内容の肝は主人公に起こる奇々怪々な出会いとイベントが精神疾患由来であり、寛解する訳でもなく病状は淡々と進むというもの。
古のオタクたちが綴ったブログに書かれた「さよならを教えて」のあらすじを貪るように読んで、10年前に工学部の大学生だったころの記憶が厳冬の流水のようにひひたひたと流れ込んできた。
読書が好きだった。特に精神疾患について書かれた本が大好きだった。
医師の目を通して病識の無い人が狂っていく様子だったり、家族が措置入院制度を悪用して健常者を精神科に幽閉する話だったり。
そういう本を読んでいくうちに、ひょっとして自分は何らかの精神疾患を抱えているんじゃないかという疑念に駆られるようになった。
特にひどかったのが、2か月の夏休みに下宿に引きこもっていたとき。精神状態は乱高下し、将来への不安も相まって最悪だった。
もし自分が狂って居たら、「自分は狂っていない」という自覚はあてにならない。もしかしたらこうやって考え続けること自体が病気なんじゃないか。
今狂っていなくても、いずれ狂うんじゃないだろかという考えが頭の中に渦巻いた。頭の中に時限爆弾的な疾患があって、いつか爆発して発症するんじゃないかと恐怖した。
同時に、両親が私の自立を妨害しているという妄想に取りつかれていていた。何か私の人生が良心に滅茶苦茶にされてしまうという根拠のない恐怖を感じた。
怖くて仕方がなかった。人生の無意味さや空虚さに押しつぶされそうで、それはおいしいものを食べてもきれいな景色も解決の助けにはならなかった。
医者には行けなかった。そういう勇気も無かったし、精神科の本を読みすぎていたせいで怖かった。私の正常性を私自身が証明できないということを認めるのが怖かった。
ひたすらに悩み、孤独を味わい、恐怖を感じて寝れなくて朝焼けの街を徘徊しているとふとストンとすべての悩みが消え去ったりする。
気分よく過ごしているとまた深淵に落ちたりする。
ときは過ぎ、就職して自分の収入で暮らすようになると両親の恐怖妄想は消えていった。将来への不安はあるが、仕事上の具体的なものになった。