はてなキーワード: 矯正とは
骨格の部分はしょうがないとして、皮と筋肉の部分は自分でどうにかできるんじゃないのか。諦めるなと言いたい。自分に言いたい。骨が関係してないところならなんとかなるはずなんだ。骨でも口周りなら歯並びとかあるし。諦めるなと言いたい。
まず、目。目つきが悪いとか目が小さいって言っている人も黒目の大きさは他の人とそう変わらないことが多い気がする。いかに普段、目を開けているときに努力していないか。今までの努力の足りなさが目の周りの筋力に現れているので、たぶん自力では大きく開けない。普段から使ってないからだ。みんなもっと表情豊かに感情を表現してもいいんだよ。大きく開く努力をしていたら、ちゃんと目を開けられるようになる。そう信じてる。
それと一重。二重の線が頭蓋骨の標本にないので皮か筋肉の問題のはず。あと目頭の切り込みも。でも、どうすればいいのかは整形ばっかでネットじゃわからなかった。でも絶対、皮か筋肉の問題のはず。わかったらまた書く。
頬。肉だ。丸顔の人は頬に肉つきすぎだったりするので、フェイササイズでなんとかなるはず。皺は一度ついたら消えないとも聞いたけど、これも老化なので筋肉を鍛えて乾燥させないようにケアしたら、年齢相応になるはず。エラはりの人は顔が大きく見えるけど、髪形でカバーできるよ。たいていの顔が大きい人は体(肩幅・胸)や顔のパーツのバランスだと思うのでカバーできるはず。
顔のバランスが左右で違うのは、うちの父親がそうだったけど、姿勢が傾いていたり物を噛むとき片方で噛んでいたりしているかも。父親は矯正すると戻った。
まあこんな皮一枚のこと気にしてどうするんだって感じなんだけど、なんかしていたいんだよね。じゃないと失恋の痛みで発狂しそう。さあ、がんばるぞ。
確かに京大生vs小飼氏を中心としたはてな界隈の騒ぎは不快だった。元増田の言う内容には同意せざるを得ない。弾氏や反応した周囲の人間はまだしも、id:iammg氏には怒りを通り越して諦めを感じる。当初自分は、id:iammg氏の主張が非常に浅薄なレベルに留まっているのは、ただ学生らしい未熟さ・若さが原因なのだと思っていた。けれど、そうではなかったからだ。
ここ最近のエントリ(ブログのすゝめ - 女。京大生の日記。など)に目を通し、彼女が、ただネタを作ってやろうという程度の思い入れしかなかったのだと思い知らされ、酷く脱力させられた。id:iammg氏の発言を真に受けて真面目に考えた(一時期、覚書のようなものを増田に上げたりさえした)自分が無様でならない。ロスジェネも、没落エリートも、非コミュも、彼女には格好の「釣り餌」でしかなかった。話題を作るダシに、ロスジェネの、没落エリートの、非コミュの苦しみを使い、それを悪びれもせず愉快そうに語るid:iammg氏の姿に、言葉にならない絶望を覚えた。
こういう彼女の手口は、彼女が持ち出した議論そのものを無価値なものに変えてしまう。「ああ、また釣りか」という。そうなることを見越せないのなら愚かだし、それを見越してなお「釣り」を止めないなら、不誠実だ。他人の苦しみを、自分が脚光を浴びるための道具として用いて平然とし、あまつさえそれを堂々と「ブログのすゝめ」と称して広めようとする姿勢・・・それが「コミュニケーション能力」「ポスト近代化能力」という奴なら、自分は生涯そんなものと無縁で居たいし、そのようなものを有り難がる社会に敬意を払いたいとも思わない。
そもそもよく考えてみてほしい。彼女の目線は、ロスジェネや没落エリートや非コミュに優しいようでいて、全く優しくなどはない。「ポスト近代化能力」を身に付けさせるために、社会が彼らを矯正し、責任を負うべきだ、という主張はむしろ、そうした能力を教育の名の下に「評価する」ということでしかない。おめでとう!我々はとうとうコミュニケーション能力が「評価基準」になる社会に到達したのだ!とうとう人間は「自分たちの人間らしさ」まで明白に点数が付けられるようになったわけだ(※)。素晴らしい。そして、彼らは遥か上の階層から「これでみんな幸せだね!」と喜んでみせる、と。仮にそれが正しいことだったとしても、猛烈に不快な話だ。(※※)
(※)嫌味な物の言い方をしたが、「コミュニケーション能力」を公教育で指導することによって、(ソーシャルスキルの不備に基づく)社会のトラブルが減少し、結果的に今より「幸福な社会」が実現する可能性は確かに存在する。その意味でid:iammg氏の主張に耳を傾けるべき点はあろう。既に社会から逸脱してしまった自分としては、そういう「ポスト近代化能力」を称揚する「ハイパーメリトクラシー化した社会」という前提に違和感と嫌悪を感じるし、社会が自分を「ポスト近代化能力を習得させるために再教育」しようとすることに熱を上げるなんて、想像しただけでおぞましい気持ちになるが。
しかし、教育によって、将来自分と同じ不幸を感じる人間の絶対数を減らすことができるのならば・・・そういう社会を認めてもいいじゃないか、と理性は囁く。自分は所謂「非コミュ」だが、教育によって多くの人々が「コミュニケーション能力」を得て幸せに生きていけるなら、確かにそういう社会をこそ願うべきなのだろう。貧乏暮らしでも生きていけることを「今の自分が」望んだとしても、「自分の子まで」貧乏暮らしをすることを望みはしない・・・そういうことだ(これも「世間の常識」を内面化しすぎた物の言い方ではあるにしても)。まあ、そんな社会が実現したとして、犠牲になった非コミュのことなんて誰も思い出しはすまい。それで結構。そんな社会で回想されることに何の喜びも感じない。
(※※)単純に、「優しくない」「不快だ」というだけでなく、彼女の認識は多分に先入観に歪められている。留保は残されているとは言え、「非コミュの結果、就職に失敗している」的な発想を「ロスジェネ」に当てはめる発想は安直としか言いようがない。当時の経済状況を理解してそう主張しているのだろうか。頭痛で入院した患者に「ああ、お腹大変でしたねえ、痛かったでしょう」と言われても「何言ってやがる、このヤブ医者」という感想しか出て来ない。そりゃ、頭が痛かった人もいるだろうけど。
就職失敗の理由をそのような「非コミュ」に求めることで、経済の停滞によって生まれた不安定雇用層全体に「非コミュ」の烙印を押す危険を冒し・・・そして、そのようなロスジェネ全てに共有されているとは言えない前提を用いて、現世代の「没落エリート」との関連を論じる「とりあえず言ってみました」的な安易さは、見ていてあまり気持ちの良いものではないし、説得的でもない。まして当人が没落エリートではないのならば、尚更だ。(憎しみのこもった表現になることをどうか許してもらいたい・・・)正直に言って、そのような安直な発想を自画自賛する京大生と、彼女を育てた学校制度に強い危機感を感じる。
酷く悪し様に罵った後で言うことではないが、京大生にしろ、弾氏にしろ、社会に出て然るべき高い地位に就き、彼らの知識を生かしてのみ発揮できる仕事をこなす人々を自分は尊敬する。だがしかし、彼らが「苦しみに喘ぐ者」を見ず、その話題性のみをネタに語るのならば、いつか虐げられた者達の憎しみによって彼らは滅ぼされるだろう。心してほしい。紅衛兵は過去にのみ存在するわけではないのだ。
結婚したんだから次は子供…っていわゆるフツーの人生を期待するのは分かる。
一度ドロップアウトしてニートを経験した。酷かった時期を知っている分、今のように生きているなんて夢のようだろう。
でも、「持ち直して仕事を見つけて結婚したんだから、もう大丈夫。余裕ができたよね。」と思い込むのはやめて欲しい。
結婚だって歪んだ者同士、寄り添わないと立てないから寄り添っただけだ。
二人寄り添って倒れないように歩くので精一杯で余裕なんてないんだ。子供を作って育てるなんてできないんだ。
自分にとって生きにくい世の中で、なんとか折り合いつけて仕事を見つけたし、折り合いつけたそのままで良い、子供も要らないという配偶者を見つけたんだ。
その、せっかくつけた折り合いを、勝手にフツーの人生の方向へ矯正しようとしないでくれ。
そのフツーの幸せとやらは私にとっては苦痛なんだ。毒なんだ。その毒にやられてドロップアウトしたんだ。
昔は無理だったけど、今は毒を毒だと認識できるし、ちゃんと避けられる。でもそうやってどんどん毒を盛ってこられると何かの拍子にまた中ってしまいそうで嫌なんだ。
犯罪もしないし、迷惑もかけないし、自分から死を選んだりしない。だからせめて好きなように生きさせてくれ。
って、みんなどう思いますかね。
こんなとこで質問することでもないかもしんないけど。
私は子供のころからひどい出っ歯でした。どうも親の遺伝らしく、私の兄弟2人もそろって出っ歯。
ただ兄弟2人は子供のころ矯正した。私だけ矯正しなかったのは、私が兄弟のなかで特別体が弱く、入院費用などがかかっていたから。
と親にそのころから言われていたし、まあ実際私もだいぶ親に負担をかけていることは理解していたので、そのことで親を責める気はいまも昔もまったくない。
出っ歯であることでだいぶからかわれたりしたけど、あまりにからかわれすぎるので、なんというか、慣れてしまって、
むしろ出っ歯であることが自分のステータスであるような感じさえして、30を迎えた今の今まで放っておいてきた次第である。
当然、女性にはモテなかった。というか、典型的な非モテであるゆえ
皮肉な話なのだが、なぜいま矯正する気になったかというと、女性にモテたいからではなくて、逆に彼女が出来たからだったりする。
(非モテの私に彼女が出来た経緯はそれはそれで面白いのだが、とりあえず今は書かない。気が向いたらいつか別エントリで書く)
彼女自身は、私が出っ歯であることは気にならない、と言ってくれるのだが、
二人でツーショット写真なんかを撮るようになって、はじめて自分の出っ歯ぶりが気になるようになってきた。
やはり、不恰好である。彼女とは結婚を前提に付き合っているが、結婚式で写真を撮ることを想像すると、私はこのままでいいのか、と思ってしまう。
まあ、「矯正したいならやりゃいいじゃん」というのが普通の回答であろうし
(実際彼女に相談したらそういう回答が返ってきた)
私自身もそう思うのだけど。出っ歯であることをステータスにしてきたぶん、周囲の目が気になる、というのも本音ではある。
矯正器具はやはり目立つし。
「彼女できたとたん、見た目気にして矯正すかwwww」といろいろな人に言われるだろうと想像すると、うんざりする。
自意識過剰なだけで実はみんなそんなに気にしないかなーとも、思うのだけど。
つーわけで、みなさんがそんな奴を見かけたらどう思うか、聞いてみたい次第。どうでしょ。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
親もいろいろ、非コミュだったり、飲ん兵衛だったり。増田が親や教師が完璧じゃなきゃ許せないとか思っているなら子どもだよ。親は子に対して、人生で責任を取るしかない。加藤の親も、これから償うんだろう。償って償いきれるもんじゃないし、結果責任は免れないとして、何が悪かったんだ?グループディスカッションして直る話じゃないだろ。
もちろんグループディスカッションして直る話ではないが、高校や大学や子供を産んですぐの人達に教育の大切さ、家族の大切さを凶悪犯罪と絡めて議論できる場は提供すべきだと思う。
だってどう考えても、計画的に子供を産む予定のない人が、妊娠した時に教育の大切さをわかっている人が大勢多数いるとは思えない。
子は親を選べない。そして親はいろいろ。物わかりのいい親もいれば、そうでないのもいる。生きている時代が違うのだから、価値観を押し付けられた通りに子どもが生きて報われるとも限らない。政治とか経済で、親を矯正するのは無理じゃないかな。もう、出来上がった人格なんだから。
親のアドバイスや価値観や教育方法などが問題の本質ではなく愛情が重要。江戸っ子ばりばりの親父がなんの教育も子供にはしないで親の背中を見せるだけ、いつも厳しいことばかり言われるが、それは全て愛情の裏返しみたいなことではないかな。
この増田も言っているように人間は人のなにげない表情やしぐさに非常に敏感なものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080623174720
本気で想っている人がいると、その人の微妙な表情を読み取ることができる、本気で好きな異性の事を思い出して欲しい、ちょっとの変化もすぐ気づかないだろうか?家族ってその最たるものだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080702/rop
僕も三児の父として、自分の人生のこれからを子どもと共有しているが、僕の時代の価値観を押し付けて彼らを幸せにできるか自信はない。
親が自分の価値観を押しつけることが教育とはいえない。こういう考え方が共依存につながっていくのかもしれない、アダルトチルドレンや共依存も若い親御さんにわかってもらう場所が必要ですな。今回の加藤の問題が起きて、規制ではなくこういう根っこの部分に目を向ける国であればよろこんで税金は払いたい。
でもこれは俺の家の作法だ!ほっとけ!といわれればそれまでだが。
ちょっとネットで検索すれば書いてあるのに、なんだよ「どうすりゃいいかわからない」って、本当にわからなかったのか?
やっぱり何かのせいにしたかったようにしか思えない。
・クセ毛なら縮毛矯正、さらに美容室で適当に雑誌の髪型を指差すか、「ワックスでたつ程度に短めにすいてください」って言う。
・顔洗う
・丸井かどっかで店員に見てもらってジャストサイズのジーンズを買う
・足元はコンバースとかバンスの平底スニーカーを買う。もしくは丸井とかで革靴。
・そのジーンズとスニーカー履いて同じく丸井とかで(丸井ばっか出てくるのは都心にいるからで他意はない)無難なシャツとかTシャツとか選んでもらう。わからなければ、店員が着てるやつで「なんとか着れそう」と思うやつを指差して買う。
・あとはなるべく笑顔を作る
http://anond.hatelabo.jp/20080602155307
http://anond.hatelabo.jp/20080602171508
まず、最終的にサンダルである事は間違いない。
それでは、どんなサンダルか。「両足のくっついた」サンダルである。
ここで、「くっついた」とは、もちろん「接着された」という意味ではない。それでは歩けないため、サンダルの用を成さないからである。画像を注意深く見てほしい。なにより、「サンダルがくっついた」ではない。あくまで「両足がくっついた」なのである。
では、「両足のくっついた」とは、どういうことか。これは一度、逆に考えてみる必要がある。「両足のくっつかない」。そして相手は妹、すなわち女性である。女性で両足がくっつかない悩みといえば、、、みなさん、もうお分かりであろう。
O脚である。
すなわち、「両足がくっついた」とは「O脚を直した」という意味であり、「両足のくっついたサンダル」とは、すなわち、「O脚矯正サンダル」なのである。
では、次に「つまずいてもはなれないって書いてある」の部分を考えてみよう。
これは次の3つの場合が想定される。
1.そのままズバリ「つまずいてもはなれない」と書かれたO脚矯正サンダル
この文字が書かれている理由は定かではないが、「はなれない」をO脚ではない、と捉えれば、O脚矯正に躓いてもO脚ではなくなる、または、「はなれない」をあなたから離れない、という意味に捉えて、O脚矯正に躓いてもあなたから離れない、といった、いわば励ましの意味を込めたオマジナイ的言葉であると見るのが妥当であろう。
いずれにせよ、このパターンでは「つまずいてもはなれない」の意味自体は重要ではなく、書かれていることが重要であると思われる。
2.実は「つまずいてはなれない」というキャッチコピーのO脚矯正サンダル
決して「躓いて離れない」ではない。そんな迷惑な事を謳っては、売れるものも売れなくなる。実は「躓いては、成れない」である。
「躓いては、成れない」とは至極当たり前のことである。しかし、これは、「この商品であればO脚矯正に躓く事がない」という事の裏返しなのである。このように、さも当たり前なことを、高らかに宣言するが如く使用するのは、キャッチコピーのよくあるパターンである。
つまり、この場合はキャッチコピーとして「つまずいてはなれない」とでかでかと書かれているサンダルである。
3.実は妹さんは誘拐されており、これは犯人の特徴を示す暗号文である
これについては後ほど書く。
そしたらさ、auなんだけど、ニュースフラッシュとかいう新機能があってね。ニュースとか占いとかが、パケ代かからずに送られてくる、らしいの。
そんでそのニュースフラッシュを開いてみると、広告が載ってるわけよ。
そしたら、少女漫画っぽい絵柄にキャッチーな宣伝文句が付いてて、それは携帯で漫画ダウンロードして読むやつの広告だったわけだけど、ちょっと心惹かれて開いてみた。
するとその漫画の内容が紹介されてる。細かい文言は忘れたけど、大要以下のような感じ。
やばい、もしかしたらツボかもしれない。
で、読もうと思ったら、まず専用ビューアをダウンロードしろって書いてあって、そいつがパケ代で4000円くらいかかる、と書いてある(書いてあるんだから親切だ)。
まぁ断念したわけだけど、そこでふと思ったんだけど。
この広告って、別にターゲット広告じゃないはずなのよ。俺は20代半ばの男で、広告の漫画はおそらくハイティーンの女子がターゲットだから。
ってことは、後期高齢者だろうが幼女だろうが、auの今時の機種を使っていればおかまい無しにこの広告が送られてるんだと思うのよね。
すると、例えば10歳くらいのおにゃのこが、この広告にフラフラッと引き寄せられる。もしかしたら購入する人もいるかもしれない。
で、よ。
ちょっと前までは俺も、「(性表現を含め)どんな情報も隠すべきではなく、正しい情報を伝える事こそが正義だ」と思ってた。
でも、実際問題として小学生がこういうエロ漫画に触れるってのは、やっぱおかしい気がする。
おかしい気がしたので考えた。
まず、触れる情報が正しい情報とは限らない。誤った情報に触れたとしても、情報に触れた事に気付かない限り正しい情報で矯正することもできない。携帯電話でどんな情報に触れたかは一見明らかではない。子どもが携帯ネットで誤った情報に触れたとしても、それを正す機会は無いかもしれない。
それに、正しい正しくないとかいう以前に、正しい性情報なら年齢を問わず与えても良いのか。小学生であれ正しいsexをしていて何が問題か、という議論は捨て置く。子どもは軽率で、ちょっとした好奇心で避妊せずにsexするおそれがある。俺がピンセットをコンセントに指したようにな。で、問題なのは軽率さじゃない。そんなの歳を取ったってうっかり子どもを作っちゃったりする。そこじゃなくて、問題は、子どもは妊娠の責任を取れないってことだ。高校生が妊娠しても、結婚して働けば良い。でも小学生はそうはいかない。
この社会は、内容が正しければ全ての人にそれを与えても良い、という価値判断を採用していない。だからアダルトビデオは18禁。「子どもにもAVを観る自由を!」という社会運動をしたいならどうぞやってくれ。たぶん支持されないから。
そういうわけで俺は、とりあえず性表現は子どもとの関係では規制されるべきだと思った。でも大人向けはモザイク無くしてくれ。
すると、子どもであっても大人と同じ情報網を得られるべきだという俺の哲学は修正を迫られたわけだ。
っつーわけで、ある程度の規制はやむを得ないと考えたわけ。もちろん規制の程度はやっぱり問題で、普通の規制論者が言うような規制は大抵過度の規制だと思うけど、他方で「およそ規制すべきではない」という説もまた、もう俺には採れなくなった。
ここでの、「矯正」とは具体的にはどのようなことを指しているのですか?
元増田です。ありがとー。
縮毛矯正は以前してた。
けど、髪がプチプチ切れるので、
ここ2年くらいはしてない。
矯正止めて気付いたんだけど、
私の髪の毛、ロングにならないのね。
肩ぐらいまで伸びると、枝毛になって切れる。
(手入れしてないわけじゃないよ!)
私は例外だったらしい。
こんなのつhttp://gatagfile2.blog4.fc2.com/blog-entry-1145.html
可愛いんだけど、
日本人の自分に似合ってるのかはわからない。
いや、今も非常識かもしれない。
ちょっとピントズレた部分とかあるかな。
特に、人にどこまでモノを言っても失礼じゃないかとか、異性との付き合い方とか、
そういった部分非常識だと思う。
知識の面でも、テレビ見ないから、芸能人の名前も分からん、時事問題もよく分からん。
けど、なんとか、そこそこ常識的な服装をして、
常識的なふるまいをして、
徐々に常識といわれる知識を身につけ、
一見まともな社会人になれそうです。
いわゆるオタっぽい奴になってたんじゃないかなぁ、と思う。
非常識をおおよそ矯正できた原因は結局、自分の周りの人だった。
昔からの友人やアルバイトの同僚が、服装について指摘し、
ちょっと見た目なんかが改善されてきて、調子に乗り始めたが、
女の子にフラれることで、ちょっと冷静になる。
大学の友人といろんなところへ出かけ、地域を知る。
別の友人とは、社会的なことを会話するようになり、時事ネタも少しは分かるようになる。
そういう感じで、徐々に、いろんな人とのコミュニケーションをとる中、
常識というものが必要になり、学んできた。
最初に他人との接点があったから、常識を得られたけど、
視覚障害一級 と 全盲 は異なるようだ。以下Wikipediaの視覚障害者という項目より。
1級(指数18)
両眼の視力(万国式試視力表によって測ったものをいい、 屈折異常のある者については、矯正視力について測ったものをいう。以下同じ)の和が0.01以下のもの。
メガネの眼科医がいなくなって、みんなレーシックやるようになったら本物
はてなブックマーク - CNN.co.jp:視力矯正手術の後遺症めぐり公聴会 米食品医薬品局
はてなブックマーク - Rauru Blog » Blog Archive » レーシック手術の副作用
Jermaine Dupri Goes Blind After Lasik Surgery
LasikDisaster.com - LASIK: LASIK risks are understated
手術の影響により右目に角膜炎を発症し、1月中旬に入院することになった。
右目視力は一時0.04まで低下し、失明の危機もあったが後に回復。
私は中高時代ずっと歯列矯正をやらされていて、やっぱり見た目は気持ち悪いんだよね。
思春期は嫌でたまらなかったよ。
挙句、「踊る第捜査線」の映画版でキョンキョンが不気味な犯人の役の時に矯正をしていたこともあって、すごくからかわれるしね。
今は直ってはいるけど、矯正の針金のせいで前歯が虫歯になってしまい、削って詰め物をしているので色の差が目立つ。
ちょっとブルー。
いいことばかりじゃない。
ただ、歯並びじゃなくても、煙草のヤニで黄色かったりする歯は気になるから、やっぱり歯は綺麗にこしたことはないと思う。
欧米だと、歯並びが悪いと就職できないとか、もてないとかいわれてるそうじゃん。
むこうの持てない男が主人公の映画っつったら、だいたい歯並び悪いし。
で、俺は歯並びが悪い。
下の歯はまだ正常なんだが、上の歯は粒が大きくて、歯茎からちょっとあふれてる。すこし出っ歯ってるし、前歯がすきっ歯でもある
昔は、歯科矯正にあこがれたよ。親がやらしてくんなかったけど、歯並びがきれいになったやつみて、すげーうらやましく思ったもんだ。
そんな俺ももう20代後半。やるなら自腹な訳だが、安くはないよなぁ。悩んでいる。
歯並びってみんなどれぐらい気にするもんなんだろ
あと、俺のように悩んでる人はどうしてんだろ。ひとそれぞれっていったらしまいだが。
「褒める」ってことを覚えてください。それだけです。
といってもこれだけだと見も蓋もないので、事例を挙げて説明をば。
まず覚えておいて欲しいこととしては、
(これは当然反論があると思いますが、今回はこれ前提に話をします)
ネットではうまくコミュニケーションが取れるのにリアルでは上手く話ができない人は
ネットでのマイナス志向をそのままリアルに持ち込んでいる傾向が強いです。
例えば飲み会の席でちょっとした間違い発言に「それはねーよ!」とか
「○○の新譜聞いたけど、昔の方がよかったなぁ」とか
とにかくテンションを下げる行動や発言ばかりを行います。
これはネット上では議論に発展させることができるので有効なのですが、
リアルでは「つまらんやつだ」と切り捨てられてしまいます。
というか、ツッコミばっかり入れている人なんて、普通好かれませんよね。
「じゃあプラス方向の話ばっかりしよう」と
今これを見ながら思っているかもしれませんが
やってみるとわかりますがこれが恐ろしいほど難しい。
なにせ今まで他人のアラばっかり探していた貴方です。
おそらく1つの楽しい話題を提供したとしても
その話題を誰も膨らませてくれず凹むことでしょう。
いきなり話をプラス方向に持っていくのは避けたほうが無難です。
ではどう改善していけばいいか?というと
最初に言った「褒める」という行動を1日1回だけすることから始めてみてください。
最初は的外れな褒め方で「?」な反応をされてしまうことも多いと思いますが、
そこはまあ、「あれ?空気読めてない?」みたいな茶化し方で逃げるとか
色々と自分なりにフォローを考えてみてください。
そうすると貴方の「キャラクター」が良い形でできあがっていきます。
「どうしても褒めるところが見つからない!」という方は
家でもいいんでテレビでも見ながら出てくる人たちの
容姿や行動を頭の中で褒めてみてください。
「歯並びがきれいだな??」とか「春っぽくて素敵な服だな??」とか。
余裕があればそれに「自分は歯並びが悪いんで羨ましい」
みたいに相手を引き立たせる感想を付け加えていってみてください。
そうすると、知らないうちに褒め方のレパートリーが増えていくはずです。
これはネットの世界からリアルの世界に戻るためのリハビリみたいなものです。
ここで書いてあることを実践していくと、あなたを見る目はジワジワと変わっていきます。
半年っていうのは勝手に考えた期間なので、早い人なら1ヶ月もすればリア充になれるでしょう。
はてブや増田で相手の主張に対するネガティブなツッコミばっかり入れている人は
1年以上かけても矯正できないかもしれませんが。
http://d.hatena.ne.jp/sync_sync/
当方院出で数年しか経ってないけど、既に何回かうつ病で休んでいる。今回復帰した時、いきなり忙しい仕事が待ってた。(就業制限つきのはずなんだけど)
罵声とまではいかないんだけど、やる仕事やる仕事だめ出しの連続。やり遂げたとしても褒められるわけでもなし。給料貰ってるんだから当然でしょってこと言われる。自分から仕事を片付けたいとは思えなくなってきた。
普通に仕事自体は片付けられるのだけど、指摘に対応してくのが辛い。この辺もボスに話したところ、「大げさに受け取りすぎなんじゃない?」って。
確かに自分は物事に対して酷く受け取り過ぎかもしんない。これが病気のせいか、もともと持ってるものかは分からない。ただ、「受け取り方が悪い君がまずい。直せないなら辞めた方がいいよ」と言われたら今は辞めるしかない。
メンヘラーだからか転職もうまくいかなそうだし。童貞だし。いっそ電車にでも突っ込んだ方がいいのかなぁ。
もっと前向きな選択肢が欲しいとこだ・・
「給料明細なんてしっかり見たことない」なんて言われて、「あぁ、こいつは金に困ったことないんだ」って羨ましくなっちゃった。あぁ、なんて卑屈なんだろう。
とりあえず書きたくなったから惨めな記憶書いてみる。
1.集金袋事件
・担任の先生に「締め切りだからお母さんに電話して持ってきてもらって」と言われる。
・こないはずのお母さんを小学校の玄関で待ち続ける。
・先生が呆れて(仕方なく?)迎えにくる
・とりあえず泣く その後教室へ
先生はいつも集金袋のお金立て替えてくれてた。 ありがとう、先生。
2.習い事は1個だけ
周りがピアノだ水泳だ塾だっていうのを羨ましく見てた。 いや、1コでもあるだけマシなんだろうな。きっと。
3.歯並びは悪いけど
・貧乏なので長女は歯科矯正に通わせてもらったけど、次女の私はなし
・次女って損だなと実感。姉が歯科矯正具を無くしたときは滅茶苦茶罵倒した気がする
4.部活動
・運動部は金がかかるという理由で中1のとき入らせてもらえず
・それでもなんとか1年がかりで説得して中2でソフトテニス部に入部
5.県立高校1本
・親曰く「面談のときに便利だろ??」
6.部活断念
・4と同じ理由で運動部に入ることを許してもらえず
・同じクラスの連中が「あー部活だるい」なんて聞くと本当にいらいらした
7.暇なのでアルバイト
・週5日 3時間 安い時給だけど3年間、桶川駅前のマインでバイト
・学費や食費として親に毎月2??3万払う。
・中学生のとき、「高校生になったらバイトして大学の学費少しでも貯める」って思ってたけど、大半親に渡す
・「アルバイト代は全部自分のもの」っていう友人が羨ましかった
8.専門学校
・努力が足りず、奨学生試験で良い結果が出ず・・・入学金+学費60万払えなくて挫折
本当にやりたかったら新聞奨学生でもやって頑張れば良かったけど、兄がそれで失敗したのを見ていたので自分には無理だと諦める。
働いてお金貯めてから3年後に入学しても良かったけど、諦める。結局そこの専門学校に入ることさえも本気になれなかった自分が悪い。
1とか3とか7とか思い出すと涙がぽろぽろ出る。お金がないと惨め。 本当に惨め。
今は結婚して2人で働いてて貯金も出来てるから幸せ。なにより旦那が側にいてくれることが一番の幸せ。
貧乏な親と離れたことで精神的にも楽になったけど、たまに親を思う。生活が大丈夫か心配になる・・・ ダメな親でも血のつながった親はあの2人だけだから・・・
私の子供には絶対貧乏な思いはさせたくない。とりあえず1は絶対させない。それが私の生きる原動力。
私も殺人に手を貸しちゃった・・・
私よりもっと貧乏な子供時代を送った子が大勢いるって分かってる。
まともに働けてるだけ私はマシなんだってことも。生きてるだけで幸せってことも。