はてなキーワード: ライフラインとは
JR小倉駅からほど近い住宅街にある、男性の自宅。外壁には穴があき、屋根の一部は崩れ落ちています。電気、水道、ガスはすべて止められていました。
「夜中に心配になり、真っ暗な部屋の奥で横になっている男性の様子を、たびたび見守ってきた」という近所に住む女性は、「土気色でやせこけ、目はドロッとしており、とても働けるような状態ではなかった」といいます。
近隣の住民の話を総合すると、亡くなった男性の健康状態は悪く、当面の生活資金もライフラインもまったく改善しないままでした。男性の保護の開始要件とされた「窮迫」性は解消されているとはいえない状況で生活保護廃止決定がされた、といえます。
北九州市は、今回の保護廃止の決定について、「男性本人が働いて自立したいとの申し出があった」「男性が保護の辞退届を提出した」としています。日本共産党北九州市議団の調査などによると…。
昨年12月6日 勤めていたタクシー会社を病気でやめた男性が小倉北区福祉事務所を訪問。
同月7日 保護申請。
同月26日 保護開始。緊急に開始されたのは、市立医療センターの診察で、糖尿病、高血圧、アルコール性肝障害と診断され、電気、水道、ガスが止まり所持金もなく「窮迫」と判断したため。
ことし1月 保護開始とともに、就労指導があり、「求職活動」の報告書を出すよう指導。
3月終わり 通院しながらも、求職活動するよう指導。
4月2日 保護費支給日に男性から「働いて自立したい」と申し出があり、保護課の助言で「保護の辞退届」を提出させる。
4月10日 保護廃止。
なお、日記には「働けないのに働けといわれた」とあり、死の直前と思われる六月上旬には「おにぎりが食べたい」と書かれていたといいます。
近隣住民は、「生活保護を廃止すれば、どうなるかは誰でもわかる。行政に見殺しにされたようなものだ」と怒りを隠しませんでした。
男性の孤独死は氷山の一角ではないか―。同市を歩くと、生活保護受給者に「辞退届け」を書くよう職員に迫られて困った人もいました。
福祉事務所のやり方を手紙で市に告発した戸畑区に住む四十代の女性には、中学三年生の娘がいます。この女性は福祉事務所から、わずか三カ月の間に四十回近くの訪問指導を受け、精神的に追い詰められ、「自立を妨害された」と訴えました。
手紙によると、事前の連絡もなく突然訪問され、「親として何をやっている!」と面と向かってののしられるなどの侮辱を受けたといいます。体重は二カ月で七キロも減り、うつ病にまでなったといいます。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-14/2007071415_01_0.html
http://www.janjan.jp/area/0707/0707149038/1.php
生活保護、不法に廃止 収入など調べず 北九州の孤独死 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0714/SEB200707130072.html
近隣住民が頑張ればもっと人が助かったのかもしれない。自衛隊ももうちょっと機敏に動けばもっと人が助かったのかもしれない。勿論両方頑張ってたらもっともっと多くの人が助かったかもしれない。それだけの話だろ。両者は択一の問題じゃない。両立できるし、するべきだ。
自衛隊が出動する事で救われる命がある。それなのに糞下らん政治的主張でそれを否定するのは、助かる命を切り捨てる事と同じで、人殺しも同然だ。
http://anond.hatelabo.jp/20070429020539
で書いたことの補足なんですが。
まず択一問題を立てている論者は誰なのか、というのが一点。
両立できないと考えている人はいませんよね。ここには。そこは少し冷静になっていただいて。
要は、トップダウンとボトムアップは両立する。別にそこに議論があるわけではないように思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070429013850
は被災者として多少感情的になった一面はあるにせよ、大方正論といっていいと思います。
国家防災計画にあたって、自衛隊や消防隊の初動すなわち公助をいかにシステマティックに組み立てるかがきわめて重要であることはいうまでもありません。
しかし、いかに人命を救助しえたかを議論する場合、死亡との因果関係の分析を欠かすことはできません。
被災者の死因の分析から救助手段として防災計画を考えると、やはりキーになるのは、瓦礫の下にいるかもしれない人たちの発見、救出をどうするのかという問題です。
あなたがおっしゃるライフライン復旧の問題、それは確かに重要ですが、死因とのかかわりからいうと、優先順位としてはどうでしょうか。
さらにいえば、消防庁や自衛隊の災害派遣部隊の初動を迅速に進めるべきであるということに全く異議はありませんが、しかし、どうしてもスポット的にならざるを得ません。
都市型震災というのは航空機墜落などの人災や土砂災害などと違って、面的なハザードです。
広大な被災エリアに闇雲に点を投入する形にならざるを得ないわけです。
つまり、これが神戸の知事さんたちが問題にしている、公助には限界がある、という論点です。
彼らの主張は、自衛隊がもっと早く投入されていれば2000人助かったという分析は楽観的すぎるのではないか、ということですよね。自衛隊の役割の中心はおそらくそこではなく、ボトムアップの努力を前提としたうえでのインフラの復旧や食料住環境の提供を主体としたバックアップ体制なんじゃないでしょうか。
地域住民がここに社会的弱者がいるよと救助エキスパートに伝達できる体制、その連携といいますか。
そこで地域住民の防災意識とかいう話になってくる。
ただ、余談ですが、ボトムアップが重要だという教訓は、その阪神大震災以降、いろいろな防災関連の法整備のなかで多少ゆがんだ形でも現れてきたように私は感じていまして、例えば、先のリンクで紹介した毎日新聞の記事のなかで次のような結語があります。
人命救助は「自助」「共助」「公助」の順に進むものである。
これ自体は、近代法の原則からいって論理的に全くそのとおり、といいたいところなのですが、しかし、公助には限界がある→自助(自己責任)でお願いね、と強調されると困ったことになるのも事実。例えば、これまでハード面で提供してきた公助をやめようという話があるわけですよ。もう防災公共事業は沢山だ、と。これ以上日本の山河を鉄とコンクリートで固めてもしょうがない。リスクに関する情報を的確に住民に提供するからあとは自己責任でやってくれ、と。土砂災害防止法が典型なのですが、これは実務に関わっていて、疑問に感じるところがないわけではないですね。
要はタイトル通り「結局軍隊動かすのが好きなだけ、動かしたいだけでしょ?」って事だ。ここで「自衛隊は軍隊じゃない」って言い掛かりは無条件で頭悪い認定するので無視するとして、軍隊はあくまでも戦争のプロでしかなく、そうであらなければないとも考える。
念のために言っておくが、どこの国でも軍隊は災害出動をする。災害後の市街地というのは限りなく戦場と近い状態になる。だから
この前提は間違っている。災害の現場というのは「戦場」になるので、戦場での人命救助、戦場での一時的インフラ確保のプロである軍隊が出張るのは理に叶っている。仮に、レスキューか自衛隊、一方しか現場に来ないのならば、自衛隊が来る場合の方が助かる命は多い。レスキューは少数の人間を救う事に関してはプロだが、市街地全域の要救助者を救えるような組織デザインになっていない。
自衛隊にもその専門部隊があるって?そんな話じゃないだろ。消防隊員より迅速に駆け付けてくれるのか?年中ライフラインの復旧作業やってんのか?どう考えてもレスキュー隊員や専門技術者に太刀打ちできるとは思えないけどな。数の上でもスキルでもだ。
ちなみに、速攻でライフライン(というより、兵站と言った方が適切だが)を確保する訓練はやっている。やっていないわけがないだろう。補給線の重要さを舐める軍隊は負ける、なんてのはナポレオン時代から知られている事だ。
駆けつけるのは明らかに消防隊より遅いだろう。それがどうした?遅れたら来ちゃいけないのか?消防隊の人数と行動力、組織力では、全体の一割も救えない。
前述したように、レスキューは突然市外が壊滅するような極限状態を前提として組織されていない。装備的に限界がある。レスキュー隊は炊き出しマシンや飲料水大量確保マシンは保有していない。
結局もしもの災害の際に救助の手を差し伸べてくれるのは同居の家族だったり近所の隣人だったり、偶然居合わせた見知らぬどこかの誰かでしか無いわけだ。究極的には、周囲が皆絶体絶命の極限状態の際にはそこにいる全員の人間性・良心も試される事になる。火災で燃えている家屋、倒壊寸前のビルに自ら飛び込んで中にいる人間を救い出そうとするような人間の数、が問題になってくるわけ。自衛隊との連携、大いに結構。米軍への派遣要請、必然性があればOKでしょう。でも大元は社会全体の防災意識でしょう?都市の構造上危険な所は改修しましょうよ。消防署の数と隊員増やしましょうよ。訓練しましょうよ。避難場所、日頃の備蓄、チェックして管理しましょうよ。あと、ご近所さんとは顔なじみになっておきましょうよ。いろんな人となるべく親しくなっておきましょうよ。これらに比べたら自衛隊との連携なんてその次の次の話でしょう?
そうですね、次の次の話です。優先順位は低い。まあ、動作主体が違うのに優先順位も糞も無いんだが。同時にできる事に優先順位をつける必要はない。
んでだ、ここポイントなのだが「自衛隊の派遣要請が遅れたせいで犠牲者が増えたのだ!」「阪神淡路大震災は実際は阪神淡路大虐殺だ!」と騒いでいる人間にはその「人間ひとりひとりの良心に期待する」事を「何を馬鹿な」と否定もしかして、いやたぶん嘲笑する事が好きな連中ばっかりという事実がある。自分が筋金入りのエゴイストだから他人もみんなそうだと思うのか、良心的な人間が増えるという事は自分の同類が減る事と同義だから認められないのか、それとも結果自分の悪意が浮き出る事になるので許せない、と思うのかは知らないけれど。
ひとりひとりがどう動いたかは一切問題にしていない。自衛隊の出動が遅れたと言われている問題と、近隣住民の意識、何か関係があるのだろうか。
近隣住民が頑張ればもっと人が助かったのかもしれない。自衛隊ももうちょっと機敏に動けばもっと人が助かったのかもしれない。勿論両方頑張ってたらもっともっと多くの人が助かったかもしれない。それだけの話だろ。両者は択一の問題じゃない。両立できるし、するべきだ。
自衛隊が出動する事で救われる命がある。それなのに糞下らん政治的主張でそれを否定するのは、助かる命を切り捨てる事と同じで、人殺しも同然だ。
※「自衛隊派遣要請が遅れたので2000人犠牲者が増えた」(自衛隊派遣要請が遅れなければ2000人の命が救えた)は、はっきり「嘘」であるという立場で書かせて貰う。そこに政治的アピールなどありはしない。政治的に利用しているのは「嘘」を言っているほうなのだから。
先の震災体験者の一人として言っておかなきゃ気が済まないと思っているから言うけど(実際は「書くけど」だけど)
要はタイトル通り「結局軍隊動かすのが好きなだけ、動かしたいだけでしょ?」って事だ。ここで「自衛隊は軍隊じゃない」って言い掛かりは無条件で頭悪い認定するので無視するとして、軍隊はあくまでも戦争のプロでしかなく、そうであらなければないとも考える。そうじゃないというんであれば戦闘機も戦車もミサイルも巡洋艦も要らないよね?無駄だよね?って話だ。
対して震災の、初動に関しては絶対に必要なのは人命救助のエキスパート、そしてインフラ復旧のプロフェッショナルなわけだ。
自衛隊にもその専門部隊があるって?そんな話じゃないだろ。消防隊員より迅速に駆け付けてくれるのか?部隊全体が日頃からレスキュー活動と訓練、ライフラインの復旧作業と訓練をやってんのか?やってないなら、じゃあ災害派遣時には必要ない装備、戦闘機やらミサイルやら全廃して浮いた予算をそっちに回すか?射撃訓練やめてレスキューの訓練するか?組織・機能・目的全て考えても自衛隊はレスキュー隊員や専門技術者に太刀打ちできるとは思えないけどな。自衛隊の主な任務はと尋ねられたら何と答える?人命救助?そんな馬鹿な、じゃあ攻撃力要らないじゃん。インフラ復旧の意味本当に分ってる?どこに何が埋まってたなんて詳しい事、電気会社や電話会社、ガス会社の人間の方が良く知ってるよ?工作部隊の土木作業のスキルも下手な建設会社程度でしかないよ?消防隊では行動力や統率力が無い?悲惨な現場の状況では手も足も出せない?それは厳しい訓練に耐え抜いて日々命を懸けて活動している消防隊員への侮辱だ。敵が攻撃してくるのが戦場であって、よって軍隊による攻撃力は必要。これは理解できる。PKO活動は立派な任務だ。でも日本のどこにゲリラがミサイルを撃ち込んでくる災害現場がある?いいかげん被災地を戦場に例えるのは恥ずかしいので止めた方がいい。
結局もしもの災害の際に救助の手を差し伸べてくれるのは同居の家族だったり近所の隣人だったり、偶然居合わせた見知らぬどこかの誰かでしか無いわけだ。究極的には、周囲が皆絶体絶命の極限状態の際にはそこにいる全員の人間性・良心も試される事になる。火災で燃えている家屋、倒壊寸前のビルに自ら飛び込んで中にいる人間を救い出そうとするような人間の数、が問題になってくるわけ。自衛隊との連携、大いに結構。米軍への派遣要請、必然性があればOKでしょう。でも大元は社会全体の防災意識でしょう?人命救助の意識でしょう?都市の構造上危険な所は改修しましょうよ。消防署の数と隊員増やしましょうよ。いろんな訓練しましょうよ。避難場所、日頃の備蓄、チェックして管理しましょうよ。あと、ご近所さんとは顔なじみになっておきましょうよ。いろんな人となるべく親しくなっておきましょうよ。これらに比べたら自衛隊との連携なんてその次の次の話でしょう?
んでだ、ここポイントなのだが「自衛隊の派遣要請が遅れたせいで犠牲者が増えたのだ!」「阪神淡路大震災は実際は阪神淡路大虐殺だ!」と騒いでいる人間にはその「人間ひとりひとりの良心に期待する」事を「何を馬鹿な」と否定もしかして、いやたぶん嘲笑する事が好きな連中ばっかりという事実がある。それとこれとは無関係なんて大嘘。「自助」「共助」という概念が理解できないので否定するマインドと石原慎太郎の嘘を信じるマインドは明らかに多くの部分で重なっているわけ。じゃなきゃ県知事に対する誹謗中傷なんてある筈がないし、あってはならない事だ。信じる人が無自覚なのが滑稽でもあり恐ろしくもあるけど。自分が筋金入りのエゴイストだから他人もみんなそうだと思うのか、良心的な人間が増えるという事は自分の同類が減る事と同義だから認められないのか、それとも結果自分の悪意が浮き出る事になるので許せない、と思うのかは知らないけれど。とにかく、人間性を否定するこいつらには絶体絶命の他人に手を差し伸べるという考えは絶対無いんだろうな、とは思う。自己責任大好きだし、弱者から先に死ぬべきと思っているだろうし。
兵庫県のこれまでの防災への取り組みと教育が否定されたような気がして、読む方も気分が悪い事だと思ったけど書かせてもらいました。
(ただ、その取り組みを「左翼的」とまで言われた事については一生許さないと自分は思う。)
http://anond.hatelabo.jp/20070429020539
フォローしていただきありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20070429015622
http://anond.hatelabo.jp/20070429020121
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http://anond.hatelabo.jp/20070429104951
十数年前の自分を見ているようだ。只々、貴方達がかわいそうだと思った。今はそれしか言う事はない。