はてなキーワード: 株屋とは
20代の頃は各紙よく手にとって読んでいたが、環境も変わり、まず雑誌を買うこともなくなり、ネットでも記事を敢えてみなくなってしまった。(乗り物ニュースの方がオモロイ)
ダイヤモンドは…正直まともなプロファイルの人が…という感じ。
プレジデントはForbesと絡む時は見るかもしれないけど、一応ビジネスディグリーに身をおいていたので、なんか殆どのトピックがそういうもののワナビー記事なので読んでて、なんかアレって感じ。
東洋経済は数年前にオンラインの編集方針が変わって、かなりネットに寄せた記事になってしまったので、昔のあの株屋ならではの記事が読みたかったのにもう読めないのがちょっと残念。
高頻度取り引きシステムと訳すべきを、高周波取り引きシステムと翻訳して、あさっての方向に説明が行っているのが、活字媒体に出ているらしい。
そもそも、高頻度取り引きが可能な状況というのは、高速で注文が執行されるという状況である。これは、arbitrage(アーブ、裁定取引)をやる時に、絶対に必要な条件となる。アーブは、同一の銘柄が複数の市場に上場している時に、価格にズレが発生した瞬間を捉えて売買を行い、利益を上げる。ここに、HFTが必要な理由がある。ほんのわずかでも乖離した瞬間に、乖離したことに気がつかない間抜けの注文を、他の誰よりも早く売買を成立させて取り込み、ノンリスクで利益を捻り出すには、HFTが実現可能な程の取り引き環境を物理的に準備するというリスクが必要となる。そして、HFTを実現させる為のリスクを背負ってしまったら、アーブをやり、利益を上げなければならない。
同一銘柄という定義には、ETFやダウのような合成銘柄と、その構成銘柄のセットでの売買という手も存在する。こういった機械的アーブが通用するのはHFTが実現可能なマーケットに上場しているモノに限られる為に、あまり適用範囲は広くないが、それでも、回転売買で量を増やせるので、ある意味では、ドル箱に出来るとも言える。そして、注文成立の優位が維持できる限り、アーブの利益を独占し、ぼろ儲けを続けられる。
こういった手法は株屋の裏稼業であり、投資銀行がやる事ではないという建前があったのだが、一度投資を始めてしまったら、そして、それで利益を上げてしまったら、投資を回収するまで止められないし、利益を確保できる以上、続けざるを得ないとなる。
目立たないようにやっているうちは問題にならなかったのであろうが、世界中が大不況で決算が赤字になっているときに、のうのうとアーブで黒字にしましたとやったら、それは、目立ちすぎるとなる。
さらに、注文成立の優位を確保・維持する為に、取引所に対してアンフェアな工作をしていたという話も出ているとなれば、"ちょっと頭を冷やそうか?"という話になるのも当然となる。
複数の市場において別々に、同一銘柄が取り引きされているのであれば、値段にズレが発生するのは当然で、そのズレをアーブを行う者が均してくれているとも言えるのだが、本来の出来高とは言い難い点に問題がある。アーブを行った場合、買った物、売った物は、かならず反対売買される事になり、その時の受け手が必要になる。出し手と受け手の間にアーブを行う者が入る事で、結果的に、本来払う必要の無いお金を取られてしまう事になる。
流動性の確保というのであれば、恒常的にHFTを続ける必要は無いわけで、欲張りが過ぎると叩かれるという結果にするしか無いのだが、本当に叩いてしまうと、出来高をデコレーションしていたシステム売買が急速にしぼみ、株価も低迷する事になるので、それを避けたいという意思が働く可能性は否定できない。
落し所としては、取引所毎に注文成立の優位を設定する相手を別の資本系列にする事という内規をつけてごまかすか、あるいは、ダウ30種のように、アーブで食い散らかしても良い銘柄だけを集めたゴミ溜めを作って隔離するといった手法も、ありえる。
ダウ30種は、株屋がアーブをやっていた為に、株屋の資本力では動かせない程の大企業の株を集めてやれるものならやってみろと作ったゴミ溜めであったのだが、今の投資銀行の資本力では、ダウ30種ですら動かせてしまう事から、もっと大きなゴミ溜めを作るか、資本力を分割して小規模な存在に切り分けるかといった事が必要になる。
…アメリカは、金融に力を入れすぎて、金融に実業が振り回されるようになってしまっている。金融そのものでは人を幸せに出来ないのだが、金融が社会の主軸であるかのように振舞っている為に、発生している問題とも言える。
言葉の『意味』を扱う意味論という学問の世界では「関連性の原則」というものが知られている。会話の最中に「関連性のない話題は基本的に選ばれない」という原則。
その原則のおかげで、「一見関係が無い話題を出すことで、直接には言えないことを遠回しに伝える」というよくあるレトリックが成り立つことになる。
たとえばギャング映画なんかでよくある、融資を断った相手に対してイキナリ「…そう言えば、お孫さん、そろそろ可愛い盛りですね?」ってヤツ。「…キ、キミは私を脅すのか?!」「落ち着いてください。私はそんなこと何も申し上げていませんが?」みたいな。直接言ったら『脅迫』になってしまう内容を、相手に〈推測〉させることで、
(1)『脅迫』などしていないと逃げる余地をつくり
(2)余裕を見せつけることで相手の恐怖感を煽り
(3)頭のキレる相手にこちらの頭のキレを見せつける
…など、様々なメリットが期待できる話術。
また、『伝聞』というスタイルで、自分から相手に直接言い難いことを仄めかす、というレトリックもある。
たとえば、相手のことを疑っているときに「いや、キミが詐欺師だと言う輩がおってね。いやいや、ワシは当然キミのことなど疑っておらんがね。そういうことを言う人間もいるので、ここは一つ身の証を立てて貰いたいんだ。」…とか言って、要するに疑ってんのはテメーだろ、みたいな。まあ実際ここまであからさまな言い方は珍しいけど世の中では結構よく使われている「世間」話法とかが、つまりソレです。「お前そんな人と結婚するなんて、別に私は構わないけどヨソサマになんて言われるか…」「だからそのヨソサマって誰だよ!連れてこいよ!」みたいな。
政治家は、こういう話法を普通に駆使してしゃべる。いわゆる「永田町語」というヤツですね。だから、結果として彼らの会話はどこまでが普通の言葉でどこからがレトリックなのか非常に分かりづらい。政治の世界でずっと取材してる記者とかもまた、その辺りのアンテナをビンビンに張ってないと仕事にならないので、言葉の直接的な『意味』だけでなく言葉に含まれている意味、いわゆる『含意』を読み込む習性が非常に高い。先日の麻生の株屋発言も、そういう文脈で見れば、どうして各紙がああいう報じ方をしたのか理解できると思う。
株屋発言について詳細を吟味するページ:http://www.garbagenews.net/archives/497015.html
このリンク先の方は、各紙の報道を「麻生発言をねじまげるもの」と判断した上で
意図的ならば悲しい話であるし、本筋を見極めて概略を伝える能力に欠けているのなら、それはそれで(報道としての)存在意義を疑わざるを得ない、というところだろうか。さらに加えるとするなら、なぜ大手報道会社が一斉に同じ「認識ミス」を「同じ部分」で行い、「同じように」「同じタイミングで」報じたのかも、考えてみる必要があるのかもしれない。
確かに、麻生発言にそこまでの意図はなかったかもしれない。でも断言はできない。だからこそ、「文脈の中で、問題があるとは思わなかった」という声と「自分は不快に感じた」という声の両方があるわけで、その意味でリンク先にある読売の報じ方は実は非常に正確だと言える。逆に「麻生発言には全然問題なんてないじゃないか」と新聞が報じれば、後者の感じる不快感はスルーされ、こういう皮肉やあてこすりによるイメージ操作を政治家がし放題ということになりかねなくて、危険なのだ。
このように、普通の人(非業界人、という程度の意味で)が「生の情報」「一次ソース」に触れたところで、果たして『事実』に到達できているかどうかはまだ分からないのだ……ということは一応指摘しておきたい。国会の議事録読むときとかでもそうだけど、どういう文脈で、政治背景で…ということと併せて、「どういうレトリックで」喋っているか、ということにも注意を払う必要がある。それは報道記事を読むときも同じで、結局そういうこと全体をひっくるめて情報の価値をはかる能力をメディア・リテラシーという。リテラシーのない状態で、ただ漫然と垂れ流される一次情報だけを見ていても、情報を流す側の操作を見抜くことなんてできない。
まあこの元記事自体が一つの政治的な意図をもった何かなんですよ…ってことなら、もう何をか言わんや、って感じなんですけれども、一応とりあえずマジレスしてみた。増田だしな。