「人間の欲求には5段階あるんだって。生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求。
君は毎朝電車に1時間すし詰めにされながら会社に通って、それから日付が変わるまで仕事をして、家に帰ればベッドに倒れる日々だ
けど、それだけしても3段階目までしか欲求は満たされてないんだよ。」
美智子は夜中の1時に、布団の上でぐずる息子に授乳をしながら、さきほど帰ってきた夫にそう話しかけた。夫は眠そうな顔で「うん
」とうなずきと風呂場に消える。息子はおっぱいを飲みながら白目を剥いて寝入る。美智子は息子をそっと布団の上に載せ、ゆっくり
とおくるみを掛けた。美智子も横になり、隣にある美しい息子の寝顔を確認して目をつむる。美智子が眠りに入っていく中で夫は風呂
から上がり、美智子のそばに来て頭をなでる。美智子が寝ているとき、いつもやっていることだ。美智子はそれに気づくときもあるし
、気づかないときもある。今日は気づき、眠りながら微笑みを返す。
美智子が朝9時に起きると、既に夫は会社に出かけていなかった。夫が朝の支度をする物音で起きたものの温かい布団から出られずぐ
ずぐずしていた。今日は火曜日なのでゴミを出そうと思い、ゴミ箱を見ると、既に空になっていた。排水溝のネットも新しいのに替え
られている。ああまた夫が全部やってくれたんだと美智子は思う。テーブルには昨日夫のために作った野菜炒めが手付かずのままだっ
た。朝ごはんにその野菜炒めを食べていると、息子が目を覚ましぐずりだした。野菜炒めを持って息子の横にいく。TVをつけ、息子
を抱え、おっぱいを吸わせ、同時に野菜炒めを食べる。必死におっぱいを飲む息子の顔に、ぼろぼろと食べ物が落ちていく。さあ今日
は何をしようかとTVを見ながら、野菜炒めを食べながら、授乳をしながら美智子は思う。まずは洗濯機を回そう。洗い物もしよう。
天気がいいから外に洗濯物を干して買い物に行って、夫のために夕ご飯を作ろう。ホワイトシチューをルーを使わずに作るんだ。それ
から、部屋の片付けもしなきゃな。まあ夫が帰ってくる午前1時までにやればいいから、まずはネットでもするか。
その日はホラーゲームをPCにダウンロードし、泣いてる息子をあやしながら追ってくる幽霊から逃げて一日が終わった。20
時に息子を風呂に入れ、今日は夕飯作らないでいいかと考える。今の時間ではスーパーもやってないし、どうせ作ったところで
食べないから。
「作っても意味ないよねー」と目を丸くして風呂につかる息子に笑いかける。息子はきゃっきゃと声を上げて喜ぶ。
風呂から上がり、しばらく2人で遊んでいると、疲れたのか息子は寝入る。ようやく美智子は立ち上がり、朝回した洗濯機を開いて、
洗濯物を部屋干しする。洗濯物をつるしていると脳内に小学校の下校アナウンスが響く。「あと10分で最終下校時刻です。後片付けをして、すぐに家に帰りましょう。皆さん、今日はどんな一日でしたか?」
夫が珍しく23時に帰ってくる。帰りが早いので部屋は散らかったままだ。
「お帰り。夕飯ないよ」と夫に言うと、「コンビニで買ってきたから大丈夫」と答える。夫はセブンイレブンの袋からおにぎりとスナ
ック菓子とビールを取り出し、食べ始める。美智子が「りんご剥こうか?」と聞くと「いいよ」と言う。
「美智子大変だからいいよ。」
「大変じゃないよ。りんご剥くよ。食べて」
「俺に選択権ないのね」
「あとは美智子が食べなよ」
美智子は迷うが、結局残りのりんごを食べる。夫はりんごを食べる美智子に話しかける。
「今日はどんな日だった?」
「今日はねゲームしてたの。18禁のホラーエログロゲーム。お化けに追いかけられてすぐ捕まっちゃうから、全然エロいシ
ーンは見られないんだ」
「そうなんだ」
「まだ体験版なんだけど、どうしようかな買おうかな。今2000円が1000円になってるんだ。どうしよう」
夫が一日働いてるのに自分はゲームをしていて、少しは怒られるかと期待したが、夫はいつもどおり疲れた笑顔だ。
「どうしたの?これ」