はてなキーワード: 必然性とは
QWERTY配列のキーボードでタイピングするとき、ホームポジションの右手小指の位置にはセミコロン(;←これ)が存在します。
「これここにある必要ある?」と前々から思っていました。せいぜい、泣き顔(;;)を作るときに楽なくらいで、指をまったく動かさなくても打てる位置に置く必然性を感じなかった。(英文だとよく使われるんだと思う)
逆にハイフンのキー(キーボードとかニューヨークとかの伸ばす記号(長音符)を入力するときに使う)は右手ごとひねらないと打てない。セミコロンより圧倒的に使用頻度は高いのに。
というわけでKeySwapというソフトを使って入れ替えてみました。
スムーズに長音符が打てるのがこんなに快適だとは。これは素晴らしい。
自分のパソコン以外でやるわけにはいかないけど、それでも快適です。
今回使ったKeySwapはとても簡単にキーの入れ替えができます。入れ替えたいキーを押して指定するだけ。難しいことは一切ありません。
ただし、使うときはちゃんと同梱のreadmeを読んでくださいね。
言っとくけど、私は元増田とは違うからね。
http://anond.hatelabo.jp/20101024161440
映画や水族館や旅行なら、そういうところに行くためにわざわざ彼氏を作るのではなく
友達(性別問わず)と一緒に行けば足りるだろう。
私が言ってるのは、時と場合と場所とメンバーに応じて対応できる人がいいってことさ。一人でそういうところに行けない人は何日も会えずにいると(何してんのかなー)って心配になるし、一緒に見たい風景や泊まりたい町もあるから誘ったときはのってきて欲しいし、グループでわいわいって旅行にだって一緒に行く機会があれば行きたいし。映画や水族館や旅行なら「一人に限る」じゃ、キャパが狭すぎると思うんだ。
友人を同性に限る必然性はない。
気が合えば異性の友人のほうが楽しかったりする。
昔から同性より異性のほうが気が合うし。というか男と気が合わなさすぎる。
http://www.mof.go.jp/zaisei/con_03.html
によれば、国の借金は533兆円あるらしい。
かつ、社会保障への財源が不足する見込みだ、として消費税増税する・しないで
騒いでいる。
俗に、「日本人の金融資産は1,400兆円ある」と言われている。
http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/exphikaku.htm
①まず主人が85歳くらいで死亡し、
②次に奥さんが亡くなって、(主人から奥さんが引き継いだ分も含めて)
しかし、ここで言う「標準世帯」というのが、徐々に減少している。
「生涯未婚率」(50歳時点における婚姻の有無)は
http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/mariage/12.html
ということで、計算を簡便にするために「男女平均で10%」ということにしよう。
一方、「結婚していても子供を作らない、又は出来ない」という夫婦の割合もそれなりにあって、
「10組に1組は子供が作りたくても出来ない」らしい。
意図的に子作りを避けている夫婦も存在するのだが、安全サイドの数字として
となると、「生涯未婚率10%+子供いない夫婦率10%=20%」は
①まず主人が85歳くらいで死亡し、
②次に奥さんが亡くなって、(主人から奥さんが引き継いだ分も含めて)
ということになるのだが、
兄弟は既に、「自分で一財産築いている」ので、単身者(又は子無し夫婦)の
財産は一種の「あぶく銭」であり、「相続しなければいけない必然性は薄い」
なので、相続手続きを後回し後回しにするケースも少なくない。
相続手続き自体が滞っているケースも少なくない。
単純計算だが、
「1,400兆円×20%=280兆円」が国庫帰属する計算になる。
国の借金の、半分以上だ。
中には
「単身者の金融資産は、全高齢者平均より少ないんじゃないか?」という反論もあるだろう。
しかし、ここで計算したのは「金融資産」だけであり、不動産資産は含んでいない。
不動産資産の現金化も含めて計算すれば、280兆円を大幅に上回る金額が
「533兆円にはまだまだ足りない」
「社会保障費までも賄えない」という声も聞こえてきそうだ。
しかし、「現時点では直系卑属が存在している標準世帯」であっても、
「その30年後、その子供に相続が発生した場合、やはり20%は直系卑属なしになる」のである。
要は「30年で280兆円」が回収でき、
「その後の30年で、(1,400兆円-280兆円)×20%=224兆円が回収できる」のである。
つまり、人口縮小が続くのであれば、直系卑属なしの相続から国庫帰属させることで、
ネックは、
「あぶく銭狙いの兄弟の反対運動を、政治家がシャットアウトして制度化できるかどうか?」
という政治家のヤル気だけである。
でも、その人にキャンセルされたために時間が空いて受付できた新たなお客さんが結構気に入ってくれたようで、
時間を延長してくれた。
落ち込んでいた気分だったのが、立ち直れた。また指名してくれるかもしれない。
その人にキャンセルされてなかったらそのお客さんには当たっていなかった。
お客さんからしてもどんな嬢に当たるかばくち打ちの気分だと思うが、
嬢だって客以上にロシアンルーレット的な賭けごとをしている心境なのだ。
昼間の仕事では不確実性の高い失敗はなく、
失敗があったとしたらある程度の必然性のあるもので、
従って解決策も明確化できるから、風俗の仕事の方が精神的なプレッシャーはずっと大きい。
対面した時に嫌な顔をされたら?
プレイが終わった後も、お店にあまりよくない評価を告げられたら?
よくわからない。あまり答えになってないように思う。
rzio 人に『「虎の威を借る狐」でしかない』って言ってるけど、冒頭のノーベル賞受賞者の引用はなに? 2010/10/09
答えを言うなら「単なる釣り」。気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。まったく論旨に影響がないことがわかるはずだから。
論旨に影響がないなら、つける必要ない。
必要ないのにつけるのはなぜか。
それは、いわゆる「つかみ」やインパクト狙いだと考えられる。
ここからが問題だ。
そのような効果を得るための選択肢はいくつかかあったはずだ。
しかし、増田はこの方法を選んだ。
ふつうは、必然性のないものを選ぶときは、選ぶ人の趣味や好みが反映される。
そのような点を考えれば、「読み飛ばしても論旨に影響がない」ということと、「何ら情報をもたらさない」ということは異なる。
つまり、書いた者に関する情報をもたらす。
だから、読者が「虎の威を借る狐だ」と思ってしまっても不思議ではない。
増田の回答の仕方は、ただのはぐらかしか論点ずらしのように見える。
さすがに、「気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。」、というのはないでしょ。
読者を誘い込むために冒頭に置いたエピソードなのに、その後、「そこは重要じゃないから読み飛ばせ」というのは、新しい「梯子はずし」の手法なのか。
今度使おうかな?
もしくは、いかにして物語るために構成を必要とし、また必要としなくなったか。
「けいおん!!には物語が無く、その構成とはつまり、ついに物語ることを止めてなお作品であり得ることを示した」
この言説は、正しくもありまた正しくもない。
つまり、どの時点と比較して、何と比較してという点を明らかにしていないから矛盾が生じうる。
まず第一話にて平沢唯がギターを弾いている。それに合わせて主人公達が楽器を持って登校する。
これは前作からの繋ぎであると同時に、その成長を感じさせる。練習は新歓ライブのためのモノだ。
そして最終話は(番外編と銘打たれているが)、中野梓がまたギターを弾いている。
練習は新歓ライブのためのモノだ。それに合わせて主人公達は、楽器を持たず下校する。
非常に明確な代替わりの話であり、また、その前段の担任宅への訪問もそれを連想させる。
つまり、主人公達は居なくなるわけでも、物語が終わるわけでもなく、続いている。
写真を見る山中さわ子は学校に居続けるし、その彼女もまた高校生だった過去がある。
そして、当時のメンバーが訪ねてくる。
主人公達の話の枠外にも時系列が存在し、続いているという強烈なメッセージでもある。
さて、ではなぜこれを物語が無いと言って正当性があると言えるか。
演劇、特に高校演劇では顕著だが、ストーリーテリングにはいくつかの手法が確立されている。
簡単に説明すれば、
これらは誤解を恐れずに平たく言えば「日常には何も起こらない」と言っていることと等しい。
会話劇であって会話が無ければそれは劇ではない。そう言っているわけだ。
ごく当たり前と言える。
(何もない日常を描く場合、大抵それは通常でない人たちを集めた3つめの手法であることが多い。
たとえば究極超人あ〜るの何もない日など)
そう言う意味で、
ストーリーを動かす外部性が無く(イベントは起こるが日常を進める要因ではなく)、
外部性のみで描き出すわけでも無く(場面と場所は設定されているが、起こるのは日常)、
そこにはストーリーテリングが存在しないと言ってしまっても良い。
ここまで敢えて触れなかったが、「テーマ」もしくは「観客の感情を揺らすなにか」が演劇には必須であるとされている。
「何が主題なのか」「喜怒哀楽のどれを意図したモノなのか」が必要であると言われている。
サザエさんやドラえもんは、その環境(場面、キャラクタ)から何かを伝えようとしている。
(これは演劇屋さんによって言うことが違うので、酷く難しい問題ではある。「何を伝えたいか」と言い換えても良い)
ではボーイミーツガールでもなく、社会批判でもなく、人間の愚かさを示すわけでも、爽快感を意図したモノでもなく
「けいおん!!」は何を伝えたいのか。
成長と代替わりをずっと行おうとすることから何を伝えるか。
写真が記録の代名詞として何度も登場することから、そして色味を変えて何度も描き出すことから、それは「郷愁」だと言える。
いや、それは「同調」でも良いかも知れない。「憧憬」かも知れない。
「期待」かも知れないし、「絶望」かも知れない。
そう、過去があり未来がある「高校生活」というある時間と場所を切り出した作品なのだ。
外部性はなく、主張も見えない。
高校というシステムの永続性を描き出して、何も起こらない。
高校という枠の外にも時間軸があり、写真で時間を止めてもそれは切り出した一部であるという明確なメッセージがある。
つまり、一般的な過去の「こうすれば何かを相手に伝えられる」という手法からは逸脱した作品である。
そしてまた、日常生活を丁寧に描くことでそこに思い出と永続性と一時的な時間を同時に表現している。
始まりと終わりがある物語ではなく、始まりも終わりもない物語ですらない。
始まりも終わりも無い桜高軽音部を枠として、その枠の始まりから終わりまでを丁寧に描いた作品。
伝えるために手法を必要としていない、より原初の演劇。
全体のフロー
1現状把握
2施策提案
以上の3つの段階です。
1現状把握
------------------------------
ここでいう「現状」とは「お客さんの状態」のことです。
これを把握することでは目標を明確にします。
いやいや探るも何も、お客さんは「サイトをリニューアルしたい」「メルマガを出したい」とか言ってんじゃん。
という話もありますが、お客さんが本当にしたい事と言っていることが違うことは多々在ります。
さらに本当にしたいことをやっても、それで望んでいた効果が出るかといえば、そうでないこともあります。
その時の責任は大体web制作側が被ります。それは避けたいです。
なので、あらかじめ客さんが求めているものを明確かつweb制作側の達成可能なものにします。
以下がオーソドックスな流れ
aお客さんの(表面的な)注文はなにか?
bお客さんの(本当に)望んでいるものはなにか?
c今回の目標はなにか?
2施策提案
------------------------------
ここでは何をするのか、を決めます。
1で目標を明確にしたので、お客さんとweb制作の目線が同じ方向を向きました。
ですが所詮は別業種。目線の角度は全然違います。
同じ目標を見ていても、見当違いのことを言ってくることもあります。(それはこちらも同じです)
目標達成のためにこの施策をする、と言っても、お客さんにはその必然性がわかりません。
複数の施策の中からその施策をする必然性、妥当性、を説明します。
------------------------------
何をするかにもよりますが、ここから実作業がはじまります。
制作の側から見れば、ここからの作業がお金をもらえる作業なので、
予算内の経費を使った作業が出決まるようになります。
外注を使った作業くらいしか思い浮かびませんが。
進行管理表をみつつ、進行状況を測り、納期に間に合うよう作業していきます。
ここではクオリティと納期のせめぎ合いが起きたりします。
また、ここに来て目標の変更や仕様の変更が起こったりもします。
ここは営業さんの見せ場になります。
変更によって負担が増した制作に対して、その分の報酬追加をお客さんから獲得してこれるか、です。
原因がお客さんか、社内か、第3者か。なんにせよ社内で制作の負担は増したわけです。
幾度かの修正を経て完成したらクライアントに納品です。
納品後に検収期間があるのでその期間を耐え切ったら(クレームがこなかったら)納品完了。
お疲れ様でした。
[2010.8.24]
部落や在日や前科者といった人たちばかりが生活保護を受けられて、気弱な人は門前払いされて餓死したり熱中症死したりするのはおかしいから、生活保護者収容施設を作って一括管理するべき?
http://hiro.asks.jp/73011.html
昔、人足寄せ場というモノがあった。自己破産者や逃散農民といった無宿者を、犯罪者として懲罰するのはやりすぎだが、野放しにするのも迷惑という事で、そういった軽犯罪者を収容して、職業訓練を施して社会復帰させるという、更生施設として運用されていた。この寄せ場送りになった者は、寄せ場から解放されるまで、非人という身分になった。
生活保護者収容施設というのは、ようするに、寄せ場を復活させようという話なのであろう。しかし、まともな人だけが寄せ場に送られるのであれば良いのだが、人間には、いろいろな人が居る。シャブ中や賭博狂、異常性愛者や暴力的性向、酒乱、虚言癖、盗癖等、まともに社会生活を送れないし、更生する見込みも無いという人が、一定の割合で発生すると言っても良い。
そういう人が寄せ場に溜まると、風紀や治安が乱れ、管理責任をまっとう出来なくなる。刑務所と違って、懲罰や経済行為の禁止は出来ないだろうし、同性愛者が紛れ込んでエイズが蔓延したりしたら、更生させようとしているのか病死させようとしているのか、わからなくなってしまう。
管理責任をわざわざ背負い込むような施設を作るという考え方は、間違っているという事である。
この日記では、失業保険や生活保護といった社会保障も、納税預金口座のような、入金はできるが、政府機関が発行した払い出し書が無いと引き出せない口座を利用した積み立て制度にする事を提案している(cf.[2008.12.4])。
この制度において、赤字が発生した時に、その増大を、どのように食い止めるかという問題がある。口座の残高が赤字で本人が病気になった時に、将来赤字を補填してくれる子孫や血縁者が居ない場合には、赤字の額が残りの労働可能期間と平均賃金から算出される納付可能額よりも低い場合には通常治療、大きい場合や平均余命以上であれば、緩和ケアのみになるというルールを強制すると、長生きしたければ家族や親族を作って大事にしろ、一族から赤字を発生させるような人を発生させないように、親族全員で努力しろ、本人に更生の見込みが無いならば、緩和ケアのみにしてくれと意思表示を取りまとめろという話になるわけで、起業する意義や、雇用を作り出す必然性が発生するようになるし、更生の見込みの無い人を選んで病死に追い込む判断は、本人が属する一族が行う事になるので、責任問題は発生しないという事になる。もちろん、本人が生前に作った赤字を一族が分担して負担しない場合には、税金で赤字を補填する為に、意思の取りまとめをした文章と一緒に公開という事になる。赤字の回収も可能となるであろう。
行政指導の権限を強化するばかりで起業する人に嫌がらせをしているような規制を止めて、大企業優先の知的財産権や懲罰的損害賠償といった制度を改めるだけでは、人民の行動は変わらない。変えるならば、家制度を破壊して核家族から個人にまで分解を進めてきた家や家族といった概念に実質を持たせる改革も行わなければならない。生活保護受給者が増加し続けている事や、非実在高齢者の年金の不正受給が発覚したり、育児拒否で餓死や学校に丸投げしていじめに気がつかず8歳児が首吊り自殺してから大騒ぎ等という事も、特殊例ではなく、制度の欠陥が表面化してきていると考えるべき問題なのである。
加工貿易でメシを食うしかない以上、新製品・新技術の開発によって、商品を更新していく以外にない。
その為に必要な環境を整えるのが、政治の役割であるが、バブル崩壊後の日本の諸制度は、新製品や新技術の開発のリスクを極大化する方向に進んでしまった。
新製品や新技術を開発することが不合理となるのであれば、高賃金の従業員を抱え込む必要はないし、従業員を抱え込まないで良いのであれば、国内に工場を置く必然性もない。
基軸通貨に挑戦するユーロが現れたという外部事情もあったが、日本国内の産業を弱める方向性で、制度が改廃されていった。
自民党に対して国民が愛想をつかしたのは、このためである。個別の政策においては合理的であっても、全体を通してみると、不合理であったり、必要な施策が欠けている為に、結果的に逆効果であるといった、作為・不作為が続いていた。
しかし、政権交代をさせてみても、新与党は自民党時代よりも状況を悪化させてばかりであった。
日銀をせっついて円売り介入をさせようとしているようだが、単独介入の効果はスムージングであって、相場のモメンタムを変えられるだけの力はない。
協調介入は、新技術や新製品が出てこない以上、円高で困るのは日本だけなので、ドルもユーロも協調する必然性がないし、今の日本政府とは、どんな約束も出来ないと理解している。
円高になってもびくともしない競争力を維持する為には、新製品・新技術が常に必要であり、新製品・新技術の開発力は、加工貿易国家である日本の生命線である。
この観点から、物事を考えるようにしなければ、国民の支持を得られる改革にたどり着く事はない。
[2010.8.13]
んー、なんかこの話色々論じられてそうだけど
面白そうなんで絡んでみる。
まず、ロボットアニメではない派の言い分はこういうことだ。
ドラエモンは「愉快な人外」であるということ。これはオバQやハットリ君といった
同じ構造を持つ作品、「ケロロ軍曹」に留まらず「ラブやん」なんかも系譜に入ってくると思う。
つか、この系譜はあり過ぎて最早収集がつかない。人間以外のなにかがポンと現れて
現実と非現実との橋渡しになる作品は山ほどある。つか、これの始祖はドラえもんじゃないよね。
俺がふと考えた限りでは代表作はおそらく「ファウスト」だ。
要するに「愉快な人外」というのは、メフィストフェレス的なものなんだろう。
これが重要なのは、「通常の世界に住む主人公」を「非現実の世界」へ橋渡すこと。
この物語構造上の形式は「ロボットである」という事実よりずっと重みがあるだろうなぁ。
ドラエモンは「愉快な人外」であれば話が成立するけれど、「ロボット」である必然性には乏しい。
「鉄腕アトム」は最初から「未来」の話であり、「アトム」が現実と未来を橋渡しているわけじゃない。
ロボットである、というのはキャラクターにつけられた属性であり、「オバケである」とか「忍者である」と一緒で
物語の形式上の大きな意味を持ってはいない。だから、あくまで形式の話をすると
ドラえもんは「ロボットまんがではない」って結論になるんじゃなかろーか。
もちろん「ロボットである」ことに力点を置いて論議することも可能だろうし
ドラエモンがロボットであることから始まる系譜、あるいはそこにいたる系譜ってのも
頑張れば作って作れないこともないけれど。
あともう一つ。ドラエモンが「ジュブナイル」であるとか「ビルディングス・ロマン」であるって議論も可能だけど
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
何のことを言っているのかさっぱり判らないのでなんとも言いようがないが(「到底承服しかねる条件」がどういうものか?本当に承服しかねるのか?すらわからないうちに、これをどうこういうのは単純にお馬鹿さんでしかありえない)、とりあえず在日韓国人の参政権うんぬんではないのだろうなあ。
「国籍はそう簡単には変更できない」以前に彼らは日本国籍を有していないし、韓国は彼らの状況以上の「到底承服しかねる条件」を満たさない限り外人に参政権を与えちゃくれんのだから。
しかし、「簡単に他国に帰化できるなら」というのはなんだろう。帰化しないといけない問題が絡むのなら違うだろうが、帰化なんてそんなに必須の問題だろうか。在日韓国人ひとつとってみたって、事実上取り立てての問題なしに生活している人間はいるわけだし、帰化がそんなに必須のこととも思えない。
「『日本から出る』ことにはかなりのリスクを伴う」というのも意味がわからない。単純にリスクの有無にしてしまうのなら「タイトルの台詞を口にする人々」にも対象のことを認めたらリスクが発生する、と言われたら同条件になってしまうだろう。
こんな何を言ってるんだかわからないものをほいほいブックマークするお馬鹿さんの中でも極め付きなのはこいつ。
petem *まったくだ こういうやつは問答無用で軽蔑に値する。テクニックと呼ぶのもおこがましい。 2010/07/18
優良企業にいて何の必然性もなく「休日を年間300日よこせ」という人間に「いやならほかの会社に行け」という人間も、id:petemの理屈では「問答無用で軽蔑に値する」ことになってしまう。アホか、としか言いようはない。
…ってのが、大学入って院の人間を見て思ったこと。修士/博士の人、なんか間違ってるとこあったら言って下さい。人にケチつけるのは得意だよね。
あ、これから書くのはあくまで「俺が見た範囲」での博士の生き方です。分野によって、というか教官/研究室によって大分違うと思います。俺がいたのは「3Kどころか10Kでも20Kでも挙げられるぜ!」っていう分野の研究室です。
そこにいたD3の、俺が知る限りの生活。
9:00 研究室に
9:30 実験開始
12:30 先生と昼ご飯。俺もついていく
13:00 実験再開
22:00 そろそろ実験終えて文献を漁ったりする
その後 キリのいいところで帰宅
一番遅い人で2時くらい。3時まで残ってることはあんまりない。
こういう生活ならそりゃ専門バカにもなると思う。
スカトロってのは、まあ別にSMでも赤ちゃんプレイでもいいけど、他人に理解されない趣味。そして、ある意味では学問も同じ。人に理解されない趣味を持った人っていうのは、でも、どうやったって一定数生まれてくる。
ウンコを喰って興奮してしまう人が存在するのと同じくらいの必然性で、学問に取り憑かれてしまう人が存在する。彼らはそういう風にしか生きられない。
伝記の世界だと「○○に一生を捧げて死んだ」って人が山ほど出てくる。「一生を捧げる」ってのは当たり前だけど途方も無いエネルギーが必要で、けど、じゃあ何かに一生を捧げれば偉くなれるかっていうと、案外そうでもないんだろうなと思う。
何かに一生を捧げる人たちってのは多分どの時代にも結構な数がいて、人知れず消えていく。
別に、彼らの多くは偉くなりたいなんて思ってなくて、でも彼らは何よりも優先すべき事柄を見つけてしまって、それを追い求めずにはいられなくなったんじゃないか。
それは傍から見ればすごく不毛で苦しそうなことだけど、多分本人はすごく楽しいんだろうな、と。
俺はその姿に憧れてしまうけど、憧れてる時点で、既にダメなんじゃないかとも思う。
本当に何かを追い求められるのは、こんなことを考える前に行動を起こしてしまうような、こんなところでグダグダ書かないような人間なんだろう。
とりあえず、先輩、海外行っても頑張ってください。
ヤバイ。博士ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
博士ヤバイ。
まず賢い。もう賢いなんてもんじゃない。超賢い。
賢いとかっても
「おばあちゃんの知恵袋くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろD3。スゲェ!なんかその後とか無いの。B4とかM2とかを超越してる。D3だし超賢い。
だって普通は大学の友達とか勉強しないじゃん。だって自分の学年の平均値がだんだん上がってったら困るじゃん。自分ひとりだけ単位不可とか困るっしょ。
先生が気合いれて、一回生のときはただの高校化学の延長だったのに、三回生のときは全合成のペーパーで反応機構を述べよとか泣くっしょ。
けど博士はヤバイ。そんなの気にしない。勉強しまくり。既知の知見全てを前提知識として議論を展開する。ヤバすぎ。
D3っていたけど、もしかしたらポスドクかもしんない。でもポスドクって事にすると
「じゃあ、任期切れたらどうするのよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと帰るの超遅い。約25:00。実働時間で言うと14時間くらい。ヤバイ。遅すぎ。恋人作る間もない。怖い。
それに超休み無い。超日曜出勤。それに超テキトー。白衣とか全く着ない。サンダルて。でも手袋・保護メガネはしてる、ずっと。
B4なんて原料合成とかたかだか10mmolスケールでやるだけで上手く精製できないからカラムしたり、再結晶で一晩置いてみたり、諦めてクルードのまま使ったりするのに、
ユーロ再編についての見通し。
http://www.guardian.co.uk/business/2010/jul/07/breakup-emu-eurozone-deep-recession
ユーロから離脱した国家は決して幸福になれない、なぜなら、ユーロから離脱して自国通貨に戻してフロートさせても、過去に発行したユーロ建ての国債を償還する為に、自国通貨売りユーロ買いをしなければならず、自国通貨が大暴落を起こし、輸入物資の手当てが出来なくなる。ガスやヒーティングオイルや電気が買えなくなると、冬の欧州は寒いぜ覚悟しろよ?という恫喝が入り、さらに、自国通貨安によって輸出を行おうとしても、それを買ってくれる旺盛な消費国は欧州には存在せず、通貨安によるダンピングで輸出利益を取りにいけば、経済侵略に対する当然の防御策として規制の強化や課税が行われるようになり、最終的には、再び戦争で決着をつける時代に戻ってしまうという話になりかねないと言う懸念を表明するという展開である。
もちろん、こういったリポートはポジショントークであり、INGが抱えているギリシャ国債やスペイン国債が飛ぶのを避ける為の主張がこめられている。
ユーロから自国通貨に戻す際に、過去に発行したユーロ建ての国債も、自国通貨建てに差し替えるという手法(cf.[2010.4.10])の存在を、あえて無視している所に、本音が表れている。
ギリシャやスペインが飛んでも、ユーロ建てで高利回りになっている国債はユーロで元利を償還してくれないと困るという本音であり、万が一、過去に発行した国債を自国通貨建てに差し替えるという手段に気がついたとしても、ユーロから離脱して通貨をフロートさせて通貨安による加工貿易で黒字転換を狙っても、規制や課税で叩き潰すから無駄な努力だと、警告しているのであった。
すがすがしいほどのポジショントークぶりである。
ユーロ=ドイツマルクであり、ドイツ以外の国家は、ドイツの経済体質についていけない以上、最終的には、ユーロという通貨はドイツの通貨になり、それ以外のユーロ加盟国は、それぞれの独自通貨に戻るというのが、ユーロ崩壊の最終的な決着となる。その過程において、ユーロ離脱の際に過去に発行した国債も自国通貨建てに書き換えるという行為は当然のように行われ、最後までユーロに残るであろうドイツだけが、大損を被ることになる。手持ちのユーロ建て国債が他国通貨建てに差し替えられるという行為は、伝染する。そうしないと、自国の銀行が保有している債券の減損で、金融機関が破綻する。ユーロ建ての債権が残っているうちにユーロから離脱してフロートさせないと、会計基準を維持できなくなる為である。
離脱する側は、自国通貨建てへの差し替えを拒絶するなら、デフォルトによって踏み倒すと公言するだけである。こういったチキンゲームは、財政破綻している側の方が、強い。銀行風情では、せいぜい経済的に破綻を長引かせてやると恫喝するぐらいしかなく、デフォルトさせない為には、デフォルトする分だけ国土を寄越せと、国家規模で戦争を覚悟したグレートゲームに引っ張り込む恫喝を返さなければならない。国境線を書き換える所まで行くかどうか、非常に楽しみである。
統一通貨ユーロが消滅したら、もはや、グローバリゼーションの必然性は無い。後進国・中進国に金を持たせるというプランは終わりであり、多国籍企業は、すでに、その方向に動いている。多国籍企業の中ではトロい方に分類されているフランス資本のカルフールすら、中国や東南アジアからの撤退の方針を決めたようである。
[2010.7.9]
この前友達の家に遊びにいったんだけどさ、なんか超うぜえの。
居間でテレビ見てるときだったんだけど、そいつが急に何かぶつぶつ言って何かを探し出したんだよ。
「ゥルリモウト、ゥルリモウト・・・」
とかいって。
最初は何のことかと思ったんだけど、テレビ見てるときに探すのといえばリモコンだよなと思って
「リモコンのこと?」
と聞いてみたら、そいつは大喜びで
「So so so remote,remoteだよ!」
とか言ってくるわけ。
そいつは別に英語圏で生活してたわけでもなく、顔だって品川庄司の品川そっくりの完璧日本人なわけ。
ああむかつく今書き込んでてもむかつく。
だからおれも意地になって片っ端から奴の変ななまりの英語を無視してやったわけよ。
「ああリモコン、リモコンのことね、リモコンどこだろうね」
そして方々探し回った挙句、結局リモコンはそいつの座布団のふちの下の陰になってるところにあったんだ。
よく探せよバカって思った。
そしたらそいつはしたり顔で
「あぁ!あった!・・・Well well well,こんなところにあったよ。わりいわりいHAHAHA!」
とか笑い出したわけ。わざわざウェルウェル言い直すなよばか!超うぜぇぇぇぇぇ!
もうほんとにSHUT UP YOUR MOUTH NOW!だよ。
こういうわけのわからない癖っていうか自己顕示欲っていうの?何とかならないもんかね?
まあそれ以外はいい奴なんだけどね。
『「寄生対象に見られる事≠好意」だから。これを当然の如くイコールしてある論調には頭痛が。
"男"としては軽蔑してるから"金"の部分を経済的に利用してやろうとする女もいるんですよ。女性はそういう目に遭う事ないのかな』
というブックマークコメントを付けるのもなんだし、もっとちゃんと書きたくなったので、久しぶりにエントリを立てました。
以前、「寄生対象としてだけではなく人格を尊重して好きになって欲しい」という交際相手への要求を、
「幼稚な願望」だか「男らしくない願望」だかと皮肉っていた女性がいた。その女性はきっと、
交際相手から人格を無視されATMや庇護者としてだけ扱われることに全く異議を唱えないご立派な人なんでしょうが、
わたしはひとをそんな目で見てつきあいたくはないし、実際にそんな交際はしてこなかったし、
「人格はいらない。財布としての機能だけが欲しい」と本気で思っているような女性も真っ平です。
人間らしいお付き合いがしたいよねー。ということのどこがお子様レベルの高望みなんでしょうね。
あと、「交際相手として扱われたいなら対等な人間として扱われることは諦めろ。両方望むのは男の欲張りだ」
という理屈を振りかざす人も存在するのですが、わたしにとって恋愛対象の人は同時に対等な人間なので、
これもちょっと何言ってるんだかわからないですね。
要するにこういう人々は、「女性様に利用価値を見出してもらっているのに文句を言うとは何様のつもりだ?」、
あるいは「私は結婚相手として意識されたことすらないのに、男ときたら、あれはいやだこれもいやだと贅沢なんだよ!」と
言いたいだけなのだと思われるが、こちらとしては「あなたに寄生対象として見てくれと頼んでない」、あるいは
「あなたが経済的不安を抱くのは勝手だが、やつあたりするのはやめてほしい」としか言いようがない。
そういうおかしな人たちは横に避けておくとして、たいていの人は性別に関係なく、
人格を無視された上で見栄だの金だのだけに執着されても侮辱としか思えないものだ。
男女ともにそうであるはずだ、と思う。
「仕事や経済力に惹かれてもらえば嬉しいでしょ。甲斐性があると見られてるってことなんだから」
「男として認められてると思えばいいのに」
と無邪気にのたまう女性が多く見えるのに対して、なぜ男性の多くはそれを嫌悪するのだろうか。
それは男性にとって「寄生対象としてのみ扱われた時に生じるリスク」」が、圧倒的に高いからに他ならない。
想像してみて欲しい。人として尊重していない男性、その経済力だけが目的である男性に対して、
いざその男性の目が離れた状況になった時の女性がどうふるまうものか。
もっとも最悪な可能性は結婚詐欺(オプションとして睡眠導入剤、練炭)だが、問題はそれのみにとどまらない。
結婚することに合意したとして、まず、その女性は、夫婦間の貞操に対して非協力的である可能性が高い。
浮気しないでくれと言っても、ATM―――いわばお財布なんちゃらとしか思っていない男の人格を
「うっかり別の男の人と生で中出ししちゃったテヘッ」と言ってカッコウ戦術に出ることにも
罪悪感や抵抗を感じないだろうことは想像に難くない。
また、身勝手な要求をされる可能性も非常に高い。何度も言うがその女性にとって相手は体裁・金銭のための道具にすぎないのである。
嫌だと拒否することを、強制的にされたりさせられたりする可能性が高いということだ。
拒絶したら生活を人質に取られるか、恫喝でやらされるか(何せ男性の気持ちなど尊重していないのだから躊躇はないし、
興奮状態にある女性が通常より利己的になることは言うまでもない)、
「ドラマのように出来ないお前は男失格だ」など言葉の暴力で攻撃されることもある。
「以前からやりたかったことをお前の金で試せない私は被害者だ。何のために結婚しているのだ」という自己中な理屈で逆ギレされる可能性もある。
一言で言ってしまえばヒューマン・ライツの問題であり、人格を無視され現金引出機としてだけ扱われるということは、
そうした生活の自己決定権を侵害される危険性が極めて高いということだ。
歴史的に男性はそれを侵害されてきたし、今なお世界中の国や文化圏では、婚姻関係において上述のような暴力的状況が出来(しゅったい)している。
夫婦が本格的はじまりである。
結婚をする関係にある女性に、「人として」尊重した上で好意を抱いてもらわなければダイレクトに心身に損傷を負う危険がある。
それが男の抱えている深刻なリスクである。お子様願望だの、ありのままのボクを愛してだのというぬるい話ではない。
だからこそ男性は「自分を寄生対象としてしか見ようとしない女性に対する嫌悪感」が無意識レベルでも強い。
この女はアレだと勘づいたら早急にシャッターを下ろしてそれ以上近寄らせないように「自衛」するのも当然である。
でなければ「結婚をする関係性」になる以前に、まずを食らう可能性がある。
とにかくそういう女性が近寄ってくることには「リスク」しかないのだ。
「「収入・地位に関心=好意を持たれてる=モテてるってことだよね~♪」」などと
、無邪気に喜んでる場合ではないのである。
その女性の経済的関心がちゃんとこちらを一個の人格として尊重した上で付随されているものなのか、
それとも完全に「財布」という記号にしか見えていないのか、見極めなければ手酷い傷を負うことになる。
「養ってと迫る女がいるだけで甲斐性だと考えている男もいる。理屈に合わない」
「男をモノとして扱う鬼女に平気で給料全部吸い上げられてる奴隷男が山のようにいるじゃないか。何がリスクだ」
という反論が聞こえそうなので一応。
そういう男性は単にリスクを顧みず結婚しているだけの話であって、リスクそのものが無くなったわけではない。
女性より法的立場が弱く、扶養の義務を持っている限り、危険はどんな男性の上にも平等に降りかかる。
信頼関係を築き上げた女性が相手の時でさえ、本当に結婚に踏み切ろうと言う前には足がすくむものだ。
そういう恐怖を克服しても、この人がいい、この人を信頼した、信頼すると自分で決めたからリスクも背負う、
と思える相手でなければ結婚できませんね。わたしはね。
そのリスクを深刻な危機感として感じない男性も中には存在するというだけの話である。
えーと。蛇足だけどついでに。
「年齢がアラサーに差し掛かってるから、どうしても男性のことを考え始めると地位や年収でおおざっぱに認識しちゃうけど
オンナノコとして当然なんですう。えーんえーん。でもワタシ根は無害で純粋な子羊だから。
いざリアルで相対すれば男性をモノ扱いしたりしないよ!そんなことするのはビッチだけだよ!」
などと言う女性が時々いるのですが、メディアで年収年収・遊んで買い物して旅行は年○回・専業主婦で楽になりたいなどと
寄生虫臭いことを喚き散らしていれば、
「あー、男を生活安定させるための道具としか思ってないのね。
女としての自尊心を回復して同性に見栄を張るためのツールとしての夫が欲しいだけなのね。
単に魅力がないだけで中身はビッチじゃん」
と冷ややかに突き放されるのは当然でありまして、
「リアルでは少女の心を失わない純粋なワタシ」などと言い訳しても説得力など皆無であります。
だって、文章だけだって十分暴力になりうるからね。
このエントリだってある種の女性にとっては暴力になりうるのを見れば一目瞭然でしょう。
「私婚活中なんです。凄く焦ってるのでお付き合いしてください。まだ結婚してないのは友達の内で私だけなんです。
飲み会で友達に同情されるのはもう嫌なんです」という告白だかなんだかわからないような告白を受けて、
「そんなこと焦る必要ないと思うけど、金が欲しいだけなら風俗で働けばいいんじゃない?」
とニッコリ笑って言ってしまった経験のあるわたしですが、
風俗行けなどという暴力的な言葉を返されたくなければ、無自覚に暴力を振るわないように気をつけた方がいいと思います。
(これ言われた時は、「うわー・・・つきあったら『友達が飲み会で自慢していたことを全部私にして。経験ないのは私だけだから』
とかムチャクチャな要求をしてきそう。しかもそれを飲み会で友達に全部自慢しそう。絶対無理」と思いました)
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php