上手く生きたいのにそれができない自分が嫌いだ。
就職活動の中で幾度となく書かされる「自己PR」と学生時代に力を入れたこと、通称「ガクチカ」。3年間お金を稼ぐことしか考えずアルバイトしかしてなかった自分は、ガクチカの項目が必然的にアルバイトになった。アルバイトはそこそこ真面目にやってきたつもりだし新店舗のオープニングスタッフというアドバンテージも活かせる、ガクチカの項目は埋まるのではないか、と就活始めたての私は考えていた。
しかし、いざ書いてみるとなると、書けなかった。
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アルバイトをなぜ頑張るのか?
という質問に対し、他の人はどう答えるのだろうか。
アルバイトに勤しむ学生の殆どが「お金のため」であり、働いたお金で旅行や趣味に使う、そのために働く。私もその一人だ。
アルバイトという経験から挫折や困難だった出来事を切り取り、得たものや成長したことを書いていくのが一般的だと思う。
では、その困難を何故乗り越えようとしたのだろうか?
困難だったことやトラブルなどは社員に任せておけばいいじゃないか。
その時給をいかに楽して貰うかを考え、行動した方が精神もすり減らないし自分が傷つくことも少ない。時給に見合った仕事をやればいい。
じゃあ、何故無理してまでシフトに出たり、やらなくてもいいことまでやったり、トラブルを解決しようとしたのか?
やらなくてもいいことを率先してやったら、トラブルを自ら解決したり、接客スタイルや知識を研究したら…
自身の根底にあるどうしようもない承認欲求を満たすために私はアルバイトを頑張っていた。
無論そんなことを書けば落とされるだろうし、その前に添削してくれる就職支援室の人に訂正されるだろう。
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「今度こそ嫌われないように」
しかしそう上手くはいかず、「嫌われないように」という目標は「嫌われたくないからそもそも必要以上に人間と関わらないように」というものへシフトしていった。
怖かった。
中学時代のように、また自分の行いで周りに誰一人居なくなって、埃だらけの階段裏で昼食を取るのはもう嫌だった。
かといって、被害者面したくもないので、自分なりに人に「あなたのここが嫌いだから直して」と言われた部分は直してきた。
こういうときはなんて言えばいいんだろう?
職場や大学で人生を『上手く』生きてる人を観ると羨ましく思う。
あるコミュニティで人間関係を構築する度に中学時代のことを思い出して、怖くなって、結局上手く築けずに身を引いて疎遠になってしまう。
人間関係が怖い。
嫌いにならないで欲しい。
その一心でアルバイトをしていた自分に、ガクチカはアルバイトと言える資格はあるのだろうか。
要点が上手くまとめられない散文になってしまいましたが、
就活が怖いです。