はてなキーワード: ミリンダとは
元増田です。聞いてもらえて嬉しいです。質問もらったのにかこつけて自分語りさせてもらいます。
殺人鬼のwikipediaとか読んでると時間忘れるよね。家族の前では読まないのは、インモラルな系統を隠すぐらいの意識はあるんだと思う。
おクスリとか化学系統は、文系だから理解できないんだよな。でも、文系でもドラッグの話は相性良くて、最近はアヤワスカの体験談をブログで読んだ。面白かった。
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本は、『ミリンダ王の問い』って本をいま読んでいる。アレクサンダー大王のときから、「征服するつもりで東方に来たら、おい、東洋の美術とか哲学とかマジヤベぇぞ」ってのがあったみたいで、これはその流れを継いで、ギリシャのミリンダ王(メナンドロス1世)とナーガセーナ(インドの高僧)の哲学的対話をまとめたものです。仏教を軸にした東西文化の交流、っていう、おそらく伝承とはいえ、すごく歴史的に意義の深いもののはずなんだけど、お互いマジメすぎるのか言動が常軌を逸してて、ツッコミのないWボケみたいになってて、ヘラヘラ笑いながら読んでる。
でもすごい暇人向けなので、次は直近で読んだ、翻訳家の岸本佐知子さんの『死ぬまでに行きたい海』をおすすめします。これはマジでいいです。岸本さんのワナビーで文章書いたから、もし俺の文章で少しでも時間が潰せたなら、『死ぬまでに行きたい海』はきっとすごく幸せな読書体験になると思います。
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マンガは、最近はネルノダイスキの『いえめぐり』が良かった。物件探しって切り口にかこつけて、狂人のぶっ飛んだ妄想を執念で可視化したみたいな怪作。描くの、すげえ時間かかってると思う。ほんとに売れてほしい。そんで、こういう漫画月一で出てほしい。本人のtwitterで試し読みができたと思います。
あとフツウに(?)ブルーピリオドの9巻昨日買った。美大入試のハックものって切り口だと思うけど、それは入口で、やっぱ上質なスポ魂だと思う。パワーもらえる。あときねみ可愛すぎ。
「どちらが重いのでしょうか?」っていうのは、遥か昔から議論の対象になっていて、
「問うて曰く『知って犯した罪と、知らずして犯した罪とでは、いずれが重きものなるや』」
というのは、“多門第一”といわれた、釈尊の高弟“阿灘”の問いとして紹介される事も多い設問だけれども、原典は『那先比丘経』という、西北インドを治めていたギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナの“対談集”だよね。
http://anond.hatelabo.jp/20090517101611
つーのはやっぱりあると思うんだよね。
で、そもそもこの『過失>>>>故意』って考え方、ここ最近のネットはずっとそうだよね。
冒頭の問いかけに対する釈尊、あるいは仏教僧ナーガセーナの回答として記録されている文章というのは、
「あなたはどう考えるのか。灼熱し、燃焼し、炎熱し、炎上した鉄丸を、一人が知らないでつかみ、一人が知っていてつかむならば、いずれがひどくやけどをするのか?」
↑これだけ。文献によっては鉄丸だったり火箸だったりするんだけれど、そこはまぁ、大した問題ではない。
いわゆる「先進国」での、“法律的”“世間的”な標準は「知らなかったのであれば情状酌量の余地あり」というのが主流。「自発的に行われる行為にたいして罪状を重く見ている」のね?
どうしてかといえば、“再発・再犯の防止”という社会運営上の都合でもあるし、「全く知らなかった事を理由に処罰されたくは無い」という人情の表れでもあるだろう。
「(それをすればどのような結果になるか)分かっていれば実行に移さなかった」
とか、
「(適切な対処・対応の方法を)知ってさえいれば防ぐ事ができた」
とか、少なくとも、
「きちんと理解している人がそこに居さえすれば被害の拡大を防ぐ事ができた」事例というのは数限りなく存在するわけでね?
だからなのかどうかはいまひとつ確信できないんだけれど、哲学・宗教系では「知らずに犯した罪の方が重い」という解説が付いている事がほとんどなんだわ。
「無知こそが罪悪である。」
「悪いと思っていないから際限が無い」
大雑把にまとめるとこのようなスタンス。確かにごもっともなんだよ?ごもっともなんだけれど、非常に恣意的なものを見出してしまうのよ。少なくともおいらが知る限り、釈尊・阿灘の問答にも、ミリンダ王と仏教僧ナーガセーナの対談にも、原典に近いとされるものには「知らないで犯した罪の方が重い」という記述は無いんだよね。
「知らない」 という、そのこと自体が 「罪」 なのだから、人間はいろいろなことを知るべきだ。少なくとも、知ろうとすべきである。”
↑こんな言い回しがあちこちで目に付いてさ。
でもこれって、簡単に変質してしまわないか?
例えばこんな風に↓
「無知である事は大罪である。この大罪から逃れるために、この神(思想・主義・その他諸々)を信じなさい。信じない・信じられないものは大悪であり、人間ではないのだから、打ち滅ぼしてやる事こそが彼らにとっての救いである」
「知っていれば、つかみ方が違うし、布を巻くなりするだろうし、そもそもつかもうとしないだろ?」
っていうのが大体共通するところなんだけれど、知っていようが知っていまいが、同じように焼けた鉄を同じようにつかんだら、やっぱり同じように火傷するんじゃないのか?