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はてなキーワード: シニカルとは

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2008-03-07

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20080306

噛み合わないことは分かっていても書かずにはいられない、か。

まともに相手すればするほど相手の思う壺なんだけどな。

はてブ経由でホッテントリ覗く奴のほとんどは、管理人ほどコメント欄は気にしてない。

というかほとんど見てないから。

エントリの中で特定のコメントが改めて採り上げられたら確認ぐらいはするけど。

肯定的なコメントが多いエントリの場合、自分はあえて批判的な意見を言おうと心がけてますね。

別にシニカルを気取るわけじゃなく、新しい視点を持つ事の訓練としてブクマを使ってる面もあるので。

本当はそうする事で議論が広がっていくと嬉しいんだけど、コメントから話題が広がる事って少ないんだよなぁ。

ブクマ米にしろコメント欄にしろ、そこから話題が広がるなんてことはない。

管理人エントリの中で改めて採り上げたとき以外は。

ホッテントリになってから見に来る人間にとってはあんまり関係ないから。

エントリの内容に興味あるだけで。

だからブクマ米やコメント欄エントリには直接関係ない目的(=ディベート嫌がらせ)でカキコしてたとしても全く影響ない。

管理人以外は。

新しい視点てのは自分以外の誰かからもたらされるから意味があるわけで、たとえ他人を想定して反対意見コメントしても何の意味も無いわな。

結局は自分の脳内で収まる話だから。

2008-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20080117171833

それを言うならイケメンだけどオタクでしかも可愛い彼女もちってのがアイデンティティって言った方が近いっていうか、せっかくニッチな話なのに「オタクで」っていう大事なワードを入れないわけよ。お前、読んでないだろ本文。

まあそれだけがアイデンティティじゃないけどね。他にも書いていないものが色々ある。でもまぁ書いていないそれらも、優越感ゲームには確かに変わりないよ。

んでもそれがどうかしたの?って思う。

優越感ゲームって悪いことなのか?優越感ゲームにもともと参戦するのが難しいからって最初から全部諦めたフリして、上から目線で悟ってる風のポジションについて満足してる奴より、自分で言うのもなんだがよっぽど健康的だと思うけど?そりゃそうでしょ。ゲームだよ。優越感とか、モテたいとか、注目されたいとか、そういうのって醜い感情だって思うタイプなのかもしれないけど、俺に言わせてみればそれは「セックスなんて汚い行為だわ!」っていってる処女みたいなもんで、バカじゃねーのと思うね。人間なんだからそういう欲がないわけないんだよ。お前だって持ってる、絶対に。人間である以上それは免れないんだって。のくせに、何悟った風を繕ってかっこつけてんの?ってね。

てか、その「悟った風」もまた、優越感ゲームの最たるものとも言えるわけだよね。そういった欲からすべて解放されて、「そんな細々した下界の欲望なんかどうだっていいぜ。俺はただ生きるだけだぜ」って仙人ぶってればそりゃ全てを見下せるから、有る意味最高の優越感ゲームなわけだ。俺はそういう「優越感」は好きじゃないけど、まぁお前みたいな手も悪かないわな。そういう「悟ってる感」「シニカル感」を気に入ってくれる女も結構いるしね。でもそれはあくまで最終手段だなー……。他のもので全く太刀打ちできなくなった、他のもので一切優越感ゲームに参戦できなくなった奴が頼る、最後の手段だからな。やっぱり俺はまだそれは好きじゃないわー。

なんつーかそれやっちゃうと、有る意味最強すぎてさ。楽っちゃ楽なんだけどね。何もしなくても、要するに仙人ぶるだけで誰にでも勝てるわけだから。超楽なんすわ。んでもなー。やっぱり他のゲームの方が、自分をより向上させられるからさ。(勿論向上するための内的な動機はあるわけだけど、外的な動機もあった方がその分プラスされて刺激されるからね)

ま、年とってきたらそういうのもありかなって気もする。というより、ある程度年とったやつしか、やる資格ないんじゃねーかな、って気がする、そういうシニカルぶるのって。やっぱ結局さ、若い奴がやってもどこまでいっても「シニカルぶってる」にしかならんもん。じいさんとかばあさんがやれば重みも出てくるけどね。若い野郎は、んな悟った風なこといってないで、どんどん醜く足掻く時期なんじゃねーのと個人的には思うわけで。最近一見だけ悟った風の奴がいて個人的には心配だよ。もっと醜く自分の欲と戦う時期だろ?そういう期間もなく、すんなりお利口さんなっちゃうのって、中学の頃反抗期がなかった子供が突然キレ出すみたいな怖さがある。中年になるまでは醜い欲と戦ってみたっていいんじゃん?逆に無理して隠すほうが怖いって。圧迫されたもんが、いつかふっとぶよ。

2007-11-12

あるペテン師の終焉とボジョレー・ヌーボ

区役所に婚姻届を出した。

その前日に僕は、別の女性デートをして、SEXをして、好きだ、愛してる、と目の前の彼女ではない女の子に囁いていた。

彼女は優しく、僕は罪人でしかなかった。


結婚相手の彼女学生時代から付き合ってて、気づいたら同棲期間だけでも1年半以上経過していて、

あちらの親にも書類を出すことの報告で向かったら涙を流して喜んでくれたような。

そんな幸せ関係。傍からみれば。

ひとつ、挙げればもうSEXを3か月ほどしていない。そして本人には結婚相手とSEXをする気が起きない。

今年の延べ数が片手で収まってしまうようなセックスレス関係であるのだが、それは外部には見えない。

幸せそうだと言う。僕も、SEXこそないが、彼女を大事な家族の一員として、最大限配慮した生活を送って来たつもりだ。

一方で隠れて付き合ってる女性。今僕が、世界で一番好きになってしまった彼女は、会社の同期。

新入社員時代から何かと二人で仕事をする機会が多く、最初は仲の良い友人関係を続けていた。

今でこそこんな関係だけど、何もなかった時代に仲が良すぎるので何かあるのでは?と疑われたほどだ(笑)

転機となったのは1年ほど前。切れ者でとても優秀な彼女は別の部署に転属になる。

そこは「(笑)」をつけてシニカル揶揄しないと

僕は自分の自尊心を慰めることができないような、そんな格好良い仕事場で、

その頃から僕は彼女のことが俄然気になりだした。

実を言うと、前々から好きな気持ちはあったが、同棲まで始めた彼女がいて、

そんな気持ちは「男の性」だろ、程度にしか思っていなかったのに。

新しい彼女仕事の範囲は僕の個人的な趣味オーバーラップしていたので、

助言という形で(元々の相棒だったので別に変なことではない)相談に乗ってみたり、

メールのやり取りを重ねたり、たまに二人で飲みに行くようになった。

丁度今の時期はそう、ボジョレー・ヌーボ(笑)の時期で、

日本人フランスワイン産業のカモにされていること自体にはよしとしないが、

去年はそれを有り難く口実には使わせて貰ったことを覚えている。

そこでワイングラスを傾けながら言った歯が浮くような台詞。

5年後の自分たちは、何しているんだろうね?もう君は(念願していた)主婦だったり?笑

家庭に入っていたとしても、こうして二人で飲みに行こうぜ。

なんて。彼女は確か肯定も否定もしなかったと思う。

その後も、彼女のことが気になって仕方がない僕は「友達として」の自分からのアプローチが続く。

自分自身、明確に浮気となってしまうことを避けるために、保身のために

友達としての誘い方は崩さなかった。

年が明けては初詣に誘い、桜が咲いては花見に誘い(これはタイミング合わずに実現しなかったが)

お互いそれぞれの仕事に忙しく、また働くオフィス環境が変わったが、二人で昼ごはんを食べるように

定期的に誘い、彼女はそれに応じてくれていた。

そして、対照的に、同棲中の彼女とのSEXが減ってきた。

そんな微妙関係を続けているうちに、徐々に、友達として、が崩れていく。

言い訳のしようがない関係になってしまったのは今から2か月前、

彼女の忙しい合間を見計らって、休日デートに誘った。

デートからの帰りで初めて手を繋いだ瞬間。

(色々な思いが交錯 - 俗に言うハイトクカンって奴)

のことはよく覚えている。そこで僕らはキスする直前で、別れた。

別れることに、「成功」した。が正しいかな。

http://anond.hatelabo.jp/20070910141446

彼女はというとその優しさから、正直な気持ちを口では明かそうとは

しなかったが、態度から、表情から僕は彼女の想いは伝わってきて嬉しかった。

そうして手を繋ぐまで、キスをするまで、と、だが順調に二人の関係

ステップアップをしていき、とうとう彼女誕生日の日に僕は関係を迫り、その想いは遂げる。

これがひと月ほど前の話。

その後も、毎朝出社前に彼女の最寄駅まで通い、夜は会社の近くで待ち合わせして、遅くに帰宅。

家の彼女も丁度忙しい時期で、なんとなくそんな、ずっと続けばいいなという時期が続いた。


唐突に結婚の話が降ってきたわけではない。

去年の今の時期、から我が家には、彼女が区役所からもってきた婚姻届が、彼女の側の署名だけされた形で

ずっと大切に保管されていた。

曖昧に、ごまかし続けていたのは僕のほう。だけどそれも限界だった。そこに彼女の親の涙を見て、

これでいいんだという想いは、急速に強くなった。そして、今現在、最も愛している女性との最後のデート

婚姻届を提出したことを彼女メールすると、華やかなテンプレート(女子らしいものだ)

でお祝いの返信が帰ってきた。

その裏で涙を流しているのはわかっている。彼女は優しく、僕は罪人でしかない。

ココロ社の人は、男女の友情なんて成立しねぇ!と宣言していたが、僕もそう思う。

そう思っていながら、今は恋愛感情がだいぶ強いが、徐々に同期の彼女とは

普通の友人に戻ろうと思う。これは二人で、最後のSEXの後に決めた。

まずは、今年のボジョレー・ヌーボ(笑)を友人として飲みに行く事からはじめようと思う。

最悪のペテン師は、今から「今年のボジョレーも」また出来がよいことを祈っている。

2007-11-09

ウォール伝 2007-11-09 「キュッ」。 整形バージョン

俺さー芸人になったらさぁー相方見つけてさぁー「マルチチュード」っていうコンビ
名でデビューしたいんだよねぇー。「どうもー!マルチチュードでーす!」みたいな
感じで出てきて「ネグリ君一号でーす!ネグリ君二号でーす」とか、もしくは「どう
もーマルチチュードネグリでーす。ハートでーす」みたいな感じでさ、基本的にネタ
は左翼パロディネタばっかなの。

で、たまに真面目な政治批判を繰り広げつつもシリアスになり過ぎないっていう
ね。ってことで相方は相当教養のある人じゃないといけないわけだけど、悪くないと
思うんだよなぁー。あと妙にアカデミックなネタとかね。「ききききさまぁー!!さ
ては修正主義者だなぁ!!」とかさ、そんな感じ。

分からない人さっぱり分からないみたいな。で、この修正主義者ってのも実際はAVに
モザイクは必要か否かみたいな議論をペダンティックな語り口調で進めていくんだけ
ど、相方が「やっぱり倫理的にモザイクは必要である」なんてことを言ったときに、
さきほどのツッコミを俺が入れるわけ。

ただボケ突っ込みっていう役割は無しで、基本的に両方ボケて突っ込む感じね。別に
笑い飯パロディとかじゃなくて。悪くないと思うんだよなぁー。あとは相方だけな
んだよなぁー。あとハワードジンソーホーマルクスを下地にしたマルクスとバ
クーニンの言い争いをネタでやるとかさ、悪くないと思うんだよなぁー。アイデアは
いっぱいあるんだよねぇ。世界の左翼テロリスト集団カルトQとかね、片方が司会者で
片方が回答者で、プロジェクターかなんかに世界の左翼テロリスト集団のロゴを出し
て早押しとかさ、もう絶対テレビ放送無理みたいなネタばっかなのね。あと日本共産
党ネタとかもいいかもね。すげーシニカルに繰り広げていくわけ。

で、ネタを見ると日本共産党ナスティな歴史が分かっちゃうっていう、笑えて勉強
にもなるみたいなね。共産とか左翼っていいお笑いネタになると思うんだけど、誰も
やってないんだよね。せいぜい思いつところだと駕籠真太郎ぐらいかな。漫画家だけ
どね。拳を上に上げて「レボリュースィオン!」とかいうのを一発ギャグにしたり
ね、キャッチーでもあると思うんだよね。分かりやすいっていうか。

あと過去の独裁系共産主義者を連想したネタとかね。ようは毛沢東と側近とかを想像
で演じちゃうわけ。スターリンレーニンやりとりとか、ポルポトと側近のやりと
りとかね。あんまお笑いって放送できるできないでリミットがかかるべきじゃないん
だよね。だってお笑いって表現なわけだから、作る前にセンサーシップのことを考え
るなんてのは完全にリミテーションですよ。

そんな意味でも鳥居みゆきのことが心配でしょうがないわけですよ。テレビってーの
に巻き込まれるとダメになりそうで。ようは本人の意思に関わらず無理やりテレビで
放送できるような感じで編集されちゃったり、全然テイストが出せないような無駄な
企画やらされたりとかさ、そういうので才能を潰しちゃいけないのね。ただテレビっ
てどうしようもないからダメなんですよ。そういうのが。全然才能を生かせない。だ
から本当にやりたいことをやるならラーメンズみたいになるしかないわけ。セルフプ
ロデュースだよね。ようは。

で、テレビに出るのはCMとかちょっとしたインタビューとか、ようはお笑いの部分は
テレビではやらないわけ。あとやっぱ本人が繊細そうだからダークなテレビ業界のや
りとりに巻き込まれて精神的にダメになったりしないかな?って不安なのね。基本的
にフォークダンスの桶田がそんな感じだったらしいじゃん。精神を病んでたわけじゃ
ないけど、テレビ業界にうんざりしてお笑いに興味がなくなっちゃったっていう。

本質的な人こそああいう俗っぽいものを嫌うしアダプトできなかったりするからさ、
結果的にその才能をテレビ側が生かせないどころか殺しちゃって永久に失われちゃっ
たっていうようなさ、本当にフォークダンスは悲劇ですよ。もう残念でしょうがな
い。あんなことを二度と繰り返しちゃいけないから、だからっつって俺が何を出来る
わけでもないんだけど、基本的にお笑いファンも昔松っちゃんが書いてたお笑い指
数っつーかお笑いレベルじゃないけど、お笑いレベルが高くないと需要も低くなっ
ちゃうっつーか客が程度の低い笑いを要求するようだと本物たちがテレビでやりたい
ことができなくなっちゃうわけ。

ようはレベルの高いデマンドが必要ってことなのよ。だからホント、うちの妹とかも
口癖のように言ってたけどお笑いってのがブームになるとホント、質の低いつまらな
い芸人ですらテレビに出られるようになってさ、で、その業界に寄りかかろうとする
ダメ芸人が本当に増えるわけじゃない?で、結果的にそういう悪循環お笑いの全体
の質を下げちゃうっていうようなさ、それって最悪だよね。

だから常に鑑賞者側はお笑いに対してレベルが高くなきゃいけないし批判的じゃない
といけない。お笑い番組見ててクソつまらねー芸人ネタとかで笑ってる客とか見て
るとぶっ殺してやりたくなるんだよね。ホント、その存在自体が邪魔だから死んでほ
しいって切実に思うもん。

それっていつも書いてる音楽シーンとかに置き換えることが出来るんだけど、基本的
にやっぱね、レベルの高い鑑賞者っつーかデマンドが無いと、本物を発信してる側の
活動場所がなくなっちゃうんですよ。それが一番マズイのは、本物の活動場所が無く
なることで、才能が失われちゃうってことなわけ。ところでエレクトロニカとか前衛
系に言えることだけど、なんだかんだですげー排他的で若手育成みたいなのやらない
じゃない?

で、有名レーベルはいつまで経ってもベテラン勢の作品ばっかリリースし続けるって
いうさ、ああいうプログレッシブな音楽やってるように見えてレーベルの体質が保守
的だとね、それ自体がダメになるのよ。つまらなくなっちゃう。

ただ大半のレーベルはそういったことに意識的じゃないから勝手に腐っていくんだけ
ど、例えばさ、ELMAって昔、ちょっと関わりがあった鳥取でノイズやってる人なんだ
けど、未だにこの人以上のハーシュノイズって聞いたことないんだよね。はっきり
いってハーシュって意味だと今のメルツを平気で越えてるし、クオリティは世界レベ
ルなんだけど、なんで大手のレーベルから何かしらのコンタクトが無いわけ?マイス
ペースとかあるんだからさ、誰かは見てたり聞いてたりするわけじゃない?で、なん
でELMAの新作が割と有名な電子音楽系のレーベルから出ないわけ?ELMAが無理だっ
たらSMKなんて絶望的ですよ。はっきりいって。もう嫌なのね。ああいうの見てる
と。ELMAみたいなのが有名にならないこの現状。

なんなのよ?みんなの耳は節穴か?ちゃんとみんな音をちゃんと聞いてるんだろう
か?全くさぁーホント、ちゃんとした芸術家達が本当に食えない時代になってる
なぁーって思うよね。いつの時代もそうだったかもしれないけどさ。

俺に金があったらホント、最高のレーベル経営できると思うんだよね。経営っつーか
まぁ人材発掘ね。経営は他に任せたほうがいいや。経営っつーか運営っつーか。とこ
ろで岩村学って今、何してるのかな?全身にニートっつーかヒモみたいなオーラがあ
ふれ出てた人だったけど、ああいうヒモ系の作り手って嫌いじゃないんだよね。ミラ
ノ在住っつって何して食ってるの?っていうああいう雰囲気。

あのなんだっけツジコとかとやってる青木だかなんだかってやついるじゃん?あいつ
もすげースポイルチャイルド系の雰囲気出てていいんだよね。音楽的にはさっぱり好
きじゃないけど人間の雰囲気が好き。ああやって親とか愛人から金をもらってやって
ける連中はいいけど、そうじゃない人達も大勢いるわけだから、アートシーンっての
がそういう人達のケアをしてあげないとダメなのよ。それは国が保護しないとダメだ
と思うね。

ニューヨークってそういうシステムあるらしいじゃんね。まぁ相当限られてるとは思
うけど、でも無いよりはマシでしょ。基本的にでもそんなのね、文化の一つなんだか
らシリアスに保護しないとダメよ。保護っつーかサポートっつーかアーティスト達が
やっていけるようなシステムが必要なわけ。

ところで今朝、なんか妙に呼び鈴が鳴ってるような気がするなって思ったら案の定、
誰か来てたんだけど、ドアにチラシが挟まっててさ、それがエホバの証人だったの
ね。しかも日本語。ようは日本人向けの勧誘をニューヨークでもやってるってこと
だ。あー怖い。ニューヨーク統一教会の本場みたいな感じだけど、あんな暴力教
団、国が規制をかけないとダメでしょ。エホバはともかく統一教会なんてあんなもん
強制的な解体をさせないとダメよ。

何が言いたいのかっていうと、ラガ系の人がエホバって言うときは恐らく「ジェホ
バ」って感じなヤーマンな発音になるんだろうなってキットカット食いながら思った
んです。今朝。もう明らかにモト信者の証言から暴力とか洗脳があったってのが明ら
かな教団があるのに、なんで国はキチガイ教団扱いをしないんだろう?あんなもんの
存在を許してたらね、よりどころの無い人達がガンガン入信して不幸になっていくん
だからね、ダメですよ。禁止しないと。

こういうの禁止しないでガンジャ禁止してるんだから世の中ってのは狂ってるよ
なぁー。だったらガンジャ教みたいなの作ればいいのに。もちろん名前は「ジェホバ
の証人」ね。挨拶はみんな「ヤーマン」。持ってきた?っていうブリングとブリンブ
リンをかけて、教団内ではみんな「ブリンブリン」言いまくってるっていう、極めて
ラスタな環境にあるわけよ。とっととオランダみたいにさ、ガンジャなんて解禁す
りゃーいいんだよ。どんだけの泉じゃなくてどんだけの人が救われるか分かってんの
か?マジでガンジャがあるだけで凄まじい境遇の人もガンジャだけを心のよりどころにして生き
ていけるような人も出てくるのかもしれないのに。もちろん酒みたいに逃げになっ
ちゃいけないけど、でも救われる人は相当多いと思うんだよね。労働者が「この昼休
みの一服のために働いているようなもんなんです」ってタバコのことを言うけど、こ
れがガンジャでもいいわけじゃん?まぁ作業中はマズイから仕事終わりとかに「一杯
行く?」じゃなくて「一服する?」みたいなさ、酒みたいに中毒にはならないんだ
し、少量でブリンブリンになれるわけだから、あれほど機能的なものはないわけよ。
全くタバコとか酒とか許してるのに、なんでガンジャが禁止されてるんだか意味分か
らないよね。政府が国民に苦しめって言ってるようなもんでしょ。これは。

ところで練馬ザファッカーのさ、キラキラしているやつを総称で「ブリンブリン」っ
て言うって言ってたけど、あれをガンジャトリップのブリンブリンのメタファーって
のに気がついてる人少ないんだろうな。日本ってマジでドラッグについての教養が全
く無いからね。そういう意味だとアメリカは凄いよ。やっぱ歴史があるからみんな詳
しい。少なくともマリファナを鼻で吸うみたいに思ってる馬鹿はいない。ガスパンが
流行ってるとかいってさ、ああやってちゃんとドラッグに対する教育しないから馬鹿
なことするやつが増えるんだよね。ケミカル系の危険性も分かってないで乱用するや
つがいるってのは教育がなされてないってことでしょ。あえて選んでケミカルやって
るやつならしょうがないけど、基本的にトリップしたいんであればガンジャで十分な
わけよ。

で、コークとかLSDとかの副作用っつーかダークな面を知ってればさ、明らかにあの
取ったときの「スッコーン!」って感じよりディスアドバンテージのほうが多いっ
つってやらないやつが多いはずなのに、やるやつがいるってのは問題だよね。さっき
も書いたように、ちゃんと知識があってやってるなら選んでやってるからしょーがな
いやつになるわけだけど、分かってなくて興味本位でやってるのってマジでヤバイよ
ね。

学校で「ケミカルは中毒性があって脳がダメになるから絶対やらないこと。やるなら
ガンジャにしなさい」って教えれば相当ケミカルの乱用は減ると思うんだけどねー。
で、ガンジャを合法にしてタックスでも取ればさ、国益になるわけじゃない?なんて
幸せなタックスだろうね。ガンジャ税だなんて!

でも分かるよ。あんな閉塞した社会で薬も酒も無いんじゃやってられないよね。だか
らなんつーか若者がアノミー状態に陥っちゃってて、ドラッグに手を出すぐらいしか
脱出する方法が無いっていう、あの社会状況がマズイわけで、それはニートネット
カフェ難民も一緒でしょ。

全面的に彼らが悪いんじゃなくて、そういった人とか循環を生み出す社会構造に問題
があるわけでさ、その人達を批判するのはお門違いもいいところだよ。うちのオヤジ
がこういうお門違いな批判をしているんだけど、まぁオヤジみたいな世代の人はああ
いう観点でしか物事を考えられないんだろうなっていうのは凄く思うし、親父には悪
いけど、ああいう考え方をする上の世代の連中が多いから、いつまでたっても問題が
解決しないどころか、若者とおっさん世代のコンセンサスの乖離ってのがガンガン進
んでいくわけだよね。

基本的に社会を動かしてるのとか会社の上の連中とかって大体おっさん世代でしょ。
で、おっさん世代の考えが古いんで、前に書いたマテリアルカルチャーとノンマテリ
アルカルチャーカルチャーラグじゃないけど、基本的に社会を牛耳ってる連中たち
の考えが古いんで、社会構造が変わらなくて、マテリアルカルチャーとの差が出てき
ちゃう。だったらとっととおっさん世代は引退して次の世代に役割を任せなきゃいけ
ないっつーか、そのためにも若者の雇用と雇用後の社内での教育ってのが必要なの
に、人件費削減だとか馬鹿なことを抜かしてやがるから若い世代が育たないっつーか
アノミー状態になっちゃう。ね?

全然難しいことじゃないでしょ。いかに社会が若者達に対して理不尽に回っている
かっていうのがね、凄まじくクリアなのよ。だからニートだとか若い世代にワーキン
グプアなんてのが出てくるのはある意味で必然なわけで、全部を結びつけるわけじゃ
ないけど、アノミー状態というのは色々なネガティブなことを生み出す原動力になる
わけだから、っつーかさっき書いたドラッグ問題も含めてね、まぁあと犯罪とかの原
因の一因でもあるよねっつーか一刻も早く環境の改善が必要なのに、なんかシリアス
に取り組んでる感じがしないんだよな。

あとさっきも書いたようにおっさん世代と若者世代との意識の違いってのが凄いで
しょ。で、おっさん世代は若い世代を批判してばっかいるからさ、悪循環が終わらな
いのよね。すげーもったいない状況にあると思うんだよ。日本は。さっきのアートの
話も含めて基本的に社会が殺している才能とか人材ってのが凄まじく多いと思うの
ね。教育は馬鹿を増やして、社会は優れた人を育てないっていうような、お金でヘド
ロ買って家を埋めてるみたいな、そんな非建設的な状況がもうずーっと続いてるよ
ね。

だからね、若い世代が「もうくだらねぇ。こんなのやめだ」って思うのは当然なの
よ。まぁ全部の若い世代じゃないけど、でもそう思ってる人多いと思うんだよね。俺
はああいうアホな社会のおかげで批判的な目がより養われたというのもあるから、
まぁ日本社会ってのは究極的な反面教師だったし、今でもそうであるわけだけど、
まぁでも俺も逃げ切れたわけじゃないからいまだに怖いんだよね。

杉並区中野区を飲み込むかのごとく、日本が俺を侵略してきそうで怖いのね。だか
ら俺は逃げ切らなきゃいけない。うわー怖い。マジで。常に走ってるような気分だ。
そう思うとランナウェイ。ましてや日本って侵略が十八番だからね。そういえば社会
学の先生がまぁ話の文脈のディティール書くと面倒なんでやめるけど、人種のキャラ
クターっつーか歴史を語るときに「日本はまた特殊な国なのよね。しょっちゅう戦争
してた国だから、バトラーの血があるでしょ」みたいなことを言っててさ、これは別
に日本の侵略戦争のことじゃなくて、恐らく戦国時代のことを言ってたと思うんだけ
どでもあれだよね、日本人って平和を愛する民族だなんてあくまで戦後の話で、実際
は凄まじい血みどろの歴史がある国なんだよね。

日本って。だから全然なんつーか農耕民族でもなんでもなくて、みんなウォーバト
ラーだよね。みんなじゃないけど。そういう見方ってのを全然してなかったから、
ちょっとパラダイムが変わったね。俺の中で。ようは俺の中で日本人って民族的に野
蛮っていうイメージが無かったんだけど、でも野蛮っつっちゃー野蛮だよなって思っ
たわけよ。

まぁ武士とかサムライとかっていうとかっこいいかもしれないけど基本的に戦士じゃ
ない?戦士=野蛮ってわけじゃないけど、でもまぁ平和的ではないわな。ようは戦
士っぽい血を引いている部分も相当あるというのには全面的に先生に同意だなって
思ったんだけど、やっぱこれって教養のある西洋人からの観点じゃないとなかなか見
えてこないことなのかなとか思ったわけね。

そう思うと今後が楽しみでしょうがないな。どんだけパラダイムが広がっていくんだ
ろう?あー楽しみだぁー。まずその前に算数やらないといけないけどさ、でも楽しみ
だよねぇー。でもあれだよ、やっぱさ、客観性ってのが重要で、いくら自分が色々な
ことに懐疑的で批判的な人間であっても基本的に日本人について悪く考えたりしない
わけだけど、この社会学の先生の視点というのは、事実はさておき、ようは客観的な
視点でしょ?

ただ俺は日本人だからやっぱ当事者としてなんつーかあんま日本人ってことを否定し
たくないっつーか良く考えたいみたいに思うところがあるんだけど、これは物凄く危
険な視点なんだよね。ようは愛全般がそうよ。恋は盲目とかいうけどさ、基本的に恋
人とかに限らず、自分が好きなものに関しては入れ込んじゃってるから批判的になれ
ないし、客観的になれないんだよね。

ようは凄まじく主観的でガーッってそれに入っちゃってるっていう。それが趣味とか
ならまだしも、それが歴史とかになってくるとマズいんだよね。それこそ歴史修正主
義じゃないけどさ、日本の都合のいいように歴史を塗り替えちゃうっていうさ、まぁ
昨今の盲目的なバカバカしい愛国心の台頭にも言えることだけど、客観的ではない批
判的ではない見方なんてのは大概危険よ。

やっぱ。そんな意味だとっつっていつもアメリカとの対比になっちゃうけど、こっち
で勉強してて目立つのは、よく先生が特にリーディングとかの授業だと「批判的でい
ろ」って言うんだよね。ようは何かを読むときでも読むだけではなくて、書き手がど
ういう人間なのか?例えばアメリカの保険制度について書いてある記事でも書き手が
保守系のシンクタンクから来ている人間なら、それは保守側の意見で書くだろうしっ
つーかそういう記事が実際あったんだけど、ああいう教育を幼い頃から受けていれば
さ、全然違うよなって思ったわけ。

ましてや記事の書き方とかオーガナイズとかの仕方も批評するんだから。これはちゃ
んとまとまってるか?とか要点がクリアかそうでないか?とかさ、俺ってまぁ中学以
来学校行ってないけど、でも中学まででこういった読み方の教育を受けてきた記憶が
さっぱり無いんだよね。

勝手な思い込みだけど、一般的に日本ではこういったクリティカルリーディング的な
教育は広くは行われてないんだろうなって凄く思ったんだけど、ようは批判的である
とか懐疑的であるってことは別にそれが左翼的であるってことじゃなくて、常にモノ
を考えながら何かを捉えるっていう一連のプロセスの一つなわけで、そこに政治的な
イデオロギーなんてないわけ。俺が左翼臭いって言われるのは本当に分かるんだけ
ど、そんなこといったらニューヨークなんて基本的に左翼臭いんじゃないか?とかっ
て思っちゃうね。

特に社会学なんか凄いからね。アメリカ批判も平気でするし、アメリカ政府暴露話
とかも授業の脱線であったり、教科書にもアメリカ政府に対して相当痛烈なことが書
いてあったりするからね。それに比べて日本って何なんだ?って気が本当にしてくる
ね。教科書を日本の都合のいいように改ざんするなんて愚の骨頂だよね。少しはアメ
リカ見習えって思っちゃう。

ただ基本的に思うのがまともに俺の今受けてる社会学の授業ね、あれを受けてたらみ
んな左翼的になるよ。だって社会学教科書もそうだし、先生もグローバリゼーショ
ンには否定的だし、ましてやナイキとかギャップとかのさ、ようはDeindustrialization
とかさ、 downsizingみたいなことがガンガントピックで出てくるし、労働力の搾取な
んてのがあからさまに書いてあるわけだけど、別にこれはマルクス主義とか共産主義
みたいなドグマに立脚したようなものではなくて、あくまでグローバリゼーションの
弊害の一環として、社会分析として書かれているわけだけど、果たしてんじゃあこれ
が左翼的か?っていうとどうかなぁ?って感じするでしょ?左翼も何も当たり前の事
実っていうかさ、それを認識するだけのことなんだから。

ましてやアメリカパトリオットアクトについてのまぁ割とドライな分析と割と批判
的な分析なんかも教科書に載っててさ、アメリカ教科書ってこんなにレベル高いん
か?って関心しまくりだったわけよ。政府からクレームこないのか?ってぐらいなこ
とが書いてあるんだけど、そこはさすがになんつーかインディビジュアルアクトに対
する自由がやっぱりまだまだ保障されているアメリカならではなのかなって気がして
きて、このフリーダム具合と比べると、日本って独裁共産国みたいな感じだよなって
コントラストで凄く感じちゃったね。

で、日本の保守が共産主義に対して批判してるんだからお笑いだよね。実はてめーら
が一番封建的で右翼的な共産主義ドグマを信望してるんじゃねーかって思っちゃ
う。一部の保守が言ってることってツァーリズムとあんま変わらなかったりするから
ね。んだったらロシアにでも亡命すればって思っちゃうよ。日本の保守見てると。あ
んなの保守の風上にも置けない感じがして、ちゃんとした保守の人達が本当に迷惑し
てるんじゃないかなって思ったりちゃうよね。

だからいつも俺が金玉を酸っぱくして言ってるのが、馬鹿でもとりあえず保守的でい
るよりかは進歩的でいたほうがまだマシってことなわけ。馬鹿が石原をサポートする
より馬鹿がデモしてたほうがまだマシ。やヴぇーな、サービス精神旺盛になってき
ちゃってる。もうそろそろやめようかな。っつーかね、昔と違って書こうかなって
思ったこと全てを書けてるわけじゃないんだよね。一応、やらなきゃいけないことが
あったり、占領されてる時間があったりするからさ、そういうので中断されると思考
が止まっちゃうわけよ。

で、思い出せなかったり忘れちゃったり勢いがなくなっちゃったりして、そのトピッ
クについて書かなかったりするわけ。だからね、まぁ今日の分もだいぶ長いけど、で
も本当はこんなもんじゃないんだよね。特に最近はウォール伝的に色々失ってること
が多いわけよ。

書くべきだったのに書かなかったことってのが多いわけ。まぁいいや。でも十分だ
ね。そりゃ最速インターフェース研究会のmalaさんが「誰か要約してください」って
書くわけだよね。ホント、malaさんありがとうね。

なんでため口なんだか分からないけど。で、墨滴には全然これ長くないんだよね。長
いウォール伝ってもっと長いからっつーかいきなり思い出したんだけど、16ぐらいの
時に通ってたフリースクールの同級生っつーか会ったこと無い女の子メールのやり
とりをしていたんだけど、あるとき、この子から返事が来なくなって「なんで返事を
書いてくれないんだ?」ってメール書いたら「いつもそっちの書くことが長すぎて疲
れた」なんて言われて相当ショックだったんだけど、昔からだったんだよね。

長文癖というか書いたら止まらない癖。当時、ヒノッ君っていう名前でやりとりして
たんだけど「私、いつもヒノッ君とのメールやりとりで4時間も使っちゃってるん
だけど、もうアタシ疲れたの・・・」とか言われてさ、そりゃ今考えれば疲れるよ
なって思うんだけど、俺って別に長く書くのにそこまで時間がかからないから、相手
の気持ちが分からなかったんだよね。

ましてや4時間もかかってるなんて想像もできなかった・・・。ジーザス!なんて
こった!あと前にも書いたけどスカイプで両親と話すときもさ、ウォール伝みたいな
感じでさ、社会問題とか政治とかオヤジが割と喋れる人だから色々喋るんだけど、結
果的に一時間半ぐらい俺が喋りっぱなしで、残りの三十分を母と父が喋ってる感じな
んだけど、いつもスカイプの終わり際に母が「もうそろそろね・・・終わりにしよう
よ」なんて言うわけ。

そりゃあっちとしてもゲンナリだろうなぁーって思ったんだよね。1時間半も勝手に
喋られたんじゃーたまらないでしょう。だから俺からの提案で「毎週スカイプやるん
じゃ、そっちも忙しいだろうから、二週間おきぐらいにしようか?」って言ったら、
心なしか両親は快諾していたような気がしたね。

だから俺は思ったね。この長文とか長い喋りを極めまくって、それこそジジェクみた
いに、ゲンナリするぐらい喋りまくるおっさんになるしかないなって思ったわけ。ま
してやこんぐらいのことを英語で書けたり喋れるようになればね、なかなかの進歩で
しょ。やっぱ英語なんだよねー。問題は。まぁいいや。そんな感じで。誰か俺の話聞
いてくれる人いないかなぁー?大抵途中で嫌がられるんだよね。話が長いっつって。

だからやっぱウォール伝が一番の出力先なわけです。今日は革命的なオーラのまま
色々書けたんで、反革命的な投票してくださいっていうURLは載せないことにしま
す。それにしてもアクセス数が明らかに増えてて不気味だわ。ただ別に見られてると
かって思わないことにするわ。でもあれだもん、今日なんてのもさ、やっぱあれだ
ね、俺みたいなスケールの小さい人間の場合さ、学校行く前から「アルファブロ
ガー・アワードノミネートされた人がニューヨークコミュニティーカレッジに行
くんだ」って全てを「アルファブロガーアワードノミネートされた人が」っていう
風に考えてたからね。「アルファブロガーアワードノミネートされた人が水を飲
んでいる」とか、授業の合間とかも「アルファブロガーアワードノミネートされ
た人が嬉しさのあまり、ジェフミルズのChange of Lifeを鼻歌で歌っている」とかね、
思うにジュリアナ東京を肯定するためには、ジュリアナ系でかかってた曲の全ては
Change of Lifeだったって思えばいいんだなって思った。

あとDJ Camがハゲているのは、同じような曲作りをしすぎだからということも分かっ
たね。もうさ、あのなんかラップの一部分を「キュッ」って一回コスった後、リリー
スして丸々ぶち込むって手法やりすぎだよね。いい加減変えたらどうなんだろう?っ
て思っちゃう。

あれはやっぱあれだよ、DJのジレンマよ。ジャズが好きでも譜面書けないみたいな、
どっかから取ってくるしかないみたいな、ようはコスるしかないんだよなぁーってい
うDJのジレンマよ。あのさ、ブルーノートリミックスのやつさ、ジャザノヴァとか
ありえないぐらいいい仕事してるけど、DJ精液のはヒドいよね。すげーやる気ない。

っつーかレコードで持ってるんだけど、あれ聞いてるとき「あ、笑点だ。飛ばそ
う」っつって飛ばしてるのね。なんで笑点かっていうと、やる気なさげに鳴ってるワ
ウのかかったミュートトランペットの音が笑点のオープニングテーマみたいだから。
みたいだからって終わるの良くない?みたいだからなんだよね、じゃなくてみたいだ
から。なんか山ちゃんの嫁っぽい感じでいいよね。頭が良くない感じが。

まぁーね、実際はURLを載せないことにしますって書いたのが昨日で、それからを
今、書いてるんだけど、なんか疲れちゃってさ、恥知らずが腫れてるんだよね。基本
的に週末になってくるともう疲れちゃう。体力ないよなぁー。仕事してから学校来て
る人なんていっぱいいるのに俺は学校だけで疲れてる。しかもそんな別に一日何十時
間って占領されてるわけでもないのに疲れちゃう。

今日の出来事で書くこともいっぱいあるんだけど、明日だな。今日は寝かせてくれ。
あーちょっとサービス過剰過ぎるかしら。選挙期間中っていう意識がなかなか取れな
いなぁー。っつーか何気にアクセス数がすげー気になってるんだよねっつって見てみ
たら明らかに増えててさ、予想以上に増えてたからちょっと不気味なんだけど、増え
てるからこそあえて普段のウォール伝でいかないとなって思った。最近、ちょっと良
いこと言いすぎてるでしょ?なんか「おおー!良いこと言うなぁー」っていうような
感じのが多い。別に意識して書いてるわけじゃないんだけど、あんまらしくない
なぁーとか思ったね。

たまにはズリネタのことだけで一回分書くとかさ、そういうのも無いとダメだよね。
リーディングクラスで一人、可愛い子がいるんだけど、プエルトリコからの移民な
んで勝手に「プエルトリ子」ってあだ名つけてるんだけどね。頭の中で。「あ、プエ
ルトリ子来た」みたいな。俺って相当いろんな人のあだ名を頭の中だけで作ってる
よ。前にも書いたけど、こっちに来てからさ、特にロードアイランドからマンハッタ
ンの英語学校に至るまで、凄まじい数のお笑い芸人似のやつがいたからね。ゴリ・川
ちゃん・ますだおかだのますだ・おぎやはぎのおぎ・創価久本・あと芸人じゃないけ
どエロサイトバナーで見かける不細工な
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        18:53
      
  

  
  

2007-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20070830170418

問い自体がおかしいよね。差などなくなるわけない。

で、それにかまけてシニカルな言を弄する人間がいたり

ニヒリスティックな話が蔓延したりする社会状況って一体何なんだろうなぁとは思うが。

2007-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20070817163548

ジョークを解説するほどつまらないことはない。

けどこれは、笑いどころがわからないな。

サゲの「私、運がよかったんだわ」に意味があるとおもうのだけど

1.大学大学院に入れたのが運がよかった。

2.運がよかったという落ちのシニカルジョーク

3.売春宿の経営できるのはラッキーだという認識ギャップ。

4.売春婦になるよりは運がよかったという比較。

いずれか?

田舎売春宿なのでそれほど成功しているとはいいがたいので3番はパスか。

・・・やっぱりどれも落ちとしてはいまいちだな。

原文を推測するに、

もしかして、luck(幸運)と言うのと、lack(欠けている)をかけてるんじゃないか?

喋りジョークだとしたら、「田舎だから」という断り書きが、ここできいてくる。

女性を少し訛らせて演じれば、女性の意図する「lack」を男性が[luck」と聞き間違えたと、

lackだけに、韻をカケテル!  なんてね。

2007-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20070628152527

自称シニカル自傷系の人ですか?

ケツに火がついてますよ。

みんな滅びの美学に酔い痴れすぎ。

純粋で熱い人には、シニカルな世界は住みズラい。

2007-06-07

なんか今更乗っかるの?みたいな感じだけど。いや自分でも思うけども

http://anond.hatelabo.jp/20070606142108

こういう論を展開する人を見るとどうしても

「あぁ中二病高二病か?)引きずっちゃってんのね…」

と思う。

ていうのは、この人自身『感情の上には理性があるべき』とか

>「機械的に飯食って仕事して誰と話するときでも冷静沈着でどんな物事でも第三者目線で考え」られるような人間というのは、実はかなり理想だ。』

とか言っている割に、本人がそうなりきれてないからだろう。

本当に『感情の上には理性がある』人なら『感情』に対する『理性』という一般にあるような対立項を安直には採用はしないはずだし

(そもそも感情なんてものは他の“モノ”のありようと同じに“ある”と言ってしまっていいのか?とか)

そもそも『感情』という語についてどう考えるかについて何がしかの学説を採るなら採る、独自の立場を採るなら採るでその立場を明示するはずだ。

思うにこの人、所謂ネガティブ感情を理性的に捕らえているんではなくて好悪の情(これもまた『感情』と捕らえるべきだろう)で捕らえてるんではないかな?

…とまあ、その辺りは別に「そういう考えの人もいるよね」ってことでいいんだけども、

>ニヒリズムって言うのかは知らないけど、考え方の底がシニカルなのは認める。懐疑論者だし。

の一説だけはちょっと我慢ならない。

上に述べたように誰が見ても分かる、いわば考察の甘い点がゴロゴロ残っているというのに安直に『懐疑論者』だの『ニヒリズム』だの『シニカル』だの言ってもらったのでは困る。

もっと信ずべき、信じたい対象があるのにどうしても理性的に考えるとおかしい、その点を徹底的に考えていくのが本当の懐疑論者だと思うし、

その末に「駄目だ、やっぱり本当は『無い』んだ」となるのが本当のニヒリズムのはずだ。「自分は懐疑論者である」なんて言う懐疑論者は字義的に言っても間違ってる。

何よりそんな甘い(ゆるい?)考察の時点で自分を『懐疑論者』『ニヒリズム』と決め付けるのは危険だからね、いろんな局面で。

もし本当に本人の言うように生きてゆきたいならば、もっときちんと、徹底的に考えた上でそうすべきだと思う。

2007-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20070606142108

元記事の増田ですが、こんなに反応されるとは予想外でした。それだけ一般から外れているのでしょう。

anond:20070606173515

まあ、指摘されるような部分もあるので、上から目線で見られるのも分かる。

彼女に傍にいてほしいと思っても、それが彼女の意思に反していれば相手を尊重するのは僕にとって当然。好きで好きでどうしようもないくらい好きなら、むしろ相手の意思は尊重するべきなのではないかと。

それにしても、人間ってそこまで欲望に凝り固まってるものなのだろうか。その思考不思議だ。

人見知りな上に寡黙だが、感情ゼロではなく、喜んだり笑ったりは普通にある。祖父の葬式では、意外にも涙が出た。

感情表現閾値が平均より高いのだろう。特に「妬み」「怒り」「憎しみ」となると、さらに閾値が高いようだ。

ある程度打ち解けると、かなり話したり感情を見せたりはするのだが、そこまでが長い。

機械的に飯食って仕事して誰と話するときでも冷静沈着でどんな物事でも第三者目線で考え」られるような人間というのは、実はかなり理想だ。

少年時代空条承太郎に憧れていたが、大人になった今は吉良吉影に近いのかもしれない。静かで秩序ある穏やかな生活が好きだ(でも結構自堕落な面があったりもする)。

anond:20070606182547

「好きの反対は無関心」……まさにその通りだ。「好きか、嫌いか」ではなく、「好きか、フラットか」。

ネガティブな感情を抱くと自分の心にも周囲の人間関係にもマイナスにしかならないと思うのに、なぜ皆はそんな感情を抱くのか不思議でならない。しかし皆が僕のような考えなら、この世から戦争はとうに消えているわけで。

anond:20070606183607

人間同士で主観全開で」ぶつかり合っても、テレパスじゃないのだから完全な理解は不可能だろう。

だけど「情けないくらい感情ぶつけないと解らないことや見えない事もある」というのはおそらく大多数の人にとって事実。なぜなら僕は少数派だから。

ニヒリズムって言うのかは知らないけど、考え方の底がシニカルなのは認める。懐疑論者だし。

anond:20070606185049

上から目線の人は、たぶん自分が多数派なのを自覚しているから。人間なのである程度は仕方がない。そして僕は全く気にならない。

会ってみたいものです、達観した女性

2007-06-05

「『あまえる』ということについて」を読んでを読んで

「『あまえる』ということについて」を読んで

http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070515/p1

上記ブログではこの本の中の小学校二年生の中村咲紀ちゃんという少女が書いた

「『あまえる』ということについて」という題名の「セロ弾きのゴーシュ」の読書感想文を、

上手に引用してわかりやすく内容を紹介しているのだけれど、

これが8歳の少女が書いたとは到底思えない見事な感想文なもので、

びっくりして早速本を注文してみたよ。

で、届いたので、昼休みに近所のカフェカレー食べながら読んだー。

泣いた、カレー食べながら泣いたー。

でもその涙は一言では言い表せない複雑な感情から出たものだった。

第一にここまで厳しく自己言及せざるを得なかった、

彼女の寂しさや苦しみが伝わってきて胸がヒリヒリした。

そもそも満たされた子ども自分語り言葉など持たない。

彼らは自分を客観視することがないから。

世界は自分で、自分が世界。主観しかないのが子どもの世界。

遠足に行きました、楽しかったです。」と書く一般的な子どもの表現力が拙いのは、

感受性が鈍いからではなく、表現する必要がないからではないか。

そこには子どもと世界の幸福関係がある。

子ども特有の万能感が薄れ、矛盾や理不尽、欺瞞をはらんだ世界を、

自分の外側のものとして意識し始めるのは一般的に思春期頃といわれている。

世界との断絶こそ、子ども時代の終わりをつげるもの。

その頃になると自分の葛藤を表現したいという欲求や、

自分のアイデンティティ確立するための自分語り言葉を、

誰もが身に着けていくのだけど、

そういう言葉を8歳の子が身に着けているというのはどういうことだろうと思った。

感受性が豊かなさきちゃんにとって、幼い彼女を取り巻く世界はあまりにも過酷だったのではないか。

もちろんそれが単に悪いこととは言わない。

そのことによってこれだけ自分を見つめる力と、

それを表現する力を身につけたのだから、素晴らしいともいえる

だけど、この完璧すぎる素晴らしい文章の影には、

彼女言葉にならないたくさんの苦しみがあったと私は思うんだ。

次にこの感想文に見え隠れする欺瞞を憎む純粋さと、

潔癖なまでの理想の高さが痛々しく思えた。

それは美しく貴いものだけれども、

こういう美しいものが美しいままで生きられるほど、

世界は美しくないというのが現実だと私は知っている。

彼女純粋さと高い理想は、確実に彼女のその後の人生を生き難くするだろう。

彼女感想文の中で「本当の」という言葉を乱用している。

こういうところに彼女の危うさを感じてしまう。

どんなに探しても「本当」が見つからないときもあるし、

自分や他人に嘘をついてでも、「めでたしめでたし」じゃなくても、

生きるしかないという人生の過酷さを、

彼女のように感受性の強い人が、知らないで済むはずはないと思ってしまう。

さきちゃんには、嘘をついてでもいいから、たくましく生きてほしいと祈る気持ちになった。

で、その後元ブログトラックバックを読んでたの。

概ね大絶賛で、時々シニカルな人は懐疑的なコメントをしてて、

大体は予想通りの反応だったんだけど、

一件私の気が付かなかった点に言及しているブログがあって、

ほほーっ!と思った。

子ども投影される母親の心

http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070517/1179410983

うーん、私が感じた不自然さはこういうことなのかもしれない。

さきちゃんは天才といって過言でないくらいの表現力を持った子だけど、

その根源には母親に愛されたいという強い気持ちや、

子ども母親が互いに相手を同一視してしまうような、

依存的な関係があるのかもしれないね。

第三に、そういったこの感想文にまつわる複雑な感情は抜きにしても、

これはやっぱり凄い文章で、感動して泣いちゃったわけ。

こういう純粋な気持ちを忘れないでいたいですね、と陳腐にしめます。

長くなっちゃった、ごめんね増田

2007-04-01

今年度最後の日をYouTubeで見れるコンドームCM探しに費やした

以下羅列。CMの内容を勘違いしてたり、他にも何かあったら教えてください。

シンプルかつシニカル。いかにも海外らしいCM

http://www.youtube.com/watch?v=xWkZ_StRjU0

やってることはバカなのに何故かカッコいい。オチも上手い

http://www.youtube.com/watch?v=VtNndVomxcs

バカの二文字

http://www.youtube.com/watch?v=bizJWtJ0xXo

社長自ら身体を張って極薄コンドームの宣伝

http://www.youtube.com/watch?v=BpnZXP-BV3Y

こちらは逆に感じにくいコンドーム。厚いのか?

http://www.youtube.com/watch?v=8FTnJMWyeRA

瞬間装着コンドーム

http://www.youtube.com/watch?v=NeoPcEIypwA

ベタだけど、彼女パンチラエロいので良し

http://www.youtube.com/watch?v=mrrwtXaC_ro

ストレートエロい。途中喘ぎ声があるので音量に注意

http://www.youtube.com/watch?v=jFKglFtwSLM

番外

上の動画で一瞬入るアニメパートの元。同じディレクターらしい

http://www.youtube.com/watch?v=DY7MA3fkzd8

こんなのあるのか

http://www.youtube.com/watch?v=cjpuBLhf9a4

気づいたらもう「今年度」じゃなくなってる・・・。

今年こそこんなアホ動画見てないで実践に移さないと・・・。

ああ!一行上の文もエイプリルフールにちなんでしまえばいいのに!ちなんでしまえばいいのに!

2007-02-24

10代から冷え切っていた

10代の頃は、中学受験に勝つためなんて参考書読んだり、日能研テキスト読んで、受験には、「考える力! 論理力! 国語力!」が重要なんて言葉ばっかに触れると、そうか論理勉強しないと、数学や論説文読解の勉強しないとって思ってる。

同世代の中学生ってもんになんとなく反発して、ブルーハーツ聞いて「この世の中なんて腐ってる」なんてこと言ってる奴らはバカなんじゃないの? なんてこと思ってる。

浜崎あゆみを聞いて、あたしは孤独だなぁ、なんてヒロインきどってみたりする女は、『DEEP LOVE』でも読んで安い感動してればいいんじゃないかなとシニカル気取ってる。

でも大学生になってセックスへの未知への恐怖をこじらせて、あぁもうすぐ卒業ねって、社会に出ること考え出すと、DQNとの会話ってのも現実にしなきゃなんないから大変だなって気づき始めて、10代の頃の棘が擦り切れてくる。

一般人との話題を合わせるために、なんてR25読んだり、日刊ゲンダイ読んで、社会人には、「ノミニケーション! 生きる力! 人間力!」が重要なんて言葉ばっかに触れると、そうか飲み方の勉強しないと、人間性の勉強しないとって思えてくる。でもさぁそんな自分に違和感感じることもあるんだよね。なんか大切なもん忘れてないかって。理性をさ。屈折をさ。

10代の頃は、今から考えると中二病に侵されて、同世代のことバカにして、マスコミのことバカにして、ほんま厨房なことしてたなって思うけど、なんかこのままじゃ嫌とかなんか自分の手で変えてやろうとか言うあの先輩死ねよ、人間力では負け組ですが何か? みたいな屈折があったと思う。

厨房くさいけど、そういう屈折忘れちゃいけないと思うんだね。大人なって社会人なっても、みんなの聞いてる音楽はとりあえず貶したり、文学って言葉に反発したり、恋愛の話題とか何言ってるのか判らなかったり、自分に絶望したり、情熱じゃない屈折、冷笑の声ってもんに耳傾け続けられる人間になりたいってほんと思うのさ。

2007-01-15

とりあえず

外は寒いよ。

空もね青いしね。ね?

冬はね、嫌いか?

息がね、白いものね。

ウツとかソウとかうるせっつーの。

いろんなものをかかえてかかえて

傷ついて傷ついてそれでね

すべて忘れてシニカルにってね。

ごめんな。ホント好きかも好きかも。

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ようこそ ゲスト さん