はてなキーワード: セミヌードとは
単に、自分の知らないところで、男に裸を見られるのが嫌なんだと思う。
自己中だねーw
あくまで自分が隣にいれば普段着ないミニスカ履かしてもいいと思ってんだw 可愛い可愛いっておだてれば着ちゃうタイプなのかな。
バストがボリュームあるとか、身体が判りやすく女性的な女の子は下手にいやらしくならないようにファッションに気使うことって多いもんだけど。
つーか知らないところで見られるのがイヤなら一緒にサンバのスクール通ってショーに出るとかの選択肢もあるじゃんw
要は彼女さんが「オレのキライなものを好き」なのがイヤなだけでしょ。
議論になった時の覚悟はしてるよ。
むしろ、彼女がどのくらいの覚悟でやってるのかによる。
嫌われてでもやりたい、むしろその趣味を含めて私だと思って理解して欲しい、
ただ、習い事とかイベントとか、何となく楽しみでやってることのひとつなら、
こちらの意志を尊重して欲しい。
なんで「覚悟」とかいって、苦行みたいな側面見出そうとすんの? 楽しくてやってんだから、それでいいじゃん。
だいたい「楽しみでやってる」か「覚悟がある」かどうかの判定ってどうやってつけるの?
プロとしてお金稼いでるとかの判りやすい指標がなきゃ、何であっても「楽しくてやってる習い事」の範疇から出られないんじゃない?
つまり自動的に「=オレのためにやめてほしい趣味」ってことになっちゃうじゃん。ずるくない?
最初から結論ありきで、結局「話し合って、受け入れる」っていう過程なんかない。
「自分がイヤなんですううううう」っていうのを押し付けてるだけでしょ。「嫌いになっちゃうよ、いいの?」って甘えてるだけだよね。
彼女さん、ダンスも好きだけど嫌われたくない…ってなったら、その葛藤を自分ひとりで引き受けて、しかも場合によっては即答しないといけない。
大人しくて可愛くて良い子なんだろうなあ。
「その趣味をオレは受け入れられません、キミがそんなのやってるのスゴくイヤです」って、緩いけどフツーに脅迫なんですけどw
彼氏が大好きだから尽くしちゃう感じで受け入れちゃうのかなあ。自分の好きなもの曲げるのは尽くすときはいいけど、冷めたら反動凄いからなあ。
エロの表現と入手についての表
対象 | 性的表現割合 | 性的表現発生度合い | 加害者 | 被害者 | ゾーニング | 有料・無料 |
---|---|---|---|---|---|---|
少年マンガ誌 | 時たま短く | セミヌード | なし(2次元) | なし(2次元) | なし | 有料 |
青年マンガ誌 | 時たま長く | 局部を描写しない性行為(レイプ描写も有) | なし(2次元) | なし(2次元) | なし | 有料 |
少女マンガ誌 | 時たま長く | 局部を描写しない性行為(レイプ描写も有) | なし(2次元) | なし(2次元) | なし | 有料 |
レディースコミック | 常に長く | 局部を描写する性行為(レイプ描写も有) | なし(2次元) | なし(2次元) | なし | 有料 |
成人向けマンガ誌 | 常に長く | 局部を描写する性行為(レイプ描写も有) | なし(2次元) | なし(2次元) | タイプ1 | 有料 |
エロゲ | 常に長く | 局部を描写する性行為(レイプ描写も有) | なし(2次元) | なし(2次元) | タイプ2 | 有料 |
週刊誌(週刊現代や大衆など) | 常に長く | ヘアヌード | なし(3次元) | グラビアモデル | タイプ1 | 有料 |
エロ小説雑誌 | 常に長く | 局部を描写する性行為(レイプ描写も有) | なし(文字) | なし(文字) | タイプ1 | 有料 |
エロ本 | 常に長く | 局部を映す性行為(レイプ描写も有) | 男優 | グラビアモデル | タイプ1 | 有料 |
AV | 常に長く | 局部を映す性行為(レイプ描写も有) | AV男優 | AV女優 | タイプ2 | 有料 |
映画 | 時たま短く | 局部を映さない性行為(レイプ描写も有) | 男優 | 女優 | タイプ3 | 有料 |
Vシネ | 時たま長く | 局部を映さない性行為(レイプ描写も有) | 男優 | 女優 | なし | 有料 |
地上波テレビ | 時たま短く | セミヌードでの性行為(レイプ描写も有) | 男優 | 女優 | なし | 無料 |
エロサイト | 常に長く | 局部を映す性行為(レイプ描写も有) | 3次元の男性 | 3次元の女性 | タイプ3 | 無料 |
ゾーニング・タイプ1=誰の目にも触れる場所で手に入るがその場で中身を確認できない(例:エロ本をテープで閉じている)
ゾーニング・タイプ2=専用の売り場や店舗でしか手に入らない(例:AVやエロゲ)
ゾーニング・タイプ3=誰の目にも触れる場所で手に入り、18才未満お断りの記載があるのみ
※陵辱する人、陵辱される人・・・適当な表現を思いつきませんでした。
http://www.zkaiblog.com/con-isshow
によると、TBS広報IRセンターとセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに対しての取材はあっても若槻に対しての取材はなさそうですね。そもそもセミヌードの話は本人のアイデアではなくTBSが提案したものなので、「TBSにそそのかされた若槻」に実施内容の詳細を聞いても無駄という認識なんでしょう。でも取材したほうがいいですよね。
必ず学校を建てます。
ご心配なく。
http://ameblo.jp/wakatsuki-2/entry-10203920062.html#main
これじゃ今一生の疑問に対する答えにはなってない。若槻の怒りは脱いだことを疑問視されたことに対するものであって、インドのために怒ってるわけじゃない。学校を建てるのが主目的ならセミヌードになる必要性はなくて今一生も言ってる通り、以前若槻は絵のオークションで自分の絵を売ってチャリティに協力したように芸能人なら別の手段もあるでしょう。たしかに、脱いだことに対して若槻自身気持ちの整理がついてないのだろうけど、それはチャリティ活動を成功させることとは分けて考えないといけない。チャリティの成功を真剣に考えるなら、若槻の怒りは見当違い。
http://anond.hatelabo.jp/20080312121901
前回の続き。
これらの雑誌は女子高生(または女子高生風のモデル)を被写体にしていたわけだが、必ずしもロリコン向けというわけでもなかった。今でもそうなのかもしれないが、女子高生好きはロリコンにカウントされていなかった記憶がある。「男は女子高生が好きなもの」というのはあからさまじゃなくても、暗黙の共通認識になっていたと思う。
こういう事情があったからか、これら雑誌にはブルセラショップの広告やブルセラビデオの内容紹介も普通に掲載されていた。ブルセラビデオの類は東京を中心とした少数のショップが販売拠点となっており、地方にはそこから通販される形であった。だからマニア向けの商品であることは間違いなかったが、雑誌に紹介ページがあったことで地方在住の高校生であった増田にも内容が把握できたのであった。
90年代はエロ業界以外でも女子高生がやたらとフィーチャーされることが多かった。「コギャル」という言葉が生まれたのも90年代の半ばか。こうした世間の風潮との相乗効果もあって、投稿系雑誌はブルセラや女子高生エロスを強化する方向に進んでいった。
ちなみに1993年にウッチャンナンチャンの南原清隆氏がテレビ番組「ウンナン世界征服宣言」の企画で、女子高生Tバックアイドルユニット「メロン組」をプロデュースしている(この番組、ウッチャンが女子高生デートクラブに行く企画もやってたと思う)。地上波テレビにTバック女子高生が出演できるくらいなので、エロ本業界は推して知るべしだ。でも具体的に言うと「Tフロント女子高生」みたいな雑誌もあったな。ただ、91年の樋口可南子、宮沢りえを皮切りにヘアヌードが解禁されはじめた時期だったのにもかかわらず、女子高生ヘアヌードというのはあまり見た記憶がない。
最近でいう「着エロ」というジャンルの走りなんだろうが、女子高生ものにおけるこうした流れにロリコン向け雑誌も合流するケースもあった。増刊として「モデルは全員15歳以下!」と銘打って、際どい水着写真やセミヌード、そしてヌードグラビアも掲載した雑誌が出されたこともあった。やはり盗撮コーナーもあった気がする。この時期にはコギャルよりもさらに低年齢の「マゴギャル」という言葉も生まれていた。ただ、これらの雑誌はさすがに際どすぎたためか、いずれも短命に終わっていたはず。
一方、女子高生中心の投稿系雑誌は「爽やかなお色気」のイメージがあったためか、トラバしてくれた人も指摘するようにコンビニの成人雑誌コーナーにも置かれていた。「日本ではコンビニで堂々と児童ポルノを販売している」なんて欧米に批判されることもあるが、このような事実をかんがみれば、その批判も故なきものではないと思う。
しかし、90年代後半にはブルセラが社会問題となり糾弾されショップが撤退しはじめた。さらに援助交際が問題視され、各都道府県で青少年育成条例が厳格化されるようになってきた。国会でも児童ポルノ問題が語られ始めるようになる。
児童ポルノ法が成立・施行される前の議論の段階で、女子高生をフィーチャーした雑誌はリニューアルを余儀なくされた。しかし、それは雑誌の売りをすべて捨ててしまうことと同義だった。
私増田はその頃大学生で、エロ的欲求のはけ口を雑誌よりもAVに求めるようになっていたのに加え、編集者側の自主規制によって投稿系エロ雑誌の内容がヌルくなっていたので見なくなっていた。したがって、これら雑誌の断末魔を知らない。しかし、児童ポルノ法施行以前にこれら雑誌の命脈は尽きていたように思われる。
だいたい自分が語れるのはこれくらいのことだ。要は児童ポルノ法以前にはガチのロリコン向けポルノでなくとも児ポ法の定義でいう「児童ポルノ」は広く流通していた、ということだ。未成年のセミヌードや未成年素人の盗撮映像などが全国の普通の書店に出回ったりしていたわけで、今から考えるととんでもない時代だったと思う。かといって、ガチのロリコン向けコンテンツを手に入れるハードルはそれなりに高かったわけで、児ポ法以前はロリコンにとって天国だった、とか、日本では児童ポルノが野放しだった、とか言われると、時代の生き証人、語り部としては「それはちょっと違うんじゃね?」と言いたくなる気持ちはある。もっとも、自分がモデルと同世代だったことでそれらを「ガチのロリコン向け」と思わなかったということもあるかもしれない。現在の価値観を持ったままタイムマシンに乗って90年代に戻れば「なんちゅうワイセツなもんが流通しとるんじゃ!」と思うかもしれないな。
以上、かなり不十分な叙述だと思うので批判・訂正・補完を大いに求めます。
最後に付け加えておくと、こうした投稿系雑誌(のコラム・コーナー)がリリー・フランキーの才能を見出したり、根本敬に活動の場を与えてきた功績はもっと讃えられてもいいと思う。リリーさん、当時から面白かったけど、こんな大作家になるとはなあ…
格差社会だなんだとかまびすしい一年だったが、経済的側面ではなくエロの側面からも考えてみよう。
ここで言うエロとは、風俗、すなわちソープやカップル喫茶、ピンサロなどではなく、ネット、雑誌、DVD、最近あまりないのかもしれないがエロビデオなどのこととする。
風俗は、おそらく利用者間の格差が生じづらい。アクセスするために物理的に店舗に行くなどが必要で、かつそれなりにお金を払う必要があるためだ。つまり、物理的エロに関してはお金を払って店舗に赴く限りにおいて利用者は平等にアクセスが可能だ。
対照的なのは、ネットでのエロだ。ネットにアクセスできるかどうかでまず格差があるし、さらにエロにアクセスできるかどうかにも格差がある。さらにネットでのエロへのアクセスにお金を払うかどうか、という格差が生じている。
有料サイトもたくさんあるが、品質は玉石混淆も甚だしいし、一ヶ月日本円で5000円程度かかる。一方で、無料というか違法性は無視して見れば、無料のアクセス手段を知っていればエロにかかるコストはインフラにかかるコストを除けば限りなくゼロに近づく。
ネットでのエロへのアクセスができる人間の間での格差はたいしたことはないだろう。有料でも無料でも、アクセス可能なコンテンツと言う観点だと共通のものが多い。
格差が大きいのは、ネットでのエロへのアクセス手段がある人間と、雑誌や、レンタルDVDなどの手段しかエロへのアクセス手段がない人間の間だ。
ネットでのエロへのアクセス手段を持っている場合、質だけでなく量に関しても圧倒的に雑誌エロ派(派と言うには自発的に選ぶわけではないかもしれないので不適切か)よりも多くのエロにアクセスしていることは言える。
量に関しては自身の選択によるものが大きいであろうが、レンタルDVDで1週間に10本借りる人はまれだろうが、ネットエロ派は1週間に10本しか目を通さない人は逆にまれだろう。
ネットエロ派に起きているのは、いわばエロインフレとも言うべき状況だ。
電車広告なんかと見ているとよく思うが、ネットエロ派の大多数は「ほしのあきの谷間」だとか、「お天気お姉さんの純白パンチラ」なんかには「圏外」なこと甚だしいだろう。「現役スチュワーデスヌード」とかもしかりで、ピクリともしないだろう。
ここで注目したいのは、こういった雑誌、週刊誌のコンテンツで「興奮できる」という需要があることで、「そんなものでおかずになるのか」というようなものが需要があることで見えてくる格差だ。
ネットでのエロへのアクセスが可能な人たちは、無修正のエロ動画やエロ画像なんて見飽きているだろうし、おっぱいが見えているぐらいではなんとも思わないぐらいにエロ感度が下がっているだろう。新宿や吉野町を歩いているときに風俗の看板を見ても、なんとも思わないのではないだろうか。その程度の露出では彼らのエロアンテナにはまったく引っかからない。ヘアヌードなんて、生ぬるいのだ。セミヌードなんて「帰れ!」というのが正直なところだろう。
ネットでのエロへのアクセス手段を知り、求道してきた人たちは、雑誌エロ派が数十年にわたって触れてきたコンテンツ量を数ヶ月で消費可能である。そこには圧倒的な量の格差が生じている。また、質に関しても、ネットエロの場合はモザイクなし、ありとあらゆるフェティッシュに応じたコンテンツが簡単に手に入る。量と質についての圧倒的格差が生まれているのだ。
週刊誌やスポーツ新聞で興奮できるなんて、ウブなんだな、という見方ができる。圧倒的な量と質のエロに触れて数年を過ごした人たちは、エロに関してインフレが起きていて、ちょっとやそっとのエロでは圏外なのだ。素人が脱いでいたり、女子高生が援助交際している動画なんて見飽きているし、そもそも量が多いため記憶になんて残っていない。
素人が脱いでいるぐらいでは動画の冒頭の10秒程度で再生するのをやめるのが関の山。従って、素人の一般的な女性が動画を撮られて「ばらまくぞ」と脅されたとしても、日の当たる場所を歩けなくなるなんて心配は無用だ。レースクイーンなんかの容姿で商売できるような人たちが脱いだりSEXしている動画だって掃いて捨てられているのだから、普通の素人の動画なんて注目もされない。「みんなに見られてしまう」なんていうのは自意識過剰だ。
大量のエロを消費し、エロインフレが起きている層と、週刊誌やスポーツ新聞の記事で興奮できるウブな層。おおざっぱにそれぞれ前者は若い世代、後者は年齢が高い層にわかれているだろう。
エロに関する感受性の格差は、セクハラのガイドラインにも再考を迫るかもしれない。ネットでのエロへのアクセス手段を持つ女性は増えているだろうし、女性でもエロインフレを起こしている人は多くなってくるだろう。そうなったときに、セクハラの当事者となることが多い年齢が高い層と、若い女性の間でエロ感度が異なるため、年齢が高い層が「セクハラ」だと思って行う言動(行動は別か)が、若い女性側では「そんなのセクハラにならんよ」ということが多くなるかもしれない。
セクハラのガイドライン是正はさておき、エロ感度格差是正のためには、質的観点では雑誌やDVDでの外性器に対するモザイクの解禁が考えられる。そもそもなぜ今のようなダブルスタンダードが許されているのだろうか?その前になぜ外性器にモザイクがかけられているのか?どのような意味を持っているのだろう?法律がある?外性器にモザイクをかけることのメリットがさっぱりわからない。子どもや見たくない人が見てしまう、という懸念があるならば、そのコントロールはネットの方がやりやすいだろう。
モザイクの技術を発達させても、それは発泡酒と同じだ。発泡酒のうまさを追求しても、日本でしか売れないし使えない技術で意味がない。発泡酒の技術を追求する投資なんて無駄の極みだ。携帯電話と同じガラパゴス化を目指すのか?企業の世界的な競争力を削いでいるだけだろう。