仕事内容は伏せますが、台風で増水した河川が決壊したら全域が3階建ての高さまで水没する地域での仕事です。
「河川が決壊する水位なので逃げてください!」なんてアナウンスされている地域に残って仕事しろっていうのです。
私は自分が死んだらどうなるかを考えました。
残された配偶者は、残された子は、残された自分の親は、どう思うのだろう。
必要な仕事なのかもしれませんが、それは自分の命を掛けるに値する仕事なのだろうか。
人が自分の命を掛けられるのは、死んでも思い残すことが無い未来がある場合だけだと思うのです。
自分の場合は遺された家族の事が心配になりました。死ぬ事自体は怖くありません。
しかし、自分が死んだあとに遺された家族の生活や心情を思う事は非常に怖いものでした。
私が死んだ後、誰が私の家族を守ってくれるだろうか?誰が私の代わりをしてくれるだろうか?
東日本大震災のときに、津波が来るから逃げろと放送し続けて亡くなった職員さんがいらっしゃったことがニュースになりました。
世間は、美談として取り上げ、それでお終いです。なんなら、言葉を飾って、感動的な道徳のお話を作ったりしています。
人が命を掛けた行動を、軽々しく美談に仕立てあげるその神経が理解できません。
自分が遺された家族の立場だったら、そんなこと絶対にできません。
今記事を書くために検索してみましたが酷いものです、何が「天使の声」だよ。。。
他人が、自分に都合の良いことをするのが「道徳」なのでしょうか。
結局、他人事なのです。そりゃあね、他人が自分に都合の良いことをしてくれたら感動しますよ。
でも、それは他人事だから感動で済む訳であって、家族だったら、恋人だったら、軽々しく「お話」になんてできません。
その後、職場はまるで何もなかったように、命を掛けた人間に対する労いもほぼ無く、日常に戻りました。
お礼を言って欲しかった訳ではありません。それでも、何も無いなんてことがありえるでしょうか。
自分が命令をする立場だったら…非常に怖いと感じると思います。自分の命令で人が死ぬ可能性があるのです。人殺しです。
災害で、不可抗力で人が死んでしまった、ではありません。命令により人を殺したのです。
そういう認識や覚悟があったならば、何もなかったことに涙を流して安堵すると思います。
しかし、そういう対応は全くありませんでした。社内掲示板にありきたりな文章が載って終わりです。
所詮、その程度の認識なのです。他人事なのです。他人の命を掛けた命令だったなんて認識が全然ないのです。
なんとなく命令する。決壊したとしても自分が死ぬわけじゃないからキニシナイ。
そういう人間達が、そういう組織が危険な地域での仕事命令(=死ねという命令)を出しているのです。