はてなキーワード: 漢字圏とは
良かったね。外面が優先される諸外国ではホモ婚(Same-Sex Marrige)なんぞ認めるのが進歩的もしくはリベラルにみられる理由で次々とホモ婚が制度化されてるけど、日本ではタイトルのとおり、婚約にしろ結婚にしろ婚という文字が女篇に含まれている。つまり、女性が介在しない男性同士の配偶者制度、戸籍の更新を認めるかどうかの議論は、漢字圏の使用者が内在する無意識的的な反発を押し切って、ホモ婚容認側がホモ婚の圧倒的な正しさ・メリット・普遍性を多数派に説得しなければ進展のしようがないのだ。
この点、アルファベット圏ではmarrigeにしろmatrimonyにしろ文化的には女性との結婚が普通ではあるものの、漢字圏の結婚や婚約から感じられるような女性が介在しなければ結婚もくそもないだろという感覚が薄く中立的だ。語源的には、marrigeラテン語のmaritareに以来し、maritareとは女神アプロディーテー-マリの庇護の下に結合すること、とちょこっとだけ調べたら出てきたが、日本語のようなへばり付くような感覚はmarrigeからないだろうと思うのだ。
よってホモ婚推奨精力がどれだけ水面下で努力しようが、ホモ婚に違和感を持つ人間が圧倒的で、かつまともに機能している限り日本ではホモ婚は永久に制度化されない。制度化されるとすれば、国民のほとんどが違和感をおぼえつつも国連加盟国でホモ婚制度化が支配的な版面をホモ婚推進精力が形成してしまってやむを得ず日本国も追随にまわる、これくらいしかホモ婚が国会で審議されれ両院を通過するとは思えないし思いたくない。
なおホモ婚の賛否についてWikipediaどのような議論があるか調べ直してみるのは真っ当ではあるが、「同性結婚」の記事については「この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。」と提起がなされるとおり中立的どころかホモ婚推進精力によるバイアスがかかっていると注記させてもらう。
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追記)
現地人に間違われることも何回かあり、
北京語で筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。
街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。
ちょっと落胆した。
同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、
来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、
日本に照準を当てていない外国人とは、いかに文化的人種的に近い東アジア人であろうとも、
最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。
現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから。
英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!
自分を恥じた。
日露戦争の時は日本人と清国人と朝鮮人とベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。
安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」という自書を渡した。
今や朝鮮人もベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。
もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語の立場にあったのかもしれない。
英語で世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、
隣国との距離が相対的に広がるということでもある。
追記:
文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から、
「漢字や箸や仏教や儒教を伝統文化として擁する東アジアの国々」から「モンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」
までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?
形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、
ウイグルやカザフやキルギスやウズベクやチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?
だから、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。
安重根の辞世の句、これは漢文だから魂が込められているのです。
同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。
(漢文も土着の言葉を蹂躙して君臨してきた事実を差し引いてもです。)
今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。
安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。
私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります。
英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中の言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから、
何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。