はてなキーワード: デジタルネイティブとは
平成生まれは大体デジタルネイティブと言われるけれど、自分はそういった実感が無い。
確かに、最初にパソコンに触れたのは家電量販店で小2くらいに触れたし、授業では小学校高学年あたりからWindows 98を触ったりしてた。
中学でも何やったかは覚えてないけど、パソコン触ってて結構楽しかったりした。
高1でケータイを手に入れて、まだ開設間もないモバゲーにハマったりして、ブログや携帯アプリで痛い行動して晒されたりもして、サイトも作っては潰したりして、色々やってた。
色々やってたけど、どれもインターネットをよく分かっててやってたという感じじゃなくて、ただボーッとやってたって感じで、今の中学生や高校生みたいにWebサービス作って公開するというのは無かった。
長い前置きになったけど、自分が考えるデジタルネイティブは、小学生や中学生の時点でパソコンやら携帯を通じて何かしらの情報発信や受信が出来る環境があって、発信した内容や受信した内容を適切に処理出来る人達を言うんじゃないかなと思う。
そして、それは若い世代だけに踏み止まらないと思う。
自分みたいに、入ってた情報をただボーッと眺めているだけという人はデジタルネイティブにならないんじゃないかなと。
現にこの文章自体が自分でも何を言いたいのか分からなくなってるし。
昨日、京都の恵文社一乗寺店に行ってきた。ネットでは話題になり雑誌等にも多く取り上げられ下町の一乗寺という立地なのにうっそうと流行っている。昨日行った時も人ゴミで店内は覆われていた。なぜAmazonなどのネット書店が席巻する現代でリアル書店が今尚健在しているのか。そんな疑問が気になって京都まで足を運んだというわけなのだが、結論を先にいうと、おそらく店内に並べる本のチョイスが斬新な点にあると思う。決して、店内の雰囲気がいいとか、雑貨が置いてあるとか、本の並べ方がいいとか、そういったことではないと感じた。
振り返ってみよう。現代の本屋さんとはどんなのがあるか。大きく分けて二つあって、一つはランキング形式を重視した1から100まで網羅している大型チェーンの書店。それともう一つは、対照的に、とある商店街の一角にひっそりとある「なんで潰れないの」的な亭主一人の本屋さん。もしくは、駅前の売れ筋商品だけを置いた小書店。・・・以上二つに分かれるわけだが、そもそも個人的には紙媒体の文化というのは、後数十年でマイノリティになると考えているので、前者はアマゾンと置き換わり、後者は間違いなく潰れると思う。
その点を少し掘り下げてから、恵文社の魅力にシフトしたいので少し寄り道をして欲しい。
なぜ、リアル本屋さんが今の経営だと淘汰するかというと、単純にデジタルネイティブ。つまり物心ついた時から活字はデジタルで読むものと教育されてくる子供たちが今後増えるからで、現在のアナログ世代とごっそり入れ替わった時には本屋さんの存在はマイノリティになるだろうと。それはこんな根拠があるからで、まだ日本語版のキンドルやiPadなどの電子書籍母体は発売されていないが、他の先進国ではもう地に根付いているといっていい。なんでかというと、公的機関、つまりは教科書がデジタル化に大いに役立っているからなのだ。アメリカの教科書というのは日本と違って、独学ができるように膨大の情報が詰め込まれており、分厚い専門書籍と化している。そんな分厚いものを何冊ももって移動となると、それだけで疲れてしまう。それを補ってくれるのが電子化による、データを持ち歩く方法で、子供の頃からそれが当たり前となると、どうなるか。先ほども言った、活字はデジタル画面で読むものという常識が固定されるわけで、それは必然的に、アマゾンでデータを購入してデジタル画面で読むという行為になり、リアル本屋さんというのが、今で言う、レコード屋さん状態になるだろうと推測せざる得ない。
さて、余談が長くなったが本題に入ろう。
そんな絶望的な本屋さん市場なのだが、それでも希望の光はあって、その光を感じさせたのが今日の主役の恵文社というわけだ。簡単に説明すると、恵文社というのは大型書店の後ろの方に眠っている良書を一般客に触れさせている点にある。人は皆、食わず嫌い性質が備わっており、変化を嫌い、予測できない事、物はさける行動をとる。それは本屋さんでも適応され、好きなジャンル本コーナーしか行かない。例え興味本位で哲学とか医療とかの書棚にいったとしてもちんぷんかんぷんで足を止める時間というのは刹那だろう。その点、恵文社はそれをごちゃまぜにしている。東京では最近オープンした松丸本舗がそれにあたるだろうか。漫画や古書を隣に並べるなどして、お客に刺激を与え、ハードルを下げ、好奇心、自分探しの森へ引き込ませる。それが最大の要因であり、恵文社が好まれる理由にあると思う。
しかしだ!! それでも甘いと私は思っている。もっと振り切れる必要があるのではと考える。
確かに、恵文社や松丸本舗という質に拘り一般人の琴線に触れるチョイスをする本屋さんというのは魅力的であり、集客力も案外ある。しかし、それが購買に繋がるというと、やや懐疑的な部分もある。絶対数が増加したからある程度は増えただけであって、どうもそういった第三のリアル書店というのは、雑貨屋さん、つまりは見て楽しむ本屋さん、ファッション的書店になっているのではないかと思う。
はっきり言って、今のやり方ではネットでも十分にできる。ごちゃまぜ方法的なやり方なんかだとネットの方が有利ではないか、立ち読みも楽勝にできるし、棚の入れ替えもすばやく展開できる。恵文社ネット版は安易に作成できるのだから、やはり今の経営方針ではまだまだだと個人的には考えている。恵文社にいるときに自分ならどうするかを思考していたので、それを少し紹介すると、ネットでできなくてリアルでしか通用しないもの。それはなんなのか。それはこんな事ではないか。
本を選択してくれるサービス。
本を購入するというのは、大きく分けて二通りあって、目的がはっきりしている買い方と紹介による買い方。反論を防ぐ為におさえておくと、ぶらっと立ち寄った本屋さんでふと手に取った本をペラペラと立ち読みし、なんとなく気に入って購入したとか、ジャケ買いしたとかは、前者に含まれる。それはあくまでも自分好みのものを手にとって見たからで、目的が決まっていると言っていいと思う。それで重要なのが、後者の紹介による購買で、書評をみてとか、本屋さんのPOPを見てとか、尊敬する人から進められたとか、誰かに決めてもらって本を買うという方法。わたしはこれがほとんどを占めているが、あと、好きな著者つながりとか。
要するに、数多ある書籍を目の前に置かれても、選択できないのが人間で、それは時代の流れて確かに収斂されてはきている。この恵文社のように、ある程度本屋さん側にチョイスしてもらって、その中からお客さんがまた選択すると。ただ残念ながら、わたしはそれでも多いと思っている。やはりある程度絞ってもらっても、本選びの時は不安なものは不安だし、お金のある人は別だが、数千円を投資するわけだから、何かにすがりたいのが世の末だろう。
そこでだ。もっともっと絞ってみてはと思ったわけで、想像していただきたい。とある本屋さんがあったとする。そこには、10冊しか本棚に並んでおらず、本と本の間のスペースは2,3冊分はあいており、そこには亭主が厳選した書籍がたっぷりの書評と並べて置いてある。まさに、セレクト書店というべきか、ポイントなのはそこでしか、その選択のサービスは受けられない点にある。有名人なら一人で経営しても問題ないだろう。例えば、書評で有名な弾さんなんかがセレクト書店をオープンすればそれなりに流行ると思うし、もちろんネットでは同じサービスは止める必要がある。しかし、知名度がない人や法人がやるとなれば、コツコツとやるしかない。
仮に恵文社程度の規模で私がプロディースするとすれば、ネットで書籍を沢山読む人を集めて書籍を選んでもらい書評を書いてもらう。そしてそれを店の本棚にならべる。ポイントは一人につき書棚一つ。それと個性的でバイアスのある書評家を選ぶ必要がある。となるとだ、かなり特殊な本屋さんになるのは自明だろう。無造作に置いてある本をお客さんが決めて買うではなく、数冊に絞ってやり本をお客が不安満載で博打買いするのではなく、この書評コメントに感化されたから買おうと、そしてその書評を書いた人が魅力的に感じてきて、その人が選ぶ本なら自分と結構趣味が合うので買おうと、最終的にはその選ぶ人のコアファンになればいうことなしだ。なぜなら、好きな人のお奨めする本は、本を購入するという行為に直結するからだ。
ってな感じで、本を選ぶのではなく、人が選ぶ情報を買うにシフトする必要があると考え、それと重要なのが、ネットではその情報を流さないこと。これさえ徹底すればリアル本屋さんも当分はやっていけるのではないだろうかと思う。本の種類を抑えるとコストもさがるし。ただビジネスとしての初期段階では本屋というビジネスモデルは選ばない方がいい。もしやるとしても、ローカルな趣味経営で止めておいた方がいい。現段階で書店経営している場合は考えるべきだろう。
デジタルネイティブって、意外と視野が狭くなっちゃわないかな?という危惧。
インターネットがあれば、その気になればいつでも世界中の情報にアクセスできるし、インターネットが物心ついた時からある人は視野が広くもてていいなー、なんてオジサンは思ってたんだけど、そんな単純にはいかないのかもと思い直して見たり。
なにせ、情報が多過ぎる。メジャー所のニュースサイトのRSS登録しておけば、最先端ニュースはいくらでも伝わってくる。mixiにログインすれば友人の状況も逐次分かるTwitterでフォローすれば憧れの人も身近に感じられる。
人間誰しも楽したい、不愉快なことには近づきたくないものだから、面白くないニュースサイトは巡回から外すし、嫌いな人はブロックする。
現実では嫌いな人がいてもしがらみとか色々あって、縁を切るというのは面倒だけど、インターネットだったら簡単だ。
ハンドルネームなんて変えるのは一瞬でできる。
そうこうしているうちに、インターネットから伝わる情報は自分に都合のいい情報だけになってくる。
あたりまえだ。だって、いやな情報をフィルタリングしてなかったことにしているんだから。
だけど、インターネットの前提として『全世界とつながっている』という印象だけは残っているので、少しこじらすと、まるで自分の考えは全世界同じ、自分の意見は常に多数派。自分に反論してくる人は嫉妬した少数派だけ。だから、叩いてもいいし、むしろそれが社会正義だとかいう立派な偏見持ちが出来上がってしまう。
うん、まったく人のことは言えない。いま、この記事が偏見になっているということは二十分にありうる。
今のデジタルネイティブはそんな偏見もたず、全ての情報をフラットに受け取っている、という可能性もある。むしろ、そうであって欲しい。
実際どうなんだかは、人間の観測能力には限界があるし、悪魔の証明になるのであきらめて、せめて私は気にいらないという理由だけで非難するのは止めるよう心がけよう。
同人誌からいきなり単行本デビュー 『ねこむすめ』作者、地元で描き続ける
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100205/209304/
はぁ~~~~~~~(ため息)。
この記事はデジタルネイティブだとか、
同人誌でいきなり単行本デビューするのはすごい、新しいことだみたいな風に書いているが、
自ら出版業界の鈍臭さを強調しているのにまったく気づいていないのな!
同人誌からいきなりデビューだって? そんなん、ぜんぜんすごくねぇってばよ。
だって、同人誌にならなきゃ、編集者は拾い上げられなかったんだろ?
単行本にならなきゃ、インタビューすら載せられないんだろ?しかもせいぜいウェブで。
あまりにも保守的で旧態依然としてるじゃん。紙にならなきゃ評価できないってどんだけ頭が硬いんだよ。
飲み会で名刺交換した奴にしか仕事まかせられない、って機動力なさすぎだろ。
だいたいこんな「鈍臭さ」が出版業界にはもう、何っっっっ度も見受けられる。
敗北宣言に等しいのに何やってんだよ、って感じ。
しかもそれで「いつもより売れた」とか喜んでる無能っぷり。
だったらもう廃刊して公式サイトのトップに「はてブでも見ててください」とか書いたらぁ?
そっちの方が金もかからないし、速報性もあるし、自分も参加できてたのしいし。
しかも、二番煎じをぽこぽこ出して飽きられて自滅してるし。その貪欲さをほかで出せよ、バカ。
キャンパスマガジンの書き手にページ渡したり、面白そうな奴に即連載持たせたり、小間使いのバイトに特集まかせたり、
ある種、そういったテキトーさと貪欲さが入り交じった雑誌の熱さが源泉だったのにね。
今じゃ似たような特集を連発して、似たような本を次々と出して、同じ書き手も何度も書かせて、おいおい、ぜんぜん新陳代謝してねぇなぁ!
何で編集者は本屋に行ってげんなりしないんだ? 棚を見たっておんなじようなくだらない本が所狭しと鎮座してるし、雑誌の目次見りゃどっかで見たような話と、何十回も使い古された書き手がコラムを書いている。
みんな飽きてんだよバカ。ぜんぶ潰れろ。ネットは原爆だこの野郎。一回更地にしてやり直せアホ。それで食えなくなる奴は自殺でもしてろ無能。
あ~~~、とにかくもう、現状こんなこと繰り返してる奴らが寄り集まって雑誌の未来だとか、出版の未来だとか考えたって沈んでくだけだって。一回ぜんぶ、俺に明け渡せ。一夜にして光見せてやっから。
昨年行われたらしい、
BPO青少年委員会公開シンポジウム「"デジタルネイティブ"がテレビを変える!」
http://www.bpo.gr.jp/youth/research/y_sympo09.html
個人的にテレビに対していろいろ思うところがあったところだったので興味深く見せてもらった。
・アンケート結果を受けての識者によるテレビのこれからについてのディスカッション
超ざっくりなディスカッションの内容は、「TV視聴時間は携帯等に時間を奪われているけど、情報発信の第一ソース、コミュニティの中心としてのTVは失われていないみたいだから頑張ろうぜ。」的な流れ。
最後に「テレビは今後変わっていくか?」のアンケート結果が「変わる」「変わらない」「どちらとも言えない」がきれいに3等分されたところで、これはTVのあり方が曲がり角であることの現れなので放送側の生き残りを模索していかなくてはいけないという締めだった。
・ディスカッションの構成がテレビ側の人、教育者の人、客観的な評論家(荻上チキ氏) といううまいバランスが取れていて見ていて気持ちよかった。
・メディアクリエイター(TV番組コンテンツ制作者)としてのTVと、居間にドンと構えられているハードとしてのTVを別けて討論されていない。
・録画メディア(HDレコーダー等)についてまったく触れられていなかった。
以下、個人的なTVへの思いなど。
というわけで、HDRはすごい便利なので持ってない人は損してるかもしれないですよ!
でも逆に見る番組が偏ってる僕の方が損してるかもしれない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/suzukinao/status/5699705145
つったらさ、動画に検索用メタ情報をリアルタイムで付け加えるって話になるんだと思うけど、、、
至難の業だよな。つっか人力にせざるを得ないっていう?
想像してみ。「今人気(高視聴率)のタイムチャンネル」とか「出演者情報」以外でなんかメタ情報出せる?
画像解析?今そんな進んでんの?
「昨日のジャーマンスープエイプスホールドが見たい」→「o月x日 ジャーマンスープエイプスホールド」→出る気がしねえ。
ジャリもデジタルネイティブ(って言われてる。そういう世代に落とし込んで儲けの種に利用しようとされている。親馬鹿(褒めてないよ)でもいいんだけど)なんだけどやっぱお脳の方もジャリだから検索したい言葉を想定できないはず。
「『あれ』が見たい」だよな。
そこなんとかなんねえかな。
ノンテキストネイティブ、とでもしとこか。「アレ」で表現できる世代に落としこんどこかーね。
いやそんなのいつの時代も「ワカモノ」なり「オヤジ」つってさんざんぱら言われてるか。
夜中にもかかわらず、かなり興奮しているので(ごめん、抗うつ剤飲んでるからかもしれない)いろいろ書いてみようと思う。がしかし、全部書いてしまうと自分のブログに乗せることがなくなるので、簡単にまとめてみようと思う。
あくまで番組の受け売りであるが、デジタルネイティブにとって、この二つの世界は同じものらしい。
(2)完全に融合した世界では階級や年齢といったことは重要じゃなくなる。
もちろん社会でも、年功序列?なにそれ、すまんググらせろ、みたいなやつがいっぱいで(反抗とかじゃなくてガチで)従来の会社になじまない才能を持った若者はとりあえず大企業には入らない。マイクロソフトとか涙目。
(3)SNSで誰とでも、どんな人とでも会える。
しかしテレビに出ていたようなデジタルネイティブは日本に本当にいるのだろうか。けっこう不安材料はある。
(1)日本のデジタル世界の環境はひどくcreativeじゃない。
(2)英語使えなさすぎ。
(3)個人情報だ!ってことで、名前とか個人情報をぜんぜん出さない。mixiでさえそう。
(4)教育。
詳しくは自分のブログに書くけど。
なんか日本語が凋落するみたいに書いているけど、
古くは漢語とかドイツ語とか、
いつ日本語でリリースさせるものが最新かつ高品質だって時代があるんだよw
日本国内の話題で終始しているだろ。
誰かが翻訳するまで待ってなきゃいけない人が大勢いるし
(待ってることすら自覚してない、翻訳されて初めて知る人もいる)
日本のニュースやテレビが英語で発信されるようになるわきゃないんだし
国内のコンテンツにどう差が出るのか(出たら何が問題なのか)わかんないじゃん。
既にアジア系ばっかりになってるじゃん。
どんどん下がってるじゃん。
昔は英文読んだり聴いたりすることに
講座取ったりして金払わなきゃいけなかったけど、
今はネットで通信料払うだけでいくらでも
読んだり聴いたりできるじゃん。
むしろ国内で容易にアクセスできるんだから良い時代じゃん。
昔なら英会話スクールに入ったり英字新聞取ったり留学したり面倒だったじゃん。
できる人が増えていくんだから翻訳されるものだってどんどん増えるし
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