これで思い出したんで、エピソードとして書き留めておこうと思う。
大好きなアーティストがCDをリリースした際、ある一曲の歌詞の一箇所が、人種・国籍等の観点から私はどうしても許容できず、所属会社の問い合わせ先に感想の形で伝えたことがあった。「許容」という言い方が適切かはわからない。ひどく悲しい気持ちは個人的なものだけれど、アーティストが本来願っているメッセージとの矛盾を感じたのも十分に当然だと、今でも思う。念のため書いておくと、小林賢太郎氏の例よりはかなり穏当だ。
ファンレターで伝えるのは避けた。アーティスト本人にダイレクトに伝わる……とは限らなくても、その可能性があるのは本意ではなかった。その楽曲の作詞者は別にいたし(こちらの方にも何一つ伝えていない)、CDの発売に合わせてライブも予定されていたから、その直前に万が一にも水をさしたくなかった。そのアーティストはレーベルとの関わりを感じさせる振る舞いをしていたので、レーベルのプロデュースサイドに伝われば、それでもういいだろうと思った。
世に出てしまったものはどのみち撤回できないし、この先、より素敵なものを見せてもらえることを願っている、というようなことを書いた。
その後、同じアーティストが好きで心から信頼できる友人に、自分の感想・会社へ伝えたことも、そっと打ち明けた。どうしてもこの楽曲だけは苦手になってしまった、と白状した私に、「増田に言われるまで歌詞の問題には気づかなかった」というコメントに合わせて「そういう気持ちになるのは理解できる」と言ってくれ、その話はひっそり終わった。蒸し返されることもない。でも、たぶん覚えていてくれるだろう。
あれからもう5年は経っているか。果たしてアーティスト本人は、あの曲で「人種・国籍等の観点を問題視し、傷ついた」ファンがいたことを知っているんだろうか? プロデュースサイドは本人に伝えただろうか。確かめようもない。でも、それ以降、同じような歌詞は出てきていない。その後もライブで何度かその曲は歌われて、ちゃんと観客席は盛り上がっていた。私個人は全力では楽しめなかったけど、多少のノリの悪さは許されたい。ある一箇所だけは悲しく、嫌悪感すらあるけれど、それ以外の部分の歌詞はけっこう好きだったりするし。
あと10年経ったら、アーティスト本人へのファンレターにも書くかもしれない。15年後にするかもしれない。
私は話しているファンである。伝えるべきだと思えば、相手と時と表現を慎重に選んで伝え、信用できる友人にもおそるおそる共有している。今だってやっている。そういうことをひっそりと、自分なりにやっているファンもいる、ってことを書いておきたかった。問題点そのものをインターネットに広く公開する以外のパターンのひとつとして。
たぶん、小林賢太郎氏にもこういうファンはいたんだろう。裏を返せば、ファンがひっそり話した程度では大きな力にはなりにくいという絶望、という見方もあるのかもしれない。よくわからない。所詮はファンの自己満足かもしれないし、一方で、あちらが何かを感じる可能性が皆無と断じる気にもなれない。わからないので、わからないなりにこれからもやります。
なお、「そのアーティストって誰?」「どんな表現が問題だったの?」と思う人もいるんでしょうが、今でもアーティスト本人に伝わるのはまだ早いと判断しているので、全力でボカしていく所存。人種のステロタイプを利用したとか、国籍を根拠になんらかの限定を行ったとか、そういう類のこと。実在個人への被害があったり、歴史上の出来事と結びついたりする表現ではない。
まあ、BTSの問題やら世界中で、あちこち あるわけだから学びの機会に。 しかし、昔過ぎる感はあるけど。 でも不思議なのは、同じ世代としては、かなりの平和教育世代だと思ったけど...
芸人は、あくまで芸人であり ロックミュージシャンは、 永遠の不良みたいなもんで。 世の中を横から風刺したり 斜めから音楽で奏でてみたり。 なんか職業が、メジャーになりすぎた...
真面目にこれ
つまりポリコレは骨の髄までお高く止まって生まれも育ちも完壁なバラモン左翼だけが表舞台に立つことができ、それに従わない人間の成功を許さない絶望の格差社会を作るだけってこ...
まあ 何言うとるか意味不明やが、 ジミヘンなら、受けないだろね。
坂本龍一は、未だ断るかっこよさ みたいなのを残してるかもしれん。 「反権力ごっこ」して 擦り寄る小物感はない。
id:blueboy に教えてもらったサイト。 [苦手なコント | a piece of cake](http://potsumaru.jugem.jp/?eid=76) 2009.05.19 ソーシャルネットワークなんちゃらのほうのラーメンズコミュで、苦手なコントト...