はてなキーワード: 死神とは
世界のすべてを統べる神がいました。名を、ブーニベルゼといいます。
ブーニベルゼは、母なる女神ムインを倒して、世界を手に入れました。
滅びの呪いを解くために、ブーニベルゼはムインを倒そうと考えました。
母の待つ不可視世界へ辿り着くために、入口を探さねばなりません。
ブーニベルゼは、自らの意志を抽出し、ファルシを創り出しました。
パルスの使命は、世界を切り開き、不可視世界の扉を見つけることでした。
ブーニベルゼは、誤って、ムインそっくりにエトロを生み出してしまいました。
その姿を恐れたブーニベルゼは、エトロに何の力も与えませんでした。
リンゼの使命は様々な脅威から、ブーニベルゼを守ることでした。
ブーニベルゼはリンゼに、時が来たら起こすように命じ、
パルスは世界を広げるために、ファルシとルシを創り出しました。
目に見える可視世界の存在が滅びるのは、呪いではなく運命(さだめ)でした。
世界の総和は定められていて、可視と不可視の世界が分け合っています。
ブーニベルゼの母ムインには、運命(さだめ)を止める手だてがありませんでした。
ムインは世界の均衡を保つようエトロに伝え、混沌に飲みこまれました。
エトロは愚かだったので、ムインの言葉の意味がわかりませんでした。
孤独になったエトロは、混沌に飲まれていくだけの人間に親しみを覚え、
やがて人は、パルスを全能の支配者、リンゼを守護神、エトロを死神と考え、
人が混沌を抱えることで、世界の均衡は、かろうじて保たれているのです。
永遠が終わるその時まで――
千葉法務大臣のことだが、死刑の執行にサインをした事と、執行に立ち会った事は非常に立派だ。
悩みに悩んだ末にこのようにしたのだろうし、この行為自体は尊敬できる。
他所で言われているように、本人が信念を曲げたとも思わない。
ただし確かに気になる事がある
たまたま偶然であれば良いのだが、敢えて選んどとすれば悪質だ。
これは議員を落選した大臣は、しなかった大臣よりも劣ると考えているからではないか?
少なくても「議員を落選した大臣」と「議員としての大臣」を明確に分けていることが伺える。
もし同等と考えていれば時期は関係ない。
同等と考えていなければ、自ら大臣に相応しくないと公言しているようなものだ。
できるだけ客観的に見ても、狙った時期と優れた技術しか思えず、パフォーマンスと言われるのも仕方ない。
まあ、この当たりは今後死刑に署名するかどうかで分かるだろう。
※パフォーマンスで死刑執行などできないと考えるのは人として当然だが、【時期】に関して今のところパフォーマンスとしか思えない。
死刑執行に立ち会ったことも、長期的にみてどうかと思う。
今回の行動は自らの行為に責任を負ったと思うし尊敬するが、次の法務大事が同じ事をしないと責任を果たしたと思われなくなるのではないか?
今の死刑制度は、死刑の罪悪感を検察、裁判官、法務大臣、執行人で曖昧にしている。
これは大事な事で、個人に過度の負担をかけさせないで済む。
法務大臣が一人で重責を背負う事が正しいだろうか?
もちろん法務大臣は重大な責任を負う立場ではあるが、人一人を生かすか殺すかの重責までは(一人で)負う必要はないと思う。
以前叫ばれた「死神」などと呼ぶことは論外だ。
死刑に反対するのは大いに結構。現役の大臣が反対派でも問題ない。
だだし、それと署名しないことは別問題だ。署名は法律で定められている義務だから当然するべきだ。
法の番人の長が、自ら法を守らないことは裁判官を、裁判制度をバカにしている。
もし死刑に反対なら法務大臣など断わり、高らかに廃止を訴えればいい。
国会議員としての十分な立場があるのだから、聞く耳を持つ人も多いだろう。
法務大臣である方が火急の人を救えると思うならば(良いこととは思わないが)、ひとまず大臣になり、速やかに死刑廃止を訴えればいい。
罰則がないからと言って守らなくてよい訳がない。
超法規的に保留するならば、当然速やかな議論があって然るべき。
議論をしない、積極的に裁判結果の調査をしないことは職務放棄に等しい。
落選した議員が大臣であることは問題と思うが、この調子だと総裁選までは千葉さんが法務大臣のようだ。
そのこと自体はどうしようもないが、せめてしっかりと職務を果たして欲しい。
デモンズソウルなるゲームをPS3と一緒に買ったんだが、これがちょーおもしろい。
1ファンとして、デモンズソウルのおもしろさを長文で伝えようと思う。
何が面白いって、まず死ぬ。
ガンガン死ぬ。
あまりの強さに死亡イベントかと思った。
結局死ぬ。
いざステージがはじまるとやっぱり死ぬ。
怯みモーションが鬼畜すぎる。
死んで覚えるっていうが、覚える間も無く死ぬ。
アクションRPGなのにこの時点ではレベル上げられないからプレイヤースキルでなんとかするしかない。
ここのボス倒すまで三日かかった。
ここからが本当のデモンズソウルだ。
いろんなステージが一気に解放されたから喜んで身に行ったらやっぱり死んだ。
特にヤバかったのが塔のラトリアってとこ。
レストランのベルみたいなの持ったタコの看守が牢屋徘徊してる。
こいつの魔法が超強くてすぐ死ぬ。
しかもこのタコをよけようとすると足を踏み外して落下死する。
そういうゲームじゃないのにスマブラとかマリオばりに落ちて死ぬ。
どっかのプレイヤーがあたまにさかさウンコ装着されて召喚されるんだけど、マジ勝てない。
なんでお前らそんなに強いのってぐらい強い。
礼儀正しいしアイテムくれるし手加減してくれるのかと思ったら全然そんなことない。
余裕のガチ勝負。
まぁ俺が消し飛ぶんですけど。
足場って意味では腐れ谷もヤバかった。
崩れそうな木の足場を渡っていくんだけどやっぱり落ちる。
地に足がついてるところはほぼ沼地で、毒にかかりまくる上にローリング不可。
そのくせ敵はスーパーアーマーだからタコ殴りにされて死ぬ。
泣きながら戦ってたら家族に見られて俺の家庭内での地位が死んだ。
坑道ってぐらいだから熱い。焼け死ぬ。
そしてやっぱり足場が悪い。
特に二面は狭い通路のなかにアホみたいに固いクマムシが鎮座してる。
遅いと思ってると飛びかかってくる上に、やっと倒すとなんと死体が爆発する。
爆死とはまさにこのこと。
ここはボスもやばくて、早すぎて追いつかない上に、HPが減ると発狂する。
でも俺がいちばん死んだのは嵐の祭祀場。
敵が強すぎるからレベルを上げようと思ったんだが、勧められたのが「死神マラソン」。
意味がわからない。
さらにここにはなぜか対人戦をやりたい奴が大量にいる。
こいつらがやばいぐらい強い。
ラトリアでも言ったがなんでおまえらそんなに強いの?
馬鹿でかい剣みたいなのに潰されたり、ガード不可能な剣で叩ききられたりする。
全国のマゾゲーマーにはぜひ楽しんでもらいたい。
三歳の息子がいます。
ガンダムが大好きで、寝る前にyoutubeを見せてとせがむので、「翔べ! ガンダム」を見せたりしていたのですが、ご存知の通り熱い歌なので、目がさえてしまって寝ません。
そこで、同じガンダムでもおとなしめの曲を聞かせれば寝ると思い、MS IGLOOの主題歌である「時空のたもと」「夢轍」「Mr.lonelyheart」を連続して聞かせると、うまく寝るようになりました。
とくにア・バオア・クーの戦いの映像と共に流れる「夢轍」の途中で寝る確率が高いようです。
すんなり寝てくれるのはいいのですが、あの映像を見ながら眠ると、夢の中で学徒出陣してオッゴに乗っているのではないかと心配になります。
「Mr.lonelyheart」の途中で寝て死神17歳にとりつかれる夢を見るよりかはマシだと思うのですが、とても心配です。
シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä, 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランドの軍人、狙撃手。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、フィンランドが生んだもう一人の天才スナイパー、スロ・コルッカと並んでソビエト赤軍から恐れられ、史上最多の確認戦果2505名射殺の記録を残している。
当時のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営む。1925年に軍へ入営。1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、故郷の町に近いコッラー河付近での防衛任務に就いた。
ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士からロシア語で"白い死神"を意味する "Белая Смерть"(ビェラーヤ・スミェールチ。フィンランド語では"Valkoinen Kuolema")や“災いなす者”等と仇名された。
冬戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が64000名のソビエト連邦軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。
ヘイヘは冬戦争中、防寒着の背中を砲弾の破片がかすめて切り裂かれた以外はほぼ負傷する事はなかったが、終戦直前の1940年3月6日にソヴィエト軍兵士の銃撃を頭部に受け、あごを撃ち抜かれる重傷を負う。友軍に救出されて一命を取り留めたが、意識不明のヘイヘを回収した兵士は「彼の頭は半分なくなっていた」と述べており、後年の写真でも傷痕が確認される。3月13日に意識を回復したものの、すでに冬戦争はその前日のモスクワでの講和条約締結を以て終戦を迎えていた。
終戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごし、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳でこの世を去った。
ヘイヘは狙撃において、ソビエト側では旧式になりつつあったモシン・ナガンM28を使用していた。冬戦争当時、物資や銃弾が極端に不足していたフィンランドは、戦前からソビエトの軍事的影響を受けていた為、多くの制式装備がソビエト製だった。このため戦場で鹵獲した敵の装備をそのまま使用でき、ヘイヘも敵の武器であるモシン・ナガンを使用することになった。ヘイヘは身長約152cmと小柄ながら、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガン[1]を与えられている。
モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイヘはこれを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れ[2]と装備の軽量化に加え、レンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。ヘイヘの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在もフィンランド国立軍事博物館に展示されている。
ヘイヘの狙撃技術は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だったソビエト軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリア軍SAS狙撃兵などの経歴と共通する。ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に46発の射的に成功したという逸話[3]が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。
ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に24500名から25540名と言われ、いずれにしても世界記録となる[4]。この中には狙撃銃以外の火器によるものや、未確認の殺害数は含まれていない。またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では3200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した10505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも525名の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が4138名に達していたという。
1998年、晩年を迎えたヘイヘは狙撃の秘訣を問われた際、一言「練習だ」と答えたという。また、自らの残した記録については、「やれと言われたことを、可能な限り実行したまでだ」と述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98
俺は非コミュ人間なので、接客業とか営業職は無理だろうな~と思って、そういうのじゃない仕事についたけど、違った。
俺は、同じ会社の人(同僚までいかない)とか、クラスメイト(友達までいかない)とか、友達の友達とか、微妙な距離感でのコミュニケーションが苦手だということに気がついた。
むしろ、初対面とかの方が気兼ねなく話せる。
2回目、3回目とかになると、段々話せなくなってくる。
理由はいろいろあるんだけど、相手の名前を覚えられないことが一番大きい。
名前がわからないと、迂闊に話ができない。
まあ名前くらい覚えろよ、って話なんだけど、覚えられないものは仕方がない。
あー、でも名前覚えられないようじゃ営業も無理かな。
自分で何が書きたいのかよくわからなくなってきたけど、増田だしまあいいか。
とにかく、中途半端な距離でのコミュニケーションが苦手なんだよ、ってことに気づいた。
寿命半分払うのはやだけど。
キロ2000円とかボッタ価格にもほどがあるおww東方厨舐められてんなあwww
その混雑具合から「男幕結界」と呼ばれているほどのカオス振りを見せる例大祭で嵩張るお米を販売するなんて正気の沙汰じゃない。少なからぬ混乱が起きるぞ!それこそ例大祭を中止に追い込むほどの事故につながりかねない…くそっ東方界隈も巨大になってこういうわけのわからねえ有象無象が押し寄せてきやがる。いっその事本格的に商業化して権利関係をガッチリ管理したほうがいいのかもしれないな。
あのですね、いくら「小町」だからといって、小野塚小町というキャラはですね三途の川の渡し守の「死神」なんですよ。食品のパッケージには最も不似合いですよ。本当に社会常識というものをわきまえていただきたいものです。大体ですね、東方Projectには「秋穣子(あきみのりこ)」という豊穣の神様がいるじゃあありませんか。彼女なんてまさにピッタリですよ。彼女の人気が微妙というのならお花畑の似合うクールビューティー「風見幽香」なんかもいいと思います。それでも微妙なら「霊夢袋」「魔理沙袋」「アリス袋」とか人気キャラを何種類か用意してですね、「お米はパワーだぜ!」とか適当なコピーを付けて売ればいいかと思います。
お米といえば、松岡修造の「お米食べろ!」が浮かぶなあ。松岡修造の暑苦しい顔をプリントした袋に米を詰めてニコニコ市場とかで売ると結構売れるんじゃあないかなあ。萌え米ならぬ「燃え米」としてさ。これ、神アイディアじゃね?うはww
大体、お米自体は他から持ってきただけじゃないか。こんなのは東方グッズとして片手落ちだ!東方界隈には同人作家であり農家でもある「しらうお兄さん」がいるじゃないか。彼と手を組んで「しゅべすた米」ブランドで萌え米とすればパッケージから中身まで100%東方グッズとなる!しらうお兄さんといえば「にんっしんっ」である。「妊娠」つまり「実り」である。パーフェクトと言い切れよう。
相手が自分と同じ姿形をして、コミュニケーションを取れる存在であるにも関わらず、その相手の命を奪う事に何の躊躇も無いという点で一致しているように感じる。中にはそれが先天的なレベルで定着しているようなのも。
我々現代の日本人でも、命を奪うのに躊躇しない生物はそれなりにある。ゴキブリ、蚊といった害虫全般、家畜など。植物に至っては生物である事すら意識していない場合も多いと思う。しかし、もしそれらが全て人間の姿をしていて、我々と同じように言葉を交わし、知性や感情を持ってたら、それでも我々は躊躇なくそれらの命を奪えるだろうか?その時に我々の中に生まれるためらいを易々と踏み越え、踏みにじる事が出来るからこそ、彼らは「悪」である事が出来るのだと思う。逆に言えば、それほどまでに突き詰める必要に迫られるほどに、日本の漫画の表現は深くなっているんだろう(その是非はさておき)。
上記で挙げたタイプの「悪役」ってのは、説得とか良心に訴えるという手段が全く通用しない。だからこそ暴力を使う(戦う)事でしか止められないわけで、結局のところ「悪の表現の進化・多様化」とは「主人公達が暴力を使う事の正当性の進化・多様化」の裏返しなんだろうな。
自分に不思議な力があることに気がついたのは、まだ僕が幼い時だった。
この頃、体の弱かった僕は入退院を繰り返していた。
ある時、ふと隣のベッドで体を起こして談笑していた少年の頭の上に白く光る輪っかが見えた。
程なくして、少年が亡くなった。
それからも、度々病室でその輪っかを見て、同時に人の死を目撃した。
ちょうど一時間後にきまって死は訪れた。
僕が僕であるというその一点だけで溺愛してくれていたおじいちゃんが病に倒れたのは僕が4年生になったばかりの春だった。
僕は毎日のようにお見舞いに連れていくように母にねだり、おじいちゃんは、毎日のようにやってくる僕をこれ以上ない笑みを浮かべて迎えた。
けれども、いつの日かおじいちゃんに会いに行くのも飽きてしまい、足が遠のいていった。
おじいちゃんのいない生活にすっかり慣れてしまった。
おじいちゃんが危ない、と聞かされたのは、もうおじいちゃんの存在を忘れかけていた頃だった。
病院に向かっている間、嫌で嫌で仕方なかった。
自分が看病に行かなくなった罪悪感を転嫁し、こんな思いをさせるおじいちゃんの存在に憤りさえ感じていた。
僕は、父の足の影に隠れるようにして病室に入った。
おじいちゃんは首を傾けて、僕らの姿を目で追った。
そして、僕の顔を見ると、目を大きく見開いた。
おじいちゃんは、大きく身体を起こすと以前と変わらない、これ以上ない笑みで迎えてくれた。
おじいちゃんは想像していたよりはずっと元気そうに僕に話しかけた。
もちろん、かなり無理をしていたんだろう。
僕はさっき感じていた罪悪感など吹き飛んで幸福な時間を満喫していた。
また毎日ここに来よう、そう思った。
けれども、それは不意に訪れた。
おじいちゃんが父に「お前、腹が出てきたんじゃないか?」と話しかけた時だった。
おじいちゃんの頭上に白い輪っかが見えた。
父は自分のシャツをめくりあげ「そんなことないよ」と言い、母が「やだ、こんな所で出さないで」と笑っていた。
僕の目から涙があふれだした。
3人の会話はもう聞こえなくなった。
おじいちゃんが真っ先に僕の異変に気づき、「どうしたんだ?」と心配そうに覗きこんだが、僕は「嫌だ、嫌だ」と泣き叫ぶことしかできなかった。
おじいちゃんはそんな僕を抱きよせ「大丈夫、大丈夫」と優しく笑っていた。
ちょうど一時間後、おじいちゃんは息を引き取った。
その時、僕は泣き疲れて、おじいちゃんの肩に身体を寄せて眠っていた。
漫画では死神に忍者、ライトノベルでは異能バトルが物語のセオリーになりつつありますが、
これが行き過ぎた時に個人的になんとも言えない気持ち悪さを生むことがあります。
それを一般的に総じて中二病というわけですが、個人的には漫画はきついなぁと感じるもののライトノベルは大丈夫なんですよね。
もやもやとしかわからないのだけれど、この違いはなんなのかと深夜に屍姫を見ていてふと感じたので書いてみます。
理由の一部でしかないような気がしますが、
僕の中の言葉を寄せ集めてみると中二的な要素に陳腐だったり、地に足がついていない空想だと感じているからではないかと思います。
これが若さ溢れると感じる要因なのではないかと。
大人になるにつれて整合性を求めるというか、このふわふわとした感覚が許容できなくなるんですよね。
そう思うとライトノベルは辛うじて物語の体裁を保っていて、溢れんばかりの中二要素をうまくまとめてストーリーの主軸へと誘導しているのが特徴なのかなと思います。
話の整合性を保っていることで、思う存分中二的な妄想を展開することができて恥辱の泥沼に浸ることができる……これがライトノベルで中二的な要素を許容できる大きな特徴でしょう。
一方、漫画のほうは中二的な能力や設定に焦点がいきがちなのと、それをイラストで視覚化してしまうことで気恥ずかしさを感じてしまうのです。
あぁ、なんという羞恥プレイ。ボクの妄想が晒されているぅううううううう>< びくびくんっ!!
みたいな感じ。
読みながら脳内で繰り広げられる妄想が、目の前の紙面に投影されていることで辱められているような気になってきます。
そして、こんなことを考えながら読んでいる自分をさらに俯瞰することで死にたくなってくるという無限ループ。
あぁ、もうどうにでもしてぇえええええ!!!
さらに、設定ばかりが強調されていることでストーリーの地に足のつかなさが気恥ずかしさに拍車をかける。
……これが、漫画とライトノベルにおける決定的な違いなのではないかと。
まぁ要するに「中二は大好きなんだけど、おっさんには中二漫画はしんどい」
これに尽きるのかも。
もやもやと同じようなことを感じている人は結構多いんじゃないかな?
俺は原付に乗って買い物に出かけた
普段どうり国道を走っていると真っ赤なワンピースを着た綺麗な女性が眼に映った
お、綺麗な人だな、そう思った瞬間俺は対向車線から来たトラックに撥ねられた
柔道を習っていた俺はとっさの瞬間受身をとる事ができたため両足を骨折する重傷ですんだ。
それから半年たったある日友人のKが同じくトラックに撥ねられた
その場で救助に当たった人の話によるとKは「赤いワンピースを見てついよそ見しちまった・・・」
と呟いていたという、俺は驚いた。
アレは死神なんじゃないか?俺がそう思っている頃またあそこで事故が合ったらしい
話を聞いてみるとひき逃げらしく、この辺りは見通しがいいにも拘らずそういう事故が多いらしい
韓国籍の男の子は実家が寺で非常に霊感が強いらしく、俺は死神の話をしてみた。
「ふーん」っと素っ気なく聞いていた韓国籍の男の子、だが少し走ってから韓国籍の男の子が突然
「あの女か!」と叫んだ。見ると確かにあの赤いワンピースを着た女が道を歩いている!!
「そうです!あの女です!!」俺が叫ぶと「そうじゃない!あっち事だ!!」と正面を指すT先輩
見ると顔の抉れた女が対向車線を走るトラックの方向を狂わそうと、車体に飛び移っている所だった!
「ハンドル頼んだぜ・・・」韓国籍の男の子はそう呟くと車の窓から上半身を外に出し、狙いを定め
「破ぁーーーーー!!」と叫んだ、すると韓国籍の男の子の両手から青白い光弾が飛びだし、女の霊を吹き飛ばした
「これで安心だな・・・」そう呟いて片手でタバコに火をつける韓国籍の男の子。
寺生まれってスゲェ・・・その時初めてそう思った
「キリストを侮辱する言葉が書かれたシャツを着ていたとして16歳の少年を逮捕」
「はてなブックマーク > キリストを侮辱する言葉が書かれたシャツを着ていたとして16歳の少年を逮捕 - GIGAZINE」を見ると馬鹿にしている人間がいるけどさ。批判する根拠が「世間の常識」「空気」であるか、「宗教」という違いがあるだけで、どちらも自分たちの価値観に反している表現を批判しているという本質にかわりはない。
というか朝日新聞を批判していた人たちはもちろん絵やCGも含めた児童ポルノの禁止やインターネットのフィルタリングに賛成ですよね?世間から見れば「不適切な表現」なのだから、被害者がいなくてもそれは取り締まらなきゃいけませんよね?
最近友人が「読書を始める!」と言い出したので、嬉々として本を貸している。ちなみに彼女の希望は、「文庫で/設定が難しくない/SFとかファンタジーじゃない/短い長編か/短編集/文章が読み易くて/ハッピーエンド」である。なかなか難しい。短編集か短い長編のあたりが特に。
一応一冊目は伊坂幸太郎の「死神の精度」を貸してみた。次は瀬尾まいこの「優しい音楽」と「幸福な食卓」。その次は古処誠二の「UNKNOWN」。この辺りで、「オチがある話が好きなのかもしれない」と言い出したので、加納朋子のアリスシリーズ/乙一/若竹七海の連作短編もの/倉知淳の猫丸先輩シリーズ、と貸してみた。
実はこの後が思いついてなかったりする。恩田陸の「光の帝国」「ネバーランド」「木曜組曲」あたりかなぁ。森岡浩之の「夢の樹が接げたなら」とか読んで欲しいんだけどSFだから無理だろうなあ(ハッピーエンドとも言い難いし)。
彼女は全然小説を読まない人だったので、私が貸している本の種類が偏っていることを知らないと思う。普通、江国香織とか唯川恵とか吉本ばななを薦めるのかもしれない。でも私は彼女に最終的に「銀河英雄伝説」を読ませることを企んでいたりする。このことをちらりと母に言ったらば、アルスラーンから攻めたらよいのではないか、という助言を受けてしまった。ファンタジーじゃないから、といってアルスラーンを読ませるのと、SFじゃないから、といって銀河英雄伝説を読ませるのはどっちがひどいだろう?
というか、そもそも長さ的にNGだし、オチ好きってところがミステリ向きっぽいから銀英もアルスラーンも違うな、と思う次第。「ハサミ男」とか島田荘司とかか。西澤保彦は「開いたとき黒すぎて嫌だ」と拒否を食らったしな……
次は何がいいだろう?こうやって貸す本を考えるのはなかなかわくわくして楽しいことだと再確認している。
もし深夜の散歩の途中で足もとがよく見えずにドンッて感じの石にズテッと転んだとしよう。というか転ぶ。
すると頭の中がぐるぐる周りだすんだ。見覚えのあるぐるぐる。このぐるぐるは小学生のころに見たぐるぐるだよ。
つまりはテレビのOPの、赤とか黄色とかが交じり合ってできるウルトラマンの文字。あのぐるぐる。
でも、私の頭のぐるぐるは「ウルトラマン」の文字を作らない。私のぐるぐるが作り出す文字は「お前死亡」。でーん!
そして0コンマ何秒の世界で今までの人生を旅する。今まで出あった色んな人の顔が現れては消えるよ。
お母さん、お父さん、名前覚えてない、名前覚えてない、名前覚えてない、怖い顔のお父さん、新しいお父さん。
そして、最後の最後。走馬灯のクライマックス。0コンマ何秒前の転ぶ瞬間がまた繰り返されそうになったその時!
私を地獄の底に突き落とし、前途ある若者の未来を理不尽にも奪い、すべてを亡き者にする死神、つまり石がこう語りかける。
「泣いて泣いて鼻水すすって泣いて。それほどの悔いが残っているんなら、譲歩してやらんでもない」
ジョーホって何ぞや。こうして私は死にました。
ベースを持って暴れまくってたのだけど
アーッて思って、見ると案の定、完璧に大破していた。
僕は怒りなんかよりも悲しい気持ちが沸いてきて
壊れたPCを見ていると、さっきの演奏者が自ら近づいてきて
「あの、え・・それって、もしかしてさっき俺の・・」って自分から申告してきてくれた。
僕は気が弱くて弁償とか言いつけるのは得意じゃないけど、さすがに弁償を要求した。
向こうも気が弱いらしく、すごく申し訳なさそうな顔をして
というか、その人、僕が言った瞬間、相当責任感に追い詰められたみたいで
手や顔が超小刻みに震え出してアゴから汗がダラダラ垂れ落ちてて
今にも気絶しそうなくらい悲惨な顔になっていた。
だから、僕は「こんな所に持ってきた僕も悪いですし、今は中古で買えば10万円くらいなんで・・」とか言って
少しでも落ち着かせようとしたけど、その人は滅茶苦茶焦ってて
「絶対に弁償しますんで、絶対に弁償しますんで!すいません!すいません!」って
さっきまでノリノリだったのに
まるで死神がとりついたかのように不幸のどん底オーラに満ちてしまってた。
お互い連絡先を交換しあって、めどがついたら返してくれるそうだけど・・・。
たぶん、誰も悪くないんだけどなぁ・・・
どうしてこうなってしまうのだろう。
これからどうしよう・・・。
死神の精度
森の中の1羽と3匹
陽気なギャングの日常と襲撃
チルドレン
クール・キャンデー
イニシエーション・ラブ
プレゼントをあげる
お父さんは時代小説が大好き
過ぎ行く風はみどり色
犬は本よりも電信柱が好き
葉桜の季節に君を想うということ
ちびねこ
弁護側の証人
クビツリハイスクール―戯言遣いの弟子
十九、二十
エナメルを塗った魂の比重―鏡稜子ときせかえ密室
猫の地球儀 焔の章
猫の地球儀その2 幽の章
向日葵の咲かない夏
友情
“文学少女”と繋がれた愚者(フール)
“文学少女”と穢名の天使(アンジュ)
上から下に向かって大雑把に時系列
自分の年齢考えると匿名じゃないと晒せないラインナップだからここで晒してみる
活字の本以外も微妙に入ってる