はてなキーワード: ライフラインとは
老人ホームならぬ「ひきこもりホーム」を作ったらいいんじゃね?
ひとり分の施設は、6畳ひと間。
3度の飯は、決まった時間にドアの外に置かれる。
漫画、ゲームソフトはリクエストを元に毎月少しづつ購入されて、貸し出される方式。
もちろん自前でも所有可能。amazonとかで買える金があればだけど。
要は、永住型の漫画喫茶だ。
人気のネットゲームは、漫画喫茶みたいに運営会社と直接ライセンス契約してもいい。
入居費用は食費、小遣い込みで月額15〜20万円くらいを、親に出させる。
ネット環境さえあれば、ライフライン以外のサービスの質なんて求められないんだから、運営もかなり楽。
高くつくのは通信費くらいで、土地代・人件費も安いから、経費削減してうまくやれば儲かりそう。
建物は、地方のつぶれたカラオケボックスとかを居抜きで改装すれば、そのまま行けそうだな。
基本はひきこもり生活のアウトソーシングだけど、社会復帰の更生プログラムも別料金で受け付ける。
たった月15〜20万で、ひきこもりの息子が手離れするなら、楽なもんじゃないかな。
そもそも似たような奴らが集団生活すれば、多少は社会復帰のリハビリになるんじゃね?
出遭ってから10年過ぎた今でも旦那が大好き。
私はそこそこ名の知れた企業に勤めていて、結婚前は職場男性からのお誘いも何度か頂いたけど、ずっと
旦那の方がかっこいいと思ってた。
黒く焼けた顔は精悍だし(外線屋です)、昔誘ってくれた同僚らが、今じゃ運動不足で体のラインが崩れていく中、
体重をキープしながら薄く筋肉がついている体はセクシーだと今でも思う。
一日中ヘルメットかぶっていて臭くなった頭の匂いも嫌いじゃない。
旦那の匂いが基本好き。
メットで蒸れてハゲつつあるのを気にしているみたい。
だけど、頑張って仕事してそうなるのなら全然気にしない。むしろ感謝すら覚えてる。
爪の間や手の皺の中に沁み込んだ黒い汚れ、全然落ちなくて、セックスの時に私に触るのを旦那は躊躇する。
ちゃんと爪切って洗ってくれているなら気にしないし、むしろ無骨で力強い感じが好きすぎて困る。
躊躇する細やかさが愛しくてしかたがない。
周囲はスーツだらけで、職業柄おしゃれでスマートな着こなしの男性が多いけど、働く男の色っぽさは
作業着とは比べ物になりません。
偶然仕事中の旦那を見かけた時、高所作業車に乗って作業している姿は震えが来るほどかっこよかった。
旦那のリクエストと栄養価を考えながらお弁当を作ったり、一緒に買い物に行って、
夏は日焼け止めや涼しいアンダーウェア、冬はアウトドアショップに行って特価の防水着なんかを
あれがいい、これはどうか?なんて言いながら選ぶのがとても楽しい。
地震雷で呼び出されるのが大変そうだけど、そうやってみんなの生活の役に立っている仕事なんだと
思うと、すごい仕事してるんだなー、と感心してる。
ライフライン関係の仕事は、私みたいな販売サービス業とは全然違うな、世の中の役に立ってるなって。
「電工にくる嫁なんざしれてる」
確かに私はたかがしれてるレベルの嫁だけど、それでもこの人との未来を描いていて、とても幸せです。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/51008538.html
>とある超有名な広告代理店に内定が決まっている学生さんの一言にびっくりしちゃいました。
>「ラジオってどう聴くんですか?」
>そこの場にいた20代後半~30代後半の人たちは「いやいや、それはちょっと」
>と思ったのですが、周りの学生も「知らない」と口々に。
>これは衝撃的で。
>ジェネレーションギャップなのかなあ、と思って、帰ってからオフィスの同じ歳の
>28歳女子に「ラジオの聴き方しらない世代が出てきてたよ・・・」と聞いたら、一言。
>その子も聴き方がわからない、とのことでした。これもびっくり。
(中略)
>だいたい30人くらいの学生さんとかに聞いてみたんですが、
>まあ、「ほとんど知らない」という感触でした。
・そもそも、無料で聞けるということを知らない。
(有線放送と勘違いしている人が結構いるのでは?)
・受信機があっても、「ダイヤルを回して周波数を合わせる」という作業を知らない、
あるいは「難しい」と思っている。
(テレビリモコンで最初から設定されているのが「当たり前」と思っている。
特にVHF波の関東在住者は、UHFダイヤルで合わせることを知らない)
ということで「難しい」と思っているらしい。
また、「クルマに乗っていたら聞くでしょう?」という反論が地方在住者からあるようだが、
・都内在住者はそもそも滅多にクルマに乗らない。
・若者は幼少時に親のクルマでラジオを聞かされていたのかもしれないが、
当時の方法を覚えていない。
・親によっては、カーナビでラジオじゃなくDVDを見せたり、CDを聞かせたりしているケースがある。
うちもそうです・・・
ということなので、都内在住の若者に対しては「クルマで聞いているでしょ?」という反論は通用しない。
「RC造マンション内で、AMラジオを聴くのが難しい」という「ラジオ難民問題」が被さってくる。
http://www.business-i.jp/news/special-page/ronfu/200910210005o.nwc
>都心にある高層マンションの室内でラジオのスイッチを入れると、雑音ばかり。
>FM放送はなんとか受信できたが、AM放送は窓際やベランダでやっと聞こえてきた。
>最近、高層マンションやビルでラジオの受信状況を調べている。
>ラジオが聞こえない高層階という空間に多くの市民は生活し、働いている実態が分かってきた。
>乱立する高層のマンションやビルでは、「高層難民」という過去経験したことがない
>新しい災害が発生する、と筆者は警告してきた。
>実は、すでに平時から「ラジオ難民」が発生しており、災害時の有効な情報収集手段である
>ラジオを活用できない。
>加えて、近年整備が進む地下鉄や地下街など増殖する地下空間でも、一部を除いてラジオが聞こえない。
という問題と、
という二重苦の状況にあるといえる。
「大震災発生時は、まずラジオで情報収集」を進めているが、都内若者のこの惨状からすれば、
「極めて憂慮すべき状況」と言えるのではないか?
1.RC造マンションにおけるラジオの受信状況の改善策を地道に行なう
3.その上で、定期的に、「ラジオの使い方」を若者にレクチャーする。
という3対策を早急に行なわないとダメだ。
被災地で何が求められるかという話
ttp://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2242495.html
昔中越地震があったときに、地元ケーブルテレビの報道支援に行ったことがあるのだけど、現地には善意でおにぎりとかいっぱい送られてくるものの、食べきれなくて捨てるしかなかったって話を思い出した。保存場所もないし、そのままでは日持ちがしないので、その日に消費しきれない分量じゃないととって置けない。それで腹でも壊したら二次災害になっちゃうので、自治体でも善意には感謝するものの、どうしようもないわけである。
しかも人口の集中する新潟市内では、結構はやくライフラインは復旧して、煮炊きにはあんまり困っていなかった。震災2日目からはコンビニや弁当屋はもう営業を再開していたというのは、あんまり報道されなかった。
僕も昔ニュースをやっていたのでわかるんだけど、「通常に戻った」というのは、ニュースバリューがない。せっかく取材するなら、ニュースで放送されたい。そう思うと、みんな復旧してないところへと向かうので、大丈夫になった地域のことは、全国ネット向けには報道されなくなるのである。
http://anond.hatelabo.jp/keyword/%e3%81%af%e3%81%a6%e3%82%b5 を見ると君のニートライフが浮かび上がる
関心のもたれなさすぎさも
道端に落ちているうんこを眺めるようなもので、君はネットのうんこなんじゃなかろうか
たぶん人生終了した人なんだろうし
あまりいじめるのはよくないか
君の件の活動がライフラインであることは十分承知しているから
http://anond.hatelabo.jp/20100110121742
再度確認してみたが、同じような状況だ 笑
この話題に興味ないけど反対意見のソースも載せときます。不公平だから
1992年に私は女性たちが家庭や職場、地域でかかえている問題をともに考え、男女平等社会の実現をめざそうと、「ウィメンズネット・こうべ」という市民グループをたちあげた。
94年には、女性が安心して本音を語り元気になれるスペースとして「女たちの家」を開設。半年を過ぎた頃から「夫に長年にわたり殴られていて、つらい」「お母さんがお父さんに殺される」などの電話が入るようになり、布団を十組買い込み、12月の会報に「いつでも泊まれますよ」と書いた。すると相次いで3組の女性たちが子連れでかけこんできた。今で言う、シェルターのスタートであった。
しかし、翌年の震災で周辺が擁壁ごと崩れるという状況で、残念ながら「女たちの家」を失い、その後「女性支援ネットワーク」をたちあげ、物資の配布や、支援セミナー、女性のための電話相談を開設した。震災後の3月から翌年の6月までの相談件数は137件、そのうちパートナーとの関係の相談は90件。夫からの暴力の相談は22件。
「震災で大変な中、こんなことで相談する私はわがままですか?」というDV被害者の声が記憶に残っている。県立女性センターでもDVの相談はかなり多かったと聞いている。
5月に神戸新聞で「児童虐待の増加」「レイプ被害の発生」という記事が掲載された。「児童虐待」については、避難所生活でのストレスや、在宅でもライフラインの絶たれた中での育児支援が全くなかったので、不安を抱えつつの育児と家事に疲れ果てた母親の相談が多かった。
育児について夫の協力が得られないことも問題であった。7月に近畿弁護士会主催で「被災地における人権」という集会があり、配布された分厚い資料に「高齢者・障害者・子ども・外国人」の項目があった。しかし「女性の人権」という項目はなく、女性はあくまでケアする側なんだと改めて感じた。
7月に「性暴力を許さない」という小さな集会を開いた。保健婦さんからは、避難所での幼児も含めた性被害についての報告があった。翌年の3月に「神戸・沖縄 女たちの思いをつないで」(私たちは性暴力を許さない!)という集会を多くの女性団体との共催で開き、200人近い女性が参加した。
終了後に、神戸から三宮まで商店街を「女たちは黙っていない!」「性暴力を許さない!」との抗議デモを行った。しかしその後、女性ライターによって「被災地レイプ伝説の作られ方」という記事が書かれ、レイプはなかったことにされ、相談を受けたHさんや私個人も実名入りでひどいバッシングを受けた。
99年になって精神科医の斉藤学さんが毎日新聞に「震災以後の神戸を舞台にした性被害ということなら、東京にいる私のところにさえ複数の相談がよせられた。……、社会はレイプという事実そのものから目をそむけがちだし、それをないものとする傾向が強い」と書かれた。
「兵庫県警が九五年に認知した強姦事件が15件で、前年より少なかったことは警察の限界として将来指摘されるだろう」、「被害者の声が届く範囲は保健婦、看護婦、医師など治療の援助の提供者に限られるのだから」とも。
今ここに米サンフランシスコのウィメンズクライシスサポートのスタッフから入手した「震災と女性への暴力の影響」に関する公式報告書(1989年10月カリフォルニア州ロマプリエタ地震)がある。それによれば、
② 性虐待やレイプのサバイバーに過去のトラウマが蘇りサポートが必要になり、緊急電話が25%も増加。
③ DVによる一時保護の要請が地震直後から増加し続けている。
④ 児童虐待が増加。
⑥ 住居の問題や震災後の情緒不安により暴力の関係に留まる女性も多かった。
などの報告がされている。
その他、「これらの状況は、男性は怒りだけが社会に容認される感情だという社会通念から恐怖心を認めず、かわりに怒りで表現したものからくる。地元の『暴力を選ばない男たちの会』は『殴る前にここに電話して!』とキャンペーンし、災害後は水の浄化法やガスの消し方同様に、ストレスへの対処方法が広報されるようにと提案した」ことを伝え、報告書は結論として「大きな災害後は女性に対する暴力が増えることを予測し、また防止活動が災害救援の中に組み込まれるべきだ」とある。
この報告はアメリカ、カナダの危機管理機関全てに伝えられ、高く評価されている。
日本では震災を機に「心のケア」や「PTSD」に関する認知は広まったが、その後の政府の危機管理対策や防災対策に「女性への暴力」が考慮されるには、残念ながら至っていない。
「ウィメンズネット・こうべ」は震災以降、DV被害者への支援を継続しており、加害者は日常的にほんのささいなことでも自分が気に入らないと、妻や子どもに暴力をふるう実態を知っている。まして大きな災害があれば、暴力が増加するだろう。
暴力からの脱出には、住居の提供や経済的な支援が必要なことは言うまでもない。
今後予測される大地震において、政府や自治体はDV・児童虐待・レイプ被害など暴力の増加を想定し、予防や復興対策に「女性と子どもへの暴力」をぜひ組みこんでもらいたいものである。
私はこの問題をできるだけ多くの方に知ってもらいたいと考えて、 神戸市 やWHOの神戸のセンター長あてにも、米国の報告書を送ったことがあるが、全く反応がなかった。「もういいかっ」という思いもあるが、最近、地震があったりして、やはりどこかに伝えておきたいという気持になり、応募することにした。
セーブ・ダルフールは近年のアメリカでもっとも大規模な運動のひとつだ。
ダルフール紛争が一年経過したころにこの運動ははじまった。平均的なアメリカ人にとっては何の縁もない地方の紛争である。レイプや殺人、ジェノサイドといった物語が新聞をにぎわし、それがダルフールを物語る言葉となっていった。この暴力を阻止するという動機にもとづいて、何百万人という市民が動員され、運動が盛り上がっていった。
しかし、その後5年たってみて、ダルフール紛争は近年でもっとも誤解された紛争のひとつとなってしまった。
というのもダルフール問題の活動家は運動を盛り上げるために、ダルフール紛争の本質を捻じ曲げたキャンペーンを行い、実態よりもセンセーショナルに扱ったからだ。
「何十万のダルフールの人々が”殺された”」というのだ。
活動家たちが認めたがらなかったのは、被害者の大多数が本当は紛争に起因する病気や栄養失調によって死んだのだという事実であった。
確かに、ダルフールで発生した圧倒的な戦争犯罪行為の事実を前にしては、病死と殺害とを識別することには、さして重要な意味はないのかもしれない。しかし、こうした分類の仕方に無頓着になった多くの活動家は、アメリカ政府に対して人道的な救援や平和構築よりもむしろ、暴力抑止や国際PKO部隊の派遣のための予算を要求するようになっていた。
セーブ・ダルフール連合は、政治家に圧力をかける多くの支持者を動員してきた。さらに、彼らは政府に暴力の抑止と国連部隊の派遣を働きかけるべくロビイストを雇っていた。
ロビイストが活動する以前のアメリカ政府は、ダルフール問題に対して10.1億ドルを投じていた。このうち、8.39億ドルが避難民キャンプや人道的支援のために使われ、平和維持活動のために直接割り当てられたのは1.75億ドルであった。このことは、当初、アメリカ政府が平和維持活動よりも人道支援に重点を置いていたことを意味する。
ところが、2006年から2008年にかけて、セーブ・ダルフール連合および他のグループは、政府に人道支援から平和維持活動に資金の使途をシフトさせようと働きかけた。恐らく、ロビイストと市民運動の盛り上がりによるものだろう。
これにより、現在までに支出された20.1億ドルのうち、51.3%にあたる10.3億ドルが人道支援の目的で使用され、9.8億ドル(48.7%)が平和維持活動にあてがわれることとなった。この比率の変化は人道支援から平和維持活動への重心移動を物語るものだ。
結局のところ、政府がこの比率を変えたことには大きな問題があるといわざるをえない。というのも、被害者調査によれば、ダルフール紛争の影響下で病死したり栄養失調で死亡した被害者の数が高止まりしているなかで、「殺害された」被害者数は2004年4月8日の停戦以降は著しく減少しているからだ。
もしダルフール活動家が資金の使途について軍事介入を重視するよう迫っていなければ、もっと多くの命が救済されたのではないのか。
また、多くの活動家がダルフール紛争の本質を見誤っていることも問題だ。彼らはスーダン政府および野蛮なアラブ部族が関与した虐殺については責められるべきだとしており、「セーブ・ダルフール」は、多くの宣伝、ニュースレターあるいはウェブサイト上で「進行中のジェノサイド」という言い方で紛争を表現している。
ジェノサイドという用語は、もともと事の重大さを国際社会に喚起するために使われた言葉だ。この言葉に触発されて、各国政府や国際機関が迅速に紛争に立ち向かうわけだ。
活動家は善意だったかもしれない。しかし、「ジェノサイド」という言葉が大衆の間で広まると、有責な事柄と無罪の事柄のバランスが失われ、予想もしなかったような事態になった。
「ジェノサイド」という言葉は、単一の志向をもった犯罪を示唆する。しかしながら、犯罪に関与した者たちが、実際、定義されたとおりの犯罪者であるかは定かではない。
もちろんスーダン政府はダルフールにおいて多くの人々を殺害しており、この点の戦争責任は免れえない。しかし、反政府勢力もまた、いくらかの責任を免れないだろう。国連がダルフール調査団を派遣した際、多くの反政府グループが深刻な人権侵害や人道法上の違反を犯していたことが明らかになったからだ。
つまり「ジェノサイド」という言葉は、紛争のある一面を浮かび上がらせるのは確かだが、それによって他の一面が逆に隠されてしまうことがあるのだ。
ダルフールについていえば、「ジェノサイド」という言葉が膾炙することによって、反政府勢力が国際社会のレーダーの捕捉網から感づかれずに済む効果を生み出してしまった。また国際社会の関心をもたれないまま、人道法違反を野放図にすることを許すことになったのだ。「ジェノサイド」という言葉にこれほど注目しなければ、恐らく活動家は反政府勢力の犯罪を見逃さなかっただろう。
例えば、ダルフールの反政府勢力の有力なスポンサーはエリトリアやチャド、SPLM(スーダン人民開放軍)だが、彼らは、昔からアメリカ政府の支援を受けてきている。つまり、反政府勢力のライフラインを支えているのはこれらの国や組織だ。
今日、ダルフールの状況は歪んだ見方がなされている。進行中の紛争や暴力行為の多くは盗賊や無法者そして部族間紛争に起因するものとみされている。UNAMID(国連とアフリカ連合(AU)の合同PKO部隊=国連・アフリカ連合ダルフール合同活動)によれば、09年6月における死者数は16名であり、いずれもスーダン政府軍と武装勢力との衝突によるものではなかった。
昨年一年間におけるダルフールでの被害者数は、政治学者が内戦と定義する一年当たり1千人の死者数を下回っていた。
このように状況が変化しているにもかかわらず、多くの活動家はスーダン政府が大規模な攻撃をダルフールに仕掛けていると論じ続けている。「進行中のジェノサイド」「ダルフール戦争」という言葉が、いまだに活動家の資料や宣伝に頻繁に使われているため、多くの人がダルフールはそんなに変わっていないのではないかと思い込んでしまっているのだ。
ただ最近、オバマ大統領は現状を指して「ジェノサイド」という言葉を使っており、国務省とアメリカ大使も、ダルフールのジェノサイドは終わったと主張しているスコット・グレイション(スーダン特使)と距離を置いているようだ。
しかし、そろそろアメリカ政府とダルフール活動家は性質においても規模においてもダルフールの状況は一変したという認識をもつべきだろう。
軍事介入や紛争の一方当事者(スーダン政府)の断罪のかわりに、平和構築と2百万人を超える国内避難民の救援に力を入れるべきときだ。
作者:マーク・グスタフソン
ゴメン言い方悪かった。
発症は防げないだろうけど、悪化するのは防げるんでないか?ってことだな。
さっき番組見てたら「何らかの原因(近しい人を亡くすなど)で発症」→「動けない」→「ヤバいこんなことしてたら将来(ry」→ループ
みたいな感じだったから、そこでライフラインちゃんと発動してるなら、とりあえず悪化は防げるんじゃないのか?って思ったんだよ。
とはいえ、うつの時って何考えても悪い方に行ってて、
現状の生活レベルの維持が最低限になってたりするから、ますます難しいと思うんだ。
最低限のライフラインまで落ちたくないってこと。
これ、元メンヘルの実感です。
それはその一個人の要因だっただけだから。
鬱はどんなことがきっかけでも発症するよ。少し調べればすぐ分かること。
それはそうとして、鬱で長期休職を取らざるを得なくなると
ゆっくり休養できる「最低限度のライフライン」ないわけじゃないんだけど、取得が難しかったり。
鬱の治療はむずかしいね。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10214351577.html
http://blog.livedoor.jp/dokuringo777/archives/532824.html
金融危機で話題になった「投資銀行のトップたちの報酬が妥当なのか」どうかについて、触れられています。確かに、世の中には多くのお金を稼ぐ人がいます。でも、同じお金を稼いでいても、まわりに認めてもらえる人と、そうでない人がいるのは事実です。なぜでしょう?というのが、上記2つの記事に載っています。そして、自分もこの件に興味を持ったので、書きます。長いのでパソコンで読むとよいでしょう。もし事実と明らかに異なることを書いているようだったら、指摘してください。よろしく御願いします。
結論から言えば、今回話題になった投資銀行家たちの報酬は「三方よし」に合致していないんじゃないか、ということです。自分も金融が悪だとは全く思いませんが、「彼らは社会に対して、本当に報酬に見合ったこと(社会にプラスになること)をしているの???」とは考えます。民衆サイドの中には、ただの嫉妬や無知で金融による儲けを批判する人もいるでしょうが、そういう人たちだけの主張ならこんなに大きく取り上げられることは無いはずです。スポーツ新聞のコラムに載るくらいです。冷静に「金融で儲けるのもアリだよね」という多くの人たちまで「この報酬はどうなの?妥当なの?」と感じているからこその問題なのではないでしょうか。
ところで、「三方よし」というのは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことです。これを社是にする会社もありますね。簡単に言うと、自己の利益のみを追求するのではなく、相手や社会にもプラスとなるような取引を心がけるという近江商人の心構えです。Win-Winの先駆けです。この考えに則って(のっとって)考えれば、同じ稼ぎでも「三方よし」に当てはまる稼ぎと当てはまらない稼ぎでは、相手や世間からの風当たりが違うわけです。今回の「巨額報酬に対する批判」は、このあたりに原因があるのではないかと思うわけです。
「世間」の解釈は様々ですが、今回は日本的な意味ではなく広義の「社会」とします。
批判が起きるということは、「三方よし」の言う「世間」の考えと、彼らの年収とに大きなギャップがあったということです。大きなギャップが生まれるパターンは、(1)彼らの年収は適正で、一般事業に携わるわれわれ民衆の作り出した「世間」が彼らを過小評価している。(2)彼らは何らかの倫理的に適さない方法で稼いでおり倫理的に正常な感覚を持った「世間」がそれに気づいた。 ・・・の2パターンです。今回の批判は、この2パターンが同時に発生したと考えてさしつかえないのでは、と思います。どちらか片方に完全に非がある/ない、とは言い切れないからです。
(1)に関して言えば、われわれは彼らの業務内容を完全には把握していない、というのが事実です。もちろん本当の意味で完全に把握できたりしたら、「あの会社はヤバい」「AとBは、今度合併するらしいよ」という情報も把握できるということなので、それはそれで社会が崩壊するでしょう。
ただ、大まかに言えば彼らの行っている仕事は(ア)銀行業務(イ)運用業務/証券業務 に大別されます。きっと(ア)(イ)の合わせ技のような業務もたくさんあるでしょう。そして、(ア)を充実させるために(イ)が必要だったり、またその逆も然りでしょう。(ア)も(イ)も、現代のほとんどの企業がお世話になるサービスです。彼らが尽力したからこそ資金調達できたり、うまく合併できたりするわけです。そうやって元気になった企業が、われわれに良いサービスや製品を提供してくれるのです。その資金調達力や、陣頭指揮の能力、ノウハウ、合併時の財政的なテクニックのみではなくパフォーマンスの良い職場環境を生み出すためのコツなども心得ているはずです。また、彼らがリスクをかぶって証券化して広めてくれないと、事業のためにお金が必要な人(企業)は資金調達に困ります。そんなこんなで、彼らはあまたの企業のライフラインを構築したり太くする仕事をしていて、しかも世界的に見てそのような業界のリーダーであるので、彼らの報酬は妥当だとも言えます。製造業と違って、直接の生産設備は不要ですし。ITインフラはすごいでしょうが。
ただ、彼らは自分たちの仕事について多くを語りません。仕事柄、語れません。今回の批判は、彼らの「世間」に対する油断にしろ、しょうがないにしろ「説明責任を果たしていない、説明できない」ところに原因があるとも考えられます。収入の根拠を可視化しきれていない。プロジェクトやその他仕事で彼らの良い仕事を直接見たことのある人からすれば、今の彼らは「悲哀のヒーロー」に見えるかもしれません。
(2)に関しての代表例は、多くの方がご存知のサブプライムローンです。他にも多くの金融商品が生み出されては、時代の波に消えて行きます。その時代の移り変わりすら、彼らは利ざやとして稼いだり、損したりするのですが。そのようなエピソードが紹介されているのが、この本です。金融に詳しくなくても、面白く読めます。よく想像されるような、すばらしい人格者で、頭脳明晰で、経済学や数学に長けていて、でもネジの外れた投資銀行家たちがたくさん出てきます。
『市場リスク 暴落は必然か』リチャード・ブックステーバー (著), 遠藤 真美 (翻訳)
『鋼の錬金術師』という漫画で生み出された(もしくは有名になった)言葉に「等価交換」という言葉があります。無から有は生まれない、水は石にならないなどのいわゆる世の原理原則をひとまとめにした言葉ですが、当たり前のことながら的を射ています。多くの人たちが、前述した「この報酬はどうなの?妥当なの?」という疑問を持つのは、先のサブプライム問題がこの等価交換を破るようなモデルに見えるからであり、事実、破綻したからです。言い方を変えれば、その疑念を直接証明できなくても「三方よし」のガイドラインに引っかかった。これが、稼ぎへの批判の源泉なのではないでしょうか。
バブルの教訓と同じく、常に価値の上がり続けるものは有りません。どんなに良くても、横ばいです。不動産だけでなく、金融商品も同じです。時間や物理の概念が有効である限り、原理原則を超えて稼ぐのは不可能です。ここで無理矢理稼ごうとするから、金融が批判されるのだと思います。金融そのものは、「人間」でないとなし得ない、高度で理性の問われる概念/枠組みなのですが。
以上、長く書きましたが、先の高額報酬批判の原因は、(1)が2割、(2)が8割かなと個人的には思います。秩序ある経済が復活し、様々な産業が息を吹き返す(もしくは生まれ変わる)ことを望みます。わかりやすかろうが、そうでなかろうが、本当に「三方よし」を実践して金を稼ぐ人や企業は大規模な批判には晒されません。また、稼ぐ金に関わらず「三方よし」の概念は有効なので、自分も普段から強く心がけようと思います。
留年もしてるし、本当の終わりが近づいてきたんだと感じる。
積極性がない・ネガティブ・・・な人間なんだそうだ。だから、会社には入れない。どの企業も判で押したように同じ答えが返ってくる。
今までまっとうに生きてきたつもりだった。他人に大きな迷惑をかけてきたわけでもない。だけれども、これから人間らしい生き方は出来ない。
社会人として認められない自分に絶望した。知的能力では劣っていなくても、人間性の部分で不適格だから、俺は、職に、就くことが出来ない。
唐突だけどライトノベルが書いてみたいと思った。日常の中に不意に訪れるファンタジー、なんて。ヒーローは俺じゃなくてもいい。
でも、ライトノベルも漫画も古本屋にとうの昔に売ったよな。大人になればこんなの読まないと思ってたから。
これからどうしよう。最低限のライフラインとして介護労働者の道が残されているのか。まだ覚悟は出来てない。
実家には帰りたくない。両親とは折り合いが悪く、一人暮らしが何よりの楽しみであり希望だった。
あの監獄へ連れ戻され、悲哀と落胆のこもった眼差しを向けられ生きていくなど嫌だ。自己憐憫に囚われ、身を委ねることなど出来ようか。
けれど、遣る瀬無いくらい絶望してる。他に吐き出すところがなかった。
ただ、こういった生存に必要な経済は、今の日本の経済のごく一部になっていると思います。
今の日本の経済の大部分は娯楽などだと思います。ある意味不必要な経済と言ってもいいのかもしれません。
今の日本では、生存に必要な経済に与るために、不必要な経済活動に参加しなければならない、という状況も生じていると思います。
生産してるのが生存に不必要なものが大部分ということは消費してるほうも生存に不必要なものが大部分ということでしょ。つまり、生存に不要なもののためにより長く働いてるわけ。生存に必要な最小限だけがほしいなら、もっと低収入で我慢すればいい。家も車もネットも携帯もテレビも本もかわず外食や旅行や塾進学もしないならちょっとしか働かなくても大丈夫。
そのプラスの報酬を何に使うかといえば生存に不必要なものでしょ。生存に必要なものだけならほかの人と生活水準かわらないままってことになる。
ベーシックインカムに興味があります。
ベーシックインカム以上に収入が欲しい人だけ、
働くというのでは、社会は回らないのでしょうか。
個人的に今の経済体制に疑問を持っています。
私はお金や経済というのは、より多くの人に豊かさを分配する手段だと考えています。
そして、今の日本は、物質的には、生存的には、十分に豊かさが分配されたと考えています。
もちろん、食料など継続的に消費されていくものは、分配し続けなければなりませんが。
ただ、こういった生存に必要な経済は、今の日本の経済のごく一部になっていると思います。
今の日本の経済の大部分は娯楽などだと思います。ある意味不必要な経済と言ってもいいのかもしれません。
不必要な経済活動に参加しなければならない、という状況も生じていると思います。
私は個人的にこのような状況に疑問を感じるのです。
何も感じない人もいるとは思いますが。
本当は日本人のごく一部が働けば、そのほかの人はゆっくり過ごせるのに、
実際は世の中の大部分の人が、食べていくために朝から晩まで働いている。
このあたりに疑問を感じるのです。
すべての国民にベーシックインカムを与えて、農業やライフラインの確保に奉仕した人にはプラスの報酬が与えられる。
もちろん何かおもしろいものを作って売りたい人はそうすればいい。
そのような経済は、実現可能だと思うのですがどうなのでしょうか。
教えてください。
北海道在住の俺がきましたよ
確かに道外の人にとってはとても無駄に見えるかもね。
でも室温を下げられないのには理由がある。
一言でいえば経済性と効率の問題。
簡単にいうと冬場の北海道の家ってほっとくと凍るんだよ。
だから暖房の火力とか、暖房費とか、医療費とか、そこから得られる利益を全部勘定すると、少し暖かめのほうが理にかなっている。
それに設定温度=室温ではないわけで。
ライフラインの具体例としては水道管の凍結があるかな。
最近の住宅はだいぶ改善されたけど、油断していると凍るんだよね。
水道管と部屋の温度って関係なさそうに感じるかもしれないけど、とっても関係ある。
しかも一度凍結したら、業者を呼ばないと復旧できないほど凍ってる。
なら水道管だけ温めればいいと思うかもしれないけど、そこは効率の問題で部屋全体を温めることになるんだよね。
あと本州は少しくらい体が冷えた状態で家から外にでても大丈夫だろうけど、北海道でそんな状態で外に出たら凍傷になる。
そいうのも関係してると思う。
ごめんね、1個前増田だよ。
考え方の違いなんだけど、多分大方のトレーダーにとってはこれがもう違うんだよん。
まず相場が下がるのを見越して売っておかなかった自分もおばかさんっていうのが1個。
あと、市場全体が下がっても必ず全部の株が下がることはない。
(1日単位ではともかく、週足、月足のチャート見るとよくわかる)
不況に向かうとITとかバブルっぽいのが下がるけど、逆にライフライン系は上がる。
つまりそこに向かう前にちゃんと資金残しておけば、市場全体が下がっていってもちゃんと儲けることができるわけ。
やっぱり、ここらは株とか相場の常識を知らないと理解できないと思うよ。
意地悪じゃなくて、面白いから勉強しなさい。