はてなキーワード: 健康診断とは
明日は誕生日なんだが、人生でもっとも不安を抱えながらの誕生日になりそうだ。
検診の医師には1年に1回検査を受ければいいと言われたが、不安なので後日、
病院にいこうと思う。
いろいろ調べてみたら、卵巣の腫瘍は9割が良性で、1割が悪性。
その1割に入っているかどうかは手術をして摘出してみないとわからないようだ。
その1割に入っていたらと思うと……。
仕事のことも旦那のことも割とどうでもよく、気がかりなのは子どものことだけだ。
子どもが大人になるまで生きていられるだろうかということ
ばかり考えている。
そして、もうこの世にはいない父のことを思い出した。
私の父は母と離婚した。当時の私は5歳。両親の離婚後、私は父と会うことはなかった。
父は数年後再婚し、2人の子どもをもうけたが、胃がんにかかり45歳でこの世を去った。
父が死んだ時、一人は3歳、一人はまだお腹の中にいた。
つまり、3人も子どもがいながら、誰一人と成長した姿を見ることなく
死んだのだ。
そんな父のことが頭をよぎっている。
もし私の残り時間が少なかったとしたら、今からでも毎日を大事に
すごさなければならない。
毎月5万、年間に60万。
長生きしちゃったとして老後30年生きたら1800万でしょ。
最初の5年は年金がもらえないから、23万×12ヶ月×5年で1380万その他にいるでしょ。
夫婦で3000万必要なわけでしょ?
若いうちから節約していかなきゃ。」
っていう話を同年代にしたらすごく嫌な顔をされる。
童貞のくせにって思われたりしてるんだろうか。
倹約家といわれる。
でも、食べ物と、ジムの会費や風呂のお湯なんかはあまりケチらない。
保険に加入するよりも、日々の健康管理が重要と思っているから。
もちろん、最小限の医療保険には入ってるけど。
ただ、既婚女性に話すとすごく好感触だったりする。
そのあといろいろとあって、彼女いない歴=年齢を返上して既婚の彼女が出来た。
僕はなにを買ってくれ、どこに連れて行って欲しいというおねだりをほとんどされない。
モノは痕跡が残るし、外出は人の目があるかららだ。
でも、旦那にもおねだりの類はもうしていないらしい。
不仲だからというわけでもないそうだ。(ベタ惚れされてるらしい)
「なにか買ってくれても、夫婦の場合は最終的には2人のお金だから、蛸が自分の足を食べるようなものだから」
と彼女は言う。
それよりも、手料理を振舞われたり、お茶を淹れてもらったりが嬉しいと。
「旦那が維持費の高い車に乗るのが嫌で」
という。
コンパクトカーよりは高い車だとは思うけど、車好きからしたら別段ってレベルの車だと思う。
そんなわけで、ケチで夢のない僕と惹かれあったみたいだ。
でも、旦那と別れるつもりはないらしい。
不謹慎だけど、安上がりだなって思う。
お茶を淹れて、手料理を振舞うだけでセックスできるというのは。
離婚する気はないらしい。
不満はあっても、離婚はしないほうがいいと思ってるそう。
愛情が冷め切っても、ただのルームシェアだと思えば、1人暮らしよりは安上がりだからと。(彼女には帰るべき実家がない)
僕も同意した。
相変わらず、ただ長い話を聞いてあげて、お茶と手料理を振舞ってあげている。
僕からすると、金銭の出費をほとんどなしに、割り切ってエッチができている。
このあいだ、僕の親が200万くらいなら車を買ってやると言ってきた。
指し当たって必要ないし、いま車にしたら、将来200万分お父さんお母さんの老後の面倒をみるお金が増えるか、僕が相続する金額が200万減るかだからいらないと断った。
その話を彼女にした。
彼女の旦那がかつて親に車を買ってもらった話が出てきた。
それを売って、今の維持費の高いスポーツタイプの車に乗っていると。
それも嫌だったと。
住宅ローンが残っているのに。
慰めるつもりで
「男は、30代で軽じゃ恥ずかしい、30代で1LDKの賃貸じゃ嫌っていう願望が歳とともに沸いてくる。
若くないんだからいい化粧品を使いたい、いい鞄の1つ2つは欲しい、冠婚葬祭用に貴金属なんかも持っていたいって思い始めるのと一緒だよ。
だから、許してあげなよ。」
といったけれども、
「服は必要。結婚式、お葬式真珠くらいは持っていたいというのは贅沢?でも車は・・・」
という。
彼女はほとんどブランドを持っていないし、宝石好きでもないんだが、それでもそういうふうに思うらしい。
理屈ではわかっていても、我慢してるんだろう。
僕みたいに倹約家と一緒になりたかった、という。
「贅沢してるよ。このお茶だって。同世代の数倍は茶葉やコーヒー豆にお金を使ってる。」
と答えた。
「お茶なんてたいした額じゃないじゃない。」という。
「とにかく旦那が稼いだ金を旦那がどう使おうが文句は言うべきではないよ」
といってみたが、納得しない。
僕が親の金は将来的には自分のものと思っているのと同じように。
僕と僕の親でいざこざが起きないのは、僕と僕の親で金銭感覚がだいたい一緒だからだ。
僕が車を断っても、そのぶんの200万でパァーっと遊ぶ人たちではない。
でも遊んでしまっても、僕は文句を言わない。
遺産相続も、退職金もあてにせず、昇給もあてにせず、人生設計してる。
「あなたのそういうところ、計算高いところ、それなのにおおらかな所、素敵よ。
でも、独身女性には理解されないと思う」
と言われた。
難しいね。
歯がまがった。
ずっと曲がってるの。
でもね、ちょっと治せない時期だったのよ。
曲がりまくる時期だって、みんなに言われていたから治さなかったの。
今は治していいの。
大阪には、曲がった歯を指でひっつかんで、ばきっ!って治してくれる歯医者ないのよっ!!!
本当なのよっ!!!
お願いだから、「そんな風に歯は治さない」とか言わないでっ!>ALL
歯医者がないことに、びっくりして(TT)
ただ、田舎とかでは良くある話なのよ。
村中で治せる人が一人とか(^^;)
それから比べたら、「だれかなおしてくれえええええええ!!!!!」ぐらいに思い切ったら治してくれるところでよかったんだけど。
歯が小さくて、ブリッジで治らないの。
近く、健康診断に行くと思うのよ。
だから、そこで治してもらえばいいんだけれど、夫ったらいついくのーーー。
たのむから、予約して(滝汗)
なんか、歯が曲がってると、落ち込みがひどすぎてだめなんです。
不注意になるし。なんでも。
ただ、それをいいたかっただけなのよっ!
ついでにいうと、ディズニーに行く前に曲がったら、2ヶ月以内ならなおさないほうがいいって聞いたけど、そうかもしれないです。
ディズニーシーに行ったけど、直前に治していたら、すごい痛かったんじゃないかと思います。
歯が曲がっていて大丈夫かどうかとか、みんな聞きたそうですが聞かなかったです。
聞いて。
教えてくれるから。多分。
おそまつさまでした。
近くに治してくれる歯医者があったら、なおしてもらってください。
とくに受験生orz
先日、『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』という本を読んだ。
「最近どうも頭が良く回っていないぞ」、というような感じがしている人は、脳トレや指回し体操なんかもいいけど、日々の生活の中に脳を活性化する方法を取り入れて習慣化すると良いようだ。
勉強においても、仕事においても、向上心の高い人にとって「脳がちゃんと回ってる状態を保つ」というのはとても大切なことだと思う。だからこれは生活習慣を見直してでも取り組むべき課題だと思う。
内容を簡単に書き出すと、次のような感じだ。
● 生活の原点をつくる―脳を活性化させる朝の過ごし方。足・手・口をよく動かそう。:散歩など軽い運動/部屋の片付け/料理/ガーデニング/挨拶+一言/音読10分程度。
● 集中力を高める―生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう。:仕事の区切り毎に時間制限を設ける。
● 睡眠の意義―夜は情報を蓄える時間。睡眠中の「整理力」を利用しよう。:夜の勉強は中途半端で止め、起きてから整理すると効果的。
● 脳の持続力を高める―家事こそ「脳トレ」。雑用を積極的にこなそう。:雑用は前頭葉の持久力を高めてくれる。
● 問題解決能力を高める―自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう。書類整理のルール、予定表などで脳が一度に扱う量を整理する。
● 思考の整理―忙しいときほど「机の片付け」を優先させよう。:物の整理は思考の整理に通じている。
● 注意力を高める―意識して目をよく動かそう。耳から情報を取ろう。:目で立体的な情報を捉えたり、耳だけで情報を吸収すると脳が活性化される。
● 記憶力を高める―「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう。:入力→情報処理→出力。
● 話す力を高める―メモや写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう。:質問によって話しは長くさせることが出来る。
● 表現を豊かにする―「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう。:ありそうな質問を考えれば、話しを膨らませることが出来る。
● 脳を健康に保つ食事―脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう。:食事制限以前にまずは動くこと。そして消費する以上に摂取しないこと。
● 脳の健康診断―定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう。:MRやPET検査を受ける。
● 脳の自己管理―「失敗ノート」を書こう。自分の批判者を大切にしよう。:小さな失敗、人から受けた注意を書き留める。
● 創造力を高める―ひらめきは「余計なこと」の中にある。活動をマルチにしよう。:アイディアを生み出すポイントは、誰のためになるのかを考えること、アイディアを組み合わせること、思い付きを書き出しながら考えること。
● 意欲を高める―人を好意的に評価しよう。時にはダメな自分を見せよう。:褒め上手な人は観察力が優れている。
番外編:高次脳機能ドックの検査―最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう。
これだけでも、かなりのヒントを得られると思う。
さて、そんなおり、
海外のサイトを眺めていたら、「脳を活性化する47の方法 (47 Ways to Fine Tune Your Brain)」というのを見つけてしまった。
上記の「脳が冴える15の習慣」とかぶる部分も多々あるのだけど、それはどちらも脳の働きをしっかりと捉えている証拠ともいえるだろうし、同じ内容でも別の角度から見てみるとあらたな気付きがあるかもしれない。
いっぺんにやろうとせずに、
ひとつずつ、生活に取り入れられるところからやってみると良さそうっすね。
脳を活性化する47の方法
●一度にいろんな事をやろうとしない。無理だから。
脳は一度にひとつの事にしかフォーカス出来ない。これは科学的にも実証された事実。単調な仕事は別として、集中力や、論理的思考、意思決定を要求するようなことに関しては、ひとつに集中するべきだ。
●身体だけじゃなく、脳エクササイズが必要。
多くの人は、学生じゃなくなった瞬間に学ぶことをやめてしまう。外国語でも、新しいスキルでも、楽器でも、何でもいいから新しいものを学ぶことで脳は最適な状態を保てる。
●世界は謎だらけだ。
周りを良く見渡して、疑問を見つける。見たり、聞いたりするもの全てをそのまま受け入れないで、一度疑ってみるだけでも脳のエクササイズになる。それには、可能な限り自由な好奇心を持つことだ。
日常の論理的、数学的な問題に対応することで左脳が働く。想像力を自由にすることで、右脳が働く。日々の自分の生活を振り返ってみれば、脳のどっち側を多く使っているかわかるはずだ。そして、使ってない方の脳も使うよう工夫してみる。
睡眠は身体の疲れを回復するだけでなく、脳の疲れも回復する。自分は何時間寝たときが一番すっきりとした朝をむかえられるのか一度はっきりと調べてみると良い。
また、睡眠に悩みがある人は仕事や勉強の効率に必ず影響する。これを期に『「朝がつらい」がなくなる本―ぐっすり眠る、すっきり起きる習慣術。』などで自分の睡眠を改善してみるべきだ。
脳はノイズの少ない寝ている間に、昼間インプットした情報を振り返り、消化する。どうせ入れるならまともな情報を脳に与えよう。
●学習量を増やすなら、歩きながらやる。
動くことで血液の循環がよくなり、脳に酸素が行き渡る。歩きながら学習することで記憶力も増す。
もう一度言うけど。
エクササイズはたぶん脳の許容量を増加させる最も効果的な方法だと思う。避けて通ることは出来ない。
●人付き合いをする。
人付き合いに積極的な人は年をとっても脳がシャープだ。
UCLAの研究チームによると、インターネットで何かを検索しているとき、意思決定や複雑な理論を司る脳の中心部分が刺激を受けていることがわかった。
●ダークチョコを食べる。
ダークチョコを食べるとドーパミンが放出されることがわかっている。ドーパミンは学習や記憶を助ける物質だ。
●歌を覚える。
好きな歌の歌詞を覚えるという作業は、聴覚や記憶力を保つのにとても効果的だ。
●脳を刺激するような映画を視る。
ミステリー系映画のような、頭を自然と使う映画は脳を活性するのに役立つ。
●テレビゲームをする。
テレビゲームは認識力を高め、アルツハイマー防止に役立つことがわかっている。
●利き手じゃないほうの手でいろいろやってみる。
利き手ではない手を使うと脳のさまざまな部分を刺激できるし、とにかく楽しい。
瞑想をしてストレスを緩和することの効果は多くの研究で認められている。ストレスを感じる度に脳細胞は失われてしまうからだ。
●笑う機会を増やす。
声を上げて笑うと免疫機能を刺激してエンドルフィンという物質を刺激する。これは身体にとって良い物質だ。
●ポジティブな思考。
ポジティブな思考は脳を活発に保つ。反対にネガティブな思考は精神だけでなく免疫機能も低下させる。
●感謝することを忘れない。
感謝することで幸福感は劇的に高まりストレスレベルを下げるのに役立つので、脳にも身体にも良い。
●セックス。
セックスは心肺機能を正常に保つのに役立つ。つまり、脳に酸素がまわって脳を健康に保つのに役立つということ。
●良い本を読む。
どんな種類の本であれ、読書は脳を健康に保ち、活性するのに役立つ。老化の防止にもなる。
●アルコールの量を減らす。
適量のアルコールは実は脳に良い。ただし、度を越えると脳細胞の減少につながる。
●仕事をする。
多くの人は年を取ると仕事をやめリタイアする。しかし、パートタイムでもいいので仕事をしていると脳に良い刺激を与えられる。ボランティアワークでも同じ効果が期待でいる。
●最新の出来事、ニュースに注目する。
脳を健康に保つには、新しい情報を与えるのが良い。ストレスを感じない程度に、ニュース番組などで最新の動向を追うこと。
●音楽を聴く。
通常聞くのとは違うジャンルの音楽を聴くというのも、脳を活性化するひとつの良い方法だ。音楽はポジティブな感情を喚起する効果がある。
●踊る。
ダンスで新しい振り付けを学ぶことは認知力、空間認識、社交性、運動能力を向上させる。これは身体にとっても精神にとっても良い影響を及ぼす。
●キャッチボールをする。
キャッチボールは知覚、触覚、そしてこの2つを連携させる能力など、感覚神経の向上に役立つ。
●ちゃんと食べる。
しっかりとした食事は、脳の細胞に良い刺激を与える。
●水をたくさん飲む。
水分補給がしっかりしていると、細胞が適切に働いてくれる。
●お茶を一杯飲む。
冷たいのでも、熱いのでもよいので、お茶を飲む。お茶は脳に刺激を与えてくれる。
●旅行をする。
●議論をする。
友達や家族と友好的に議論を交わすことで、論理的思考や想像力を向上させることが出来る。
●ちょっと長めに寝る。
通常より一時間多めに寝る、ということを時々すると脳が若返る。これは学習速度を速めるのに効果が高い。
●昼寝をする。
10分程度の昼寝でも疲れやが取れたり、脳がすっきりしたりする。
●テレビの音を下げる。
テレビを多く見る人は、音を下げることで、聴力や集中力を高めることが出来る。
毎日同じような行動パターンを持っている人は、時にはそのパターンを破ってみると良い。そうすることで脳の働きを活発に保てる。
●新しい言葉を覚える。
新しいことを学ぶのは、それがどんなことであれ脳を健康に保つのに役立つ。新しい単語(言葉)をひとつ覚えると言うやり方は、もっともシンプルな方法だ。
●古い写真を見る。
これは、記憶を蘇らせ、脳細胞間のつながりを強めるのに最良の方法だ。
●突拍子もないことをする。
バンジージャンプや、スカイダイビング、ロッククライミングなど、普段絶対にしないような経験をすることで脳は活性化する。
●脳を鍛える。
脳トレが現在盛んであるが、これはちゃんとした理由に裏打ちされているからだ。効果がちゃんとあるので、やらない手はない。
●サプリメントを採る。
オメガ3、葉酸、ビタミンB12、コエンザイムQ10、アセチルLカルチニンなどは老化防止に役立つといわれている。
●集中力。
もっともシンプルな集中量を高めるエクササイズは座って、リラックスして、自分の呼吸に意識を集中すること。
●批判的思考を育てる。
批判的思考とは、自分や自分の周りの事柄に疑問をなげかけること、そして自分の見識の根拠を探すこと。
●哲学する。
人生に関する、大きな問いかけをしてみる。多くの場合、明確な解答を得るには至らないだろうが、これは脳にとって大きな刺激となる。
●自己肯定する。
自己肯定は自分の設定したゴールに集中するための最善の方法だ。肯定することでイマジネーションが喚起され、脳の様々な部分が刺激され、記憶力や想像力も高まる。
●思考の壁を破る。
知識の枠のなかで考えている限り、思考の壁を突き破ることは難しそうだ。しかし、『論理性を取り払って考える』ということは可能だ。
●大声で歌う。
歌うことは集中力を高めたり、ストレスを発散するのに役立つ。歌うことで、思考のような自分の内側で完結する活動から開放され、外側の活動(自分の声など)に集中でき、これが幸福感につながる。また、歌うことで記憶力も高まる。
わがままを聞いてはいけなかったろうか?
1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。
個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。
抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。
そのときから、夫のわがままがひどくなった。
まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。心配だけれど2人で生活できない歳でもない。「今は、自分たちの面倒を自分できちんとやってくれることが、一番の協力だから、2人で力を合わせて乗り切ってね」と、言い渡し、私は病院に泊まらせてもらった。
次に「どこかに連れて行け」と言うようになった。骨に転移していて手足は骨折寸前なので歩かせるわけにはいかない。私が車椅子を押して行くことになる。大きな総合病院だったが、それでも毎日散歩していれば、あっと言う間に行くところは無くなる。「他の病棟を見たい」「リハビリ室に行きたい」と、看護士さんの指示がなければ通常患者が行かないところに行きたがりだした。「他の人だって病気療養中なんだから、そんな見物気分でよその病棟に行ったりしたらダメだよ」と諭したのだが「聞いてもみないでなんでわかる? やりたいことはなんでも『やりたい』って言えばいいんだ。ダメなことは『ダメ』と言われるから、そしたら諦めればいい」と言い張る。
3交替勤務で無茶苦茶忙しそうな看護士さんをつかまえて、「よその病棟に行きたい」なんて、どう考えてもまずいだろうということを言い出すわけにはいかないと私はためらっていた。すると、夫は自分でナースセンターまで歩いていき「よその病棟はダメだけど、リハビリ室は好きに行っていいってさ」と返事をもらってきた。「ほらみろ。やりたいことはなんでも聞けばいいんだ」と胸を張った。
その次は「素人の介護はもういらない。お前はいらないから、看護士を一人つけろ」と言い出した。痛み止めが頻繁に必要な状態になっていた。ナースコールを押してもすぐに来てもらえるとは限らない。自分専用の看護士さんが欲しいと思うのはもっともだが、ここは病院だ。看護士さんを独り占めなど出来るわけがない。「看護士さんはそんなにヒマじゃないわよ」と答えると「だから、ダメかどうか聞けって言ってるだろ」と怒る。
聞かなくてもわかる。ダメに決まってる。それでまたケンカになり、夫は自分で聞いてきた。ダメだ。当たり前だ。すると、夫は戦術を変えてきた。ナースコールを押して、看護士さんがきたら出来るだけ引き止めるのだ。「どう痛いのか、うまく説明できない」「何度薬の説明を聞いても覚えられない。こんな症状のときには何がいいんだっけ?」「頭洗って欲しいな」などなど、とにかく一秒でも長く看護士さんに居てもらおうとする。そもそもナースコールというのは緊急時に押すものだと私は思っている。気分が悪いのなんのと、いちいち押していたら看護士さんの仕事の流れに差し支える。だから、ナースコールを押す前に夫に「何をして欲しいのか」を明確にさせるようにした。それでも、2時間に1回くらいは押していたから頻繁だったのだけれど、本当は30分に1回押したがるのを必死で止めていたのだ。
ナースコールを押すときには何をしてもらいたいのか決めているので、押してから言うことは「赤い痛み止めをください」「睡眠薬の2段階目のをください」と具体的になる。これが一部のナースさんの反感を買った。入院患者にどの薬を使うかは、ドクターの指示によって看護士が判断するものだ。患者の側から薬の種類を特定するのは越権行為と思われたのだろう。
具体的には私の入浴中(10分入ってる)に点滴の針を抜きに来て、大声で夫を怒鳴ったり、入院してから一度も頼んだことがないのに「体を拭きましょう」と言ってきて熱いタオルを夫に押し当てたり、呼吸器が顔に当たって痛いと言えば「みんな我慢しているんだから我慢しなさい」と言われたり(もう、24時間以内に死ぬとわかっている患者に)、モルヒネの注射を始めたらシップタイプの痛み止めを剥がされたり、モルヒネを始めた日の夜中、何か騒がしいので起きようとしたら看護士さんに「奥さんは寝ててください」と止められたり、そのあと夫が完全に死んでから「亡くなりそうです」と起こされたり。
死に目に会えなくて、私は助かった。
とにかく最後の一カ月はわがままの言いどおしで、最期の最後に何を言われるかと、私はビクビクしていたのだ。夫の要望に応えて病院に泊めてもらったのに「素人の介護はいらない」と言える人だ。もう、死ぬとなったら、何を言い出すかわからない。夜中についウトウトしてしまい、起きたら夫が死んでいてホッとした。看護士さんに起こさないでくれてありがとうと言いそうになった。死に目に会いたがるのが普通なのに、会えなくて喜ぶのも変だから言わなかったが。
と、いろいろと気持ちが混乱した。
夫が亡くなってから1年と3カ月が過ぎて、ようやくいろいろなことが落ち着き、生活も以前のように戻りつつある。
そして、ふと「モラルハラスメント」という言葉を知った。自分のプライドを傷つけた人間に、まるで相手が悪いかのように思わせるような嫌がらせをするというものだ。
いろいろな兆候が夫に当てはまった。
ああ、しまったと思った。夫が妙なわがままを連発したのは、自分が死んでしまうという自分の尊厳への傷を回復させたかったからだったんだと思った。
じゃあ、わがままにいちいち付き合うのではなく、単純に「あなたのおかげで、私幸せでした。ありがとう」とそう言えば良いだけのことだったんじゃないかと。
そしたら、夫も落ち着いて、もっと、穏やかで感謝に満ちた最期を迎えさせてやれたんじゃないだろうか。
コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。
ずっと心に閉じ込められていた何かを言葉にしてみたら、こうなりました。
一部の看護士さんの対応については不満はありません。夫はもちろん私も自分のことでいっぱいいっぱいで、自分では意識しておらず、また、よく思い出せないのですが、そういう扱いをされるほど傍若無人な態度を取り続けていたのだろうと思います。
夫がどんなわがままを言い出そうと「病気がそうさせるのだから」と、主治医の先生もほかの看護士さんも理解を示してくださっていました。私がうまく相談出来なかっただけなのだと思います。
闘病に付き合っている間、ずっと、夫が死んだら、せいせいするだろうと思っていました(こういう本音を書きたいから、増田でしか書けないのです)。
夫はここ10年ほどは、ずっと決まった日課で生活していました。朝起きる時間、夜帰宅する時間は、ほぽ毎日同じ時間でした。毎日、その時間になると扉を見つめます。夫が帰って来ないということがどうしても納得いかないのです。
今日、夫の仏壇を食卓の近くに据えました。よく見えるところに遺影を飾りました。これからは、仏壇と遺影を見つめようと思います。
入院中に恋した人3
5 :名無しさん@お大事に:2009/01/10(土) 00:58:39 ID:ayyXT8BN
文章ヘタクソですが、10年近く前の話です。
当時フリーターだった僕はバイト先の健康診断で肝機能を示す数値が
極端に悪くなっている事が解り、緊急入院する事になりました。
体はぴんぴんしてたので、何かの間違いと思っていましたが、検査の結果
B型肝炎だと解りました。そして3ヶ月にわたる入院生活が始まり、その新人看護婦さんと
出会います。
その子はパっと見、明るくて愛嬌のあるタイプですが、性格はシャイで
口数も少ない感じです。真面目で仕事は絶対に手を抜きません。他の新人看護婦は
要領良くポイントを押さえて仕事を消化していく中、患者さん一人一人に時間をかけ
時には悩み相談に乗り、優しい話し方で励まします。とにかく時間をかけ過ぎるので
先輩に注意されたりしていましたが、自分のやり方を変えようとしません。
そんな彼女に僕が好意を持つまで、たいした時間はかかりませでした。
続きます
6 :5:2009/01/10(土) 02:10:17 ID:ayyXT8BN
途中で別の病棟に移動するまでの一ヶ月半、いろんな事を話し、いろんな事があったのですが
全て書いたらキリが無いので重要な事だけ書きます。
最初の1〜2週間、彼女の優しさは仕事上の物であり、僕に対して特別な感情が
無かった事は理解していました。しかしある出来事を境に彼女に変化が現れます。
暇を持て余していた僕は、その子をちょっとからかってやろうと思い
「休みの日は何をしてるの?」と尋ねました。「趣味もないし、特に何もしていない」
と笑いながら答えたその子に対し「へ〜彼氏居ないんだ〜ニヤニヤ」と言いました。
すると、ちょっと怒って「彼氏いますよ!」と。
自分でからかっておきながら、僕は軽くショックを受けそれを明らかに表情に
出してしまいました。それを見た彼女は無言で立ち去ります。
翌日、彼女がやってきて「昨日、彼氏が居ると言ったけど最近は会ってないんです」
「なんか胸がズキズキする・・なんでだろう・・」こんな感じの事をため息をつきながら言ってきました。
この時点で、彼女は僕に特別な感情を持ち始めたのかな?と思ったのですが
いろんな理由があり、彼女に告白も何もせずに別の病棟に移動する事を決意をしていました。
続きます
7 :5:2009/01/10(土) 02:50:41 ID:ayyXT8BN
その理由とは
・B型肝炎は性感染する病気で、しかも慢性肝炎である事が濃厚になっていたので
長い闘病生活になる
・日々成長していく彼女に対して自分はフリーターなんかをやっていて
将来を悲観していた
仮に彼女と付き合っても、どう考えても上手くいくとは思えない。
10年経った今でもこれが正解だったと思っています。
荷物を台車に乗せその場を後にしました。それから何事もなく一ヶ月半が過ぎ
無事に退院しました。
これで話が終われば「入院中の良い思い出」で済んだのですが
約1年後、急病の母親をその病院の緊急外来に連れて行った深夜の病院で
彼女と再会してしまいます。
続きます
8 :5:2009/01/10(土) 06:06:32 ID:ayyXT8BN
そんな状況ではバイトもできません。しかし一人暮らしをしていたので
パチンコやスロットで生活費を稼ぎ、本当に生きるのが精一杯な感じでした。
実家は近いので、戻るのは簡単ですが、親に頼りたくなかったのです。
幸い母親はたいした病気じゃなく、とりあえず薬を処方してくれたので
それを受け取りに一人で夜間専用の窓口に向かいました。
そこで待っていました。そして彼女が近づいてきます。
痩せて綺麗になっていた彼女は長い廊下の途中で僕の存在に気づいたのでしょう。
明らかに緊張した様子で、しゃがんで窓口の下部に書類を入れていました。
僕が「もしかして○○さん??」と言うと彼女は体が固まったような状態になり
反応しません。もう一回「○○さんでしょ?」と言った瞬間、ゆっくりと立ち上がり
振り返って「あ、●●さん・・なんでこんな所に・・」とちょっと震えた声で言いました
少し歩いて距離をとりました。
彼女の緊張がこちらにも伝染して、ぎこちない会話が数分続き
「それじゃ仕事に戻ります・・お大事に」と言い、薄暗い廊下を歩いていきました。
そして親を家に送って自分の部屋に戻り、さっきの事を激しく後悔するのです
なんで何も言わなかったのか、と
もうちょっと続きます・・・
9 :5:2009/01/10(土) 08:24:07 ID:ayyXT8BN
もしかしたら、あの子は今でも僕の事を好きでいてくれて
あの瞬間を待ち続けていたのでは?
今思うと妄想に近いのですが、その時の僕はそう思いました。
このままでは一生後悔する事になる
しかし今の自分はそんな状況じゃない。迷い続けたあげく
『もしまた再会したら、運命だと思って玉砕しよう』という、消極的な作戦を立ててしまった
のです。病棟まで行って話せば済む話なのに・・
その再会がいつだったのか、正確に思い出せないのですが、
長い月日が流れ3年近く経っていたと思います
大きい病院ではそう簡単に再会できないものです。
月1の通院も日常生活の一部になり、諦めかけ油断していた時期に
その瞬間がやってきます。
受付からちょっと離れた位置の椅子に座り主治医に呼ばれるのを待っていました
その時、後方から彼女が歩いてきたのです。後姿を見てすぐ気づきました。
彼女が僕に気づくまで多少の時間がかかりましたが、その瞬間、前回と同じように
そのまま固まり、ずっとこちらを見つめています。
時間にして2〜3分見つめあう二人。異変に気づき周囲の人間もザワつきはじめる。
この展開・・・奇跡が起こるかも・・
もうすぐ終わります
10 :5:2009/01/10(土) 09:43:55 ID:ayyXT8BN
こちらに歩いてくる彼女に僕の方から話かけました
3年ぶりの会話です。もちろん僕の名前、前回の再会
全て覚えてくれてました。僕や母親の病状を尋ねる時の
優しい口調は昔と全く同じです。しかしのんびり話してる時間はありません。
いつ主治医に呼ばれるかわからない状況です。周囲の視線が凄かった事もあり
場所を変えてこう言いました
僕『えっと、話たい事がたくさんあるけど、時間が無いから連絡先教えてくれる?』
彼女『だめだめ。絶対にだめ』
僕『え?いや、友達として・・』
彼女『だめ。もういいですか?それじゃ』
頭が真っ白になった僕は彼女が立ち去ると同時に外来へと歩き始めていました。
そして角を曲がろうとした瞬間、彼女が大きな声で叫びます
『さようなら!』
僕が振り返るともう一度叫びました
『さようなら!』
僕は軽く手を振るのが精一杯でした。あっけなく全てが終わりました。
ぶざまなフラれ方をしたもんです。でも当然の結末だったのかもしれません。
出会ってから4年近くたって何かが始まるなんて事はそうそうあるもんじゃありません。
その夜は酷く落ち込んで禁止されてる酒を呑みながら、気持ちを整理しました。
そして再び長い月日が流れていきます。
次で終わります
11 :5:2009/01/10(土) 10:46:41 ID:ayyXT8BN
あれから恐らく5年以上経ち、今でもその病院に通っていますが
彼女と再会する事はありませんでした。もう自分の中で全てが思い出になりつつあります。
彼女も30代になってるはずです。もうその病院には居ないのか・・
主治医に聞いてみたら、やっぱり数年前に結婚して退職したとの事。
具体的に何年前かは解りませんでしたが、あの時すでに
彼女は運命の人と付き合っていたのでしょう。婚約してたかもしれません。
そう思うとあの時のあの対応は二人にとってベストだったのかも。
10年間のいろんな思いが込みあげてきて涙が出ました
そして僕は本当にあの看護婦さんの事が好きだったんだな
という事に気づきました
出会った時から最後まで立派な看護婦さんでした。
長い入院生活に耐えられたのも、10年の闘病に耐えたのも
これからも耐える自信があるのも、全てあの人のおかげです。
しれません。
Cさん、入院中は本当にお世話になりました。本当に救われました。
さようなら!
といっても、昼間は一切飲まないし、休肝日も守っているのでアル中とまではいかないと思うのだが。
禁酒できない1番の理由は、酒がないと飯が不味くなるからだ。
日本酒を飲まずに魚を食ったら旨さ半減だし、赤ワイン飲まずにステーキを食うのも然り。
唐揚げがあるのにビール飲まないなんてありえないし、中華は紹興酒がぴったりだ。
カレーには軽めの赤ワインが合う。蕎麦は蕎麦焼酎。デザートにはウイスキー。
どれもこれも、酒がなかったら味気なくて、わざわざ食べる価値を感じられない。
唯一の例外はラーメン。本当はビールが合うと思うのだが、ラーメンの汁を飲んだ上にビールまで飲むと腹がたぷたぷになって苦しいので、このときばかりは我慢する。だから、週1回の休肝日はラーメンを食うことにしている。
禁酒できないもう1つの理由は、酒を出さない店の情報に、知識としての価値を感じられないからだ。
定食屋や喫茶店に詳しくても、食通とは思ってもらえない。旨い地酒のある寿司屋とかお洒落なワインバーとか知っていたほうが重宝される。他にとりえのない俺にとって、「いいお店教えて」と頼りにされるのは数少ない腕の見せ所なのだ。だから、どうせ同じ金を払って外食するなら、定食屋よりもバーを新規開拓してみようと思ってしまう。
女性お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん(29)が肺結核のため入院したことが6日、わかった。所属事務所のよしもとクリエイティブ・エージェンシーがホームページを通じて明らかにした。箕輪さんは現在入院中で約2カ月休養するという。
肺結核は空気感染が起こる可能性がある病気で、昨年12月1日から今年4月3日の期間で、吉本興業グループの劇場、その他のライブ会場、テレビ番組収録スタジオなどの観覧者らに感染したおそれがあるという。これを受け、東京都や保健所では接触者の調査・健康診断の実施を決めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090406-00000542-san-ent
結核の接触調査って、決まった面々が定期的に顔合わせしているところ、に限られるんだ。
会社とか、学校とか。結核になった知り合いは、予備校の自習室にひどい咳をしてるのがいたから、たぶんそこでもらった、って
保健所に訴えたんだけれど、自習室に来るのは不特定多数ということで、調査も通告もしなかったらしい。
よほど体力の落ちてるひとが頻繁に接触するんでなければ、感染力は弱くてうつらないそうだから、
あんまり「感染拡大!」とか煽るのもどうかと思う。客商売だから仕方ないんだろうが。
箕輪さんて、見かけだけじゃなくて、本当に身体よわかったんだな。
無理せんでしっかりやすんでほしい。二ヶ月なんていわず、半年か一年休んだほうがいい。
オイオイオイ、なんか「だるい病(引きこもり非コミュにありがち)」が直るすばらしい治療法が書いてあるようだけど、まず改善前でさえ元増田のスペックが半端無いことに気がつけよ。
まず、改善前でさえこのレベル。正直おれならこの改善前でさえ幻想界の住人に見えるね。
そして改善後。
もう笑うしかないレベル。
俺も時々腹が減ると目がくらくらするレベルの低血糖(血糖の変化が激しい)自覚あるけど、
11月に一次面接、12月に二次面接、すぐに「内定の方向なんだけどちょっと待ってて」みたいなメールがきて、健康診断書の提出を求められたのが2月の頭。
「書類は追って郵送する。入社希望日教えてくれ。」
っていうメール。
予定では1月に内定をもらって4月か5月から移りたかったんだが、もうこの時期となると4月からの年度計画も人事も決まっちゃってるわけでして。
現職へ迷惑をかけないとなると最低でも7月に控えてる大仕事はおわしたいんだが、8月入社は許されるのだろうか?
向こうだって人が足りないから募集かけてるだろうからそんなに待ってもらうのも。
でも手続きでチンタラしてたのは向こうが悪いわけで。
どうしよっかね?
「8月入社?ふざけんなじゃあお前いらん。」
って言われたらどうすっかな。
大学院を中退した人の日記が話題になっているようだ。http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733
自分も大学院を中退したことがあるので、昔話を書いてみたいと思う。といっても件の人とは違い、確固たる考えがあってやめたわけではない。
地方の進学校の高校にいた自分は、たまたま勉強ができたので東大に進学した。
自分の成績と照らし合わせた結果、たまたま東大になったという感じ。
(一時期は京大に興味もあったが、数学の過去問を見てできる気がしなかったので東大にした)
進振りのときも、将来のキャリアプランなどについては全く何も考えず、専攻を決めた。
「キャリアプランについて考えることすら思いつかず」と言った方が正しいかもしれない。
働くなんてことは想像もつかなかったし「勉強」は嫌いじゃなかったので、大学院を受けないなんてことを考えすらしなかった。
これまでは与えられたことを勉強していればよかったが、研究はそうじゃない。(指導教官の力を借りつつも)自分で問題を見つけ、解決していかなければならない。
しかし自分は、明確にこれをやりたいというものがあるわけではなかったし、論文の探し方すらロクにわからなかった。
一番の問題は「自分に熱意がなかった」ことだろう。
ある問題に対して寝ても覚めても、毎日毎日考えられるような熱意がなければ、研究はやっていけない。
でも自分は、専攻領域に興味はそれなりにあったが、人生をそれ一筋に染めるような熱意は到底なかった。
卒業研究は、全くのまぐれ当たりで面白い結果が出たので取りつくろうことができた。
M1のときの健康診断で、医者だったかカウンセラーだったかの人に対して「やっていけるか不安です」って答えたのを覚えている。
M2のとき限界に達し、修士論文の中間発表に出たのを最後に全く学校に行かなくなった。(中間発表までいったのにもったいないと思う人がいるかもしれない。でも、ぶっちゃけ修士になってから出した成果なんてほとんどない。卒業発表の焼き直しみたいなものだ)
家にずっと引きこもり続けた。
電話も鳴ったが、全く出なかった。電話が鳴るのが恐かったので、電話線を抜いたりしたこともあった。
その後もろもろあって指導教官と数度話をし、結局、籍だけは3年間置いてもらったものの、研究に復帰することなく退学した。
そのあとどうなったかというと、退学後も半年くらい引きこもり続けたあと、このままやっていくこともできないなと思いハローワークに行った。
自分はプログラミングしかできることがなかったからプログラマーを募集してる会社を探し、そこで見つけた会社に入社した。
今は最初に入った会社とは別の会社で、それなりに楽しく働いている。
今から考えると、修士を取ることはできないことはなかったのだろうなとも思う。
病院に行って適切な治療を受け、研究方法についてわからないことは何でも研究室の先輩や指導教官に聞くべきだったのだろう。
まあでも過ぎたことだし、修士を取れなかったことに対して今は特に後悔の気持ちはない。
そもそも、研究に熱意のない自分が流れで大学院に進んだこと自体が間違いだったのかなと思っている。
退学という強制ルート変更がなければ就職なんて考えられなかっただろうから、退学になってしまって逆によかったのかもしれないけど。
職場の近所にあるちっちゃいビルの1階に最近、自然食品の店ができた。
これが明らかに催眠商法の店。
チラシがポスティングされてたけど、●時から無料で食パン配布とか書いてあった。
店舗は入り口は全面ガラスなんだけど、入り口以外はチラシとかを内側から貼って、外から中はあまり見えない。
で、中には商品棚とか全然無くて、パイプ椅子がずらっと並べてあって、爺さん婆さんが何人も座ってる。
おそろいのトレーナーを着た店員が前に立って、講習会みたいな感じで商品の説明をしている。
昼間にその前を通るたび、それらが見える。
いつ通っても満員状態。
ほとんどがサクラなのか? それとも毎日来ている人がいるのか?
家族と関わりが少ない人ほど、行っちゃうらしいけどさ。
もう店ができて1ヶ月以上経つけど、よくもまあ毎日毎日盛況が続くもんだ。