はてなキーワード: 反動とは
重くてミスで連投してしまったので書き直した。申し訳ない。
「このような論点が存在する」という主張は「このような価値観こそが正しく、他は全て間違っていると信ずる」というものとは全く異なる。
そのような論点ひとつしか出さず、しつこく反論を続けているから、君がその主張にコミットしてるようにしか見えんかったのだけど。
なお、くぐるまたぐらを間違えたことは認めるが
まあ撤回するならそれでいいよ。俺が一番批判したいのはその部分だから。
じゃあ例えば君が美術館の館長で、「芸術なんて無駄なものに金が出せるかボケぇ」ってな思想の持ち主の市長によって予算が激減させられそうになったとき、彼にどう反駁するんだ?芸術に対して経済的有用性を云々するのは冒涜である、と主張して、その結果宗教論争に陥って君は解雇、職員も路頭に迷う、なんてのが理想なのか?それこそ勘違いヒロイズムもいいところだ。職員はいったいどうなるのだ。
そこで経済効果や市政国政上の意義を主張するのは芸術家のやるこっちゃねーな。美術館経営者、職員を養う責任者の立場ならそういう食い下がり方をする必要はあるだろうが、少なくとも芸術において本質的な議論とは言えん。もちろん、サラリーマンがサラリーマンの仕事をすることを否定はしないよ。
これが「世に差別や不正が溢れているとして、そりゃ一凡人に出来ることは少ないが、開き直って加担するような真似は俺には出来んね」といった人間の言葉なんだからお笑いぐさだね。
英語って何か不正な言語なのか? 世界中で使えるなら便利だろ。コンテンツも売りやすくなるだろうし。
文化を有用性で測るのは冒涜だとかおっしゃったのはどこの誰様でしたっけねえ。
そういう重要性が実際ある以上、芸術的価値と関係ないところで一目おかざるを得ない、と言ってるのだけど。苦々しくな。これは残念ながらくぐらなきゃならないまたぐらだ。君の言い方だとね。
それは欧米の伝統の延長でしっかりリベラルにやってけば克服できる問題だろう。一方で、日本の伝統的な思想の延長上でそういう問題を克服できるような期待がどこに持てるんだ? ダメそうな負の遺産はわんさとあるけどさ。
欧米の古典と比較しての日本の古典の意義を訴えたいなら、君が具体的に語らなきゃならないのはその部分だと思うんだがね?
だが現代ではそうはいかないぞ。
西洋中心主義批判に相乗りして巧妙に反動思想を広めようとする輩が結構いるが、なるほど現代的な現象かもしれんね。君がそうだと決め付けているわけではないが、そうではないという確証はどこにもないね。だから具体的に語れと何度も要求してるんだが。
五万といて、毎年生産されて増え続けていくただの「上のほう」の連中の話なんかしてねーよ。
そりゃ日本に大学がある以上どこかは最高学府だし、その卒業生はコンスタントに生産されるわけだが、それがなにか?
本物のエリートってのはいつでも一握りなんだよ。
で、FORTRANが低水準処理に近いから数値計算で使われるんだって話はどこ行った?www
あいまいに逃げようったって、お前が何か根本的にその辺勘違いしてるのはもうはっきりしてんだよ。
FORTRANが数値計算に使われるのは、過去の蓄積、ライブラリが豊富にあることのほかに、データ型の充実などの理由がある。最近は他の言語でもいいライブラリが出てきてるから、C++で数値計算なんてのも出来ない話じゃなくなっている。めっちゃリッチな高級言語ですけど?
まともにその辺知ってれば、その辺飛ばして一足飛びにRuby,Perlって発想自体、ありえん。
低レベルでの処理の意義を主張したいのなら、やっぱりハードウェアを直接叩くものを挙げるべきだ。いくらでもそんな仕事はあるんだから。君は知らないのかもしれんが。
てか、ハッタリなんだよな? 君が情報工学を修めてるってありえんだろ。怒らんから言ってみ? いくらなんでも信じたくないな、こんなアホが……。
日本は中世か、というタイトルにしたのは、またもやあちこちで「魔女狩り」が始まりかけているからである。契機となったのは宮崎某による幼女殺人事件である。まずここで「おたく族」がやりだまにあげられた。「おたく族」とは少女マンガやアニメの総称である。年に何度か開かれるコミックマーケットのようなものに行って、先鋭化したマニア向けの同人誌などを買いあさる。情報交換などするときに「おたくの場合さあ・・・」といった口調でしゃべるので「おたく族」と呼ばれる。宮崎はこの「おたく族」だったのか、部屋の中に多数のアニメビデオや専門誌を置いていた。こうしたアニメやコミックの中ではロリコンものやパロディポルノに需要が多い。人気番組のキャラクターを使ってエッチなことをさせる。同人誌の多くははっきりと性器を描いた、完全なポルノである。ロリコンものにしても、現実の少女を使うとたいへんな事になるが、アニメやコミックですれば問題はさしあたって起こらない。そういう世界では、たとえば8歳の少女とセックスメカノイドとの激しいセックスが描かれていたりする。僕もそうしたコミック誌やアニメを見たが、これは確かに立つ。おたく族の青年が、もはや現実の女性にセクシュアリティを感じなくなる、というのも分かる気がする。ところで、おたく族を現実逃避だの男性性の欠如だの気味悪いだの小太り色白だのと陰口をたたくのは勝手である。そうした陰口は吐いた本人の品性の貧しさをあらわすだけで、実際に論陣を張れば、シャープで理知的なおたく族の前ではひとたまりも無いだろう。おたく族というのは実際、一本のアニメをより理解する為にフィリップ・k・ディックから南方熊楠までまで読んでしまうような、そういう人種だからである。ところがここに至って、宮崎某がおたく族であったという事実が、世のおたく族嫌いを有頂天にさせているようだ。「宮崎=おたく族」であっても、この場合逆もまた真なりとはならない。正しくは「宮崎=おたく族のうち一人」である。しかし、魔女狩りをする群集には理も否もありはしない。現実にあるロリコンアニメをつきつけては、どうだどうだと迫る。「おまえも、こんなことしてみたいといっつも思ってるんだろうが、えっ!?」
もちろん彼らはそう思っている。思って思って自分と戦った結果、道義的責任のないアニメの世界に安住場所を見つけたのである。
二次元の世界しか欲望の対象を持たない彼らは、およそこの現実の世界では一番犯罪を起こしにくい人種なのだ。嘘だと思うなら、この世の中からロリコンアニメをすべて撤収してしまうといい。その場合、幼女姦が増えるかを統計的に見れば分かるはずだ。その場合、幼女姦が増えたとして、その責任は誰がどうとるのか。同じことがホラーに対しても言える。宮崎の事件を契機にしてスプラッター・ホラーへの抑圧が始まっている。これはやはり宮崎の部屋に「ギニー・ピッグ」のシリーズが置いてあったことに端を発している。「ギニー・ピッグ」は僕自身は最初の一本目と、シリーズ中の「ピーターの悪魔の女医さん」というのを見た。ピーターの方は大笑いのブラックコメディ集である。一本目の方は監禁した女の子をなぶり殺しにする過程をビデオに収めた、という設定で、アメリカに実際ある「殺人ビデオ」の雰囲気を出そうと苦労している。スタッフは苦労しただろうが、見ているこっちはうそ寒くて鼻で笑うしかないような作品だ。
しかし、世の中で事件が起きると必ずこの手の反動が起きる。「ギニーピッグ」をかばうわけでも何でもないが、犯罪が起きるとマスコミはその犯罪の尻をどこかに持っていってつじつまを合わせたくなるようだ。知能犯罪が起きれば犯人の本棚からその手口のもととなった推理小説を探す。その結果、著者がコメントを求められて、「私の小説が動機となったのなら、残念なことだ」と述べたりする。
この場合「動機」は小説ではない。「金ほしさ」である。僕がもしこの作家の立場に立たされたらはっきりとこう反論する。
「犯人の反抗に対して私の作品が与えた因果関係を、誘導尋問によらず自白させてほしい。その上でそれが犯人の自分の犯行に対する他への責任転嫁ではという、なんらかの証明をしてほしい。加えて、犯人がもし私の作品に接していなければ犯行に至らなかったどうか。なぜ私の作品に接した多数の人間の中で、”犯人以外の”大多数は犯行に至らなかったのか。それを説明してほしい」
ロリコンものの場合も、一般のポルノの場合も、スプラッタホラーの場合も同じことである。何らかの表現行為に起因して犯罪が起こるというのは空論だ。すべての表現、たとえそれが芸術的に無価値な、便所の落書きのようなものであったとしても許容されなければならない。ただし、見たくない人は見ずにすむという「自由」の上においてだが。そういう意味ではスイッチを押せばどんな画像が出てくるか分からないテレビなどのメディアは、この条件を満たせない。しかし、映画やビデオや出版物はそうではない。パブリックなメディアとパーソナルなメディアを混同されては困る。その上に、異常者の犯罪と表現メディアを対にして考えては困る。そして、もっともっと困るのは、犯罪者とその家族をいっしょくたにして考えられることだろう。それこそ中世の「一連托生」の考え方なのだが、マスコミはそうした前近代的なことを平気でやってのける。今回の宮崎の事件にしても、僕は某誌の「誰も書かなかった真実」なるレポートをみて驚いた。
そこには宮崎のおじいさんの代にわたって家庭内のことが掘り起こしてあったのだ。おじいさんに愛人がいて夫婦仲が悪かっただの、お父さんの性格が「お調子物」だの、etc。そうした家庭環境が犯行の遠因になっていたかのような書き方だが、それはレポーターの大義名分に過ぎない。本質的にはこうした家人のことというのは「ご近所のヒソヒソ話」であって、オフィシャルに出されるものではない。犯罪者の家人だからこそさわってはいけない。殺された子供の親同様、この人たちもいやされようの犠牲者であるからだ。それをじいさんの女関係までさかのぼって掘り返すとはどういう神経なのかと思う。こんな事件のせいで、おたく族もホラーファンも犯人の親族も大迷惑をこうむってるわけだが、少なくともこうしたことだけは宮崎一人のせいではない。人間の中の魔女狩りの古い記憶、「はらい」や「みそぎ」の感覚、ならびに窃視願望がこうした見当違いの弾圧を起こさせるのだ。「時の勢い」というのは恐ろしいものだから一度はずみのついたこうした力は加速度持っていくことも考えられる。ホラーもアニメも誰かさんの総チェックを受けるようなことにになるかもしれない。
人間とはどうしてこう干渉や規制が好きな動物なのだろう。人の楽しみはほうっておけばいい。禁止しても放置しても、犯罪は起こるのだ。
人身事故があったんだ。
↓
14本、5000人だけ? 少ないな。日曜日の朝だから?
↓
30分で復旧してるってことは飛び込んだやつは無事だったんだな。
↓
各駅停車の中央線(朝の中央線、総武線)で新宿駅だもんな。減速してたんだろうな
↓
接触か。。。
ま、他にけが人がでなかったようでよかったよかった。
都内の電車というのはほぼ数珠つなぎに走っているのでひとつが止まると他も駅ではないところで停車しなければならない。
影響度の少ない人身事故でも電車の中に30分は閉じ込められることはザラだ。
東京で雪が数センチ積もっただけで電車が止まるのはなにも電車が弱いからじゃない。
ダイアが数分遅れただけでアウトになるほど過密なんだ。
新宿駅での人身事故だと、総武線直通各駅停車中央線と、中央線快速のホームがあるので、片方がとまっても融通が効く。
5000人の迷惑って思うかもしれないけど、これが時間帯によっては数万人になる。
数万人の中にはそのせいで飛行機に乗れなくなる人や、
猛烈なラッシュの中で気分が悪くなってしまう人、
もしかしたらいますぐ入金しないと会社が不渡りをだしてしまう人や、
トイチで利子がついてしまう人や、
親の死に目に逢えなくなった人や、
猛烈な便意のなかで電車に数時間閉じ込められる人が少なからずいるはずなんだ。
そういうわけで
この情報はその場所に住むひとにとってはここから一日の予定の変更を迫られたり、
なんだりしなきゃいけない有用な情報なんだ。
「台風で床上浸水30棟」ぐらいの有用性。
一家を支える立場である父にとっては、私も社会で働いている身であるといっても、所詮女子供の遊び程度にしか見えないんだろうか。
家を出て一人暮らしをすれば、いちいち言動や態度にそういうことを感じずにすむのだろうが、そうすると介護の必要な祖父母を全て母に、ということになってしまう気がする。
婿養子で妻の両親と同居する父の肩身の狭さも分からなくはないけれど、殊更家長然とした態度が鼻について仕方ない。
両親を見ていると結婚に希望は無いと思う。祖父母を見ていても夫は枷にしかならないのかと思う。
でも結婚すれば家を出られると思う。(どのみち24歳喪女なので結婚のことを考える事自体、おこがましいのだが。笑ってくださいな)
昔は父のことも手放しで好きだったんだけどな。気持ちの置き所がこの所分からない。
まあ、甘えですが。
マクロ、ミクロを持ち出すような経済学的な観点に立つと雇用者(経営者)の論理が先に立ちがちですが、労働者の論理も無視できません。
現在単純労働に分類されている派遣労働者の生活を守るために最低賃金の増加を言うのに論理的な破綻はないと思います。
【派遣・日雇い】共産党志位委員長の国会質問が話題になっていますが、これらも含めた最近の「派遣は悪」という論調の議論がイマイチ理解できません。 論点を明確にするた.. - 人力検索はてな
これね勘違いというわけではないのですが、根本的に立ち位置が違うんですよ。経済学的な視点ってのはあくまでも経済「学」なんですよ。さらにいうとid:tableさんが経済学だと思っているのは、あくまで新自由主義的((新古典主義的でもいいのかな?))な視点から解釈する経済学なんですよ((現在の主流は自由主義に沿った考え方なのでほぼ正しいのですが、それでも新自由主義を推奨しているわけではなくて、経済を基本として社会をとらえた時に、よりシンプルな解釈ができる方法・思想・考え方ってだけのことなのです。))。そうだとしても、経済学が経営者の論理に立っているかというとそれはウソです。経営者も労働者も市場原理にしたがって駆動するプレーヤーとして扱われています。経営者が自己利益の最大化を図ろうするときに、同時に労働者も自己利益の最大化を画策します。ゆえに両者は対立する関係ではなく、同じフィールドで協調しながら個々の利益の最大化を図るプレーヤー同士なのです((残念ながら抜け駆けや騙し討ちなども平気で発生するし、条件がアンバランスだったりするドイヒーなフィールドなんですけどね。))。
なのでねid:tableさんが言っていることと、id:curry21が質問していることとは、見ているものが違うんですよ。
id:curry21さんの考え方((回答への返信から勝手に推測))だと、単純に外部化できる労働はどんどん労働単価の安い所にまわしてしまいましょうって感じなんですよ。それに対して誰かが「国力が...」とか言っても、国家ってなに?経済の地理的循環を停めようとする邪魔な存在のことですか?そんなもんは無くしちまえよ。というような考え方なんですよ((こうした国家をシカトするような考え方自体は悪ではない。実際、歴史を振り返ると第二次大戦のきっかけとなった世界恐慌は国家の保護政策的なブロック経済がそもそもの原因だったりします。))。別に日本人ばかりが裕福な暮らしができても仕方がないでしょ?中国人だってインド人だってアフリカ人だって裕福な暮らしをしたいし、それを実現する権利があるんだから、日本人が自分達の生活を守るために第三国を排他的に扱う正当な理由はないでしょ?って考えているわけですよ。そんな風に考えないないで一部の日本人の都合だけを考えて「派遣は悪だぜ」なんて言ったら、一方が圧倒的に有利な条件でゲームをしているようなもんなんです。
そういう観点からid:curry21さんは質問をしているわけだと思います。こうした一見すると無茶苦茶に見えるようなことでも、じっくり考え((自分自身の感情や立場を脇においておいて、合理にのみ徹して考え))てみると、芯が通っていて先まで見通せるような気になってきます。まぁ、もちろん実証出来ないよとか、現実にはあてはめられないよとかの反論は多々あると思います。でも「学」なんてそんなもんです。でも、そんなもんなんですが、それでも現実においては思想にもとづいた一貫した主張・行動は必要だと思います。その時々によって自分に都合のいいことばっかりだと愚衆とかイナゴとかになってしまって、メディアや声の大きい人達にいいようにアジられてしまいます。
なんでもかんでも何かの主義にあてはめろというわけではありませんが、せめて自分自身がどんな立場で、どんな思想を持って物事を判断したり、ケチをつけたりしているのかを振り返ってみる必要はあると思います。そうでないと単にムカついたとか感情だけで反応してしまってどうやってサヤに戻すか困惑してしまうことになるかもしれません。
反動でタナトフォビア(死恐怖症)にならないようにね。ネットで会った友だちがそうだった。その子得度までしてたんだけど、洗礼も受けてて、何でそんなにいろんな宗教に行っちゃうのかなと思ってたらタナトフォビアだったぽい。あまり理解できなかったけれど、本人には深刻な悩みだったね。欝だったのかもしれないけれど。
自分的に一番しっくり来る死生観は古事記やギリシャ神話の冥界のような、ただ死の世界に「遷移」する。状態が変わるだけ、という感じ。だからあまり怖くないのね昔から。困ったことなのかもしれないけど。
完全に「無」になるという人もいるし、最後の審判をずっと待ち続ける、という人もいるし、まあわからないよね。でもみんないつかは死ぬのだし、するっと遷移できたらいいなとは思っている。
そういう人たち((サンプルとしては少ないかも知れないが十数名))と過ごしての感想だが、身奇麗な人は普通の女性と変わらない。おそらく世間に自分の趣味を隠して生きている人たちが非常に多い。
ただそういう人たちの中に、日ごろの抑圧の反動から、元増田の友人のように「趣味を隠さなくてもいいフィールド」で悪い意味ではっちゃける人がいる。
んで、そういう人たちが男オタをけなす理由は「自分がこうやって外面覆ってるのに遠慮会釈なく回りに気を使わないなんてなんかむかつく」とかそういう方向性なのかな、と思ったり。
要は一種の同属嫌悪と嫉妬じゃあないのかな。元増田が友達見てて妙にイラついてんのと一緒だろ。
「受験勉強の反動で大学生は遊んでいる」って言葉はよく聞くけれど、受験勉強にまじめに取り組んだ奴の方が充実した大学生活送っている気がする。
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http://anond.hatelabo.jp/20080112203400
そういう読み方をされたか。「充実した大学生活」というのは「目的意識を持った大学生活」という意図だったが。勉強に打ち込むも「充実した大学生活」だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080112204058
家だと気が散るものが多いから毎日図書館に通ってみては?ネット接続環境があるところで勉強に集中するのは個人的には無理。
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ちょっとずつレスを。
ご存じかも知れませんがジョセフ・ジョースターは2部では女嫌いだったんです。
ラストでこそスージーQと結ばれますが。
そんな彼の浮気が4部で発覚。
承太郎は「『生涯一人の女性しか愛さない』なんて聖人のようなことを言っておきながら」とぼやいています。
ジョセフ・ジョースターの女性に対する姿勢は以下のように移り変わっていったと想像できます。
(1)女嫌い
(2)愛妻家
(3)浮気
ジョセフが浮気したのは62,3歳。しかも子供ができているということはゴムすら付けていません。
このジョセフのはっちゃけ具合、明らかに女嫌いの反動で浮気をしてしまったのではないかと考えられます。
ですので、言い訳として使うならば、「あの女嫌いだったジョセフだって、60歳を超えて浮気したんだ。なら、ジョセフみたいにジジイになってからはっちゃけるより今はっちゃけた方がよくないか」という言い回しが考えられますが、所詮マンガの世界のお話ですのでお気になさらないでください。
格差社会だなんだとかまびすしい一年だったが、経済的側面ではなくエロの側面からも考えてみよう。
ここで言うエロとは、風俗、すなわちソープやカップル喫茶、ピンサロなどではなく、ネット、雑誌、DVD、最近あまりないのかもしれないがエロビデオなどのこととする。
風俗は、おそらく利用者間の格差が生じづらい。アクセスするために物理的に店舗に行くなどが必要で、かつそれなりにお金を払う必要があるためだ。つまり、物理的エロに関してはお金を払って店舗に赴く限りにおいて利用者は平等にアクセスが可能だ。
対照的なのは、ネットでのエロだ。ネットにアクセスできるかどうかでまず格差があるし、さらにエロにアクセスできるかどうかにも格差がある。さらにネットでのエロへのアクセスにお金を払うかどうか、という格差が生じている。
有料サイトもたくさんあるが、品質は玉石混淆も甚だしいし、一ヶ月日本円で5000円程度かかる。一方で、無料というか違法性は無視して見れば、無料のアクセス手段を知っていればエロにかかるコストはインフラにかかるコストを除けば限りなくゼロに近づく。
ネットでのエロへのアクセスができる人間の間での格差はたいしたことはないだろう。有料でも無料でも、アクセス可能なコンテンツと言う観点だと共通のものが多い。
格差が大きいのは、ネットでのエロへのアクセス手段がある人間と、雑誌や、レンタルDVDなどの手段しかエロへのアクセス手段がない人間の間だ。
ネットでのエロへのアクセス手段を持っている場合、質だけでなく量に関しても圧倒的に雑誌エロ派(派と言うには自発的に選ぶわけではないかもしれないので不適切か)よりも多くのエロにアクセスしていることは言える。
量に関しては自身の選択によるものが大きいであろうが、レンタルDVDで1週間に10本借りる人はまれだろうが、ネットエロ派は1週間に10本しか目を通さない人は逆にまれだろう。
ネットエロ派に起きているのは、いわばエロインフレとも言うべき状況だ。
電車広告なんかと見ているとよく思うが、ネットエロ派の大多数は「ほしのあきの谷間」だとか、「お天気お姉さんの純白パンチラ」なんかには「圏外」なこと甚だしいだろう。「現役スチュワーデスヌード」とかもしかりで、ピクリともしないだろう。
ここで注目したいのは、こういった雑誌、週刊誌のコンテンツで「興奮できる」という需要があることで、「そんなものでおかずになるのか」というようなものが需要があることで見えてくる格差だ。
ネットでのエロへのアクセスが可能な人たちは、無修正のエロ動画やエロ画像なんて見飽きているだろうし、おっぱいが見えているぐらいではなんとも思わないぐらいにエロ感度が下がっているだろう。新宿や吉野町を歩いているときに風俗の看板を見ても、なんとも思わないのではないだろうか。その程度の露出では彼らのエロアンテナにはまったく引っかからない。ヘアヌードなんて、生ぬるいのだ。セミヌードなんて「帰れ!」というのが正直なところだろう。
ネットでのエロへのアクセス手段を知り、求道してきた人たちは、雑誌エロ派が数十年にわたって触れてきたコンテンツ量を数ヶ月で消費可能である。そこには圧倒的な量の格差が生じている。また、質に関しても、ネットエロの場合はモザイクなし、ありとあらゆるフェティッシュに応じたコンテンツが簡単に手に入る。量と質についての圧倒的格差が生まれているのだ。
週刊誌やスポーツ新聞で興奮できるなんて、ウブなんだな、という見方ができる。圧倒的な量と質のエロに触れて数年を過ごした人たちは、エロに関してインフレが起きていて、ちょっとやそっとのエロでは圏外なのだ。素人が脱いでいたり、女子高生が援助交際している動画なんて見飽きているし、そもそも量が多いため記憶になんて残っていない。
素人が脱いでいるぐらいでは動画の冒頭の10秒程度で再生するのをやめるのが関の山。従って、素人の一般的な女性が動画を撮られて「ばらまくぞ」と脅されたとしても、日の当たる場所を歩けなくなるなんて心配は無用だ。レースクイーンなんかの容姿で商売できるような人たちが脱いだりSEXしている動画だって掃いて捨てられているのだから、普通の素人の動画なんて注目もされない。「みんなに見られてしまう」なんていうのは自意識過剰だ。
大量のエロを消費し、エロインフレが起きている層と、週刊誌やスポーツ新聞の記事で興奮できるウブな層。おおざっぱにそれぞれ前者は若い世代、後者は年齢が高い層にわかれているだろう。
エロに関する感受性の格差は、セクハラのガイドラインにも再考を迫るかもしれない。ネットでのエロへのアクセス手段を持つ女性は増えているだろうし、女性でもエロインフレを起こしている人は多くなってくるだろう。そうなったときに、セクハラの当事者となることが多い年齢が高い層と、若い女性の間でエロ感度が異なるため、年齢が高い層が「セクハラ」だと思って行う言動(行動は別か)が、若い女性側では「そんなのセクハラにならんよ」ということが多くなるかもしれない。
セクハラのガイドライン是正はさておき、エロ感度格差是正のためには、質的観点では雑誌やDVDでの外性器に対するモザイクの解禁が考えられる。そもそもなぜ今のようなダブルスタンダードが許されているのだろうか?その前になぜ外性器にモザイクがかけられているのか?どのような意味を持っているのだろう?法律がある?外性器にモザイクをかけることのメリットがさっぱりわからない。子どもや見たくない人が見てしまう、という懸念があるならば、そのコントロールはネットの方がやりやすいだろう。
モザイクの技術を発達させても、それは発泡酒と同じだ。発泡酒のうまさを追求しても、日本でしか売れないし使えない技術で意味がない。発泡酒の技術を追求する投資なんて無駄の極みだ。携帯電話と同じガラパゴス化を目指すのか?企業の世界的な競争力を削いでいるだけだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20071223134550
「高い」の基準が違うんでしょう。たとえば服で言うなら、ユニクロと無印とGAPだけで買い物してれば1シーズン4桁の出費で抑えられることも普通だし機能的に問題はないのに、そんな生活をしていると周囲から「服は変えた方がいい」と口を酸っぱくして言われる。でも、それ以外の店に行くと、下手すると一着の服に5桁の金が飛んでしまうわけでしょ。とてもじゃないけど、ファッションを趣味だとでも考えてない限りそんな金は用意できないですよ。みんなどっからお金が涌いてくるんだか。なんていうと「貯金に回す金を削って服に使え」とか言われるのかも知れないけれど。
いや、選べばユニクロ無印GAP(GAPが入ってるだけまだいいほうだと思う)
で全く問題ないし、女性ってそこまで男の服見てないと思うんです。
それこそガッチガチになんかの雑誌に影響されてるような女の子じゃない限り、
清潔感さえあれば問題ない人の方が多いと思いますよ。
それこそこと結婚になったら、そんな無駄金使ってるような男選ばないでしょうし。
(遊ぶ男と結婚相手とは違うってことなんでしょう)
貯金の方が相当マシ。
収入だって、たとえばメーカーの基準と金融業界の基準を一緒になんかできないですよね。「30代で年収1000万が普通」なんて業界もあるらしいですが、少なくとも私には縁のない話ですね。
それはやっぱり自分の業界にいる人間を選ぶことになってしまうと思います。
女性の基準が高いのはかなり問題で、どうやったって追いつけない壁がありますし。
忙殺されてて誰かに癒されたい人を探すべきだと思います。
一目惚れして好きになって、その子と少しでも長く話していたいから何とか策を考えるのって楽しくないですか?
二十代に突入したあたりから全然楽しくなくなりました。だって、破滅の過程が見えてしまうんだもん。惚れた相手の大半は既に彼氏持ちだったりして、残りの稀有な例でも全く話にならない。こっちがどれだけ策を弄してあれこれやっても、月に一度10分でも一対一で話す機会ができれば大喜びというのが関の山なのに、モテ男はいつでも好きなときにそんな状況を作れるんだから。戦車に竹槍で立ち向かうような無力感を感じましたね。結果が何の抵抗もできずに蹂躙されるだけというのもいつものこと。
いつでも作れるわけないじゃないですか。
モテる人の行動ちゃんと観察してます?
奴らは根回しもちゃんとするし、基本的にお願いをするのが上手いですよ。
でもちゃんとフォローもしてる。既に彼氏持ちかどうかなんてどこからともなく情報入手してますよ。
周りから攻めるってことをしてますか?
(俺自身はできそうにもないです。だって面倒なんだもの。)
最近は同年代の女性を見ても「惚れたが最後、またあの破滅を味わう羽目になる」という妙な自制心が働き、頭の中で「そんなの関係ねえ!」がリピートして意識の外に強制的に追放されるなんて防衛機制が発動します。酸っぱい葡萄と呼びたきゃ呼んで下さい。勝ち組様は上等の葡萄酒を日常的に味わっておられるのかもしれないが、俺のような負け組には酸っぱい葡萄すら手に入らないのですよ。
単刀直入にいいますが、おそらく高望みしすぎです。
モテる奴は分け隔てないですよ。
どうにも増田からはいわゆるレベルの高い女性ばっかりチャレンジして砕けてる印象がある。
ここからは私のエントリへの返事じゃないですが…。
http://anond.hatelabo.jp/20071223031140
とりあえず気軽に飯でもなんでも誘ってみて、話す機会を作るってことだよ。
時間をかけて相手の本質をある程度知らなきゃ、飯なんて誘えませんよ。女同士で「あいつキモい」と噂立てられて村八分になったら、こっちが悪者になるだけだもん(いや、思い過ごしじゃない。実際そういうことは何度もあったんです)。そんなリスクを背負えるほど人間関係を器用に幅広く作れるわけじゃないですしね。で、リスクの見極めをしている間にモテ男にかっさらわれて終了。
多分ね、多分ですけど、
自分のいつもいるフィールドから外に人間関係を広げる努力してませんよね?
思いっきり勘違いしているモテ男と呼ばれる人種しかいないと思うんです。
普通は、そんな環境はさけて、リスクのないほうをとろうとします。
見極めなくていいフィールドを作るしかない。
そんなの面倒ですか?
もっと広げないと牌がなくなりますよ。
と、自分自身にも言い聞かせるように書いてみました。
高望みさえやめれば、どうにかなると思うんですが。
久々にブクマが付いたのでそっちに返事しますが、
id:myfootさんは顔にこだわり過ぎなんじゃ?
笑われたって?指差してですか?んであからさまに凹んだ?
そりゃモテないですよ。自分の顔が嫌いとか言ってる人となんで付き合わなきゃいけないの。
どんだけ不細工でも自分で何とかしようとしてる人じゃなけりゃ
モテからは遠くなる一方。
俺も昔笑われてると思ってすごいダメな時期がありましたが、
関係ないやと思えるようになってからずいぶんそんなことは減った気がします。
id:Mossaさん
表現がおかしかったでしょうか?
旅路の果てに何が見たい
君はいったい何に怯えて
何をそんなに嘆いている
その目に映るものに頭を支配されそうになっていると言うのなら
心の声をきくんだ
社会はいつだってイタズラに僕達を振り回す
だけどほらその中に君だけの答えがそう隠れてる
満たされない想いがもしあるのなら
それは君自身の手で創られたもの
君は一体何処へいけば
本当の笑顏 見つけられる
その場しのぎの 快楽の後
訪れる反動を覚悟した ふりをした
情報が誘惑が溢れてるこんな時代だからこそ
僕達はそれぞれの選択をしていくだけなのだろう
社会はいつだってイタズラに僕達を振り回す
だけどほらその中に君だけの答えがそう隠れてる
満たされない想いがもしあるのなら
それは君自身の手で創られたもの
情報が誘惑が溢れてるこんな時代だからこそ
僕達はそれぞれの選択をしていくだけなのだろう
オナ禁して、早1ヶ月が過ぎた。
ここまで特に苦労することなくオナ禁できたが、昨日から性欲が出てきた。
ときどき、夜寝る前にエッチな妄想を楽しむときがあったが、朝起きたとき(うとうとしている状態)でもエッチな妄想で遊ぶようになった。
エロ禁(ヌードやセックスの情報を見ない)もやっていたが、ネットでAV女優のヌード写真を見て、エロ禁が止まった。
オナ禁 体験記
http://light.kakiko.com/sionta/onaTiken.htm
(↑この体験記と比較して検証しています)
M字型のハゲ気味ヘアーは相変わらずで、進行もしていないが、元に戻ってもいない。
髪の毛が元に戻らないか期待してみたい。
徐々にやるべきことができるようになってきた。
まだ全盛期の50%くらいしか復活していないが、それでもやる気が持てるようになった。
人と話していて、笑うこともあるようになった。
昨日から性欲がムラムラと湧くようになってきた。
自分の感覚では、中学・高校の頃に毎日オナニーをしていたときのバイタリティー、生命力が取り戻したような感じがする。
オナ禁の反動で射精したくなったのではなく、元々自分の中にあった「性的快楽を味わいたい」という気持ちが復活してきただけだ。
・エロ禁をまた始める。
・2chでアイドル板を見ない。(アイドルを利用した一時的なオナ禁をしない)
オナ禁して1ヶ月目に、中学・高校の頃と似たような性的衝動=ムラムラと性欲が湧いてくる状態に戻った。
いつもならここで、ズリネタ探し→オナニーという流れに至るが、今回はこの山を乗り越えたい。
今はバイタリティーがある状態でもあるので、性欲に意識を集中しなければ、他のことで積極的に活動できるはずだ。