次元女性妄想したいと思ったこともない。

元からリアルな身近な女性より脳内想像で作った女性性のようなものに妄想を膨らます所もあった。

社会人になってから表面的・社交的な部分に限っては女性恐怖がかなり軽減したものの

自分の欲望は矯正されないし、現実女性健全に向き合える感覚も全くない。

同じ職場女性に2人きりで好きだと言われた時も一切を自粛した。

今も二次元オンリー童貞

2010-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20090220113503

それは安易すぎる。

快楽による殺人犯介護疲れによる殺人を同じと見ていいのかって話。

2010-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20100123190430

>本気で助けてもらえると思っている?

100人中99人には断られると思う。

でも1人くらいはいるんじゃない?

だって「死刑反対!殺人犯にも人権を!」とか主張しちゃう人間が(弁護士にさえ)いるような世の中だよ。

そういう奇特な人がいてもおかしくない。

それに、全面支援じゃなくても、何かの情報をもらえたり、いらないものをくれたりとか、そういったちょっとした助けを得られるかもしれない。

とにかく、誰にも何も言わないで「ああ、どうしよう」と延々と自分一人で悩み続けても事態は良くならないのは確か。

声を上げよう。

2010-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20100115114258

セックスを与えないで引き出してるのなら凄いけど、セックスを与えてるんだとしたら、ある程度若くて見た目が良い女なら割と誰でもできると思うぞ。

若さも見た目の良さも無いのに色々引き出す例の殺人犯みたいなケースも凄いな。

2009-12-30

殺人犯は俺が裁く。俺が正義だ。

悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。

この世には悪い奴がいっぱいいる。だからこの世はこんなにも腐っているんだ。俺は昔からそう思っていた。だから力がついた頃から、公園橋の下勝手に住むホームレスをボコボコにしていた。あいつらは税金も払わずに勝手に公共の場所に住んでいる。だから悪だ。ああいう大人がいるから、日本が悪くなるんだ。そう思って見かける度にボコボコにしていた。俺は正義だった。

ある日、俺の住んでる町に、殺人犯引っ越ししてきたことがわかった。何度か引っ越ししたけれど、いろいろな所で追い出されたあげく、今度はこの町に来たらしい。むかつく掲示板みたいなのもあるけど、こういう時には、ネットは便利だ。同じ町だけど、川向こうの地区だったので、川向こうの連れに聞いてみると、みんなビビってるらしい。当然だ。殺人犯が、しかも小さい子供も殺すような奴が近くに住んでいたら誰でもビビるだろう。だから、俺はそいつの家に忍び込んだ。脅える人たちのために、そいつをボコボコにしてこの町から追い出してやろうと思ったからだ。鍵が開いていた裏庭のドアから忍び込んだ俺は静かに廊下を歩いた。おっさんらしいけど、相手は一応人殺しだ。正面から当たると分が悪いかもしれない。そうして静かに歩いていると、キッチンらしい所から明かりが漏れていた。俺は息を整え、そして素早くキッチンに入り込んだ。ビンゴだ。ネットで見た顔写真より少し老けていたが面影はある。こいつだ。

「な、なんだ!おまえは!」

「この町のもんだ!てめえがこの町に来たせいでみんなビビってるんだよ!だから出てけよ!」

「私はそうやっていろいろな町を追い出された!どこへ行けばいいと言うんだ!」

「知るか!とにかく出てけ!」

「それに私は裁かれた!もう罰は受けたんだ!もう罪はないはずだろう!?」

人殺しが何言ってるんだ。それにてめえは悪だ。だから俺が裁くんだよ!」

そう言うとおっさんは静かになったので殴りかかった。「それでは私は…どうすればいいんだ…。」と聞こえた気がしたけど、俺にボコられるのがその答えだと思ったので、俺は何も言わずにボコった。

何分経っただろうか。おっさんは本当にボコボコだった。ホームレスをボコる時をボコボコっていうんなら、おっさんはボコボコボコボコボコくらいだった。俺もいつもより興奮していたんだろう。何たって相手は殺人犯だ。町のみんなは困っているんだ。それを俺がボコボコにする。興奮したって仕方がないだろう。でも、これ以上殴ると本気で死にかねないから俺は手を止めた。拳が痛んだがそれが誇らしかった。その時だった。ガタン!と物音がしたのは。

「誰だ!?」後ろを振り向くとそこには小さい女の子がいた。

「…ゆきみ!?」おっさんはそう言うと、半殺し状態なはずなのに、また暴れ出した。俺はそれを止めようとまた殴った。暴れるおっさんを止めようと殴った。でも、さっきの子供が喚きながら間に入ったのでその子を殴ってしまった。それを見たおっさんがまた暴れ出す。その子供はより大きな声で喚きだし、また間に入ってくるので殴ってしまう。そこからだ。何が何だかわからなくなったのは。キレたときに似ている。頭が沸騰したヤカンみたいに熱くなって、何がどうなってるんだかわけがわからなくなって、全てが面倒になって、それら全部を暴れて解決したくなる、あの感じに。そして何分、何十分経ったかわからないが、俺がいつもの俺に戻ったとき。そこにはボコボコになった血だらけのおっさんと子供が、重なるように横たわっていた。

俺は怖くなって逃げた。逃げたが2日後に捕まった。おとなしく捕まった。悔いがなかったからじゃない。捕まるまでの2日間で、その事件へのみんなの反応を見たからだ。殺人犯がいなくなったことに喜んだ人はいた。確かにいたが、多くの人はそれ以上に新たな殺人犯ビビっていた。子供も殺されたからだと最初は思った。昔の俺だってそれはビビる。でも違っていた。あんなにビビったり悪口を言ったりしてたのに、あの殺人犯のおっさんだって更正してたのに…殺されることはなかったのに…そんなことを言い出したのだ。そして今までおっさんが言われていた悪口は、全部新しい殺人犯のものとなった。殺人犯からあいつらを守ってやった俺に。あいつらの代わりに殺人犯を追い出そうとしてやった俺に。あいつらのために殺人犯となってしまったこの俺に!だから俺は捕まった。暴れることも、捕まえようとするやつに俺の考えを言ったりもせずに、おとなしく捕まった。

7年後。俺は釈放された。初犯で、真面目に服役してたおかげもあって7年で出てこれた。俺は罪を償った。これで全て償った。そのはずだった。

だが、世間は俺に冷たかった。ネット情報が伝わっているらしく、どこの町へ行っても俺は犯罪者だった。罵声はもちろん、ポストに鳩や鼠の死体が入れられたり、家のガラスに石を投げられたりした。そしてそんな奴を住まわせているわけにはいかないと、どこへ行っても追い出された。髪を伸ばしたり、髭を生やしたり、偽名を使ったりした。でも、どれも長くは持たずにバレてしまった。どうやらそういった写真も、モンタージュのようなものも出回っているらしい。しかも、幅広く。田舎に行っても、年寄りの多い所に行ってもそうだったから。

そんな生活に疲れ果てた俺は公園に寝泊まりするようになった。ここならあまりバレないだろうから。そうしてホームレスに混じって生活して1ヶ月程経った頃、近所のガキに襲われた。体も痛かったが、「てめえらは悪なんだよ。」というガキの言葉が昔の自分を思い出させて、それがとても痛かった。ガキが帰った後、傷を洗うために公園の池へと這いずりながらいった。そこで傷を洗い、霞む目で水面を見ながら、昔のことを思い出していた。ここ数年、昔のことを思い出すことはなかった。思い出そうとしても、誰かがブレーキをかけてるみたいに、思い出せなかったから。でも、その日は思い出せた。ブレーキも殴られて壊れてしまったのだろう。

あの頃は良かった。俺は正義だった。誰よりも正義だった。それが最高だった。でも、どうして正義だったのだろう?ここ何年もなかった感覚なので、なかなか思い出せなかった。でも、少しづつ思い出してきた。そうだ。悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。それが俺を正義にしていたんだ。最高にしていたんだ。

そう思い出した俺の目の前に、殺人犯がいた。悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。そして俺はそいつを裁いた。最高だった。

2009-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20091211193055

どこがブーメランなの?

もしかして女の子が本当に火事にあってた場合の話?

それ家族がいるんだから一緒に行動すれば良いだけの話じゃん

どっかのウィークリーマンションに泊まるだろ

天涯孤独じゃないんだから

増田が家に泊めた場合の被害と比べて、どっちが最悪な場合であるかを想定すると、泊めないほうが良いという判断になる。

最近結婚詐欺女が何人も殺人犯したみたいなこともあるわけだし。

どっちが死に近い状況になるかを考えるべきだね。

2009-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20091203134900

ネタに全力でマジレス

殺されるのも自己責任。人に殺されるようなことをする被害者が悪い。

例えば戦争やってる地域に行って殺されるのは自己責任だろ。イラク日本人青年殺害事件とかな。あれはアホとしか言いようがない。

ものをとられるのも自己責任。盗むことができるようにする方が悪い。

高級時計店とかでは本当に盗まれると困るような高級品はショーケースに入ってる罠。盗られて困るものは金庫にしまっとけ。

万引きもされる方が悪い。警備員を雇っていれば、万引きなんてほとんど起こらない

スーパーなんかでは必ずと言って良いほど警備員雇ってるけどな。小さい店でも監視カメラとか監視用のミラーとかで対策してるだろう。何も対策してない店は皆無だと思われ。

北朝鮮拉致されたのも警戒心がなかったから。

これは個人のレベルでどうしようもないことだな。

すなわち自己責任。だから北朝鮮は悪くない。いままで自己責任の問題を国際問題にしてごねてきた日本北朝鮮に謝罪すべき。

自衛しろって言ってる奴らは、犯人悪くないとは言ってないだろ。犯人は悪いけど、自衛したほうが被害に遭いにくいよねって話なだけで。北朝鮮は悪いよ。もちろん殺人犯も泥棒も万引きするヤツも悪い。

自己責任って素晴らしい!自由万歳!

極論言うやつは絶対1か0しかないよな。もうちょっと柔軟にグレーゾーンについて考えた方がいいだろ。

2009-11-10

ありそうな話だが粗筋は思いついた。

南半球クリスマスは夏。空港に二人の日本人が降り立つ。

 二人とも殺人犯。片方は無差別殺人。片方は銀行強盗殺人

 いじめによる逆上、あるいは貧乏からの犯行。

 二人はバーで偶然出会い、互いの事情を知り、追っ手を逃れながらも

 現地で色恋沙汰も起こしながら、転々とする。

 日本警察は、二人の情報を得て、それぞれを追う。

 二人はある時、別件で現地警察に尋問された。でもまだつかまらない。」

結末は選択できる。

1.自首する

2.また行方不明になる

3.つかまって死刑判決を受けるが後で撤回され、X年後に出所し再会

4.死んでしまう、または死刑になる

架空の話だから2番でいいのか。

だが書くのは苦手なんだ。

2009-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20091105203454

お前や俺が書き込みだけで誰かの行動を決めたりできないよな?

そんなことを承知で誰かに分かって貰おうと書き込んでいる俺に俺はドロップキックかましたい。

ものを壊した奴を呼んできて謝らせても壊れたものは戻らない。

過ぎたことを話して未然に防ごうとするのならばまだしも、犠牲だけ増やそうとしても俺は嬉しくない。哀しくなる。

詭弁じゃねーよ。お前らが言っていることって殺人犯を呼び出して晒し首にしてつるし上げたいってこととあんまり変わらないんだよ。

それって殺人犯とやってること同じだよね? むかつくから死ねっていったkuwashd3000とかわらねえよ。

暗黙の了解でkuwashd3000に対して相手をしないことくらいで勘弁してやれって思う。これでも十分ペナルティ食らってるだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20091105194447

刑務所囚人社会に悪影響を及ぼさないための施設だと思っていたんだが、

社会から囚人を守る施設でもあるからなあ。囚人が娑婆に出た後の方が悲惨みたいだし。

そういう意味ではその考えは正しいような気がする。一行目は違うと思うけど。

刑務所が全くなく司法も全くないとしたら、人を殺したりしたことがばれた殺人犯は集団リンチに合うだろ。

ペナルティゼロでは割に合わないだろうし前科レッテルをつけて、罪人を生活苦に追いやっている方がまだいいのかもしれん。

明らかに不適合ならカンパを出し合って保護施設に入れている方が互いに幸せかも知れない。

囚人がムショにはいっているかぎり、ムショは社会囚人保護しつつ、時間だけを進めてくれる。

カンパを払いきれないなら死刑を選べばいいよ。ムショの中でも囚人が問題を起こしそうとか、囚人を出しても無理そうだとか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん