はてなキーワード: 丸山眞男とは
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
# 2008/12/12(金)
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まさに元増田が自分で言っているわけだが、雇用のときに聞いちゃダメなことが多いのにどうしてやっていけるかと言えば、前提とする人間観が違うから。「人間は使ってみることではじめて価値が決まる」と見るか、「人間はその属性によって価値が決まる」と見るか。丸山眞男ふうに言えば、「する」価値と「である」価値の違い。
アメリカの企業面接なんかで聞いちゃいけないことが厳しく規定されているのは、もちろん黒人差別などの具体的歴史的な問題も背景にあるが、やはり根本的な人間観が上記前者のようなパフォーマンス・ヴァリュー(性能価値、利用価値)に基づいていることが大きい。なんと言ってもアメリカは貴族(典型的な属性価値に基づく存在)のいないところから出発したわけだからね。もちろんそれだけに、使えないとわかればあっさり首を切られてしまうような雇用の流動性が楯の半面としてあるわけだけど。
まあ、日本の場合は、雇用の流動性はまだ大きくないし、相変わらず属性で人の価値を判断する思考様式が強く残ってるから、元増田みたいな不満や憂いが出てくるのは十分わかるんだけど、企業面接でのNG質問がたんに差別問題への配慮だけじゃないってことは覚えておいたほうがいいと思う。人間のありかた、ひいては社会のありかたに関わる話だから。
ほんとにこの人は議論というものをわかってるのかね。一つの論点を挙げたらそれと心中しないといけないとでも思ってるんだろうか。
じゃあまず撤回するところからはじめろよ。くぐるまたぐらを激しく間違えてんだよ君は。
そういう意味でこの批判は文字通りナンセンス(無意味)。「このような論点が存在する」という主張は「このような価値観こそが正しく、他は全て間違っていると信ずる」というものとは全く異なる。だいたい俺が一度でも「役に立つから良い」などと主張したか?「役に立つものだけが良いものだ」と思っている奴が相手だと想定したから、「ある特定の価値観を認めたしてもこういう論点が存在する」と言ったのだ。それのどこが、俺がその「特定の価値観」を主張したことになるのだ。
これだけ言ってもわからないとしたら、君は論理的思考というものが全くできないと言って然るべきだろうね。
なお、くぐるまたぐらを間違えたことは認めるが、それは君がどういう思想の持ち主だったかを読み違えただけだ。しかし、匿名でものを書いている君が「俺様のことを正しく理解しないとは無礼千万!」などという資格はまるでないぞ。
それもまた極端な価値観だな。文学は神聖にして侵すべからずというのか。芸術的にも価値があり、経済的にも価値があるならなおのことよいではないか。
じゃあ例えば君が美術館の館長で、「芸術なんて無駄なものに金が出せるかボケぇ」ってな思想の持ち主の市長によって予算が激減させられそうになったとき、彼にどう反駁するんだ?芸術に対して経済的有用性を云々するのは冒涜である、と主張して、その結果宗教論争に陥って君は解雇、職員も路頭に迷う、なんてのが理想なのか?それこそ勘違いヒロイズムもいいところだ。職員はいったいどうなるのだ。
これが「世に差別や不正が溢れているとして、そりゃ一凡人に出来ることは少ないが、開き直って加担するような真似は俺には出来んね」といった人間の言葉なんだからお笑いぐさだね。
文化を有用性で測るのは冒涜だとかおっしゃったのはどこの誰様でしたっけねえ。
日本は所詮アジアだよ。それが証拠に、自由主義も民主主義もまるで精神的なところに根付いてなくて、簡単に前時代的な思想に転ぶじゃないか。
差別発言ですな。そう言い切ったあなたが19世紀の人間ならあなたはヘーゲルになれたかもしれない。だが今は21世紀なのでな。ヘーゲルの5693番煎じぐらいのことを言っても「事実関係に反する」と言われて終了。欧米先進国様にもキリスト教原理主義とか移民排斥とか悪しき伝統の宿痾はいくらでもある。
あんたがもしヘーゲルなら、あるいは丸山眞男でもいい、欧米先進国様の良い点だけに憧れを持って、悪い点を等閑視していたとしても、情報の不足として酌量された点はあるだろう。だが現代ではそうはいかないぞ。
アベレージをほどほどに高く保ちつつ、それで足りないようなエリートは海外で一流の教育を受けて来い、って言ってるだけなんだが。
わざわざそんなことをしたってなんのメリットもないし、むしろデメリットしか想定できないと主張しているのがわからんのか。
えーと、それから旧帝大の卒業生が世の中のどれだけの割合になるのか調べてからものを言おうね。
Fortranを知らないなんて一言も言ってないのにねえ。天声でも聞こえたのかなあ。
実践的なことばっかやってんじゃねーか。お前がその実践性を理解できてないだけだ。
釈迦に説法。仮にも俺は工学修士だ。お前ごときがエラそうに言ってる話なんて学ばずとも勝手に覚えたわ。
工学は実践に直結しているに決まってるじゃないか。「実践」のレベルが違うと言っているのだ。誰が講義でEmacsやgrepの使い方なんか教えてるか、馬鹿馬鹿しい。時間を掛ければいつでも必要なだけ身に付けられることをわざわざ貴重な時間をいくらも割いてまで教えるわけがなかろう。
だいたい、線型代数も微積も何も理解できないお前ががあのシラバスの内容を大まかにでも正確に理解できているわけがないんだがね。それのどこが君のいったような意味で「実践的」なのだ?え?
言っておくが、どっかで聞きかじったような言葉を言葉として知っていることと、内容まで理解していることは天と地の差だぞ。誰かがあの内容に沿って作ってくれたライブラリを使ってコーディングすることは「情報工学」じゃないぞ。わかってんのかその違いが。
教養俗物でもかまわんけど、君もたいがいだね、ただし、君が攻撃のネタにしていることのうち肝心な点が俺の考えではないことは再度強調しておこう。
そのためのハッカー、そのための非モテ、そのためのオタなんじゃねーの。
少なくとも、自分から階級格差を肯定し追認する側に回っていることを公言するようなバカな真似はしたくねえな。
人のことを青臭いだのなんだのというけれども、君こそ大したものじゃないか。ハッカーもオタクも何の関係もないと思うし、現状の非モテ運動がなんかできると思うか?各個撃破されてるだけじゃないか。
どっちにしても、俺はそんなものを追認してないからそこだけは誤解するな。韓信の股くぐりと言ったはずだ。
俺がいつそんな主張をしたというんだか。
これについては他の人と混同していた。失敬。
ただし、高校で古文を教えることがステータスシンボルになるなどとは俺も言っていないからな。独学するための基礎ができると言ったのだ。
君さあ、先進国で大学教育を丸投げしてる国があるかどうか考えてごらんよ。どこの国もそんなことをしてないってことは、誰も「外国で本当の一流を学んでもらったほうが」なんて考え方はしないってことじゃないか?実際、高等教育を丸投げしたらその国に人材を持って行かれてしまうのがオチだぜ?アメリカはそれで反映してるんじゃないか。
それから、MITがよほど日本の大学より優れていると思っているらしいが、それは勘違いだし、だいたい日本の大学に大勢いる「本当の一流」の研究者に余りにも失礼だ。東大・京大をはじめ日本の有力大学は、世界の基準でいっても一流大学だぞ。アメリカやイギリスはともかく、ドイツとかフランスとかその他の先進国には全然負けていないよ。それに、アメリカやイギリスの大学が優れているのは量的な側面であって、質的なものではないのでな。
欧米でギリシャ語やラテン語や古典文学が重要視されるのは、それが彼らの民主主義やら哲学やら自然科学やら数学やらの源流にあるからだ。
そんな、どっかで聞きかじったようなことを言わないでくれ。今さら丸山眞男の真似事のつもりか?君こそ立派な西洋中心主義者じゃないか。確かにルネッサンスというのは古典復興というお題目だったが、現状を否定するときにさらに過去の権威を持ち出すのは常套手段であって、それは「万世一系の天皇」というのと似たようなもの。正確に言うと源氏物語だってそういう理由で明治期以降急に祭り上げられたものだ。ただしそれらが芸術史・文化史に刻み込んだ影響だけは否定できないし、作品としてよいものはよい、それだけのことだよ。
グレコ・ローマン文化を特別視する思想というものこそが、君が否定したがってる「文化資本で階級支配をしたがってる奴」という奴らのドグマなんだが、そんなことも知らずに「文化資本」なんて言葉を使ってたのか?
以下は蛇足。
情報工学関連への言及が他と比べてショボくて、ああ専門外なのねー、とニヤニヤ出来たけど。
UNIXという「特定」OSの実装から離れた所で抽象的にOSを煎じ詰めるのはかなり学問的な領域だと思うが。もう基礎とはいえないだろう。
「使い方」から遊離して「考え方」だけを煎じ詰めていくのは、プログラマレベルでの実践的な志向ではないだろうな。学問的には意義があるが。
あのさあ、情報処理試験に出るレベルの「常識」を「教養」なんて呼ばないでくれよ。
悪いけど、君が挙げてるのはどれも「情報工学」じゃない。単なる「ノウハウ」だ。それは、半田ごての使い方が「電気工学」でないのと同じぐらい自明なことだ。人が作ってくれた道具の使い方に習熟していることをいくら自慢されても、話の次元が違うとしか言いようがない。俺が言っているのは「大学でなぜ必修になっているのか」という話だ。だったら当然、「学問的な領域」の話が問題になっているわけだ。
まして俺は、「パターン認識」「待ち行列」みたいな理論的な分野を例として挙げたはず。一番そういう「手先の器用さ」が問題にならなさそうな分野をわざと選んだのだがねえ?
あのさあ、なんでパターン認識とか待ち行列とかの例を挙げたと思う?こういう分野では数値計算が重要になるから、基本的に低レベルに近い言語でプログラムを書くことが望まれるし、似たようなプログラムを使い回すから生産性という意味でもそれで大した影響がないということだ。
そもそも俺は低水準言語の話はしてなかったと思うが?
「低水準言語で十分」という例を挙げてどうすんだ。「低水準言語が有効/必要」な例をあげろよ。機械よりの視点で細かい制御が望まれる例を挙げるべきだ。
話が理解できていないから頓珍漢な応答になっていることは上に書いたとおりとして、「数値計算」と書いたはず。RubyだのPerlだので数値計算させて日が暮れてしまうのは君の自己責任だけれど。
一つだけ挙げた例を全てだと思い込むような人を説得しようとした俺が馬鹿だったのかな。
■丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。
■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。
ロストジェネレーションという言葉がある。
改めて解説する必要はないだろう。
このロストジェネレーションに対する評論を呼んでみると、それぞれにいくつかの立ち位置があるように感じられた。
それぞれは、
1. ロストジェネレーションよりかなり前の世代(管理組) 2. ロストジェネレーションで正社員以上の待遇(成功組) 3. ロストジェネレーションで正社員未満の待遇(失敗組) 4. ロストジェネレーションの直前と直後の世代(前後組)
の4パターンである
まず1.の管理組の意見は、我慢や辛抱が足りないと言う典型的な『自己責任論』が多い。
実際彼らの就職したころと就職氷河期の就職事情はまったく異なるので、これらの意見は的を大きく外したものが多いのが特徴である。
ただ彼ら自身にも、しばらく前まではリストラの嵐が吹き荒れていたので、違う意味で『絶望』の実感はあったのかもしれない。
2.の成功組は、『社会も厳しかったが、自分たちのも甘えがあったかもしれない』と冷静な意見が多い。
彼らは当時の現状をよく把握しており、彼らの言葉は納得できる部分が多い。
3.の失敗組は1.の管理組とは正反対で、『自分たちは被害者だ』と言う意見が大勢だ。
彼らは、団塊の世代を延命するための犠牲にされたと考える人も多く、激しい意見も多い。
そして最も影響を受けているグループである。
例:「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
それは彼ら自身が、ロストジェネレーションの世代よりも恵まれていることを自覚しているからだろう。
ちなみに増田も後発組だ。
それぞれのグループの意見が一方的に間違っているということはないと思うが、やはり各グループの背景を考えてみると、それぞれの思惑が見えてくるのは増田だけではあるまい。
『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んで啄木『時代閉塞の現状』を想起した。
改変ネタ投下にはやや旬を過ぎたか。
時代閉塞の現状はただにそれら個々の問題に止まらないのである。今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったと嘆いている。しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口(ほうしょくぐち)の心配をしなければならなくなったということではないか。そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何千という国公私大学卒業生が、その半分は職を得かねて親元にごろごろしているではないか。しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何倍、何十倍する多数の青年は、その正規雇用を享(う)ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。中途半端の雇用はその人の一生を中途半端にする。彼らはじつにその生涯の勤勉努力をもってしてもなおかつ三百万円以上の年収を得ることが許されないのである。むろん彼らはそれに満足するはずがない。かくて日本には今「ニート」という不思議な階級が漸次(ぜんじ)その数を増しつつある。今やどんな僻村(へきそん)へ行っても三人か五人の大学卒業者がいる。そうして彼らの事業は、じつに、父兄の財産を食い減すこととインターネットで騒ぐことだけである。
我々青年を囲繞(いぎょう)する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々(すみずみ)まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥(けっかん)の日一日明白になっていることによって知ることができる。戦争とか豊作とか饑饉(ききん)とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。財産とともに希望をも失ったワーキングプアとホームレスとの急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦(わがくに)において、その法律の規定している年金受給者の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において延長せねばならなくなっている事実(少子高齢化の事実、東京並びに各都市における無数の未納者が納付する金がないために半公認の状態にある事実)は何を語るか。
かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪(た)えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(既存市場の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。同人のマンガやアニメやゲームのほとんどすべてが戦闘、暴行、ないし虐待、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは市場によって黙認、もしくはなかば黙認されているところではないか。
そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。 戦前に対する回顧(かいこ)がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇(そうぐう)した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾(いかん)なくその美しさを発揮しているかを。
かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞(へいそく)の現状に宣戦しなければならぬ。虚無主義を捨て、盲目的反抗と戦前の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注(けいちゅう)しなければならぬのである。
そうやって既得権益者同士が若者の溜飲を下げてもらうためにやってる興業なんだよ。
WIRED VISION / 小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 / 第1回 気分はもう戦争・そのI
いやぁ、じつに(アダム・スミス的な意味で、だが)同感できる話だ。ぼくは既得権益をもった大人なので、ぜんぜん共感は出来ないが、31歳でフリーターだったら結構そう思うのかもしれないね。「閉塞感+リセット=戦争」かぁ、黄金の公式だね。ただし、この公式は、それこそ大学紛争にもオウム真理教にもみられたような気がするから、べつに新しいものじゃない。そういえば、大学紛争でも丸山は攻撃対象になったのだった。まこと歴史はまわるものである。
ところで暇な方、
不肖小田中がない頭をふりしぼって考えた、かの「気分はもう戦争」くんに対する個人主義的で出羽守的な回答……そのヒントは
「モロッコ」
想像力はベッドルームと路上から - 銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。??「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感
赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という意思表示は、明確な「悪意の表明」である。そして「戦争」という手法の導入は、その「切実さ」を表す為のロジックに過ぎない。
だからこそ、それに対する「応答」は、「戦争の本質」や「論旨の稚拙さ」ではなく、まずその「悪意」に対する応答でなければならなかったのだ。
しかし愚かなことに、その「応答」に立った人々は、その本意も切実さも理解せず、「悪意」の対象が自分であることも認識しないまま、ただただ常識論を返すだけである。
シマネコの人が「敵」と見ているのはやっぱり「左翼」じゃなくて「既得権者のオヤジ」(これには勿論「論座」に応答を寄せた知識人達も含まれる)なんじゃないかなあ。
だってシマネコの人が「悪意」を向ける対象が「左翼」だとすると、それにはinumashさんも(広義では)含まれるはずと思うのだけど、問題となっている「「丸山眞男」をひっぱたきたい」は、どう読んでもシマネコの人がinumashさんに「銃口を突きつけたい」と思ってるようには読めないし。
「流動性」という言葉の使い方についてもそうだが、あの人は常識的な字義から外れたオレ定義の用語を使うので、彼の言う「左翼」にはinumashさんのような彼自身よりも年下の「左翼」は含まれていないのではないか、と思う。多分そのことに彼自身自覚的でないのだろうけど。
で、周囲に韓国人の知り合いとかがいる俺としては、今の保守勢力のやり口は単純に不愉快だから、イデオロギー的に「左翼」と自己規定せざるを得ないわけなんだが、でも学校じゃあ仲間と「就職ヤバスwwww」とか言ってるだけの存在なわけで、「お前が俺を苦しめてきたのだ!」と(シマネコの人から)銃口を突きつけられても正直困る、というのがある。そりゃのんきに学生やってるだけ彼より俺は恵まれているとは言えるのかも知れんけど、例えば俺が就職に失敗してフリーターになったらあんたと立場変わらないじゃんと。
自分が既得権者であるにもかかわらず、シマネコの質問にまともに答えられないどころか「今すぐ俺の研究室に来い!」とすら言えない左翼オヤジは救いようの無い馬鹿揃いだとは思うが、だからと言ってその事実が「左翼」全てへの攻撃に転化されるとなると、正直モニョモニョした気分になるのだよな。赤木氏自身が本質的には真性左翼であるだけに。